ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

社会との適応



愛する和尚
私は、けっして社会と折り合いがついたことがありません。
そして、良心がとがめるのですが。

それでよろしい! 悪いところは何もない。どうやって社会と折り合いをつける?社 会は病んでいるのだ! 病んだ人間が折り合いをつけるか、または、狡滑な人間、役者だ。が折り合いをつけるかのどちらかだ。あなたは社会と同じように病んでいなければならない。そうすれば、うまく納まる。あなたは社会と同じように愚鈍、同じように愚か、同じように金と権力に狂っていなければならない。そうすれば、うまく納まる。あなたは社会と同じように気が狂っていなければならない。そのときは問題ない。そのときは適合できる。

さもなければ、役者になるほか ただ自分が適合しているふりをするだけだ。私は演技をしなさいとは言わない。私は、単にそれが社会に適合するためのふたつの方法だと言っている。そしてふたつともが無意味だ。

そんな必要はない。社会と適合する必要などない。むしろ、より深い適合を模索し始めるべきだ。自分自身と折り合いをつけることだ。そうすれば、誰が気にする?自分自身と折り合いがついているならば、あなたはどうでもよいではないか。そうすればあなたは避けることができる。百のうち九十九は、それだけで避けることができる。適合する云々の必要もない。あなたはただそれを迂回する。そこを通過する必要はない。もし通過しないのであれば、適合する云々の問題も生じない。人は迂回することができる。

実際サニヤスとは、多くのことを迂回することにほかならない。あなたがそのクラブに適合しなければ、そこから抜けれるがいい。そこのメンバーにならないことだ。メンバーになる必要はない。人々と折り合いがつかなければ、それほど多くの人々と会わないことだ。

自分とよく合う、小さなグループと会うがいい。小さなオアシスを創りなさい。それこそ、私がここでやっていることだ。私は社会に適合できない。だから、私は自分自身の社会を創造する。他に私に何ができる?(笑)だから、自分自身の小さな社会を創造するがいい。あなたを理解する何人かの友人たち、そしてあなたが理解し、ともに進むことのできる友人たち。それがただひとつの方法だ。

ひとつ、こんな話がある。ある娼婦がソクラテスのところにやって来た。その娼婦は非常に理性には溢れていた。そして、次第にソクラテスの教えに傾倒するようになった。彼女がやってきた時、ソクラテスはほんの数人、十ニ人ほどの友人と共に座っていた。娼婦は言った。「たった十二人ほどしか来ないんです?いつか、私のところに来てください。そこには、いつも列ができていますよ!アテネ全体が私に夢中なんです。ところがあなたは・・・・たったの十二人なのですか?」

ソクラテスは彼女に目を向けて言った。「その通りだ。なぜなら、あなたはすべての人が求めているを提供するからだ。私は人が非常に稀に求めるものを提供する。だから、私にはほんの数人の友がいるだけだが、あなたには多くの友人がいるのだ。」

娼婦はそれについて思案し、ソクラテスに一礼して言った。「私もおあなたの友人の一人として受け容れてください。」

 だから、社会に適合できなければ、小さなオアシスを創るがいい。すべての時代を通してそれが行われてきた。すべての社会に適合できない人々は、彼らが存在できる自分自身の小さなグループを形成してきた。そこで、彼らは調和を見いだすことができた。

今、あなたはサニヤシンだ。あと何人かの人々が、サニヤシンになるのを助けるがいい。そして、小さなグループを形成するがいい。ともに瞑想し、ともにダンスし、ともに語らい、耳を傾け、読み、研究し、議論し、そして、社会への適合については忘れることだ。あなたまったく病んでいない。これからは、私があなたの知性を健全な方向に変容してゆこう。心配することはない・・・ん?よろしい!

OSHO(The Zen Experience)

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