おしらせ 0
日本人だけが知らない日本の歴史 0
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子供のとき(誕生時・胎児の時すでに)親によって与えられ、成長とともに確定的・確信・信念・固定観念となっていく自己のイメージは、あたかも日常の言語=日本語のようなもの。対人関係で緊張する、うまく対応できない=日本に住み日本語がうまく使えない、としても、ほかの土地や言語では絶対に取って代えられない! ならば、日本で与えられた自分のイメージを少しずつ、自分にとって快適なものへと、努力して修整していくしかない。平井 瑛子( ひらいようこ )ホームぺージ 不安神経症を完治する精神療法(心理療法)ライブドアブログ不安神経症(ノイローゼ)は、心理学で完治・解消・克服OK!
2011年09月29日
第一印象通り、先生のお話も筋が通ってて、疲れきってボロボロ?な神経ちゃんに効く治療も合ってて、苦しんできた痛みやつらさや苦しさが日ごとに治まってきてます。しかし、心配もしました。接骨院初診の翌日にはかつてないほどの激しい頭痛が、前頭葉?!(脳天から前面、額も含めた広い範囲)を襲い、あららもう死に神?まだ40代、あんたお迎え早すぎ、帰ってちょうだいと思ったのですが、ふだんは慌て者でそそっかしくて臆病なのに、こういうときには冷静な私、じっとしていると痛みは徐々に範囲をせばめていきすっかり消えたのでした。2回目に通院したときの先生の話では、治っていくときには頭痛がすることもあるそうです。かといって頭痛はいろんな理由で起きるので、油断はできませんが。『プライベート・アイズ』セミナー受講生の方で、テキストを読んで頭痛がしたと報告くださった方のことを思い出しました。とても感受性が豊かな方で、『血と言葉』でも頭痛がしたとおっしゃっていました。心理や精神の大きな節目には、身体症状として顕著な現れ方をすることはたしかにあります。ちなみにその方の頭痛も一過性のもので、後に問題を残すことはありませんでした。それにしても、その接骨院遠いの~涼しく冷たい風がいちばん心地いい氷女にとってまだ日中は暑いから、エコ的に遠慮がちにカーエアコンをかけながら、片道最短距離20キロのドライブを週3回通うって、それもまた一仕事~。ガラス越しの陽射しに当たるだけでも疲れちゃうのです。チベット医学でいうと、火の要素が強いみたいで。でもね、以前通ってた接骨院の電気治療や按摩ではもう効果が出ないくらい悪化してたので、治るまで時間かかるのはしかたないですけどね。その先生も私よりたぶんかなり年下で、手技のとき、痛~と顔をしかめても、「痛いですか?」と手をゆるめずニヤ~としてるので、「先生サド」とジョークっぽく言ってやりました。肉体の痛みとか苦しさ辛さっていうのは、本人にしかわからない場合が多いですよね。精神面の苦しさ辛さや不安や迷いも同様です。妄想や幻覚があるなしも、悩みの深さも、傍目からはぜんぜんわからない。肉体以上に、こころの実態をつかんで把握して、いい状態にもっていくためには、洞察力と細心の注意と、やはり熟練さが要求されます。ふと思ったのですが、同じ市内で車で通って、ただ横になって治療してもらうだけ――そういえば精神分析でカウチに寝るのと、接骨院とかマッサージで寝台に仰向けになるのって、気持ち的に似てますね。退行(甘えたい気持ち・頼る気持ち)を促します――寝そべって治療受けて帰るだけでも3週間目では負担に感じるのですから、精神分析で最低3年も週4回通い続けるって、それはたいへんでしょうね。時間的にも精神的にも、費用的にも、勤め人には無理。富裕層か特権階級でないと。それでも精神分析には良さがある!私は自分の体験からやはり、精神分析を第一におすすめします。自己の無意識を探って、神経症やうつ病(落ち込み)やコンプレックスや自分ではやめられない癖や習慣を変えて、人生を変えて神経症の完治に結びつけるのって、私の『プライベート・アイズ』セミナーみたいな、特殊で特別な自己開示をセラピストがして、クライアントさんの身代わりに深層心理の自己解剖をしてつまびらかにしないかぎり、時間がかかるし困難だし危険なので、きちんとトレーニングを受けたセラピストにやってもらうのがいいですね。潜在意識にある人生への気構えを一新するのは、並大抵のことではありません。しかし、良質なセラピストに当たれば、けっして不可能な課題でもないし、苦しくて辛い、うつや神経症に苦しむのは、定められた宿命でも運命でもないのです。健康になりましょう。平井 瑛子( ひらいようこ )ホームぺージ 不安神経症を完治する精神療法(心理療法)
2009年09月12日
ただいまメール整理中です。どこから手をつけていいかわからないほどたまりにたまってます。『プライベート・アイズ』セミナー受講生のなかで、ある方が、こんなトンデモ治療者のことをお話し下さっていました。ヒプノセラピーは高額なだけで効果がなく、しかもそこのカウンセラー(ヒプノセラピスト)に「このままだと精神病になるからもっとセラピーを受けろ」と言われたこと。別の所で、不安や緊張をやわらげると謳っているサプリメントを試すとき、電話相談で「前世の行いが悪かったからこんな苦しみを与えられたんだ。」と叱責されたこと。えーそれって、無理解と無責任・偏見・差別の極み。私の個人的な意見としては、一般に広く行われているヒプノセラピーは、うつや神経症に苦しむ人にとってほとんど、マッサージや整体程度の効果だと思います。 手術や医療的措置が必要な人が、マッサージを受けても、悪くはありませんが、完治させたい症状を改善することは難しいでしょう。むしろ、マッサージや整体で、かえって調子が悪くなることはありえます。そもそも、「前世の行いが悪かったから不安に苦しむ」なんて、そんなことありませんよ。前世からの影響で不安や緊張に苦しむことは場合によってはありますが、その場合も、必ずしも自分の行いのせいではありません。他者から受けた被害が原因になっていることもあります。しかし、ほとんどの方は、現世での幼児のときの体験が根本的な傷になっていて、それが癒されないまま放置されているのが原因です。ただし、ヒプノセラピーにしても、サプリメントにしても、ちょうどその人の症状とタイミングに合えば、うつや不安障害がかなり軽度のうちなら、他の条件が運良く重なれば、治まることもあるやもしれませんが……。平井 瑛子( ひらいようこ )ホームぺージ 不安神経症を完治する精神療法(心理療法)
2009年07月11日
今日は新しいブログを探して、そこにひとつ記事をアップできました。これ催眠にかかりやすいクライアントさん(被暗示性の高さ)私としては書きやすかったのですが、どうでしょう?平井 瑛子( ひらいようこ )ホームぺージ 不安神経症を完治する精神療法(心理療法)
2009年05月23日
広場恐怖ですが、広場恐怖はなぜ「広場」恐怖なのか?広場恐怖という言葉は、日本人には感覚的にわかりづらいかもしれません。もともと、精神医学や精神科医療、心理学、精神療法(心理療法)の分野では、ヨーロッパやアメリカのほうが進んでいますので、日本はそれを「輸入」して症例や病名をそのまま翻訳しています。 でも、精神科領域の病気は、その国の社会・歴史・文化と深く結びついているのですから、東洋のしかも島国である日本では西洋でとらえられる観念がしっくりこないことがあっても無理はないわけで。深い部分では世界共通ですけど、表面、見た目のあらわれ方では、文化によって多少の差異があります。さて広場恐怖。「広場」というと日本では空き地のイメージですが、ヨーロッパでは、広場が大勢の人との交流の場でした。トルコのバザールなどを想像されるとわかりやすいと思います。いろんな人種が行商にやってくる。刺激と活気にあふれているわけです。物売りの声がかかったり、人ごみでなかなか思うように歩けなかったりする。広場という場所は自分の予期しないことが起きたり、状況をうまくコントロールできなかったり、人と接して何か嫌な思いをさせられる可能性もある。嫌になってもすぐには逃げ出せない場所。日本でいうならば、スーパーのレジに並ぶ。渋滞に巻き込まれる。トイレのない電車に乗る。そういうストレスに近いわけです。平井 瑛子( ひらいようこ )ホームぺージ 神経症を完治する精神療法(心理療法)心理学と精神療法(心理療法)の本棚
2007年10月10日
心理カウンセラーという言葉しか、日本ではピピッとこないみたいなので、いちおう心理カウンセラーと言っていた。でも精神科で扱う病気も関係しているから、メンタルヘルスカウンセラー?――メンタルヘルスなんてやーな言葉だな。薬くさかったり管理されるイメージで。それともはたまた、お医者様が臨床の場で(現在ではおもに病院で)、どこかから仕入れた知識や技法を、患者さんに向かって、効くかな?と、研究と実験をかねて試みたりしてみる?(^^; あるいはこなれていらっしゃる先生ももちろんおいでなのだろうけど・・・治療を補助する意味で使う医療カウンセリングというやつをやったりするので、じゃー、私はドクターでもナースでもないけど、やっているのは医療カウンセリングかな?と思ったり。でも、たぶん違うなー。その人を総合的にひとりの人として見るから、メディカルだけでもなく、ロジェリアンの来談者中心療法だけでもないし。肩書はなんなのか、いまだに定まらない。(;^_^Aそんなことはさておいて、装丁家の鈴木一成さんの言葉は、これだーと思いました。なぜそんなに熱心に情熱を傾けるのかというような質問だったと思う。答えは、「仕事を依頼されるということは、信頼されている、期待されているということ。だからその関係性を壊したくない」だった。うんうん、そうよそうよ。さすがだなー。私もメールセラピーを頼まれるときは、いつもこれを意識している。依頼して下さった方の期待は絶対に裏切りたくない。そう思って、精魂を傾けて全力を尽くす。「自分を決めるのは自分じゃなくて他人」「プロフェッショナルとは次の仕事がくること」サイコセラピストの仕事も、装丁と同じで、自己表現や自己実現の世界じゃない。セラピーの場で、自分が表に出てパフォーマンスしてはいかんのだ。サイコセラピーの場の主人公はあくまでも、依頼者。その人本来の持ち味を掴んで、その人がいいたいこと、表現したいことをつかみとって、ひき出してあげられるか、そこだ。平井 瑛子ホームぺージ 神経症を完治する精神療法(心理療法)心理学と精神療法(心理療法)の本棚
2007年05月22日
ここ最近『前世療法』という本を読まされていました。なんで今頃私がこの本を?と等身大の私は疑問だけど、「とにかく今日中はこれを読め」と、内なる(じつは外なる)何かに強制されて読み終えました。自分でも(理由はわからないけれど、おそらくそうしたほうが正解だ)という直感にしたがって。・・・今日驚くべきメールが『プライベート・アイズ』セミナーの受講生さんから届き、なんたるタイミングのよさ!なぜ『前世療法』だったのか、その理由がわかりました。そろそろ、事実をありのままに伝える時期がきているようです。その準備もととのっているはずです。ホームぺージ 神経症を完治する精神療法(心理療法)メールマガジンhttp://hiraiyoko.com/seminar.html
2006年12月26日
ここの私書箱に、匿名の、心の深刻な悩み(無料)相談メールを残された方へ匿名で心の悩みを(事前の私の承諾なしに)相談メール送るのは、しないで下さい、と断っているのですが、他人が嫌がっていることは、しないで下さいね。ここはインターネット上によくある掲示板や、チャット、無料メール相談、自助グループの交流の場、カウンセリングの勉強会、などとは、性質が違うのです。心の悩み、メンタルヘルスの問題を「訴える」「考える」場ではないのです。私は、即戦力として、具体的に、現実的に、じっさいに、手当て・改善・解消・解決・完治させていくための、本格的なサービスを提供しています。クライアントさんは、みな、悩み苦しんで私のところにおいでです。私はそのクライアントさんをできるだけ早く無理なく、楽になっていただけるようにと、骨を砕きます。精神療法(心理療法)は目に見えませんが、だから、どんなものかは、なかなか言葉で説明が難しいですが、高度に洗練された技術と、多大な精神的・肉体的エネルギーのいることです。私の気力体力と精神力と知識、技能、今までの臨床的な経験を全部その方のためだけに集約的に提供させていただきます。心の悩みの質問・相談については、メールセラピーまたはカウンセリングとして対応いたします。自分に「心理的・精神的なセラピー(治療)」が必要な人間だなんて考えるだけでも屈辱的に感じる人は、少なくないと思います。でも、精神科などの病院に患者として行っても、相手にさえしてもらえなかったほど重くて大きな問題を、なぜいきなり、見ず知らずの、第三者の私に向かって、うまく解決するようにと、匿名のメールのみで、要求されるのでしょう?(^^;この場を、他のインター・ネット上の掲示板やチャットなど、何か通りすがりの、好きなことを好きなだけ言い連ねて、あとは知らん顔して何かあったら即切る、みたいな、人知れず無料で捨てられる都合のいいごみ捨て場?として利用したうえ、この問題も解決してくれ、というのは、迷惑ですし、困ります。きちんとしたお申込みから手続きを踏まない方には、どこのどなたかわからない、ほんとうに解決する気持ちがまだ固まらない方には、私も真剣に責任を持った対応ができません。そういうあやふやでどこか中途半端な態度が、ご自分の心の問題を長引かせていると思います。身体をケアしたり顔のお手入れをするように、ご自分の心にも、その問題に応じて、きちんとした心のケア(この言葉はあまり好ましくない表現ですが、皆さんのなかに通りがいいのはこの「心のケア」、という不思議な熟語なので(^^;))をしてあげることが大切なのです。早く手入れをすれば、それだけ治りも早く、その後の経過もよいのです。いくら頑張ってもできない部分があるなら、自分でできない部分は、プロの手を借りて、時間を短縮して、効果を高める、そうお考えくださいませ。お返事が必要であれば、メールセラピーをお申込みください。精神療法(心理療法)とカウセリングの線引きはなかなか難しいのですが、私の場合は、メールセラピーで、その方を丁寧に拝見したうえで、メールセラピーのなかでも当然セラピー(施療)を行いますし、今後さらに気持ちが上向きになるためのヒントや、改善に必要なアドバイスも、あわせて必ずさしあげています。メールセラピーについてのご案内平井 瑛子ホームぺージ 神経症を完治する精神療法(心理療法)心理学と精神療法(心理療法)の本棚
2006年12月14日
解離状態(他の人格?と一瞬だけスィッチしていた?)になっていた?ときとか夢のなかでの前世らしき記憶をたどった経験から、――われながらいつもタイトルとか内容がスゴいですね(^^;)――つらつら考えていたらある仮説がまとまってきた・・・。もしかしたら もしかして・・・・ 多重人格っていうのは、前世の人格か類魂が出てくる現象ではないのでしょうか?だとしたら、年齢も性別も今の人格とは違っているのも、説明がつくと思いませんか? 何を言っているのかわからない方はパスして下さいませね。でもわかりませんよ~。数年前まで潜在意識とか守護霊だとか精神世界の話は、普通の人は話題にできるものじゃなかったから。 それが今では、コンビニでも本屋でも江原啓之さんなどのスピリチュアル系の話が爆発的な人気じゃありませんか。数年前までは、うつ病や神経症など、心の病は一生治らない。遺伝で、なるひとはもともと狂っていて、普通の人は絶対にならない、そう考えられていたのに、今やどうですか? うつは治る!という本がたくさんあり、神経症についても、やっと少しずつだけど、正確な知識が広まっているざんしょ?(笑)けっきょく、問題っていうのは、前からあっても、なる人が少ないうちは問題にされないものなんだよね。私の花粉症は1970年代からなっていたけど、今みたいにたくさんかかる人がいると、製薬会社も薬をつくるようになるし、自殺だって、8000人も毎年命を絶ってても、交通事故で死亡する1万人より少ないとかって別に問題視されなかった。毎年年間3万人を超えるようになったら、問題だとなった。 8千人だって十分問題なのに、人数が増えてくると、人ごとじゃないってなるわけね。(^^; アインシュタインではないけれど、世間の意識って、こうも相対的なものなんですかね?神経症もうつも一生治らない!と、言われてたからっていっても、結局先生は自分のことじゃないから一生懸命にならないんじゃないの?患者のために自分が治療法を探してあげようとか、お金と時間をかけて研究しようとか、そういう必然に迫られてないんじゃないのかな? 保険診療医師になっているだけで一生安泰なら、わざわざ面倒なことをしなくたっていいものね?! 当時私もその間違った『常識』というか、偉い精神科の先生とか、有名な学者の説に絶望しかけたけど、それを鵜呑みにして絶望して自殺しちゃったって、だーれも責任とってくれなかったろうね。さて、多重人格は前世の人格や類魂がでている可能性がある、という、今日立ててみたホヤホヤの新しい私の仮説、数年後にそれがひょっとして精神医療の常識になっていたりして。平井 瑛子ホームぺージ 不安神経症(不安障害・ノイローゼ)を完治する精神療法(心理療法)心理学と精神療法(心理療法)の書評のブログ
2006年11月26日
人格障害のなかで、もっとも治療が難しいタイプの人がいる。なぜ難しいかというと、自分の非を認める能力がないからである。自分には改めるところが一個もないと思っている。自分は患者として悩んでいる点で、正解だ、完璧だから、今の自分のまま変わらないで何も手放すことなく、魔法のように治してくれるのが治療者の義務だと思っている。だけど、今のままで何一つ変わらず、指ひとつ動かす努力せず、生まれ変われるわけないじゃんー。いつも思うのが、こういう人は身体に垢をいっぱいためているのに、裸にならずお風呂にはいらず服を着たままでお湯につからず、それでいてさっぱり爽快になりたい、そうしてもらうのが精神療法(心理療法)だと勘違いしていると思うのよ。。。。これがどんなに矛盾していることだか、なぜ理解しないのかな。自分でやらないとダメですってなんぼ口を酸っぱくして言っても東風。けっきょくは今の自分で満足しているんじゃない?指摘すると、絶対に自分は間違っていないと主張して、とにかく治療者のあら探しに忙しい忙しい。自分の欠点を棚に上げて他人を攻撃するのは、けっきょく過剰防衛なんだけどね。ある程度人間関係はもたれ合いでもあるから、自分には極端に甘く自惚れが強くて、他人に極端に厳しいってのも、よくないよね。そういう姿勢が問題なんだけど、どうしようもないよね。本人が素直に自分のいたらない点を反省する気がないんだからさ。心理療法家のトリィ・ヘイデンさんも言ってたもんね。セラピストが助力しても本人が努力する気がなかったらダメだし、急に大きく変わろうとするより、少しずつ変わっていくほうがいいって。大きく急に変わろうとすると反作用で押し戻されることが多いからね。 まだまっすぐ歩くこともできない人が、今日からフルマラソンを毎日走ろうとすることは考えるわけないのに、心の場合は目に見えないもんだから、それと同じことができると考えちゃう人がいるからね……。無理しないで焦らないで少しずつの積み重ねが、一番強いんだよ。だいたい~、悩みってのはそのもとが人間関係の悩みがほとんどでありまして、人間関係がうまく築けない人って、あまりに遠慮しすぎて萎縮していたり、逆に、礼儀知らずで、はなもちならない態度だったりと、その中間がなかったりして、バランス、中庸に欠けていることが・・・。もちろん、礼儀正しくてきちんとしている人も多いです。なんでこの人が?悩み?ということもあります。 そういう場合はその方の性格や努力だけではどうしようもなくて、育ってきた環境に大きな原因がありますから、私がお手伝いできるわけですね。環境にまけて性格がねじくれてしまうときもありますが……。でも、とにかく自分しだいだし、いじけてこじけちゃイカンゼヨ! でも、……さっき言ったことと違うことを言い出したり、自分の言ったことを覚えていなかったり、言うことがコロコロ変わる人って、自分で自覚がないとどうしようもないです・・・。多重人格障害や記憶に障害があるようには思えない場合、こういう人はどういう・・・・ただ不誠実で自己中心なだけなのかな・・・? でもけっきょく、いろんな方から、世の中の素晴しさと馬鹿馬鹿しさといろんなことを学ばせていただいています。 たとえものすごく憎たらしい人間でも、可愛い子飼いの社員でも、一切の私情を抜きにして人事を決めた松下幸之助翁のようなドライな冷静さも、どこか頭のすみに忘れないでいたいものです。全然癒しになってませんがー。 以上、フィクションもまじえた日記でした。(;^_^A ホームぺージ 不安神経症(不安障害・ノイローゼ)を解消する精神療法(心理療法)ライブドア 書評中心のブログ
2006年11月25日
もちろん、誰かの特定のコメントが迷惑だったとかそういうことではありません。一般の方や、分野が違う他の先生方からもコメントをいただくのはとても嬉しいし、もっといろんな方と交流していきたいという気持ちはやまやまなのですが、楽天ブログ本来の「つながる・広がる」使い方をすることには、難しさを感じています。まず、ここに訪問して下さる方も、メールくださる方も、私を必要としている方は、自分を隠しておきたい方が多いこと。(精神や心の不調について、社会からの強い偏見がありますから、 ご自分の傷ついた心を守ろうとするのは当然ですし、 それでよいのです)次に、精神科医や心療内科医はもちろんのこと、臨床心理士やカウンセラーやセラピストなどでも、通りすがりの人でも気軽に参加できるブログでつながるという発想はないというか、職業柄、そぐわないようです。 それにももっともな理由はいくつか思い当たるのですが、私も他の先生のように、とりあえず発信のみにすることにしました。仕事がこういうジャンルじゃなかったら、自分の周囲に高い塀をめぐらして用心しなくてもよかったのになぁ。もっとずっと気軽に交流できたはず。。。楽天ブログにたくさんいらっしゃる士業の先生同士が、ライバルなのに仲良く交流している風景がなごやかで、とってもウラヤマシーい気持ちですが、人は人、私は私、私にはこの仕事しかないんだし、人を羨んでもしかたありませんね。(^^; 平井 瑛子ホームぺージ 不安神経症(不安障害・ノイローゼ)を完治させる精神療法(心理療法)心の健康に役立つ本
2006年11月20日
アメリカでは主食はパンで日本は米なのに、どうしてアメリカが米国で日本が『ジャパン』なの?という駄洒落があった。それはさておき・・・相撲では、行司さんが力士が土俵にせり上がるときに、シーッと声を出すそうですね。ラジオで内館牧子さんが「これは神様がおりる道をつくっているんです。天平の文化が今に伝わっているというのは素晴しいこと」と言っていました。相撲のことは全然知らないのですが、力士は神様のような存在ということでしょうか?そういえば、「君は神の顔を見たか」というのが、フランスに大相撲が興行に行ったときの宣伝文だったそうです。かたや、アメリカではスモーレスラーとしてふとって、こっけいな体型をした変わったアスリート?のような受け止められかたです。シートベルトを締めましょうという広報をアメリカで見たのですが、相撲力士へ好意的な表現ではありませんでした。「When you driving a car・・・」みたいに始まり、「衝突事故が起こったとき、ドライバーにかかる重さは体重の○倍です。○○○ポンドのスモーレスラーがあなたに突然ぶつかってくるのと同じ」というナレーションが流れ、映像も、動いている自家用車の車内を再現して、キキーッという音と、まるで投げ捨てられた、意志のない人形のように、突然降って湧いてきて、ドライパー役の白人の男性の膝の上に後ろ向きにバカみたいに乗っかってくる日本の相撲力士のかっこうをした東洋系の男性。(アメリカでは日本人も中国人も韓国人も見分けがつきません。)ただ、ぶよぶよとだらしなく太った東洋人の男が裸にまわしをつけているだけで、髷も怪しい感じ。そしてオチは、ナレーションが、「あなたはそれに耐えられますか?」と言い、画面の前には、二人とも立っていて、白人の男が、「スモー・レスラー」役の東洋系の男を「なんでおまえがここにいるんだ?」みたいな侮蔑的な視線で遠ざけようとするのです。スモー・レスラーのほうは、人の気持ちに鈍感という設定なのか、なぜ自分が嫌われているのかわからないような表情をしています。※ アメリカに人種差別は当然あります。私も体験しました。そういう体験をすると、日本人は日本人としてアイデンティティーをしっかりもたないといけないという気持ちに必然的になります。また、アメリカでは小学校からアメリカ人としての意識を育てることに熱心で、アメリカ人でなくても、移民の子でも、別な国籍の子でも、一様に、国旗のまえで国歌を歌わせることがめずらしくありません。首にされて裁判で勝ったウマシカ教師がいましたが・・・日の丸斉唱のときに座ったままで起立もしないというのは、自分のよってたつアイデンティティー、国のシンボルにたいして、尊敬を示さない・拒絶するということなのです。自分の国を否定する日本人なんて、口にすることがすべてだと思われるアメリカなんかでは、相手にされません。自分の国を否定するってことは、自分の一部を自分で否定することです。こういうことを子供の前でやったら、子供は自分の国にたいして、尊敬もできないし好きになることもできないではないですか?教育者は、子供に自信を持たせてのばしてやるのが役目のはずです。話がそれました。でも、基本的にはアメリカとフランスの文化は、東洋の文化との違いにくらべたら、かなり似通っています。アメリカやフランスで盛んな心理療法は、背景に文化があります。日本人にはしっくりこない部分も少なくないのです。だから私が『プライベート・アイズ』セミナーを作ろうとしたときは、この部分をすごく計算しました。アメリカやフランスでこういうふうにセラピストが働きかけるのなら、これは西洋文化のなかでどんな表現、意味になるのか、同じような効果と伝達を求めるのなら、日本ではどういう言葉になるのか。たいていの日本人はアメリカやフランスに暮らしたことはない。アメリカ人やフランス人に効果的なことを効果はそのままで、日本人のメンタリティに適合するようにするにはどういう形式がよいのか、いろいろ考えて、けっきょくもっとも平易な口語体で、かなり複雑なことでも、わかりやすく噛み砕いて説明するため、そして傷ついている人にそれ以上の新しい負担をかけないで、しかも癒される体験をしてもらうために、私自身のプライバシーを犠牲にすることにしたのです。私がどうやって神経症を治したのかを公開するというのは、とりもなおさず、私がどんな人生を送り、どんな毎日、どんな家族で、どんな仕事で……と、プライバシーを全部開示することでした。苦しみを自己陶酔のために表現するのとは違います。『血と言葉』のように激情にまかせて記すのとも違います。 どういう傷があってどういう症状があってどういうことに苦しんでいたのか、その心の怪我はどんな状態だったのか、それを癒していくなかでどんなことに遭遇したのか、解決するために何をやり、どれが効果的だったのか、心の仕組みを自分自身を解剖して見せることにより、学んでいただこうと思ったのです。ひとりでできる心の健康法として、捧げたのです。心の苦しみをかかえている人に必要なのは、外側からの表面的な、教科書的なアプローチではないと思います。『プライベート・アイズ』セミナー平井 瑛子ホームぺージ こちらライブドアブログ こちら
2006年11月14日
以前から知りたかったこと。精神分析の創始者であるフロイトの娘、アンナ・フロイトや、メラニー・クラインが行った、子供を対象とした精神分析的セラピーとはどんなものだったのか?『"It"(それ)と呼ばれた子』のソーシャルワーカーはなぜ親権についての裁判に臨むにあたって、裁判官が直接子供に求める証言について、あらかじめ、被虐待児本人の男の子にアドバイスをしなかったのか。トリィ・ヘイデンがやっていた、おもちゃで遊ばせるプレイ・セラピーとはどんなものか?そして……トリィがしぶしぶ?引き受けたケースのひとつだったはずの、シーラの「トリィがママっていうのはどう?」という提案に、「私が今まで受けてきた教育訓練のありとあらゆる知識がいっせいにノーと警告していた」のはなぜか? これらに答えが示されて疑問は氷解した。私は自分のことをセラピストだとは思っていなかったのだけれど、どうしても自然な成り行きという形でその役割を期待されることが多い。そのためには、基本的に、治療としての枠組み、構造が必要であることも理解している。私に必要なことは、今までずっとそうだったように、なぜか(これでいい)と確信をもって行ってきたことが、どれくらい心理療法の治療の現場でやっていることに近いのか、理論的な裏付けと検証・確認である。。。。。平井 瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/別館ブログ http://blog.livedoor.jp/sinri_gaku/
2006年11月01日
まぁいきなりお下品ですわね? ごめんあそばせ~。――気取った奥様ふう―― これは、ちょっと重いテーマです。 アルツハイマーの患者さんは、記憶をとどめておくことができない。ついさっきのことすら思い出せない。私にも同じようなことがある。何かを取りに別の部屋に行ってから、 あれ? 何をしにここに来たんだっけ?とわからなくなることが往々にして、ある。(笑)私もアルツハイマーだったりしてね。(笑)「カーット!」(ここでロールプレイ終わり)差別とはこういう考えのことである。自分がそうではないのを知っているから、自己卑下できる。そこにはいやらしい優越感があるのだ。そういう人間と自分は一線を画しているということを暗に示している。自分自身を笑い者にしてウケを狙う人がやりがちなことである。そこでなんの屈託もなく笑う人たちも、自分たちも「そういう人たち」とは違うと差別しているわけで。たとえに挙げられた人間を傷つけるのに全員が協力していることになる。ほんとうのアルツハイマーの苦しみは、こんなものではない。同じ苦しみを味わっていたなら、絶対に口外できないと思う。昔宮崎努(字これでよかったかな?)の事件があったときも、北朝鮮の拉致がニュースになったときも、「私が宮崎努です」とネタにしたり、友達に強引に連れて行かれることを「拉致った/拉致られた」とたとえたり、トラウマも、ちょっとしたことでもトラウマになっていると言ったり、――その人たちにとって、しょせん、人の苦しみも、話を盛り上げるネタでしかないのかもしれない。無料メールマガジン、『本当の自分がわかる心の技術 安らぎと治癒の自己改革』をはじめたころ、「不安神経症になってとてもつらいです。 不安神経症(不安障害・ノイローゼ)の人をバカにしていたから、 こうなってしまったのでしょうか?」というメールをもらったことがある。不安神経症(不安障害・ノイローゼ)は、そんなことでなるものではない。ただ、誰でも――まともな神経をもっている人ならば――、悪条件が重なればかかる可能性があるだけだ。統合失調症の人も、今は脳内物質の分泌の異常とみなされているけれど、幻覚や妄想、させられ感というのは、神経症にもあること。ただ不安神経症(不安障害・ノイローゼ)と、統合失調症が違うのは、他人に侵入される、よそからの声に邪魔される、という症状がないことだと思う。統合失調症についてはあまりよく勉強していないけれど、それでも、こういった「他者の侵入」に悩まされない患者さんもいるらしい。 なんやかんやで薬物療法が中心だけれど、――つまりは、医薬品会社主導になってしまっている印象―― 社会全体の利益のために、治療よりも予防の観点から研究が進むことがよいと思う。平井 瑛子本館ホームぺージ http://hiraiyoko.com/無料閲覧メルマガという名の心理学と精神療法(心理療法)無料講座http://hiraiyoko.com/seminar.html有料セミナー 『プライベート・アイズ』セミナー別館読書ブログ http://blog.livedoor.jp/sinri_gaku/
2006年10月30日
おっ、いきなり堅いタイトルになっちまったぜ。(^^ゞ ――江戸っ子ふう―― さてと・・・・、長い間、地元地方都市仙台では、日本の中心、花(華?)の都トーキョーにくらべて、情報の質と量が、カクッと落ちているんじゃないのかと、その格差をどこで是正して自分のスキルの足りないところを補強して、レベルアップ・ブラッシュアップ(磨きをかけること)すればよいのかと思っていた。でも、どうやらそうではないらしい。で二時間弱の東京のえっとあれはたしか、文京区とか、神保町とか西新宿あたりとかで、本屋さんを巡っても、仙台よりも格別に書籍文化のレベルが高いとは感じなかった。むしろ、都市の規模のわりには仙台のほうが健闘しているような印象を受けた。やっぱり仙台は学都だったから?なのか?また、自分が知っていることは、皆も知っているという思い込みは、寄せられるメールを拝見して、情報がなかなか手に入らない地域もあるのだと、仙台はその点では、わりと恵まれているのだと初めてわかったこと。どんどんフィードバックしていただけると助かる。(仙台でもどこの本屋さんでも、心を健康にするための情報が手に入るわけではなく、 探しかたにはコツがあるのです。) 昔は『陸の孤島』と言われてきた仙台。よそから転勤してきて住んでみて、気に入って終の住処として家を建てる人が多い土地でもある。同じ仙台といっても場所によってかなり住み心地が違うこともたしかだけれど……。それにしても、なんで宮城野図書館には、私にとって役立つ本が、訪れるたびに、そのつどあるんだろう? 建物のスケールや棚に出ている蔵書の数では、(陰に隠してある?のは別として)泉区紫山にある(泉区は文化的に太白区を引き離しているよね、仙台市民の方、そう思うでしょ?)宮城県図書館よりも、太白区の図書館よりも、さらに宮城野区の図書館は建物が小さくて、蔵書も少ないのに、心理学や心理療法関連の本が豊富で、しかもインター・ネットでは探しづらいものが多く、なかなかどうしてあなどれない。(笑)いつも、必要な情報が、いちばんいいタイミングで手に入ることは不思議。仙台に住んでいることは、案外と地の利があったのかもしれない。深く感謝、である。平井 瑛子本館ホームぺージ http://hiraiyoko.com/メールマガジンという名の心理学と心理療法講座http://hiraiyoko.com/seminar.html別館読書ブログ http://blog.livedoor.jp/sinri_gaku/
2006年10月30日
先日、音楽療法士の近藤美智子先生の講座行ってきました。素晴しい・感動的な(泣かされました)・漫才のような(笑わせられました)・楽しい(最後にしんみりした雰囲気を活気づけるため、音楽に合せて踊らされ、運動不足で寝不足だった私は足がもつれました(自爆)でも、すごく嫌というか失敗したなーというか、嬉しくなかったのは、またしてもここでも目立ってしまったことです。私は自分からこういうことをやっているなんて絶対に名乗らず、素人の聴衆に紛れて雑草の蔭に身を隠してひそんでいるつもりが、なんかどーしても、自分から声をだして見つかる……。浮き出してしまうんですよね。(^^; 「皆さん、何が違ったと思いますか?」とか、「モーツアルトの曲や、波の音、雨垂れ、のほかに、1/f ゆらぎがある歌がありますが、それはなんだと思いますか?」という質問に、答えをそれぞれ、「気持ち?」、「美空ひばり?」とかボソッとつぶやくと、「せいかーい!」とドラえもんのようなパワーのある声で、近藤先生に言われて「すごいですね?」ととても驚かれました。先生ったら、「私は柴崎こう(字合っているかな?)だから、あなたは藤原紀香にしてあげます」だって。センセイのお歌が上手で、その講座、(実際にはワークショップ=体験型の講義といえばよいか)全体の構成や流れのなかでとても効果的に位置づけられているのに気づき、また、単純に歌としてももっと聴きたい気持ちにさせられたので、私は素直な称賛の意味で拍手したら、先生は、(;^_^A「そこの方、すごい! うちのスタッフよりも先に手を叩きましたね」とびっくりして、みんなに向かって、「さくらじゃないんですよ。全然仕込んでないんですよ」と弁明していました。そんなつもりじゃなかったー。性格がだから、自分が送ったサインにたいしてみんなの前で、センセイの反応がデカくて、とうとうマイク向けられて名前まで訊かれて、心臓がどきどきしました。まるで教室で指されて緊張してこちこちになる、自意識過剰の小学生の男の子の気持ちそのものだなと自分で思いました。 すごいって言われたって、どうしようもないよ。ストレートで裏がないボクにとって、それが普通なんだもん。ほかにも、、、、ヨーガ教室に行っても、なんか目立つし……。本部の先生とばったり道であって、お茶したときに、私の仕事の話を少ししたら、「そうなの。すごいことしているのね。○○さんは、なんか普通じゃないって最初会ったとき思ったの。これは一回絶対に話を聞かなきゃって。普通の、会社に勤めてる人じゃないな、この人はなんかが違うなって」と言われました。ギター教室でも、「○○さんは上達が早い。リズム感もある」とびっくりされています。5月の中旬からはじめて、1ヶ月ぐらいたった後から、四年前からはじめた人に混じってアンサンブル(合奏)してます。だって皆から離れて音階練習していると、なんだかいい年して、みそっ子(知ってます?)みたいでイヤなんですぅ~~。私ってあほあほしててぼんやりなんだけど、たぶん、集中力と、吸収力と保持力と、出力が強いのだと思います。本は、活字を読みながら、そこに書かれている以上のものをその本のなかの空(くう)から取り出して、濃くして、自分で補足して、ぐーっと自分の身体よりも大きく広げて確認します。これって誰でもやっていることではないようですね? さんざん毎日「あんたはバカだ」と言われて育っているので、バカな自分がやっていることくらい、誰でもやっている、私よりみんな優れていると思っていましたが、私にも人より勝っているところはあるようです。あ、優越をくらべていい気になっている意味ではありませんよ。性格がひねくれている人はこういう話だけでも不愉快になるからたまりません。(;^_^Aこれくらいで歯噛みして激しく嫉妬する人は、心が病んでいます(自己評価が低い)から注意しましょうね。人一倍、努力もしているのです。精神療法(心理療法)についても、その他の健康法や治療についても、必死に情報を集めて分析して研究しているのです。 ヨーガも長いつきあい。ギターは誰よりも練習時間が長いのです。※ ここまで書いておかないと、自分で何か努力したことがない人は、表面だけみて、アヤツはいいなぁとやっかむからね。(;^_^A 平井 瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/メールマガジンバックナンバーhttp://hiraiyoko.com/seminar.html付記音楽療法について、私の頭の中のファイルに収める位置づけは、認知症のお年寄りや、知能障害・身体障害のあるお子さん、余命短い病気にあるお子さん、昏睡状態(coma)にある患者さんなど、とくに、言葉でのコミニュケーションが難しい、そして言葉では逆に追い詰めてしまうおそれのある人と気持ちを通わせるための、しかもそれらの人に負担をかけず、むしろ癒しの効果を加えながらできる、有効な手段でした。近藤美智子先生がおっしゃっていたように、こころが清らかでないとダメですね。気持ちは音楽に反映されるので。ところでぎっちょん、あの講座に参加した人がここを見るってことは……ないよね?(;^_^A 精神分析には、精神分析家の隠れ身という考えがありますから、私は自分のことをあまり出さないほうが、よいことも多いのです。先入観を与えてしまうと治療的な効果が……。 しかし露出と隠匿のこのバランスはけっこう難しい。
2006年10月19日
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