「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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造船時代その3
造船所時代の日記(3)です
バスケットの試合も例年通り行われたであろうけれど、引退した身では、余り興味も沸かず。ただ、ひたすらに、仕事に励んだ1年だった。
正月にM.Kから年賀状が届いて、お世話になりましたと書いてあり、児島で、やっている旨が記されていた。
それにつけても、Y.Yからも年賀状は欠かさず来ており、結婚して子供が二人いても、何となく彼女たちが頭から離れない。特にY.Yは何時も頭から離れず。青春を共有した、仲間として、又最初に惚れた女性として、強烈に私の頭にこびり付いている。変な話、マスターベーションをする時、頭に浮かぶのはY.Yのことだ。きっと彼女とはセックスしていないことが、そうさせたのかも知れない。
1976年、年賀状は、二人から来ていた。確か連名で、如何にも結婚していますとアッピールする様な感じだった。特に、M.K(これからはM.Kなのだが、昔の名前で通したい)は子供が出来る予告の内容で、仲睦まじくある様子が行間に滲み出ていた。Y.Yは何時も私のことを一言褒め、自分のペースに持ち込む特技があった。あぁこの手で、私は振られたんだと、年賀状を見るたびに感じるのだった。
リグを設計し始めても商船の仕事もした。商船は、初めてPCC(自動車運搬船)を設計した。MOLのOlive Ace(S1136番船)であり、何層にも別れた、動く車格納庫(駐車場)は、丁度立って歩くには低すぎる高さで、何時もヘルメットをデッキの下の補強材に、ごつごついわせながら倉内を点検して歩いた。デッキは、軽い車の重量に耐えるだけで良く4~5mmの厚さで良いため、溶接による歪みが大きく、それが工数の大きなウエイトを占めていた。歪み取り専門の技能職が、甲板にへばり付いて、加熱しては水を流して、歪みを取っている様は、残念ながら、科学的に効率化されるに至らなかった。
PCCの後は、Dansk Fransk(S1133/1134番船)のカーゴを手がけ、特にエンジンルーム最前部の貨物倉内に所定の隙間が取れず、非常に苦労して補強を考えた事が頭に残っている。
この船では、非常に印象に残るエピソードがある。
2隻ともに共通した問題だった。詳細は忘れたが、1つは、コルトノズルラダーといって、推進効率を上げる為にプロペラ周りを囲った円筒形の筒が着いている舵がある。この舵を製作するに当たり、冷やしバメで、装着するところがあり、それは手順を踏まなければ、取り付けが不可能になってしまうものだった。之を現場が手順を誤り、先に冷やしバメをしてしまった。設計も手順をしっかり書いていないからだと言われ、現場で如何に抜いてやり直すかが、大問題となった。当時林君と一緒に、熱応力の問題と取り組み、如何にすれば抜けるかを必死に考え、現場へ出かけては、半徹夜作業を数日続けた。計算の効果もあり、何とか危機を脱した。全く心臓が縮む思いがした。
もう1つは、コンテナ船の船体に掛かるねじり応力を(コンテナ船の様な開口部が大きな船は、ねじりに弱い)計測するために、実船で、斜め左右のバラストタンクに海水を注入して、最大のねじり応力を出さしめ、それを甲板や、開口部に貼った歪みゲージで計るというものだ。当然徹夜の作業となる。パンと牛乳をかじり、飲みながら、注水に対する応力の経時変化を計測していった。
ところが、あるところから急に期待通りに応力が上がらない、どうしたことかと水に浸かっているバラストタンクのマンホールを空けて、懐中電灯で調査に行った。何と、あろう事かタイトであるはず(水密)の壁に誤って穴があいているではないか、それが倉内に流れ込み、すんでの所で、沈没まではいかないものの、大騒ぎとなった。当然実験は中止、船工部も慌てて、補修し、監督に見つけられぬ様に徹夜の仕事となった。設計としては、誤った指示の図面が出ていたら責任問題とばかり私は、急ぎ図面を見直したが、図面は正常、船工部のミスが明らかとなった。概して、現場の連中は、設計が悪いと、鬼の首を取った様に怒鳴り込むが、自分たちの犯したミスは、内々に隠してしまう癖があった。
この様に、1年で新造船の設計は1~2隻であり、色々なバリエーションが起こりうるので、楽しいと言えばそうかも知れぬが、常に緊張感漂うものがあった。
この様に、仕事以外は、何の変哲もなく、1976年も終わった。
1977年も又年賀状で始まる。Y.Yは、新居に引っ越し。M.Kは2人の母となって頑張っているという。私だって2人の可愛い子がおり、皆幸せにやっている。結構なことではないか。
そう思いきれないところに問題がある。
仕事は、前年との同型船に近いPCCの「鈴鹿山丸」、これもMOLだ。例によって技術的には余り進歩が無く、船工部の歪み取りに関する、各種計測の結果が出ていたものの、相変わらずおっさんが、甲板を焼いては水を掛ける姿が見られた。その作業のために一隻で2000時間以上之に費やすという。
全く馬鹿げたものである。
もう1隻は、RO/RO(ロールオン・ロールオフ)といって、トレーラー毎船内に入り、動かない部分だけを残し運転席は何度も往復して、残した重量貨物を積載運搬する船である。S1078(Mascot)で、私の造船所では初めてであった。Mascot自体は北欧の(ノルウェー)船主で、品が良く、紳士的であった。PCCの大型版と言って過言ではないが、今度は、歪みに悩まされることはないものの、何十トンものトレーラーを満載して走る訳だから、ファスニング(トレーラーを船体に固定する)が、大変で、そこに掛かる力は、船体の運動をも加味した結構でかいものになった。船尾に設けられたランプウェイ(乗り込み口)から、走り込んでいくトレーラーを見て、本当に大丈夫なのかと設計した私も一瞬不安になってくるほどだ。当然、PCCの様な、低い甲板高さではなく見上げる様に上の甲板は高い。
今まで書いてきた番船は社内の便宜的なもので、引き渡しや、正式文書には残らない。
又、船の保証項目は2つである(と聞いている)
1.積載トン数。(デッドウェイト)
2.速度(スピ-ド)である。
振動その他はGuarantee項目ではない。ただ振動して良いという訳ではなく、ある決められた水準以下であることが要求されることは言うまでもない。そこにはIMO(国際海事機構)や各種船級協会が介在して、やたらと決め事が多い。しかし官の仕事と違って、一般商戦は(艦艇は経験がないので言及出来ない)自由度が高い。日本の役人は、と言うか、機構そのものは、技術士が何人以上とか、何やかやと、入札制限が多い。之に比べて、民を相手の造船は、自由に設計することが可能である。やたらと技術士が何人などとは決めていない。誰でも出来るが、誰にも出来ない(力がないと)ことになっている。従って、日本の船舶関係の技術士は登録人数166人に比べ、建設部門は、20960人と圧倒的に多い。生物工学66人、航空・宇宙101人に継ぐ低さである。
それでも無事船は走っているし、問題がない。それだけ、建設に比べて簡単かというと、とんでもない。むしろより複雑だと思っている。前にも書いたか、構造力学、弾性学、弾塑性学、抵抗、推進、旋回、動揺、復元性、振動、船舶算法、進水、溶接工学、有限要素法、・・・と、どれをとっても頭のいたいものである。従って、私は、Naval Architectとしての誇りを捨てないし、Civilに負けないで行こうと思っている。(今は、Civilの端くれだが)
翌朝病院に行き、名前を4つに絞った。「夕紀」「綾奈」「千種」「玲奈」である。結局○○に決めた。会社の資金借入書に名前を書く時、役所以外では初めて名前を記入した。大阪の母より電話があり、お祝いを贈ったとのこと、有り難し。
会社での資金借り入れの為の書類7通そろえて出した。会社といえば親、社員といえば子供、そんなら、もっと簡単で良いのではと思いつつ、会社も何も俺たちを信じているわけではないのだと、妙なところで納得する。同僚とトンチャン屋でのみ食う。喫茶店で、くだの撒きっぱなしの整理をした。皆同僚のおごり(年令は遙かに先輩)何となく、酔った勢いでか、M.Kに電話していた。未練があった。しかしどうしようもないではないか。M.Kは彼(フィアンセ)の話をしたのか、私が何をM.Kに話していたのか、全く覚えていない。翌日は二日酔いで、ふらついたが、気分は悪くなかった。
M.Kに夜21:00に電話をくれる様に頼んだが、果たせるかな22:00になっても電話機は音を出そうとしなかった。それからも、電話が鳴るか鳴るかと思いながら心待ちする自分が哀れで、私は自分の姿に思わず涙するのだった。
病院に行き、肝機能が悪いので、薬が大幅に増えていた。リチウム(リーマス)は当然入っていた。相変わらずの薬局の混み具合、先に宮崎を見舞い(後1週間)帰って薬を取り。C.Iの実家で、飯を食べ(毎日の如く世話になった)帰ってからも受話器を見つめて空しかった。相当に惚れているなぁと思った。最初のY.Yの時もそうだったが、振られるのは何時も私だった。別れは現実だが、テレサテンの別れの予感「泣き出してしまいそう、痛いほど好きだから、何処へも行かないで、息を止めてそばにいて、体からこの心、取り出してくれるなら、貴方に見せたいの、この胸の思いを・・・おしえて・・・」を思い出しずいぶんと辛く空しく、それが世間で言う浮気なんだからと割り切ってしまえないもどかしさを感じた。テレサテンの歌は、男をとろけさせる様で、男を突き放す。不思議な女である。「あんた抱かれたいよ、あんた会いたい・・・・」
凡々と日が過ぎ、10年上の人が転勤や復帰など入れ替えがある。その日の帰りに徒歩で帰宅したので遅くなったせいか風邪を引く、翌日熱が38°まで出て、正直午後からの会議に救われた。
翌日、風邪も治り、早速水島川鉄のジムで、実業団優勝大会で、優勝。珍しいことでもなく皆淡々としていた。
私は、性懲りもなく、M.Kに電話し旧岡山空港までドライブ、M.Kは、結局今後会うことを拒絶。意志の硬いことを知り、最後の別れを言った。私と、M.KのLove affairの真の終局だった。
その時初めて、M.Kを愛してしまっている自分に気づき、溢れそうな涙をこらえて、男らしく、努めて明るく振る舞った。之で、約4年間に渡る、不倫生活第1号が終局した。M.Kは今50才を遙かに超えている。Y.Yに次ぐ長さだ。
会社のこと、そこそこ、上司の交通事故、若い女性の交通事故と、事故が多い。
今は故人となり儚くなったが、バスケット仲間の中平君(井上君)の結婚式に招かれた。朝5:30、宇野駅から連絡船に乗り高松で45分の待ち合わせ。特急南風に乗り中村へ、途中気分が悪くなるも、車窓に目を転じると、緑豊かな自然が、心を癒してくれる。高知で、安藤、井上、永井と合流、中村まで、昔話に花が咲く。何しろこんな機会でもないと、旧友が揃うことはない。中村で、飯を食い旅館花屋に荷をおろし、くつろぐ。中平がお袋さんと現れ、暫時式場に入り、写真班に早変わり。披露の席は400人余、高知の皿鉢料理がどっさり、エビ、刺身、鯛の活き作りなどで満腹の呈、新婦の井上和子さんは、中平より1才年上、岳父は高知県会議員、流石に気っぷが良い。宴会終了後花屋に帰るべく、腰を上げたら、和子さんのいとこが現れ、「お友達の方どうぞ」と車で中村市のはずれに誘われた。自分で道を切り開いたという小高い丘の奥には、之も自分で建てたというログハウス。中に入ってびっくりしたのは、囲炉裏が真ん中で、冬に入りかけていたにも拘わらず、部屋全体が暖かく、囲炉裏端には今日捕れたという天然鮎が串に刺されて、ぐるっと火の取り囲んでいた。
<この間少し飛ぶ(書き忘れ)>
久し振りに、バスケットを真剣にやり、汗を一杯かいた。今日もM.Kは休んでいる。日曜日、現監査役から電話でゴルフの誘いを受けたが、行かず、のらりくらりと過ごした。
月曜日、M.Kまた休み。工務の某が、トラックにはねられて即死とか。日頃調子の悪い車を器用な安延君が来て直してくれた。
翌日は、家の棟上げの件やバスケットボールの後期の日程などに費やされた。M.Kとはファイナルから2週間目で、ほぼ無視状態、ノーマルであろうが、矢張り気になる。
1日おいて11月1日出勤して、タイムカードの序列が変わっていない。本来上がるはずなのにといぶかしく、且つ不快に思いながら入室する。
次の999番船Amocoの引き継ぎに、私が出席した為に、記念すべき1000番船は、大内氏の担当となった。
空しさのみが、日々募り、楽しさは、遠ざかりし事は己が心の持ち様ばかりには非ず。帰り、C.Iを見舞ったが単なる風邪、大丈夫。ドライブ中、前照灯が切れ、途中で懐中電灯を片手にフューズを取り替えた。
矢張り翌日もタイムカードは変わっていない。資格は上がったのだろうないぶかしさがつのる。
最近出張が減って、楽でよいが、それが仕事評価のバロメーターで有れば問題だ。現監査役のグループとは、配属が違い、彼ら活気があるが、こちらは意気消沈した感じ。矢張り、上に立つ物、相当に見識と、ビジョン、且つ教養がなければ駄目だと思った。私の上司にはそれが欠落していた。
S968進水する。もう珍しくもない。自分の担当した船であっても馬鹿バルク(何の変哲もない、普通のバラ積み貨物船を私たちはこう呼んだ)位では、見に行く気持ちも起こらない。
今日は棟上げの予定だ、見に行ってみよう。
本日、文化の日と気づかず病院は休み、月曜日年休を覚悟で、その日は出勤する。昨日来C.Iとは話しがすれ違い、説得出来ず、黙りを通すしかない。気分が悪いまま出勤し、たまたまM.Kの机の上にあった、私を部長にさせなかったプロジェクトチームの下手人が海外出張をする許可証を見て、その件は知っていたものの、愕然とした気分になり、ふとM.Kとコンタクトを取りたいと思った。
しかしこうなれば、相手同様ニヒリズムで通さねばなるまい。何となく胸騒ぐ思いがした。
その日は5時の定時間まで仕事をした。
息子が2才になった。11月9日M.Kから電話で、今日か明日会って欲しいと、来るべき時が来たと感じ、今日会おうと返事した、最初会った店エベレストで、珈琲を飲み、何時も睦み合った場所へ行った。M.Kは、おじおじした風情で、「結婚することにしました」と言った。相手は児島で商売をしているとか。離したくないほど惚れていたが、離婚して一緒になるには障害が大きすぎる。やむなく黙って頷いた。
それから10日間あまりは、虚脱感で、日記も真白である。気を取り直し中国大会に臨み、油谷重工に惜敗、山陽国策パルプには勝った。
肝臓は回復している、Liの濃度を測る。
仕事は、HVR(社内振動連絡会議)で東京へ、いつもの瀬戸に乗れず、岡山で1時間20分待ち、あさかぜに乗り東京着は翌日の朝8:00だった。船基設の連中、また同期、バージンズの連中と会い、早く帰るつもりが宇野着0:38分となった。
飛び石の間は休む人が多い。M.Kも休んでいる。安延君と児島シーサイドに打ちっ放しに行く。安定したと思ったが隣が、がんがん飛ばすので嫌になった。帰りの車、安延君はかなり饒舌になっていた。田舎から、C.Kの親戚が来るというので、車を交換、夕方、一緒に食事した。
出張帰りの報告書など書けば後は気もそぞろ、M.Kに気を奪われる。その行動を一々追い、M.Kが全く振り向かぬのを割り切れず思い、送ったのだと思う気持ちが、交錯し空しさは、以前ほどではあらねども矢張り美しく装った姿を見ると、手放した時の勿体なさというか、何か納得のいかないものを感じた。年の瀬も近い、M.Kはまた数日休む。考えてみれば、田舎の工場だ、女の子達は、活きのいい男を捕まえて、何とか玉の輿に乗り、そのまま結婚退職、専業主婦へが、一般的だった。
M.Kは、それが出来ず、地元の人と一緒になったのだ。でもそれが正解、私と一緒になっていたら、心の平穏など感じることなく、決して平和な人生を送れなかったであろう。今は3人の子持ち、つい先頃まで、年賀状を呉れていた。Viva M.Kだ。
1978年M.Kからは3人目が生まれる予定との年賀状。Y.Yからは、来ていたろうが、覚えていない。とにかく、Y.Yは海外旅行ばかりで、年賀状は、遅れることが多い。それぞれに羽ばたいているのだと、もう関係はないものの、昔の良き時が走馬燈の様によぎる、一瞬である。
今年も仕事、S1977番船(Mascot)の小型自動車運搬船で多分600台積み程度のミニチュア版であったが、前のRO/ROと同船主。親しみを覚えた。出来上がった船は、こじんまりしていて、瀬戸内海に飾っておきたい様なものであったが、遠くノルウェーまで出て行ってしまった。この頃から、特に自分が設計担当した船に愛着を感じだし、その船(ドイツ語では船を女性名詞として扱っている)の引き渡しということは、多分親が娘を嫁に出す時の心境では無かろうかと、勝手に想像した。
元々、個別生産であり、船主は決まっていて、量産品にはない、手作りの愛着は、いやが上にも湧き上がる。ところが、船も停年を間近にし、採算が取れた段階からは、売船されることも多く、自分の設計した船が、船名が変わり、船体塗装も様変わりしてしまうので、何処かで出会っても、それと分からないことが多い。レジスターブックというものがあり、それを辿れば、履歴が分かり、廃船前の軌跡は追えることになっている。
設計に心血を注いだS903えるべ丸も売船され、船名を変えていた。
もう一つは、S1161/62番船(P&O)Peninsular and Orientalという船主の結構品の良いカーゴーシップだった。(前に一般貨物船が、終わりだというのは、少し勘違いしていた)
“Strathconon”と"Strasardle"の船名をもつ品の良い貨物船であり、LR船級、甲板はグリーン船体は白と鮮やかで、大きなデリック1基と小さなクレーン6基を持つ優雅な船であった。
こんな船主ばかりだと、技術屋はやり甲斐があるのだが。
後は、この頃から海洋構造物が動き出し、Herrema社(後にSSDBを造る)のF534、Launching Bargeを殆ど一人で手がけた。Skidと大きな鋳物製のTilting Beamからなるバージで、材料のこと、構造力学的なこと、安定性やその他色々学ばせて貰った。如何せん、その写真はない様だ。
そして、この頃から会社は、緊急要員対策賃金総合案なるものを策定し始め、徐々に締め付けが始まった。
1979年M.KとY.Yから相変わらずの年賀状である。二人とも達筆で、C.Kは、筆も執らずであったため、その差は歴然としていた。しかし美人というか、私の価値判断の中では、3人とも美形であった。仕事では、S1196(Mascot)の大型自動車運搬船を設計することになった。
M/V NOPAL BARBROと呼ばれたこの船は、私が課長補佐に昇格しての初めての商船であり、且つPCCの最後の船となった。ノルウェーの船主だから当然船級はNV(ノルスケ・ベリタス)であり、長さ、194.5m、幅32m、13層からなる船体に20500馬力のエンジンを搭載した、一般車両約5600台を搭載可能な大型船であった。その車両は、船腹と、船尾から、ランプウェイを通って自走搬入される。車には、少量のガソリンしか入って居らず、運転手は、旨く所定の位置に格納すると交代で、船外に降りる繰り返しである。
この年の何月だったか、梨狩りの前のころ、M.Kと同じ職場に、M.Sがいた。それまでは、気が付いてはいたものの、さほど気に掛けてはいなかった。背が高く、少しニキビ顔の、愛くるしい目をした娘だった。若さも若く、超ミニスカートで歩くものだから、背が高いこともあって、足はすんなりと伸び、階段の下から見ると下着が見えるのであった。くだんの現取締役○○などは、M.Sが食堂から帰ってきて階段を上るころになると近くの休憩所から良い角度で陣取って、彼女をそれとなく見上げ、私に目線で合図する。ばっちり、下着が見えるのである。何事に付けても抜かりのない奴と思った。
そうこうしていく内に又梨狩りという話が持ち上がり、彩りにと工務課のM.S達も誘うことになったらしい。私は、その時既に前車に見切りを付け白いカローラに乗り換えたところであった。
M.Sはそれを知ってか知らずか(知っていた様だが)「私は、白い車しか乗らない」と言ったそうで、(父親がそうだったからと理由を付けて)結局私の車に乗り込むことになった。男女2人ずつ4人で乗った。M.Sは運転する私の後ろに座り、手をヘッドレストに回し、「こうしたら楽?」と聞く。「うん、楽だなぁ」と言うと、健気にも、玉野から、鳥取までずっとその姿勢を崩さない。途中、奥津渓谷に遊び、石碑の前で、写真を撮った。今はそれもC.Kが持っていってしまいない。
梨狩りを楽しんだ後も同じようにする。「いい加減疲れないか」と聞いても「うぅん、之が楽なの」と人目をはばからない。これはだいぶん気があるなぁと感じてそのままにした。
また、S1196に戻るが、本船は、バルバスバウ(Bulbusbow)が無い。昔のタイプの船だ。従って、船首部分の水面下の幅が極端に薄い。横波に対する強度は十分かとの船級の問いに対して、一心不乱に強度計算をして、数日後、神戸を訪れ、船級に説明、その時、本部(オスロ)からも技師が来ていて、ディスカッションとなったが、そこは民間の良いところ、こちらの計算手法と、結果を十分に理解してくれて、結局、Approvalを得た。私が、NVと親しくし出したのは、それが最初であった。
それまでは、LR(ロイド・レジスター・オブ・シッピング)やNK(日本海事協会)が多く時にAB(アメリカン・ビューロウ・オブ・シッピング)もあった。
総じてノルウェー人は紳士であり、母国語でないだけに英語も分かりやすい。MASCOT以来私はハッピーな船主、船級に出会ったことになる。
最初のグリークや、WW(と言っても2つ有りワーコン:華僑系は汚く、ワールドワイドは紳士だ)
ダブダブと称していたが、中身は大きく違った。
次の一週間は、取り立てていうほどのこともなく、ささやかな夫婦の諍いや、一寸した出来事に終始した。バスケットの高田君宅で、幹部連中が集まりご馳走になった。来期塩田氏が、コーチを引き受けてくれるので協力を約し、その他の人事は、追って決めて納会にて発表することになった。
12月7日(金)最近は意識してM.Kを見ないようにしている。またM.Kも無視するが如き様なり。之が必然と思うも全て空しい。相手が順調にいっていることに同慶だと、心得ていたはずだが、この仕打ちはと思い直すと、何となく割り切れぬ心地だ。明後日で、別離から1ヶ月が経つ。誰にも言わぬといいつつM.Kの結婚は既に公認となっている。それは喜びに溢れた姿で分かる。このことは私にも相当にこたえた。以後この様に思う時も有ろうが、意識して避けていくだろう。そしてM.Kは黙って去っていくのだろう。そうしなさい、それで良いのです。
入院していた宮崎君が、フィアンセの赤沢嬢と来訪するという。嬉しかった、共に酒を酌み交わし語ったが、調子に乗って、ウイスキーを相当飲んだらしい、彼らが辞去した後、酩酊し、そのまま翌日まで気が付かなかった。
良く月曜日頭はがんがん、二日酔いである。定時後の会議までが長かった。
新居の残金など払って、阪大会や、バージンズ、バスケットボール部の忘年会が目白押し。M.Kは1ヶ月経っているので、もう平然と目を反らす。・・・あの時ベッドで「○○さん好きよ、もっと、もっと愛して、いぃは、いぃ、行きそう、ねえもっと・・・と言っていたことが幻みたいだ。
取り敢えず、バージンズと、阪大会のそれは終わった。
子供達を実家に預け、高島屋で買い物をする。有り金叩いてレザーのジャンパーを買い、家に帰ったらすっからかん。
S1000番船は計算機で図面を描いた初めての船。私は外板展開(Shell Expansion)川島君が(Constructio Profilr & Deck Plans)を担当。
バスケットの納会では、塩田(旧姓木下)氏が監督、浜崎さんがコーチ、是非私にも残留して欲しいとのことで、シューティングコーチなる名称を作り、収まる様要請された。之と雑務を執り行うマネージャーの選定が、とにかく決まらず越年も必死となった。
そしてついに年末が来て12月28日の最後の日に矢張りM.Kと私はS極とN極が如き反発をしているかの様だった。むこうは、大義名分に則ってのこと、私の場合は、殆ど身勝手なもの、比較しようもなく、冷静になれば当たり前のこと、でも未練は残る。私だけの為に、笑い、涙し、且つ喜んでくれたことを思うと、どうにも堪らない。
1973年は始めよく終わりは最悪となった。
・父逝く
・Depression入院
・新居購入
・M.Kとの別れ(結婚)
・娘誕生
・多数の転勤
・多数友人の結婚式
・四姉の別居(いびり出された)
・etc.
が今年だった。
より良き来年を期待しよう。今年の残滓は仕事だけでよい、と私は行く年来る年の鐘の音を聞きながら、ほろ酔い加減で呟くともなく胸にしまい込んだ。
1974年を実家に泊まり込んで、早朝5:00、M.Kと行った金甲山へご来光を拝みに、一人で車を飛ばした。今年の始まりは、緩やかに見えるが、何となくひしひしとした重圧感も同時に覚える。好むと好まざるとに拘わらず、年は明け、始まる。ご来光に手を合わせた時は無心だった。
午後、母と、四姉が、来玉。岡山駅まで迎えに行き、途中、新居となるべく建設中の場所に案内した。母は、通常であれば良いが、どうにもせっぱ詰まると、四姉に辛く当たる。
3日には、母と、四姉と息子とで高松稲荷を訪れようと出かけたが、道路は異常に混雑、やむなく吉備津彦神社参拝に切り替えた。、帰りは、後楽園烏城を経てその足で、母を伴って四姉は帰っていった。
翌日、私は逆に大阪へ行った。友人の早川と会い談笑し、永井と会い買い物をした。息子のパトカー、妻へのイヤリング、それと自分の靴。昨日今日と梅田3番街をうろつく。
元兄夫婦が来る。四姉はあれほど痛めつけられたにも拘わらず、それでも水炊きを作る。素直な気持ちになれず、無口だった。
元兄は、事故を起こし、その代わりにと、相手に自分の車を取られたままという。かの息子は、生まれついての知能障害で、訳の分からぬ言葉を発し、見るも哀れであった。
変な初夢を見た。今日は帰らねば、またM.Kを思い、今年はきっぱりと心の整理をして臨まなければ・・・。帰りは四姉の買い物のエスコートをして、その足で、玉野に帰った。
初出は、特に変わったこと無く、社長が相変わらず、「コストダウン」を叫んでいた。M.Kの誕生日も何事もなく過ぎた。
S1000の線図(Body Plan:船の容積、スピードを決める船の外形状を決める重要な図面で、たいていは社外秘になっている。)を、課長のコメントで大幅に修正することになった。基本から変わる、私と川島君は、設計大改正の為、本社と、東洋電機に図面を書きに行くことになった。1日が空しく、心の中で「I want try contact, I want」と叫んでいた。
M.Kは3月3日に結婚式を挙げるらしい。心は冷え切り、こんな感じなのか、こんな予定だったのだろうか、と自問自答した。
仕事は、少し間遠になり、会社で、時間を持て余す様になった。S1022/23の担当が誰になるかも定まらず、心焦る日が続く。C.Kは友人宅に行き旧交を温めていた。
定時間後、川島君と玉野日活ポルノで、3本を見て、多少気分悪くなった。ああいうのは、見るものでなくするものだと思った。
翌日S1000の作図の為に東京へ向け出発。寝台車の中、疲れていたので岡山迄に寝込んでしまう。横浜付近で目覚め、現監査役と一緒に、東京温泉で一風呂浴び、マイアミで珈琲を飲んだ。ゆったりした気持ちで、新橋の本社に出て、昼飯は築地の寿司屋で、3300円も取られ、少し青ざめた。午後東洋電機のCalcompで作画。外板展開図だけで結構な時間を食ってしまった。千葉から同種類の件で、友田嬢が派遣されてきており、同じ仕事を女性がやっているのかと、若干愕然とした。断面のフェアリング、船尾の一部の不備、等有り疲れと共に時間が掛かる。2日目は、投宿先をキャンセル、埼玉に二姉の家を訪ねた。
S1000の図面作成の為、少し東京に逗留したので、二姉、三姉の所に足をのばした。三姉のところで、初めてトルコン車に乗り、勝手の違いに少し冷や汗をかく。川島君と、喋り詰めで帰り、宇野駅で、下池君の出張とすれ違った。記念すべき1000番船は、どうやら副担当的な感じだ。
1月22日M.Kから電話があった。後7日しか会社に出ないとのこと。その日は彼女と、思い出の外食レストラン、エベレストに食事を、初めて会った時と同じものを頼んだ。M.Kの之からのことなどを話し、空しさを抱えて、憔悴の内に私は家路についた。
その後も、淡々と日は過ぎ、ストレスを紛らわすのに、酒の力を借りなければならなかった。
給料日に、その少なさにがっくりと来て、勤労意欲をなくしてしまった。
バスケットボール部の本年の首脳陣が決まり、無冠となった私は、自由な立場で、バスケットそのものを楽しむことが出来る様になった。
未だ薬を貰っている。家の仕様と、建売の貧弱さをいやと言うほど感じ、様々なクレームを付けた。
HR(社内船殻連絡会議)で、東京からも人が来、彼らと、旧交を温めながら、飲む。
1月31日(木)M.Kが会社を辞める日が来た。彼女は、たくさんの人に挨拶をし、私の元にもやってきて、最近逢ってくれたことに関して謝意を述べた。そして彼女は、彼女の住まいを明らかにし、その上、火曜日には午後家にいるので電話して欲しいと私に言って、そのまま次の人に挨拶をしに移っていった。
正月は、矢の様に行ってしまった。M.Kは居ないのと分かっていながら、つい目で、空席を追っている自分にはっとする。
恒例行事化した山火事があり、人家にほど近く迄押し寄せ、一時は騒然となった。誰かに言わせると、住宅地開墾の為に。火を付けるのだとか・・・。
約束は過ぎていたが、M.Kから電話があった。バスケット仲間に車を借り、M.Kの実家の前のたばこ屋で、M.Kをピックアップ、一度入ったことのある、宇野線沿いのモーテル「瀬戸」に入った。
もはや会えぬし、結婚前と言いながら、他人のもの、どうにも気持ちが乗り切れぬ所があったが、最後だとの気持ちが、私はM.Kを優しく、そして激しく愛撫し、「本当は。○○さんが、好きで堪らなかったのに・・・、でも家庭は壊せないし・・・。」「もう諦めたの」と、返って、激しく求めてくるので、ついつい、陶酔の中にのめり込んでいった。
でも、これ以上は、望むべくもなく。M.Kも最後と知って、本音を吐いたのだろうと愛おしく不憫に思えた。
その週の日曜日、大勢の仲間の助けを借りて、新居に引っ越した。
病院では先生が替わった。
矢張り、M.Kを失った空虚さは、何物のも変えがたく、生きていることがやっとの感じであり。他のものに逃避する様であった。
M.Kのことは徐々に忘れ、バスケットボールと、仕事に関する勉強へと、注力し始めた。
昔誇っていた視力も1.5から右0.6,左0.9となっていた。
土曜日には、子供を連れ、社内のハイキングに行き、山に登って、瀬戸内海を満喫した。
私は、家を建てたばかりで、あまり裕福ではなかったので限られた予算の中、門扉と、正面の塀をブロックで作る決心をし、設計に掛かった。
化粧ブロックを千鳥模様に六段その間に格子を入れ、門柱は、矢張りブロックなれど、鉄平石を張る構想だ。
取り敢えず、カーポートから組み立て、セメントを打って、基礎固めをした。
岡山の田舎にアメリカのプロバスケットが来たので見に行ったが、(ハーレムクラウンズ対アメリカンインディアンズ)どうもふざけが過ぎて、不愉快だった。社内の英語テストを受けたが、所詮英語は学校に返してきたので成績は今一だった。
病院では、光信先生に代わり(大学病院は、よく担当医が変わる)よく説明をしてくれた。「リーマス」は、飲み過ぎると中毒になり、三環系の「トフラニール」は安心だが、ただ便秘などの副作用があるなど。
夕刻に門扉を立て、塀の基礎を深く掘った。水準器、下げ振りを使い本格的且つ、細心のものにした。
裏側の比較的凝りのない方の塀は完成、土均しをした。
五月の連休、子供2人をつれて、栗林公園内の動物園に行った。他人の塀作りの手伝いもしたり、義弟の子供を見に行ったり、ボーリングをしたり、家庭的な父親に返った。
一緒の職場に入っていた、2年後輩の、鹿児島生まれの下池君が、船殻工作部へ転出することになった。
また現取締役をしている、大野君(例の女に持てすぎる男)が結婚すると言い、招待状を貰ったが、私は辞退し、祝電だけを送った。と言うのも、彼の奥さんは、桜内義雄の娘であり。彼自身、父が、某大手造船会社である、私の会社の社長を争い、病気で果たせなかった、血統の持ち主であって、招待客には国会議員や、会社のお歴々が来るからである。気後れという奴か。
そんな訳ではないが、翌日は定時から飲み歩き、なんだか奢られた形で、そのままスーパーカブ号(90CC)に乗り裏道を帰った。しこたま飲んだせいで、翌日の二日酔いは、ほぼ夕方まで続いた。
週末は、息子を連れて行くつもりが、体調と、時間的制約から、一人で、バスケット仲間と共に四国で、高松工芸高校と、高松高専との練習試合に臨んだ。工芸とは引き分け、高専とは大差で勝った。
私は、試合には出ず、レフェリーをかってでた。
翌月曜日、神鋼高砂工場に、スターンフレーム(船尾骨材):船の舵を支えプロペラ軸を通し、狭隘で、且つ重要な部材。の木型検査(鋳物製の部分)にスーパーバイザーとして立ち会った。工場見学を案内され、肝心の検査では、ここの線が、もう一つ、ここは、少し削り込み、ここは少しふくらませてと注文を付けた。
バスケットボールでは、鳥取工業の山根君が入り、即戦力と期待したが、余り長くは続かなかった。
週末は、後で、「私を部長にさせなかったプロジェクトチ-ム」の一人となる人間の塀作りを手伝い
ドライブし、五月人形を片づけたりして過ごした。この時期艦艇設計に去る者が多かった。
課長の命で、他人の図面の手伝いをさせられ、不愉快だった。S984/1020は雑務を残し、終了、同型船が来るかどうかは流動的。
NVとの交渉も無事終わり、やっと一息ついたころ、夕方、残業帰りにカブを運転して帰る時、前にM.Sが歩いている。こんな遅くにと思い「どうしたの、残業?忙しいんだね」と側によって話しかけた。M.Sは、「えぇ、そうなの今日は○○さんがお休みで、とても忙しくって。」と、元気な声が帰ってきた。今まではいていたミニスカートは時節柄もありジーパン姿に変わっていた。薄暗かったが、後ろ姿のスタイルは、抜群に良く、そそられるに十分だった。
梨狩りでの件もあり、自分が単車(カブ)にも拘わらず、「送っていこうか」というと、「えぇ」という。「じゃあ、ひとっ走り帰って、車で迎えに来るから、バス停付近で待っているかい?」と言うと、「待ってる」というので、大急ぎで車に乗り換えて、出直した。車で片道10分程度なので、バスで帰った方は早いに決まっている。それを待つという。
車に乗せて、「じゃぁ、このまま帰る?」と聞くと。「何処かドライブして」という。ああこの娘は、私に惚れているなぁと確信した。私は、車を180°転回させて、渋川海岸の、中間地点、丁度玉野市と、児島市の境界あたりにある王子が岳の登山道路を駆け上がった。登山道路は、適当に、曲がり、M.Sを酔わせるのに効果的だった。頂上に展望台があり、その奥に少し広い駐車場がある。私は、展望台には見向きもしないで、迷わず、その駐車場の、海が見える場所に車を留め、エンジンを切った。「何故、そんなに忙しいの?」と、さっきと同じ事を聞く。「月末だし、一人休んだので、しわ寄せが来ちゃって。」と之も他愛ない。
暫く海に浮かぶほんのり見える漁り火を二人で見とれていた。このあたり沖合では小舟で漁をする、漁師が案外多く、夏場はもっと、きらきらする海に変身する。
ふと「M.Sさん!」と右手を肩の方に回して、キスをしようとした。M.Sは当然のことが起こったと、半ば、こちらを向き、私の求めに素直に応じた。キスは、とても甘いものだった。そしてM.Sも、キスの仕方が分からない様子で、唇を離すことなく舌で教えてあげると、直ぐ理解して私の舌を受け入れるのだった。思う存分キスの味を確かめながら、右手はセーターの上から乳房をまさぐっていた。身長の割には決して大きくないおっぱいだったが、形は良かった。セーターの下に滑り込ませて、更に確かめると、小さい様で、そうでもなく乳首は上を向いて、凛としている。暫く手のひらで、感触を味わっていると、キスした口から少しくぐもった声が聞こえた。感じているのが分かる。その手を今度はジ-パンのジッパーに掛けると一寸ドキッとした様だが、直ぐに自然な状態になった。M.Sは、セーターの下にはブラジャーだけ、そしてジーパンのジッパーを降ろすと、その事には何の抵抗もなく、むしろ降ろしやすい様に体をよじった。ジッパーの下は直ぐショーツ、そのショーツ越しに指で触れると、そこはもう密の世界。十分な前技の後なので、指が、濡れている。M.Sは十分に感じていた。私も感じていたが、そのままショーツの中に指を入れ、密の源泉を指でまさぐった。M.Sは、何も抵抗する(元々抵抗などしなかった)気もなく、私の為すままに身を任せていた。可愛い娘だ。私はそう思った。7つ年下だ。こんな可愛い娘が、私を慕ってくれている。世の中の男性は何をしているのだ。等とは、後で考えたことで、M.Sには、私が最初に憧れた、男だったのかも知れない。その日は、其処までで、十分上気したM.Sを乗せて、本来送るべき家に帰った。もちろん、再会を約して。
1979年は、殆どS1196の設計で一杯だった。それ程問題点はないけれど、結構理屈ぽい船級協会だったので、面倒臭くはあったが、かえって、勉強にはなった。理論には理論で応える。技術屋の醍醐味である。ややもすると官(日本)の仕事は、理屈はどうあれ、こう決まっているからと裁量の余地がない事が多い。これから1985年までが、私が1番楽しく輝いていたのではないだろうか。
それ故に、女性も私の姿を、好ましく思ったのではないだろうか。
王子が岳の帰り、その日は指で軽く愛撫するだけで、クニリングス迄はしなかった。「又会ってくれるかい?」の問いに、「いいわ!」とはつらつと応えた。此の娘は可愛い、完全に私に惚れている。M.Kが去って以来寂しくなっていた股間が騒ぎ始めた。抱いて名前を呼んでも間違いが起こらない、M.SのMはM.KのMと同じ読みで、漢字だけが違っていたからだ。
二回目は、金甲山に行った。貝殻山の方に車をいれ、ついこの間殺人事件で死体遺棄があった近くらしい駐車場に車を止め、取り留めのない話を始めた。その内、すばやく抱きすくめて、キスをすると、殆ど待っていたかのように激しく応えてきた。手を、胸にずらせると、驚いたことにセーターの下はブラジャーだけで肌は、露だった。可愛い娘と抱きすくめ、胸を揉みし抱くと、大柄な割には、胸はこじんまりしているが結構ふくよかなのを確認した。乳首も案外小さく、殆ど男性を経験したことがないと感じられた。ジーンズを履いていたので、ファスナーを下ろそうとすると、これも待っていたように、腰を浮かしておろし易い様にした。そのままファスナーを下ろして、ジーンズをずらせ、パンティーに手を掛け、じわじわと確かめるようにずらしていった。そこからは、大柄な体に似合わないほっそりとしたしなやかな足の間に、馬のたてがみのような茂みが現れた。
暫く指で優しく触れていると、ご多分に漏れず、ぬるっとした指に心地よい女の喜びが溢れてきた。次第にその量が増しほぼ指にどろっとたまった感じ迄になり、M.Sが十分に感じているのを見計らうと、舌で転ばしていた乳首を放し、口を茂みの中に移して潤いを舌に取り味わいながら燕下した。見かけによらないたてがみのような茂みは細くきっちりと割れ目に沿ってガードしていた。
音を出して十分に潤いを飲み込んでいったが、若い乙女の体からは汲めども汲めども尽きないかのごとく蜜はあふれでた。
「M.S!舐めて欲しい」と言うと、とろんとした目を上げて、私のズボンのファスナーを下ろしてペニスを出し、優しく触りながら、頭を沈めて覆い被さり、頬張るのだった。同時に、M.Sの背中越しに手を伸ばしてさっき飲み尽くした蜜の園に指を持っていって優しく愛撫すると、再びじわっと新たな泉が沸き上がってきた。暫くその姿勢でクリトリスに触れている間、M.Sは自分に沸き上がってくる快感を、ぶつけるかのように、上手に口を上下させて舌をからみつかせ亀頭をまんべんなく舐め回してきた。段々気がいってたまらなくなり「M.Sもうダメだ、行くよ・」と言うと頬張りながら微かに頷くのが分かったので、「ぅ」と小さく発したまま「どく、どく、どく」とペニスに快感が走り白い液体がM.Sの口の中にほとばしり出るのを、うっとりと感じた。M.Sは、今迄の娘と違って、それを美味しそうにごくごくと飲み干して更に吸うようにして亀頭を舌で舐め回してきたので、いつもになく非常に愛おしく更なる快感が全身を走った。
数日の後、夕方M.Sと再び王子ヶ岳に登った。車を頂上から少し下の道脇の小道に引き入れた。
完全に艶事をするつもりの段取りだった。M.Sは何も言わずにこれから起こることに少なからず胸をふるわせて、待っているようだった。明るい内は何くれと無く差し障りのないことを話している内に、当たりが段々薄暗くなってきた。
機は熟したとばかりに左に向きなおり、右手を滑らせてM.Sの肩から、胸に掛けて柔らかくタッチしていった。M.Sはうっとりとしてされるが侭になっていた、そして心なしかしなだれ掛かるようにして、顎を持ち上げて、唇を預けるような仕草をした。もはや機は十分に熟していた。肩を強く抱きしめて、その少し厚めの肉感的な唇を柔らかにそして情熱的に吸い始めた。M.Sはもう力を完全に失ったかのように体をまかせてはいるが、唇はむさぼるように求め、舌を受け入れたり逆に舌を突っ込んで吸ってくれとせがむようにした。M.Sの舌を吸っては自分の舌を奥深く突っ込んで、これ以上は無いという風に淫らなキスを展開していった。その間に、右手はすばやく胸を過ぎてスカートの下から、太股沿いにパンティーまでたどり着きパンティー越しに潤いを感じていた。M.Sは、口を吸いながら、しっかりと両太股はこちらが腕を入れて作業をするのに十分なほど緩やかに開いて待っていた。たどり着いた指には、パンティー越しにも十分分かるほどの潤いが伝わってきて、十二分にM.Sが感じているのが分かった。そのままの姿勢で、パンティーのゴムに指をかけてゆっくりと降ろした。「良ぃ・・・」後は声にならない。M.Sは腰を浮かして下ろしやすいように手伝いながら甘えるような声で、「ねえ、優しくして・・」と呟いた。言われる迄もなく、壊れ物を扱うようにやさしく下着を取り除くと、いつものように、別れを惜しむ、M.Sの唇を離れて、茂みの中に口を移して、潤いがたっぷりな下の唇に吸い付いた。ビクッとM.Sが感じるのを、心地よく感じながら、割とごわごわした陰毛をかき分けて、精いっぱいジュースを飲み込んだ。
「いいわ・・、○○さん、とってもいいわ・・」
「私、狂いそうよ、もうダメだわ、もぉ・・」
「いきそうよ、ほんといきそおよぉぉ・・・・ダメダメ 」
「いや!意地悪、一人で行かさないで、一緒に行かせて・・ねぇ・・・い・・れ・・て・・」
怒涛の如くいきり立ったペニスを、茂みの中に挿入した。M.Sとはそれが初めてのセックスだった。それ迄はお互いにヘビーペッティング丈だったので、本当の挿入の味はそれが初めて、興奮の中にも神経が、ペニス全体に張り巡らされて、M.Sを感じとろうとしていた。
ペニスが深く入って行くに連れてM.Sのそれがきゅっと締まるのが分かった、入り口が強くペニスを締め付けるのだ。「あ!これが俵締めというやつか!?」思った通りぎゅっと締め付けて、離さない、非常にいい感じだ、簡単に行かせてくれなく、且つ具合がいい。膣の中も非常に締まりが良くて、気持ちがいやが上にも高まった。大柄な体に似合わず、今まで経験した中では出来が一番良かった。十分に味わっていると「ぅぅぅ 」「いぃ・いぃ・・」と、M.Sが殆ど行きそうになって、喘いでいるので「いいかい?」と小声でささやくと、「うん」と声もなく首を、縦に振った。「M.S!いくよ」と言ってさらにはげしく腰を使い益々M.Sが高まって殆ど声が出なくなり「ぁ・ぁ・ぃ・ぃ・」と意味不明なうめき声を上げた瞬間に「ぅ・!」と一気にペニスの痙攣を覚えてそのまま果てた。M.Sは既に行ってしまって終わった後はぐったりとしていた。
M.Sとの情事ばかりではない。仕事もしなければ。S1196の目処が殆ど立ち、運転引き渡しが近くなった。ランチング・バージも目処が付いた。その年の暮れ、次のS1218(二重底を有するタンカー:英光海運、英光丸)の建造方針会議で、千葉に出張する。本船は、日本の船主で、ガソリンスタンドを経営しているとか。通常それまでのタンカーは、強度的な意味合いからは、船底も、船側も鋼板1枚で良かった。本船は、船側は1枚であったものの、船底は2重底になっていた。
その後の趨勢を捕らえた、当時としては画期的なものであった。その後はIMO(国際海事機構)により、船底、船側とも2重を義務づけられた。それ故に、規則が発効するまでの駆け込み建造が見られた。バラ積み貨物船にしろ、鉱石運搬船にしろ、一般貨物船にしろ全て2重底であった。タンカーが、2重底、2重船側になったのは、座礁、衝突により外側の鋼板が壊れても、直ぐには重油の流出が防げるからである。それを先取りしていたと言える。2重底のタンカーは、通常重油を搭載する船倉には、2重底のトップにマンホールを付けなく、バラスト(海水を積む)倉にマンホールを設け、次々と船底を潜って、所定の場所に行かなければならず、結構辛いことである。
建造方針会議の数日後、ソ連が、アフガニスタンに侵攻し、その年は暮れた。
1980年も、年賀状で、年が明ける。それぞれに達筆で、趣向を凝らした賀状であったが、常にご主人との連名になっていた。私にとっては、それが不思議でならなかった。私は今まで、連名で賀状を出したことはなかった。如何にも幸せですという、感じがして、でも少し嫉妬していたのかも知れない。
引き続き設計を行った、英光丸は、2重底という特徴を持つものの、船体強度上は、一番問題がない、小型のタンカーであったために、さほど悩むこともなく、殆どエポックメーキングな事はなく順調に推移した。設計が終わるかどうかというころに、次のS1227(KAPAL):中華系の船主のバラ積み貨物船だ。少し嫌な予感がした。しかし、本船は、玉野で建造出来るぎりぎりの載貨重量13万トンの巨大船である。今でこそ、VLCC(Very Large Clued Carrier)やULCC(Ultra Large Clued Carrier)と30~50、100万トンクラスまで出現しているが、当時の玉野では、巨大船だった。
それまでは、佐世保重工で建造された、日本船主が有する世界最大の「日章丸」10万トンがあり、ミドシップブリッジ(船長方向中央に操舵室を有する)の華麗な船であった。流石、本船が、進水する式典では、佐世保の町中の人が造船所に詰めかけたという。しかし、ドックでの進水式だけに、注水して浮揚を待つだけで、船台を滑り落ちるという、圧巻は見られなかった。
<造船その4に>続きます。
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