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今日までが正月休みで、朝まで雨が残っていたので、午後からふらっと佐倉市の将門町にふらっと行ってきました。
将門町はその名の通り平将門由来の地で、ちょっとした高台にあり、あたりを将門山と呼ばれています。
その集落の真ん中にあるのが八幡神社なのですが、もともとはここに将門公の父君の良将公の居城があり、そこに八幡神社自体を勧請したと言われています。
今は周辺が住宅地になっていますが、200mはあろうかという長い参道が、その権勢を忍ばせます。
そしてこの八幡神社の鳥居から100mほどのところに、将門口ノ宮神社という将門公の名前を冠した神社があります。
この石の鳥居は1654年に建立された佐倉市の登録文化財で、将門山大明神の文字が刻まれていますね。
ぶっちゃけ、この神社は将門神社と義民佐倉惣五郎(木内宗吾)を祀った口之宮神社の合殿社です。
そして伝承では宗吾の首(なんせ罪人ということですからね)を祀ったとも言われてます。
最後に桔梗塚。
空き地の真ん中に大きな木が1本ありますが、そのあたり20m四方くらいが周囲より1段高くなっています。
ここが将門公のご母堂とも愛妾とも言われる桔梗の前の最期の地と伝えられています。
将門口ノ宮神社の奥宮という伝承もあり、全国にある桔梗塚の発祥の地だそうです。
ちなみに非業の死を遂げた桔梗の前の恨みで、この地に桔梗を植えても花が咲かない、植えてはいけないという「桔梗忌避」が言い伝えられています。
これは私の想像なんですけど、将門公は時の圧政に反旗を翻し、関東独立を目指した方ですが、朝廷からみれば逆賊なわけで、徹底的に排除しなければならない対象だったはずです。
だから将門口ノ宮神社では、同じ様に直訴をして処罰された宗吾の首という「忌」を一緒にまとめたと。
さらに面白いのが、この将門町の中で虫食いの様に、八幡神社と将門口ノ宮神社は行政区が「大佐倉」になっています。
こういうのって、歴史のあるところだと、いつまでも古い区割りが残っていたりしますから、将門公を信奉する民と将門公を切り離す一種の「呪」なんじゃないかなと思います。
ちなみに最近の転入者は別として、将門町に古くから住まいされている家は、成田山には参拝しないそうです。
成田山は将門公を成敗するために朱雀天皇の勅命で寛朝僧正が開山しましたからね。
そんなことに思いを馳せながらの散策でした。
皆さんに全ての良きことが雪崩のごとく起きます。
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