幕末二本松少年隊悲劇_5

幕末,戊辰戦争,&二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎の終焉&人物,霞ヶ城の太刀風,少年達の悲劇、小沢幾弥他,悲劇の裏側_敵の懊悩,【楽天市場】

二本松少年隊,木滝幸三郎:15歳,高根源十郎:13歳,安部井荘蔵:15歳,武谷剛介:14歳,上田孫三郎:14歳,水野進:14歳,丹羽五郎:13歳,丹羽四郎:15歳,

二本松少年隊の悲劇



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二本松少年隊 の悲劇と霞ヶ城(悲劇と敵の懊悩)<No.1・・・<No.5(現在の頁)<・・・
二本松少年隊 の悲劇_皆の悲劇と敵の懊悩_No.5
二本松少年隊(少年達個別編3)
年少少年の部_その2

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少年達、皆それぞれの悲劇_年少少年の部(その2)
二本松戦SERIES: No.1 No.2 No.3 No.4 No.5 (現在の頁)< No.6 No.7 No.8
シリーズ:■1~2:大脈,木村銃太郎先生,大壇口のニ勇士,野津道貫他,■3~6少年達の悲劇、各個人編,
■7~8:大人の犠牲者と活躍、おまとめ
生き残る為に「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた少年
必死の逃亡劇_15歳のミステリー街道_屈強の男達との巡りあい



この子は、木村塾の子でなく、御両社警備の三番組「日野大内蔵」隊にいた。
しかし、襲い来る敵の大群。多勢の官軍に対して、こちらは兵力など知れている。
現にこんな幼い少年まで繰り出されている始末。身も蓋もない。

たちまち、押し潰されて、兵は皆殺し。ついに隊長まで殺された。


しかし、彼、木滝幸三郎は、必死の逃走。
ここに、彼の壮烈な逃走劇が開始された。

ちなみに、これは作り話ではない。

無論、途中経過に登場する草むらが、草むらじゃなくて
荒れ畑なのか、小屋が、小屋じゃなくて、古びた山の社なのか、
そうした詳細までは、いちいち保証できないが、
彼の歩んだまさか!のこの奇跡、それ自体は完全に生の人間が
体験した実話だ。

現代の世、スリルとサスペンスという言葉があるが、それどころでない。
15歳の木滝幸三郎は、生き残る為に「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた。



度々の銃撃の中、這い蹲って、隠れに隠れ、逃げ回った。
手足のどことどこに怪我を負ってることさえ、もう解らない。
傷だらけになって、血まみれ。それでも、どうにか逃げ切った。

物陰に隠れて震えていた時、大人に声をかけられた。
「小僧、早く!付いて来くるんだ!」

見慣れぬ顔だったが、明らかに味方だ。
幸三郎は、傷の痛みも忘れ、無我夢中で後を追った。

砲煙が充満した戦場。豪雨のごとく鳴り止まぬ銃弾の嵐。
こうなれば、もはや運を信じるしかない。被弾するか、否か、考える余裕すらなかった。
走りに走って、やっと追いついた。

先刻の若い侍のもとに駆けつけるなり、驚いた。
そこには、他にも二人の男が居た。粗末なあばら家の陰。
息を切らしながら、皆で様子を伺った。

この時、幸三郎は、巡りあった大人達の名を知った。

1_飯田唱、2_石川男之進、3_菅井鉄之介(23歳) である。
言葉使いは乱暴だったものの、ここまで彼を導いてくれたのは、
2_石川男之進 である。いかにも侍風。信頼できそうな男だ。

他の二人は、実のところ、内心怖かった。
幸三郎は、今だ、これまでの人生、こんなタイプの男は見たことがない。
目をぎらつかせて、痩せ狼のような・・・。若者にはちがいないものの、
いわゆる爽やかな若者のイメージとは大幅に異なる。
少なくとも、少年達が、将来はあんな侍になりたいものだ、そう憧れる人種ではなかった。

完全に野生だ。荒武者でもなければ、壮烈剣士でもなく、独特の臭いが漂う。
味方だから良いものの、敵なら完全に震え上がる。

さりとて、もう、ここからは一人ではない。心強い大人達と一緒なのだから・・・。

安心するも束の間。再び、銃撃の中、まっしぐらに突っ走る。
皆、猛烈に速い。今にも見失いそうだ。
しかし、つい遅れがちになる幸三郎に、石川男之進が声をかけてくる。

「小僧、もたもたするな。かまってやる暇などないぞ!ついて来んか!」


どうにか、市街地は無事突破できた。
ここまで無事来れただけでも、奇跡に等しい。
村外れに、古い小屋が見える。まずは様子を伺いつつ、皆は向かった。

その時だ!またしても敵に見つかった。
運悪く、そこには敵兵が屯していたのである。
今度こそ、絶体絶命。走り去るは不可能。完全に4人は敵に囲まれてしまった。


すると、どうだろう。いきなり、1_飯田唱が自ら進み出た。
恐れることなく堂々と、敵との交渉に向かったのだった。

木滝幸三郎は震えた。屈辱の恭順、捕虜になるか、殺されるのか・・・。
飯田唱は敵と何やら交渉の後、20人位の敵を連れて皆の元へ戻ってきた。

敵の軍団より、ほんの1~2メートル程度だけ前に立ってやってくる。
歩きながら、彼はこう言い出した。

「さあ、皆、もはや、やむをえぬ。観念時じゃ。
これから、法輪寺の墓地へ行って、我らも切腹じゃ。覚悟は宜しいな。」


ところが、これは、飯田唱の打った世紀の大芝居!!

こうして、敵を油断させておいて、次の瞬間、爆裂音にも等しい大声で、突然喚いた。

「逃げろ~っ!!!」

走った。走った。無我夢中で逃げ切った。
山超え、谷超え、草むらの中、畑の中、全速力で皆を追いかけた。

敵を見事欺いて、イタドリが繁茂した深い茂み、やっとたどり着いた。

しかし、この時、幸三郎には、なんら生の喜びなど得られない。

そこには、汚れた『罪の己』が居た。



大脱走の時、背後では、凄まじい白刃戦の音。
刃と刃が打ち合うけたたましい金属音と共に、肉の切り裂ける独特の鈍い音。
兵達の雄叫び。斬られて死にゆく断末魔に、呻き倒れる人の気配。
己は、それを知りつつ、振り返らず、走った!!

勇敢な石川男之進は斬り合って、無念、戦死を遂げたのだった。

幸三郎の耳裏には、生涯、その罪の音がへばりついて、消え去ることはなかった。



しかし、感傷に浸ってる暇は許されなかった。
残り3人になってしまった後も、状況はかわない。再び、風のごとく野を駆け続けた。

ついてゆくのが精一杯。二人の痩せ狼は、忍者のごとく素早い。
犠牲になって殿をつとめた亡き石川男之進とは、明らかに異なるタイプの男達。

道なき道、獣のように木々の間を駆け抜けた。
しかし、ここまで来れば、やっと幸三郎にも、現在地の概要はつかめた。
もう、峠を越えた。

渓流で水を煽り飲んで、乾いた喉を潤した。
一服するなり、1_飯田唱が言い出した。

あいかわらず、目をぎらつかせている。

「今に見ておれ。おのれ官軍共!目に物見せてくれるわ!」

彼は不屈の男だった。逆襲を企てるつもりなのだ。
彼は、子供の幸三郎など完全に無視。3_菅井鉄之介に向かって、こう言った。

「糞官軍共め!こうなれば、もうやるしかないぞ。
今に見ておれ!二本松奪還に持ち込んでみせてくれるわ!

己は、会津の援兵を得て、必ず盛り返してみせるわい!
菅井、然らば、達者を祈るぞ。」


そう言うと、彼は、顎で、幸三郎を指して示すと、いかにも、
「こやつは、おぬしに任せた!」 といわんばかりの仕草を見せるなり、
立ち上がった。

たちまち、走り去って、木々の間に姿を消した。

幸三郎は、不安でしかたない。
それまでの転回。すべて言語らしい言語もないまま、万事彼らの、動物本能のような
状況判断に身を任せ、引き回されてきたも同然なのだ。

せっかく巡りあった頼もしい大人達、しかし、こうして次から次へと姿を消す。
菅井鉄之介と二人になってしまった。
しかし、この菅井とて、いつ同じように、自分を見捨てるか解らない。

菅井は、並ならぬ面魂を滲ませた男ながら、幸三郎から見れば、
たった今、消え去った1_飯田唱に比べると、顔の表情には、幾分人間らしさが残っている。
対して、飯田唱は、完全に超人的存在だった。

これほどの長距離を風のように突っ走ったにもかかわらず、
それでも、まだ、この二人が足出纏いらしい。論より証拠。たちまち走り去った。



幸三郎は、久しぶりに歩行が許された。飯も食わず、走ってばかりだったのだ。
菅井に導かれて、あいかわらずルートは街道ではなく、草木の生い茂る沢伝い。
しかし、道々、やっと菅井という人物がわかった。

菅井鉄之介は23歳の若者。彼は、鳥羽伏見で戦い、生還したという。
この鋭い眼光と、人も寄せ付けぬ独特の空気が漂うのは、そのせいかと、やっと解った。

勇ましく戦うだけが強さではないのだ。土壇場を逃げ切るその時に、きっと人は、
何かが変わるのだろう。たった一日の経験で、幸三郎は、思い知った。

しかし、今朝死闘で失った2_石川男之進の面影が脳裏に散らつく。
剣の力量では、きっと彼程ではあるまい・・・。幸三郎は、勝手にそう決め付けていた。
この時、菅井鉄之介は、なぜか浪人か博徒か、はてまた、忍者のできそこないか?
まあ、なんとも訳のわからぬ装束だったせいもある。

その菅井鉄之介が言うには、目指すは桐枯(きりがらし)だと言う。
何がなんだか知らないが、とにかくついて行くしかない。


しかし、思わぬハプニングで、幸三郎は、その想像が大幅にずれていたことを痛感する。
剣の力量で多寡を括っていた菅井鉄之介の腕前は半端でなかった。
まさしく、想像を絶するツワモノだったのだ。

村落に近まると、再び緊張が走る。
いかに道を外して、林の中を進もうとしても、やはり、要所、要所は突破せねばならぬ
デインジャーゾーンが待ち受けている。

案の定、またしても、敵が出現した!二人は、息を殺して、物陰に身を潜めた。
もう、薄暗くなってきた。敵兵は、どうやら、たった一人の様子。
木滝幸三郎は震えながら、敵の通過を祈った。

しかし、祈りは天に届かなかった。完全に敵は、人の気配に気がついた。

幸三郎達も、完全に物陰に隠れている為、こちらからも敵の姿はよく見えない。
敵も同様に相手は見えないのだろうが、どうやら、少人数、もしくは、一人とよんだらしい。

不意打ちを狙ったのか、騙し作戦に切り出した。
油断させるために、芝居を打ってきたのだった。
いきなり、敵はこう言った。
「お~い、二本松のもんじゃあ~っ。」

仲間と錯覚して、油断して出てきた敵を一気に斬り殺そうとしたのだろう。

その途端、ふらりと、3_菅井鉄之介が立ち上がった。

「菅井さ~んっ!危ないっ!ありゃ、違うのに!!」
木滝幸三郎は、一瞬目を覆った。

ところが、どうだろう。おそるおそる覗いて見るなり驚いた。
目の前に血まみれで、倒れ死んでいるのは、菅井ではなく、敵のほうだった。

この場合、敵よりも、菅井のほうが、数段、ぐんと上だったのだ。
いかにも、味方と思い込んで、安心して立ち上がったかのごとく、菅井は
フェイントを使った。

ふらりと進み出るなり、いきなり、出会い頭、瞬時に斬り伏せた。

完全な油断を装って立ち上がったあのタイミングといい、瞬時の殺戮といい、
これは、もはや、いわゆる剣士としての強さとは言えない。
むしろ狼のような狡猾さとでも呼ぶべきだろうか。
それでいて、剣の技量も揺ぎ無い。一刀のもとに敵を斬り殺した。

それは、今まで教育を受けた武士道の法則とは全く異なる世界だ。
親兄弟、藩校の教授とて一切教えてくれない別もの、影の掟がそこに潜んでいた。

人生経験の浅い幸三郎とて、確かに、あの喋り方は、二本松兵なわけはないと瞬時に感じ取った。
二本松に限らず、奥州の者が、あんな喋り方をする者はない。
長州兵ではあるまいか?そう感じた。

しかし、物音ひとつさせず、瞬時に切り伏せるとは、やはり驚愕した。
敵の気配を瞬時に感じ取って身を伏せる野生。本能的動作。
ましてや、猛獣が草食動物に襲いかかる時のような凄みを発揮した。

幸三郎は、ガタガタと足が震えた。
自問自答した。
「この人は、味方なのじゃ。心強い人なのじゃ。なぜ、己は恐れる?」
・・・必死で己に言い聞かせるものの、恐ろしくてしかたない。

そんな己を、菅井に悟られるまいとして、幸三郎は、震える声で言ってみた。

「二本松の者が、あんな喋り方はせぬ。絶対に敵じゃ。」

言いながら、幸三郎は、またしても己にそう言い聞かせた。
珍しく、この敵兵は一目瞭然長州と解る制服を着ておらず、和装的な姿だったからだ。
菅井は、そんな幸三郎の心の内を即座に読み取ると、にやりと笑って言った。

「不安なんじゃろ。」
菅井は、そう言うなり、屍の懐をまさぐり、たちまち、名前のかかれた
所有物を取り出すなり、黙って幸三郎に見せつけてきた。
そこに記載された内容は、案の定、敵だった。

しかし、菅井に心を読み取られた幸三郎は、焦った。

菅井は、その後、その事に対して、何ひとつ語らなかった。
生き残る為には、瞬時の賭けが必要なのだ。しかし、菅井は、絶対に語らない。
己を正当化することもなければ、自慢面も見せない。説教もなかった。
たとえ、勝っても、斬り伏せても、孤独なのだ。

幸三郎は、黙々と暗闇の林の中、この強者、菅井鉄之介について歩いた。

ふとした気配で、突然、菅井は立ち止まる。微動たりともしない。
完全に息を殺す。その度、幸三郎は、血の気がひいた。

道々、何回もそれがあった。大抵は、森に住む獣が原因だった。
獣と解るなり、たちまち歩き出す。

菅井は、野生の獣よりも先に、その気配に気がつく。とても尋常な男ではなかった。


まる一日、飯も食わず、歩き通した。

大森から庭坂を経て、やっと目的の桐枯(きりがらし)に到着した。
そこには菅井の友人「小田井蔵太」の家が有るという。
始終物も語らずひたすら気配を窺いつつ先導してくれた菅井。
やっとこの時、初めてそれだけを教えてくれた。

完全に夜が明けた。


桐枯の「小田井蔵太」の家で、やっと一睡できた。
幸三郎は、初めて生きた心地がした。己は生きた。生き延びたのだ。

差し出された雑穀の雑炊と味噌汁。それでも、涙が零れ落ちた。

一人去り、二人去り、いつ、この菅井も己を見捨てるかわからない。
いやな予感は、完全に的中した。

小田井蔵太の宅で世話になるも間もなく、情報が入った。
純義隊長:吉村要之助(幕臣)が、寛永寺宮を慕って、
仙台へ向かったという情報だ。
その途端、なんとふたりの大人は仙台へ行ってしまった。



僅か15歳の幸三郎は、庭坂迄戻って、そこで働くことにした。
悩み悩んだ結果だった。そして己を捨てた。
幸三郎は、意識の中で、完全に、かつての己、
誇り高き武士の子、木滝幸三郎を殺した。

それは、15歳の少年にとって、極めて残酷な選択肢だった。

しかし、そのため、彼は無事、明治を生きた。


その詳細経緯は、一切、本人は語らなかった。
武士の子なのだ。己の志を噛み殺して、おそらく素性も名も隠して、一介の小作人か
何かに成りすまして、暫し食いつないだのだろう。

この時代のこと。たとえ時が流れて、安全な状態に転じた後とて、
早速、それに便乗して、のこのこと家へ引き返すことはできない。

己は隠れ潜んだ姑息な男。武士の風上にも置けない。

苦渋の明治を息を潜めて暮らした。やっと、人らしい暮らしを取り戻したのは
いつ頃からだったのだろう。それも含めて全て、意図的に謎のままに放置した。
しかし、彼は勇気をもって、己が死に果てる前、やっとこの話を語った。


生き残ることの凄まじさを知った彼。己の罪も知った。
強さの意味も再認識した。それは、いわゆる勇猛果敢な剣士ではない。
武士の教えで習った英雄談。そして、武士としてあるべき姿。

しかし、それらは、実際戦場では通用しなかった。
下賎と侮るべき狡猾さ。忍びの者のような鋭敏さといえば多少聞こえはいいが、
いずれにせよ、武士道ではご法度も同然の世界。

瞬時の判断ミスが己の死を呼び寄せる。また、これは、けっしてミスとは言えない。
真っ向から立ち向った最も勇敢な男、2_石川男之進は、真っ先に死んだ。

あの時、背後で鳴り響いていた音。人と人が斬り合って死んでゆく。
断末魔の呻き声。それを知りつつ、走り去った己。
さりとて、その『罪の己』は生き伸びた。

あの時、聞こえた断末魔の石川男之進の呻き声。
それは、走り去った己の背中に沁み込んで消えない。
木滝幸三郎は、一生涯、それを背負い込んだ。

彼は、自ら残酷な選択肢を選んだ。
それは直近未来の自分を見据えて選択したのだった。

生きるとは、第ニ、第三の石川男之進の存在を見て通過せねばならぬ。
そして、勝って斬り伏せて尚、孤独な表情を浮かべた菅井鉄之介のように
背負い、耐えて生き抜かねばならぬ。

強さとは、武士道でいうあの強さじゃなかった。 幼少の頃、
心に映し出した壮烈剣士の姿とは、直接的にはなんら関係なかった。
自ら背負って、耐え忍ぶ無常。
木滝幸三郎は、己に問いただした。
そこには、通過できる己も居なければ、耐えて噛み殺し、孤独を背負う
菅井鉄之介の無常も、己の姿に描き出すことはできない。

木滝幸三郎は、沈黙の男として、
堪え生きた。

この人物、木滝幸三郎が、
ついに語った時、
天はそのまま、彼を迎え入れた。
★生き残って、苦しみを背負い、明治を生きた子


高根源十郎 :木村銃太郎塾の子

木村塾の子だが、C15_安部井荘蔵と共に、丹羽右近隊に入っている。

syakuyaku05.jpg彼のあまりに哀れな姿を見た者がいた。
それは、大壇口から、全身火達磨状態で
走ってくる姿だった。

この子は7歳で小野派一可流の塾に入っており、
子供といえども、剣が立つ子だった。

誰もが絶望と思った。

しかし、幸い生き残ったようだ。名を変え、語らずして明治を生きぬいた。






安部井荘蔵 :木村銃太郎塾の子ではない。

大人達の隊に入って、丹羽右近隊で戦った。
当時15歳の 安部井荘蔵 は、幸いにして、この時生き延びた。

にもかかわらず、西南戦争の際、24歳で死んだ。
折角生き残った意味がなくなってしまった。

この子の父は、安部井又之丞。勘定奉行の彼は霞ヶ城と共に、切腹して果てた。
しかし、兄は生き残り、明治を生きた。

その兄とは・・安部井清介

この人物は色々有名な人。
奥州列藩同盟に、榎本武揚が、新撰組の土方歳三を紹介。
しかし、その後の経緯で、土方が怒ってその場を立ち去った事件の発祥の元!
「安部井清介=盤根」は、土方歳三を怒らせた張本人! (詳しくはこちら: 安部井清介=盤根

即ち、安部井荘蔵は土方歳三を怒らせた男の弟。

二本松の安部井又之丞、安部井清介=盤根、 安部井荘蔵 の親子と、会津の
安部井政治 (箱館戦争で烈死)は、どの程度の血の濃さかは不明ですが、繋がりがあると思われます。





武谷剛介 :木村銃太郎塾の子

上記、 久保豊三郎 と共に会津に落ちて、丸山四郎右衛門方に居た。

また、この子は、後に「最初に逃がしてくれた敵は薩摩弁だったと思う。」
そう語った人物でもある。




最初に逃がしてくれたとは、木村銃太郎塾のメンバーによって
陣地が築かれた大壇口からの撤退の際、真っ先に遭遇した敵。
遭遇したというより、実際は、
それまでの砲撃戦で直接戦っていた相手。( 戦っていた経緯

この薩摩の将とは、大抵予想はつくところだが、
本人は、我也とは一切語らなかった。
但し、彼以外の誰でもないだろうと思われる発言は残した。

「少年達は、よく訓練されており、よく戦った。」

軍人としては、これ以上、語るわけにはいかなかったのだろう。



★生き残って、涙の記録を残した人物


上田孫三郎 :木村銃太郎塾の子

「霞ヶ城の太刀風」を著す。明治には、佐倉孫三と名乗る。

皆と共に撤退した後、草むらに潜んでいた。会津兵に会った。
それから、父の部下、足軽隊長の管野和介と下僕にも遭えた。
4人で会津へ。寺西某も加わり5人になった。

この後、皆にすすめられて、母達が既に逃れた先=米沢へ落ちのびた。


■祖父は、老人隊で烈死した 佐倉定左衛門 (=因幡似水=藩校敬学館助教授)。
■父:上田唱は、この戦闘以前の段階、元治元年の水戸天狗党事件の際、
鎮圧部隊として召集されて出陣。戦死した。
■兄:佐倉強弥19歳。
幸い、この人物も生き残った。この人物は仙台兵と共に大手門を守っていた。
貧しかったため、刀は借り物。しかし「名刀秋水」。戦ったところ、たちまち数名が倒れ、
後日談、自分で驚いている。

これは自慢話ではなく、祖父への感謝の気持ちと、亡き祖父の冥福を祈る気持ちだった。
祖父が己の命に換えて、自分を守ってくれた・・・そう思うが故、彼は生涯
墓参りを怠ることはなかったという。





後年、重い口をやっと割ってくれたのは、この人物。
二本松役場の助役_水野進だった。
書けば苦しい。書けば、思いがけぬところで、自分自身ならずや、皆を苦しめる。
せっかく忘れようとしていた皆の悲しみも掘り出してしまう。

また、立場上、特に勇気を要するポジションにもいた。

しかし、この事を語れる世代は、もう時期皆死んでしまう宿命だ。
ついに決心して、書き上げた。

「二本松戊辰少年記」を著す。

彼もまた、家は貧しく、刀は借り刀だったという。
母が実家に頭を下げて借り出してきた。

当時の武家の鉄則として、いかなる場合も、ひとたび、嫁に出た以上、
実家を頼るは最も卑しいこととされていた。
無論非常事態につき、仕方の無いことなのだが、母はその恥と、武家の娘にあるまじき行為の罪を
双方背負って、頭を下げて借り出してきたという。


丹羽五郎_13歳
丹羽四郎_15歳


二人は兄弟。二人に係る情報は、主に本人達の口からではなく、
時が流れて、昭和15年、彼らの妹、ふじによって語られた。
当時、ふじは9歳の少女だった。当該の少年二人は、この家の四男:丹羽四郎_15歳と
五男:丹羽五郎_13歳である。

(丹羽掃部介家)
■父(=当主):丹羽掃部介
■長兄:丹羽主膳(生き残った)=7/29の同じく二本松戦争内に於ける光覚寺山を守った副隊長。
■二男:九郎次は白河で戦死、■三男:治太夫は、二本松城内で戦死
■四男:丹羽四郎_15歳、■五男:丹羽五郎_13歳、■ふじ_9歳

二本松の殿様は、丹羽。そこで、この家は、苗字で解るとおり、
他の少年達に比べると、かなり家格の高い筋柄。
女中もいれば、下僕もいた。

主人公二人は生きた。その為、あえて、冷たい言い方をすれば、
少年の悲劇としては悲惨度合いが低い恵まれた家庭の子
・・・と解釈してしまいそうな結末。

ところが、思わぬところで、人々の心に、煩悶を呼び起こした。

それは、母と子の姿だった。

そして、もうひとつ、現代の感覚であれば常識なのだが、
この時代の武士教育では、
『少年の人生経験だけでは判断を当然誤るはず!!』
・・・の瞬間を、母が防いだエピソード。

「武士の教え」に潜んだ苦しみと盲点を痛感させられた。


母の屈折した喜びの姿 :妹ふじの記憶_その1


あの時、母は、命からがら、ようやく戦場から帰ってきたふたりの兄、
四郎と五郎を、玄関先で、叱り倒しました。

「武士の子にありながら、生きて帰るとは、何事じゃ!」

それは、それは、もの凄い剣幕で、怒鳴りつけておりました。

私(ふじ)は、幼いものの、これは、兄達が余程悪い事をしたのだろうと思い、
怖くて、物陰に隠れておりました。
母が、あんな大声を出して叱る姿は、それまで見たことがなかったからです。

兄達は、履物を脱ぐに脱げず、玄関に立ったまま、しょんぼりと下を向いてました。

しかし、その次の瞬間、母は、・・・
足袋のまま、玄関の土間に下りて・・・私(ふじ)は、目を覆いました。

・・・きっと、兄達は、母に叩かれるのでは?!そう思ったのです。


すると、母は、叱って泣いて、叱り倒して、また泣いて
そして、いきなり、抱きしめて
そのまま泣き崩れてしまいました。

私(ふじ)は、意味も解らず、
それでいて、無償に悲しくなって、
思わずつられて、泣いてしまいました。



確かに武士の妻として、武士の子の母として、本気で叱っていたのだろう。

しかし、生身の母としての思いが、ついに噴出した瞬間、
意思と裏腹に抱きしめてしまった母。

よくぞ、生きて帰ってきてくれた。よかった・・・は
けっして口が裂けても言えない武士道の掟だった。

この時、ふじは、母に特上の晴れ着を着せられていたという。
それは、女達も皆散華の覚悟。死へ旅立つ為の正装だった。


この後、皆は米沢へ落ちた。二本松の殿様、
藩主:丹羽長国も米沢に落ち延びたからだ。
その際、この家に古くから奉公していた女中の「ヤス」も同行。
彼女は、この時期、二本松の者なら、
誰しも恨む藩=三春藩出身の者だった。
・・・( 恨むその原因とは?:当時の二本松と三春藩


女中の『ヤス』のこと :妹ふじの記憶_その2


米沢に到着した段階で、五郎が、ヤスに向かって、こう言ったのです。

「三春藩は何をしたか、そなたは知っているな。
そして、今、己がそなたに、何を言わんとしているか、
そなたなれば、解るはずじゃ。準備ができるまで、かまわぬ。
我は暫し待つ故、きちんと着替えて、身だしなみを整えてきなさい。」


その時の兄、五郎の表情は只事ではありませんでした。
ヤスも緊張した面持ちでした。きちんと正座して、兄の顔を見つめておりました。


あの当時のことですから・・・。
あんなに幼かった私(ふじ)でさえ、それだけは、直ぐにピンときましたよ。

兄は、『ヤス』を斬首しようとしている!!

・・・並ならぬ悪い事をすれば、捌かれる。当時の掟。悪を捌かぬも悪。


もちろん、母が駆けつけ、五郎はそれを阻止された。
むしろ、強烈に叱られた。

「やすを斬ってなんになるのじゃ!やすは、我が家の者じゃ!
我が家に仕えて、心底我が家のために居る者が、三春の者だと申すのか!
三春の者とて、我が家の者である以上、三春の者ではない!
それも解らぬのか!愚か者!」




五郎は、三春なら誰でもかれでも憎くて殺したかったような
幼稚な子ではなかった。
彼自身も己に言い聞かせて決心してのこと。
『ヤス』がせめて、美しく死ねるように、着替えをすすめ、
少年ながらも武士の情けを発揮した。

武士道には、「だって・・・」の言い訳も、「でも・・・」の独断的判断も
それらは全て許されなかった。
それでいて、「武士の世界に於ける不義への捌き」
これは、 妙に幼いうちから浸透してしまう。

ならぬものはならぬ。ならぬものを許すもならぬ。
少年の人生経験、その判断基準。『武士の教え』は、
確かに無理があったかもしれない。


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