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出先のお稽古場で 年をとって耳が不自由なのと 目が見えないのとどちらがまだましか? ってな変な話題になった。
皆年寄りを抱えているか 見送ったかで切実な問題だ。 結論は出ずじまい。
私も何人も見送ったが姑は最後はほとんど目が見えなかった。(当時は今のように白内障の手術が簡単ではなかったため) テレビも見えず体は元気でもさぞ不自由だっろう。伯母は耳が遠かった (当時の補聴器は不便だったらしい) そのため嫁さんとの会話がまるで喧嘩しているようで聞きたくなかった。 二人とも94~5才で亡くなったが・・・。
今私はこの後者に近づきつつある。
私よりもっと耳が遠い主人との会話が・・・3回目にはどうしても怒鳴り声になり・・・主人は「そんなに怒るな!」という。
伯母を思いだして反省している お嫁さんは知らず知らず声が大きくなっていたのだ 決して怒っていた訳ではなかったのだと。
少し前までは主人に「補聴器をつけたら?・・・」と言っていたが このところ私もだいぶ耳が遠くなってきた。
そのくせまだ大丈夫 まだ聞こえるから補聴器は要らないと思っている。
きっと主人も同じなんだと分かる。
目や耳に限らず人間何処が悪くなっても不便だが 年をとると言うことは何処が悪くなっても仕方ない状態を言うのだろう。
だから又人の痛みも分かり 少しは優しく成れるのだろう。


近年庭の隅に自然と移動したがパピルスの花が咲いた。(通称やぶれがさ)茎は1メートルからある。昔々の紙の原料らしい。
時の移ろいに老いを感ずる今日この頃である。