本日は9月2回目の囲碁例会の日。天気もよしでいつもの通りMTB(マウンテンバイク)で梅田へ。
今日は大阪城公園の先、馬場町交差点で右折するといういつものコースを取らず、NHKと大阪府警本部の間を直進。本町橋を渡り、堺筋で右折し、北浜に出て難波橋から中之島に入り、中央公会堂前を通り、御堂筋に出て、梅新交差点を渡り国道2号線に入り直進。浄正橋交差点を右折、環状線福島駅前を過ぎ、シンフォニーホール前の森で暫し休憩の後、梅田スカイビル、というコースでした。
本町橋は東横掘川に架かる橋。天保12年(1841年)に作成された「浪華橋々繁栄見立相撲」という橋の番付表では東の小結にランクされている。
因みに、東大関は天神橋、西大関は難波橋。東関脇は日本橋、西関脇は高麗橋。西小結は長堀橋です。この番付には横綱はなく大関が最高位になっています。
堺筋に出た処で右折、北へ。北浜交差点の一角、大阪証券取引所の西側に「大阪俵物会所跡」という石碑が立っていました。
「俵物」と言うから米、麦などの穀物かと思いきや、フカヒレ、干しナマコ、干しアワビなどのことを「俵物」と言うのですな。明治になるまで、これらの俵物の売買は此処に設けられた会所で、その売買を許された特定の商人の間でのみ独占的に売買されていたのだそうな。
現役の頃は決算発表などで、大阪証券取引所へはよく足を運んだものだが、こういう石碑には目が向かなかったもののようで、今日初めてそれと知りました。
この写真は難波橋の上から南方向を見て撮影したもの。会所跡碑は上の写真で言うと、交差点の右側の木々のある処にあります。
シンフォニーホール前の森の中のベンチに腰掛けてペットボトルのお茶を飲んでいると、腕に虫が。この間は蜘蛛であったが、今回はキリギリスの仲間の虫。美しい緑色で、ちょっと見惚れてしまいましたが、名前は不明。
梅田スカイビル到着。体の汗を水で拭き、汗で濡れたTシャツを新しいシャツに着替えて、いざ、会場へ。既に青◎氏が来て居られて、先ずお手合わせ。今日の出席者は他には竹◎氏、福◎氏、荒◎氏、平◎氏で総勢6名。
青◎氏との対局中に携帯電話に着信。友人のオガクニマン氏からであった。何事かと出ると、大した用ではないのだが・・と言うので、対局中であることを告げると「では後ほどに」ということとなった。
まあ、これでリズムが狂った訳ではないだろうが、圧倒的に優勢であったのに右下三々への打ち込みを許さないと殺しに行ったのが間違いで、逆にこちらの石が分断されて半分が頓死する羽目になり逆転負け。
気分転換に外へ出て、最近「花野(里山)」にオープンしたカフェテラスで煙草と珈琲の休憩。オ氏への電話もあったので。
煙草を吸う客は外のテーブルとなるが、この方が心地良い。目の前の景色は上の写真の通りです。
さて、オ氏に電話を入れると、用件は何のことはない。小生のブログにコメントを入れようとするが、何度しても入らないので、そのことについての質問であった。先月からスパムコメント対策で「画像認証」を設定しているのだが、その認証に失敗するのだと言う。半角数字で入れなければならないので、もし全角で入れているのなら失敗は自業自得。半角で入れても、原因は不明であるが認証の失敗が続くことがある。小生も最高で4回失敗が続き5回目でやっと、というようなことがあった。
まあ、そんな話のやりとりでありました。
花野に咲いていた花を一つだけご紹介して置きます。ひょっとすると以前に小万知さんから名前を教えて戴いた花かも知れないのだが、もの覚えの悪いヤカモチなので忘れてしまったか、名前は分かりません。しかし、綺麗な花です。青い線香花火のような花。
会場に戻ると平◎氏が来て居られて対戦相手なく観戦中。で、お手合わせ戴く。これは快勝。珈琲と煙草と花とで気分転換がはかれた所為だろうか。まあ、少なくともオ氏との電話雑談がよかった、というのではないことだけは確か(笑)。
続く荒◎氏にも中押し勝ち。しかし、調子に乗り過ぎたか、次の福◎氏との対局では、不用意な間違いをして自滅。結局2勝2敗で可も不可もなしでありました。
帰途は真田山公園の前を通り、上町筋から千日前通りに出て、これを東に走るというコースにしました。
真田山公園の少し手前、つまり西側に「鎌八幡」という神社だか寺だか分からぬものがあり(門の表示に真言宗とあるから寺なんだろうが)、門前に「契沖墓」の表示の石碑。契沖と言えば「万葉代匠記」という万葉集の注釈書を著した江戸時代の国学者。
確か以前にも偐山頭火氏と銀輪散歩していた際に契沖の墓のある寺に出くわしたが、此処にも墓があるのか、と立ち寄ってみることに。しかし、墓は裏手にあるようで入れない。張り紙を見ると「1月25日の契沖忌の日だけ墓参を許可し、他の日はお断りしている。」というような内容のことが書いてある。また、境内全域撮影禁止で、撮影した場合は撮影機材・撮影物を全て没収する、と穏やかならざる内容。
こんな処は近付かない方がいい、と早々に退散。門前も撮影不許可なのかどうかは知らぬが、公道から見える景色を撮影するのは問題なかろうと1枚撮って置きました。
2008年11月25日の日記
に記載している、「見つからなかった契沖の墓」というのは、此処のことであったようだ。
<追記>
その後の調べで判明したことを追記して置きます。
偐山頭火氏との銀輪散歩で見つけた契沖の墓のある寺というのは、妙法寺という寺。大阪市東成区大今里4丁目にある。
契沖はこの寺の住職であったらしい。母が此処で亡くなり、それを弔った後、寺を弟に譲り、自身は鎌八幡に移り、圓珠庵を結んで、国学の研究に打ち込み、此処で没する。妙法寺の方にあったのは、契沖の母と兄の墓と契沖の供養塔であったようだ。母の墓などに並んであったので契沖の墓と早合点したようだ。妙法寺のことはブログ未掲載のようなので、そのうちに再訪問し、ブログにてご報告申し上げます。
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