全6件 (6件中 1-6件目)
1
私が今一番好きなお茶はほうじ茶だ。そのなかで一番好きなのが、丸八製茶の献上加賀棒茶だ。 色がとても美しい黄金色をしていて、香ばしい芳醇な香りがする。しかも、カフェインが無いと聞く。私はカフェインと言うものの効用が全くわからない。別に飲んだからと言ってシャキッとはしないし、夜これを飲んで寝ても熟睡できると思う。だから、あろうが無かろうが一行に構わないというのが本音である。 もひとついいところは、他の茶のように、熱湯を少し冷まして入れるなどというまどろっこしいことをせずに、熱湯でジャ~と入れて飲めるところだ。熱いお茶を飲んで、体があったまる。そう感じれる冬が好きだ。
2010年02月15日
コメント(4)
ふと、中国で登山がしたくなって、黄山登山ツアーなるものに一人で参加した。黄山は、大変高地で、岩山に霧がかかると、まるでどこかに仙人がいるかのような不思議な所だ。パンフレットでひと目で魅入られて、いざ行っては見たものの、そこらじゅう霧がかかっているので360度真っ白の世界だった。不運を嘆きながらも、とあるお店に連れて行ってもらってお茶を頂く。 その味のなんと美味しいことか。えぐみが無く、なおかつ濃厚でいて、飲んだ後から漂う甘くさっぱりとしたふくよかな香りには、いたく感動した。今まで飲んでいた茶はなんだったのかという程のショックを受けた。その茶は高地で生産され、水ではなく霧で育つ、針のような形の茶葉だ。おまけに虫があまりいないと思うので無農薬でも育つんだと思う。美味しい上に安全だ。 かなり高かった(ぼったくられているのもあると思う)が、購入してしばらく日本で楽しんだ。余談であるが、プーアル茶などの発酵系は、臭くて飲めない。
2010年02月14日
コメント(2)
私は、今はそうでもない(そうか?)が、かなりの茶好きだった。きっかけは、宇治に遊びに行った時のことだったかもしれない。通りを歩いていると、店のオヤジに茶の試飲を勧められた。正確には「お茶」という飲み方ではなく、一滴をもらった。お茶にはそういう流派もあるのだろうか。 だが侮る無かれ。その一滴にお茶一杯飲んだくらいの濃厚さが凝縮されていた。これには驚いた。好きなお茶でも、「美味し~い」と自分が思えるのはほんの一瞬だ。最初は熱くて様子をうかがい、だんだん飲める温度に下がって、(だいたいこのあたりが美味し~いだと思う)、また下がった頃には仕方なく喉に流し込んでいる。手が温もるのは嬉しいが、「仕方なく」飲みだす頃が非常にもったいない。だから、一瞬でお茶の美味しさを求めるのもいいかもしれない。だが、一瞬で終わってしまうのも非常にもったいない話だ。
2010年02月13日
コメント(2)
私は、子供の頃本を読むのがとても好きだった。とともに、朗読っ子だった。クラスで一人2人、朗読が得意な子いたでしょう?あれだ。国語の授業の時、調子よく読むからか先生にやたらと指名されて、得意げに読んでいた。ある日、先生が、全国子供朗読大会のような催しの優秀者の朗読のカセットテープを持って来て、授業で聞かせてくれた。子供がしわがれ声で「おじぃさんや~」と、熱演している。朗読するのに全力で、聞いていても物語の情景や内容が全然伝わってこない。なんだか上手いのか上手くないのか微妙で、私は(他の人は知らないが)ドン引きした。そのテープを聞いた私は「こんな恥ずかしいことはできない」と判断して、それ以来感情を入れた朗読をするのを辞めた。どこのどなたか知らないが、目を覚まさせてくれてありがとう。
2010年02月08日
コメント(2)
私はつい最近まで、「お出かけ」と言えば神社という位の「神社フリーク」だった。江原さんやスピリチュアルブームよりもうんと前からの神社参拝歴なのだが、きっかけは、私の友でありライバルだった一人の女の子が神社好きだったからだ。 今は疎遠になったが、彼女からは神社とカメラに対しての興味や情熱をもらったと思っている。神社好きとは言えど、東は静岡、西は宮崎辺りの範囲内であるが、かなりの数の神社を参拝した。 清清しくて気持ちの良い神社がほとんどであるが、たまに「何だろうここ?」と言う、気持ちの悪い気の漂う所もあり、神を祀る趣旨とはまた別の、禍々しいものを封印している為の神社というものの存在を知った。それに、いくら気持ちの良い神社でも、人がわんさかいれば清清しくもなく、むしろ大自然の癒し・浄化のほうを求めた。そのうち、神社より、森や人の手が入ってない自然の中にいることのほうが好きになり、今ではあまり神社に進んで参拝に行っていない。 あの情熱はいったい何処に行ってしまったの?と思わずにいられないほどの熱の冷め方だった。
2009年10月15日
コメント(0)
昨晩、夜中の3時ごろから目が覚め、それから眠れなくなった。別に早く寝たからだとか、眠れないような悩みもないので理由がさっぱり解らない。 ふと過去のことを思い出した。私が幼稚園児の頃、ちょうどこんなようにさっぱり眠らなくなったことがあった。別段困ることがないのだが、かなり退屈な夜だ。動き回ったり騒ぐこともできないからずっと天井の豆電球を見つめていたように記憶している。 あれは、幼稚園で昼寝をさせられる習慣が原因じゃなかろうか、と思っている。だが、昨晩の不眠はこのパターンに当てはまらない。 小学校に入ると、全身に布団を纏って、電気スタンドを付け本を読んでいた。今思うと、私はかなり夜更かしをしていたので、今のほうが健全な生活を送っていることになる。 子供の頃は「夜更かし」に熱中していた。
2009年10月13日
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1