ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

親密さ

変化2

愛が成長するには時間が必要だ。愛が成長するには親しさが必要だ。それは3、4週間はそこにあるが、3、4週間のうちに消えてしまうような季節の花ではない。それは親しさの、長い、長い、プロセスだ。徐々に、徐々に、二人の人が互いの中へと溶け合っていく。そうなってこそ、育むものになる。

「関係は鏡だ。」
そして、愛が純粋であればあるほど、
愛が高ければ高いほど、その鏡はよくなる、鏡はきれいになる。だが、高い愛には、あなたが開いているということが必要だ。高い愛は無防備でいることをあなたに求める。あなたは鎧を落とさなければならない。それは痛みを伴う。いつも守っていてはいけない。抜け目のない心を落とさなければならない。リスクを冒さなければならない。危険を冒して生きなければならない。相手はあなたを傷つけるかもしれない。それが無防備でいることの恐怖だ。相手はあなたを拒絶するかもしれない。それが愛することの恐怖だ。
あなたが相手のなかに見る自分の影は醜悪かもしれない。それが不安だ。鏡を避けよう。だが、鏡を避けても、あなたは美しくなるわけではない。状況を避けても、あなたは成長するわけでもない。挑戦を受け入れなければならない。
Osho, The Secret

「他者と関わることのアート」

 愛は、他者とともにあることのアートだ。瞑想は、自分自身とともにあることのアートだ。それらは同じコインの裏表だ。どのように自分自身とあるかを知らない人は、ほんとうに他者と関係することはできない。彼の関係性はぎこちなく、粗野で、醜く、でたらめで、偶然だろう。ある瞬間、すべてがうまく行っていても、次の瞬間にはすべてがだめになってしまう。いつもアップダウンばかりで、深みに達することはない。それは、とても騒がしいものだろう。確かにあなたを忙しくはさせておくが、それにはどんな美しい旋律もないし、あなたを存在の高みや実存の深みにつれて行くことはありえない。

 そして逆もまた然り、だ。他者とともに居たり関係することができない人は、自分自身と関係することがとても難しいことがわかる。なぜなら、関係することのアートは同じだからだ。他者と関わろうが、自分自身と関わろうが、たいした違いはない。それは同じアートだ。

 これらのアートはいっしょに、同時に学ばれなければならない。それらは分離できない。人びととともにありなさい。そして無意識にならず、とても意識的でいなさい。あたかも歌を歌っているかのように、フルートを奏でているかのように、人びとと関わりなさい。それぞれのひとを、楽器のように感じてごらん。彼らを尊重し、愛し、崇拝しなさい。なぜならそれぞれのひとが、神性なるものの隠れた顔だからだ。

 だからとても注意深く、気を配っていなさい。あなたの言うことに、することに、気づいていなさい。ほんのささいなことが関係性を破壊し、ほんのささいなことが関係性を非常に美しくする。時には、ただほほえむだけで誰かのハートがあなたに開く。時には、ただ悪い目つきだけで誰かがあなたに対して閉じる。微妙な現象だ。それをアートとしてとらえなさい――あたかも、カンバスの上で自分がなにをしているかに、とても注意深い画家のように。ひとつひとつの筆さばきが、おおきな違いを生みだす。ほんものの画家は、たったひとつの筆さばきで、絵全体を変えることができる。

 生はアートとして学ばれなければならない――とても用心深く、とても慎重に。そして、他者との関係性は鏡になるべきだ――あなたが何をして、どのようにそれをして、何が起こっているかを見るための。他者に何が起こっている? あなたは彼らの生をもっと惨めにしているか? 彼らに痛みを与えているか? 彼らに地獄をつくりだしているか? それなら引き返しなさい。あなたのやり方を変えなさい。あなたのまわりで、生を美しくすることだ。あなたとの出会いは贈り物だと、すべてのひとに感じさせてごらん――ただあなたとともに居るだけで、何かが溢れはじめ、育ちだし、ハートに歌が生まれ、花が開きはじめるように。そしてひとりで居るときは、完全に静かに、絶対的な沈黙のなかに座り、自分自身を見守りなさい。

 鳥がふたつの翼を持つように、愛と瞑想を、あなたのふたつの翼にしなさい。それらを同時にあらしめなさい。それらが互いに衝突するのではなく、互いに育ち、互いに滋養を与え、互いに助けあうように。これがあなたの道になるだろう――愛と瞑想の統合が。

Osho: The Rainbow Bridge, #24

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