よろず屋の猫

『追憶のスモールタウン』 R・ワトソン


私はタイトルって、作家さんがその小説を表現する、あるいは象徴する言葉として選んだものと思ってるんですよ。
翻訳本だと原題をそのまま使わないことが多いので、書いてます。
で、この本ですが邦題は『追憶のスモールタウン』で、確かに中身を表している、いるんですけど・・・。
『追憶の・・』とか『哀愁の・・』とかって、何だか気恥ずかしくなっちゃうありきたりさがないですか?。
『モンタナ,1948年』では何故ダメかなぁ。

12歳のデイヴィッドの家の家政婦、インディアン女性のマリーが病気になる。
デイヴィッドの父が、医者である自分の兄・フランクを呼ぼうとすると彼女は頑なに拒むのだった。
マリーは、フランクが診療にかこつけてインディアン女性に性的ないたずらをしていると話す。
保安官である父のウェスは戸惑いつつも調べ始めるが、その最中、マリーが突然死んでしまう。

初老になったデイヴィッドが過去を回想する形で描かれる1948年、モンタナの夏の出来事。





とても優れたアメリカ文学だと思う。
アメリカという国はとても広くて、それぞれの土地独特の風土があり、またそこで暮らす人々の生活(心情とかも含めて)がある。
それは年代を遡るほど濃いものなのだと、アメリカ文学を読むと思う。

この作品はモンタナのちいさな町、1948年の夏と非常に小さく限定していながら、アメリカと言う国の恥ずべき歴史も浮かび上がらせている。
幼いディヴィに差別意識はないにも係らず、マリーの恋人(インディアン)が高校時代にスポーツで華々しい成績をあげたにも係らず、大学からスカウトの声が掛からないことを不思議にも思わなかった、インディアンは大学には行かない、そう言うものと思ってた、と初老のディヴィは語る。
1948年のモンタナとはそう言う場所である。

「正義を貫くこと」の難しさ、それに揺れる家族が描かれている。
ディヴィの祖父は町でずっと保安官を務めていて、その一族は町では名家である。
ディヴィの伯父は学生時代は優れた運動選手で、戦争では英雄。
父は弁護士資格を持っているにも係らず祖父の命令で保安官の職についた。怪我で片足に後遺症を持つ父は、自分は兄ほど父に大切にされていないことを感じている。

父はマリーから聞いた当初は、何とか穏便にことを済まそうと思う。
事実を暴かなければと思うのはディヴィの母・ゲイルであった。
しかし、マリーを殺した犯人が伯父であることが分り、父は彼を逮捕し、自宅の地下室に彼を入れる。
それが祖父の怒りを買い、伯父を取り返すための襲撃に会う。
ここで「正義」への意識は逆転する。
家族を守りたい母は、伯父を自由にしてやれと言う。
しかし伯父からマリー殺害の話を聞いた父は、出すわけには行かないと決断する。

伯父は自殺する。
子供であるディヴィはこれで全て問題が片付いたと思う。
自分達を悩ませている色んな事柄が丸く収まると。

しかし世の中は決して甘くない。

正義を守った者に、栄光も幸せも賞賛もなく、町にいられないと転居することになる。

作者は決して登場人物たちに声高に正義を唱えさせていない。
父にしても、苦渋の選択であることが伝わってくる。
それでも正義を貫くことの尊さを私は感じる。
私はメッセージが、このように読者が読んでいくうちに感じ取れるように描かれている作品が好きです。

文章は過剰な表現がなく、簡潔。

ラスト近くで出てくる、運動の苦手なディヴィがマリーとマリーの恋人と一緒にフットボールで遊んだ思い出が印象的。

それでもモンタナの小さな町を愛していると感じられる父=ウェスが哀しくて、また愛しい。


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