全46件 (46件中 1-46件目)
1
時代と土地と人と奥蝦夷「下川町」編,岐阜郡上と北海道下川(その3),緑の森とほっこり!,レジェンド葛西の町「下川町」No.5,時代と土地と人と奥蝦夷「下川町」編,岐阜の郡上と北海道下川(その3)レジェンド葛西の町「下川町」、緑の森と、ほっこり!_No5ほ~んのお気軽ちょい歴史菊地雅洋(下川町下川鉱山生まれ。 :【昭和35年(1960)誕生~】) の本。「誰かの赤い花になるために」北海道上川郡下川町下川鉱山に生まれはいいが、今は、その鉱山は無い。それが鉱山の宿命であり、全国、そーゆー例、言い出したらキリがない・・のは無論ながら・・。されど、生まれた場所、そのモノがポックリと末梢されてしまったとは、なんとも言えない気分。町民憲章に【■あたたかい家庭、■青少年のつよく正しく育つまちに!、■みんな仲よく助け合って・・】が謳いこまれる町で育った著者。左の本は、その彼が、社会福祉&介護専門家の見解から。鉱山稼働は42年間。昭和16年( 1941)、山は、軍需の為に立って、同20年(1945)年には軍需会社だが、ご存知のとおり、この年、日本は、敗戦。しかし、その後も銅、硫化鉄、亜鉛などを産出するこの山は栄える。人口も、昭和35年(1960)、15,555人も居た 。丁度、上の本著者が生まれた頃に該当する。この地の「開拓元年」は、明治34年(1901)であり、その際、町は全25戸。それが、こんなに沢山!!産出量の全盛期は昭和50年(1974)。森林鉄道が、下川駅(※)迄走った。山の事実上閉山は、後述の昭和58年なのだが、それに先んじて、 縮小体制は昭和54年(1979)。 従業員削減。155名体制。人は居るというのに、診療所が廃止された。 だからきっと、「誰かの赤い花になるために」!!夢の跡地現在ではその駅も無い。(※)下川駅=(大正8年(1919)~平成元年(1989))昭和38年(1963)、 銅の貿易自由化実施。斜陽。昭和58年(1983)休山。事実上閉山。人口も、前述No.4のとおり、現在では、3500強。1/4になってしまった。だがしかし、ここで、どっぷり元気消失してしまわない!なんてったって、【頑張り屋さんの開拓団。されば、その末裔の皆さんも頑張った!】夢の跡地に、キッチリ蘇生させた元気の源!No.3ご参照。市町村合併の波をくぐりぬけて、独自町作りは大成功。平成20年(2008):環境モデル都市に。平成22年(2010):過疎地域自立活性化優良事例表彰総務大臣賞受賞。平成23年(2011):環境未来都市に選ばれた。夏になれば、真っ赤なほっぺの甘いフルーツトマトが微笑む・・元気印100%明るい町。左本「とってもポエムなわんこ:ウッシー君が見つめる北国の四季」の作家は、この町に惚れて、そのまんま住み込んでしまった程!_ _ 冬は、アイスキャンドルフェスティバル。町中が、こーゆー具合。観光施設「万里の長城」に延々、氷で作ったキャンドルが立ち並ぶ景観。左:この地の名物プリン「アイスキャンドルプリン」_ _ 犬猫可愛服&人の暮らし&グルメ、ゾロゾロ色んな記事!▼ _開拓時代他サイトTOPは犬猫サイト<人の暮らし_心系とグルメ&産物ご紹介<現在特集:レジェンド葛西の町「下川町」、緑の森と、ほっこり!■No.1【グルメ&産物】<No.2【町のほっこり!を伝えてくれる暖ったかい犬漫画_ウッシー君と四季】■下川町のちょっくら歴史話<No.3:ちょっくら歴史(その1)<No.4:ちょっくら歴史(その2)<No.5:ちょっくら歴史(その3)(現在頁)
2014.02.24
時代と土地と人と奥蝦夷「下川町」編,岐阜郡上と北海道下川(その2),緑の森とほっこり!,レジェンド葛西の町「下川町」No.4,時代と土地と人と奥蝦夷「下川町」編,岐阜の郡上と北海道下川(その2)レジェンド葛西の町「下川町」、緑の森と、ほっこり!_No.4ほ~んのお気軽ちょい歴史明治34年(1901)、最初の開拓団が入って開かれた町。【ところで、こんなに頑張り屋さんの開拓団。彼らはどっから来た?!の巻】因みに、明治34年(1901)を、この町では祝して「開拓元年」ともいう。全25戸の家が、意を決して、この奥蝦夷にやってきた。初めに、唐突ながら、ご参考ヒントに、こちら▼。真下商品は、この町製造販売ではありませんが、郡上踊りの文字列にご注目。郡上といえば、岐阜でござる!!郡上節彼らは郡上からやってきた!!(現在の岐阜県郡上市)明治の世、彼らは当時の高鷲村&北濃村の二つの村からやってきた。実は、この町には、なぜか「郡上節」文化が継承されている!!岐阜の郡上の文化が、はるか奥蝦夷、この地にちゃんと息づいている。文化の伝播伝承って素晴らしい!!・・・実は、開拓にご入団の皆さんが、明治世、持ってきた!!現代の感覚では、来たから、ついでに文化も自然移行されただけのことか?だなんて思うが、そうではなかった。御囃子とは、極めて神聖なもの。先祖の魂。誇り高い彼らのプライド。大切に持ってきた。新天地に於ける成功を神聖なる霊に託して。 地域密着型の神聖なる御囃子が、訳あって、遠隔地に伝播される例は他の時代、他の地域にもあります。本題関係ないので、例は、現在頁最下段に添付。なんでまた、こったら寒い!北海道なんてところに?上2村は、明治の世、明治の合併の波を被った。高鷲村(現在郡上市)明治30年(1897)合併=【大鷲村+鮎立村+西洞村+鷲見村】=高鷲村平成16年(2004)合併にて郡上市北濃村(現在郡上市)明治30年(1897)合併=【長滝村+歩岐島村+前谷村+二日町村+向小駄良村】=北濃村昭和31年(1956)合併=【白鳥町+牛道村+北濃村】=白鳥町北濃村は、昔、白山信仰の地。水神や農業神として崇め尊ぶ。それが、明治の廃仏毀釈で、破棄させられるは、焼却されるは、形態を強制的に別物にされるは、・・・散々な目に。これでもか!とばかり降ってきたのは、明治30年(1897)、合併の波。▼郡上から、下川に、開拓団が入ったのは、明治34年(1901)のことであった。ついでに明治の徴兵問題。因みに、全国的には、1873年(明治6年)から早速徴兵だが、北海道は開拓急務地であったことから、北海道初の赤紙は1887年(明治20年:※)。※注:とはいえ、北海道の人は、それまで戦争無縁だったかというと全然違う。明治早々から、呼び方が違うだけで、戦場の犠牲は一杯。屯田兵は、開拓だけじゃない。開拓で命淘汰されて、西南戦争(明治10)に引っ張り出されて、死なされ役専門係一杯!!猶予じゃなくて、初めにアタマ打っている。これ以上青年死なせて減らしたら、開拓ますます遅れるから。また、当時、脅威とそのまんま対峙している地根室を例にするなれば、根室の青年達に 赤紙到着は明治37年。遅いようで、初めっから対応時キープ用。(こーゆー系話の頁はこちら)<幕末WITH_LOVE玄関<幕末引き摺る明治大正昭和の話歯を食い縛り、よりにもよって、この奥蝦夷「下川」に入団した開拓者達は、その昔の郡上藩。真下バナーは、郡上藩凌霜隊の悲劇(幕末維新の話)。No.3には凌霜隊藩士の名一覧。それはさておき、少なくとも、開拓時代の皆様は、合併大歓迎!なわけはなかったことでしょう。さもなくば、誰が、こんなド寒くて、農に窮する危険度の高すぎるリスクの地を選択するものか!【注:これは誰それさんが、そう言ったとか、誰それさんの御先祖とかいう話は、抜きで!】偶然ちゅうか、いつの世も同じっちゅうか、一応平和?な世=現世においても、またしても、合併の波が降って湧く。▼この町は、頑張った。合併せず、町単独形態で頑張って自力の町作り。その結果、前述のとおり、大成功。今や、環境未来都市。(No.3ご参照)山には、どっしりと常緑の「トドマツ」が茂る。町の木。清らかな野辺には、凛としてエゾリンドウ。町の花。小さいけれど、広くて強い町。人口は3500強。世帯数は不思議と、丁度その約半分。1800強。冬は寒いけど、ハートは暖ったかい町。有難う!嬉しいっす!と自分の銀メダル時には、ニコニコ笑顔で押し通せたレジェンドも、皆の銅メダルの時には、思わず泣き出した。ぐんと年齢の離れた若いメンバー達、一人、一人、ファーストネームで呼んで、皆の病気の事、怪我の事、苦しみのこと、ポツポツ言うたび、涙もポトポト。自分の痛みより、人の痛みが痛い。だから、嬉しくて、涙してしまった。暖ったかい!本来、私的には、いずれの町においても市民憲章には、あまり注目してみたことなかった者なのですが、レジェンドさんのお人柄に、なんちゅう合致!の町民憲章だろうか!と一人驚いてます。★暖ったかく行こう!★優しく育んで、育てよう!★みんな仲良く助け合おう!<全部不思議と暖ったかい系。不思議と「愛」系。>【町民憲章より】■心も、からだもすこやかに、あたたかい家庭をつくりましょう。 ■よい環境をつくり、青少年のつよく正しく育つまちにしましょう。 ■自然を愛し、美しいまちづくりに努力しましょう。■きまりを守り、みんな仲よく助け合い、明るいまちをつくりましょう。 ■町の歴史を大切にし、文化の高い郷土をきずきましょう。レジェンドさんが「帰国」して、一こま。軽いおジョークモードで微笑み浮かべ、仲間のみんな(竹内&伊東&清水)氏に呼応を期待して、チョロッと喋る。三人の内、伊東大貴氏も同じく下川。「それじゃー、ホントにレジェンドって呼んで貰ってもいいかな?」▼多分、期待心は、「いいともォ~ッ!」と全員揃って、ガッツポーズで、ワンショット、みんな仲良く揃って、フラッシュ浴びる・・・シーン。▼ところが、三人は、マジメな顔して、キョーツケ!の姿勢で、姿勢正して、「いいです。」・・・すると、一人、「ありゃ?」の顔。ちょいコケモードのレジェンドさんでありました。次頁は、もう一人、暖ったかい人「菊地雅洋」氏の「誰かの赤い花になるために」サイトTOPは犬猫サイト<人の暮らし_心系とグルメ&産物ご紹介<現在特集:レジェンド葛西の町「下川町」、緑の森と、ほっこり!■No.1【グルメ&産物】<No.2【町のほっこり!を伝えてくれる暖ったかい犬漫画_ウッシー君と四季】■下川町のちょっくら歴史話<No.3:ちょっくら歴史(その1)<No.4:ちょっくら歴史(その2)(現在頁)<★NEXT★=真上NEXTボタン=No.5:歴史(その3)遠隔地に特例的に大切に伝承された神聖なる舞い会津救援に、命を捧げる覚悟の「御囃子少年達」の舞:「舞に係る高遠伝承ルーツの不思議」▼そのまた、彼らの命をさらに救った男▼中條政恒:目次と序章▼
2014.02.24
時代と土地と人と奥蝦夷「下川町」編,岐阜郡上と北海道下川(その1),緑の森とほっこり!,レジェンド葛西の町「下川町」No.3,時代と土地と人と奥蝦夷「下川町」編,岐阜の郡上と北海道下川(その1)レジェンド葛西の町「下川町」、緑の森と、ほっこり!_No.3ほ~んのお気軽ちょい歴史明治34年(1901)、最初の開拓団が入って開かれた町。34年といえば、明治も随分、後半。さては、開拓は開拓でも、明治初期蝦夷入りした人達の地域より楽だった??・・・だなんて漠然と錯覚しがちだが、その反対!!▼この町は、奥蝦夷。蝦夷は蝦夷でも奥蝦夷。手のつけようがない。とてつもない大自然。手も足も出せません状態!だから、この時期に大決心の開拓団IN。因みに、この地は、特別豪雪地帯、山間農業地域。町の9割以上が森林。森の証明!!自然由来100%正真正銘アロマ、これまた資源だね!町の美味しいものや産物はNo.1に商品他にもあります。美味しい「ぷりん」もあるよ!_【わざわざ、地図検索せずに、アタマにアバウト、下川町の地理位置イメージするには】旭川通り越して後も、まだまだ北へ突っ走る。→「士別」→まだまだ!→「名寄」「名寄」で右に折れて、オホーツク海に跳び込む勢いで、どんどんまだ走る。・・・(因みに、この道、別名「下川街道」。地図で見ると、なんだ、名寄のすぐ右か?だなんてイメージだが、デッカイドー、ホッカイドー!すぐ右か?の距離じゃない!が以下割愛【開拓団の皆さんは頑張った!】腹くくってやってきたが、ド寒いのなんのって、オマケに、豪雪降り積もって埋もれて、とんでもないわ・・・!!羆さん、いらっしゃるわ!!だがしかし、頑張った。そして、今日に至るまで、寒冷地ならではの品種成功で脚光を。寒い=イコール農業アウト!と絶望してる暇あるなら、脳絞れ!泣ける力残ってるなら、働け。・・・凄んごいバイタリティー!寒いからこそ秀でる!独自の農業を抽出しよう!!開眼してウルトラスパート。技術者も招き、本格派の手延べ麺を定着普及。大成功。うどん、ひやむぎ、素麺、蕎麦と次々と成功。寒冷地だからこそ、実がしまって、独自の美味しさ!野菜も同一原理で、夏でも夜は、寒いからこそ、キュキュッ!と実が閉まって美味しい。その一例「うどん」:その名、まさしく奥蝦夷白雪、▼_ _ ■他にも、小麦、蕎麦など、寒冷地だからこそ、実がしまって、独自に美味しいもの。右は・・・販売開始は夏の話ながら証に!_ _・【頑張り屋さんの開拓団。そして、その末裔の皆さんも頑張った!】かつては、日本国を支えた時代もあった。戦争時代に加えて、震災の物資不足。その時、この地の豊かな森林資源が、国を救った。鉱山全盛時代は、夢のように栄えた。後述しますが、その頃、町の人口も、信じられない程てんこもり時代。だが今は夢。やがて、平和な世ながら、第二の危機。それは、市町村合併の波。しかし、この町は、踏ん張った。合併・・・しないぞ!資源がある。自然エネルギーだ!努力だ!正念場を乗りきった。平成20年(2008):環境モデル都市に。平成22年(2010):過疎地域自立活性化優良事例表彰総務大臣賞受賞。平成23年(2011):環境未来都市に選ばれた。 _次頁は、ところで、こんなに頑張り屋さんの開拓団。彼らはどっから来た?!の巻犬猫可愛服&人の暮らし&グルメ、ゾロゾロ色んな記事!▼サイトTOPは犬猫サイト<人の暮らし_心系とグルメ&産物ご紹介<現在特集:レジェンド葛西の町「下川町」、緑の森と、ほっこり!■No.1【グルメ&産物】<No.2【町のほっこり!を伝えてくれる暖ったかい犬漫画_ウッシー君と四季】■下川町のちょっくら歴史話<No.3:ちょっくら歴史(その1)(現在頁)<No.4:ちょっくら歴史(その2)
2014.02.24
ポケットの中涙のビスケット&ギブミー、チョコレート,昭和日本時代背景とポケットのビスケットNo.3,軍隊堅麺麭と戦後のビスケット,昭和,敗戦被爆,THE日本No.12,写真集とコラム,【楽天市場】昭和日本!ポケットの中、涙のビスケット物語_No.3昭和 敗戦 被爆:THE日本特集:No.1~各頁特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達【現在頁から特集補足編】_「ギブミー、チョコレート」と、「ポケットの中、涙のビスケット」敗戦後、お腹一杯、ビスケット、「お腹一杯」が夢の夢時代前頁から読む=昭和ビスケット特集_No.2幕末にその価値を認められたビスケットは、戊辰戦争、そして、名誉の御維新成立はいいが、その後、明治大正昭和、連続の戦争時代。ビスケットは、兵糧として大貢献。携帯食。なんといっても、その名、まさしく軍隊堅麺麭(ぐんたいかたパン)。兵隊さんの命綱。さて、敗戦。戦争は終わったが、今度は、大人も子供もみんな欠食。皆さん、餓えている。ビスケットのお役目が、変わった。今度は、兵糧じゃなくて、滋養&満腹を満たす目的。お腹一杯、食べさせてあげたいものだ。生産者も、頑張る。あっちを向いても、こっちを向いても、痩せて骨だらけの哀れな子供ばかり。長い間、耐乏生活を強いられてきたから。みんな痩せていた。【頑張った生産者達】美味しくて、お腹一杯で、栄養があって・・。できるだけローコストを心がけ、一杯食べさせてあげたい。甘いものなんぞ、夢の夢で、贅沢!の一言。子供達は、甘いお菓子に枯渇している。思いっきり、甘いのを与えてあげたい!!甘くて、色とりどり。甘いお菓子。それは子供の夢。だけど、大人にとっても夢。生産者側も同じく夢。・・・「たくさん、食べなさい。いくらでも食べなさい。お腹一杯食べなさい。」・・・言ってみたかった。夢だった。我慢しなさい!贅沢は敵です!兵隊さん達のご苦労を思いなさい!・・心と裏腹、可愛い我が子を叱ってばかりの大人達。「いくらでも食べなさい。」・・・言ってみたかった。_ __ _ホントは、あまりにも悲しかった「不思議なビスケット」の歌ポケットの中には、ビスケット。ポコンと叩くと増える・・夢のビスケット!みんなの歌。あの歌!サン、ニッサン、ソレッ!★ポケットの中には、ビスケットがひとつ、★ポケットをたたくとビスケットはふたつ★もひとつたたくとビスケットはみっつ・・・【「ふしぎなポケット」 まど・みちお作詞】まど・みちおさん:素敵なおじさん【明治42年(1909)~現在104歳~】__ 『やぎさんゆうびん』 :黒ヤギさんたら、読まずに食べた!仕方がないからお手紙書いた・・『ぞうさん』 :ぞうさん、お~鼻が長いのね。だっ~て、母さんも長~いのよ!上記も彼の作品。可愛い絵も描いてくれる素晴らしい詩人。生年月日でお解りのとおり、彼も戦争に兵隊さんとして行かされている。幾多の悲しみと、怒りを堪えて、餓えを乗り越えて今日。だから、ビスケットのお歌は、実は、とっても悲壮。生死を彷徨う飢餓の極限を経験している。ビスケットが、もしも魔法で、どんどん増えたなら。だが、切望の生々しさは、オブラートに、そっと包んで、怒りも悲しみも、全部、お砂糖でくるんで、そのまんま、出さない。子供達の歌に。お腹がすいて、すいて、辛くて・・・。ポッケにビスケットが1つしかなくても、もしも、夢が叶って、ポコンと叩くと、ふたつ、三つ、どんどん増えたなら!!夢の夢。だから、可愛いお歌にした。秘められてるのは、反戦であり、平和への祈り。軍か、官か、どっかに多分、ヤギさんが居た怒りも可愛い歌に。お鼻が長くて、どこがいけないの?ぞうさんも、可愛く言っている。こちらの記事は別件、別作者の話ながら、これも、戦争体験&悲しみを、お砂糖でくるんで、可愛いファンタジーに。(年季記事にて、添付商品画像は、売り切れエラー出るかもしれませんが、読み物として宜しければどうぞ)▼っちゅうわけで、ビスケット物語は続くのであった!★NEXT★サイトTOPは犬猫サイト<昭和 敗戦 被爆:THE日本特集No.1<・・・<No.9_「昭和の文化と暮らし」<No.10=【昭和ビスケット小特集No.1】<No.2<【現在頁】No.3<★NEXT=上NEXTリンクテキスト=No.4
2013.12.31
敗戦後子供達,GHQとギブミーチョコレート,昭和日本!ポケットの中、涙のビスケット物語No.1,昭和,敗戦被爆,THE日本No.10,写真集とコラム,【楽天市場】昭和日本!ポケットの中、涙のビスケット物語_No.1昭和 敗戦 被爆:THE日本特集:No.1~各頁特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達【現在頁:特集補足編】_「ギブミー、チョコレート」と、「ポケットの中、涙のビスケット」No.10_「ギブミー、チョコレート」と、「ポケットの中、涙のビスケット」(その1) =昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.10 涙よ、さようなら、GHQよ、こんにちわ!ギブミー、チョコレート!青い目のおじさん、優しかった・・外国の兵隊さん現在頁の関連本文があるのはシリーズ内「No.4」 ■GHQと「ギブミー、チョコレート!■屈して筆を汚した記者達の葛藤、■なんと!超早期!戊辰に既に警笛音!■そして、ついに「火垂るの墓」・・・軍人の子とて、父が死ねば、ただの孤児!浮浪児!そして・・ついに幼い兄と妹。実際、彼らは優しかったと言う。因みに、彼らが、子供達に与える菓子とは、軍から支給されている携帯食の残り物・・・ではなかった。彼らは、ポケットマネーを叩いて、軍から、自費購入している。個々の判断による微々たる必需品、及び、嗜好品などを、自己判断で購入できるシステムがあった。(日本軍と比べ物にならない。あれ欲しい、これ欲しい・・・なんて言ったら、日本軍内なら、その兵隊は、上官に張り倒される!ありえない世界!どっちみっち、こりゃ、負けた!)■幼児にとっての「兵隊さん有難う!」小学生なら、学校のおっそろしいセンセに、イヤというほど、叩きこまれてるから、意味が解る。日本の為に、自分達の為に、戦ってくれてるから。国に命を捧げて、守ってくれてるから、日本の兵隊さんに感謝。その一方、幼児も、その言語、知っている。「兵隊さん有難う!」。だが、そこは、幼児は幼児。案の定、負けて、青い目の兵隊さんが、そこらにいて、笑顔で、チョコくれる。幼児にとっての「兵隊さん有難う!」あの時、戊辰の「ビスケット」と、敗戦後の「チョコレート」:群がる子供達の姿草葉の陰、幕末雄藩の御先祖さん、誇り高き武士の子が、今や!!戊辰の時、奥州鎮撫隊(官軍)は、奥州を舐めていた。(文章、もう少し、詳しくは、No.4。)それは、さておき、その時、彼らは、奥州の子供達に、自分らが携帯していたビスケットを、与えてやった者が居た。(これ、稀だけど。)、すると、うじゃうじゃ、寄ってきた。敵の子供達なのだが、子供は、子供。雄藩兵とて、鬼じゃない。無邪気な笑顔が可愛いくて、一杯、くれてやった。「可愛そうに、余程、貧しいんじゃろうのう・・。哀れじゃのう。」▼今や、あららのら!天下の官軍様のご子孫も、「ギブミー、チョコレート!」▼青い目のおじさんが、今度は、おんなじ事を。「可愛そうに、余程、貧しいのだろう・・。なんて、哀れ!」▼一人か、二人にくれてやるつもりが、忽ち群がる。公園のハトポッポ状態!!雄藩の者が、この時持っていた「ビスケットの面影」を物語る現世商品幕末にその価値を認められたビスケットは、明治大正昭和の戦争時代~戦後の欠食時、大活躍【左】_元陸軍歩兵、鯖江第三十六連帯御用達。保存食最適品。 軍隊堅麺麭(ぐんたいかたパン (木村屋)):軍人の夢の味と書いてある!【右】_坂栄養食品株式会社「保存常食クラッカー&金平糖」のセット<金平糖は、疲労著しい時、糖分補給効力の為> _日本におけるビスケットは、ずっと昔、カステラなどと、同様に、ポルトガルから齎されたにもかかわらず、その存在は軽視されてたか、なんだが、ちっとも、それらしきモノは、史実上、脚光浴びてない。ところが、ギッチョン!幕末に!ここが一番、色んな記事選べます。▼サイトTOPは犬猫サイト<No.1<・・<No.4(本文関連の頁)・・<No.8<No.9_「昭和の文化と暮らし」<【現在頁_昭和ビスケット小特集】No.1<★NEXT=上のNEXTボタン=No.2
2013.12.30
写真でリアルに目撃!「昭和レトロな文化と暮らし」の推移,昭和敗戦被爆:THE日本No.9,暮らしの年表,食品年表,CM合戦史,流行語,ヒット商品史,■CM効果の浸透と、■敗戦と■GHQ占領解除~■CM激戦時代到来迄,解りやすい写真集ガイド,【楽天市場】昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.9特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と記者達の葛藤▼No.1からどうぞ!【現在頁は、少々明るい系】写真でリアルに目撃!「昭和レトロな文化と暮らし」の推移ああ、あのアレ!知ってる!見たことある!風景の他当時のCM,製品なども見えます。暮らしがわかる辞典、暮らしの年表 _ _昔々のその昔、時は軍国主義!ソーダー水だの、サイダーだの言ったら、はりたおされた。「噴出水と呼べ!」・・・舌噛みそう! _■ところで、あのアレ、あの食品、いつからあったの?■当時、大ヒットしたコマーシャルと、各企業CM必死の合戦食品年表、CM _■CM効果の浸透と、■敗戦と■GHQ占領解除~■CM激戦時代到来迄▲エンゼルさん「ピポピポ!」アニメ:音は、どっから出た発想か? いつからなのか? ■CM効果の浸透と、敗戦とGHQ占領解除【1952年(昭和27)】 !■街頭テレビ時代を経て、家庭ダイレクト狙い撃ち型のCM激戦時代到来【1960年(昭和35) 】 _ _サイトTOPは犬猫サイト<No.1<・・<No.8<【現在頁】No.9_「昭和の文化と暮らし」<【次頁】No.10■「涙よ、さようなら、GHQよ、こんにちわ!ギブミー、チョコレート」、■ポケットの中、涙のビスケット【関連項目】■昭和レトロな風景を写真に見る、昭和のわんぱく小僧、■昔の農村風景・・などについて各記事アップ後、上の「わくわくドキドキ!」からご検索頂けます。
2013.12.30
残留旧日本兵,心の祖国は何処へ?,帰国後の悲しみ,戦後30年間敗戦を知らずにジャングルに潜んだ兵士昭和敗戦被爆:THE日本No.8,抑圧規制の実態,反戦歌と「こんな女に誰がした!」昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.8特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と記者達の葛藤現在頁No.8は:残留旧日本兵_その4■中村輝夫氏「祖国の土壌はあれど、心の祖国は何処」,■抑圧規制の実態:反戦歌と「こんな女に誰がした!」悲しからずや愛国心「心の祖国」は何処へ?!あらかじめ:現代に掛かる話題ではありません。言いたい事は「心と心の話」のつもりで書いてます。前頁から読む:No.7【2】_中村輝夫氏の続き■民族名:スニヨン(史尼育唔)■日本名:中村輝夫、上記経緯のとおり、彼は「中村輝夫」の名を、けっして嫌っていない。隷属じゃなくて、教師、及び地元赴任の下級官吏達の中に、愛を注いでくれた者が多かったから。日本への祖国愛は、実に深い。■漢名:李光輝(これは、もとからあった名でなくて、帰国後)■帰国後の悲しみ30年ぶりに帰国したら、どんでん返し。祖国の土壌はあれど、何もかも変わっている。日本と台湾は、別の国。自分は日本人じゃなくなった!?全く別な形で国政が。自分に新しい名前がつく。漢名であり、自分の名は、李光輝というらしい。心の祖国は、どこに行った!日本への愛国心。それゆえ、妻と子を置いて戦場へ行ったのに!妻子は迎えに来てくれて再会できたけれど・・・妻は、再婚していた。再婚相手は、事情を配慮して離婚してくれた。妻子は元に帰ってきたけれど・・・。日本は、多額のお金をくれた。生活は困らない。しかし、彼が、一番欲しかったのは、それでない。日本人として、日本の為に戦った。学問を教えてくれた先生達はどこに?真意において褒めてくれる人がない。私は誰の為に、戦い続けたのだろう?ここに国交、外交問題が複雑だから、日本としては、心からねぎらうが、褒め言葉発言は、実に神経を使う。彼が一番切望するであろう言葉は予測つくが、情勢下言えない。まさか、こんなこと、言えない。▼「よく頑張ってくれたね。日本の為に、敵を一杯やっつけてくれて、ありがとう。君こそ英雄だ!君こそ、日本男児の鑑だ!!」・・・だいたい、この時代、万事、価値観が、塗り替えられているし・・。愛情と、褒め言葉、それは、お金以上の価値をなすものだったのだが・・・情勢上難しい。彼は、せっかく帰国したのに、その4年後には、病に倒れ、そのまま冥界へ。気の毒で仕方ない。■潜伏時&発見救出時のこと◆潜伏時彼は潜伏中、たった一名だけ、心を許した島民が居た。その人物は、中村輝夫氏に、幾度も、戦争は終わっている旨を伝えたが、それでも怯え、潜伏続行しようとする同氏の心情も解った。この人物は、口が堅く、長年沈黙を続けたが、いよいよ危篤。倅に伝える。倅は誰かに相談したのだろうか。結果、それが引き金となり、1968年(昭和43)、島に噂が広がる。◆救出された「1974年(昭和49)」時の彼、愛国心の形に泣ける!捜索開始。発見。だが、ちょっとや、そっとじゃ信じてもらえない。軍事教育受けているから。彼らは「君が代」を大合唱。ピタリ作動した。ところが、発音が変!彼は日本語堪能だから見破った。歌い手は日本人じゃない!思わず、怒って発した言葉は日本語だった。「馬鹿野郎!」てんやわんやの命がけの大救出劇となった。なんといっても、捕縛されたら殺されると思っているから、大乱闘。収まって、一服。やっと、説得内容を把握した。日本が負けたことも、台湾が別の国になって、自分は今、日本人じゃなくなったことも解した。されど、彼は、こう言った。「私は、日本に帰りたい。負けたというけど、本当の意味では、絶対、日本は、まだ負けていません!私の日本は、絶対に、負けません!」どこまでも、ゆるぎない愛国心が、言葉の端々に滲み出る。万事、軍事教育。胸が痛い。心の祖国は、何処へ!!私は、誰の為に、戦い続けたのだろう。この頃すでに、ご時世は、マーケットに、台湾バナナは、殆ど見えない時代。他のバナナの産出国とのシェア合戦の結果もあるが、ソレだけじゃなかった。バナナに掛かるオマケ:「台湾バナナ」は、どこ行った?」同産物の他国シェア合戦と調整に加え、日本の国内栽培技術がグレードアップしているから、旬に無関係、一年中、多種フルーツ。昔の人にとって、台湾バナナは、大ご馳走だった。■反戦歌と、「こんな女に誰がした!」「憲法音頭」という歌は、抹消された!■思想が弾圧されて、記者達が真実を書けない!時代の苦しみ。・No.1に表記。■監視されて、制約を受けたのは、文章だけじゃなかった。現代の感覚で、左本のタイトルだけ見ると、何かいな?ってかんじですが、これは、思想の取り締まり。1947年(昭和22)、「星の流れに」というタイトルの歌がヒット。歌詞フレーズの「こんな女に誰がした」がヤマ場。これは、作詞家が、或る実在の女性の話から、戦争に怒りをぶっつけて書いた詩。「こんな女に誰がした!」:パンパン女と後ろ指される哀れ女性の姿=犯人は戦争だ!「思想も言語も歌の歌詞まで制約された時代の話」▼上記の話は、こちらのバナーにMORE有り。昭和の戦争時代まで生き延びていた戊辰の男の話▼ 【別件】この中に、小林多喜二の思想文章を、憲兵の目を逃れつつ、密かに筆写した小樽の青年達の話、多少▼サイトTOPは犬猫サイト<No.1<・・<No.6<No.7<No.8(現在頁)<No.9は少し明るいモード「昭和の文化と暮らし!」ああ、あのアレ!知ってる!見たことある!風景の他当時のCM,製品なども見えます。犬猫可愛服&人の暮らし&グルメ、ゾロゾロ色んな記事!▼
2012.12.20
残留旧日本兵,心の祖国は何処へ?,帰国後の悲しみ,戦後30年間敗戦を知らずにジャングルに潜んだ兵士昭和敗戦被爆:THE日本No.7,昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.7特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達の葛藤現在頁No.7は:残留旧日本兵_その3■横井庄一氏、■中村輝夫氏「祖国の土壌はあれど、心の祖国は何処へ!」■横井庄一氏、■中村輝夫氏、■小野田寛郎氏_ _ _■残留旧日本兵【1】_横井庄一氏:(1915/3/31~ 1997/9/22) ■捜索&発見:帰国=「1972年(昭和47)」:日本帰還時57歳:終戦から28年目■発見地=グァム島1941年(昭和16) に召集配属されて以来。:この時彼は、26歳しかし、その前5年間洋服屋さん勤務時期以前も、1935年(昭和10)に兵役4年。この時20歳。それまでの人生半分は、恐怖に怯える潜伏、闇の中。帰国時の第一声が有名となる。「恥ずかしながら、帰って参りました」。これは、軍事教育。皆が洗脳された。:「日本男児、ひとたび戦地に赴けば、生きて帰還を欲せず!国の為に散華せよ!」当時、この言葉、日常社会で流行。営業マンがボスのモトに手柄抱えて帰る。まさか、手ぶらで冗談言えないが、複数拾えなくても、一件大仕事拾ったら、照れ隠しにそう言ったらしい。「恥ずかしながら、帰って参りました」。敬礼ポーズも、もれなくセットで。どっこいしょ、よっこいしょの掛け声のかわりに、ヨッコイショ~イチサン!というのも、流行った。発見順番でいうと、前後しますが、2番目の「中村輝夫氏」について、長くなるので、下行に書きます。【3】_小野田寛郎氏:(1922(大正11)3/19 ~現在90歳 )小野田寛郎氏について:(前頁No.6に、もう少し、詳しく書いてあります。本もあります。)■捜索&発見:帰国=「1974年(昭和49)3月」:日本帰還時52歳:終戦から30年目■発見地:ルバング島(フィリピン)■陸軍中野学校二俣分校出身。軍の最前線「特殊教育」を取得。悲しからずや愛国心「心の祖国」は何処へ?!あらかじめ:現代に掛かる話題ではありません。言いたい事は「心と心の話」のつもりで書いてます。【2】_中村輝夫氏:(1919(大正8)/10/8~ 1979/6/15:名前「スニヨン,中村輝夫,李光輝」)■捜索&発見:帰国=「1974年(昭和49)」:日本帰還時56歳:終戦から30年目■発見地=モロタイ島(インドネシア)■帰国4年後に死亡。60歳死亡。■台湾アミ族出身の元「高砂義勇隊員」。当時、台湾は日本であった複雑な事情下。その為日本兵。・・義勇兵とは、強制徴兵ではなく、自主的に志願兵という形。 一瞬、自主的キーワードに、ハテナ?と猜疑心。だが、どうやら、勇敢に自ら名乗り出てくれた人物が多い。訳があった。実際、彼らは勇敢だった。日本は、子供達に学校を。教育を。国と国の複雑事情は別として、現場の教師達は、子供達に触れて、純粋に心を打たれ、熱心に教育を。愛情を注いだ人物の話はいくつもある。国と国は複雑でも、末端、人と人には心が伝わる。自主的志願の第2の背景は、それもある。頑張ってあげよう。恩師の為に。自分は、日本人として頑張ろう。先生は心から言ってくれた。貴方達は素晴らしい。この地は、堂々立派。だから貴方達は、堂々立派な日本人。(注:一般論。中村氏本人発言ではありません。)■名前について■民族名:スニヨン(史尼育唔)■日本名:中村輝夫、上記経緯のとおり、彼は「中村輝夫」の名を、けっして嫌っていない。隷属じゃなくて、教師は愛を注いでくれたから。日本への祖国愛は、実に深い。■漢名:李光輝(これは、もとからあった名でなくて、帰国後)■中村さん、帰国後の悲しみ、■【別件】反戦歌と、「こんな女に誰がした!」サイトTOPは犬猫サイト<No.1<・・<No.6<No.7(現在頁)<NEXT:No.8
2012.12.20
残留旧日本兵,特殊頭脳訓練士官,陸軍中野学校,戦後30年間敗戦を知らずにジャングルに潜んだ兵士編その1,昭和敗戦被爆:THE日本No.6,昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.6写真集とコラム(コラムは随時追加)特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達の葛藤現在頁No.5は:■特殊作戦、■陸軍中野学校、■残留旧日本兵「戦後30年間、さらにジャングルに潜んだ旧日本兵」_その2前頁から読む:No.5■特殊頭脳訓練士官:陸軍中野学校、■残留旧日本兵(その続き)他にも残留旧日本兵:■中村輝夫氏、■横井庄一氏については、次頁米国映画「ランボー(1982の映画)」というのがあった。主人公はもちろんアメリカ人。ストーリー設定に絡むは、グリンベレーであり、ベトナム戦争であり。終戦を知らずに、この主人公は、たった一人で戦争を開始する。説得に現われたのは、かつての上官。上官命令以外には絶対作動しない・・・特訓された鉄の軍人の姿。▼しかしながら、これは、源泉ヒントは、おそらく「小野田寛郎」さん。グリンベレー発想ヒントは、陸軍中野学校でありましょう。恐縮だから断言しないが、多分、そう思う。_____ __陸軍中野学校に限らず、選び抜かれた頭脳マンが、特殊訓練を極秘に受けたケースが存在している。知識&情報判断力&戦闘指導力養成のみならず、過酷な体力訓練も。たとえば、ある人物の経験。酸素が薄い高山などでもバテずに対処する体力を養う訓練。まともに呼吸できないような変なマスクをくっつけられて、苦しい訓練。その格好で、「走れ!もっと速く走れ!」と上官に、尻を叩かれる。だが、その人物は考えた。名誉の戦死なれば、仕方ないが、訓練で、おっ死んだら、たまらん!ツラッと、底抜け装置を発明して、くっつけて走る。上官の前、恰も苦しい表情を作りながら・・。この人物は、無事、戦後生きた。さて、またしても、幕末話、ひっつけるつもりか?!と言われてしまいそうですが、明治、大正の戦争に留まらず、昭和に至っても、戦争には、随分、江戸時代の「THE_侍」発想が混じり込んでいる。小野田さんにも、脈々と武士の血を感じる。なんといっても、それは、旅立ちの時、お母さんから、短刀を手渡された場面。「もしも、屈辱の捕虜になる時来たれば、その時には、これで、見事な自刃を。」短刀と言われるが、これは、おそらくお家の名刀「脇差」ではあるまいか?ふと思う。愛する倅を戦地に送る時、母は魂を与えたのではないか。単なる鋭利な刃物では、あるまい。一般的に、半分、伝説だが、名刀なれば、魂が宿ると、よく言われる。ギリギリの極限までは、先祖の霊が守ってくれる。そして、いよいよ最期の瞬間は、呻き、のたうちまわる無様を曝すことなく、見事散華。それが、お家伝来の「脇差」。また、戊辰に見える文字列が、昭和の戦争に一杯存在。戦術に関しても、さては、あの時の教訓だな!と感じる場面も幾多。遊撃隊という言語も、戊辰。No.1に添付した「特攻隊」の件にも、「振武寮」という寮があった。戊辰諸隊の中、「振武隊」という文字列見たことあるでしょう。雄藩長州の影に、報国隊、奇兵隊等と共に、振武隊が有。日本海軍の大活躍も、戊辰の教訓がヒント。実際、戊辰の宮古湾海戦の時、その様子を見ていたのが、春日に乗船していた東郷平八郎。アボルタージュ、敵艦、乗っ取り奪取作戦を展開した敵幕軍の艦長、烈死した「甲賀源吾」の姿を、まのあたりにしている。敵艦を轟沈させる術も戊辰。箱館戦争時、「蟠龍」艦長の松岡磐吉が、朝陽を轟沈させている。これは、照準を「火薬庫」に狙い撃ちしたから。たったの一発で、みごと轟沈。こうしてみると、日本海軍の「轟沈技」は、実のところ、出所は、戊辰に敗れ、賊軍となされた旧幕軍側男達の遺産。(■松岡磐吉_立証の時:敵艦朝陽轟沈。■松岡磐吉の獄中死考察さて、話を、モトに戻します。▼■残留旧日本兵_その2■横井庄一氏、■中村輝夫氏「祖国の土壌はあれど、心の祖国は何処へ!」サイトTOPは犬猫サイト<No.1<・・<No.5<No.6(現在頁)<NEXT:No.7
2012.12.20
残留旧日本兵,特殊頭脳訓練士官,陸軍中野学校,戦後30年間敗戦を知らずにジャングルに潜んだ兵士編その1,昭和敗戦被爆:THE日本No.5,昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.5写真集とコラム(コラムは随時追加)特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達の葛藤現在頁No.5は:■特殊作戦、■陸軍中野学校、■残留旧日本兵「戦後30年間、さらにジャングルに潜んだ旧日本兵」_その1■特殊頭脳訓練士官:陸軍中野学校、■残留旧日本兵他にも残留旧日本兵:■中村輝夫氏、■横井庄一氏については、次々頁小野田寛郎氏は、陸軍中野学校二俣分校卒(厳密には卒でなくて:時間的に緊迫:窮地即時臨戦命令受託の為)。特殊訓練を受けた不屈の頭脳マン。1974年(昭和49):ルバング島から帰国。しかし、これは、いかに敗戦を知らなかったからといえど、「怯え隠れていた30年間」・・ではない!!点が、最大のキーワード。彼は、戦闘を継続していた。誇り高い日本兵として、選び抜かれたアスリート、陸軍中野学校出身士官として。彼にとって、日本兵としての最期の戦闘銃撃戦は、1972年だった!_ ___仲間の内、最期の生き残り「小塚金七」氏は、病死ではない。1972年、銃撃戦で死亡。30年近く共に頑張った最期の仲間。それが、ついに戦死。さすがの小野田さんも、絶望の境地。上記の銃撃戦とは、フィリピン警察軍との銃撃戦である。(彼らは、知らない為。アメリカに支配されたこの国の兵が、永年戦争を大国の指示通りやってると思ってる為、日本国の為に、戦っているのだ。戦争は何十年も続いていると信じているから。)ちなみに1972年とは、同じく旧日本兵の「横井庄一」さんが、無事日本に帰還した年。この年、彼らはいまだ、日本兵としての誇りを喪失することなく、戦闘態勢だった。たった一人になった後も、彼は屈しなかった。その為、救出の際、説得には、実に骨が折れた。特殊訓練をマスターした彼は、救出チームのスピーカーフォン説得にも動じない。現地に急行した親族の肉声の嘆願さえ、受け付けない。それが、「特殊訓練をマスターした者」。切り札は、これだった。かつての上官による「戦闘解除命令書」。1974年(昭和49)にして、特例的に、軍としての「命令書」が発行された。これにより、初に彼は帰国となった。彼のケースの場合、帰国後、カルチャーショックは、殆ど皆無。なぜなれば、トランジスターラジオを手に入れており、それで、世界の情報をゲット。彼は、彼流に分析行動。そもそも、彼は、並ならぬインテリジェンス搭載型人物。中国語も英語もペラペラ。他国語による放送内容を把握できた。その上、メカにも強い。ラジオをゲットしても、文明の利器に驚きもしない。チマチマ改造を加える手腕。ラジオで、日本の競馬中継も聞いている。カラー印刷の新聞も手に入れ、読んでいる。広告枠があるから、幾多の新時代の機械類も概要知っている。彼が救出された1974年近辺を照準に語ると、こんなかんじ。オリンピックの存在も、「1970年のコンニチワ!(万博)」の歌とやらもあるらしいことも、新幹線が日本を走ってることも、ジャングルの中で、ちゃんと全部知っていた。これは、救出チームによる作戦。残留兵が居るらしいの情報は、救出よりも早い。その為、とっくの昔に戦争は終わっており、日本は豊かである旨を伝える為、救出チームは、わざと、新聞を置いてきた。それなのに、なぜ?・・・答えは、彼流の分析による。フィリピンには、米軍駐屯地があり米兵が居る。救出された1974年は、ベトナム戦争(1960年代~1975)がまだ終っていない。その為、彼は、頭上を見れば、米軍戦闘機が飛んでゆく。「おそらく、日本本国は敗れ、屈辱の属国支配されたのだろう。日本の新聞だというのに、あっちも、こっちも英語文字列だらけ。属国だから、暮しだけは、恰も豊かなのだろう。されど、満州に、別途、日本の亡命政権が!」・・・それゆえ、戦闘を継続していた。上官命令以外には、絶対に靡かない。たとえ、己が最期の一人になろうと、日本国の為に!!特殊訓練。特殊頭脳。選び抜かれたアスリート。上官命令以外には、絶対に靡かない。完璧な鉄の軍人。▼陸軍中野学校二俣分校卒だから。そもそも、この学校は、つまり、そのために設立された。陸軍中野学校:特殊訓練、特殊頭脳、特殊秘密部隊小野田さんが在籍したのは、二俣分校。これは、遊撃戦(ゲリラ戦)の指導格養成目的で、1944年(昭和19)8月、静岡県二俣町に開校。厳密には、彼は卒業ではなく、軍の戦略上の「退校」。この命令を本人受託。究極の促成栽培で現地急行。▼米国映画「ランボー(1982の映画)」というのがあった。主人公はもちろんアメリカ人。ストーリー設定に絡むは、グリンベレーであり、ベトナム戦争であり。終戦を知らずに、この主人公は、たった一人で戦争を開始する。説得に現われたのは、かつての上官。上官命令以外には絶対作動しない・・・特訓された鉄の軍人の姿。▼しかしながら、これは、源泉ヒントは、おそらく「小野田寛郎」さん。■残留旧日本兵_その2(陸軍中野学校:特殊訓練の続き)犬猫可愛服&人の暮らし&グルメ、ゾロゾロ色んな記事!▼サイトTOPは犬猫サイト<No.1<・・<No.4<No.5(現在頁)<NEXT:No.6
2012.12.20
敗戦後子供達,GHQとギブミーチョコレート,火垂るの墓の時到来,戊辰の早期警笛音,メディア人の苦悩「虚偽」の報道,屈して筆を汚す己,昭和,敗戦被爆,THE日本No.4,写真集とコラム,【楽天市場】昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.4写真集とコラム(コラムは随時追加)特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達の葛藤現在頁No.4は:■GHQと「ギブミー、チョコレート!■屈して筆を汚した記者達の葛藤、■なんと!超早期!戊辰に既に警笛音!■そして、ついに「火垂るの墓」■屈して筆を汚した記者達の葛藤■【左】前坂俊之氏のBOOK:「太平洋戦争下の報道」=新聞の死んだ日メディアを愛し、尊重し、死守する人の立場から、規制されて真の報道が、死んだ時代の事実他記者達が、新聞にウソ!を書かねばならん懊悩は、昭和に始まったわけでない。明治から大正を経て、ずっとおんなじ!筆を握る者にとっての「拷問時代」:石川啄木も、野口雨情も同じ。▼この話:真下バナー■どっちみち、こりゃ、負けたワ!警笛音、早期に鳴っているのに!!▼■真上バナー「昨日の敵は今日の友」特集内のNo.3&No.4あたりが、本件「警笛音」を物語るに近い。発言は、戊辰で敗れた会津藩、その倅。「河原勝治」。戊辰時、少年。その為、実戦に参加してないが、11才位。この人物に掛かる特集はたくさんあります。(幕末玄関)からどうぞ。■彼は、戊辰に賊軍となされて敗れた惨めさを経験した側。その為、早期に警笛音を。「志一本やりで、やせ我慢、飲まず食わずで戦うは、絶対に敗れるぞ!無理だぞ!」これは、敗者の立場から、反省をふまえて発した警笛。 上記1件だけだと、少しピンとこないかもしれませんが、この人物の他シリーズもあわせて、お読みいただきますと、なるほど「警笛音」と、お分かり頂けると思います。河原は、長生きしているから、ぼやいている。★「どうして、今の時代にして、戊辰とおんなじことやっているんだ!」・・・だがしかし、人とは、いつの日も同じ。初にアタマ打たなきゃ、わからない!!「官軍」主権スタートの明治。戊辰の賊軍出身者の忠告なんぞ、馬耳東風。・・・ある意味で、そのまんま姿勢で昭和!★おかげで国ごと、賊軍!敗れた賊軍出身者の警笛は、ボヤキにしか、聞こえなかったのだろう。あらためて、この写真「真下左」見てみて下さい。河原の言うとおり。▼栄養失調でガラガラ、アバラが出てる少年は、まだマシだが、ガラガラなのに、腹部膨満現象の子。これは飢餓極限状態。飲まず食わずで「志一本槍!大和魂!」。懸命に、国の為に調練に励む。されど、食生活は、難民キャンプと全然かわらない!を写真が立証している。これじゃ、勝てんワ。・・涙よ、さようなら、GHQよ、コンニチワ!「ギブミー、チョコレート!」 _ _ 【いくら幕末好きでも、いちいち幕末に結びつけるな!と、人によっては怒るかもしれませんが、私的には、確かに河原の言うとおりと、あっちこっち痛感】■上中央:日本人の子供達がお菓子を貰って、思わず微笑む。悔しいけど、飢えには勝てない。これ、同じこと、実は、戊辰時、官軍は経験している。奥州鎮撫隊(官軍)は、奥州を舐めていた。田舎もんと馬鹿にしていた。さて、官軍が船で到着。ビスケットを持参。そこらの子供にくれてやったら、うじゃうじゃやってきた。いくら子供でも、アバウトわかる。お父さんや、お兄ちゃんをいじめる西の人達がやってきた・・・と。それでもビスケットは嬉しくて。官軍は、自慢気。「せんべい」じゃなくて、最新!ビスケットを持参してたから。とはいえ、一個人、兵士、一人の人間として、別にかわいい子供達まで軽蔑してるわけでない。寧ろ、哀れに感じた。痩せこけた子供。貧しすぎて、ビスケットのビ!も聞いたことない子供達。雄藩の江戸藩邸住まい子達は、実際食べたことはなくても、ビスケットのビ!位なら、聞いたことある時代に突入していた。対して、奥州の子は、生まれて初めての味。旨い、旨いと大騒ぎ。鎮撫隊は、優越感。薩摩他、雄藩の者が、この時持っていた「ビスケットの面影」を物語る昭和レトロの駄菓子小特集はこちらところが、昭和にして、上記のとおり。「ギブミー、チョコレート!」青い目のおじさんにせがむ日本の子供。昔、「武士は食わねど、高楊枝!」誇り高い侍の末裔:JAPANの子供達。今みな、こんなことに!!■そして、ついに「火垂るの墓」軍人の子とて、父が死ねば、ただの孤児!浮浪児!そして・・ついに幼い兄と妹。★(No.5)は、■特殊作戦、■陸軍中野学校、・・戦後28年間、敗戦を知らずにジャングルに潜んだ兵士No.1<・・<No.3<No.4(現在頁)<★NEXT:No.5=真上NEXTボタン<・・
2012.12.19
原爆と被爆,少年兵,敗戦後の子供達,連合艦隊,特攻隊,陸軍中野学校,反戦論者と記者達,昭和,敗戦,被爆,THE日本No.2,写真集とコラム昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.2写真集とコラム(コラムは随時追加)現在頁No.2は「原爆!被爆!THE_ヒロシマ!etc.」スポット特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達の葛藤1945.8.6:THE_ヒロシマ __佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」「喪失の聴覚:創出された交響曲」夢とメロディーと悲しみと愛特集のNo.2「聴覚を喪失したアーティスト佐村のHIROSHIMA」他にも、実は、忘れられてる事がある。埋もれたままのことがある。私ごときが解説するよりも、本が一番と思いますが・・・。■一番上(大きい画像)一番手前に居る少女の指先。焼け溶けて、その形に固まっている。その右側に、人物は見えないが、軍服男性の前の人物の腕、肘が直角状態。同じく、指先。焼け溶けて。彼らの頭髪は、暫し後、ことごとく抜け落ちた。■上2行目中央:この子については解りませんが、実際、忘れられてる二次災害が。親を失い、必死で少年が幼い弟を。だが、皆が精一杯。少年は術を知らない。子供だから。背負った弟は、乳がなければ、もたない。■上2行目右側:一見ハテナ?に見える写真でしょう?ところが、この同一の犬の写真、他にも見たことあります。この犬も被爆。鎖繋がれたまま、逃げるに逃げれず・・。人が現われてくれた。皆が悲惨の時、動物を哀れむ発言は、不謹慎とばかり、頭ごなしに攻撃されることが多いが・・・、無性に胸が痛い。■下左:たくさん見えるのは、けっして「石」ではありません!!悲しすぎる。■下右:なぜ?、こんな話に手塚?実は訳がある。彼の住む大阪にも原爆は降った!!少年時代の彼は衝撃の光景を!詳しくは、下側の「手塚テキストリンク」_ _▼_ _手塚治虫作品は、平和への願い★NEXT★(No.3)は、戦争の犠牲となった女性の姿■男装の王女はスパイか、否か?生死の謎「川島芳子こと、愛新覚羅」■心に傷を負い、追放された「李香蘭」他No.1<No.2(現在頁)<NEXT:No.3<・・
2012.12.19
特攻隊,原爆と被爆,少年兵,敗戦後の子供達,戦争と女,連合艦隊,陸軍中野学校,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達,昭和,敗戦,被爆,THE日本No.1,写真集とコラム,【楽天市場】 昭和 敗戦 被爆:THE日本_No.1■写真集とコラム(コラムは随時追加)、■No.2はTHE_広島の時(コラムと本)、■後続頁順次別カテゴリ特攻隊,連合艦隊,陸軍中野学校,敗戦後の子供達,原爆と被爆,少年兵,戦争と女,反戦論者と、屈して筆を汚した記者達の葛藤文章コラムは次の頁から。現在頁では、まずは、ご参考おすすめ本。 昭和と特攻隊 _ _ _ _ _ __ _NEXT(No.2)は原爆!被爆!THE_ヒロシマ!etc.犬猫可愛服&人の暮らし&グルメ、ゾロゾロ色んな記事!▼No.1(現在頁)<No.2<・・
2012.12.19
北海道バターの銘菓,六花亭と酪農と開拓時代コラムNo.4,教科書が教えてくれない悲惨:開拓急務の側面,関連記事リンクガイド雪解け慶び、大地の咲き花、ふきのとう_No.4■No.1:ひとまず、商品パレード、■No.2:開拓使時代の彼らの死闘!十勝の大地:歴史コラム<■(前頁)No.3:雪と六花亭<■(現在頁)No.4:北海道と開拓関連記事ガイド(補足編)北海道の明治、開拓歴史:教科書があんまり教えてくれない系開拓使と極寒、生きる喜び!No.1からNo.3は、楽しく!北海道のお菓子の話だワン!初めから読む:No.1<前頁から読む:No.3他にも、北海道の明治、開拓歴史として、教科書があんまり教えてくれない悲惨が一杯。前述(前頁までの転回)の良質バター製造成功した人物、十勝開拓の父「依田勉三」に限らず、苦労した人は一杯。ところが、それだけじゃない。名も無き下敷き犠牲者が・・・大勢埋もれている!襲い来る世界の脅威。北方警備が急務。北海道の開発は、わやくちゃピッチで進める。そうしないと、追いつかない!そのため、目に見えない裏側には、つまるところ、残酷史。この開拓事業の為に、多くの人の命が犠牲になった。それでも、乗り越えて、桁違いのこの大自然、それを相手に闘った人々。喝采を贈りたい。<短編:楽に読み終わる系>会津の白虎隊集団自刃。責任を被った隊長達は、とても皆と一緒に暮らせない。自責の念で苦しい。あえて最悪の地、北海道を選択。開拓に従事した。この人は林檎で成功。▼■幕軍&松前えとせとら_Vol.4「悲劇の実話:若夫婦と赤ん坊の結末」苫小牧方面に入った八王子千人同心蝦夷移住隊■箱館戦争時期も逃げ出すことなく、居座ったブラキストン。大活躍。それだというのに、明治の開拓使時代、この地に幻滅。そして去って行く。▼ご存知「しゃぼん玉、飛ばそ!」も「赤い靴履いてた女の子」これも、明治の北海道開拓。涙の歴史!裏は、まるごと戊辰の傷そのまんま!▼<重いテーマ系>明治とは、新時代じゃない!戊辰の傷そのまんま!▼No.1_「村橋久成」編、▼開拓使の側面■箱館戦争終結後、一度青森に謹慎護送された旧幕軍の一部が、再び、箱館弁天台場に戻されたのはなぜ?ぞっとする現実<長編:会津戦争の話&資料込み:重いテーマ系>会津戦争で、梶原平馬を知らぬ人は居ない。ところが、行方不明。実は、開拓時代、箱館を経て、根室に居た。別の妻と、その倅。(遡る形態で書いてます。だんだん戊辰の重い歴史方向:怨恨&戊辰が人の心から奪い去ったもの▼<★美味しいグルメ系話も一緒に、お楽しみ系>■北海道開拓とじゃがいもの歴史_ _No.1<No.2<No.3<No.4(現在頁)ここに、色々あります。目次へGO!▼_
2012.11.11
幕末明治の「日本人栄養事情」,病気と栄養,幕末明治裏話「栄養」,日清戦争時、病死は戦死を遥かに上回る数値日清戦争と「日本人の栄養事情」戦死よりも「病死」が圧倒的!この実態!日清戦争は明治27年から28年。但し、正味7ヶ月。兵の犠牲者数は:17,041人と言われるのだが・・・その内訳、戦死者=5,147人。対して、病死者数=11,894人。兵は、皇国の為に散華せよと引っ張り出されたが、実際は病死させられに行ったことになる。いくつかのデータがあり、数値はなぜか色々ありますが、上記は、ご参考一例。戦死+病死=17041(ここから、病死数値11894をマイナスで算出)その為、データによって答えは複数出てしまいますが、いずれにせよ、病死数が異常!<知っていながら、対処が全然追いつかなかった日本人の健康>幕末段階で、既に、この人物「須藤時一郎」は気がついていた。日本人の健康状態のマズサが、世界の脅威に最悪の条件なのだ!!攘夷だ!戦争だ!そんなことより、先に病気の追放!それじゃなきゃ、日本は外国に食われてしまう!植民地になっちゃうぞ!この人物は、派遣先のフランスで、必死に食生活改善による日本人の健康対策をレポート。それだというのに、戊辰が、その価値を長い間冬眠させてしまった!▼▲因みに、この人物、かの有名な沼間守一の兄貴です!(沼間守一兄弟)▼しかし、戊辰の嵐!食べ物の話なんて、どっか吹っ飛んでしまった。これで、日本人の覚醒が、何年も遅滞してしまった。官軍が幕府を倒して、どうにか天下。ところが、明治にして、今ごろ、ドタバタ。富国強兵!!叫ぶのはいいが、実態はその正反対。貧国弱兵!原因は、病人だらけ。どうして、こんなに兵がみんな病気になるのかな?蛋白質か?ビタミンか?・・・ドッタンバッタン。大騒ぎ。そのわりには、効果出ない。あいかわらず、脚気患者てんこもりの日本。<そのまんま、戦争突入>皇国の為!やってできないことはない!根性が足らん!健康対策はイイカゲンなままに、志一本やり!強いられて、兵は駆り出された。愛国心の強い者なれば、戦って、国に殉じるなれば、まあ死んで諦めつくだろうが、ほとんどの兵は、敵と戦って死ぬならずや、病死だった!!栄養に限らず、衛生面やら過労やらあると思いますが、根本は食だったと言われる。皆様、栄養摂取しましょう!◆日清戦争:動因数=約120,000人。・・戦死者数=17,041人=戦死者5,147+病死者数11,894人。栄養と健康&美味しいグルメ皆様、栄養摂取しましょう!但し、その反対現象の場合、この中に、ダイエット系記事もあります。TOP<幕末玄関<人物名から追跡
2012.07.26
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.9,ハスカップの涙,男達の「男の身売り」、転落地獄,大地に風そよぐ白い小花,じゃがいもの花_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.9アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】(現在頁)■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.12_男達の「男の身売り」、モッコ担ぎの穴倉転げ初めから読む<・・<この前頁から読む(Ver.8:永久の別れ、砕け散った心の絆) 岩吉が最後に見たのは、悪酒に酔って、目を真っ赤に血走らせた彼の姿だった。農場は、暫し放置の後、時が流れて、農地の持ち主も替わり、別の小作人が入った。裸一貫、逃げ出した小作人が、別の地で、さらに悪い条件の小作人に落ちて、それでも食えず、やがてどこぞの人夫、奴隷同然の最悪条件に転落して、地の果て、山の果て、野垂れ死に・・・はこの時代、よくある構図。人夫にもランクがあった。食うに食えず男の身売りなら、最下層の極悪条件。タコ達の出元は、本州から騙されて連れ込まれた民だけではない。こうして、飛んで火にいる夏の虫も含まれていたという。書面上に判然とするのは、囚人と、明治27年以降のタコ部屋のタコ達。ところが、実際は、前述人材確保業者によって、使役の悲劇に突入する者はもっと早期から存在してました。とにかく急ピッチ開発には、猛烈に人材不足だった。ずいずいずっころばし、胡麻味噌ずい、・・・ここから先が、呪いの戯れ歌。ずいずいずっころばし、胡麻味噌ずい、モッコ担ぎが、穴倉に填まったとさ、二度と、出てこなかったとさ・・・。そこは、地獄の三丁目。逃げ出した小作人。さらに劣悪条件とて、妻子があれば、再び別の小作人。ところが、はじめから借金地獄。前借状態。飢えて妻子が死ねば、男は弱い。死んでくれれば、まだマシ。己の目の玉が黒いうちに、最愛の娘が売られたとすれば、農の意欲は完全に消滅。いくら築いても、突如失うのが農の弱み。耐えて築けば、僅かながらも貯が伴うはずの農とは、あくまで理屈。こうなると、捨て鉢、自暴自棄は誰しも同じだ。どうせ死ぬ。飢えて死ぬ。腐って死ぬのが関の山。されば、冥土の土産は酒浸り。人夫なれば、己の体だけ。守るべき土地も、愛する人もない。荷物運びで、ゴミのような端金。どうせ帰る家はない。前借、前借・・・酒代の前借。そのうち、無給奉仕どころか、金利が団子。キレて暴力、罪人。あるいは騙されて、モッコ担ぎの運び屋人夫より、高額だからと、穴(鉱山とか)に入る。いずれにせよ、二度と穴から出てこれない。遅かれ早かれ、冥土入り。地獄の法則。文献という形ではあまり見れない。判然としないから。しかし、上記、呪いの戯れ歌。補足:タコ部屋についてはこちらの頁でレイアウトが見えます。但し、囚人使役から、犠牲ターゲットがタコに移動するのは上記のとおり明治27年。イワシピの年齢では歴史上のタコになる確率は、高くない。(仮に無事存命していれば、50歳超過のはずだから。この段階で、既に健康を蝕まれた男が、過酷労働の中、10年も存命するか否か。思慮不要。)イワシピの最後は、誰も解らない。だが、ひとつ確かなのは、この地に彼の墓はない!!苗字も某と戸籍改めの際、岩吉という和名と共に名乗って いるわけだが、この地にその名はみつからない。ひとつ、不思議なことがある。あの時のイワシピの予言。環境破壊の天罰の旨は前述のとおり。しかしながら、もうひとつ小さい予言。「もう一度だけ、お前には子供が生まれる。俺には解る。」ふと思う。ところで、この雲を掴むような話、元を糺すなれば、何処で誰が、誰から聞いたのだろう。岩吉の二世は、イワシピの予言どおり、本当に天から授かったのではなかろうか?・・・そんな気がしてならない。肝心の何かが、見えない訳が、案外そこにあるのではなかろうか。No.12_大地に風そよぐ白い小花岩吉の夢は叶わなかった。白い小花が咲き乱れて、実りの秋。逞しい四肢、長身の男。肩の筋肉がせりあがっていた。微かに灰色を帯びたきらきら輝く瞳。英雄の末裔とその家族。腹一杯、栄養豊かな野菜、じゃがいもを食べて、子供達の笑顔。可愛いあの娘、岩吉も微笑んで、膝にあげて抱いてやりたい。全て夢。夢なんて、所詮夢。いつしか岩吉も明治の世、埋もれて死んでいったのだろう。遠去かる意識の中、無数に咲き乱れる白い小花。風に揺れて、北海道の鮮やかな青い大空の下に、皆の笑顔。・・・全て、夢だった。何一つ残らない。砕けて消え去った心の絆。何事もなかったかのごとく、今は白い小花が咲き乱れる。大地の神よ。教えてくれ!二人の岩吉はどこへ行った?
2012.01.03
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.8,ハスカップの涙_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.8アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】(現在頁)■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花初めから読む<・・<この前頁から読む(Ver.7)丘の頂上にたどり着いた。岩吉は思わず、へたりこんだ。あの時の眩暈の再来か。イワシピの畝はぐにゃりぐにゃりと歪んでいる。白い小花など、どこにも見当たらない。そもそも、それどころの騒ぎではない。雑草だらけで、手に負えぬ状態だ。「なんちゅうこっちゃ!」彼は低く唸った。幾つか、彼らの墓らしきものが、目に入った。その後、家族の犠牲発生は、これで言うまでもない。・・それでもいい。居てくれよ。居てくれよ、イワシピよ!祈る気持ちで、岩吉はおんぼろ小屋の戸口に立った。声をかけるが、中から人の声はしない。無人か?!彼は、ずかずかと勝手に中迄、あがりこんで、目を疑った。粗末な囲炉裏の前、肩の肉まで落ちて萎びた白髪老人が一人、背中向けて座り込んでいる。息をしてるのか否か、まさか、その姿のまま息絶えているのか!?その背中は、まるで正真正銘の老人だ。とても同一人物と思えない。岩吉は、おそるおそる声をかけて言った。その声は、あたかも赤子を宥めるかのように・・・呟いた。「イワシピよ、イワシピ、俺だ!岩吉だよ・・・。」男は微動たりともしない。岩吉は、野菜の入った担ぎ袋を脱ぎ捨てて、男の前へ回り込んだ。途端に鼻を突く臭気。それは、質の悪いアルコールの臭いだった。どこから、何から、どうやって語りはじめたらいいのだろう。岩吉は困惑した。目を血走らせたイワシピ。かなり酔っているに違いない。酒に酔って充血した目。かつて、あんなにきらきらと輝いたあの灰色の瞳は、今は虚しい。澱んで、曇った傷だらけのガラス玉。しかも、それを取り巻く白目は血管だらけ。しかし、これは今日の酒、今の酔いのせいじゃない。岩吉は思わず息をのんだ。彼の白目全体が黄褐色に澱んでいる。これは・・・まさに、質の悪いアルコールのせいに違いない。皮膚の色が異様だ。薄暗い小屋の中、肌の色が沁み込んで識別できない。かつては、鮮やかにくっきりと浮かび上がる独特の透き通る肌。典型的黄色人種の岩吉には、それが眩しかったものだ。それが、今はどこへ消えた!死者の黒斑を思わす紫痣色。暗闇色に紛れて溶けている。岩吉は名案を思いついた。担ぎ袋を引き摺ってたぐりよせると、小型の瓶を、掘っくり返して取り出した。「イワシピよ、久しぶりだな。一緒にこれを飲もうや。そいつは、やめとけよ。一緒に、こっちを飲もうや。なっ・・・、イワシピ。」その時だった。白目に赤い筋が走りまくった顔で、イワシピが睨みつけて、こう言った。「大きなお世話だ。帰れ!」家の中といい、畑の様子といい、イワシピの身上の異変は只事ではないのは一目瞭然。嫌われても、岩吉は、この程度では、へこたれない男だ。「イワシピ、すまぬ。じゃがのう、わしは今、遠いのじゃ。気にはなっても、なかなか来れない距離なんじゃ。それは、お前ならば解っているはずじゃないか。遅くなったけど、人が折角、こうして帰ってきたんだぞ。もう少し、優しくしてくれないかのう?」 イワシピは、鼻で笑うと、再び、目の前にあるアルコールを口に運ぼうとする。わけのわからぬ怪しいアルコール。「やめとけ!なんじゃ、これは?なんか変じゃ!」岩吉が妨害した。人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべたイワシピが答える。「はっ?なんと?貴様がよこした太る野菜だかの仲間の酒さ。」「どらっ?焼酎か?」岩吉が奪い取って口へ運ぶ直前に、思わず喚いた。「イワシピ!これは焼酎なんかじゃないぞ!誰だ!誰からこんなものを!」No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆これが、岩吉とイワシピの縁、最後の瞬間だった。それは、あっけないほど短くて尻切れとんぼ。情けない最後。悲しすぎる。肝心の何かが、見えない。じゃがいもの種芋は、イワシピ一家が、やはり食べてしまったようだ。生き残りの家族の殆どは死んでしまったようだが、なんせ、イワシピはまともに、口をきいてくれなかったから、細かい事は解らない。飢えか、疫病か、恐らく彼以外は全滅と思われる。死因は、どうやら、べつにじゃがいもの芽を食べてしまったからではないようだが、飢えて、飢えて、飢えまくれば、たとえ禁断の食物とて食せざるをえない。その旨、岩吉に吐き捨てたのだった。「今耐えて、秋に潤いを待てと言うが、今死のうとする子を見殺しにして、生き残りが、ぬけぬけと秋に満腹せよと申す気か?」何が原因で、どの段階で、何をどう誤解して、イワシピが岩吉を恨み始めたか解らない。しかしながら、憎まれてしまったことだけは確かだ。僅か半年のブランク。埋め合わせる術が見つからない。イワシピが言う。口も聞きたくない。その面は二度と見たくない。「帰れ!貴様の声は、もう半分しか聞こえないぞ。あの頃と違うぞ。濁った輩の腐った声なんぞ、俺には、聞こえないんだぞ!聞こえないぞ!貴様は腐りやがった!今に見るがいい。まだまだ終わっていないぞ。 お前達は、神に屈辱を与えたからだ。まだまだ続くぞ。今に滅びるがいい。」 岩吉が最後に見たのは、悪酒に酔って、目を真っ赤に血走らせた彼の姿だった。農場は、暫し放置の後、時が流れて、農地の持ち主も替わり、別の小作人が入った。裸一貫、逃げ出した小作人が、別の地で、さらに悪い条件の小作人に落ちて、それでも食えず、やがてどこぞの人夫、奴隷同然の最悪条件に転落して、地の果て、山の果て、野垂れ死に・・・はこの時代、よくある構図。人夫にもランクがあった。食うに食えぬ男の「男の身売り」時代の狭間、書面に残らぬ裏の暗黒史が展開されてゆく。NEXT_No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄
2012.01.02
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.7,ハスカップの涙,ハスカップについて,栄養と効能,アイヌの言い伝え_不老長寿の妙薬ハスカップ_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.7アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】(現在頁)■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神初めから読む<・・<この前頁から読む(Ver.6)イワシピの不気味な予言が事実になった!・・・蝦夷の大地の神はついに怒りを!明治12年(1879)年から、明治18年(1885)年、なんと北海道は、想像を絶するバッタの大群に食い殺された!空が真っ黒に染まった。主因は急ピッチな森林伐採。農地開拓の為もあるが、各地で森林が消滅状態に至った最大の理由は道路開削。襲い来る諸外国の脅威。官は道東まで道路開削に踏み切った。これは、想像を絶する猛烈スピード。即ち、人命の犠牲が壮烈。残酷の極み。(詳しくは関連:■折り重なる屍の上。蝦夷囚人使役1,■蝦夷囚人使役2ところが、屍の祟りは人だけじゃなかった。手付かずの太古の蝦夷の森林。それが、わやくちゃピッチで伐採されて丸裸。この屈辱に大地の神が怒った!空を真っ黒に染める大群の蝗は、瞬く間に農作物も草木も全て食い尽くし、飛び去る。去った後は別世界。農作物も、草も木も全て丸裸!絶望の大地。飢えた人の屍。これを「蝗害」という。関連■明治の北海道森林伐採とバッタ大量発生相関、■『蝗害(こうがい)』とトノサマバッタ生態,■開拓悲話:バッタ災害直撃された開拓人による実態記録この頃、遠方の任地で暮らす岩吉は、この騒ぎで大変だった。朝夕問わず、駆け回り任務を超えた働きを為していた。心の中は、イワシピ一家が気になってしかたない。やっと情報を得た。イワシピの在住する地域は、どうやら直撃を、免れたらしい。とはいえ、蝗軍団の分派は、たとえ少数部隊とて、この頃、北海道の道南、中部、道東と、もれなく飛び交い、道内全て黒い悪魔の翼に覆われていた。いずれの地とて、被害皆無はありえない。民に奨励金を与え、官が買い取り、成虫は大量に捕縛焼却。しまいに囚人も駆り出されて大掛かりな捕縛作業。しかし、悪魔の翼は目に見えぬ地下に潜伏し続けた。地に卵が産み付けられているのだ。今年抜けても、来年が再び。その実、悪い予感は的中。その実、北海道はこの頃なんと6年間も黒い悪魔の餌食となる宿命を享受する。撲滅祈祷まで行った。No.9_約束の秋岩吉の上司は知ってか否かは不明だが、こんな時期にもかかわらず、岩吉に口実の公務を与え、かつての任地への帰還チャンスを暫し与えた。岩吉が今勤務する地の土は黒い。北海道に珍しく養分を含んだ肥沃な土なのだ。辺鄙な位置だが、農に期待できる地だ。まさか、このあと、黒い悪魔の翼に直撃されようとは、この段階では予期できなかった。黒々と肥えた土は、農作物を実らせている。岩吉は、うんうん唸りながらも、重い野菜を土産に抱えて旅立った。かつての任地は・・荒涼としていた。蝗害は免れたはずが、こうなると、報告書とは、あまりあてにならぬ。思わず唸った。行けど行けど、家主不在と一目瞭然の荒畑が続く。しかしながら、木々の様子から、これは蝗害の跡地の景観ではない。いやな予感。背負った野菜が重い。思わず投げ出したい気分だ。しかし堪えた。イワシピの家まで、もう少しなのだ。彼なら皆と違うはずだ。己に言い聞かせながら、岩吉は、坂道を登って行った。丘を越えれば、彼の畑が見えるはずだ。額に汗して頑張って歩いた。途中、農民に会った。荒畑の原因は、逃げ出した小作人達の仕業だという。働けど働けど、わりのあわぬ小作料を搾られ、恵みの乏しいこの地。逃亡は、この地に限らない。また、もうひとつ原因がある。それは、いわゆるブローカー達の口車。飢えの極みで家族の犠牲が相次ぎ、天災で農地が崩れ去ると、やはり人とは弱い。若い妻や、娘は、売られる。幼子は天昇。残された男の行く末はきまりきっていた。その時限りの子供騙しの金と酒に騙されて、いわば男の身売り。炭鉱の仕事、鉱山の仕事・・・なんだかんだといいつつ、そこは地獄の三丁目。ひとたび足を踏み入れるなれば、永久に逃げ帰る道はない。それでも、次から次へと、男達は転落していった。あいつは違うさ。あいつに限って、そんな馬鹿なことがあるわけないさ。岩吉は、一歩一歩、己に言い聞かせながら、坂をまだまだ登り続けた。もう少しだ。今に見ろよ。丘の天辺から、あいつの畑が見えるさ。そうだ、俺はどうかしてるよ。あいつのことだもの。そうだよ、そうだ。今頃、じゃがいもの白い花が咲いているに違いないさ。あいつの畑は、白い小花が咲いてるさ!頑張れ!俺よ!重いけど、へこたれるな!どれっ、ひとつ、花見でもしようじゃないか!岩吉は自分で自分を励ましつつ、丘の頂上を目指していった。NEXT_No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花丘の頂上にたどり着いた。岩吉は思わず、へたりこんだ。TOP<■お得ペットスクープ▼下バナー、■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流
2012.01.02
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.6,ハスカップの涙,ハスカップについて,_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.6アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】(現在頁)■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.6_イワシピの灰色の影初めから読む<・・<この前頁から読む(Ver.5)少し反省した岩吉は、調子にのって酒を抱えて遊びに行くことは少くなった。だが、苗を入手できた時には、その後も昼間に度々立ち寄り、親切に指導した。「前にも言ったけど、俺は侍の家とはいえど、養家では半分百姓みたいなもんさ。だから、畑のことは、ずぶの素人じゃないよ。植えて育てて、沢山実れば、子らに腹いっぱい、食わせてやれるぞ。」だが、ここに現実の壁。それは北海道の地質、気象。どんなに一生懸命働けど、日照不足。当たり前のように育つはずの菜っ葉の類まで、失敗。実りの乏しい悲惨な地。この時代、稲作は今だ北海道は絶望。不可能だった。米は本州から移入。庶民の口に入るわけはない。文字通り、水飲み百姓。人々の貧困は想像を絶する。イワシピ家も生活に窮していた。「そうだな。沢山実れば、子らも育つな。」大男のイワシピも、すっかり痩せてしまった。きらきら輝く灰色を帯びたあの瞳からは、光が失せた。もともと若白髪の彼、知らぬ者なれば老人と見誤ってしまいそうだ。岩吉は胸が痛かった。なんて勿体無い!英雄の末裔は今や、一人の百姓。別れ際に手を振った時、岩吉は、地面に写ったイワシピの影に一瞬の錯覚を見た。長身の彼を象った灰色の影が、午後の日差しに長く伸びて、畑の畝に映し出されている。この地は、不幸中の幸い、表面には川から押し流された土が堆積しているが、ほんの僅か掘っただけで、中は忽ち不毛の泥炭地。それにもかかわらず、今目の前の光景はイワシピが築いた畑の畝が続く。数年前は伐採したばかりの切り株だらけだったのに、イワシピがこつこつ掘り出して、随分と立派に整頓されたものだ。築いては川の氾濫で押し流され、実りかければ、冷害。それでも人は性懲りなくも農を試みて、足掻く。畑の畝に、細長い灰色の影が幾重にも折り畳まれて伸びてゆく。無理に笑顔を作って、イワシピの顔を見てみたが、逆光で表情が全く見えない。目の錯覚か、気のせいか、一瞬、影がぐにゃりと歪んで見えた。No.7_岩吉に下された転勤命令百姓は昔から飢えるしかない。わかりきったことではないか。ところが、この年は、極端だ。農作物は全滅。皆が飢えた。赤痢やらコレラやら、恐ろしい病気まで流行。バタバタ人が斃れ死んだ。子沢山のイワシピ家でも、既に犠牲者が発生していた。生き残りの子を育てるためにイワシピは身を窶して、かつての面影は消えうせた。食の枯渇が、いよいよ本格的になってきた。強烈ピッチの森林伐採。動物の大量捕獲。この頃の行いが原因で絶滅した動物の数は知れない。有名なものだけでも蝦夷狼、蝦夷かわうそ等。鰊も既に怪しくなりつつあった。江差、小樽など鰊場では、海面が銀色に染まったあの勢いは衰退の兆し。岩吉に下された転勤命令そんな中、或る日、岩吉には転勤命令が下されたのだった。この地を去らねばならぬ。別れを告げにイワシピの家を尋ねて絶句した。子供が半減している。生き残りの子も、飢えを凌いで、床に臥せっている。岩吉が可愛いあの女児の命は、見るからに風前の灯だ。目を半開きにして、口をあけて、あらぬ方向を見たまま動かない。介護する女房も半病人。生きながらにして骸骨同然だ。耐え切れず、岩吉は、罪を犯した。じゃがいもの種芋を、こっそり盗んできて、イワシピに与えたのだった。発覚すれば、首だ。転勤どころの話でなくなる。しかも、業務上の失策ならずや、下らん恥知らずの盗人!されば家名は末代まで汚して転落。それどころか、お家の恥に留まることなく、同藩出身者にも迷惑がかかる。それでも、見るに忍びなかった。倉庫にもぐりこんで、下賎の民のごとく、盗人に身を落として奪い取ってきた。「いいか、くどいけど、また言うぞ。これは種芋だ。どんなに飢えても食うなよ。植えて実れば、秋には皆が満腹食えるぞ。何倍どころじゃないぞ。たくさんに増える。今は辛くても凌げ。秋に全てを架けるんだぞ。耐えて凌いで繋いで、そして咲かすんだ!家族全員、咲かすんだ!これは野菜の中でも少し違う。満腹感だけじゃない。太れる野菜だ。」岩吉は、大袈裟に両手を広げて見せた。イワシピの微笑みが見たかったからだ。だが、それは虚しい。灰色の瞳は、こんな時は、人一倍悲しみを湛えていた。「だから、これを芋だと思っちゃいけないぞ。今食ったとて、一口にも満たんぞ。秋ならば山盛りだぞ。それに芽には毒があるんだ。たくさんあれば大きく刳り貫いて食べるからいいけど、こいつを食おうとすれば毒だらけなんだと女房に言い聞かせるんだぞ。絶対に食うなよ。」 別れ際、イワシピは何度も頭を下げていた。かつてなら、彼がこんな姿を人に曝すことなどなかった。襤褸は着ていても、いかつい男だった。高圧的な物言いをすれば、たちまち得意の勝手つんぼ、聞こえぬふりをして、ふて腐る。友好的に接するからこそ、心開いてくれた男だった。それが、今では、この様。哀れ、お恵みを頂いた乞食爺のように、這い蹲っていた彼の姿が痛々しい。岩吉は泣けた。イワシピは己一人なれば、きっと、もっと強いだろう。たとえ飢えて骨皮同然に陥ろうと、一人なら、きっと強いだろう。死の寸前まで強くいれるはずだ。ところが、彼は悲しきかな、父なのだ!子の居ない岩吉には、それが二重に悲しかった。「永久の別れじゃないぞ。わしも、実はのう、鳥の餌しか食ってないぞえ。今は皆正念場さ。秋には、なんとか一度帰ってこようと思うよ。その時は、俺にジャガイモを腹一杯ご馳走してくれよな。」NEXT_No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神【Ver.7】イワシピの不気味な予言が事実になった!・・・蝦夷の大地の神はついに怒りを! 明治12年(1879)年から、明治18年(1885)年、なんと北海道は、なんと!
2012.01.02
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.5,ハスカップの涙_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.54アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】(現在頁)■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達初めから読む<・・<この前頁から読む(Ver.4)イワシピは、頑固者だが、酒には目がない。普段は逆立ちしても、そんなものは口に入らないからだ。実は、岩吉も同じ。僅かな酒とて、二人で飲む酒は、ことに旨かった。あいかわらず、イワシピは気難しい。一回、本気で変な誤解して怒ったことがある。岩吉は、あの子が可愛いから、「将来べっぴんさんになるぞ。」その一言で怒られた。「何をたくらんでいるんだ!帰れ!」しかし、事情を説明するなり、イワシピは心から岩吉を哀れんで慰めてくれた。岩吉は、子沢山のイワシピが羨ましいのだった。女房は蝦夷には不向きの病弱な体。子は生まれてまもなく死なせてしまった。その後は死産、流産。どうやら子に縁がないようだ。最初の子は、女の子だった。だから、あの子が可愛い。「イワシピは偉いな。子を皆上手に育てて偉いよ。俺は死なせてしまった男だよ。」すると、イワシピが言った。「この酒はどうした?本当は貰ったんじゃなくて、まさか、買ったんじゃないだろうな。体が弱い女房なら、なおさら、一杯食べさしてやるのがお前の仕事だろう。あの赤い実を、今度またやるから、女房に食わせてやるんだぞ。」年上のイワシピには、何回も兄貴風吹かされた。或る日、イワシピが真顔でこう言った。「それじゃ、お前の先祖は王なのか?俺の先祖も英雄だ。」これには、岩吉が頭を掻いた。説明が難しすぎる。「否、王や殿様ではないんだが、本家はもともと重臣だ。俺は三男。妾腹だ。事情あって、養子に出された。本家よりも随分家格が低い。だが、今こうしてみると、それが幸いしたのかもしれない。貧乏だが、ここにこうして居て、おかげさんで今、酒を飲んでるのだから・・・。」イワシピはぐいぐいと、岩吉を詰めてくる。とんでもないインテリだ。「されば、一体貴様はどっちなんだ?」いつの間にか、目が吊りあがっている。困った岩吉がぼそぼそ場を回避しようと答えて言う。「明治維新の事は、俺は偉そうに言えないよ。戊辰の頃、俺はまだ洟垂れ小僧さ。それなりに気になったし、苛立ってもいたよ。だけどなんといっても子供さ。役立たずのガキだったから。」イワシピはひとたび心許したかに見えても、岩吉の出所が気になってつめてくる。「まさか松前か!ずっと昔、松前はシャクシャインを騙した。和解しよう、和解の酒を飲もうと言って酔わして殺した事、俺は知っているんだぞ!他所の地域(この場合現在の日高:シャクシャイン)の事も、俺は知っている!嘗めるなよ!」「違うよ。言ったじゃないか。俺達はこの地には惨めに移住してきた立場さ。松前には関係ないよ。」「されば、どっちなんだ?今のこの状態を強いた連中の仲間か?」「くどいな。よそうぜ。そんな話。」イワシピは中途半端に妥協してくれる質ではない。さりとて、説明が困難すぎる。 蚊の泣くような声で言ってみた。「俺をせめないでくれよ。体に悪いな。さっきも言ったけど、俺達は負けたほうだよ。」これで終わってくれれば幸い。ところがしつこい。「負けた側?それじゃ、榎本の手下か!!」やばい!千島樺太交換条約のキーマンが榎本武揚。これは即否定しておかないと、逆恨みのもと。めんどくさいけど、延々語るしか、逃げ道がなくなった。岩吉は、家格の低い家に養子に出された身。それが、この場合も幸いしたといえよう。本来なら、頭にきて捨て台詞。「この酒はくれてやる!貴様とはこれっきりじゃ!」ところが、耐えて繋ぐ習性が体に染み付いている。啖呵をきらずに延々語った。内容はこうだった。藩論が割れた。藩内で先に血が流された。実家の父は、もともと恭順説。べつに官軍支援じゃないが、血を流す意義に疑問符を示したからだ。しかし初期段階で、藩は、幕軍支援に走った汚点を残した。藩の生き残る道はそれしかない。長男は官軍に引き込まれ、ところが下の兄は飛び出して榎本軍に加担。結局、父は切腹。兄達は戦死。家は取り潰し。養父も死んだ。官軍側に駆り出されて死んだ。岩吉は、こうなると、どっちが仇敵なのか、自己の中絡み合って苛立つばかり。考えないようにしてきた。だが、イワシピは白黒つけさせようと、しつこい。さすがに日頃温和な岩吉も苛立って、立て板に水、一気にややっこしい話を吐いた。複雑すぎて誤解要素が懸念される場合は、彼らに語らぬに越した事は無いと聞いてきた。しかし、その理性がぶっとんだのだった。ところが、我に返ると、イワシピは極めて冷静だった。黙って、岩吉の盃に、酒を注いでくれた。そしてこう言った。 「父も兄も死んだ。それは、俺も同じだ。お前は似てないのに似てるな。だが、全て過去だ。過去など無意味だ。そんだけ辛いなら、普段は忘れろ。だが、俺は将軍のほうがましだったと思っている。お前は友だ。だから別だ。節操ない今の連中より将軍のほうがましだ。だが、それは、将軍が好きだからじゃない。関係なかったからだ。頭の上でドンパチやらかした事は、かつてあるがな、俺の頃は将軍は関係なく暮らせていたのに・・・。上の子はでかい魚を食って育った。だが、今、この地で生まれた子は、腐れかけの草みたいな野菜しか食わせてやれてない。今に滅びるぞ。節操なく、なんでもかんでも毟りとって、森や大地の枯渇は、やがて己を滅ぼす。俺には解る。お前だけは正直者だ。・・・お前の子供は、必ずもう一度だけ生まれる。俺には解る。今度は死なせるな。育てろ!」関連:自然への心と暮らし:ふくろうの住む森他とアイヌ伝説 岩吉は仰天した。イワシピが、まさか徳川を語るとは夢にも思っていなかった。また、この時の不気味な予言が、後にまさに現実となろうとは少しも予測できなかった。いくら複雑な話であろうと真剣に語れば、イワシピは解する。暫くしてから、イワシピが言った。「お前の女房が病弱だと知っていたら、あの時、もう少し、多目に赤い実を摘んできてやったんだがな。あいにく遠い。かつての地なれば、あの潅木はたくさんあった。この地では、残念ながら少ない。お前一人分だから、お前の分だけ摘んできたのだ。必要以上に摘み取るは、罪だからだ。それに、余計に摘み取るは必ず巡りめぐって自滅に繋がる。お前は友だ。これだけは、本当のことだから覚えておくといいぞ。」いやな空気が飛び去った。岩吉はあらためて、この大男を見つめている自分に気がついた。 今では、襤褸を纏い、肥やしまみれの百姓姿なれど、この男には熱い血が宿っている。イワシピの灰色の瞳。岩吉は、目の前に今居る男に、彼が語る先祖の世界、英雄の姿を、漠然と見出していた。No.6_イワシピの灰色の影
2012.01.02
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.4,ハスカップの涙,ハスカップについて,栄養と効能,アイヌの言い伝え_不老長寿の妙薬ハスカップ_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.4アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみ時代は明治初期と思われる。場所や人物名については、現代に近いことから仮名。多少抽象的に書きます。文献によるものでなく、誰かの記憶話につき、不鮮明な部分も多々ありますが、悲しいけれど、いい話と思います。あくまで、現代の問題事に係る話題は追及しない考えなので、時代を過去と割り切って読み流して下さい。優しい心の事、書きたいだけですから、描写などでカチンの場合は、創作か?!程度で片目瞑って流して、本題の「心」の部分だけ感じていただけますと幸いです。いつの時代も、どこの国でも、侵略、蹂躙、殺戮は、つきもの。歴史は、みんなそれで成り立ってきたと言っても過言ではないだろう。だけど、ここに、こんな話もあった。悲しきかな、ラストは誤解と、心の柵。超えられない領域に、屈して、砕けて消えた。いい人も居たのに。折角心の壁が崩れて消えたのに。再び闇雲。■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】(現在頁)■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.4_青いつくしんぼう初めから読む<この前頁から読む(Ver.3)岩吉の具体的業務は謎だ。比較的単独行動が多く、下級のわりには行動範囲が広くて、自己判断で適当にスケジュールを組んでいる様子からして、色々気になるが、とにかく不明。農業技術支援でもなければ、いわゆる廷吏(秘密巡回監視)・・・というわけでもなさそうだし。なんらかの知識があり調査的分野だとすれば、少しそんな気もするが、それにしては生活レベルが酷すぎる薄給。解らないから、謎は謎のままにしておきます。その一方で、イワシピは、移住の民だった。明治8年の千島樺太交換条約。豊かな海の幸、逞しい海の男は、祖国から駆り出されて、強制的に移住させられていた。彼らの多くは農を嫌う。皆漁師を希望したが、調整されて、嫌いな農業に強いられた。・・(関連:強制移住の話:表示先頁下側の「泥濘、泥炭地」項ご参照)或る日、イワシピは言った。「お前だけは信じた。お前達はややっこしい。何々だけど・・・の「だけど」が多すぎる。俺に例外なんぞない!「だけど」がつくのは嘘つきの裏返しじゃ。信じたら信じる。信じたから信じる。それ以下でもなければ、それ以上でもない。信じるに屁理屈はない。子が可愛い時に、可愛いけど何々なんて、ないだろう?だから同じだ。だから、お前もややっこしいのはやめろ。俺達は友だ。」イワシピはかなりのインテリ。喋ってると、時折、若い岩吉が解してない事まで知っている。剛直者で、心開いたかと思えば、下らぬ冗談が通じなくて不機嫌になったり、少し難しいが、本当はいい男だった。岩吉は、酒を入手できた時、嬉しくて、イワシピの家を訪ね、二人で飲んだことが幾度かある。野菜を手土産にすると怒られた。恵んでもらわねばならぬ卑屈な男じゃないぞと怒る。但し、野菜の苗をこっそり持っていってやると喜んだ。「これは内緒だぞ。かなり体にいい野菜らしい。それに、一回きりじゃないのが嬉しいぞ。来年も再び実る。来年は、今年よりも、太くて食べ応えがあるぞ。いい野菜なのに、奨励されてないのじゃ。研究所には齎されたようだが、国は見向かんのじゃ。」岩吉は、その苗木の扱い方を丁寧に教えた。「初年は、つくしんぼうが青く化けただけのようなつまらんやつが顔を出す。ほとんど腹の足しにはならぬ。しかし、それなりには食えよ。放置すると、へんてこりんな海の藻草みたいなわけのわからん葉っぱだらけじゃ。草ぼうぼうに化けるぞ。一応実が成るがな、そいつを食い物にする話は、俺は聞いたことないわ。今年よりも来年、来年よりもさ来年、どんどん食い応えが増すからな。楽しみじゃ!」すると、イワシピがこう言った。「そうか、解った。子らと同じだな。今年よりも来年、来年よりもさ来年!」岩吉は嬉しくて、大の男が思わず、はしゃいだ。「そうだよ、イワシピ。そうこなくっちゃ!あっ、そうだ、できれば、目立たぬところに植えとけよ。雑草の陰なら目立たぬからな。」与えたのは、なんとアスパラだった。国が本気で踏み込むより、随分前の段階だ。関連:ガルトネル表示先:農業試験場の推移の項有りイワシピにとって、農業は、本質的に嫌いで屈辱的。しかし、当時の食糧事情。徐々に彼も変化した。岩吉の教えたとおり、野菜を作れる男になっていった。NEXT_No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達イワシピは、頑固者だが、酒には目がない。普段は逆立ちしても、そんなものは口に入らないからだ。実は、岩吉も同じ。僅かな酒とて、二人で飲む酒は、ことに旨かった。TOP<■お得ペットスクープ▼下バナー、■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流
2012.01.02
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.3,ハスカップの涙,ハスカップについて,栄養と効能,アイヌの言い伝え_不老長寿の妙薬ハスカップ_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.3アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】(現在頁)■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花時代は明治初期と思われる。場所や人物名については、現代に近いことから仮名。多少抽象的に書きます。文献によるものでなく、誰かの記憶話につき、不鮮明な部分も多々ありますが、悲しいけれど、いい話と思います。あくまで、現代の問題事に係る話題は追及しない考えなので、時代を過去と割り切って読み流して下さい。優しい心の事、書きたいだけですから、描写などでカチンの場合は、創作か?!程度で片目瞑って流して、本題の「心」の部分だけ感じていただけますと幸いです。No.3_不思議な赤い実の絞り汁初めから読む<この直前頁から読む【Ver.2】差し出されたのは、薄気味悪い赤い汁。すっぽんの血か?いかに滋養強壮の高級な妙薬とて、そもそも、その類、岩吉は苦手だ。すっぽんなどこの蝦夷の地、北海道にあるわけないが、動物の生き血に見えた。躊躇していると、男は、鼻面に強引に押し付けてくる。その時、微かに果実の香り。ふと目が覚めたような錯覚に陥った。「果物の汁か?」尋ねると、やはり答えない。男は頑固者。予想のとおり。この男は言語がかなり達者なのだが、それは自分で必要と判断した分野に限定される。勝手つんぼを徹する。本当は、ちゃんと喋る。「いいから飲め。効く。毒ではない。」岩吉は観念した。どうせ質問には答えてくれない。だけど、いい男だ。誠意が伝わる。彼は、素直に従い、赤い汁を飲んだ。実はこれが、ハスカップだった!!思わず咽た!「なんじゃこりゃ!おっ渋っ~い!それに酸っぱ~っ!」吐き出したくとも、生憎喉を通過した後だった。男も、女房殿も、声を出して笑った。女房殿が差し出した水を、今度はごくごくと飲み干してしまった。後のまつり。生水は自分の水筒のもの以外一切口にせぬつもりが、こうなった!それを見るなり、大男は腹を抱えて笑いだした。一人、二人、みるみる間に、大勢の子供達がやってきて岩吉を覗き見る。「お~っ!すごいな。こりゃ、全部、お前の子供か?まさに、子宝じゃのう?」子宝の語にだけは、一瞬小首をかしげた大男。しかし、この時、確かに一枚目の壁は砕け去ったのだ。大男は笑った。二人の出会いは、こうして始まった。大男の和名は、岩吉。なんと俺と同じ名前か!これには笑った。ところが、大男は不機嫌だ。本当はイワシピというのだそうだ。しかたないから岩吉。後日岩吉が調べてみると、登録は確かに、岩吉。女房はウラというが、これまた、実はマウラが本名。二人の岩吉には友情が芽生えた。本来ならありえないことだった。また、そうであってはならぬ明治の辛い方針の下敷きが実情。しかしながら、人に語らねばよいのだ。これは、男と男の世界だ。人がなんと言おうと関係ない。互いに報恩が発端だ。子を救った岩吉。その岩吉本人は、もう一人の岩吉に救われ、家へ担ぎ込まれて看護してもらった。天が授けたたのか、なんとも不思議な縁だった。後日、岩吉は、イワシピから聞いた。赤い汁はハスカップ。いわば、不老長寿の妙薬。イワシピが苦労して、岩吉の為に摘んできてくれた。だが、貧しい彼らの暮らし。砂糖どころか、渋味誤魔化しの塩すら入れてくれない。しかも野生種。確かに酸っぱいわ、渋いわ・・・現代人なら多分皆仰天する味と思われる。岩吉は、何回聞き直してみても、ハスカップの固有名詞が解らない。ハスカップとは、この果物の固有名詞ではなくて、枝にたわわと鈴なりで成る状態をいうらしい。されば、これは具体的に何だ?・・・幾度も言葉を変えて聞いてみたが、結局解らなかった。いずれにせよ、何が何だか知らないが、この赤い汁は、イワシピが言うとおり、効いた!NEXT_No.4_青いつくしんぼう【Ver.4へ】TOP<■お得ペットスクープ▼下バナー、■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流
2012.01.02
明治北海道開拓,下級官吏岩吉とアイヌ青年イワシピNo.2,ハスカップの涙,ハスカップについて,栄養と効能,アイヌの言い伝え_不老長寿の妙薬ハスカップ_明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.2アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】(現在頁)■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.2_岩吉とイワシピの出会い時代は明治初期と思われる。場所や人物名については、現代に近いことから仮名。多少抽象的に書きます。文献によるものでなく、誰かの記憶話につき、不鮮明な部分も多々ありますが、悲しいけれど、いい話と思います。あくまで、現代の問題事に係る話題は追及しない考えなので、時代を過去と割り切って読み流して下さい。優しい心の事、書きたいだけですから、描写などでカチンの場合は、創作か?!程度で片目瞑って流して、本題の「心」の部分だけ感じていただけますと幸いです。初めから読む岩吉が目を覚ますと、おんぼろ小屋の中に居た。「ここはどこじゃ?」呟くなり、驚いた。目の前に、巨大な男が居る。意識はうつろながら、こればかりは、ひとめでわかった。この民は、きっと彼らだろう。それにしても頭がボヤける。何とも苦しい。目を閉じて少しだけ考えようと努めた。官職とは名ばかり。連日重労働。その上薄給。栄養失調。大根と鳥の餌しか食ってない。鳥の餌とは、米など贅沢で、粟か稗か、日々不味い粥。大根とてこの地質では、不作。兎同然に、葉っぱも貪り食っていたのが実情。堀の近くで、岩吉は突如、ふらっとなって、意識を失っていた。どうにか、そこまで思い出した。なぜか、目の高さに草が見えた記憶の最後、その情景が蘇ったからだった。どうやら、野垂れ死にだけは免れたのだろうか。岩吉は独り苦笑した。 一方、今ここに現れた巨大な男とは、明治の世、彼らは苗字も名前も和名を強いられた。姿も身なりも、現代の世、皆が思い描く民族衣装ではない。断髪で、同じようなドテラと洋服のできそこないの中間みたいのを着ているから皆と全く同じなのだ。ところが、顔形ですぐピンときた。それに、もちろん個人差はあるにせよ、この男は実に大男。珍しい。煌びやかな勲章だらけの軍服を着れば、ロシアの軍人そっくりだ。大柄な男は、白髪だらけ。しかし老人ではない。若い。逞しい四肢と、顔の艶で解る。岩吉は、それまで多くの彼らと接してきているため、目の前に現れた男は少し特異と感じた。顔中髭だらけだけど、隙間から露出している肌の色がまるでドーランを塗ったようにくっきりと鮮やか。少し赤みを帯びて、岩吉達より、むしろ白い。岩吉達土気色を帯びた黄色人種特有の黄色とは異なる。瞳の色が、ほんの少し灰色を帯びていて、きらきらしている。貧しいこんな環境でさえなければ、相当な美男子に値する。恐らく30代半ばだろう。岩吉より年上だ。目を瞑っていると、岩吉は、男に無言で、揺すり起こされた。しかたなく、目を開くと、男はとことん無言。黙って水の入った器を差し出す。その目は言っていた。「これを飲め。」しかし、岩吉は堪えた。喉は乾くが、生水は危険だ。この頃、各地でコレラが発生している。岩吉は手まねで断り、男に尋ねた。「ここは何処だ?」それでも、男は強情。断固、一言も語らない。単純な言葉が通じないわけなど絶対ない。経緯から、こうなる前の時期とて、彼らは強いられたら、極限でしかたなく従った。つまり、言語に支障はないのだ。教育の機会を得られぬ老齢の者とて、実は解して対処できる。拒絶を露骨にせぬための勝手つんぼ。あまり解らぬ、あまり喋れぬ・・・のふり。岩吉は先輩達に、それを聞いていたから、別に驚きはしなかった。一部を除き、断固自分から、シャモの言語を語らない頑固者は今だ居るものだと・・・。溜息をついて岩吉は言った。「すまぬ。迷惑かけたのう。」大男の灰色を帯びた大きな瞳が微かに、きらきら動いた。再び、岩吉は昏々と眠った。幼女の声で目が覚めた。なにやら、枕元に来て、嬉々とした幼女特有の声を発したからだった。不思議なことに、この子の顔が、なぜか見覚えがある気がしてならない。「どこかで会ったことがあるのう?」岩吉は言ってみた。子供は驚いて後ずさり。女房殿が飛んできて、これで全てわかった。あの時の女だ。以前、こんなことがあった。誰かの子が、なんと肥溜めに落っこちそうになった。我を忘れて岩吉は猛突進。抱き上げて救ったことがある。折角助けてやったのに、現れた女は礼も言わず、子を抱き上げて逃げ去った。なんちゅう母親じゃ!その時は腹が立ったものだった。この騒ぎで、再び、先刻の男がやってきた。岩吉は言った。「本当に迷惑かけたのう。」頭がふらつくが、無理して、藁の布団を自分で剥ぎ取って床に起き上がってみた。すっかり薄暗い。家では、さぞ女房が心配していることだろう。礼を言って立ち去るつもりが、だらしなくも腰が立たない。初めて、大柄な男の表情に笑みが微かに見えた。男は鮮明な言語でこう言った。「やめておけ。まだ無理だ。これを飲め。」NEXT_No.3_不思議な赤い実の絞り汁TOP<■お得ペットスクープ▼下バナー、■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流
2012.01.02
明治北海道開拓,アイヌ青年イワシピと下級官吏岩吉No.1,ハスカップの涙,ハスカップについて,栄養と効能,アイヌの言い伝え_不老長寿の妙薬ハスカップ_TOP <幕末WITH_LOVE<幕末明治大正昭和(引き摺る戊辰の影)明治の北海道開拓時代、ハスカップの涙_Ver.1アイヌの青年イワシピと、下級官吏、泣いた岩吉心の話、どうしても最後のひとこまが通じない!誤解の悲しみハスカップの涙_二人の岩吉物語時代は明治初期と思われる。場所や人物名については、現代に近いことから仮名。多少抽象的に書きます。文献によるものでなく、誰かの記憶話につき、不鮮明な部分も多々ありますが、悲しいけれど、いい話と思います。あくまで、現代の問題事に係る話題は追及しない考えなので、時代を過去と割り切って読み流して下さい。優しい心の事、書きたいだけですから、描写などでカチンの場合は、創作か?!程度で片目瞑って流して、本題の「心」の部分だけ感じていただけますと幸いです。いつの時代も、どこの国でも、侵略、蹂躙、殺戮は、つきもの。歴史は、みんなそれで成り立ってきたと言っても過言ではないだろう。だけど、ここに、こんな話もあった。悲しきかな、ラストは誤解と、心の柵。超えられない領域に、屈して、砕けて消えた。いい人も居たのに。折角心の壁が崩れて消えたのに。再び闇雲。(現在頁)■No.0_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップの涙_二人の岩吉物語【Ver.1】(現在頁下側)■No.1_移住の士族、某岩吉という男、【Ver.2】■No.2_岩吉とイワシピの出会い、【Ver.3】■No.3_不思議な赤い実の汁、【Ver.4】■No.4_青いつくしんぼう【アスパラ】、【Ver.5】■No.5_二人の岩吉の酒_二人の男の先祖達、【Ver.6】■No.6_イワシピの灰色の影、■No.7_岩吉に下された転勤命令、【Ver.7】■No.8_イワシピの予言、蝦夷の大地の神が怒る時、■No.9_約束の秋、【Ver.8】■No.10_夢幻、白い小花_ジャガイモの花、■No.11_永久の別れ、砕け散った心の絆、【Ver.9】■No.12_男達の「男の身売り」、転落地獄、■No.13_大地に風そよぐ白い小花No.1_本題の前に、ヒトコマ:ハスカップについてハスカップとは▼「ハスカップ」は、アイヌの人々に「不老長寿の妙薬」と伝わる。江戸時代の蝦夷の冬。幕命で蝦夷に赴任した侍達、雪に閉ざされる冬は、皆野菜不足。和人は皆、冬になると、原因不明の水痘病。パタパタ逝った。人々は、これを謎の蝦夷病として恐れた。その一方、昔から、アイヌの人々の世界、ハスカップは「不老長寿の妙薬」として言い伝えられてきた。ビタミンC、アントシアニン、カルシウム、鉄分他含有。美と健康の女神。 動脈硬化、疲れ目、貧血、肌の老化、ストレス・・・他、メタボ効能も。それらは現代の世立証されている。ポリフェノールは、活性酸素と闘う英雄!■アントシアニン:「強い抗酸化物質として注目の成分=生活習慣病の追放係」■鉄分豊富!:貧血予防・・・なるほど、ハスカップは本当に「不老長寿の妙薬」だった!!MORE:ハスカップについて、栄養&効能但し、それらはあくまで現代に実証された話。長い間、ハスカップの「不老長寿の妙薬」説は、一部の人々を除き、一般的には所詮迷信程度の意識で、放置されてきた。ここに、ちょっぴり悲しい明治の話。題して、ハスカップの涙。ハスカップの涙_二人の岩吉物語No.1_移住の士族、某岩吉という下級官吏男の名は、某岩吉と言う。二十代後半の下級官吏。官にはかわりないものの、実情は悲惨。現場職。使い捨て。ゴミのようなもんだった。場所は北海道と改名された蝦夷地の最果て。この男の家族は、戊辰の後、世が明治になり、東北から、こんなとんでもない地へやってきていた。【関連:■明治の下級官吏:蝦夷豪雪殉職実話、■蝦夷囚人使役1,■蝦夷囚人使役2■ここに、こんな蝦夷の官出仕の実態も。この仕事もできればあやかりたくないものだ。 :ハーバル暗殺事件記事内、処刑実行係に着目して読んでみて下さい。(注):表示先文章内、少々えぐい!ですが・・・。東北も雪国は同じ。されど、桁が全然違う。人跡未踏の原生林。官職といえど、下っ端は、貧困と大自然の生贄。彼らは、見えぬ所で、バタバタ死んでいった。炭鉱、鉱山、硫黄山の監視係は特に悲惨。彼らは、監視係とて、同じ環境に居る以上、囚人同様、「死の灰」を吸う。蝕まれて死亡者の多いこと。下っ端なんて本当に悲惨。このろくでもない蝦夷の官職。主には、禄を失った哀れ下級武士家系。加えて、戊辰の際、悪いタイミングで途中で恭順した藩やら、賊となった幕軍加担側の出身者家系が多いようだ。それらを思えば、岩吉のセクションはまだマシなのかもしれない。姿勢糺し、痩せ我慢。貧困は、官の端っくれの勲章。この時代、まだまだ続いている。武士は食わねど高楊枝的発想。NEXT_No.2_岩吉とイワシピの出会い不思議な赤い実の汁岩吉が目を覚ますと、おんぼろ小屋の中に居た。「ここはどこじゃ?」呟くなり、驚いた。目の前に、巨大な男が居る。TOP<■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流
2012.01.02
明治の北海道開拓,人を滅ぼしたバッタ大群異常発生事件,明治の北海道森林伐採とバッタ大量発生相関,『蝗害(こうがい)』とトノサマバッタ,明治の北海道、バッタ災害の記録,当時開拓に携わった立場の人物による実態記録(バッタ災害直撃された超本人達),明治開拓北海道の蝗害事件と、昆虫の不思議な生態No.2,人の営みを滅ぼした集団暴動バッタ愚連隊明治の北海道、バッタの異常大量発生災害&関連について森林伐採が起因の恐ろしい現象、『蝗害(こうがい)』についてMENUNo.1(前頁)■明治の北海道森林伐採とバッタ大量発生相関、■『蝗害(こうがい)』とトノサマバッタ生態No.2(現在頁):明治の北海道、バッタ災害の記録_【当時開拓に携わった立場の人物による実態記録(バッタ災害直撃された超本人達)】明治の北海道、バッタ災害の記録が解る「おすすめ本」当時開拓に携わった立場の人物による実態記録(バッタ災害直撃された超本人達)官は、大慌て。民に奨励金。バッタ山盛り捉えて奨励金。「買い取ってやるから、皆駆除に全力投球せよ!」・・それでも追いつかぬ。このままでは、北海道全域殺られてしまう!今度は囚人達が駆り出された。今日なれば、映像で見るアフリカの草原におけるバッタの大群。あれが、まさに北海道を直撃したのだった。映像では、それが原因で草食動物が餓死して、食物連鎖、肉食動物も次に・・・の運びとなるが、これが動植物の真直後、人間が即!飢えも死も人に即!直撃!実に恐ろしい事件だった。被害報告資料としてわかりやすいのは、札幌近郊や十勝など。しかし、道南、中部、道東と、全域に及んだ。因みに、この時のメモリーとしては、札幌の手稲にバッタ塚がある。■左:エドウィンダン、七飯の農業試験場発祥時、指導に入った人物。妻は会津(津軽と七飯由縁会津人)ブラキストン(下▼バナー有り)の友人であり、姉はブラキストンに嫁いだ。ブラキストンに一目ぼれされてしまって根負け結婚。(因みにブラキストンは再婚この本おすすめ。開拓使の話にエドウィンダン無しでは始まらぬ。その為、あっちにもこっちにも、その名は登場。しかしながら私生活場面まで、ゲップが出る程にごっそり詳しく書いてくれてる本って稀少。普通は功績中心、ほんの数行。■(中央:この5人中)依田勉三:十勝の晩成社で開拓。依田勉三は上記の明治の北海道、バッタの異常大量発生災害について貴重な記録を残した。右:マルセイバターサンド(銘菓)六花亭は十勝:晩成社の労苦を讃えこのお菓子のネーミングと独特の包装紙。依田勉三が開拓時代、晩成社で製造に成功販売した元祖、十勝初のバターが、「マルセイバタ」。マルセイとは晩成社の「成」の字がマルの中に。彼らの時代の自社ブランドマークの一種。実に美味しいソフトクッキー&レーズンバターは、元祖。贈り物にも人気。現代ソフトクッキーは当たり前だが、世に浸透以前に随分古く先駆け時期の発売&ブレイクの逸品。__ _前頁では、客観的に生態のことだから、戯れ文章書きましたが、開拓時代の人々に、この現実はあまりにも残酷。貧困、激寒、農を拒む不毛の土、開拓の連続労苦。その上、蝗害では踏んだり蹴ったり。開拓時代の人は、それはそれは苦労した・・・迄なら誰しも予測つく話。ところが、これは明治10年代初期のこと。実は精神的に、もっともっと傷は深い。それは、彼らの心の傷、戊辰の影は、この段階、今だ生傷。戊辰で血が流され、多くの親族を失い、地位も名誉も財も万事喪失。幕軍について負けた側なら、さらに悲惨。「賊」の烙印。絶望の極地で、最期の望みを北海道に架けてやってきた人々。血塗られた現実の屈辱。生き恥曝して野垂れ死にするなれば、いっそ蝦夷の野蛮な大自然、そやつを相手に討ち死にしようではないか。子孫の為に、家の為に。たとえ己は散っても悔いはない!北海道の想像を絶する厳しい自然環境、開拓の為に、また新たな犠牲者。それでも飢えと戦い、やっと、戊辰から10年。恵みは小さいけど、細々築いた皆の農場。それが、瞬時に蝗害で消滅。なんの為に生きてきたのだろうか・・・。絶望の限界。老齢の者が力尽きて逝った。バッタの大群襲来。瞬時に食物が消滅。草の根の果てまで消滅。世も末だ。食に飢えた若い母は乳が出ない。生まれて間もない子が逝った。老人は呟いた。「己は間違えていた。恥ずかしくも生きながらえて間違えた。戊辰の時に潔く死んでおけばよかった。」絶望だらけの人生。初に天からの恵みは、待ちに待った初孫の誕生。夢は打ち砕かれた。目の前には、小さな屍。新生児の遺体の前、涙しつつ、そのまま、老人も逝った。たかがバッタ。所詮バッタ。虫けら。それでも、その虫けらが人を殺した。虫けらは、むしろ人の命のほうだった。バッタが人を攻め滅ぼした明治の世界。No.1(前頁)BACK_■明治の北海道森林伐採とバッタ大量発生相関、■『蝗害(こうがい)』とトノサマバッタ生態TOP<■お得ペットスクープ▼下バナー、■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流ここにもエドウィンダンの話
2011.12.31
明治の北海道開拓,人を滅ぼしたバッタ大群異常発生事件,明治の北海道森林伐採とバッタ大量発生相関,『蝗害(こうがい)』とトノサマバッタ,明治の北海道、バッタ災害の記録,当時開拓に携わった立場の人物による実態記録(バッタ災害直撃された超本人達),明治開拓北海道の蝗害事件と、昆虫の不思議な生態No.1,人の営みを滅ぼした集団暴動バッタ愚連隊明治の北海道、バッタの異常大量発生災害&関連について森林伐採が起因の恐ろしい現象、『蝗害(こうがい)』についてMENUNo.1(現在頁)■明治の北海道森林伐採とバッタ大量発生相関、■『蝗害(こうがい)』とトノサマバッタNo.2:明治の北海道、バッタ災害の記録_【当時開拓に携わった立場の人物による実態記録(バッタ災害直撃された超本人達)】明治の北海道森林伐採とバッタ大量発生相関北海道開発は、驚異的スピードで推し進められた。迫り来る諸外国の脅威。まずは道東の未開発は、防備ゼロ、いわば野放しと同じ。どうぞ、いつでも攻め込んで下さい状態と同じ。大慌てで猛烈スピードの道路開削。それは、必然悪とは断じて言えない蝦夷残酷史。人権無視の過酷労働酷使、死ぬまで。古代ローマの奴隷のごとくの有様がつい最近の明治のことだ。犠牲者は囚人に始まり、やがてタコ部屋のタコ達へと、これより後の流れで移行する。残酷はまだまだ続いた。道路開削。森林伐採。想像を絶する猛烈スピードは、即ち、人命の犠牲の犠牲、折り重なる屍の上。・・・(関連:■蝦夷囚人使役1,■蝦夷囚人使役2しかしながら、頭を抱える。けしからん!人道的になんちゅうことだ!・・・なのだが、もしも、自分がその当時偉いさんの立場なれば、そう思いたくないが、実は同じだったかもしれぬと少々怖い。大昔から、人はそればかり。必要なのに為せないなら、暴力強制で、歴史は遮二無二進められた。惨忍の極み、わやくちゃなのだが、裏を返せば、わやくちゃしないと、とても追いつかなかった。(この件詳しくは上記リンク先)今回は、その過程にある強烈な森林伐採起因の恐ろしい現象、『蝗害(こうがい)』について。開拓、各地森林の消滅、丸裸が、この異常事態の誘引。もともと北海道の地、多くに泥炭地など、水はけが悪い地が少なくない。その上、その年、雨多くじめじめ状態が伴えば悪の誘引ダブル攻撃。さらに頼りの森林が枯渇すれば、バッタ達の出生と産卵に大影響。ここにとんでもない異変が生じるようだ。関連:■森林伐採=枯渇実態がなるほど事実と客観的にも解る人物の記録▼ブラキストン:表示先の「ブラキストンの製材工場」に着目して読むと解ります。『蝗害(こうがい)』とトノサマバッタ左から3つ目:これが魔の「愚連隊変身型の姿」黒装束ギャング! _ _ _明治12年(1879)年から、明治18年(1885)年、なんと北海道は、想像を絶するバッタの大群に食い殺された!空が真っ黒に染まる。集団発生のバッタは、なんと色までギャング状態。濃い褐色。その為、空は真っ黒け。大群は、瞬く間に農作物も草木も全て食い尽くしてしまう。野も畑も丸裸!絶望の大地。飢えた人が斃れ、農災害度合たるや、半端でなかった。これを「蝗害」という。「蝗害」とは、バッタの相変異による大量発生。異常事態。一般にわかりやすいのはトノサマバッタの変身!タイプ。他にも種類有り。いずれにせよ、大災害。緑色でふっくらした可愛いバッタ。それが突如、鎧鉄兜、姿形迄変身する。人の世界の戦闘態勢そっくり。全身黒装束ヘルメット被って体型はシャープで、虫だけど獰猛そうなイメージに変身。人相ならずは虫相まで、非常に悪くなるから不思議。しかも黒いサングラス。まるで漫画の「悪いバッタのオバケ」か、「○○ライダー」に似てる。習性も生まれながらにして集団暴動行動が本職。とても、可愛い緑色のバッタの倅達と思えぬ姿。集団暴動愚連隊バッタ達親の顔が見たいもんだ!とはあきれた時の喩え。愚連隊の倅の親はというと、両親は上記、平和なぽっちゃりふっくら緑バッタ。上記のとおり、この暴動集団の虫は、トノサマバッタなどだから、漢字の「蝗害」の「蝗」はイナゴと読むが、けっして小型ではない。膨大な損金のはらいせに佃煮にして、食って仇討ちできるタイプでないから、ますます困る。とはいえ、両親は、イソップ童話の「蟻とキリギリス」の挿絵のように、思わずバイオリン持たせて描いてやろうかな!と思うほど可愛いお姿。対して、その倅は、生まれながらにして愚連隊。これは、倅のせいでなく、どうやら親の暮らした環境異変、密度といわれる。森林が枯渇で、大地の水が吸収されない。まずは集団で飛来するが、さらに大量発生。密度緻密。団地状態。ベビーラッシュ。こんなこと言ったら怒られる?!けど、この子達は、団塊の世代じゃないけど、大量に生まれ、普通の暮らしでは皆共倒れ。しかたないのだ。闘って生きる為の天の仕業か!!どーゆーわけか、何処の家の子も揃って鎧鉄兜姿。集団行動戦士。明治の北海道、バッタ災害の記録が解る「おすすめ本」当時開拓に携わった立場の人物による実態記録(バッタ災害直撃された超本人達の悲惨)TOP<■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流可愛い犬猫の服、用品&介護の他、毛色異なる色んな記事_
2011.12.31
蝦夷の冬、豪雪と下級官吏殉職,明治の北海道開拓時代No.2,容疑者と共に凍死、哀れ下級官吏,郵便局長の殉職死と、忠犬ポチ,豪雪に命を奪われたアイヌ青年郵便配達員の悲劇, _蝦夷の冬、豪雪と下級廷吏殉職,明治の北海道開拓時代_No.2初めから読む:No.1(容疑者と共に凍死、哀れ下級官吏昭和の事件まで、まさか前頁の明治体質によるものではないのだが・・・。徐々に世は文明を得て発展。日本の名を世界に轟かせる。しかし、下記、昭和の事件の段階では、人は雪に完全に君臨されていた状態といえる。■涙の郵便局長の殉職死と、忠犬ポチ。・・・(詳細は、真下バナーからどうぞ。)白い魔性と、殉職青年哀歌もうひとつ、白い魔性の話。■外套に包まれて、守られた手紙の文字列上記郵便局長さんが亡くなるよりも前、一人の青年が、豪雪に命を奪われていた。青年の名は、当時の国の方針で皆和名を名乗るべく沙汰で改名。おそらく彼の親世代改名ではなかろうか。その為、名前だけだと、ふと見落としてしまうが、アイヌ民族の人。とても勇敢で仕事熱心で、不屈の精神。この時代の郵便局お抱えの職員。メイルマン。雨も嵐も風も、雪の日も、毎日、毎日、コツコツ頑張って郵便を運んだ。都心部ならいいけど、北海道の山間部。冬はとんでもない。深雪の中、たったひとつかふたつの手紙を届けるために、延々何時間もかけて歩き歩いてお仕事。何度も遭難しかけた。毎日が命の引き換え条件。それでもド根性。届けた時、今と異なるから、その家の人は皆、心から感謝してくれる。その笑顔が見れるから、己を叱咤して頑張っていた。しかし、或る日、ついに、白い魔性が牙を剥いた。青年は、凍死していた!激寒の中、己の最期を覚悟したのか、なんと、外套を脱ぎ捨て、その外套で郵便物の袋を大切にくるんで死んでいた。青年の命と引き換えに、手紙の文字は溶け出した雪に流れ消し去られることなく、鮮明に読み取れたという。青年の志の素晴らしさ・・・なのだが、ここに別の意味で悲しい。彼は片足が不自由。杖がなければ歩けない。山間部豪雪地帯の郵便配達とは・・・考えさせられる。深雪は健常者でも、体力消耗が著しい。生命的に非常に危ない(下枠※)。それがこの状態なれば、毎日が、パラリンピックならずや、文字通り死闘。いわば、片足だけの脚力で、深雪を漕ぎ進んでいたのだ!驚異的精神力だ。限界への挑戦&克服が連日。とはいえ、なんと可愛そうに!その体で、そんなハードなお仕事とは!・・・この時代、労働基準はどうなっていたんだ!と、怒る前に、反対に、ふと思う。彼はきっと、最期に殉職を観念したのだろう。その時、不満はなかったのではなかろうか。誇り高き国の仕事だ。己は官の男だ!不自由が原因で採用してもらえない無念と悔しさと、もうひとつ。それは想像を絶する極度の貧困。「たとえ何があろうと、私はお仕事を疎かに致しません!必ず頑張って見せます!」・・・採用してもらえたこと、きっと誇りだったのだろう。(位置付は不明。現代用語で臨職かも)青年は己の無念最期や、家族のことより、手紙の文字を守って死んだ。溶けて流れたら、差出人の名すら解らない。届け先は、辺鄙なところだからおのずと解るが、中身が読めなくては、さぞ困るだろう。青年は命を捧げた。外套に包まれ守られた手紙の文字列。採用決断のキーマンの名は知らない。しかしながら、こうなると、事件の後、針の筵は少なからず。場所が場所だから、溢れる程の応募者から選んだわけじゃないのは確かだが、悩み悩みつつ採用の決断を下した人が居たことになる。採用者はきっと青年の味方、心の応援者、・・・きっと。第三者による責めよりも、自責にさぞ苦しんだことだろう。たとえ肉体的には酷なれど、真意では、幸せの応援のはずが、悲しい結末。青年は、幾つもの複雑な要素を涙ぐましくも立証して果てた。この時代、皆の貧しさを思えば、職を得られぬ地獄。青年は、自力でそれを克服して、戦い続けた英雄だった。深雪にマジぬかった時の苦い記憶と、彼の姿が心でリンクする。新雪なら、まるで底無し沼か、蟻地獄。実に焦る。手も足も立たぬどころか、足掻くほど、埋もれるばかり。胴までなら比較的理性が伴うが、口が塞がる刹那、まさか最期か!やめてくれ!本気で焦る。表面積の小さい手足では必ず埋もれ続けるから、体重を表面積の広い胴全体に移行して、いちかばちか、ひっくり返って支える。空の光が見えたら、まだ大丈夫の証。地の底じゃない。大丈夫さ。論より証拠、呼吸してるじゃないか。鼻は塞がってないぞ。落ち着けよ、自分よ。足場の堅めの位置さえ拾えたら、そこで抜き足、刺し足、なんとか脱却できる。食いたくもないのに、なりゆき相当量の雪を食ってしまっている!!慌てる状態を、泡食ってともいう。由縁は多説ながら、恐らく溺れかけ状態に発するんじゃないかな?と感じる。確かに、泡の替わりに雪食った!やっと抜け出した後、自分の抜け殻を見た時、なんともいえぬ気分だった。征服感でもなんでもない!雪は油断ならぬ天敵だ!しかし、上記青年を思うと、胸が痛くなる。ぬかっても健常者だから、できる。抜け出せる。青年の場合、それができない。我武者羅に胴ごと、前へ前へ押し進め、手紙を運んでいたのだろう。道徳のお勉強的教訓よりも、当時の生活事情、貧困ともうひとつ(複雑重厚につき割愛!)、ここに思わず泣けた。新雪蟻地獄:■頑張って足掻いているとその段階で体温は下がってない。気丈な者程足掻く。船が転覆して漂流した状態に少し近い。一般に泳いで陸まで行こうとせず浮いとけ!と言われる。体力エネルギーの限界が突如やってくることに泳力に自信がある者ほど疎いからだそうだ。自覚症状の限界以前に、エネルギーがぷつりと途切れる。■新雪蟻地獄の時、これは誰か偉人の宣言でなくて、私的に感じただけですが、水に似てる。しかも泳ぐには重い水。下がらんでいいのに、恐ろしく下がる。それなのに、上がらない。水に足は立たない。立とうとするから地の底に近づく。肘すら埋もれる。背泳ぎのできそこないポーズから離脱へ繋がった。雪は悪魔です。文学表現じゃなくて事実魔性!・・・【オマケ激寒服:表示先Sec.4:◆南極観測対応実績服,◆米軍アラスカ基地使用本物ミリタリー】No.1<No.2(現在頁)TOP<■お得ペットスクープ▼下バナー、■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流
2011.12.28
蝦夷の冬、豪雪と下級官吏殉職,明治の北海道開拓時代No.1,容疑者と共に凍死、哀れ下級官吏,郵便局長の殉職死と、忠犬ポチ,豪雪に命を奪われたアイヌ青年郵便配達員の悲劇,蝦夷の冬、豪雪と下級廷吏殉職,明治の北海道開拓時代_No.1彼らは、戊辰の後、世が明治になり、東北から、こんなとんでもない地へやってきていた。ここは地の果て、地獄。その名は蝦夷地。この地は、名前だけは北海道と改められたが、蝦夷の名のほうが、地を語るに解りやすい。残酷なほどに厳しい自然環境。豪雪、激寒、とても人間の住むところでない。おまけに猛獣、羆まで居る。熊といえばツキノワグマなら、その怖さを知っている者なれば知っていた。ところが、同じく熊と思いき、大きさも獰猛さも桁違い。 一家全員、家の中で食い殺された例もある。蝦夷の文字は、「蝦」と「夷」。どっちも「えびか、えびす」。「蝦」は「えみし」とも。いずれにせよ、ろくでない。野蛮と原始的。恵比寿さんならいいけど、ろくでもないとこ、「蝦」と「夷」。羆も脅威だが、雪の恐怖は、それどころでない。雪は悪魔。白くて美しくて静か。羆のように襲い掛かってこない。 麗しの舞姫。ただ黙って黙々と。それは、それは美しい。しかし、それが、白い魔性の罠。深々と降って降って、降りつくして、黙って人の命を奪い去る。東北も雪国は同じ。「不毛の地という点なれば、五十歩百歩じゃ。ここで食い詰めて無様に野たれ死ぬよりゃ、いざ、立ち行かむ。武士の魂。こうなりゃ、もはや蝦夷の大地相手に、討ち死に覚悟じゃ!」意を決して勇ましくやってきたものの、いざ到着。全然桁が違った。歴史になんぞ、なんら残らぬ、名も無き男扱いで、下級官吏の殉職は連発。人跡未踏の原生林。殉職といえば、聞こえよいが、わやくちゃな酷使、根拠なきにも等しい馬鹿な我慢!辛抱!根性!志!を押し付けられて、ある意味では囚人達と、なかば変わらない。下っ端達は、見えぬところで、バタバタ死んでいった。それが、明治の幕開け、第二の蝦夷残酷史。時代の定規を少し長めに伸ばして、アバウト言うなれば、明治から、なんとあきれたことに、この現象は大正に留まらず、昭和迄続いた。福澤諭吉が、まずは矛先を榎本武揚に向けて著したものの、言わんとするは、痩せ我慢の虚しさの指摘。つまり、早期に警笛は鳴り響いていたというのに、どうやら、悲しからずや、日本人は、痩せ我慢が好きらしい。勝手に自分が痩せ我慢ならいいけれど、それを人に強いて、あたかも美徳のごとく押し付ける。教育とは怖い。素直に、みんな洗脳されてるから、哀れな殉職が、あっちもこっちも。■容疑者と共に凍死、哀れ下級官吏蝦夷の深雪。猛吹雪。今日もどこかで、誰かが殉死。「根性が足らぬ!やってできぬことはない!」蝦夷の大自然を知らぬ上層部の方針の生贄。白い魔性の餌食。豪雪の中、下級官吏が凍死した!ちなみに、ここでいう豪雪の殉職者とは、たった一人で、一人の容疑者護送の最中。手錠でホシを繋いでるから、相手が斃れれば、己も同じ宿命。死んでも、業務疎かにして、おめおめ帰れない。彼は、外套のボタンを開いて、先に意識を失ったと想定される容疑者の上に覆いかぶさって、守るようにして暖めながら、息耐たのだろう。容疑者の上に、うつ伏せの姿勢で死んでいた。この容疑者とは、はたして、どの程度の犯罪なのか、容疑者よばわりで実は無罪なのかすら何も解らない。しかし、たった一人で護送といえば、おそらくたいしたタマではないはず。案外冤罪かもしれない。現代の常識では考えられない!吹雪の山道を徒歩で延々護送。司令を下した上層部の判断基準を疑う。されど、死者に口無し。史実は何も語らない。しかし、この断末魔、彼らは敵同士でありながら、心にはきっと美しいものが芽生えたのだろう。開花することなく、真っ白な死神に食い殺された。うつぶせの屍が、あたかも声を発しているかに見えたという。「死ぬな!しっかりせよ!なんとか生き延びよう!到着の暁、わしは、お前を最大限、弁護してやるから、がんばれ、嘘じゃない!本当だ!信じろ!死んじゃいけない!死ぬな!!!!・・・」そして、ついに彼自身生き絶えた。白い魔性が嘲笑う。蝦夷残酷史を語れば尽きない。それは殺戮や争いを除外した部門に限っていえば、万事わやくちゃ急ピッチの開発。襲い来る諸外国の脅威に備え、猛烈スピードの開発は、折り重なる屍の上に成り立ったも同然。囚人達や、タコ部屋の哀れは言うまでもない。その惨忍さには目を覆う。・・・【関連:■蝦夷囚人使役1,■蝦夷囚人使役2】ところが、よく見ると、下っ端役人も同じ宿命。監視する者も、同じ環境。衣服や食べ物はマシでも、同じ環境。炭鉱、鉱山、硫黄山。監視係は「死の灰」を吸う。蝕まれて死亡者の多いこと。一般的には、彼らは血も涙もない悪い役人として認識されやすい。なぜならば、人の命を人とも思わず、残酷の極みで酷使して、暴力も、逆らう者の殺戮も彼らの仕事だから。ところが、やはり、人のいい者は、時々、逆キレの餌食。殺されてる例がある。お人良しなら殺される。心を鬼に。心を悪魔に!自己洗脳せぬ限り己が死ぬ。下っ端なんて本当に悲惨。このろくでもない蝦夷の官職。主には、禄を失った哀れ下級武士家系。加えて、戊辰の際、悪いタイミングで途中で恭順した藩やら、賊となった幕軍加担側の出身者家系が多いようだ。No.1(現在頁)<No.2白い魔性の餌食は昭和迄TOP<■お得ペットスクープ▼下バナー、■わくわくドキドキ!<■ペットが主流、■飼い主さん主流
2011.12.28
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.8,幕末明治の『恋の話』,幕末明治の小エピソード,戊辰戦争,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.8幕末明治のどーでもいいようで・・・なかなかいいかもしれない『恋の話』 (■初めから読む、■前頁No.7から読む)1843年2月12日(天保14/1/14)~ 1890年(明治23)1月23日)同志社英学校(後の同志社大学)の創立者。密航留学企て、1864年6月14日(元治元年7月17日)、箱館へ。そして米国へ。・・・この続き:彼についてはNo.1、彼の死因、病状についてはNo.7他死の間際、彼は妻に語った。「私の貴女よ、グッドバイ!」明治8年(1875年)10月に新島襄は、山本八重子と婚約。 翌明治9年(1876年)1月3日に結婚。襄がアメリカの友人へ送った手紙と、彼の宗教観念から、当シリーズはオムニバスしてみました。かなり気丈なお方に見える女性、山本八重子を愛した彼と、みんなにはなかなか見えなかった本来の「女らしい山本八重子=新島八重」の姿。ここにも、ちょっとだけ、新島襄の手紙。「彼女は見た目は決して美しくはありません。 ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」ここから生じて、下枠おすすめの本一覧の中、ハンサムな生き方というタイトルで、山本八重子の事語った本もあります。確かに、ハンサムな生き方、素敵かもしれません。新島襄は病魔に蝕まれて、46歳の早死にですが、きっと幸せだったことでしょう。本当に愛し合った仲の良い夫婦だったようです。尚、新島襄は、イイ年して甘党。或る日、八重子さんがお菓子を作り戸棚に入れ、イヤな予感がする為、戸棚に鍵までかけて外出。すると、どうでしょう!鍵は破壊され、お菓子は、全部、襄の餌食!一つ残らず消滅八重子さん、大激怒!尚、こんなところにまで、新島襄は出てきます。・・明治期の新島襄と、なぜか絡んだ江戸初期の殉教の歴史(表示先画面項目のK_3)【新島襄の箱館脱出時のしゃあない話】前述、No.7のとおり、彼は、箱館のロシアのニコライ神父にお世話になってます。これは、国内で聖書に興味を持って、平等と自由と愛の思想に感動していたから、キリスト教に抵抗がなかった為。(それだけじゃなくて、案外先祖に信仰者居たかもしれないですが不明)しかし、彼の脱出を応援してくれた人は他にも居ました。福士成豊(宇之吉)もその一人。福士はなかなか現実的な冴えたアイディアを提供しています。当時、密航をしくじれば、本当に大変。刑死は免れない。吉田松陰がいい例。その為、失敗は許されません。なんと、小船でアメリカ船に乗りつける際、新島襄は「怪しげな出前娼婦軍団」の一人に化けてます。当時、停泊仲の外国船から、たえず船員が降りてくると役人達は警備に忙しすぎて、倒れてしまいます。そこで、「出前軍団」の小船は、むしろ見て見ぬふり。降りて来られて仕事が増えるより、このほうが、有り難かったようです。そこで、この大変装アイディアを提供して、実際送り込みを手伝ったのが、福士と言われています。後日、アメリカの人に頼まれて、新島襄は、脱走時の服装を再現して写真を写していますが、ちょっとだけ、こうなるとウソ!の要素も!!写真はなんちゅうか、白い奇妙な帽子被って、短めの着物の下はズボンと革靴。なんだかネズミ小僧のできそこないのような、風変わりの兵のような・・・一応鉄砲持っての姿。 しかし、本当は、その服の上に、なにやら花柳界かなんかの女物の着物を頭からひっかぶせていたことと想定されます。(彼女達はプロですが、「ラシャメン」になってしまう為、できれば顔は見せなくない。その為、頭からすっぽり外着用の着物を被って乗り込んだ・・・ともいわれています。)(尚、この妙な白い帽子が役人の目を誤魔化す為の手拭いによる姉さんかぶり・・・とも見えるが!) _ __(幕末玄関No.1~No.3あります)<No.1<・・<No.7<No.8(現在頁:関連のおすすめ本)
2011.08.30
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.7,幕末明治のどーでもいいようで、なかなかいいかもしれない『恋の話』,幕末明治の小エピソード,戊辰戦争,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.7再び明治の「新島八重」、或る冬晴れの日(■初めから読む、■この前の部分から読む)明治の世、学生達とは勝手なものだ。あいかわらず、新島八重は、「鵺(ぬえ)」 呼ばわり。(鵺とは?:この頁でだいたい解ります。)ピーチクパーチク幼いタイプも、ひとくせある小癪な学生もみんな、あまり彼女を良くは言わない。集まってひそひそ話といえば、だいたいろくでもない。いつものことだけど。「なあ、あのおばはん、自分で自分のこと、なんて呼んでいるか知ってるか?」「さあな?」「教えてやろうか?あやつはのう、なんと、妾(わらわ)ってぬかしやがるぞ!」「なんじゃそりゃ!わらわだと?時代錯誤もいい加減にしてくれや!」今度は得意顔で、別の学生が言う。いわば特種ご提供のつもり。胸を張って言う。「そのわらわどんじゃがのう、亭主をなんと呼んでるか知ってるか?」これには、皆が集まった。誰の感も正解に至らなかった。答えはこうだった。「ジョー!だぜ!呼び捨てだぜ!犬っころみたいに呼び捨て!」「信じられんな。そこまで酷いとは知らなかった!」しまいに良い子タイプまで、それにはムッとしたらしく、彼らに協調して悪口組に加わっていた。当時、夫を呼び捨てにする女性は、まず居なかった。されど、それは、新島襄が元気だった頃の話。新島襄の体は次第に病魔に蝕まれてゆく。彼は勇敢に江戸時代の箱館からアメリカに密航したり、やる気は旺盛ですが、どうやら、もともと丈夫ではなさそうです。自分では、「病魔の囚人」と語っています。破裂寸前の酷い頭痛に悩まされ、読書できないどころか、人と話すことすら苦痛な状態がよくありました。やれねばならぬ仕事は山盛。ところが、体の為に年の半分近く静養の為休するを余儀なくされた状態です。近場なれば、神戸近郊の温泉、精神的にも仕事を離れる覚悟で、もう少し気の効いた旅行といえば伊香保、足を伸ばして北海道、はてまた海外と、あらゆる場所へ静養の為に足を運んでいます。リュウマチの気もあり、冬の京都の底冷えは体に毒でした。 これは中年になって生じた現象ではないようです。密航前の箱館では目を患い、ロシアによる病院施設で診てもらっています。「密航はやめておけ。君は優れている。私の助手になりなさい。」ロシアのニコライ神父は引き止めています。1890年(明治23)、新島襄はついに倒れた。群馬県の前橋だった。まずは、静養となった。保養先は、神奈川県大磯の旅館・百足屋。ダウンは実はこれが始めてではない。八重は冷静に対処していた。しかし、これがまさか・・・。かけつけた徳富蘇峰、小崎弘道ら。新島襄は遺言を託した。死因は、急性腹膜炎症。享年46歳。冬の1月23日。誕生日はもう少しだった。弟子には、大切な遺言を。そして、妻には一言。「私の貴女よ、グッドバイ。」「鵺(ぬえ)」発言をなした徳富蘇峰は、八重に対して、己の無礼を深々詫びた。八重は言った。私は夫から習いました。「心から信じあう者、愛し合う者なれば、敬称は不要だ。そのまま名を呼びなさいと・・・。」「・・・!」「だから、私は、夫をジョーと呼び捨てにしてきました。」徳富蘇峰は、突っ伏して泣き崩れた。或る冬晴れの日新島襄は、二人に最高の贈り物を与えて、天に飛び去った。それは、「和解の瞬間」。天に昇ることによって、互いに互いを許し合える時を授けた。1月27日、同志社前のチャペルで、葬儀が行われた。黒い洋服、西洋風の喪服に身を包んだ八重子が居た。いつものとおり、背筋を伸ばして、シャキッとしっかと立っている。冬とは思えぬ程、眩い日差しが差し込んでくる。まるで艶やかな美しい光景。人々が夫に捧げてくれた花の香り。八重子は天を仰いで、思わず呟いた。「貴方は私に教えてくれたわね。愛し合うからこそ、敬称はいけないのよね・・・。私は従順な妻だったでしょう。だから、私にとって、貴方は永久に『ジョー』なのよ。愛しています。私のジョー。・・・大丈夫、大丈夫よ。私は強く生きてゆきます。愛しているから、生きてみせます、必ず!」「グッドバイ!ジョー。私の貴方。・・・貴方が言うから、私もおかえしよ!グッドバイ!ジョー。・・・私は貴方を愛していました。」(幕末玄関)<No.1<・・<No.5<No.6<No.7(現在頁)<No.8(関連のおすすめ本)新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_完
2011.08.30
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.6,幕末明治のどーでもいいようで、なかなかいいかもしれない『恋の話』,幕末明治の小エピソード,戊辰戦争,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.6会津戦争時、男装の山本八重子、悲しからずや、女らしさ見え隠れ明日の夜は何国(いずこ)の誰か眺むらんなれしお城に残す月影上記詩は、会津降伏後の明治元年9月23日の深夜、山本八重子が、三の丸の雑物庫の城壁に、涙ぬぐいながら、落城の無念を刻み付けたものです。壁に彫りつけた刃物とは・・・なんと、「かんざし」だった。黒髪ごときに未練は無い!今は闘うのみぞ!潔く髪を断ち切り男装の八重子。されど、大切な簪は懐に入れていたのがこれで解る。・・・やはり、乙女心なのだ。乙女と黒髪、山本八重子現在シリーズはできるだけ、根暗にならないように書いています。会津の悲壮については、幕末WITH_OVE玄関などからどうぞ。会津に関しては、絡むSERIES複数有ります。(幕末玄関2が、会津絡み多いかもしれません。会津戦争:一家自刃、会津戦争に係る項目は、人物名から検索頁No.1の左下側「会津枠」)(■初めから読む、■この前の部分から読む)上記のとおり、八重子は、男勝りながら、懐には、黙してかんざしを忍ばせていたのが解ります。髪に関しては、もうひとつお話が残されています。「なんのこれしき!たかが黒髪ごとき!こんなものがあれば邪魔なのじゃ!・・・今は闘うのみじゃ!!」なんとも勇ましい八重子。真っ先に懐刀を抜いて、黒髪を自分でバシャバシャと切り始めた。ところが、若く健康な乙女の黒髪とは、どうやら、なかなか刃物で切り難いのだそうだ。これは、他の場面でもどっかで読み知った。案の定、八重子は四苦八苦。上記だけ読むと、砲術の腕は男勝りながら、剣術はたいしたことないかと勘違いしてしまいますが、どうしてどうして、真夜中に、敵が眠り込んでいる頃を狙って、抜刀隊のゲリラ作戦も会津では実行されていますが、八重子はその一人にも入っています。腕が悪いからではなさそうです。しかし、この場合は、やはりそれだけじゃないでしょう。気配に気付いたのは、高木小十郎の長女時尾。この人物は、後に新撰組で有名な斉藤一の妻になる人。それは、さておき、この高木時尾さんは、男勝りの八重子のプライドを傷つけることなく、されど、根底に潜む女心を解して、黙って進み出ると、断髪係を務めてあげました。「短く、もっと短く!早く!未練など無いわ!」八重子の要望に答え、涙堪えて切ってあげたのでした。泣けば、八重子が苦しい。だから、時尾も必死で涙堪えた。それが武士の娘の掟。戦場の釜の中!ほんの一瞬の微笑み明治元年9月14日から、西軍の大砲撃は過激を増して、皆はあたかも釜の中にいるようなものだと、著されている。八重子も闘うばかりではない。やはり女らしい心使いも見せている。負傷者達の体力消耗が懸念される。そこで砲隊は暫し部下に任せ、八重子は握り飯支給掛をかって出た。銃弾が飛び交う危険なポジションながら、勇敢にこの役目に参加してくれた他の乙女も居た。大急ぎで握り飯をせっせと丸めて、皿に山盛。さあ急げと立ち上がった途端、砲弾が直撃した。一瞬気を失いかけた。しかし、立ち上がって、真っ先に、先刻の女友達(有賀千代子)を探した。いやな予感。またか!やめてくれ!・・・釜の中。もうもうたる煙と熱気。生きながらにして燻り焼き。目を凝らして、動く影がないかどうか、祈る思いで必死で探した。煙の中、向こう側に、真っ黒けな木偶人形が突っ立っている。・・・だが動かない。さらに目を凝らしてみた。キラリ、白っぽく何やら光る。光ったのは木偶人形の目。互いに互いを確認した途端、木偶人形が動いた。お互いさんだった。真っ黒け。されど、居た!!生きていたんだ!!不幸中の幸い。二人とも無事だった。直近距離で初めて大笑い。真っ黒け。真っ黒けの怪物みたいな木偶人形。生きてた!よかった!生きていてくれたんだね!目だけ妙に真っ白に光って見える化け物。★互いに指差して笑った。次の瞬間、力が抜けた。せっかく作ったおにぎり。形のわかるものだけ、とにかく拾い集めてみたけれど、真っ黒け。いくら戦場とて、これではとても食べれない。泥団子、焦げ団子、ひとつ残らず真っ黒けの灰団子。しみじみ涙が出た。二人共生き残ったけれど、傷病兵に与える米粒はもう、どこにも無い。篭城は、既に限界だった。再び明治の「新島八重」、或る冬晴れの日No.1<・・<No.5<No.6(現在頁)<No.7
2011.08.30
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.5,幕末明治のどーでもいいようで、なかなかいいかもしれない『恋の話』,幕末明治の小エピソード,戊辰戦争,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.5幕末明治のどーでもいいようで・・・なかなかいいかもしれない『恋の話』山本覚馬の一人思案(■初めから読む、■この前の部分から読む)・・・カンカン!ご立腹か?・・・の新島襄山本覚馬は歳月をしみじみと痛感した。なんとしたものだろうか?涙もろくなった情けない己。されど、妹のことを思うと、兄としては不憫でならなかった。出戻り、バツイチ。その上、男気性。気にはなるが、下手に誰かに押し付けても、逆に不幸に陥れるようなもの。自分があの子を不幸にした・・・内心、いつも思っては苦しんでいたところだった。とはいえ、実のところ、いわば、もう諦めていた。問題の妹、即ち、山本八重子とは、年齢の頃としては、まだまだ女盛りながら、色気のイ!にも縁が無い。それは、悲しきかな、兄が他の誰よりも解る。「お前は学で、身を立てよ!兄は先に生まれた以上、お前より先に死ぬ。」そう言えば、涙ぐむのが通常パターン。ところが、この勝気な妹は即座に言葉を返してくる!それが常日頃。おっそろしい妹でもあった。「兄上のお言葉ながら、そればかりは言われずとして存じ上げております!私は、それ以外考えてはおりませぬ。雑念を払って、日本国の為に、教育の為に生きるつもりです。なんでしたら、今すぐ、この家を出ましょうか?一人でやってゆけます。おなごとしての幸せなど、少しも興味などありませぬ!!!」二人の男、眠れぬ夜眠れぬ山本覚馬その晩、山本覚馬は、眠れず・・・いつまでも考えた。この際、恥は掻き捨て!願い出て、引き受けてもらおうか?口では強がりばっかりの妹。されど、見えないだけで、人並みに女らしいのだ。無論兄の欲目とは知りつつ、過去の彼女の姿が蘇る。今は、会津戦争の最大の悲劇、白虎隊に属して死んだ少年をふと思った。彼ら年少の者は、あの頃、砲術に憧れど、一般藩士に混じって一流砲術塾の門は叩けない。妹は、知識の上で、兄に迫る程ながら、所詮女。そこで、いつも少年達が、やってきていた。八重子は、少年達に渇を入れつつ、障子を開いた座敷に座って縫い物をやっていた。「こりゃ!腰が引けてるぞえ!なんじゃ、目瞑るなって、あれほど申したではないか!」男言葉ながら、仕草には、やはり女らしさが見え隠れ。妹は、バランスが悪いだけなのだ。嫁に送り出すにあたって、別に恥ずかしい女じゃない。裁縫も生け花も・・・そういえば、ちゃんとできる女。山本覚馬は、日中の新島襄の荒い息遣いを思い出した。屁理屈で、「兄として、妹を叱るべきだ!恐縮ながら、これだけは言わせて頂きたい!」などと言い、「危険な真似をやめさせたいだけだ。」とはいいつつ・・あの怒りはなにものだろうか?目が見えないとは不自由とは限らない。忙殺される男なれば、普通気がつかず見過ごしてしまうような瞬間のできごと、その中から、事の真意が細々見えてくるから不思議だ。・・・否!これは、なにも恥ではあるまい。彼に打診してみてもよかろう。ついに、決心が固まった。その一方で、これまた眠れぬ新島襄新島襄も眠れなかった。思い出すたび、一人で今誰も見てないにもかかわらず、青くなったり赤くなったり、交互にその現象がやってくる。ドキドキしてくるから、尚不思議だ。コッテコッテの美人は飽きる程見てきた。どこぞの血統賞付の令嬢様にもご縁はないわけではなかった。ちっともその気になれなかったのは、多忙を口実に、実は自分の意思。ドキドキ~~してくる。ふと、思い出した。それは、槇村正直の言葉。「おるには、おるぞ。ありゃ、確かに、3年東向きっぱなしにゃ、なるまいぞ。だがのう・・・まいった。まずい・・・。」 ★もしや!!えっ!まさに、これは運命か!運命の悪戯!ついにウェディングマーチの時なかなか傑作だが、どうやら、愛のキューピットとは、明治から日本にいらっしゃったようだ。二人は結ばれた!!明治8年(1875)10月、山本八重子は、新島襄と婚約。翌明治9年(1876)1月3日、二人は、日本では極めて初期、一般的に知られるものとしては、恐らく初の公開式の「キリスト教式結婚式」をあげた。真っ白なウェディングドレスに身を包んだ山本八重子は、新島八重と名を改めた。白いドレスにブーケを持って、バージンロードに敷き詰められた赤い薔薇。・・・そっから先は、あんまり想像しないことにしておこうっと!【さて、ここで、八重さんには、内緒の余計な解説】新島襄は、アメリカの友達に心境を伝える手紙を書いている。日本で紹介されるその文章とは、おそらく、八重さんが見ると激怒系!ながら・・・。「彼女はというと、見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」わっはっはっ!ちょっと笑ってしまいそうですが、これは、できれば違う解釈をしてあげたい。別嬪か否かの文節のすぐ近くに、私は「それで充分!」があるから、なんだか、知足安分の境地みたいに見えて可笑しいけれど、多分そうじゃなかったはず。「生き様が素敵で魅せられた。だから、私は、この上なく満たされた!天にこれ以上の贅沢を、望むものはありません!」・・・ひねって、そう解釈してみたいところであります!山本八重子さん時代にも、女らしさ見え隠れ(幕末玄関)<No.1<・・<No.4<No.5(現在頁)<No.6
2011.08.30
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.4,幕末明治のどーでもいいようで、なかなかいいかもしれない『恋の話』,幕末明治の小エピソード,戊辰戦争,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.4幕末明治のどーでもいいようで・・・なかなかいいかもしれない『恋の話』或る日の山本覚馬、嬉や、悲しや、涙、涙の大爆笑!_の続き(■初めから読む、■この前の部分から読む)・・・カンカン!ご立腹か?・・・の新島襄山本覚馬&新島襄いつも穏やかな男、それが新島襄。ところが今日の剣幕はなんなのだろうか?何事にも動じない男、山本覚馬さえ、少々焦った。「新島殿、いかがなされた?」案の定、新島襄は、噛み付いた!「山本殿、なんとかして下され!あれはなりませぬ!危ないではござらぬか!早く!」覚馬はまずは新島をなだめて、事情を、やっとこすっとこ把握できた。状況を解するなり、覚馬は大口開けて、大笑い。腹を抱えてひっくり返った。「すまぬ、すまぬ、新島殿・・・。」・・・あんまり笑い転げて、暫く、まともに喋れない。ちょいと待ってくれとばかり、手で制するものの、なかなか言葉がやってこない。しまいに笑いすぎて、涙目になっている!イライラする新島。やっと言葉らしい言葉が帰ってくるまで暫しかかった。「新島殿、すまぬ。但し、ご安心下され。ありゃ、怪しい者ではござらぬ。ああ見えても、おなごでござる。ワッハッハッ!」「当たり前でしょ!見りゃ、解ります。だから申しておるのに・・・!」新島は、ますます苛立つばかり。「あっ?さようか。それは嬉しい。おなごと解る恰好をちゃんとしていてくれたかのう、有り難いこっちゃ!!ワッハッハッ!」いつまでもかみ合わない会話に、新島は堪忍袋がキレた。「今日はもう、失礼致します!」・・本当に立ち去ろうとする新島。あわてて山本が引きとめた。事態は、これだけのことだった!新島はいつものごとく、山本覚馬家を訪問した。ところが、見慣れぬ女性を初めて目撃。ところが、その女性は、井戸の上に板っ切れをのっけて、それを蓋にして、なんと、そこに腰掛けていた。平然として、縫い物をやっていた。それでいて、ちょっとつまらなさそうな顔して・・・。「もしも、井戸に転落したらどうするのだ!危ない真似は、今すぐやめなさい!」・・・と叱り倒したいところ、山本家の敷地内である以上、親族にきまっていることから、新島は必死で衝動をこらえ、そのまま、覚馬に直訴嘆願!とばかり、息を切らして突入した経緯。「山本さん、あの娘はどなたか存じませんが、危ないので、今すぐ注意して叱ってあげて下さい!」この一言が言いたかったのだ。ところが、覚馬が笑い転げて、たったこれだけの言葉をいつまで待っても言わせてもらえぬ状態。盲人、山本覚馬に蘇った「リアルな妹の現姿」山本覚馬が言うには、こうだった。井戸の上に板っ切れをのっけて、それを蓋にして、そこに腰掛けるのは、確かに危ない。だが、それは普通の娘の話。それごときは、あやつにとっては危険の「キ」にも満たないと言う。なんだったら、試しに、井戸に突き落としてみよ!とさえ言って、笑う。「あやつに限って、大人しく、井戸に落っこちてくれるようなおなごだったら、こっちは少しも苦労はしない・・・!」山本が喋れば、喋るほど、新島は小馬鹿にされたような気分だった。無礼をわきまえて、どうにか話を聞くものの、やはり新島は面白くない。おいとま告げようとした時、山本の目元に一滴の涙を見た。視界を失った山本覚馬にとって、新島から聞いた報告は、久々に何より嬉しい妹の姿。少女時代から勝気でお転婆にはかわりないが、あいかわらずの姿がリアルに浮かびあがり、嬉し泣きしてしまったのだった。いつも声だけは聞く。男のように、「当世は赫々然然。されば、兄上、宜しくご検討下され。」用件のみ伝えるなり、たちまち襖をバシッ!としめて、大股で廊下を去り行く妹の足音。だが、新島の話を聞くまで、こんなにリアルに妹の現姿が脳裏に浮かび上がったことはない。新島には恐縮ながら、嬉しくてしかたなかったのが本音だった。世間ではあんな女と言われつつ、兄には、極めて従順な妹。うむを言わせず、自分の師弟、川崎尚之助にくっつけたところ、大人しく人並みに嫁に行った妹。それが、あの悪夢、会津戦争に巻き込まれた・・・。項垂れて帰路、新島襄新島襄は、この時、初めて、会津戦争時に於ける「山本八重子」の姿を、その実兄である山本覚馬から、聞いた。・・・思わず項垂れた。女といえど、黒髪を自ら断ち切って、男装して、砲術師範として、男達を率いて、砲煙たなびく戦場の中、膨大な敵、薩長相手に最後まで闘ったという。ますます、落ち込んだ。その頃、自分は、海の向こう。学に専念するはいいが、八重子の爪の垢にも及ばぬ自分。斬首覚悟で、男の群れに居たというのが、先刻まさに見た危なげな乙女。井戸の上に座ることなど、確かに彼女にしてみれば、危ないどころか屁!にも満たない!うなだれて、小さく丸まって、新島襄は、その日、帰って行った完全に本題、当日訪問した用件は、意識の中ふっとんでいた!山本覚馬の一人思案No.1<No.2<No.3<No.4(現在頁)<No.5・・・
2011.08.30
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.3,幕末明治の小エピソード,戊辰戦争,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.3幕末明治のどーでもいいようで・・・なかなかいいかもしれない『恋の話』新島襄の恋!(■初めから読む、■この前の部分から読む)頭をポリポリ!槇村正直新島襄の人間ネット網の中の一人として、槇村正直という人物が居る。当時、槇村正直は京都で、京都府参事の地位にあった。大学の創立やら、いざ運営やらで、新島襄としては、やはり、こうした人物に接点をしっかと固めるのは当然のところ。或る日、槇村正直は、好青年、新島襄に、思いがけない質問をしてきた。「新島さんや、貴方は、ところで、どんな女性が好みなのかね?」驚いた新島襄。しかし、槇村を振り返ると、屈託の無い笑顔だ。どもりどもり答えた。「えっ?あのう・・・理想は・・・。ただ、実のところ、あんまり見たことないようなタイプ・・なんですよ。今だ会ったことないんですよ。」思わず、槇村正直は吹き出した。「なんだい?相当の贅沢かい?絶世の美女好みじゃ、現実は、きびしいぞ。そいつぁ、一生涯見つからんぞ!ワッハッハッ!」槇村は、腹を抱えて大笑い。彼の職務は結構しんどい。毎日来客といえば、ろくでもない事ばかり。教育のためだ。なんとかせよ!どなり込みやら、京都府に対する資金せびりやら、煩い客ばっかり。そんな彼にとって、新島の照れた姿がなんとも、心をなごませてくれた。新島は語った。「いいえ、僕が申します理想とは、それじゃないんです。あのう、僕は、夫が東を向けと言ったら、3年も東を向いているような女性は嫌なんですよ。だから、見たことないんです。」槇村は目を丸くした。「そりゃ、驚いたな。よりにもよって、そんな女性がいいのか?・・・だがなあ、そいつぁ、ちょっと難しいぞ。それなら、なんでもいいってわけじゃないだろうしさ。」そう言いかけた槇村は自分で語っておきながら、全身逆毛立った。脳裏に浮かんだ一人の当該女性。それは、感覚的に、ほとんど悪寒に近かった!「おるには、おるぞ。ありゃ、確かに、3年東向きっぱなしにゃ、なるまいぞ。だがのう・・・まいった。まずい・・・。」「えっ?本当ですか?」・・・新島の目が輝いた。しかし、槇村は唸り始めた。しまいに、頭を抱えて考えこんだ。「確かにそうだわ。間違いないがのう、だが、なんぼなんでも、ありゃ・・・ちょっとなあ、・・・まいったのう。」ボリボリボリボリ、頭を掻いて、言葉を呑み込んだ。槇村の脳裏に浮かんだ女性とは、あの女性だった。直談判のスゴい女性!悪夢のごとく、おっそろしい一人の女性が意識の中、蘇った。「京都府は姿勢を根本的に入れ替えるべきです。こんなことでは、日本国の未来が歪みます。・・・・女子の教育に対する姿勢が良くありません!これでは当校は運営困難、まさに危機です!助成金をもっと出して頂かねば、なりませぬ!完全に矛盾というものであります!」それは、京都女紅場の女職員、山本八重子。ガルガル大検幕。弁舌完璧。槇村にとって、典型的な「しんどい客」の一人。性懲りなく、何回もやってきてはガルガル。少年のように目を輝かせた新島襄。槇村にとって、ますます肩の荷が重くなった。余計なこと、口滑らせてしまっただろうか。気分は、ほとんど後悔でしかなかった。盲目の雄者、山本覚馬と、その妹世の中、そんなに甘くない。新島襄の胸のときめきは、それっきり。あの話は、どこへやら。それは、それで、多忙の新島襄。いつまでも、そんなことに捕われている暇はない。東へ西へ、大奔走。今は、大学の設立に前進あるのみ。或る日、新島襄は、賢人、山本覚馬家を訪ねていた。これは、初めてのことではない。山本も、新島襄の人間ネット網の中の一人。山本覚馬とは、会津出身。戊辰戦争の際、京都に居た同氏は、薩長に身柄を拘束されて、幸い、こうして明治に生き延びたものの、哀れ、失明していた。獄中に繋がれていたため、会津戦争の際は、参戦していない。今、こうして考えると、むしろ、それは幸いしたことにもなる。会津に居れば、失明どころか、彼は間違いなくこの世の人ではなかったことだろう。失明して物理的には視野を失っている彼だが、みっちり累積した知性と洞察力、それに加えて、巨大な人脈構造。その点からすれば、彼の視野はまさに広い。■或る日の山本覚馬、嬉や、悲しや、涙、涙の大爆笑!また、いつものように、山本家に、新島襄がやってきた。ところが、いつもと違う。気配に気付いて山本覚馬が振り返ると、なにやら、新島襄の息遣いが荒い。「?いかがなされた?・・・新島殿ではござらぬか?・・・否、お人違いなれば、お許し下され。なんといっても、こちらは盲人じゃから・・・ん?」「いかにも、仰せのとおり、私は新島です。あいかわらずの山本殿なれば、頭があがりませぬ。されど!山本殿!あれはないでしょ!!」日頃穏やかな新島には珍しく、かなりカンカンに怒っている様子。目のかわりに聴力が猛烈に冴える覚馬には、ただごとならぬ気配が充分すぎる程に伝わってくる。「いかがなされた?新島殿・・ん?」カンカン!激怒か、ご立腹なのか?・・・の新島襄No.1<No.2<No.3(現在頁)<No.4<・・・
2011.08.30
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.2,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.2(この前の部分から読む)順番でゆくと、会津戦争の話から書くべきところ、根暗モードになるので、あえて、逆に、遡る形で・・書いてゆきます。今回はドライに書くつもり!です。(恋の話はずっと後半!モンスターおばはん姉ちゃん「鵺(ぬえ)」明治の学生といえば、イメージ的に、現代と異なり、みんな真面目にひたすら勉強していたかに思えるが、忍耐と一生懸命は認めるが、「ちょい悪」は、現代と同じ。講師の誰かをとっつかまえて、影で、学生同士、変なあだ名をくっつけて怪獣に仕立てあげて喜ぶ。但し、何でも知ってて、海外経験豊富、その上、極めて紳士的な新島襄は、当然除外。ひたすら尊敬されるであって、変なあだ名はつかない。しいて言うなれば、すんげえ女房の尻に敷かれっぱなし・・・程度。その一方で、新島八重は、まさに学生達の怪獣ごっこに於ける恰好のスゴネタ。彼女のあだ名は、「鵺(ぬえ)」だった。この不名誉な要らんあだ名のネーミングの主は、徳富蘇峰。当時、彼は、新島襄の設立したの同志社英学校の学生。「鵺(ぬえ)」とは、伝説上の架空の動物。頭は猿で、下半身は虎のような怪獣。おっそろしいわりには、正体はアンバランスで、ちぐはぐで滑稽な・・。偉そうで、下らん・・・ような。おっそろしいが畏怖でなく、侮蔑交じりの・・。しかも、名付け親が、徳富蘇峰というのが、ちょっと問題だった。「所詮、学生なんてヒヨッコさ。餓鬼共の言う事なんか、気にするな・・!」と子供騙しでは通用しない。徳富蘇峰は、大学3つ目。他の学生より年食っている。デキる男、口も筆も立つ。説得力もバリバリ。つまり、彼の発言は、子供連中の空騒ぎではない。要らんおばはん、ひっこめ!ブーイング。こうなると、それまで大人しかった十代後半のちゃんとした学生も、そうかと思う。ありゃ、虎じゃない。単なる「鵺(ぬえ)」じゃ!!「鵺(ぬえ)」とは、新島八重の雰囲気とファッションに由来する。彼女は、西洋の貴婦人の被るお洒落な帽子を被りつつ、服は和風。足元は靴!ちゃらんぽらん。姿は、小柄だが、きゃしゃとは大分遠い。前頁のとおり、がっちり鍛えた体。その上、信じて疑わず、正義の為なれば男勝り。デ~ン!と構えている。当然、学生達のモンスター。折角夫のバックアップのつもりが、大変不評だった。気丈なおかた、スーパー姉ちゃん、転じて、悪妻の評判正義の為なれば、とことん闘う女。会津戦争の際は、前述のとおり。しかし、明治4年に、京都に居た兄、山本覚馬を頼り上京した彼女。学があり何事にも熱心な彼女は、京都女紅場(当時の女子校)に就職。ここで、また、ひとふんばりガルガルやっている。「女子の教育に対する姿勢が良くないぞ!これでは運営できないぞ!助成金をもっと出せ!」その彼女が在職中の明治8年(1875年)10月に新島襄と婚約。当時の情勢は、明治6年に一応キリスト教は禁教解除になってはいるが、まだまだ風当たりはきつい。それどころか、自由や平等を叫ぶ思想家の多くがこれに絡まっているため、第2のブーイング。そこで、新島の大学とは、なにやらキリスト教らしい。他の宗教団体もこれを非難する動きもあった。その為、婚約が原因で、八重子は解雇された。しかし、教育者としての自覚がある彼女は屈しない。夫の大学でも同じように頑張ろうとするから、案の定、悪口叩かれる。また、新島襄は、海外経験から、レディーファーストの観念がある。車(人力車とか馬車とか)に乗るにしても八重子が先。おまけに、襄は、外国の紳士がやるあの仕草。手を差し伸べて、「さあ、奥様どうぞ!」のポーズ。当時、世間では「悪妻」の代名詞になった。夫を下僕のごとく傅かせては、さっさと女が先に乗車!当時の常識は三歩下がって影踏まずが妻。「それだというのに、なんちゅう女!」・・・そこらじゅうで有名。ここでひとつ、新島家の夫婦愛の話、ヒトコマ外ではデーンと構え、何があっても動じない八重子。されど、家に帰れば、やはり乙女なのだ。或る日、元気のない彼女に、敏感な夫は早々に気付く。そして言った。「いいじゃないか。人が何言ったってさ、・・・僕は八重さんを愛しているのだから。」おっとっとっ!なんだか歯の浮きそうな台詞。だけど、これは、襄だからこそ言える。当時の日本男性なれば、内心、本当はそう思っていたとしても、口が腐っても言えない言葉。「煩い!黙れ!女は黙ってついて来い!」これが、カッコイイとされていたのだから仕方ない。ところが、襄は海外経験が長いことと、キリスト教の観念があるから、その点、皆と全然違う。誰にも見せない姿、八重さんの可愛い姿は襄だけが恐らく知っていたのだろう。八重さんは、実のところ、バツイチ。新島襄は初婚だけど、八重さんは、そうじゃなかった。会津戦争突入の段階まで、実は夫が居た。前夫は出石在住、医師の子、川崎尚之助。学に秀で、八重子の兄、覚馬の伝で会津の砲術師範各。しかし、直前に二人は離縁。戦乱ほぼ同時にその消息不明。(実は、川崎氏は明治を生き抜くことはできなかった。明治に病死していた。)出石藩は恭順藩故、官軍の仲間。対して会津は徹底抗戦。典型的な戦争の犠牲。戦争が二人を引き裂いた。ところが、戦争が原因で、悲しい別れ・・・だった話は、本人、八重さんは、これっぽっちも後にも先にも語らないし、全然漂わせない。戦争中は、会津の為に無我夢中。夫のことなど、離縁のことなど、全く眼中にない。会津は我が命!でも、夫の存在はハテナ状態。「さっ、しゃあないわ!それどころでないわサ!」・・・状態。彼女のことだから、歯を食い縛って、表に出さないのもあるでしょうが、・・・本当に愛して、愛して結ばれたのは、きっと新島襄一人だったのではなかろうか。愛ってなんだ?・・・ちょっとばかり考えてみた。「いいじゃないか。人が何言ったってさ、・・・僕は八重さんを愛しているのだから。」新婚の若妻に語った言葉なら、たいしたことじゃない。そこらじゅうにある話。でも、これは中年突入の夫婦愛。おっそろしいおばはんと呼ばれる妻に、愛してると語った男は、まさに、新島襄だった。「愛してるから!事件」は、そういえば、もうひとつあった!★痛快!八重さんのハイヒール事件何言われても、動じない強い女とて、さすがに或る日、ちょっとだけ考えた。頭が洋装。足は草履。こりゃ変だ!学問学ぶ者は、恰好なんてつけてたらいかんのじゃ!・・・が、本来の姿。されど、或る日、彼女はハイヒールを買ってきた。とっても大切に、下駄箱にしまっておいたのだが、大事件!!玄関口で、八重さんの大絶叫!「ジョー!あんた、何すんのよ!!いいかげんにせ~や!馬鹿っ!!戯け!!」・・・ガルガル!ポリポリ頭掻きながら、襄がやってきて深々妻に詫びた。_「ご免よ。本当にご免ね。だけど、僕は八重さんを愛してるんだ。八重さんに怪我だけはして欲しくないんだよ。これは本当なんだ。・・・だからご免ね!」「なんと、新品のハイヒールの踵、見事!・・・ノコギリで切り落とされていた!【しゃあない解説】八重はかなり小柄。襄はべつに大きくないけどだいたい並。だから、八重がハイヒール履いても機嫌が悪くなる理由は100%全然無い!!現代の長身レディーが、なんか知らないけど、今日の彼ピー、ツンツン!原因は靴だった・・・ってこと、ありますが、この場合、全然全然全然全然全然・・・関係無い!やっぱり、それほど、新島襄は妻の八重を愛してた!!ご馳走さん。新島襄の「恋!なりそめ」へ遡る!の巻
2011.08.29
幕末明治の恋【私の貴女よグッドバイ!】,新島襄と山本八重子_No.1,幕末明治のどーでもいいようで、なかなかいいかもしれない『恋の話』,幕末明治の小エピソード,戊辰戦争,新島襄と山本八重子「私の貴女よ、グッドバイ!」_No.1幕末明治のどーでもいいようで・・・なかなかいいかもしれない『恋の話』1843年2月12日(天保14/1/14)~ 1890年(明治23)1月23日)同志社英学校(後の同志社大学)の創立者。密航留学企て、1864年6月14日(元治元年7月17日)、箱館へ。そして米国へ。米国で洗礼を受ける。1872年(明治5)、アメリカ訪問中の岩倉使節団に会う。有能&語学達者なことから、密航の罪を許され、使節団に参加。フランス、スイス、ドイツ、ロシアにも遠征の上、日本へ堂々帰国。明治六大教育家(福澤諭吉ら)の1人。死亡は、1890年(明治23)、46歳。この時、徳富蘇峰、小崎弘道らに10か条の遺言を託すなど、流石は教育の神様。ところが、妻には別途語った。「私の貴女よ、グッドバイ!」新島襄について、伝記や、成し遂げた偉業の話は、このシリーズ内各所に本がありますから、ちゃんとした話は本からどうぞ。今回、ここに書かせて頂きます内容は、私の独断と偏見「どーでもいい話」。本人に係る本に限らず、他の調べ事の際、ついでに出てきたような話、ちょろちょろ混ぜて書きます。男勝りで堂々闊歩の強い女、新島八重。しかし、夫、新島襄の死亡は46歳。けっして若死にとは言わないかもしれないが、まだまだ、これからの段階。そこで、死に際、妻には、一言。「私の貴女よ、グッドバイ!」戊辰戦争時、会津篭城、彼女は黒髪を断ち切り、男装して戦った人。砲術に関しては、兄(山本覚馬)の影響で、そんじょそこらの男に全々負けない。重い「元込め連発式のスペンサー銃」を抱え、敵にぶっ放しては、かたっぱしから撃ち倒していた。当時の銃とは、死ぬ程重いらしい。ちなみに脱線ながら、箱館戦争で大活躍、額兵隊長の星恂太郎とて、敗走で疲労困憊の時、捨てようとして部下に止められ、部下がかわりに抱えてくれた話もあるくらいです。ところが、彼女はよほど幼い時から、男に負けてなるものか!の思想があったらしく、俵をひょいひょい抱えて、両腕ふんばって、頭のてっぺんまで、「とーりゃあ~っ!」挙げて降ろして、それ連続。体力、筋力まで鍛えている人物。つまり、そこらの男連中は、いわば彼女の部下。指導格だったのだ。城内に転落したものの幸い不発に済んだ敵の砲弾を、彼女が、手際よくバラして、藩主の前、構造の説明をしたが故、藩主が思わずだじろいた話は有名。噂以上に凄い女!ってところでしょうか。会津が戦に負けて、いよいよ、男性藩士達が、敵に捕われて、拘束の場へ向う時、男装姿の彼女は、男名前を名乗り、その列の中に居た。都合のいい時だけ、女だからとひっこむのでは卑怯!それは潔く無し!と判断したからだ。「私は上司だ!部下達だけ死なせるわけにゆくまい!一緒に斬首なり、なんなりやってくれ!」そのつもりだった。・・・が途中で、バレた。「なんじゃ?まさか女か!!帰れ!」バレた原因として、史実として記載される話とは、しゃあない下らぬ話は、あんまりないから、事の詳細は不明ですが、・・・勝手にふと思う。(スミマセン。実に下らないが、おトイレはどうしたのだろうか?と、思うんでありまする・・・。)とにかく、凄い女にはかわりない。他にも闘った女達は居たけど、原五郎の妹も、中野竹子も(真下バナー)、剣術の腕は一流で、たちまち大勢の敵をやっつけて死んでいる。死んでしまったせいもあるが、やはり女の哀れを満面に漂わせて散った。その一方で、山本八重子だけは、とことん、実に男っぽい。さりとて、愛して結ばれた一人の女、山本八重子ならずや、新島八重。その彼女が、夫の臨終の際、言われた。「私の貴女よ、グッドバイ!」「戯けっ!なにが、グッドバイよ!こんな時まで、気取ってどうすんのよ!」口で貶して、涙堪えて、あたかも戦国武将のごとく、泣き崩れまいと肩で震るえ泣く。その姿は、本当は、誰よりも女らしい本当の女・・・。そんな彼女と彼の恋と、えとせとら新島襄の「額脇の傷」尚、額脇の傷が気になるが、幼少の折の怪我とされている。しかし、なんだか、刀傷に見えてしかたなくて、色々調べてみたところ、ついにガッテン!周囲の伝えどおり、幼少時の怪我!の跡。しかし、ここに、男性といえど、お肌の曲がり角、若い頃と、中年時の違い!!右は、「箱館脱走時(No.8)を再現した写真」____ _■中年時は、傷くっきり、■箱館脱走時の写真は残念ながら、被り物が邪魔でよく見えない。■ところが、アメリカ時代の大学時代写真で納得!確かに、傷跡有り。▼但し、その写真は、楽天中、探しましたが、本の表紙には掲載されてないタイプの写真。その写真は、上の脱走再現図と異なり、顔丸見え。確かに、傷跡有。ところが、中年時と異なり、全然気にならないんですね。皮膚がピチピチ。傷が埋もれている。凹凸(おうとつ)が、みごと、反対現象。周囲の皮膚がせりあがっているから、傷が小さい見える。対して、中年時は、度重なる病魔ダウン状態の彼、皮膚がひっからびているから、傷が浮き出したようにクッキリ状態。皆さん、コラーゲン摂取しましょう!No.1(現在頁)<No.2新島襄の恋会津時代の八重子さんならずや、山本八重▼
2011.08.28
乙女に頬を打たれた足軽の気持「雀の涙」,津和野の殉教と切支丹No.8,乙女峠の坂道「雀の涙」No.8,浦上四番崩れの悲劇,「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」:No.8_乙女に頬を打たれた足軽の気持,幕末明治サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関乙女峠の坂道「雀の涙」_No.8津和野の殉教:「浦上四番崩れ」送り込まれた長崎の切支丹No.8_足軽の頬にビンタを食らわした乙女頬を打たれた足軽。彼の気持ちを考えてみました。とても人事と思えないのです。物語風に書くと、もう少し解りやすいと思いましたが、作り話だと思われるといけないので、あいかわらずの「だらだら文章」で書き進めますが、ちょっとだけ、彼(=足軽)に留意してみて下さい。イソップ童話のこうもりさんなのか、否か。なんとなく、自分もその立場なれば、そうなりそうな気がします。この人物が、この後、生きたか死んだか、無事明治の世を泳いだか、情報は皆無。しかしながら、こういうタイプは古今東西、波に乗って出世街道まっしぐらには、大抵無縁のタイプ。(注)残酷描写を避けて書いています。実際は、もっと酷かったのに、もしかして、加害者を応援している?!なんて、誤解なさらないで下さいね。悲しきかな、どちらも人です。どちらも苦しんでいた気がします。「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」No.8_乙女に頬を打たれた足軽の気持ち■初めから読む、■この前から読む実は、それらしき場面は、もうひとつ見え隠れする。足軽の頬にビンタを食らわした乙女22歳の女性、岩永ツルという女性が居た。彼女は無事生き延びて、明治の世、生涯を伝道に捧げた。この人物は、女性といえども、役人泣かせの気丈な人。暴力にも転ばず、裸体にされて雪の中、縛り付けられて埋められて、全身凍傷。それでも棄教しなかった。はたして、後述、足軽の頬にビンタを食らわした乙女とは、彼女だったか、別人だったか、恐縮ながら、肝心のところ、忘れてしまいましたが、まずは。寒さの中、若い乙女が、見るに忍ばぬ哀れな姿。ひとまず、縄が解かれて、意識を取り戻すなり、踏み絵の瞬間が与えられた。ところが、この女性は、ふらふらしつつも、首を横に振る。見かねた足軽の一人が、彼女の足を掴んで、踏み絵の上に載せようとした。その瞬間、女性は、なんと、いきなり、足軽の頬にビンタを食らわした。ここで、その足軽と記載された者は、恐らく、下っ端役人。明治政府になりかわっている為、実は足軽ではなく、一応、下っ端なりに、なんらかの職名があったと思われる。しかし、ふと思う。弾圧迫害するにあたって、現場担当者、下っ端も悲惨だ。適材適所で、もともと惨忍が大好きな人物が、そこに選ばれて来るわけではない。結果は五十歩百歩。所詮偽善者というかもしれないが、明らかに、この下っ端役人は、上司の目を盗んで、一瞬にして、一人の乙女を救いたかったのだ。女性の場合、転べば、命だけは救われる。男性と異なり、終身鉱山などの過酷な労働で命を落とす宿命には、昔からなりはしない。色街に売られてしまうことは否定できないが、命は助かる。この足軽が、その後どう変化したか裏付ける資料など皆無。上層部の国学信望する者達の場合は、邪宗門の者達が、尊い天子様への信仰を露骨に拒否したことが憎しみになっていることも残忍への発展にかなり影響しているが、末端の足軽レベルの者達にとって、その点はあまり関係なかったはずだ。また、天子様を否定するは、極悪人の極み。否、これは人ではない。人の姿形に化けて、人を騙す邪悪な鬼共の妖怪変化じゃ!・・・と、単純に、思い込める者なれば、苦しみはしないだろう。不憫に思って、一輪見逃すつもりの哀れな野辺の花。それが、棘を刺した。ビンタの瞬間、悪魔でも鬼でもなかった一人の人物がそれと化してゆく瞬間とは、案外、こうした瞬間にやってくるのかもしれない。ところが、この話は、ここで終っていることから、彼は悪魔に転じなかった。彼がこの後どうなったかは誰も知らぬ領域。しかしその現場がビンタの音で表現化してしまったとすれば、上司に叱られる程度では済まされなかったことでしょう。首か減給か、無給謹慎か、存じませんが、自ら余計なものを背負い込んでしまったことになります。とはいえ、迫害された者達と異なり、命までは奪われないのは明確ながら、かわいそうな殉教者達には、誰かが祈ってくれたことでしょう。その点、この足軽は、悪い役人達の一人という認識だけで、きっと誰一人彼の為に祈ってあげた人は多分居ないだろう。考えすぎかもしれませんが、どうも人事とは思えない。天子様信望に傾倒するでもない者が、任務の為に、迫害の実行係り。女子供が拷問に耐える姿は、忍びなくてあまりに辛い。彼は精神的に自ら拷問も同然。祈ってばかりいるように見える男性陣に対して、当然、むかつく。「祈ってる場合じゃないだろ!意地っ張りめ!解らず屋め!現実が先行じゃろ!踏めば、女子供が救われるんじゃ!なぜ踏まない!!お前らは、何故、助けてやろうとせんのじゃ!!なぜ、見殺しにするんだ!!」それでいて任務なれば手を緩めるわけにはいかない立場。「なぜ、あいつらは転んでやらないのだ!可愛い妻子の為、転んでやれよ!妻子が呻き苦しんで死んでゆく姿、なぜ見ていれるのだ!なにが、神よ救い給えじゃ!それどころじゃないだろう。急がなきゃ、死んでしまうじゃないか!なぜ、己を曲げぬ!!・・・頼むから、転んでやれよ!」・・・心に、なんらかの神を持つ者と、持たぬ者は、ある意味で異郷人。なれば、苦しいはずだ。彼は、彼なりに踏み絵だったかもしれない。ちなみに、現場は、津和野の乙女坂。廃寺光琳寺跡地が拷問の地にあてられた。36名が殉死した。ここで、ひとつ、なぜ、光琳寺が廃寺?という点にも少しだけ目を向けてみます。実は、治維新前後の神仏分離という名のもと、仏教界にも、廃仏毀釈の宿命が覆いかぶさった。慶応3年6月、津和野藩は、社寺改正を断行。屈っしたか、潰されて滅んだか、されど結果は同じ。廃寺となった。マリア様だけじゃない。お釈迦様も影で、きっと泣いていた。最期に、14歳の裕次郎君が天昇の前に、語った雀の話。「お兄ちゃん、僕は救われたよ。雀の親子に助けてもらったよ。ほんとだよ。ちっちゃい雀。あんな雀。だけど、ちゃんと、愛されていたよ。赤ちゃん雀は、母さん雀にご飯貰ったよ。・・・だけど、お兄ちゃん、僕は、もう、さようなら。 」敬謙なる信者、強靭な精神力の守山甚三郎。彼は、可愛い弟を失った。粘り粘り続けて耐えたが故、弟を失ってしまった。残酷描写を避けて書いてます。兄、守山甚三郎に科せられた肉体的拷問は、実のところ、想像を絶する。亡くなった裕次郎君が身に受けた拷問をはるかに上回っています。しかし、まだ大人になりきらぬ弟の裕次郎君は、体力も乏しければ、体も小さい。かわいそうな結果になりました。No.1<・・・<No.7<No.8(現在頁)<No.9(資料編への導入)<No.10(資料表)・・・・乙女峠の坂道「雀の涙」_完資料編への導入:事の終結と、もう一つの「責めた側が背負った「責め」」文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.08.22
母と子、幼女の意思による殉教,津和野の殉教と切支丹No.7,乙女峠の坂道「雀の涙」No.7,浦上四番崩れの悲劇,「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」:No.7_母と子、幼女の殉教,幕末WITH_LOVE, サイトTOP乙女峠の坂道「雀の涙」_No.7津和野の殉教:「浦上四番崩れ」送り込まれた長崎の切支丹(注)残酷描写を避けて書いています。実際は、もっと酷かったのに、もしかして、加害者を応援している?!なんて、誤解なさらないで下さいね。悲しきかな、どちらも人です。どちらも苦しんでいた気がします。「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」No.7_母と子、幼女の殉教■初めから読む、■この前から読む母は、それでも見て耐えねばならない。当然、脱落者がさらに発生する。頑強な親には、ついに、親の前でその子供が拷問されたともいう。これについては、あまりに哀れで残虐すぎて、コメントしにくい話。その上、加害者側の資料は無い為、本当は、どちらも人なのだ・・という視点で書き難い。哀れすぎる。経緯や理由が何であれ、怒りが先行してしまう。結果として、なんと僅か5歳の少女が殉教した!5歳の少女が殉教とは、上記の餓死した幼児の状態とは異なる。幼いながら、完全に殉教だった。「お菓子をあげよう。食べたいだろう?簡単だよ。マリアさんは嫌いって言ってごらん。それだけでいいよ。さあ、お菓子を食べようよ。」役人の差し出したお菓子を、この子は、きっぱりと断った。かなり聡明だ。とても幼女とは思えぬ。「そんなの要らない!天国のほうがいいもん!要らないったら!!」連日飢えて、空腹の極みなのだ。それでも幼女は、はっきりと拒否した。・・・彼女は、天に昇った。明らかに本人の意思を明確にして、殉教。息が詰まりそうだ。これについて、あえてコメントするなれば、もちろん、精神的拷問ターゲットは親だったと思う。お菓子で釣ったは卑劣の極みに思えるが、なぜ、お菓子を?と考えると、やはり、人としての心の弱さがなんだか感じられて仕方ない。責める側に、仏心、見逃してやりたい意思が働いたからではないのだろうか?現場担当者とは、下っ端。権限などない。形式的に「形」さえ示してくれたならば、どうにか見逃せる。色んな解釈がある為、加害者の応援ではないにせよ、ご遺族には恐縮ながら、ふとそう思う。むしろ、そう思ってあげたい。実は、それらしき場面は、もうひとつ見え隠れする。足軽の頬にビンタを食らわした乙女No.1<・・・<No.6<No.7(現在頁)<No.8・・・責める側、されど責めさせられる係:末端現場役人文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.08.22
津和野の殉教と切支丹No.6,乙女峠の坂道「雀の涙」No.6,浦上四番崩れの悲劇,「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」:No.6_切り替えられた方針,幕末WITH_LOVE,サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関乙女峠の坂道「雀の涙」_No.6津和野の殉教:「浦上四番崩れ」送り込まれた長崎の切支丹(注)残酷描写を避けて書いています。実際は、もっと酷かったのに、もしかして、加害者を応援している?!なんて、誤解なさらないで下さいね。悲しきかな、どちらも人です。どちらも苦しんでいた気がします。「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」No.6_切り替えられた方針■初めから読む、■この前から読む「やむをえぬ。自ら招いた結果じゃ。思い知るがよい。」暴力、拷問に、手段は切り替えられた。水責め、雪責め、氷責め、火責め、磔・・・その惨忍たるや、果てしない。ところが、彼らは、不気味なほどに、いかなる拷問にも耐える。たとえそれが命と引き換え条件だろうが、必ず耐える。転ぶ者も、稀には居るが、早い話、滅多に転ばない。信仰ほど、怖いものはない。政府側役人は痛感させられた。彼らに効く薬はない。暴力も、飢餓も、時には宥めて諭すも、何一つ効力を発揮できない。迫害すればするほど、祈る。命ある限り、祈り続けるばかり。転ぶ者の確率が低すぎる。これでは成果ゼロのまま、全員死なせるだけだ。そこで、さらに、手段が変更された。愛情を逆手にとった最も恐ろしい拷問に、手段が切り替えられたのだった。津和野に、第二軍団が送り込まれてきた。一挙に合計153人。(但し、この段階で既に犠牲者が居る為、それは除外。左記数値は単純累計数値。)送りこまれた者とは、家族125名だった。本来なら、人を先導する能力を持たぬと判断されるこの程度の者達なれば、どこぞの果てに流刑で済まされるはずのレベルだった。しかし、あえて送り込まれた。敬謙なる信者達。強靭な精神力を持つツワモノ達への第二の拷問が始まった。目の前で、愛する家族、弱い女子供が拷問される。「それでも転ばぬか。なぜ転ばぬ。それでも父か。子が可愛くないのか・・・。」呻き苦しむ弱い女子供の声を聞いて、それでも尚耐えねばならぬ。己が身に痛みを受ける以上に熾烈な拷問なのだ。これには、さすがに脱落者を出した。それでも耐えた守山甚三郎は、耐えたが故に、可愛い弟、裕次郎を失った。僅か14歳の少年。毎日、毎日、不気味な鞭の音。その度に弟の呻き声が聞こえる。そして、役人がやってきては、耳元で囁く。「それでも転ばぬか。なぜ転ばぬ。それでも兄か。貴様の意地で、弟を犠牲にして、何が楽しいのじゃ!悪党め!」今度は、人目を盗んで、気の弱い下っ端役人が、隠れ来る。「良いではないか、もう、よいではないか。いいから、転んでやれ。転べとは申さぬ。早く、踏んでやれ。それだけでいい。早く!!あの子は、もう危ないぞ。」甚三郎の魂は生きながらにして火炙りも同然だ。弟は、まだ、人並みの大きさに育っていない。細い身体に鞭が唸る。耐え切れず、呻き泣く。それは今だ子供の声だ。「裕次郎よ!許せ!許してくれ。この兄を許してくれ!・・・裕次郎よ!」いかに敬謙なる信者といえど、こうなると、心の中に、罪の瞬間が行き交う。「・・・裕次郎よ、かまわぬ!・・・もう、かまわぬ。罪は我が背負う。お前はもう、耐えるな!」しかし、少年、裕次郎は耐えた。それが故、命は引き換え条件。可愛い弟は天へ昇っていった。(関連:裕次郎君のことについて:津和野の乙女坂「雀の涙」のTOPへ)この「愛情を逆手にとった拷問」、即ち、「拷問による拷問」は、さらに続く。責める側は、成績評価をしょっている。成果を挙げるには、もはや、これしかなかった。そして、効果が見えた以上、ターゲットは、上層部の28人に限らず、下部にも及ぶ。今度は、母対子の手段。食をまともに与えず「飢餓」の手段も用いられた。これは、現代に生きる限り、あんまり解りにくいものですが、そもそも闘争心を喪失させるには、かなりの効力。もってこいの手段。思想家の弾圧なれば、案外これで転ぶ。偉人も英雄も転ぶ。ところが、不思議と、か弱い女達さえも、それに耐える。役人にとって、ますますこの宗教は怪物。これは、彼女達が同伴している幼子にも、同様になされた拷問。子は泣く。そのうち、どの子かが犠牲になって死ぬ。母が耐えるが故、乳が一滴も出ず、乳飲み子がついに命果てる。母は、それでも見て耐えねばならない。当然、脱落者がさらに発生する。頑強な親には、ついに、親の前でその子供が拷問されたともいう。No.1<・・・<No.5<No.6(現在頁)<No.7・・・No.7_母と子、幼女の殉教文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.08.22
津和野の殉教と切支丹No.5,乙女峠の坂道「雀の涙」No.5,浦上四番崩れの悲劇,「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」No.5:異なる神と神,幕末WITH_LOVE, _サイトTOP乙女峠の坂道「雀の涙」_No.5津和野の殉教:「浦上四番崩れ」送り込まれた長崎の切支丹(注)残酷描写を避けて書いています。実際は、もっと酷かったのに、もしかして、加害者を応援している?!なんて、誤解なさらないで下さいね。悲しきかな、どちらも人です。どちらも苦しんでいた気がします。「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」No.5:異なる神と神■初めから読む、■この前から読む説諭係りの学者達は、終いに声を荒立てて叫んだ。・・・「これほど申しても解らぬか!愚か者め!」諭せば諭す程に、悪化してゆく。信仰度合いがますます深まってゆく。つまり、ついにキレたのだ!彼らを請負った小藩の肩には、「成果=今後の藩の評価=藩の未来」がかかっている。なにがなんでも棄教させぬことには、いうなれば小藩に未来は無い。つまり、根気比べは、役人側が負けたことになる。しかし、同時に、信者達は、ここに野蛮な仕打ちを自ら背負う宿命と化す。幕末に於ける津和野藩の立場もともと、津和野は国学が盛ん。皇国思想に抵抗はない。この藩は、明治になる以前に、随分積極的な行動を見せている特長がある。慶応3年6月時点で、早速、社寺改正を断行している。津和野藩主:亀井茲監と、家臣の福羽美静が中心となって、宗教政策には随分熱心なのだ。福羽美静は国学に明るい。戊辰の展開上、どの藩も皆同じだが、徳川に架けて潔く散り果てるか、雄藩に転ぶか、内部で割れ、外線前に藩内で血が流される。ところが、津和野は、地理上、お隣さんはモンスター長州。彼らにとっては、長州相手に幕府の番犬仕事ではわりがあわない。だからといって、この周囲は、細々幕府の代官所点在。石見銀山のおかげで、周辺諸国には、随分広域に及んで、代官所が、撒き散らされている状態。平たく言うと、収益の要銀山近郊はすべて幕府の守りが入る形で、長い年月治められてきた。その為、内心離反を目論むは、実に危険な地域ともいえる。すぐそこらは、石見銀山領なのだ。六日市には代官所がある。周辺の幕府直轄領(天領)は、石見銀山の所在地、邇摩郡大森を中心に、安濃郡・邑智郡・那賀郡の4郡146か村と、美濃郡・鹿足郡で6か村の飛地の全て。江戸時代、隠岐国一円は幕府領とよく言われた。石見国は浜田藩、津和野藩の他、石見銀山周辺の幕府領を管轄する大森代官所(島根県大田市大森町宮ノ前)によって統治が保たれてきた。大森とは:旧名は佐摩村。これが、明治期に大森村を経て大森町と改称。大森は島根県大田市の地名。石見銀山の鉱山町として名高い。幕末動乱の、小藩の宿命とは悲惨。靡くか、転ぶか、架けて散るか・・・玉虫色に躍り蠢く。徳川報恩、負け戦と知りつつ、架けて散るなれば、ある意味で、まだ羨ましいかもしれない。心は、報恩に無関係でも、選択のタイミングで滅びの到来だ。初期段階では、長州と通じた藩士の存在を幕府が察知。この段階では、大人しく当該者の処分で、対面を保っている。しかし、四境戦争の段階で、長州藩の大横断を黙認している。知らぬ存ぜぬ一点張りで中立を保ちたくとも、頭の真上でドンパチ。策を徹さぬ限り、被害崩れで消えて無くなる小藩。長州軍の横断を拒否すれば当然散って影も形もなくなってしまう。津和野藩は密かに長州に密使を送り、自藩領を通過させたが故に、無傷。ところが、これが由縁で、長州の大横断軍は無事浜田藩領に到達して、益田をあっさり制圧してしまう。幕府側へのダメージは、強烈だった。いかに中立と惚けようが、津和野の裏切りは明確だ。この段階で、津和野は、長州に他意無き姿を、たえずアピールせねばならぬ立場が決定している。近隣の小藩の一例、福山藩は、津和野に比べて、転換がもたつき、玉虫状態が長かった由縁で、かなり気の毒な宿命を蒙っている。隠蔽されていたが、若い藩主は心労のあまり動乱の中死亡。玉虫の烙印を押された状態で長州に靡いたタイミングの悪さから、誠心誠意を尽くさぬ限り生き残る手段がなくなり、箱館戦争に於ける蝦夷初戦に送り込まれた少年藩士達の悲壮など、随分と、死なされ専門係りを自ら背負うハメになっている。明治元年の蝦夷初戦は哀れ。しかし、こうなると転じるのは自然のなりゆき。翌年明治2年の箱館戦争では、率先して殺戮マシーン。戊辰突入段階では、幕府の下として戦った者が、今度は鬼のように率先係。戦争は化け物。それに比較すれば、津和野の手際は、かなりまし。とはいえ、長州に対して、忠誠の姿を絶えず示し続けねばならない。何事も成果。成果を挙げぬ限り立場が転落する。それらの経緯を経て、浦上四番崩れと呼ばれる長崎の隠れ切支丹弾圧係りとして、お鉢が廻ってきた。とはいえ、前述のとおり、国学による説諭に、実は当初自信があった。ところが、真っ先に送り込まれた上層部28名に対しては、ついに国学者達は匙を投げた。「やむをえぬ。自ら招いた結果じゃ。思い知るがよい。」No.1<・・・<No.4<No.5(現在頁)<No.6・・・NEXT:No.6_切り替えられた方針文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.08.22
津和野の殉教と切支丹No.4,乙女峠の坂道「雀の涙」No.4,浦上四番崩れの悲劇,「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」,幕末WITH_LOVE,サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関乙女峠の坂道「雀の涙」_No.4津和野の殉教:「浦上四番崩れ」送り込まれた長崎の切支丹((注)残酷描写を避けて書いています。実際は、もっと酷かったのに、もしかして、加害者を応援している?!なんて、誤解なさらないで下さいね。悲しきかな、どちらも人です。どちらも苦しんでいた気がします。「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」No.4:なぜ故惨忍に至ったか?その経緯■初めから読む、■この直前から読むさて、世は一変している。官軍が勝って、いまや徳川ではない。明治政府下でのできごと。まずは、主犯格扱いの者、114人が、萩、福山、津和野に護送された。追って、コモノ扱いの他信者達、約3400人は全国、20藩に分けて護送。後者は流罪。流された。一方、前者側には、はじめから、容赦ない仕打ちが待ち受けている。捉えられて、この津和野に護送された者達には、次から次へと、鳥肌立つような惨忍の極み。一人、また一人と死んでいった。さて、問題の第一項目、なぜ故、そこまで惨忍か?最終目的が処刑なれば、そもそも拷問はない。一挙に斬首で終わる。ところが、この場合、根絶やしが目的。即ち指導格に改宗させてしまえば、彼らの説得力で、他のコモノは、自動的にドミノ倒し。そうせぬ限り、彼らを抹消しても、どこかに今だ種が残り、またしても、知らぬ間に植物の発芽のごとく、若葉が育ち始めてしまう。一匹の蟻んこは、不憫で見逃して、畦道に咲く一輪の草花は哀れ。毟らず咲かせてやりたいのが、人の心。誰しも、本来はそうなのだ。されど、大群なればどうだろうか?たちまち、人には、その瞬間、撲滅!根絶やし!の発想が襲い来る。精魂尽くして育てあげた農作物に、蟻の大群、雑草。狭い日本。農耕民族なのだ。種も、枝葉も、脅威でしかない。初め、津和野では、この上層部チーム28名のみ護送された段階で、いきなり拷問に出たのではなかった。実はかなり熱心に説諭の手段に力を注いだ。藩内の優秀な国学者が、選ばれて彼らの説諭掛として登場した。いかに日本の神教が素晴らしいかを一生懸命説いて聞かせたのだった。「だから、改宗せよ!だから、その宗教は間違いじゃ!」客観的にこうして後の世、我々が見れば、それは焼け石に水でしかないのだが、一生懸命だったようだ。その背景はここにある。津和野藩の最終藩主、亀井茲監は、国学に明るい。教育者としても名は轟いた。津和野藩は、後述の経緯から、長州に有利な姿勢を見せていた。慶応4年(1868年)1月には新政府の参与に早くも任じられている。藩主は教育関係に秀で、自信があったのだ。いわば、ちょっとした先生タイプ。その実、神祇事務局判事・議定職神祇事務局輔・神祇官副知事などを歴任し、宗教関係の行政を主に任されている。 となれば、ますます力が入る。熱心!必死!なぜならば、我らの信仰は正しいと信じているからだ。政治的手腕だけではなさそうだ。説いて聞かせて解してくれぬ者には、どこかの段階で、信じる者が、異教徒を憎む要素が発生したも否定できない。彼は、彼で、とても信じているのだ。これは、当然まずい展開になってゆく。「心改めよ。その者達は、間違えたのじゃ。間違った宗教なのだ。邪教の魔力にそなた達は今、騙されて彷徨っているのじゃ。日本の天子様を崇拝すべきだ。それが正しい・・・。禁教に手出しした以上、罰は受けねばならぬ。されど、改心すれば、結果は異なる。だから、改心するのじゃ。悪い宗教に騙されておるのじゃ!そなた達の為に申しておるのじゃ。目を覚まして、天子様を崇拝するのじゃ!これが絶対正しい!」ところが、説教しながら、教諭達は気付いた。邪教と言えば、祈る。天子様を崇拝せよと言った矢先に、またしても、教諭達にとってみれば、わけの解らぬ呪文のような言語を口の中で呟く。うつろな眼差しで、あらぬ方向を見るともなく見つめては、またしても祈る。説諭係りの学者達は、終いに声を荒立てて叫んだ。「これほど申しても解らぬか!愚か者め!」No.1<No.2<No.3<No.4(現在頁)<No.5<・・・異なる神と神文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.08.22
津和野の殉教と切支丹No.3,乙女峠の坂道「雀の涙」No.3,浦上四番崩れの悲劇,「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」,幕末WITH_LOVE, _サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関乙女峠の坂道「雀の涙」_No.3津和野の殉教:「浦上四番崩れ」送り込まれた長崎の切支丹(注)残酷描写を避けて書いています。実際は、もっと酷かったのに、もしかして、加害者を応援している?!なんて、誤解なさらないで下さいね。悲しきかな、どちらも人です。どちらも苦しんでいた気がします。「浦上四番崩れ」について、責められた側と、責めた側が背負った「責め」■初めから読む、■この前から読むこれは、本人に対する拷問以上の目的、実は「拷問による拷問」だった。愛情を逆手にとった最も恐ろしい拷問だった。「浦上四番崩れ」の者達は、まずは、主犯格と見なされた堅固な114人が、改宗させる目的で、護送された。行き先は、長州藩(萩):66名、福山藩:20名、津和野藩:28名。改宗させる目的と書けば、かなり美談地味てるが、実際はお察しのとおり、拷問。あまりの過酷。目を覆いたくなるような残虐。彼らの拷問の状態は、いくら過去でも隅々迄描写する気には、今なれない。殴る蹴る叩きまくる暴力は当然ながら、水責め、雪責め、氷責め、火責め、磔・・・。この熾烈極まる明治の残虐さは、幕府時代どころでない。ここでは、まずは、彼らのうち「津和野送り」になった者にスポットして書いてゆきます。さて、問題はここです。なぜ故、そこまで惨忍。そして、迫害される側は、なぜゆえ、そこまで耐えた・・・。敬謙なる信者なれば、いかなる拷問にも耐える。たとえそれが命と引き換え条件だろうが、彼らの場合は、必ず耐える。転ぶ者も、稀には居るが、早い話、滅多に転ばない。・・・つまり、加害者側も相当手を焼いた暁。「津和野送り」になった者の内、このチームに於けるツワモノクラスといえば、幸い生き延びて、後に覚書を残した高木仙右衛門、および、守山甚三郎他。また、結局拷問の連続、やがて命を落とした和三郎、安太郎などが居る。特に、上記「高木仙右衛門」には、初っ端から、役人は面食らった!深夜の幕吏急襲!時は、1867年7月14日(慶応3年6月13日)の深夜。彼らは、密かに隠れ集まり、おごそかなミサの最中。そこへ幕吏が急襲した。「御用だ!御用だ!神妙にいたせ!観念せよ!」逆らえば、飛び道具の準備も万端。捕り物劇場のごとく乗り込んだお役人。ところが、まいった。初っ端から負けている。役人にしてみれば、いわば、信仰という名の怪物が襲い掛かった!彼らは逃げる隠れる・・そんなの誰一人居ない。信者達は一斉に、あたかも神に祈りを捧げる時の姿のごとく、ひざまづいた。そして、無抵抗の彼らは、両手を天に翳すがごとく広げ、こう言い出した。「どうぞ、我らを捕らえて下さいませ。どうぞ、縄をお打ち下さりませ!」いわば、怪奇現象。役人は皆唖然とした。「こやつらには、なにやら、得体の知れぬ化け物が取り憑いておる!・・・ならぬ!ならぬ!これは、根絶やしせぬことには!!」ところが、この時期、世はそれどころでなかった。なんといっても、翌年1868年は明治維新。徳川か、志士達の力で、もしや、世は急旋回か?否、それはさておき、外国の脅威!異人共に、日本を奪われてなるものか!京の街では、急進派攘夷派がクレイジーに荒れ狂う。わけの解らぬ殺戮の嵐。それが、なんと、彼らが牢獄に入ってる間に世はでんぐり返った。官軍が勝ち、徳川260余年が終止符。なんと、天子様の皇国。崇拝の対象は天子様でなくてはならぬ。お寺さんまで、なんと、廃仏毀釈。焼き払われて、追われて帰俗の僧侶もいれば、屈して、寺が神社に変身、僧侶が屈して神主に・・・等、信じられぬ現象が、この後各地で次々と展開されてゆく。彼らは、獄中で新政府への置き土産になってしまった。感覚として、戊辰戦争はまだ続く為、断行決議は江戸幕府と感じやすいが、明治になる直前の1867年(慶応3年)段階で、大政奉還があり、新政府によるキリシタン弾圧令は既に執行されており、この後も数回協議なされて、彼らの身の上が決定付けられる。主犯格呼ばわりを食らった「指導格及び強靭な精神力を持つ敬謙な信者」と、その他の者と、まずは分別された。そして、後者は流罪。これは明治3年まで、続々と続く。さて、世は一変している。官軍が勝って、いまや徳川ではない。明治政府下でのできごと。No.1<No.2<No.3(現在頁)<No.4<・・・NEXT;No.4:なぜ故惨忍に至ったか?その経緯文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.08.22
桜とさくらんぼに物思う,日本人と桜&『さくらんぼ』_No.2,五木寛之他,日本人と桜について絶賛の本,【楽天市場】日本人と桜&『さくらんぼ』_No.2桜、桜、何思う。さくら、さくら、散るからさくら。日本人だから、さくら。昔、全国桜前線追っかけツアーとかいう系統、何がいいんだかって思ってた。人ゴミ混雑観光地特有ムード、イヤだね。ヒマだね・・・なんて、昔は思った。だって、桜は卒業で、別れの予感で、案の定、やっぱり散って、はらはらと地に舞い落ちて・・・。だけど、今なら思う。時間とお財布、どっちも元気だったら、戊辰を齧りながら(幕末キチの為)の桜旅、憧れるなァ。「日本人と桜」観を活写!絶賛本日本人!桜にこめられた想いを堪能暮らしの中に、どんだけ、桜が息づいているか・・・! 軽~く読み流して、へーなるほど、おもろっ系から、ほ~っ!感服迄。頭が痛くなるカタっ苦しい演説じゃないのに、とっても奥深い。誰しも子供の時に読んだか、聞かせられた話。ジョージ・ワシントンは、少年時代、桜の枝をポキッ!正直に告白謝罪したから・・・どうのこうの。これの真偽。■万葉集に於ける桜,■現代人にとっても真っ先に桜。ネーミングにデザインに、・・・なるほど、なにかと確かに多い。日本酒のラベルの桜の話も。■日本人≒「桜の民俗」発想の由来に迫る■「さくら」とことば:そーいえば、良い例えから、客を装うウソの仕掛け人=サクラ迄、何せ、さくらことば多い。そんじょそこらの普通の日本、旅に出てみないか?!五木寛之と『さくらんぼ』旅 五木寛之といえば、すぐ、メロンパンを連想してしまうけれど、さくらんぼにも絡む。昔、彼は、健康の為禁煙企てる。口淋しい。好物、さくらんぼで淋しさから逃げる。気が散ってひとつ、さくらんぼ。食後のデザートさくらんぼ。原稿進まなくて、お風呂浸かって、湯船の中でもさくらんぼ。さくらんぼってシーズン以外だと、結構高価。毎日何パックも平らげる。家計は火の車!?ついに奥方、プチッ!「いくら健康のためだからって!そんなにチェリーがいいんだったら、あっちに戻せばいいでしょ!まさか、煙草代で毎日何千円にもなりませんよ!」という話、どれで読んだか忘れたけど、彼の本。ちなみに、この頃、彼の煙草は「チェリー」だった。桜にあんまり関係ないけどBOOK!偉人。知ってるつもりで、『脳』って相当イイカゲン。悲しきかな退化!今から分厚い立派本、全員分まず読む気になれない。子供の為に買ったと偽って、ツラツラ自分で読む。ジョージ・ワシントンの桜ポキッとか色々。 _桜、桜、何思う?・・・幕末キチの桜絡み大抵、流れ+解説行の本文&別頁資料編リンク付になってますが、一番上のだけは、ちょっと特殊。んっ?系以下は、けっして「某」はありません。日本人と桜&『さくらんぼ』No.2_現在頁:■五木寛之,■心の旅,■日本人と桜No.1:■太宰治と桜桃他、■本物の新鮮さくらんぼ<No.2(現在頁)幕末総合玄関▼
2011.03.10
さくらんぼに物思うオムニバス,日本人と桜&『さくらんぼ』_No.1,季節のフルーツ,おすすめ本,太宰治「桜桃」他,【楽天市場】,ペット,SALE情報, _日本人と桜&『さくらんぼ』_No.1だけれど、色々あるぞ・・・「さくらんぼ」観太宰治と桜桃■ここにピックアップBOOK全て、作品「桜桃」絡んでます。太宰治とは、読み手にとって、大別二分されるそうな。「何をウダウダ言ってるんだ。こいつはダメだ。俺、全然、関係ない!」タイプか、ずるずるっとその世界に惹きこまれて読みふけってしまうタイプ。_ _ _「桜桃」読んだ時:文学的表現センスなくて恐縮ながら・・・なんちゅうか、「なんともいえない旋律」が聴こえたようなそんな気分。ほろ悲しくてせつなにのに、リズミカルで・・・。夜、奥方に、「今から仕事場に行くわ。」と言って家を抜け出す。奥方、「えっ?こんな時間に?」それでも、家飛び出して、ある意味で仕事は仕事?かもしれないけど、実はスナックへ。チャームとして、「さくらんぼ」が出てくる。すごく綺麗で可愛くて、さくらんぼ。注文しなくても勝手に出てくる。場所料みたいなもんだから。それ相応の値段の店。「こんな高級なもの、うちでは、とっても子供に食べさしてやれないよ。」だのなんだのぼやきながら、ハマってゆく。一粒、ニ粒・・・。ピュパッ!吸い付いて、パフュッ!軸引っ張り抜いて、プシュッ、種吐いて・・・単調なリズムが繰り返される。家族ほったらかして、家脱走して、ふらふらと酒飲んで・・・。そんな自分を煽り飲んで、飲み潰してしまえる程豪胆でもなくて、プシュッ、ペッ!種吐いて、繰り返して・・・。★セクシーで甘くて酸っぱくて・・・さくらんぼ!季節ものにつき、売り切れ発生します。売り切れの時は、下のフルーツバナーをどうぞ。 _季節ごと、各キャンペーンやSALEも見えます。___ _左側:著:長部日出雄 : 桜桃とキリスト(もう一つの太宰治伝)太宰治について、後半生の活写■絶頂期から玉川上水心中の終焉,■キリスト教の影響他そして太宰は、妻に置手紙。別の女性と玉川上水心中。今度だけは未遂じゃなくて、やっと本当の最期。妻に書いた。「誰よりも君を愛していた。本当に一番君を・・・。」・・・コレ、彼としては、全然矛盾してない。本当に愛してた。それとあれは別だけど、だって愛してた。甘酸っぱくて、せつない「さくらんぼ」。さくらんぼ見ると、つい、太宰、思い出してしまう。NEXTは、■もうひとり、さくらんぼで思い出した人物。&■日本人と桜の観念(ちょっとカタめ。でも、ふ~む、なるほど!サイトTOPは犬猫サイト<わくわくドキドキ色んな記事<人のグルメ<現在特集No.1【現在頁】<No.2_■五木寛之,■心の旅,■日本人と桜
2011.03.10
人と動物,蝦夷開拓時代,女狐【ギン】,賊側家系の明治開拓,人と動物,母狐ギンの悲劇_No.2,ペット,賊側家系の宿命:沈黙の世代と末裔,幕末延長線の明治考察蝦夷開拓時代。女狐「ギン」さん。人と動物_No.2山神様の化身か?幻の女狐「ギン」★現在頁は、SERIESのNo.2です。開拓時代、人々と女狐ギンとの闘い。・・・最初から読む・・・・ところが、一匹、神がかりな幻の狐。人々は、ギンと呼んで、恐れた。晩夏のある日あれほど、恐れた、あのギンが、そういえば、近頃、出没しない。有り難いことだ。皆で、山に小さな掘っ立て小屋。祠もどきを建てたのが、幸いしたのだろうか。不思議と、どこの家にも姿を見せないのだという。あいかわらず、罠には、取るに足らない若狐が、ひっかかっているだけ。彼らの多くは、獲物を仕留める前に、あっさり冥土行き。北国の短い夏は、もはや終わろうとしていた。暑いと溢したのも束の間。盆近くなれば、朝夕には肌寒い。綿入れでも羽織らぬことには凌げない。そんなある日のことだった。犬達の大騒ぎ。皆が戸外へ一斉に飛び出した。永年の感で、羆ではなさそうだと、犬達の吠え声の様子で、即時解るのだそうだ。多分狐だろう。それでも父は銃を手に取り、大きい子だけが現場へ駆ける。案の定、狐だ。罠にまんまと懸かって、相当のたうちまわったのだろう。弱っているところに、犬達の猛攻撃を受けて、既に絶命している。長男が言った。「珍しくデカいじゃないか。さては、愚かな狐め。若狐じゃあるまいし。」その声を聞くなり、戸口に隠れていた幼い弟達も飛び出してきた。事は既に済んでいる。明らかに狐。身の危険はないと状況を把握したからだ。チビの一人が、叫んだ。「おとう!お父さん!ギンじゃ。こりゃ、ギンじゃ!」 兄が言った。「馬鹿抜かすな。ギンなわけあるものか。こんな仕様が無い罠ごときで、ギンを仕留めれるもんなら、誰も苦労するもんか!邪魔じゃ、邪魔じゃ!餓鬼は、すっこんどけ。どらっ、俺に見せろ。」 女狐「ギン」、母狐ギンの悲劇いつまでも興奮状態が覚めず、騒がしい犬達を一斉して、再び、兄が言った。「灯りに反射しとるんじゃ。白っぽく見えるんじゃろ。餓鬼は、いいから、下がれ!邪魔じゃ。」 夜が白んで、地平線の彼方、微かに朝焼けの兆し。その次の瞬間、長男も父も、同時に絶句した。チビ達の発言は誤りじゃなかった。なんとしたことか!哀れ、息絶えている大物狐は、紛れも無く、あの山神様の化身と、皆に恐れられた狐、まさに、ギンではないか!・・・信じられない。こんなつまらぬ安物の罠に懸かるとは・・・。 ・・・狐の屍をよく見ると、乳が張っていた。朝日が、昇り始めた。山側の向こう側から、徐々に茜色に染まってくる。その時だった、小さな生物の影を見た。ふたつ、みっつ・・・否、もっとあるか?今にも、襲撃しようとする犬達。不思議なことに、即時、長男は、犬達を強烈に叱り倒して、終いには、いつまでも言う事を聞かぬ何匹かを蹴飛ばして、ついに押さえ込んでいた。突如、轟音。雷が轟いて、大雨に曝された。 悲しからずや、母たる身の宿命ギンさんの結末に、思わず涙した。遠い過去の話だというのに、涙って不思議。日本中、似たような話は、民話の世界に、きっとどこかにありそうな気もする。しかし、それでいて、何かが違う。ふと、シートン動物記を思い出してしまった。別途、かつて昔、(昭和のいつ頃か知らないけど、とりあえずテレビはあったというから、そんなに昔の話でない。)一人暮らしのお婆さんの家に、熊の親子が襲い着た。道路開発で、彼らのテリトリーが狭まっていた。お婆さんは、無事非難。怪我はない。一匹の小熊を残して、母熊と、もう一匹の小熊はハンターが撃った。レポーターがマイクを向けたところ、お婆さんは泣いていた。レポーターが、気を使って、本当にお気の毒ですよね。怖かったでしょうね。すると、お婆さんは、思いもよらない言葉を漏らした。生き残って捕縛された小熊を見て、こう言った。「馬鹿だよ。馬鹿だよ。お前の母さんは、大馬鹿者だよ。山に居りゃ、こんなことに・・・。」語尾は、涙でつまって、聞き取れない・・・。ギンさんの時、あれほど闘志に燃えていた長男が、愛犬を蹴飛ばしてまで、子狐を守った一件と意識の中、ダブった。山里の人々は、散々獣害に苛まれても、彼らの『生の育み』迄も、剥奪したりはしなかった。対して文明とは、限りなく奪う。開発、近代化、世界に羽ばたく・・・。まあいいけど、とても大切なもの、喪失してしまいそうで恐ろしい。後日、別の地域で、別途、他所のお年寄りにこの「ギンさんの話」、聞いてもらった。・・・あっさり、言われてしまった。・・・珍しくないのだそうだ。「昔からね、女狐は利口らしいよ。捕まらないんだとさ。ひょいひょい、阿呆のごとく、すぐひっかかるのは、みんな雄らしいわ。そのかわりね、女狐はサ、子ができると、どうしたもんかサ、いきなり警戒心が鈍っちまう・・とは、よく聞くね。つい、無理しちまうんだろうかね。」ギンさんの一件を耳にした旅は、夏の頃でした。カラッと晴れて、蒸し暑くなくて、やはり北海道。日差しが強くて、眩しいのに、突如、細雨。ん!キツネの嫁入りっか!!本当に、雨まで降ってきた。狐に摘まれるとは、よく言ったものだ。天国で、ギンさん親子と、羆親子が、みんな幸せに暮らしていてくれますように・・・。悲しい思いをした猫ちゃん、わんちゃんの里親さんになってくれた皆様、犬猫にかわって、この場をお借りしまして、御礼申し上げます。老齢の子、病気の子、どうか、最後まで諦めないで下さいね。介護記事、かなり沢山あります。どれか、ひとつでも、お役に立ちましたら幸いです。_BACK_No.1こちらにも、狐さん、ご登場▼文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.02.17
人と動物,蝦夷開拓時代,女狐【ギン】,賊側家系の明治開拓,人と動物,母狐ギンの悲劇_No.1,ペット,賊側家系の宿命:沈黙の世代と末裔,幕末延長線の明治考察,【楽天市場】蝦夷開拓時代。女狐「ギン」さん。人と動物昔々の話。いったいどの世代のことだろうか。入植以来何代目のことか・・・。厳しい自然環境の中、人々と、女狐ギンの闘い。その狐とは、山神様の化身かと囁かれる程に賢く、狡猾で、一種神懸りな存在だったという。彼らは、維新に際して、突如『賊』の汚名を蒙った人々の末裔。天下逆転。賊となされた。勝てば官軍。負ければ賊軍。入植一代目は、明治の開拓時代。よりにもよって、こんな辺鄙な蝦夷の地。世は開拓使。蝦夷は、北海道というらしい。ところが、彼らにしてみれば、どちらでもいい。誉高い慶応は滅んで消えた。明治という。官軍が明治とした。しかし、それどころでない。生きるか死ぬか。蝦夷の大自然が人の命を弄ぶ。鬱蒼とした原生林。そこに開墾の鍬を下ろしたのだった。黙々と、不毛の大地。黙って、ひたすら黙り続けて、開墾に生涯を捧げた。そして、初代はなんら語ることなく、露と消えた。「先祖の話?んなもん知らねえさ。当時の北海道、先祖だへちまって、んな流暢なこと、言ってる暇ねえさ。毎日、毎日が、生きるか死ぬか。それしかねえんだからさ。」「ほんと、知らねえんだ。不思議なくらい。聞いたことねえな。」「知らねえとこみると、どうせ、たいしたことないのさ。なんか、百姓でないらしいのは聞いた。それでも何も伝わらんところみりゃ、どうせ下っ端さ。」・・・(ずっと末裔の代で気がつく。全然下っ端じゃない!大物だからこそ、伏せて伝えない沈黙の世代達。)「明治になって、わやくちゃになって、どうしようもなくてさ、来たんだとさ。せいぜい、それくらいしか、知らねえな。」「賊」側家系の宿命。沈黙の世代。中間に、断固沈黙の世代が存在する例は少なくない。◆悲しからずや、沈黙の世代は、他にも。全国各地◆■1_相楽総三と孫世代:木村亀太郎赤報隊の犠牲者「相楽総三」。偽官軍の汚名、濡れ衣を被され斬首された。その無念を、孫の木村亀太郎が汚名返上を訴え、やっと勝ち取った。赤報隊について、詳細はこちらの頁総三の妻は、子の河次郎を親族に委託。自刃。無論、河次郎の代で知らぬことはない。子孫を思うが故子に沈黙。亀太郎が育ち、本人に追求されるまで意図的に断固沈黙を守っていた。■2_明治の世、埋没の人生に身を置くかつての藩主、上総請西藩主_林忠崇を助けた男_広部精・広部精の父、広部周助はかつて、林忠崇の臣。上総請西藩主_林忠崇と、広部精・後の世、研究者が、広部周助と広部精の関係を調べるが、その段階で世代が移行しているため、当初、血縁は・遠いとされたが、後更なる研究で親子と判明した。やはり、沈黙の世代がある。沈黙=「賊軍」となった側の宿命。時流れて、世代も幾つか移ろっている。この山は、夏も頂に白い雪を残したまま。その麓に、小さな開墾農家が、ポツンポツンと点在していた。「とにかく、それどころじゃなかったんさ。人の子、犬の子、猫の子。全部おんなじさ。食うや否ずか。弱けりゃ、死んじまう、それしかねえんだからさ。」その集落には、村人泣かせ、女狐、ギンが現れたという。体は大きくて、雄ではないか?否、俊敏に逃げ去るから、実は、雌雄どっちなのか解らない。それが、実態だった。典型的な狐色をしていない。名のごとく、銀色に輝いて見えるともいう。山神様の化身か?幻の女狐「ギン」農家は、皆貧しい。子が病気に倒れても、ただ寝せておくしかない。医者を呼ぶなど、逆立ちしても無理な話だった。現代でいえば、たかが風邪。その「たかが」ごときで落命するも稀でなかったという。人の命は、自然淘汰。愕然となる程、巨大なる規模。蝦夷の大自然。それに比べて見れば、人の命など、豆粒のごとく。誰一人、それに抗うことなどできなかった。それでも、皆は額に汗して、ひたすら働いて、やっとこすっとこ、自給自足迄漕ぎ着けていた。しかし、折角の農作物も虚しい。鳥獣害に川の氾濫。何もかも失って、原点復刻。無一文。それでも生きねばならぬ。爪に火を灯して、どうにか拵えた僅かな資金で、鶏を飼って凌いだ。その貴重な鶏が、ことごとく、獣害にやられる。当時の養鶏は、完全に自然繁殖。人の子でさえ自然淘汰なのだから、ヒナが成鳥に育ち、貴重な栄養食、卵を産み落としてくれる確立なんて、ほんの僅か。育ち盛りの子がいても、人々は耐えて、盆暮れ以外に肉を食することは、まずない。その鶏が、ことごとく、獣害にやられる。猛獣、羆相手なれば、手に負えない。人々は複数の犬を飼って対策。犬のおかげで、だいぶましだ。騒がしくなれば、銃を手に戦うのみ。ところが、ちょろちょろと、狐に悩まされた。大抵の狐なれば、罠で捕らえるも、さほど困難ではない。頻度が高いだけであって、けっして頭を抱えるには及ばない。ところが、一匹、神がかりな幻の狐。人々は、ギンと呼んで、恐れた。この狐は、なんと一度に複数の鶏を捕らえては、器用にも束ねて咥え、風のごとく逃げ去るのだという。犬達が騒ぎ出した頃には、遠くの岩に、ぴょんと飛び乗って、嘲るがごとく、そのまま姿を消す。大枚叩いて、気の効いた罠を入手しても、なんの足しにもならない。どうやら、罠ごときに填まるようなつまらぬ器ではなさそうだ。犬達の騒ぎで駆けつけて見れば、大抵は別の若い狐。ホシはギンなのだが、網にかかるのは、いつも別の狐。これでは大枚叩いた意味がない。やがて、人々は、口々に、ギンを山神のごとく、恐れるようになった。一度に複数の鶏を奪い去る、罠など、あっさり交わす、連続連夜、同じ家に出没したりしない。次は、とうとう我が家に違いないと構えていれば、ぐんと離れた予期せざる家を狙い打つ。あまりにも利口すぎる。これは、狐ではあるまい。さては、山神様の化身だろうか。人々は、ついに、ギンを諦めた。ギン以外に、コソ泥のごとく、ちょろちょろと出没する他狐だけに対処するしかなくなった。ギンの到来は、一種、洪水のようなもの。山神様のなせる業か。いちからやり直してゆくしかなかった。この家の戸主である父は、長年の無理が祟って、年齢よりも、すっかり老けこんでいる。かつての剛健さは、もはや乏しい。「山神様のなせる業なれば、いたしかたあるまい。」老人のごとく、それが口癖だった。そのかわり、長男は頼もしい。長男といっても実は三男。上の子は早世した。幼少より、長身の兆しを見せていたものの、背丈は既に父を上回る。自然淘汰で生き残っただけの価値は、彼の体格が充分に立証していた。「下らん!そんなものは、迷信じゃ!いつか、殺してやる。俺が、この銃で、必ず、撃ち取ってみせてやる。」・・・長男は、そう語った。晩夏のある日文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示
2011.02.17
全46件 (46件中 1-46件目)
1