若松コロニーとシュネル(5

若松コロニーとシュネルSERIES_No.5,幕末_WITH_LOVE(若松コロニーとシュネル特集),死の商人と伝わるシュネルの素顔,カトリックと隣人愛,会津藩士のカリフォルニア,幕末,戊辰戦争,箱館戦争,WAKAMATSU COLONY&Jhon Henry Schnell_No.5

シュネルと若松コロニー:アカバネシュネルの謎



サイトTOP 幕末_WITH_LOVE玄関 シュネルと若松コロニーSERIES(Schnell&WAKAMATSU COLONY)
シュネルと若松コロニーSERIES詳細編_No.5
青い目の騎士道!Schnellに導かれて・・会津人の大渡航:悲しみを乗り越えて
Sec.1 Sec.2 Sec.3 Sec.4 Sec.5(現在頁) Sec.6 ・・・
The Wakamatsu Colony: Gold Hill (会津人のカリフォルニア)
我らの受難到来!
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■前頁の流れから、 主人公は「手記の主」である男性 の形で書き進めます。
・手記とは No.3 からご覧下さいますと、概要が解ります。
■文章中「私」とは、その男性。脱走時(1869=明治2年)時点、約18歳直前。年内に18歳到達と思われる。
現在頁No.5内の「私」とは、始終その男性。
■但し、後半に別の男性が「私」として現れますが、解るように印を入れて書きます。(原文はまるで迷路)
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38_病魔到来!床に倒れた子守役の町娘「OKEI」


なんと!突然、「おけい(OKEI)」が倒れた!
この娘の心は、いつもここにあらず。日頃から、うつろな目をして遠くを見る時、あたかも
会津の光景を思い描いているかのようだった。その彼女が、真っ先に倒れた。
熱に魘されて、意識は完全に飛んで、きっと会津の里にあるのだろう。

皆もやせ細って、目が落ち窪んでいる。それでも、自分の糧を我慢しては、彼女に与えようとするが、
彼女はほとんど、何も食べることができない。

嫌がる彼女を必死で説得しては、「命の源」だからと言って、貴重な牛乳を与えた。
「可愛いフランシスや、メアリーの為に、病気を克服せねばならぬ。」
誰が思いついたものか、その一言がなければ、とても受け付けようとはしなかった。

「生き延びる為ならば、もう、私は諦めた」 ・・・とさえ言うのだという。

皆と異なって、この娘には、武士のプライドも、男の意地も、会津魂も何ひとつ関係ない。
この地に来た理由はひとつ。フランシスの子守役。奉公娘だったからだ。
今を乗り切って、夢の理想郷を作ろう。そんな言葉は、この子にとっては、何の役にも立たない。
18歳だというのに、過去にしがみ付いてばかり。言葉も覚えず、身なりも着物。この地に馴染めぬままだ。

「可愛いフランシスと、メアリーの為だ!しっかりせよ!」

この一言だけが特効薬だった。
騙されて、渋々、咽ながら、少しだけ飲む。
だが、このままでは、日一日と、彼女は衰えてゆくばかりだった。


39_致命的な現実


人は言う。知恵者シュネル。シュネルさんの底力。
ところが、近頃、一体、裏で何が起きたというのだろうか。今のシュネルは窶れ果てた。
両の目は深く落ち窪んで、かつての輝きは消え失せ、まるで別人のようだ。



ついに、私は致命的な現実を知ってしまった。
なんと!シュネルさんは干された!
四面楚歌!陸の孤島状態だった!
・・・日本の秘密の動脈が断たれていた!


シュネルさんは、資金源を失っていた!

私の知らぬ間に、日本では、何かが発生している。
恐ろしい悪魔が首を擡げている!

No.40_1871年(明治4年)我らの受難到来!


この地の水不足は、慢性的なのだろうか。
それとも、日本の樹木や、農作物だけは、この地に不可能なのだろうか。
食うや食わず、それでも、昨年は乗り越えた。しかし、このままでは全員野垂れ死にを待つも同然。
春だというのに、昨年の後遺症で、生き残りの幼木の命は風前の灯。我らと同じ。枯れるのみ。

なにやら、日本では不穏な動き。明治政府のやることは、とにかく解らない。
情報力のシュネルは、何か良からぬ噂を小耳に挟んだようだ。
日本国内の藩が全て無くなる!・・・かもしれぬという。

【解説】廃藩置県の噂。事実、同年、明治4年7月実施される。また、松平容保の身柄は、同年7月一度、
斗南預け替となるも、上記のとおり廃藩置県。8月には東京へ。この段階は謹慎扱いは同じ。特赦は翌5年。

だとすれば、かつての藩主達は皆どうなるのだろうか。
藩の存続の為に、命を捧げた家老は、我らの会津藩家老、萱野権兵衛( Sec.3 ご参照)殿だけじゃない。

勝てば官軍、負ければ賊軍。

賊軍になされた藩は、皆全て、藩の存続と藩主の存命を引き換え条件に、
家老が切腹して死んだ。その上、彼らの首は、戦犯首謀者として、官軍に捧げられる形態なのだ。
恭順派に転んだ藩とて、初期に、モタついた藩の家老は、同様に、反逆者としての死を背負わされている。
戦死を遂げた者達の膨大な数値は無論、皆哀れかつ不条理な世の犠牲。

だが、こうした 『裏の捌き』 で、命を奪われた者は、さらに複雑だ。
散らして、さらにまたも 散らす血の色花びら。 終わったはずが、さらに掘り返されて、余計に命を奪われた。


彼らは、何の為に命を捧げたことになるのか。己の首を捧げて守ったはずの藩が露と消える!
これでは、犬死ではないか!


衰えても、やつれても、シュネルさんの感は鋭敏だ。

時間が無い。急がねば万事手遅れになるという。
シュネルさんのお金は、いわば皆が食い潰したも同然。
資金源が枯渇している。その上、彼は、こうも言う。

「現在、旧藩主、松平容保様は和歌山藩に
身柄を預ける謹慎のご不自由な御身の上なれど、
もしも斗南へ移るなれば、
何もかも、一貫の終わりだ。

秘密の動脈どころか、毛細血管の果てまで
断たれてしまうも同然だ!」


悪い予感ほど、よく当たるものだ。

No.41_シュネルの大決断!金策の為に日本へ!


こうして、若松コロニーの経営は、到着以来僅か足掛け2年目にして、
死の崖っ淵に立たされる運命に至った。
子守娘のおけい(OKEI)は、ますます痩せ衰えてゆく一方だ。
コロニーのすぐ外では、あいかわらず、中国人達の受難事件が発生している。

じっと耐えても凌いでも、このままでは、皆、死神の餌食だ。

1871年4月(明治4年) 、シュネルは、コロニーのメンバーを全員集めて、一大決心を告げた。

b3.gif「私は金策の為、日本へ行ってくる。必ず勝利を得て、帰ってくるから、
皆で力を合わせ、粘り倒してくれよ。絶対、コロニーの外に出るなよ。
日本人がどんだけ、中国人に似ているか、それは言うまでもないことだよな。
表現化してないだけで、謎の変死事件はいくらでも発生しているんだぞ。
一人で外出するなよ。困り事があるなら、ビアカンプさんに
相談するんだぞ。絶対だ!約束だぞ。
必ず帰ってくるから。大船に乗ったつもりで待っていてくれ。」


慎重派の桜井松之助が、シュネルさんを引き止めた。

「今の日本は、あまりにも危険です。なんと言っても、官軍の世の中です。
官軍共のやらかすことなど、なにひとつ、信用できるものか!
シュネルさんに危ない橋を渡ってもらいたくないんだ。」


この瞬間、今まで口を挟むことを控えていた者達も、一斉に呼応して、騒がしくなった。

「そうだ!そのとおりだ!偽官軍だ!あいつらなんぞ、官軍じゃなくて、正体は奸軍共じゃ!!
我らの会津の都を焼き払った奸賊共じゃ!」
「シュネルさん、行かないで下さい!」

しまいに、大工の若い衆まで、興奮して叫んだ。

「お願いだから!行かないで下さい!・・・我ら大工が、外に日雇いに出ますよ。
小銭程度なら稼いでみせますよ。子供達の飯代くらい、必ずなんとかしますよ。
・・・!!
わざわざ死ぬ為に行くようなもんじゃないですか!日本なんかへ行かないで下さい!!」


No.42_シュネルとの『別れ』


すると、シュネルは皆を宥めると、笑ってこう言った。

「こらっ!外に出るなと、たった今私が言ったばかりじゃないか。
気持ちは嬉しいが、危ないのは私じゃなくて、君達のほうだ。コロニーから出るなよ。
・・・

なに、心配するな。私は、日本じゃ、外人さ。治外法権があるんだよ。
だん袋 の輩』も、 浦上四番崩れの民 に牙を剥いた連中も、外人相手には
無茶できないさ。賠償金の痛さにゃ、散々懲りた連中だぜ。
そこんとこ妙に詳しい『転び幕臣』達が、ごっそり新政府に紛れているよ。
私なんて、いわば、歩く賠償金さ。犬も食わねえどころじゃないさ。
地雷みたいなもんでさ、触りゃ、お終い!たちまち、連中が飛んで逃げるさ。」

【解説】 『転び幕臣』:この表現は一般的なものではない。『転び切支丹』のひねり。ブラックジョーク。

皆を心配させるまいと、いつにもなく、無理して冗談を言ってみせたシュネルだった。
それに、シュネル相手に、偉そうに攘夷主義者の脅威を説明するには及ばない。
シュネルは、一命は取りとめたものの、被害経験者、その張本人なのだ。
慶応3年(1867)7/15:ヘンリー・スネル襲撃事件

冗談のつもりなのだろうが、誰一人笑える余裕のある者は居なかった。
それでも、シュネルが心配な桜井は、断固、引きさがらない。
しぶとく食い下がって、この場をシュネルに譲らない。

「私は、一個人の攘夷主義者のことだけを言っているのではありませぬ。
官軍の世の中、あやつらが世を仕切っているのです。今度は個人の枠を超えて、
惨忍な殺戮を、忽ち組織的に正当化して、もっと腹黒い手段を用いぬとも言い切れませぬ。
新政府は、幕臣や、会津、そして我らの松平容保様配下で動いた新撰組などに対して、
根深い怨念を抱いた者を、相手かまわず、飼っています。
飼い犬としてそこら中に放し飼いにしております。
質の悪い飼い犬共が、所かまわず嗅ぎ回っております!!」


【解説】関連としての例:■御稜衛士(高円寺党)出身者についてわかる頁: きな臭い!謎の獄中死 ,
■延々続いた闇の裁き:会津狩(反発分子の暗黙処分)が解る頁:
・表示先頁の石田五助の行をご参照: 幕末のオーバーザレインボー
【注】質が悪いとは:実際平等の立場でみると、官軍も賊軍もどっちが悪とは言えない。
あくまでこの時に於ける彼らの感情として、その表現を使っています。彼らにとって仇敵。

この時ばかりは、流石のシュネルも、あたかも根負けしたかのように見えた。
肩で大きく息をすると、今度は微笑んで、彼の肩に手を置いて、こう言い足した。

「すまぬ。私が間違えていた。だがな、それは、断念したという意味じゃないよ。
君にその情報を言って聞かせた私が間違っていたってことさ。
心配させる為に教えたつもりじゃなかったんだが、・・・まいったな。」


皆は今にも泣き出しそうだ。シュネルは、皆を救済できる資金獲得の為に、
己の命をかけて、今、最も危険な日本へ旅立つのだという。

【解説】桜井松之助について:彼はコロニー当初よりのメンバー。正真正銘の侍。士分。
シュネル絶望後も、皆に救いの手を差しのべた隣家ビアカンプ家に報恩忠誠全う。アメリカの土に眠る。
史実として、この会話の桜井登場はありませんが、シュネルの補佐役指導格につき、まずここで登場させました。
・・・
暫し暗い沈黙の空気が流れた。



その沈黙をシュネルが破って、再び笑顔を見せて語った。

5b.jpg
「恐れてばかりじゃ、何事も始まらないさ。
おい、みんな!会津魂はどこへ行ったんだ!
私の名前を忘れたのか?私の別名は、
アカバネ(Red Feather)・シュネルだ!

【解説】 赤い羽根イコール勇気と正義の象徴。
アカバネ(akabane)とは、『赤い羽根(Red Feather)
:真の騎士道精神を持った者』
語意はこの頁を読むと、だいたい解ります。 アカバネと名乗った訳

しかしながら、シュネルはいつの日も、有言実行の人。
シュネルの嘘など聞いた者は、今だかつてひとりも居ない。皆は唇を咬んで、深く頷いた。

当初、キリスト教に抵抗を示していた者さえ、この時ばかりは別だった。
その張本人が、真っ先に十字を切っていた。
皆が祈った。シュネルの無事を神にひたすら祈っていた。

シュネルは、彼の財宝を売って皆の当面生活費を用意するなり、早々に妻子を連れて、旅立った。
本来ならば、子守役のおけい(OKEI)も同行するところ、とても長旅に耐える体ではない。

馬車に乗って、コロニーを去り行くシュネルの後姿。

皆は、その姿が小さくなって、
やがて丘の向こうに消えてなくなるまで、
立ち尽くして見送っていた。


5a.jpg

No.43_心に『遠い会津』が見える丘の上


農場は荒廃の一途。手をつけようが、縋る思いで、生き残りの植物を手入れすれど、結局意味がない。
単なる存命療法同然だ。死の時期を僅かに後退させるだけのこと。
・・・見殺しにするしかない。弱い者は果てるのみ。人もまるで同じだった。
今にも枯れ逝く哀れ幼木達。生まれて間もなく消えようとしている。

その姿は、なぜか、子守役の娘、おけい(OKEI)と重なる。

シュネルは、当面の生活費を与えてくれた。貴重な財宝を、皆のパン代金を抽出する為に、
売っ払って、我らに与えてくれた。

カリフォルニアの澄んだ空気、眩いばかりの陽光。それは、我らにとって皮肉だ。
こんなに美しい光景。しかし、それは『異種』を拒み、虐げる。
日本産の桑も、茶葉も、湿度が必須らしい。からりと乾いたカリフォルニアの大地は、これらの幼木達に、
慈愛を与えようとはしない。日本特有の湿気は、この地に無縁なのだった。


天気のいい日、私達は、病床のおけい(OKEI)に声をかけて、外に連れ出した。
彼女が悲しむから、幼木達の姿は、とても見せるわけにはいかない。
そのため、農園側を避けて、私は彼女をおんぶして丘に登ることにした。

外出を拒む彼女に、私はあえて、剽軽に振舞って、ひょいと彼女を背負った。
ところが、背負った瞬間、ぐっと目頭が熱くなった。なんと軽いことだろう。
あまりにも軽い彼女。このまま毎回、毎回、軽くなってゆくのだろうか。一瞬不安が過ぎった。

美しい緑の光景。この景観ばかりは、彼女に少しばかり、元気を与えてくれたようだ。
おんぶした姿勢のまま、私が振り返ってみると、彼女の表情に、微笑みが蘇っていた。

こんなに直近の距離で、彼女の顔が見える。私の耳たぶに、彼女の暖かい吐息がかかる。
ぽっ!と頬が紅潮してくるのを、見られまいと、私はさっと前方を向いて、
照れ隠しに、せっせと丘を登った。

「その調子だよ。おけいさん、その調子!どんどん元気になってきているよ。」

私は、照れているから、意味不明な励まし言葉をかけて、誤魔化した。

彼女が私に、尋ねてきた。

「方向は、どっちですか?会津は、どっち?
どっち側を見れば、心の中に見えてくるんでしょうか?」

私は、一番小高い丘まで、登りつめると、こう言った。

「さあ着いた。ここだよ。会津はあっち側だよ。
会津はね、遠くなんかないんだよ。ここなら、いつでも
心の中に会津が見えるんだよ。」

私は特定の方角を指差して、そう言った。


ずっと向こう側、海の青さが目に沁みた。暫しの間、私も夢中になって、我を失った。
見えぬ会津を、心の中に描き出して、いつか意識は現世を離れ、うっかり自分の世界に浸ってしまった。

ふうっ!とそよ風が吹いて、
丘に咲く野の草花を、ふんわりと揺らした。

あまりにも美しくて、一瞬、眩暈がした。花々のせいなのか、それとも私の錯覚だろうか。
おけい(OKEI)の笑顔と、何かが、私の意識の中、重なる。 それは、一種の罪悪感

脳裏の中、忘れたはずのあの瞬間が、まさに現実のように蘇ってきた。


荒れ狂う越後の海岸。群青の海と白い波しぶき。奇岩に隠れて、密かに停泊していた黒い船。
男のくせに、泣き崩れて話にならない私。
泣いてばかりでダメな男。それだというのに、あの時、彼女は、私に文をくれた。
彼女にかわって、彼女の女友達が、私を叱咤激励した。

「必ず帰ってきなさいよ。永久の別れじゃないのだと、
今すぐ、彼女に言ってあげなさいよ!」

涙でぐちゃぐちゃの私、言葉も出なくて、俯いてばかり。無理して喋ろうとすれば、
嗚咽が込上げて、結局、何一つ言えずにいた私。

・・・それでも、あの時、私は・・・・確かに・・・頷いた。

「必ずですね!必ずですよ!誓えますか?」

あの時、私は・・・何度も何度も・・・・頷いていた。

・・・誓ったはずの愛。
海の向こう、遠い会津。
もはや、二度と帰ることはできまい。
何もかも、時空の彼方。
永久の誓いも時空の彼方。




またしても、気まぐれ者のそよ風が、そっと吹き付けてきた。


ふと、我に返ると、おけい(OKEI)さんが、可笑しそうに私を見つめていた。
開口一番、少し棘のある台詞が降ってきた。

「貴方は、嘘つきね!会津は遠くないと言ったくせに!」

そして、彼女は、ついに吹きだした。
「貴方も会津のこと、考えていたでしょ。顔に全部書いてあるわ!」

私は真っ赤になってしまった。あたかも心の中、全部見透かされてしまったような錯覚に陥った。



この晩、おけいさんは、いつもよりは、少しだけ多めに麦のお粥を食べてくれた。

だが、それは束の間のことだった。疫病神は、人の命を弄ぶ。
一時回復させては、皆を期待させて、そして再び、突き落として嘲笑う。



待てど暮らせど、シュネルさんからの手紙は来ない。
どうしているのだろうか。皆の不安はつのるばかり。なんといっても大所帯だ。
どんなに節約しても、たちまち、シュネルさんのくれたお金は底をついた。

留守番代の桜井は、ビアカンプさん家を訪ねて、聞いてみた。手紙は来てないか?
悪い知らせ故、我らに伝えず、ビアカンプさんにだけは、何か言ってきてはいまいか?
シュネルとディアカンプの契りは堅い。単なる隣人の枠を超えていた。
予定が狂って、資金を得られず、無理をなさっているのではないか?

桜井は、胸の内を明かした。皆には内緒にするから、本当の事を私にだけは教えてくれないか?

しかし、結果は絶望だった。ビアカンプさんにも、一度たりとも手紙は
届いていないのだという。それは、あまりにも不自然すぎること。
ビアカンプさんも心配のあまり、夜眠れないのだという。

桜井松之助は、深く礼を述べると、我らの若松コロニーに帰宅した。


実は、我らの貧困に拍車をかけて、巨大な問題が覆いかぶさって
きていたのだった。我々は、借金の限界にぶちあたっていた。


きっと、シュネルは、こんなに時間がかかる事を予測していなかったのだろう。

桜井は、何度も平伏して謝っては、延期を依頼してきたものの、仏でもない限り、
相手側の立場になってみれば、これは確かに限界だった。

それは、何を隠そう、この地、若松コロニーの敷地の分納金の残りだった。
シュネルが、この地を チャールズM. Graner から買い取った時の残金だ。


日本古来の伝統品は、この時代とて、なかなか良い値段で売れる。
無論、いくらそれらを掻き集めたところで、土地代金には全く及びはしない。
しかし、ここで誠意を示さぬ限り、シュネルの顔を潰す。否、我らの信用問題である以上、
以来、この地で生きてゆく資格さえ失うことだろう。

桜井は一大決心をした。会津脱走時よりシュネルの右腕として動いてきた男。
何から何まで、売る決心をした。武士にとって、家紋を背負った宝財を売るは恥も同然。
本来なれば、ならぬことだった。それをやるぐらいなれば、武士は食わねど、高楊枝の喩えどおり。
しかし、もはや限界だ。

皆に事情を説明の上、骨董品やら財宝やら、金になるものを全て掻き集めた。
この時、彼は、皆に語らずして、己の武士の魂まで売り捌いた。
本来これは、ひとたびやってしまえば、末代の恥。永久の罪。
なんと、それは己の刀だった。武士が丸腰になる時、それは魂を捨てるも同然のこと。
それどころか、丸腰で歩くは、江戸時代なら、これは完全な罪に値する。罰せられた者さえ居る。

裏の蔵をひっくり返して、売れそうなものは、何から何まで引っ張り出した。
しかし、これだけでは足りない。桜井は、屋内の一室、鍵のかかった特別な部屋もついに開錠した。
その時、見てはならぬものが、迂闊にも目に映ってしまった。

それは、会津藩の尊い紋が染め抜かれた『会津藩旗』と殿から賜った『名刀』。

震えた!震えが止まらない!
突っ伏して、嗚咽が込上げてきた。
・・・
これはならぬ。これだけは、たとえ何があろうと・・・
藩主様、松平容保様の御身同然のもの。
・・・
落ち着け!落ち着けよ、俺よ!桜井松之助、貴様は
それでも武士か!『ならぬ事はならぬものです!』
それが藩校、日新館の教えではないか!
貴様は今、心に何を描いたのだ!恥を知れ!

桜井は自分で、自分に呼びかけ、自身を叱責した。
これだけはならぬ。たとえ落ちぶれて、異土の乞となろうとも・・・。

桜井の脳裏には、あの時の荒海が蘇ってきた。
揺れに揺れて、太平洋。陸の欠片どころか、小さな孤島のひとつさえ見えなかった。
死者の島、美彌良久の幻影 に脅え、塞ぎこんでいた者さえ居た。

その時、己は何をしていた?冷静を呼び戻したくて、己に呼びかけた。

あの時、己は『物の怪』来たれば、一刀のもとに斬り伏せようと、構えていたではないか!
藩主様の大切な宝物、この藩旗と名刀だけは、命にかえても守ろうと、
しっかと抱えていたではないか!あの時の俺は何処へ!


次の瞬間、桜井松之助は、己自身を斬り殺した!
侍、桜井の魂を脱ぎ捨てた!
永久に、帰れぬ奈落の底に、己を落とせ!
侍として誇り高き会津藩士として、二度と、日本の土を踏めぬ!


桜井松之助は、腰に手を当てるなり、
躊躇せぬ間に、己に鞭打って、
・・・長刀を鞘ごと一気に抜き取っていた。


死んだ!この瞬間に、侍、桜井松之助は死んだ!
魂は、己自身によって、完全に抹殺された。
彼は、生きる屍を享受した。

脇差だけは残っている。罪の贖いを成し遂げた後、己の始末はこれで事足りる。
桜井松之助は、決心していた。


【解説1】:武士が丸腰になる時:上記表現から、死ぬの殺すの大袈裟に聞こえますが、実は本当に
それぐらい一大決心でした。実際処罰された者も居ます。
【解説2】:藩旗と藩主様に賜った刀:刀は上記のとおり。しかも藩主様に頂いた物につき当然。説明略。
『藩旗』について:昔から、藩旗を手放した者は切腹。戦場で命からがら敗走したような非常事態で
あっても例外は無。実際の話。旗持ちの足軽が敵に殺傷され、敵に藩旗を奪われた。この某隊長は、
切腹して死んで殿様に侘びました。殊勝なやつだと殿様が冷め々と泣いた美談はありますが、いつも
それならいい。実は、反対に、かわいそうな末端の足軽達まで、長と一緒に切腹申し付けられるケース
のほうが多かったことでしょう。それぐらい大切なものでした。
【解説3】:武士は3つ刀を普通携帯しています。平たく言うと大中小。このうち、小は脇差。
切腹の時使います。長刀を売り払うといった最大の罪を為した後、脇差の役目は、それしかありません。

45_生死を彷徨う『おけい(OKEI)


或る晩、突如、おけい(OKEI)さんの病状が暗転した。
熱に魘され、意識は現世を離れ、不気味なうわごとが続いた。

多忙の桜井松之助も駆けつけた。

「しっかりせよ!仲間ではないか!死んではならぬ!
この地に、士分も民も無い。皆仲間なのだ!
おけい!死ぬな!」


皆も次から次へと駆けつけて、口々に叫んでいた。

私も興奮していたため、誰の声か、認識できぬままだったが、
この一言で、彼女は、ふと目を開けた。

「おけい!早く起きるんだ!
大変だ!フランシスお嬢様が
大変だ!急げ!」

まさに、この言葉が、特効薬だった。彼女は子守役の娘。
目を開いたおけい。彼女は咄嗟に叫んだ。

「フランシス様!如何なされました!お嬢様っ!」

おけいは、がばっ!と床の上に跳ね起きていた。




皆の表情に安堵が呼び戻された。

「よかったね。おけいさん!本当によかったね。」
侍の奥方も、彼女の手を取って、嬉し泣きに泣き濡れた。
この時代、身分が異なる為、本来なれば、侍の妻は、民の手をじかに触れることはない。
しかし、この集団は全く別だった。民も士分もない。仲間なのだ。

ところが、我に返ったおけいは、冷々と泣き出した。
「皆様は、私を騙したのですね。」
おけいは悲しかった。子守役の娘は、ふと現実に呼び戻されてしまった。
確かに、現実のほうが不幸だったかもしれない。
愛してやまぬフランシスはもう居ない!!

「私は捨てられた。役に立たぬ故、置き去りにされた・・・。
フランシス様は、日本にお帰りになられたではありませぬか!私を置いて!!」


・・・泣いて泣いて止まらない。病に倒れた子守役など、もはや不要なのだ・・・。
しまいにそんな事まで言い出す始末。

実質、それは、被害妄想というもの。シュネルがおけいを粗末にするわけはない。
本来なら叱り倒したいところ、相手が重病人では、誰もそれはできぬこと。
その上、この娘は、皆の中、最も身分が低い。確かに不憫だった。

民は民でも、技術者である大工でもなければ、日本古来の特殊技術を持つ故、シュネルに抜擢された
養蚕技術者である農民でもない。また、そうした農民の妻は、織物の熟練女工でもある。
おけいだけは、その何れにも該当しない。

士農工商、末端の商人の娘。厳密には、商人は一番下となされるものの、金の力如何では、農工より、
遥かに上。おけいにも苗字(伊藤、または伊東)があることから、家は商人クラスの中でも棚持ちと
いって、或る程度上のクラス(財力皆無ではない証拠)。現在の世でいうなれば、テナントでなくて、
店子(テナント)に棚を貸せる身、大家兼ビル持ちのような地位にあった確率は高い。
だが、それはあくまで家。おけい本人は、単なる奉公娘でしかない。

「皆様は、余計なことをして下さいました。
もう少しだったのに・・・。私は、もう少しでした。
夢の中で、私は、あの丘に調度登りつめた
ところだったのです。
もう、少しで、会津が見えるところでした・・・。
・・・もう少しで、私は会津へ
飛び立つことができたのに!!」



そう言うなり、おけいは突っ伏して泣いた。
誰一人として、それを覆してやる勇気を
持ち合わせた者は居なかった。
この娘は、己の死期到来を、
もはや悟っていた。



next_car 46_桜井松之助とおけい
心に会津が見える丘と、ニックネーム

■尚、他の分野に関しては、多少の記録らしいものはありますが、シュネルの旅立ちと不帰に関しては、
全く文章が存在しません。「金策の為日本に行った。二度と帰らなかった。」のみ。絶望感の強さが滲んでます。
それ以上なにひとつ書けなかったのでしょう。その為、この頁については「イマジネーション」
日本国内の変動を加味して、彼らの心を追いかけてみました。
■おけいさんを丘に連れ出した後、彼女が語った「願望」については、手記に忠実に描写してゆきます。
■今も尚、 会津の藩旗と名刀が残っています 。惨憺たる経緯の中、決死の思いで守り通した姿が目に浮かびます。

資料頁へ ◇シュネルの本質を理解できる人々とは、◇簡単経緯、◇各人物追求、
◇アカバネと名乗った訳、◇開墾と理想郷,◇若松コロニーの概要、
■後半に別途「資料編」と、関連リンク編をご用意致します。

いきなり資料頁へよりも、NEXT: No.6 へをおすすめします。

No.0:このシリーズ目次 No.1 No.2 No.3 No.4 No.5 現在頁< No.6
文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示
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