HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

May 3, 2007
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カテゴリ: 映画と原作

「ゲゲゲの鬼太郎」 を観てきました。映画館は人がいっぱいでしたが、みんな他の映画に行っちゃうらしく、鬼太郎はわりとすいていました。

 実は私は原作あんまり知らないんですが(TVは子どものころ時々見ていたけど)、娘はなぜか大好きで、妖怪の名前も私よりはよく知っています。次々登場するCGの妖怪たちはどれも面白かったのですが、原作の「チョー強い鬼太郎」(娘談)とちがって?、ナイーブなお兄さん(少々頼りない感じがする・・・)のウエンツ鬼太郎に、少しとまどったみたいですね。
 で娘は、妖怪は怖くないんだけど、鬼太郎がやられそうになるたんびに別な意味で「えーっコワイ~どうなっちゃうのぉぉぉ」と怖がっておりました。

 自然破壊と、お宝盗難騒動、人間との淡い恋、などいろんな事件がもりだくさんですが、最後には、すべて元通り。森を破壊する開発は中止となり、お宝は戻り、死んだお父さんは生き返り、人間の姉弟は事件をすべて忘れます。
 人間たちの前から鬼太郎は何も言わずに消え去り、妖怪たちは異界でにぎやかに踊り・・・
 まるで何事もなかったかのような、日常が戻るのです。

 佐藤史生のコミックス 『ワン・ゼロ』 を思い出しました。この話にも、妖怪たちがどっさり登場してにぎやかですが、最後に神と魔がうちけしあって、すべては元通りになります。


 河合隼雄 『昔話と日本人の心』 によると、こういう終わり方は、日本の昔話の典型だそうです。外国の物語は、主人公が何かを獲得し成長して終わることが多いのに対し、日本の物語は、主人公が非日常的な体験をして異界の異性に出会うけれど、しまいには「何も起こらなかった」、もとの状態に戻った、で終わってしまうのだそうです。

 この映画も、人間の姉弟がわから見ると、異世界とかかわりあって波乱が起きたあと、もとの日常が戻って終わります。稲荷の森も元通り、お父さんも元通り。だれも何も覚えていないし、鬼太郎(異世界)はきれいさっぱり消え失せたかに見えます。
 けれども、この当たり前の日常を保つために、どれだけのエネルギーが費やされたことでしょう。特別良くもないけれど悪くもない日常、これを維持していくことは、実はとても大変なことなんですよね。現代人の記憶の裏で、妖怪たちは、いっしょうけんめいニッポンの日常を支えているのです。

 油揚げを供えてねとだけ言い残してほほえんで去った天狐を見ると、社を建ててまつることを条件に国を譲って去った大国主命の神話なんかも思い出しました。
 何て奥ゆかしい、ニッポンの妖怪たち。





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Last updated  May 3, 2007 09:41:35 PM
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