Привет с России

【音の無い世界 その10】



【音の無い世界 その10】

アパート外観


 いよいよ自分が覚えた手話を試す時がやって来た。自分が住んでいるアパートの近くに聾者の女性が住んでいるというガーリャの勧めでその女性に会う事を決めたけれど、さて何を話そうか…。こちらは会いたい、会えて嬉しいというその場の勢いと感情でドッと押し寄せる洪水か雪崩の様に質問を浴びせかけ、自己紹介をし、フレンドリーに振舞う事が容易であろう。しかし、突然自宅の玄関のベルを押して飛び込んで来た見知らぬ誰かにそんな振舞をされる側にとってはどうか…。通常、人は五感をフルに活用し情報を収集しようとする。だが聾者の場合は殆どを視覚に頼らなければならない。当然、最高度の警戒心を以って対応に必死となり、一刻も早くこの無礼な者を追い返そうと頭が混乱するに違いない。そういう事態に発展する事を十分考慮した上で、出来るだけ相手に安心感を持ってもらえる様な振舞をしなければならない。だからガーリャと会いに行く約束をしたその日からずっと自分が出会う事になる女性への対応を考えていた。 


そして約束のその日・・・。


 慎重に慎重に、落ち着いて落ち着いて…と自分に言い聞かせ逸る気持ちを抑えながら身支度を整え、ガーリャとの待ち合わせ場所へ向かった。どんな人が玄関に出てくるのだろう。同居している健聴者の人が出てきて一言も挨拶しないうちに警戒して追い返されたらどうしようか。緊張して何も言えなくなったらガーリャは助け舟を出してくれるのだろうか…。そんな事ばかりが頭をよぎり、いっその事行くのをやめてしまおうかという消極的な気持ちにさえなった。でも行かなければ…!! 一歩一歩足を前に運んで進む。そしてガーリャと会っていつもの挨拶を交わした。ガーリャも実はこの日の、そして今から起こるであろう事を考えて緊張した状態が続いていた。互いにじっと相手の目を見、手を握り締め、必ず上手く行くと自分達を奮い立たせ、そして聾の女性が住むアパートへと向かった。


 彼女の住むアパートは本当にЮ者とガーリャが住むアパートの丁度中間点にあり、普段買物などで行き来している場所にあった。こんなすぐ近くにいたなんて。いつもここを素通りしていたじゃないか。どうして気付かなかったんだろう。探そう探そうという気持ちでいたから気付かなかったのかもしれない。とにかく入り口に進んで階段を上がり、彼女の部屋の玄関前まで来た。いや、とうとう来てしまったと言う方がその時の状況を表現するのに相応しいだろう。さぁ、どうするか…。ガーリャとЮ者は互いに立ち止まり、相手の顔を見つめた。少しの間があったが、やがてガーリャが意を決して呼び鈴を押した。


ブブーーーー


 クイズで不正解だった時の効果音にも似たその呼び鈴の音に、緊張したЮ者の心臓はますます鼓動を激しくさせた。心なしか手帳を持った手が震えている。やっぱりやめよう、留守だからまた別な時に来よう…と、そんな理由をつけてその場をすぐに立ち去りたかった。正直、逃げ出したかった。だが現実はЮ者を逃がしてはくれなかった。呼び鈴の音がなると同時に家の中にいた小型犬達が一斉に玄関の内側へ寄って来てけたたましく吠え始めたのだ。そして次の瞬間、そのドアが開いた。


 目を瞑り、『これは夢なのだ。忘れてしまえ。ここからすぐに立ち去るんだ!!』そう言いたかった。しかし、逃げられなかった。開いた玄関の向こうに一人の初老の女性が立っていたからだ。『???』目の前に立つЮ者とガーリャの2人を見、これは一体何事だろう、自分に何の用事かという顔をして彼女は立っていた。もう後ずさりは出来なかった。前へ進む事も後ろに下がる事も、ましてや手を動かす事すら出来なかったのだ。そこまで緊張してしまったЮ者の姿を見て状況を察知したガーリャがすかさず女性に自己紹介をした。女性はガーリャの口元を見、そして身振りと言葉にならないうめき声の様な声を出して自分は耳が聞こえない聾者なので、用事があるなら自分の夫が帰宅した時に来て夫に説明してくれるようにと一生懸命に我々に説明しようとした。その様子を眺めているうちに段々とЮ者の体の緊張が解けて来たので、そこでようやく腕を上げて動かし、女性に挨拶した。


『こんにちは!』


 彼女の目はЮ者のその挨拶をする手に向けられた。彼女はЮ者が手話で語りかけた事に気付き、Ю者が何かを言いたそうにしている様子を悟った。そこでЮ者はこれまでイワンから教わった自己紹介の方法を思い出しながら、たどたどしく女性に語りかけていった。女性は最初『何を言っているのかわからない』『わかりにくい』…顔をしかめてそんな表情を浮かべていたが、やがてこちら二人が何の目的で訪れたのか、どこに住んでいるのかなど分かると徐々に警戒心を解いて行った様だった。そして二人を玄関の中へ招きいれ、改めて詳しく話を聞こうという体制に入った。


以後、加筆予定あり。。。



・・・続く。


○●○ 次回更新予定  『近所で出会う… その3』 ○●○  





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