場所 | 夜歩く |
A県 | 私の父の話です。 父は私が高校2年生のときに大腸癌にかかり、手術で腫瘍を摘出したものの、退院して1年後に再発、再入院して数ヵ月後に亡くなりました。 奇しくも私の高校卒業式が、父のお葬式の日となりました。母も親類も葬儀に追われ、出席者の誰もいない、一人ぼっちの卒業式を終えた後、私は父の葬儀に列席しました。 「風邪1つ引いたことがない」というのが口癖の父も、病魔には勝てず、45歳という若さで亡くなってしまったのです。 父は亡くなる2週間前には、完全に意識がありませんでした。人工呼吸器を取り付けられ、生ける屍のようになっている父に向って、心無い主治医は 「よっぽど心臓が丈夫なんですね。普通だったら、 もうとっくに死んでいますよ 」 と、私たち家族に、皮肉交じりに言い放ったものです。 そんな父が亡くなる前後、立て続けに不思議なことがありました。 知らせをしてもいないのに、親戚、知人が病院に駆けつけるようになったのです。 そのうちの1人が、父の兄、私の伯父でした。 神奈川で建設業を営んでいた伯父は多忙な人で、母も遠慮してか、連絡をためらっていたらしいのです。ところが、そんな伯父が何の知らせもなく、父が亡くなる数日前に、病院にやってきました。 そして驚いた母に向かい、伯父はもっと驚くようなことを話しだしたのです。 私の父が、伯父の家(湘南)までやってきた、と。 伯父の話、正確には、伯父の妻の話はこうでした。 「家の玄関のドアが開いたので、誰か来たのかと出てみたら、Kさん(私の父)が立っていた。 病気で入院していると聞いていたのに、いつ退院したんだろうと思いながら声をかけたが、返事もせず、ただ玄関口に立っている。 そのとき、居間がちらかっていることを思い出した伯父の妻は、 (どうせ来るなら、電話の1つでもしてくれればこちらもちゃんと用意ができるのに) と少し腹立たしく思いながら、 「ちょっと片付けるまで、待っててくださいね」と声をかけていったん奥に引っ込んだ。 それから数分後に戻ってみると、玄関には誰もいず、その上 開いていたと思っていた玄関のドアには鍵がかかっていた。 それに気づいた途端、背筋が冷たくなると同時に(ああ、これはもうダメなんだな)と感じて、伯父が帰ってくるなりその話をした・・・・」 というのです。伯父は妻の話を聞き、取るものもとりあえず、翌朝一番の飛行機に乗って駆けつけた・・・ということでした。 兄弟の中で末っ子だった父のことを、伯父は本当に可愛がってくれていたようで、どうしてもっと早く連絡してくれなかったのかと、母に泣きながら話していました。 その他にも、親戚の1人は 「夜にトイレに立ったとき、仏壇の前に座り込んでいる男の姿を見た。家には男は自分しかいないので、泥棒かと思って恐る恐る近づいてみると、 あんたの父さんが、仏壇に向って手を合わせていた 。その姿をみて、もう長くないことが判ったから、見舞いにきたんだ。 律儀な人だから、 逝ってしまうまえに、挨拶に来たんだろう 」 そう話していました。 父はまだ意識がある時にも「昨日は○○さんの家に挨拶に行ってきた。一昨日は○○さんの家に行ったが、玄関に××のお札が貼ってあったせいで、家の中まで入れなかった」というようなことを話していました。 夢の話とばかり思っていたのですが、どうやら本当に、訪問していたのかもしれません。 |
場所 | 助手席の女 |
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A県 | 母の知人の話です。 その方の近所に住んでいた男性の奥様が、病気で亡くなりました。 子供がいたこともあり、数年後、この男性は再婚。 幸い子供達との相性も良かったらしく、傍目にも仲睦まじい暮らしぶりだったといいます。 再婚して、1年ほど過ぎた頃でした。 男性はその日、家から現場に直行するということで、少し早めに家を出ようとしました。 たまにそんな日があるため、奥さんも出勤する時間に合わせてお弁当を作るのですが、何故かその日はガスの調子が悪く、 いつの間にか火が消えてしまったり などして、お弁当ができなかったそうです。 男性は別に怒る風もなく、「昼は仕事場近くの店で食べるから」と普通どおり出かけていきました。 後でガス屋さんに連絡しようと調子を見たら、ガスコンロは問題なく使えたそうです。 男性が出かけて、30分もしない頃、自宅に電話が入りました。 まだ朝早い時間になんだろうと電話に出た奥さんは、そこで夫の死の知らせを聞いたのです。 家から車で5分ほどの踏切で、男性の車と列車が衝突したことを。 後ろの車から一部始終を見ていた人の話によると、男性の車は警報機が鳴る直前くらいに踏切に侵入し、そこでエンストを起こしたそうです。 後ろの車の男性も、初めはそんなに心配していなかったらしいのですが、遮断機が下りても車から降りようとしない男性にようやく危機感を感じ、警報装置に向かったが間に合わず、列車と車は衝突・・・男性は即死だったそうです。 状況が状況だけに自殺の疑いもあるということで、奥さんは警察に話を聞かれたそうなのですが、家庭問題、仕事関係、経済状況、ご近所関係等どれをとっても順調といってよく、自殺の理由らしいものは見つかりません。 最終的には踏切から車を出そうとぎりぎりまで粘って逃げ遅れ、事故死、という扱いになりました。 ただ、この話には1つだけ不可解な点が残りました。 事故を最初から最後まで見ていた後ろの車の男性の証言です。 その人の話では、車には 亡くなった男性の他にもう1人、女性が助手席に乗っていた そうです。 後ろから見ていると、警報機が鳴り響く中、何度も男性が焦ったように助手席側に顔を向け、まるでそれに答えるように女性が顔を少し向けたりする姿が見えたそうです。てっきり、女性だけでも車を降りるように話しているんだろうと思っていた男性は、最後の最後までその女性も車を降りなかったため、衝突したときに「2人とも死んだ」と確信した、そうです。 そのため警察への最初の一報も、「人が2人乗った車が列車と衝突した」というものでした。 ですが、事故車から発見されたのは 男性だけ 。携帯から電話をかけ、事故現場を離れてもいないため、もしその女性が車を降りていたとしたら、すぐ気がついたはず。でも、その人は誰も見なかったそうです。警察は結局、その人の見間違いとして事件を処理しました。 その踏切は、地元では過去に何度か自殺者も出たところでした。その中には女性もいます。 また、事故のあった日は、前の奥さんの命日が近かったそうです。 助手席の女性は、目撃者の錯覚にしか過ぎなかったかもしれません。 でも、地元ではその男性は今でも何かに 引っ張られた といわれています。 |
場所 | 誰の手? |
A県 | 私が中学生の時の話です。 部活の一環として、夏休みに海でキャンプをすることになりました。 総人数は引率の教師、保護者を含めて20人ほど。それぞれ4人位でチームになり、浜辺よりずっと内陸に引っ込んだ砂地の上に、テントを5つ設置しました。 私たち以外にキャンプしているグループもなく、まるでプライベートビーチのような、貸切状態。 夕方までは天気も良く、泳いだり、ゲームをしたり、楽しく過ごしました。 その後は持参した食材で、夕食はお決まりのカレー。 この辺りから、段々と空が暗くなり、天気が怪しくなり始めたのです。 日が暮れた頃には、とうとう雨も降り始めました。 それでも、テントはしっかりした生地で、多少の雨は通しません。 季節は夏。雨のおかげでかえって涼しく過ごしやすいくらい。 天気予報を聞く限り、台風が来ているわけでもなさそうでした。 これもいい経験だろうということになり、生徒も先生も保護者も、その夜はそのままテントで一夜を過ごすことに決め、各々のテント内に戻り、自由に過ごしていました。 様子が一変したのは、夜9時を過ぎた頃でしょうか。 雨足が強まるとともに、テントを揺るがすような強い風が時折吹くようになりました。 様子を見ていたものの、雨風は一向に弱まるどころか、強さを増していきます。 ついに、支柱がぐらぐらと揺れだしたため、寝ていた私たちは慌てて飛び起きました。 私を含め、テントの中は1~3年生の女子ばかり。大人がいないため、3年生が中心となり、テントが倒れないよう、それぞれ支柱、テントカバーなどを両手で支えました。 特に風の進行方向側のカバーのたわみはひどく、私ともう1人がそちらを必死で支えていた時です。 テントの生地の向こうから、私の手にぴったりと重なるようにして、ぐいぐい押してくるもの がありました。それは、ちょうど私くらいの、子供の手の平。 初めは誰かのいたずらだろうと、腹を立てていた私ですが、冷静に考えれば、テントの 外は荒れ狂う暴風雨。 例えレインコートを着ていたとしても、何を好き好んでこの雨の中、人のテントを外から押し倒そうとするのでしょうか。 それに、おそらく今はみんな同じ状態で、自分たちのテントを必死に守ろうとしているはずです。悪ふざけで人のテントにちょかいを出せる状態ではありません。 また、この浜辺には、私たち以外他のグループもないはず。 仮にもし、私たちが気づかない夜遅くにやってきたとしても、やはりいたずらをしている暇などないでしょう。 では、この人(子供)は、一体どこから? 「ねぇ、この向こうに誰かいるよ」 怖いというより不思議な気がして、私の隣で同じようにテントを支える友人に話しかけましたが、返事がありません。 横を見ると「黙って」といわんばかりの怖い形相で、友人は私を見返してきました。 その表情を見て、彼女も同じようにテントの外の手と戦っていることが判りました。 そして、「相手の存在」を口にするべきではないということも。 それからまもなく監督の先生が回ってきて、近くの旅館の大広間を貸りられることになったので、そこへ移動、となりました。 持ち出すのはそれぞれ自分の荷物のみ、キャンプ用具やテントはそのまま放置して翌朝回収とのことで、慌てて皆で荷物を整理し、車で件の旅館へ。 旅館の好意でお風呂をいただき、急なこととはいえ毛布まで貸してもらい、疲れきった私たちはその晩、大広間で休みました。翌朝は嘘のような快晴。 浜辺に戻ると、テントのほとんどがなぎ倒され、無くなっているものもありました。 その後、私は友人にあの手のことを再び聞いてみたものの、話したくないようで、そのままうやむやとなってしまいました。 あの手は、本当に、なんだったのでしょうか? |
場所 | もう1つの月の話 |
A県 | 私が小学5年の頃、地元で起こったことです。季節は夏。 その日も近所の子供たち5、6人と、日が暮れるまで家の近くで遊んでいました。 共働きの家庭も多かったため、どの家も夕食は大体7時過ぎ。誰かの親が迎えにくるまで、ぎりぎりまで遊ぶのが常でした。 ほのかに明るさは残っているものの、ふと気づくと空に月がかかっています。さすがにもうそんな時間かと、みんなで空を見上げたとき、その中の誰かが突然大声をあげました。 「月がもう1つ出てる!」 指差すほうを見ると、確かにまん丸の満月が山の端から半分ほど顔を覗かせています。別の方角を見ると、三日月が。最初は皆混乱したものの、すぐに山際の満月の不自然さに誰もが気づきました。 まずは、その大きさ。山で半分隠れているものの、普通に見る満月の倍以上あるように見えました。色も、まるで電球のように明るい。 その上・・・その月は、 上下に屈伸運動 していたのです! まるで私たちに見られていることに気づいて、上に昇ろうか、それとも下に沈もうか考えているように、もじもじと、ちょっと昇ってはさっ!と下がる。 こんな動きを繰り返していました。 そのうち友人の1人が「お母さんを呼んでくる!」と叫ぶと、皆わっと自宅に駆け戻り、家にいる親兄弟祖父母見境なしに声をかけて、外へ連れ出して来ました。 でも、再び外へ出てみると、ニセモノの月はもうどこにもありません。 忙しい所を無理に引っ張り出された大人には、当然ぶつぶつ言われましたが、私たち子供もニセモノの月に裏切られた気分でムッとしていました(^_^.) そんな私たちを慰めるように、近所のおじいさんが月の正体を「多分、狸か狐、イタチだろう」と教えてくれました。 その人が子供の頃には、同じようなものを見た子供がもっとたくさんいたそうです。 |
場所 | 最後のお別れ |
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A県 | この話は、私が小学生の頃の友人、Mさんの話です。 入院していたMさんの祖母が危篤となり、病院から彼女の家に連絡が入りました。 とりあえず父親はすぐに病院に駆けつけることにしましたが、まだ小さい妹がいるため、彼女と母親は妹を親戚の人に預けてから病院に向かうことに。 妹を預け、別の親類の車で病院に向かいながら、大好きな祖母がもう助からない最悪の結果を、彼女は覚悟していたそうです。 携帯電話の普及していなかった頃。危篤の一報があってから、病状が回復したのか悪化したのか、知る術もありません。 とにかく病院に少しでも早く着くよう祈りながら、車の窓越しに外の闇を見つめていたそうです。 ようやく病院に到着し、病院の救急外来の入口から院内へ。 彼女の祖母が入院していた市立の総合病院はかなり大きく、エレベーターは正面入口のホールにあり、そちらを利用して3Fの祖母の病室へ向かうと、かなり遠回りになりました。 少し体力は要るものの、救急外来入口のすぐ横には階段があり、そちらを使えば3F階段傍の祖母の病室にも近い。一分でも早く病室へ駆けつけたい気持ちは皆同じだったらしく、3人は無言の内に、でも申し合わせたように、階段へ向かっていたそうです。 はやる気持ちは同じでも、大人と子供では体力差があります。彼女の母親と親戚の人は、ものすごい勢いで階段を駆け上って行き、小学生だった彼女が2Fの階段を登りきった頃には、もう二人の姿は見えなくなっていました。彼女も早く二人に追いつこうと、必死で3Fへと続く階段を駆け上っていた、そんな最中。 ちょうど、踊り場を抜けて3Fの廊下が見えてきた所で、いきなり彼女は 脚が重くなった ことに気づきました。彼女のその時の感覚では、動くことは動くものの、粘り気のある濃い寒天の中を歩いているように、なかなか前に進めない感じだったそうです。 彼女はスポーツクラブにも所属していたため、それが単純な筋肉疲労やこむら返りのような症状とは違うと、すぐに気づきました。 明かりを落とした照明と、人気の無い広い病院の階段。考えないようにしても、どんどん恐怖感は増していきます。 意識しないようにしながらも、半分泣き顔で、彼女は必死に母親達のいる病室へと階段を登り続けました。 でも、階段を一歩登るごとに、脚はだんだんと鉛のような重さを増し、その上、感覚がなくなるほど冷たくなっていったそうです。 そして、遂にはあと数段というところまで来て、 脚は全く動かなくなりました。 その時、はっきりと恐怖を感じていた彼女は、顔中涙でぐしょぐしょだったそうです。 階段の手すりにつかまり、恐怖で半ばパニック状態になって初めて、ようやく彼女は今まで怖くてできなかったことをしました。 そう、 後ろを振り返ること 。 そして、振り返った彼女は、自分の両足首をしっかり握り締める白い両腕と、その腕の持ち主である自分の祖母を見たそうです。 彼女の足首にすがりついたまま、階段の暗闇に横たわる祖母は、病室でよく着ている寝巻きの柄もそのままで、ほんの一瞬彼女は、祖母は元気になって自分を迎えに来ようとして、ここで倒れてしまったのかと思ったほどでした。 でも、次の瞬間うつむいていた顔を上げ、自分を見上げた祖母の顔・・・ 優しかった面影がどこにも見当たらない、 鬼のように両目の吊り上った その顔を見た途端、祖母が亡くなったことを悟り、そしてもう立っていることもできず、階段に座り込んでしまいました。 その後、どのくらいの時間が経ったのか。 気が付くと、涙を流した母親の顔が目の前にあり、恐怖心と安堵感で泣き叫びながら、彼女は母親に抱きつきました。 後から母親に聞いた話によると、母親と親戚の人はほんの一足違いで、祖母の臨終に立ち会うことができなかったそうです。病室で涙ながらに遅れたお詫びと別れを告げた後、ようやく母親は彼女が病室に来ていないことに気づきました。 その間、病室に入ってから、10分も経っていなかったそうです。 不審に思った母親は病室を出てすぐの階段脇に、彼女がへたり込んでいるのを見つけて声をかけました。最初は声をかけても返事もなく、傍へ行って何度か話しかけると、突然大声で泣き出してしがみついてきた、ということです。 てっきり、病室の外で大人の泣き声をを聞き、祖母が亡くなったことに気がついた娘が、悲しみのあまり病室へ入れないのだと思った母親は、つい自分も一緒になって涙ぐんでしまったそうです。 その後、彼女は病室へ入り、祖母と対面させられました。 彼女はさきほど見た恐ろしい祖母の顔が頭を離れず、激しく病室へ入るのを拒絶したのですが、親族の大人全員にいいくるめられ、泣く泣く対面することに。 でも、白い布を取り除いて恐る恐る眺めた祖母の顔は、生前彼女を可愛がってくれた、優しい面差しの残ったものでした。 その時でした。 亡くなる最後の瞬間、自分も苦しくて溜まらないだろうに、必死の力を振り絞って彼女に会いに来てくれた、 祖母の想い、その気持ちのありがたさ と、そんな祖母を怖がって泣きじゃくった自分への恥ずかしさがこみ上げてきて、彼女はその場で号泣してしまったそうです。 その方の生前を知っているからこそ、目に見える恐怖に曇らされることなく 本当の死者の想い を汲み取ることができるのかもしれませんね。 |
場所 | ばかされる |
A県 | この話は、もう亡くなってしまいましたが、近所に住んでいたおじいさんの話です。 堅い勤めをこなして定年退職されたその方は、老後もしっかりした人でしたが、そんな人が若い頃、親の代理で出席した近郷の家の葬式帰りに、 化かされた ことがありました。 なんでも、帰りが遅いため迎えに来た家人に発見されるまで、足首ほどの深さもないような道路の水溜りに、気持ちよく入浴していたそうです。 本人の話では、なかなか家にたどり着かず、一休みしたいと思っていたらいつの間にか知り合いの○○さんの家の前にいて、中に誘われたとのこと。 ○○さんには日ごろお世話になっていて、とても良くしてもらっていることもあり、断りきれず、ちょっと休ませてもらおうと思ったそうです。 葬儀の席で食事を済ませていたため、その家での飲食は遠慮したものの、お風呂を勧められ、疲れていたので好意に甘えてしまった・・・というのが、本人の話でした。 衣服は道端に脱ぎ捨てられていましたが、自宅に持ち帰るはずだった折り詰めやお菓子などは、どこにも見当たらなかったそうです。 また、本人が口にした「○○さん」という名の人は近隣には存在せず、本人もどうしてそんな名前を口にしたのか、首を捻っていました。 その人は後に「酒に酔っただけで、化かされてない」と弁解したそうですが、折り詰め等が風呂敷ごと無くなっていたのは事実で、周囲の人は「ばかされた」と断言していました。 中には「ごちそうと思って泥まんじゅうや馬糞を食わされたじいさん(当時故人)もいたんだから、まだましだ」と慰める人もいましたが、子供の頃に集落の集まりがあると決まってその話がでるため、その人が嫌な顔をしていたのが印象的です。 化かしたのは狐か狸か、当時はまだいたらしい川獺(かわうそ)か、それは定かではありません。 よく聞く話ではありますが、全国各地で同じ話が未だにあるということは、 化かすモノ の存在を証明するものではないでしょうか? |