同じ頃、私の妻も、砂婦人と、ウィンゲートでラウンドしていた。 優勝祝賀会と銘打って、砂さんと、鴻池を呼びチャイナタウンで食事をした。 私はこの喜びのさなかでも、黒い犬の恐怖を忘れることは出来なかった。しかし、ハンディはどうであれ、優勝は優勝である。銀製のカップは、日本人会、マッチプレー優勝の名前を刻まれて、私の手元に来ることになった。 後日銀製のカップを貰った。それにはこう書いてあった。 Japanese Club Zimbabwe Trophy Golf Match Play Champion May 1996
夕食は、「I love piza」でシーフードスパゲティを食べた。鈴木氏は、建設企画の部長をしておられて、借り上げで、日本工営の仕事をされているという、私より少し年配の人だった。そろそろこの仕事から足を洗いたいと言っておられた。私も、その気持ちは分かる様な気がする。 氏はタンザニアや、ガーナも体験されているようで、タンザニアは好きだと言っておられた。しかし、ガーナは貧富の差が激しく、好きにはなれなかったようだ。