(6)

tuugakuro
(6)

 急遽受けることになった大学院は、3月が試験だった。
 ちょうどその年、阪神淡路大震災があり、試験勉強をするはずだった私は一気に忙しくなった。ボランティアで神戸にお手伝いに行くことが多くなったからだ。
 必然的に彼との電話は少なくなった。
 しかし、相変わらずK君は彼の家を訪ね、彼は戸惑う日々を過ごしていた。


 2月の中旬。ちょうどバレンタインの頃。
 彼からの電話で、私は彼の家に出向いた。
 K君がいるのだろうと思っていたが、その日はいなかった。
 二人だけで彼の家で会うのは、そのときが初めてだった。


 彼は、K君のことを話すときはいつも、眉間にシワを寄せたような険しい表情になっていた。
 その日もその表情だったから、K君のことで何かあったのだとすぐにわかった。
「K君のこと?」
と聞くと、素直に
「うん」
と返事が返ってきた。


 K君が、同じ劇団の○ちゃんのことを好きらしい、というのは以前から聞いて知っていた。
 そして、彼の前で○ちゃんのことをよく話すことも知っていた。
 そのことで、彼がとてもココロを痛めていることも。


 ところが今度はK君が、彼の家に来た日に、○ちゃんに電話をしたいと言ってきたのだそうだ。
 K君は自宅に住んでいるため、○ちゃんとあまり電話ができないと言う。それで、彼に電話を貸してほしいと頼んだらしいのだ。
「でもな、信じられる?アイツ、俺の家で○ちゃんと2時間も電話しててんで。」
 彼の表情がさらに険しくなった。
「え、その間、自分は何してたん?」
と聞くと、
「もう夜遅かったからな。オレは寝室で布団かぶって寝てた。」
と彼は言った。
「でも、そんなんで寝られへんやろ。」
「うん。布団かぶってても、電話してるKの声が聞こえるんや。そしたら、オレ一体何してるんやろって情けなくなってな。恥ずかしいけど、涙が出てきたんや。」
 無理もない。


 しかし、話は続いた。
「それだけじゃないんや」
「?」
「あいつ、ビデオ持ってきたから見ようって言って、何?って聞いたら、『イチゴとチョコレート』ってキューバの映画だったんや。その映画、うっどちゃん知ってる?」
「知らない」
「ゲイの映画なんや。キューバはゲイなんてご法度の国で、その中にありながらゲイであることを貫いていく男の話なんや。ものすごい楽しそうにその映画を見るんや、アイツ。」


 私はお腹の底がフツフツと熱くなってくるのを感じた。
 嫌な予想が当たったようだった。
 K君は、○ちゃんのことを彼の前で話して、反応を見て楽しんでるんだ。
 ゲイの映画なんか借りてきて、彼と見て、反応を楽しんでるんだと思った。
 許せない。絶対に許せない!


「オレ、始めは知らん映画やから黙って見てたけど、映画の主旨がわかったら、もう嫌で嫌でたまらんようになって、ビデオを切って怒ったんや。そしたら、Kが泣きよってな」
「え???」
「Kにとっては、○ちゃんもオレも大切な人なんやて。だからどっちも失いたくない。Kは男の人から好かれたのは初めてやから、どんな風な関係を持っていいのかわからんから、オレの出方を見てたみたいなんやな。」


 私の怒りは頂点に達しつつあった。
 でも、彼の考えがどうなのか、それを聞かなくてはならない。
「それで、自分はどう思ったん?」
「なんか、もうええ加減にしてくれ!って思って、本当にもう二度と家に来るなって言ったんや」
 彼がそう言うのはもっともだった。


 あまりにもお粗末ではないか。
 本当に彼との関係を大切にしたいのなら、K君はゲイの映画なんか借りてきて一緒に見るよりも先に、その気持ちを彼に伝えるべきだ。
 そして、○ちゃんとの関係を大切にしたいなら、彼にそのことをきちんと説明するべきだ。
 そのどちらもしないでおいて、彼の家で○ちゃんと電話をしたり、ゲイの映画を見たり・・・彼の気持ちを踏みにじるにも程がある。


 だけど、K君はそういう人だった。
 私も、K君と付き合っていた頃、私の部屋に私の友達を連れ込んで浮気をされたことがあった。
 それでもK君は何一つ悪びれた様子もなく、
「それでどうしたいの?」
と言っていた。
 私が嫌ならそう口で言って!と迫った私に、
「嫌じゃないから言えない」
と言い、それならなぜ浮気したのかと問う私に、
「なんとなく」
と言い放った。
 そのときの怒りが私の中によみがえってきた。
 そして、今起こっている、彼へのK君の態度に対する怒りと重なって、私の中で押さえ難くなった。


 でも、そこでふと気がついた。
 それならなぜ、彼は私をここに呼んだのか。
 K君の態度に腹をたて、もう二度と来るなと言って、気が済んだのなら私を呼ぶ必要はなかったはずだ。
 彼の眉間のシワは、相変わらず刻まれたままだった。
 それだけでは済まない何かがあるから、彼は私を呼ばずにいられなかったんだ。
 それは何だろう・・・


「それで?」
「それから、Kは来てない。昨日、アイツの劇団のヤツに会って話してたら、Kは○ちゃんと付き合い始めたらしい。」


 彼は、Kがまた屈託のない笑顔で彼の玄関に姿を現す日を、待っていたのかもしれない。
 そう遠くない先に、K君がまたひょっこりと顔を出すんじゃないかと。
 だけどなんとなく、K君が○ちゃんと付き合い始めたという事実が、もう二度とK君が彼の家の扉を叩くことはないと告げているように感じた。
 彼も、そう感じているようだった。
「なんか、この1ヶ月でオレ10年分生きたようなくらいしんどくてな。なんかひどく疲れたんや・・・」
 彼は本当にひどくやつれた顔で、そう言った。


 彼がどこか遠くに行ってしまいそうな気がした。
 もしかしたら、この人は死んじゃうんじゃないかと思った。
 それくらい、気の抜けた、空っぽな彼だった。


 これからまだ先がある・・・そう思っていた彼とK君の物語は、恐ろしいほどあっけなく幕を降ろした。
 後日談ではあるが、実際、それからもう二度と、K君が彼の家を訪ねることはなかった。風の便りでは、あれから2年後、K君と○ちゃんは結婚したらしい。エキセントリックなK君が、○ちゃんという伴侶を得て、いくらかでも落ち着いてくれていることを願うばかりである。


 私は、空っぽな彼が気がかりだった。
 その夜、私はまた彼の家に泊まった。
 隣の部屋で、彼が寝返りを打つ衣擦れの音が何度も聞こえた。私も、頭の芯が冴えて眠れずに、その音を聞いていた。
 私ができることは、彼の話を聞くことくらいしかない。
 彼がまた、ゆっくり眠れるようになるのは、どれくらい先のことだろうかと、ぼんやりとそんなことを考えた。



(7) へつづく


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