ラ・ラ・ラ・メディテーション

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ハグすることのアート(OSHO)



「分析はマインドの道だ。抱くこと(ハグすること)はハートの道だ。
マインドは全ての病気の原因であり、ハートは全てのヒーリングの源だ。」

Osho(from:The Wild Geese and the Water#4,1981)
みんなでハグ


人は必要とされる必要がある。それは、人間も最も基本的な必要性のうちの一つだ。人がもし望まれなければ、人は死に始める。人が、誰かにとって、少なくとも誰かにとって重要だと感じることが無い限り、人の人生全てが無意味になる。だから、愛はそこにあるもっとも偉大なセラピーだ。世界はセラピーを必要とする。なぜなら世界は愛を取り逃がしているからだ。愛する世界では、セラピーは全く必要とされないだろう。ハグすることは、ただ、愛の、温かさの、関心を持つことの、ジェスチャーだ。他の人から流れる温かさをただ感じるだけで、あなたの中の多くの病気を溶かす。氷のような、冷たいエゴを溶かす。それはあなたをもう一度子供にする。心理学者達は今、子供が抱きしめられ、キスされない限り、彼はある栄養を取り逃がす、という事実にかなり気づいている。無視され、気にかけられず、かまわれず、彼は深くどこかに悲しみを持ったままだろう。彼は育成されたが、母性的に世話はされなかった。もし子供が抱きしめられないなら、他の全てが与えられても、彼は縮み始めることが-彼は死んでしまいさえし得る-観察されている。肉体に関する限り、全ての注意が払われた、しかし愛は子供を取り囲まなかった。彼は孤立した状態になった。;彼は存在から切り離された状態になった。愛が私達のつながりだ。;愛は、私達のまさに根だ。あなたが呼吸するように-肉体のためにはそれは全く不可欠だ。;呼吸を止めると、あなたはもう生きることができない。-同様に、愛は内側の呼吸だ。:魂は、愛することによって生きる。分析はそれをしないだろう。機知と明晰さ、知識と学問はそれをしないだろう。あなたは、セラピーについて知るべきことがある全てを知ることができる、あなたはエキスパートになることができる、しかしもしあなたが愛のアートを知らないなら、あなたはセラピーの奇跡の表面に留まるに過ぎない。あなたが患者を、苦しんでいる人を感じ始める瞬間、100のケースのうち90人が、彼らが愛されていないという理由で苦しんでいる。もしあなたが患者の愛に対する必要性を感じ始めるなら、そしてもしあなたがその必要性を満たすなら;患者の健康状態にほとんど魔法のような変化があるだろう。

シグムント・フロイトは愛を非常に恐れた。彼は彼自身の抑圧された愛を恐れた。彼は、ある関わり合いに巻き込まれるかもしれないことを恐れた。彼は人と関わり合いになるのではなく、彼の内面の一部になるのではなく、深みはまるのではなく、外側にいたかった。科学的な観察者、無関心で、超然として、クールで、離れたままで。彼は精神分析をまるでそれが科学であるかのように作ることを望んだ。それは、科学ではない。そして決して科学になることも無いだろう!それは芸術であり、そして論理よりは遥かに愛に近い。

真の精神分析医は患者の内面に深く入ることを避けないだろう。-彼は危険を冒すだろう。それは危険だ。それは荒波に入ろうとすることだ。あなたは自分を溺れさせるかもしれない。-結局、あなたは人間だ!あなたはあるトラブル、複雑な状態に入り込むかもしれない。;あなたは自分に対していくらかの問題を創り出すかもしれない。しかし、その危険は冒されなければならない。

それが、私がとてもウィルヘルム・ライヒを愛する理由だ。彼は精神分析の全面を変えた人だ。-患者と関わり合うことによって。彼は長いすを捨てた。彼はこの超然としたよそよそしい態度を放棄した。彼はシグムント・フロイトよりはるかに偉大な革命家だ。シグムント・フロイトは伝統を維持した。:彼は彼自身の抑圧を恐れた。

もしあなたがあなた自身の抑圧を恐れないなら、あなたは途方も無く助けることができる。もしあなたがあなた自身の無意識を恐れないなら、もしあなたがあなたの問題を少し解決したなら、あなたは患者の世界に関わりあいになることによって、観察者であり続けるより参加者になることによって、あなたは非常に助けることができる。実際、時には患者自身よりさらにもっと、精神分析医は自分の問題を持っているので、シグムント・フロイトの恐れを理解することができる。

私に関する限り、それについて私は無条件の声明を出したい。ブッダだけが真のセラピストであり得る。なぜなら彼に問題は残されていないからだ。彼は患者と溶け合い、溶けこむことができる。実際のところ、彼にとってその患者は全く患者ではない。それが患者と彼のセラピストの間に存在する関係性と、弟子とマスターの間に存在する関係性の違いだ。弟子は患者ではない。;弟子は最愛の人、愛されし者だ。マスターは観察者ではない。;彼は参加者になった。彼らは別々のアイデンティティーを失った。彼らは一つになり、そしてその一つであることが助けになる。ハグすることはただ、一つであることのジェスチャーだ。-ジェスチャーでさえもが助けになる。あなたは正しい。;

あなたは尋ねる:なぜハグすることはこれほどまでに途方もなく効果的なセラピーのツールなのでしょうか?それはそうだ。そしてそれはただのジェスチャーだ。もしそれが本当なら、ジェスチャーであるだけでなくもしあなたのハートがそこにあれば、それは魔法のツールであり得る。それは奇跡であり得る。それは即座に状況全体を変容させ得る。それについて2,3のことが理解されなければならない。一つは、子供が死に、その人間が10代の少年少女になり、それから少年少女は死に、その人間は若者になり、それから若者は死に、彼は中年になり、等といった考えは間違いだ。子供は決して死なない。-何も絶対に死なない。子供はそこにいる。いつもそこにいる。他の経験に包まれ、-思春期によって、それから若さによって、それから中年期によって、それから老年期によって-しかし、子供はいつもそこにいる。あなたは層に層を重ねるタマネギようだ。しかしもしあなたがタマネギをむくなら、すぐにあなたはもっと新鮮な層を内側に発見するだろう。さらにもっと続けると、あなたはさらにもっと新鮮な層を見つけるだろう。同じことが人間についても真実だ。:もしあなたが彼の中に深く入っていくなら、あなたはいつも無垢な子供を見つけるだろう。-そしてその無垢な子供と接触することはセラピー的だ。ハグすることはあなたに子供との直接の接触を与える。もしあなたが誰かをあたたかさ、愛を持って抱きしめるなら、もしそれが無力なジェスチャーでないなら、もしそれが意味があり、意義があり、本当なら、もしあなたのハートがそれを通して流れているなら、即座に、あなたは子供と、無垢な子供との接触をする。一瞬の間でさえも表面化する無垢な子供は、途方も無い違いを作る。なぜなら子供の無垢さはいつも健康で、全体だからだ。それは汚されていない。あなたは汚れが入り込んだことが無い、人の最も内なる中核に達した、あなたは汚れの無い中核に達した、そして汚れの無い中核を再び人生と共に鼓動させることは十分だ。あなたは始めた。ヒーリングのプロセスを引き起こした。あなたが人を愛する時、言葉での表現は十分ではない。言葉は十分ではないのだ。もっと実体のある者が必要とされる。;言葉はただ抽象的だ。あなたは何かをしなければならない!手を握り、その人をハグし、その人にキスし、その人を抱擁しなさい。それはあなたたち両方を助けるだろう。もしあなたがハグに溶けることができるなら、あなたは両方ともが再びもっと若く、より新鮮に、元気になることを感じるだろう。それがヒーリングのプロセス全体だ。
Osho(from:The Wild Geese and the Water #4,1981)

(翻訳 Anand Abhaya)
ハグアニメ

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