「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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造船時代その8
造船所時代の日記(8)です
1988年を迎え、一人考えた。通常は心新たにする年始ながら、昨年の残滓を背負い、生きていく惨めさをどう吹ききるかが課題だった。
K.T.へ届かぬメモを書いた。「新しい年を迎え何度も何度も考えました。走馬燈の様に過去の甘さ怖さが頭を巡りました。何とも筆舌に尽くしがたく、現在の自分を省みる時、貴女を得るなど到底及びも付かない事は理屈で分かっての行動でした。今年は貴女が幸せになることを第一に考えなければと呻吟の末思いました。しかし、貴女は自分にとって生涯のNo.1です。この気持ちは変わりません。ただ出来るだけ心密かにしまっておこうと思うのです。
私は今何もかも失ってしまって抜け殻の様になっています。このままの気持ちで、みんなに付いていけるかどうか、とても心配です。自分に残された道は1つしかない様に思えるのですが、その事が頭を占領しそうです。出来る限り克服しようと思っても、今一歩自信がありません。思いが先走り、筆が続きません。本音はまだまだ、未練、逢いたい、呼吸が止まるまで・・・」
昨年の辛い日々を綴った。(中年男の哀れな姿が此処にある)
『 ’87.5.20
今日の貴女は、ことのほか魅惑的だった。貴女は、いつもよと、嘯いていた。
自分は、それを否定はしません。只、今日の、貴女にそう話し掛けなければ居られない、何故か、そう行動しなければ成らない衝動に刈られたからです。
貴女に質問、何故そのように平静で、居られるのですか? 答え、「貴方は、私にとって無意味で、無関心で、更に悪い事に、邪魔な人だからです。」
私は、それでも貴女を、愛しています。
毎日毎日、哀れな男は、死を、見つめながら狂おしいほど、思い続けて、やがて、終わるのでしょうか? 自分に夢を持ち続けさせてください。
諦めて、死を 迎える日迄。
’87.5.21
I want you sincerely. You are young but in vain I am old.
I will give up and I would release you of course. But I cannot forget you during I live.
Please give me your gentle smile until I abandon my own life or you decides your engage that is my minimum desire.
I love you forever. I cannot live without you.
貴女は、私にとって天使です。
昨日の夕方は、とてもHappyだった。貴女を見てそして話していく内、たまらなく自分を押さえきれない気持ちになるのです。自分では精一杯我慢をしてあの程度です。
帰ってから、一人で狂いました。空しく・・・
’87.5.23
今、自分は孤独と戦っている。 生きる喜びを知らない訳ではない。
只再び貴女に逢える事だけを、願って居るだけです。貴女はいつも、軽快にとび跳ねている。それを複雑な気持ちで見ている。
いつも貴女は、自分を無視している。無視ではなく始めから、自分の事など眼中にないのだと思う。
愛している故に、苦しむのは自分だけ、貴女は無頓着。嗚呼。
今日も、洗濯し岡山へ行きそれから会社に行った。少しでも貴女に、近付けるかとはかない気持ちで行動している自分を知りました。
情けないと思っていても気持ちだけは、どうしようもありません。
勝手な事ばかりですが、貴女の許す限り自分に対するボランティアを、求めます。
愛しています、死が自分を迎えに来る迄。
’87.5.24
明日貴女に会える。只それだけでなんとなく今日も生きる力が少し出て来る。
今日、息子に遊んで貰った。不謹慎と思ったけれど、息子も今やNo.1では無い事を知った。
今、はっきり知った、自分の命は、貴女一人に懸かっていることを。
でも、貴女は今までどおり無視するでしょう。それは止むを得ぬ事と、強く自分を戒めています。
’87.8.27
今日は、△ー○ー△ー○の感じ、静岡にTELして気分が良いとは信じて辛い。後ウソだと言った事で混乱。
今日健康診断の”再検”受けなかったら早速トクソクがあった。火曜日になった。段々、体に自信が無くなっている。
今日見送りに行ったけど遅かりし!三日の連休は辛いよ。お茶飲み場のお茶うまかった。
ポストのキャンデイ、大変不満、言葉を楽しみにしているから。右の乳房の方が少し小さ目なので本当はメインテナンスの必要有りだね。貴女自身(判るかな)は、貴女が何処かへ行かせるために借りたいのです。
あの時の貴女の顔は最高に美しく、自然だからです。愛しています。
1987年9月7日(月)
今日は何とか起きられた。でも会社に来て貴女の顔を見るのは、少し怖かった。昼食も食べられず、自分としては空突っ張りだけの日だった。
核心に触れると返事が無かったけれど、自分には、貴女の暖か味を少し感じました。
子供が調子に乗ってやり過ぎたのを、咎められたにしては罰は大き過ぎた。POSTの
CANDY(5日の)ある迄は真剣に死を考えました。勇気が無くいつも通り。
資格が無いと言われても愛することを止められません。(4日来られなかった最大の理由は、貴女に会うのが怖かったからと思っている。』
1987年9月8日(火)
仕事が段々無くなって皆浮き足立っている。どうすることも出来ない。もう消えてしまいたい。せめて貴女に「許した」と言って欲しい。
罪の意識が何故か消えず心が滅入る。自業自得と蔑まないで!愛しているのです。
成り行きは、どうでもいい!!
1987年9月9日(水)
今日昼過ぎ話しを聞く迄、気になってどうしようもなかった。大変だったね。
でも私はその種の男と比較されているのか、それが現実かと思うと、とても寂しかった。痴漢とどうレベルなのだなあとしみじみ思った。
帰り窓から送ろうとしたが遅かった。元気無く、建物を曲がるところ迄見ていて辛かった。
所詮私はその程度と思われていても、私の気持ちは誓って純粋です。
この点、貴女が正しく評価して呉れることを望みます。
情けないくらい一筋に愛しています。バス停まで迎えが来るとのはなしですが、折を見て待ちます。
このまま話しも出来ないなんて死ねと言う事ですか?
1987年9月14日(月)
余リハッピーでないみたい。気掛りで仕方が無い。今ポストだけが繋りですね。
貴女は自分も言っていた通り、可愛い女です。どうして幸せと笑えぬのですか?
篭の鳥はいつ迄ですか、一人で飛べる様になったら教えて下さい。
待っていますジッと。
自分はもうどうなっても良いと思っています。貴女幸せになって下さい
1987年9月16日(水)
今日開口一番、うまく行っていると聞いて、安心しました。
けど、いくら自分はどうなってもと思うものの、やはり未練が残ります。
我慢しきれぬ時、待っているかも知れません。無視されるのを覚悟で・・・・。
何とか話しをしたいのです。(貴女が積極的1日だけでいてくれたらいいのに)プッツリのままではいかにも耐え難いのです。今も愛しています。
1987年9月18日(金)
今日も会議ばかりだったけれど、301へ来て呉れた時の冗談嬉しかったよ。それに22日の件、それを聞いてから心が軽くなりました。不思議なものです。それが無かったら、部長からガミガミ言われてガックリだったでしょう。窓から送れて良かった。
でも少し元気無さそうで心配ですね。
1987年9月28日(月)
2日休んで、出て来たら、疲れた感じのK.T.!言うに事欠いてM君と仲よくしたら風が移ったとか・・
畜生と思いつつ元気を出してね、とは辛いところ。午後少し良くなったみたいだけど。
今日も遅くなった。
一人になると辛いけど、今日は晩飯を食べられそうにない。時計は壊れるし、K.T.は若い者と仲よくするし・・・。
楽しくない!!キャンディー(外のがいいけど)ありがとう又会いたい。
1987年9月30日(水)
今日は大変だったね。しかもタイムカード打っての仕事、皆、私が悪いのだ。許して下さい。
それにしても、あくまで素晴しい貴女です。私は何やかやと部長に叱られ放しで、意気消沈ですが貴女は逆だものね。
爪の垢でも、飲ませて貰ったらと思う。本当は、貴女に話を聞いて貰えたらハッピーな自分です。
1987年10月2日(金)夜
余程辛かった様ですね。本当に本当に、元気になって下さい。貴女の居ない職場は火が消えたようです。
今日、出向の3人が帰ってきました。それは良かったけど、私にとってショッキングなことがありました。
皆から嫌われていること、疎まれている事、ヒシヒシと判ります。(寝られないかもしれない)
”人生に真の理解者なし、空しいと思えば倒れるだけ”そんな気持ちです。
貴女の回復と快活さの復活を切望し再び、貴女を送るか、待つ事が出来ることを願います。
1987年10月5日(月)
今日も真っ暗になって一人何をやっているのかほとほと嫌になる。けれど貴女の調子は上向きのようでハッピーです。会 い た い ! !
水曜日定時で帰れたら待っているかも、貴女が怖い気がしますが安物のワインetc.買い物もあるし。
1987年10月7日(水)
水曜日。定時日なれど身の置き所なく居る。孤独と寂漠感に耐えている。貴女の回復と共に是非自分も明るさを取戻したい。無視されることが最大の苦痛
1987年10月8日(金)
だんだん気を取り直しているつもりだけどK.T.がやっぱり無視しているのかなあと思って心の底から乗れない。
是非貴女の笑顔を私にも分けて下さい。夢に現われるほど忘れえません。
好きです。
1987年10月12日(月)
雨が降らなくて良かったね。今日は疲れてグッタリ意気も消沈。貴女は?男のサイクルは1週間か?でも疲れも手伝い九州袋は触れていません。
小さい物は小さい侭です。今日晩飯食べられるかな?
1987年10月13日(火)
今日は、ワザワザ知らせて呉れて有難う。旅行の話(お土産話)を聞きたいのと男の周期で耐えきれず、行きたいと思うところでした。
水曜日は定時、行くかも知れません。安物の買い物と食事を買いに、毎日絶食だと体力がもたないし・・・。金曜日迄には1日は行きます。窓から暗くて見えなかった。
1987年10月17日(土)
昨夜?は午前2時、それでも今日は車を修理屋にきて貰い車は持って行かれた。どうもダイナモ(発電機)の具合悪く放電していたようだ。
夕方取りに行くつもり、これで安心して、待ち伏せできるゾ!!
兎角、自分には、この間から貴女の行動の感動が消えない。何と素晴しいのだろう。
最低週1の男の周期?どうしようもない。
今日はS1344運転のようすが気になり久し振りに出勤した。素敵な人へ
1987年10月19日(月)
今日の貴女は美しかった。貴女の力の源を知った時、少なからず、ショックでした。
何故か笑いながら、寂しさがつのるのを禁じえませんでした。何で寂しいのか自分ではっきり判らないまま、密かに涙だけは我慢したようです。
貴女の素直な仕草は自分を乗り越えて行った。
帰って無理に辛くウイスキーに溺れそうになった。しかし体力的に深酒は出来なかった、でも気分はいつかの空しさの再現だ。
最高の女、離したくない、疲れきった哀れな男より
(再び待つか、送らせて貰うか、ボランティアを期待しつつ。)
1987年10月20日(火)
今日はやはりフィーリング グッド!!喜ぶべきですが、遠くの方で静岡の声がするようです。今日も行きたかった。
だってオケイコ無い日だから、明日は、おそらく我慢できぬでしょう。
最近送る機会が多いので何とか夕食は食べています。有難う。それに正確な時計有難う。
1週間には1日早いけど水、木、金に送れることを願う。いずれか叉は毎日。
1987年10月21日(水)
今日もK.T.は綺麗だった。でも少し冷ややかだたかな?(美しい人は概してそうなのだが)オケイコのせいだけなら送るだけでいいのに、今日は残念だった3人一緒に呼ばれてなかったら送らせて貰ったのに。
明日(木)は必ず送りたい。今日の無念さがそれをかき立てる。今日帰り際に例の人に頼まれていたね。
気持ち、手にとるようにわかった。帰りに嫌味をいったのかな?
兎角何をしていても全神経はK.T.に向いている。
1987年10月31日(土)
今迄どおりの貴女に戻って欲しい。昨夜は酔いつぶれ前後不覚、貴女を思うと空しさがこみ上げる。
死ぬ迄愛する。
1987年11月2日(月)
ポストも復活して下さい。聞いたら、やっぱり避けているとの返事、がっかりしました。貴女の立場も明確になりつつありますが、はっきりする迄は、自分に対するボランティアを期待します。
これから自分にとって厳しい試練と思い対応するつもりですが夕食の弁当を一緒出来、話し相手になって呉れることを望みます。
私がお願いしたら応じてください。
1987年11月11日(日)
今日は、早朝から、部長にガツンとやられ不愉快、貴女にもにらまれ、ショック続き。安物のワインも買いたいし。
優しい方の貴女と話もしたい。今日はとにかく打ちひしがれた1日でした。木曜日会いたいなあ。
1987年11月12日(木)
今、最高に孤独!!
優しさを
1987年11月4日(水)
キャンディ復活有難う。段々見捨てられて行く心地していたけれどとにかく有難う!!
どうしようも無くなる迄、
夕食は我慢します。火、木、時間取りたいなあ
1987年11月5日(木)
見事逃げましたね。寂しいです、無視されることは!柿食べたそうですねひがんでいます。せめて仲間に入れて下さい。
1987年11月6日(金)
赤い服がとても眩しいこの頃やはり無視されているのかな?寂しいよ。特に若い人と必要以上に打ち溶けている様子は、当り前と雖も、昔を思う私には苦痛!!
私はひょっとして ”あいつ”の仲間に入ったのだろうか?いつか送りたい。優しさが欲しい。
1987年11月9日(月)
? ? ?
無 念 で す 。
次ぎの機会を!!
せめて一緒に働いている間だけでも
1987年11月16日(月)
今朝の貴女はどうしたのかと思った。無理はいけません!
他人に言う資格は無いけれどK.T.だけにはいわないと。責任感も、主客転倒しては駄目ですよ。
土曜日、日曜日色々あったけど、やっぱりK.T.の事好きです。
1987年11月17日(火)
貴女を思うと心が乱れる。何とか会いたい、怒られないように。また、送らせて下さい。今日も晩飯不可みたい。
(勝手?)
1987年11月20日(金)
昨夜のおかげで、やっと出てきました。 有難う。
四日間寂しいです。でも火曜日迄。やっぱり好きです。
1987年11月25日(水)
今日の手帳はXX、とても残念、理由は判るけど心痛の対応だった。
(顔を見向きもしないなんて)貴女は可愛い、それだけに苦しい。
明日は!!?と考えています。我を忘れて・・・
1987年11月26日(木)
私はとても落ち込んだ。
きょうは 色々重なって H E L P ! !
涙をこらえるのに精一杯だ。
1987年11月27日(金)
この頃の貴女 怖いし、よそよそしい。
そう思うのは私一人か? 優しさを戻して
1987年12月2日(水)
昨日3分発に間に合ったとは! 空振りだった。でも忘年会迄には会いたいなあ。
雰囲気改善に協力を”あいつ”と”無視”の仲間にしないで下さい。
1987年12月3日(木)
寂しさと 空しさと 孤独感と ・・・・・・・・会いたいです
”あいつ”にしないで”無視”もしないで只それだけ。疎まれていること承知で。
1987年12月4日(金)
年末迄バタバタしそう。しかし今日のK.T.は優しく感じた。
この違いだけで今の自分は少し心和んでいる。
土曜日出るはめになった。火木何とか会いたい話したい。
1987年12月7日(月)
明後日は忘年会、とてもその心境うではないけれどしかたない。
八日か十日出来れば、(八日少し残業して欲しい)追いたい。
それより送りたいと必死に願う。
1987年12月8日(火)
本日誠に残念!!やはり避けられたのか。遅過ぎたのか。是非会って貴女の声を聞きたい、今は必死の心境。
忘年会はションボリです。
1987年12月10日(木)
今夜は久し振りに楽しく、心が和みました。貴女はやはりNO.1です。嬉しさで少し涙ぐみました。
大勢の敵の中で有力な味方を得た感じです。この辛さは止むを得ぬ事とあえて受けて立たねばと思うものの、自分自身の弱さのために、何も出来ず上司からの受けもよくありません。
こんな状態で貴女にNO.1を降りろと言う事は自分には殆ど死を意味しています。
でもいつ迄も貴女もNO.1の座にいる訳にも行かぬでしょう。
その少しの間だけ、自分に安らぎを与えて下さい。何度も言うけれど貴女は素晴しい女です。だからNO.1なのです。
己を知りつつ強く激しく貴女を愛しています。
星空の美しい時、ふと余り目立たぬ星の間に自分も入って、肉眼では見えない、そんな寂しい状態になりたいと思います。貴女に幸せを、そして自分に安楽を。』
訳の分からぬ1年間の独白を、心の揺れを、そして、無関心さを少なくとも耐え抜いた。
1987年12月15日(火)
どんどん出来る新作、貴女をとても素晴しく見せます。No.1はやはりNo.1です。出来れば毎日でも、待ち伏せたい。そんな心境の毎日です。好き!
1987年12月16日(水)
今日の白眼視、辛かった。けど人の振り見て、我が振りと言うことですね。一言苦言も言わねばならず、嫌われ役ですね本当に。
窓からずっと見ていたけど、振り返って呉れなかったネ。
洋服素敵だったよ。
1987年12月11日(金)
今日の貴女輝いて見えた。やっぱり素晴しい、忙しそうだったね。御苦労さん。NO.1はNO.1だよ。
月曜日も笑い顔待っています。何故か心落ち着いた1日でした。
1987年12月18日(金)
昨夜は御苦労さん。そして有難う。何とか出てきました、おかげ様で。一緒に居る間だけでも、楽しかったです。
もっと欲しい、貴女との語らいの時間、今しんどいです。
昨夜送れて、良かった。今日は、参りました。早朝から部長に呼びつけられ、良い事無し、又402での缶ずめ、精魂つき果てました。
明日も出るでしょう、馬鹿ですね。もうどうにでもなれの心境、NO.1さん、又待ちますよ。許して下さいね。
本当に辛かった1年を終え、年が改まったことで、私の気持ちは若干の落ち着きができはじめていた。
力をつぎ込もうとする仕事もない。まるで無い無いづくしの生活だ。
今年も社長年頭の挨拶から、所長、工場長の挨拶がある。殆どの人間が空々しく放送であったり、肉声であったりする彼らの言葉を聞いた。
3CT運動が始まった。(Communicate Together, Change Tamano, Charrange Tomorrow)らしい。こういうスローガン(キャッチコピー)を考える奴は、特異な才能があるものだと感心した。
全く真実味が感じられない。とにかく願望であることは分かるが、皆笛吹けど踊らずだ。
由良工場の数見課長から電話の連絡があり、SOFECは出て行ったとのこと、Mr.TurnerがMr.○○によろしくと言っていたと伝言された。
金曜日には半日年休を取り私に良くしてくれた、板野氏が血便が出たと言って入院している病院へ見舞った。その後私はこの板野氏の世話で、再婚するなどとは考えもつかなかった。
土曜日、早朝にK.H.から電話。話の内容は、逢いたい。私は、相変わらずVZ750だ。今回は、今田氏のYamahaと共に祖谷のかずら橋を見に出かけた。要は何処でも良い訳で、バイクを転がすことでストレスを発散させていた。
瀬戸内海をフェリーで渡る。船側から見える、玉野造船所は、いよいよ寂れて見えた。大型船舶が見えない。リグもない。今田氏と二人で「変わったね」「うん」と言いながら1時間で高松へ着いた。ツーリングは、栗林公園を右手に見て、琴平町を通り、南下した。四国三郎(吉野川)を渡る赤い旧式の橋を越えて暫く西に進むと池田ダムがあった。そこで少し休憩して、しばし田舎の空気を吸った。そこから祖谷渓谷は目と鼻の先だった。大歩危、小歩危の奇岩を見ながら、祖谷のかずら橋に着き、蔦で出来た小さな吊り橋を渡った。何のために誰が作ったのかは知らない。ただ、国の重要有形民俗文化財で野生のシラクチカズラ(つる草の一種)を編んで造られた高さ14m・長さ45mの原始的なつり橋だ。橋板はなく、歩幅間隔に丸太が並ぶだけで、下が見えるので、渡るのには勇気が要るスリル満点の橋だ。日本三大奇橋のひとつに数えられ、3年に1度架替え工事が行われるという。
近くの食堂で、まずい昼食を取り、同じ道を玉野に引き返した。
夕方娘が来て泊まった。「お父さんがいないと寂しいよ」という。「新しいお父さんは、親切にしてくれるかい」「うんまあね」。男親は、どうにも駄目なものだ、話の接ぎ穂が分からない。
翌早朝もK.H.から電話があった。私は娘と岡山まで、買い物に出かけた。娘が欲しがる小物を買って、それで、娘は満足していた。
K.T.と出会って、3年が過ぎた。既にK.T.は、元のK.T.ではない。
意味のない出張があり、淡々と時は過ぎた。私は職制として、課員の面接を行った。最後にK.T.も私の前に座った。仕事での私情は許されない。淡々と聞いた。「どうですか仕事は」「私は、今年中に会社を辞めます。結婚します。」・・・「それはおめでとう。お疲れさんだったね。」精一杯の会話だった。今までの誰との面接よりも、長く、辛く感じた。
部課長の歓送迎会、和歌山の漁業取締船、新日鉄との交流会、住金との交流会、3CT活動報告会、仕事らしい仕事はなかった。
バレンタインデーの前日、K.T.から電話があった。「ご免なさい、言い出せなくって」「良いよ、分かっていたから。で、式は何日?」「11月12日なの」「本当に良かったね、おめでとう。楽しかったよ」
「私も・・・」
バレンタインデーに最後の義理チョコを貰った。
バスケットボールの市長杯があり、私は未だ部と関係していた。後の新年会で、後輩が育っていく様子を嬉しく眺めた。思えば、嫌がるものを首に縄を付けてひっぱたり、バスケットのやり方で討論したり、色々なことがあり、今日まで来たという感じだった。
数度の電話の末、K.H.は再び泊まりに来た。私は、K.T.がいなくなった分のめり込んだ。思えば、K.H.も私も哀れたっだ。
その週も湯原憩いの家にVZ750を飛ばした。予約もなく訪れた宿は、パントリーの横にしか部屋はなかった。翌日は、乳牛、や肉牛が遊ぶ蒜山に入り、大自然の大きさに我が身の小ささをぶつけて、何の反応もないことに失望した。世の中は、自分が中心でないんだ。その事は分かっていても感情的には納得出来ない。帰りは米子を回り、倉吉から、いつものルートを、家路に急いだ。
いよいよ、皆の異動が始まった。パイが無くなった私と私のスタッフはちりぢりになった。若い連中は、救われるが、年配は、お払い箱だ。社内社外の委員会なども徐々に私から若手に移っていった。信頼していた部下の一人を含む3人が、事業推進本部に移った。推進する事業がない事業推進本部だ。介護のスロープバスなどを無理して売っていこうという当面のニンジンしかない。
その週もその翌週も娘の洋服やバッグを買うのに付き合った。
ついに私は、仲間2人と共に部長に、今度研究所に新設される開発部への移籍を言われた。時の社長の思いつきでの人間減らしだった。
私をよく知る、リグの経験者で2年先輩は「○○さん、どうして?今度は総合課で、次の次は設計部長の筈ではなかったのですか」といった。
私には直ぐこの人事は、昨年、部長に楯突いた言動に対する報復人事であることが分かった。其れ以外私の落ち度は全くなかったからだ。よしんば吉田号事故責任ならば、上の人間もしかるべき扱いが当然だからだ。
新しい研究所開発部の発足を前にその役割を聞くために新部長に話を聞いた。内容は惨憺たるもので、暗澹たる気持ちになった。K.T.から手紙が来た。場所が変わってしまうこと、顔が見えなくなり寂しいという意味のことが書かれていたが、本質的には終わっていたので、案外その意味では忘れることが出来るのではとの思いがあった。
それから2~3日後K.T.と逢った。K.T.は寿司をご馳走してくれた。かつて無かったことだ。それから、私はK.T.を抱き寄せて、この温もり、このしなやかな身体、お椀の様な可愛い乳房ともう会うことはないだろうと思いながら、優しくその全てに別れを告げた。K.T.も応えてくれた。気持ちの優しい娘だと思った。今までになく最高の夜は、直ぐ終わりが近づき、明日からの平常心を促した。
終末の金曜日に私は、数名の人間と共に玉原の研究所に引っ越した。みんなに別れの挨拶を交わした。誰しも今回の人事をまともだと思う人間はいなかったが、それまで、出向を命じたり、転勤を指示してきたのだから、今度は自分の番だと思えば、平等であると感じた。引越の日、K.T.は密かに涙ぐんでいた。
土曜日、慰労のための花見が、深山公園であり、私はK.T.から貰ったゴルフウエアを身につけて行った。しかしK.T.は現れなかった。
心の晴れぬ侭、月曜日から、開発部に初出勤した。何をして良いのかも分からない。どんな連中が集まっているのかも知れない。どんなテーマを模索するのかも分からない。無い無いづくしのスタートだった。一週間が経ちK.T.から電話があった。「会えなくなったけれど、お元気ですか。私も寂しいわ」と短い内容だったが、私は嬉しかった。
開発部では、「マーケティング」の輪講を行った。
旧職場の前田君から大石室長が吐血胃潰瘍の手術をするとの知らせが入った。既に東京に転勤されている。どうしようもなかった。
旧構造設計室では私を送る、送別会が行われた。K.T.は、ごく自然に、感情を表さなかった。
土曜日には、旧設計部での設計部長杯ゴルフコンペに呼ばれ、参加したがK.T.から贈られたウェアも効を為さなかった。
何も無くなった私にはバイクが唯一の気晴らしだった。今田氏とくろねこ仲間で新庄村まで走った。生憎その日は小雨だった。落合、勝山を経て、新庄村へ。新庄村そのものは1000人強の小さな町だが、近くにメルヘンの里があったり岡山の田舎を感じさせる場所だった。
玉野研究所(玉研)開発部の発足会が、本クラブで行われた。どの顔を見ても、冴えたのがいない。
K.T.と話す機会があった。「私、K.Kさんに食事に誘われたの、どうして、おじさんばかりに好かれるのかしら」
それはK.T.が可愛いからだよ。と言いたかったが、黙って聞いていた。話にはいると、又忘れていたことが蘇る、それが怖かった。
開発部ではすることもなく、シーズ探しと称して、大阪の見本市に出張した。
ゴールデンウイークというのに何の楽しみもない。私を部長にさせなかった、二人組を含む四人で、新岡山ゴルフクラブへ出かけた。その晩24:00過ぎにK.H.が来た、二晩泊まって帰った。雨でもあり、何処にも出かけなかった。
私の為に、部課長による送別会が休み明けに本クラブの奥座敷で行われた。「長い間ご苦労さん」や「山より大きな猪はでないよ」それぞれに言葉を掛けてくれたが、私にはそれが皆空々しく感じた。同期の仲間と二次会で飲み、無念さを打ち明けた。
その時の気持ちは、転勤よりK.T.を失った気持ちの挫折の方が大きかったかも知れない。
K.H.から毎日の様に電話が掛かってくる。
終末にはVZ750。新しく仲間に加わった、藤原氏を加えて、吹屋にツーリングを試みた。
高梁市に入る手前を成羽川沿いに西進しさらに県道を北上する。このあたりは、横溝正史の舞台になったところである。吹屋の豪農の家は、城の様であり、内部の拝観も許されている。
其処はおどろおどろしい、「八墓村」や、「犬神家の一族」を連想させる。横溝正史の物語は岡山を舞台にしたものが殆どで、伯備線を降りバスで数キロ、更に歩いて・・・と、その行方を完全には特定していない。そんな横溝正史全集を読んだ私は、岡山の何処に行ってもそれらが頭を離れない。
一方あまり乗ることも無くなったカローラの車検を終え、タイヤも交換した。
前田君から大石さんの退院を聞き知った。取り敢えずは良かった。
開発部の仕事は定まらない。
翌週もVZ750でい今田、藤原の三人で恩原へ行った。岡山県苫田郡上斉原村恩原はスキーで有名なところだ。かつて梨狩りで、通った国道179をM.K、M.Sの顔を思い浮かべながら、奥津渓谷を過ぎ、人形峠に入る前を右折恩原高原に入った。5月の高原は新緑で、清々しい。スキーをやらない私は青い高原が好きだ。
開発部ではようやく、「新幹線の雪害対策」がテーマとして取り上げられた。雪の米原を如何に遅延無く新幹線を走らせるかは、JRの重要な課題だった。我々はそれに目を付け、何とか出来ないかを考え始めた。その為にJR東海本社やJRの博多駅で、新幹線の車体の下を見学することが出来た。但し私自身は全然興味の湧くものではなかった。
私が、今は偉くなっていた同期入社(大学院卒)と一緒に新素材展を見に行った日に、清水寿氏が交通事故でなくなったことを知った。私は心底替わってやりたいと思った。
翌日曜日晴海のビジネスショウへも行った。帰りの東京駅で、無意識にK.T.への誕生祝いと思いイアリングを買っている自分に気づいた。もう終わったはずなのに・・・。
終末は鳥取砂丘へ一人で出かけた。K.T.の口から結婚式のことを聞かされたこともあったから。鳥取で素泊まり4500円の宿に泊まった。砂丘にK.T.の名前を書いた。
翌日は、鳥取城趾を見たり、何もない鳥取の町を走った帰り、今田、藤原が参加したくろねこツーリングに神庭の滝で落ち合った。倉吉から関金町を通り、湯原湖、湯原温泉を通るこれも通り慣れた道だ。
神庭の滝は中国地方随一の名瀑であり、水煙をあげながら断崖絶壁を落下するこの滝は、高さ110m、幅20mあり、豪壮な姿が渓谷と見事に調和している。付近一帯は、日本百景、日本の滝百選にも選ばれ県立自然公園に指定されているそうで、新緑がとても美しい。
滝の近くには野性の猿が約200匹棲んでいるとかで、猿が寄ってくるのは、丁度箕面の滝に似た感じがする。
翌週K.T.にあった。東京で買ってきた、イアリングを渡した。「お誕生日には少し早いけれど、使って下さい」「有り難う」そして、K.T.をその許されたオッパイだけを大きく膨らませた口で覆い、どうして行ってしまうのか、何故だ、帰ってこいと叫ぶ様に抱きしめ、K.T.をも恍惚の中に引きずり込んだ。
K.T.は25歳になる。誕生日のその日は、赤穂城へツーリングした。一人のツーリングは寂しいものだが、仕方がないことだった。
その夜、娘が来て泊まった。
開発部は軌道に乗らない。いわば素人、意欲のない者の集まり、旨く行く方が不思議だ。週末は5時起きで、ローカル道路だけを通り大阪へ向かった。又姉の家に泊まった。永井に電話したが、不在だった。翌日、奈良斑鳩を回り、京都にない新鮮さを感じて、そのまま帰った。510kmのツアーは私にとってはなんでもないことだが、乗っている間よりVZ750を降りた時の寂しさが辛い。
会社では、相変わらずマーケティングの輪講が月曜日に行われる。バイク仲間の今田氏は、四国ドックへの出向が決まったらしい。同時に有元氏が、開発部に来るとのこと。
病院に行った。月一回の通院で、薬を貰い続けている。一生薬を飲まなければ駄目なのだろうか。私は非常なおも苦しさを感じた。その夜、K.H.から電話で、7月15日湯郷を予約したので是非一緒に行って欲しいと言ってきた。翌日は、VZ750で早朝の道を牛窓まで飛ばした。ペンション村を回り直ぐとんぼ返り、今田氏と、藤原氏その他若者数名と、再び吹屋に出かけた。吹屋は魅力的な町だ。矢張り横溝正史の何かが居そうだ。吹屋といい、八束村といい、岡山は、結構面白い。
姉の土地の草取りを業者に依頼した。姉は、私がずっと玉野にいるかと思って、私の家近くに土地を買っていたが、維持する人が居なく、草はぼうぼうとなり、近所から苦情が絶えなかった。
出張の前日、持っていく資料を会社に忘れ、夜中0時過ぎに会社へ戻り準備した。
新幹線の雪害対策の素案は、それなりに出来上がった。しかし何れにしても魂のないものだった。我々はそれを携えて、JR東海名古屋を訪れた。相手の取締役は、三宅部長の同期生とかで、話は聞いてくれ、会食を共にしたが、その後が続かなかった。
週末は、広島の姉の家に泊めて貰った。行きは国道2号線を使いゆっくりと走った。笠岡、尾道、三原、それぞれ味わいのある町が続く。東広島市あたりから、都会の感触が現れ、市内は、原爆ドームも見え、ここが、我がふるさとの広島かとの思いであった。市内を流れる太田川は、今は何事もなかったかの如く流れているが、原爆を被弾した時には、水を求める人達で、埋まり、そして死んでいったのだと考えると、終戦来43年経っていたが、強烈な印象を受けた。
一泊した翌日は、三瀧寺を訪れた。
広島市の北西の三滝山(植松山、宗箇山とも呼ばれる)356mの谷間に位置する三瀧寺は、三滝観音として親しまれている。三滝山は古く茶人の上田宗箇が城下の茶室の借景として松を植えた山として宗箇山とも呼ばれるらしい。また、境内には水流の異なる三つの流れが瀬音を響かせ、各水流が滝を持っていることから三瀧寺と呼ばれるようだ。江戸時代には龍泉寺とも称してい他とガイドには書いてあった。境内にある県重要文化財の朱色の多宝塔は、もともと和歌山県の広八幡神社の境内に建立されていたものを、原爆犠牲者の慰霊のため、昭和26年(1951年)に移築されたもので室町時代のものであるという。その塔内には、国の重要文化財である、平安時代に制作された木造阿弥陀如来坐像が安置されている。また、本堂の側面にある長大な板には、詩人故大木惇夫の長編詩「三瀧寺」が叙情豊かに墨書きしている。都心から近距離(横川駅から直ぐ)にあるにもかかわらず深山幽谷の趣きが広がる境内は、ゆったりとしていた。
又私は、義兄の推する縮景園にも行った。縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が入国の翌年、元和(げんな)6年(1620)から、別邸の庭として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。
園の名称は、幾多の勝景を聚(あつ)め縮(ちぢ)めて表現したことによるが、また、中国杭州の西湖(せいこ)を模して縮景したとも伝えられている。
園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それらをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。この種の庭園は回遊式庭園と称され、室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。縮景園の地割は実際の面積を何倍にも大きく見せるために、各部は変化に富んでおり、あるいは深山幽谷(しんざんゆうこく)、あるいは広々とした海浜の観があり、四季の風情とともにまことに縮景の園名にふさわしい変化と統一ある景観をそなえている。
池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の千歳橋(ちとせばし)にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園の結構にふさわしい数寄屋(すきや)造りで、屋根はこけら葺(ぶ)きである。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。代々の藩主が特に愛好した名亭である。昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、計画的に整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元した。現在、年間約25万人の来園者があり、名勝庭園として親しまれている。
―以上ガイドから拾った。
翌月曜日は現実に引き戻された。松森氏、岸本氏が鉄構へ転籍という。船の人減らしは、大胆に行われていた。玉原(玉研)から古巣を訪れる機会があったが、K.T.は無表情であり、完全に無視されてしまった。
東京晴海で「受注産業のためのマーケティング戦略」セミナーがあり、出張した。安延と、笠井と飲んだ。共に船殻設計で、苦労した仲間だ。皆バラバラになっている。何処の部署も之といって、活気のあるところはない。安延とは、今度、ツーリングで、十和田湖に行こうとの話しになった。
又笠井氏とは、私も頭髪が気になり始めていたので、当時有名になっていた中国の「101」を一緒に買おうとの話になり、その後数本(1本1万円)を買ったが、全く効果がなかった。
翌日もセミナーは続いた。海員会館のまずい飯を食べ、気乗りのしないセミナーは結局何の役にも立たなかった。
年間のボーナスも決まった。僅かなものだった。私は給料日と、ボーナス日は嫌いであった。
あれだけ苦労して働いたのにこれだけかと何時も思っていた。
玉研では、企画会議が行われる。如何に企業の研究所として、成果を出すかが問われていた。私の見るところでは、とても飯の種になる様な研究はなかった。研究のための研究、私の感想はそうだった。概して優秀な人材が多い中、大学の延長での研究生活は、とても企業のそれとは遊離したものに感じられた。
帰ったら、板野氏から電話が入っていた。私を気遣ってくれる一人だった。
翌日4時半に起き、は八塔寺にツーリングした。途中少し道に迷った。閑谷学校の近く吉永駅から北へ上る。八塔寺山へのつづらおりの坂道をぐんぐん登ると突然視界が開け、山頂部にかやぶきの農家が点在するのどかな風景が広がる。標高400mの高原に開ける「八塔寺の村」。高野山に並ぶほど仏教が栄えたこの村も、今では戸数約13戸、ふるさと村のシンボル的存在の”カヤ葺き民家”と寺院からその歴史がほのかに漂う・・・そんな心あたたまるのどかな景色の中を、時計を気にせずのんびり散策すれば、遠い昔にかえったようななつかしい思い出がいっぱいわき上がり、普段の嫌な生活を忘れることが出来る。
昼前、今田氏が遅れて駆けつけた、一緒に歩いた、八塔寺山からは、遠く南に瀬戸内海、北に中国連山の美しい眺めが見られ、付近には民宿・レクリエーション・食事などの施設も整備されていた。今村晶平監督の映画”黒い雨”のロケ地となったことは我々も知っていて、そのバス停に行き、のどかな映画を思い浮かべた。照鏡山八塔寺は八塔寺山の深い緑の中、神亀5年弓削道鏡が開基したと伝えられ、今なお当時を偲ばせる寺院である。天台宗・本尊は十一面観音を祀っている。
今度は133kmの行程で楽だったが、岡山のふるさとに触れる気分で爽快だった。
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