After school Ⅱ


After schoolⅡ



外は、あいにくの雨模様だった。
「三杉さん、帰りましょうよ」と、誘ってくれた、本間、真田、一ノ瀬に
三杉はすまなそうに、「悪いけど、用があるから、先に帰っていてくれないか?」と詫びた。
三人は、少しがっかりしたそぶりを見せたが、「じゃあ、お先」と言って並んで帰って行った。

雨でサッカーが出来る訳でなし、読書なら自宅でも、それこそ病院でもと考えて、
この間から、企んでいた事をさっそく、実行に移すことにした。
階段を上り、長い廊下が続きやっと、そこにたどり着いた。

幸いにも、音楽室には誰もいなかった。グランドピアノの鍵もかかっていない。
そうっと、ふたを開け、赤い布を取り払い、椅子の高さを調整する。
鍵盤に手をのせ、軽く深呼吸する。
ここに来るまでは、誰もいない時にこのピアノを弾いてみたい欲求にかられ、チャンスを窺っていた。
さて、何を弾こうか?
ここに来てまで、ハノンは・・・と指先の準備運動を考え、レパートリーの中から、ゆっくりした曲を選んだ。
ベートーベンのピアノソナタ悲愴第2楽章。
やはり、家のピアノとは、音もタッチも明らかに違う。
僕は、この瞬間を、楽しみにしていたのだ。

 実際、ピアノとサッカーは、僕にとっては、よく似ていた。
最終的には、からだで覚えこむというところが。特に。
忘れかけた曲でも、次第に次への方向付けを手の感覚が、覚えていたし、
持病の心臓病の為、サッカーが出来ない時にもいい気分転換になった。
サッカーもピアノも実力勝負。
年齢さえ、関係ないというのも僕は、気に入っていた。
裏を返せば、実力がなければ、年下にさえ、抜かれてしまうのだが。

 気がつくと、誰かの視線を背中に感じた。
まずい。下手に知られ、からかわれるのだけは、本意ではなかった。
でも、そこにいたのは、青葉弥生。僕の所属する、サッカークラブ、武蔵FCのマネージャーだった。

僕は、彼女にピアノを弾いてもらいたかった。
秘密にしていた病気のことを彼女に知られ、何度も助けてもらっているにもかかわらず、
僕は、彼女をよく知らなかった。
サッカークラブのマネージャーをしているから?
偶然、僕の秘密を知ってしまった為に、仕方なく、
僕を心配し、助けてくれるのだろうか?
それとも・・・。

 彼女のピアノは、その曲に対する愛情が、こちらにまで、伝わってきて、
完全にその弾き方は、オリジナルという部類に入るものだった。
彼女なりの解釈、あるいは、想い入れが溢れ出て、言葉には出来ないけれど、なんとなく
僕は、彼女を理解したような気がしていた。
きっと、何度も何度も練習したんだね。

正直、僕は、彼女が羨ましかった。
「キャプテンは、何をやっても、完璧ですね」彼女は、僕にそう言った。
「完璧?」その言葉に僕は、過敏に反応した。
彼女の言う、僕の完璧。
以前、ピアノの先生に、自分らしさが無いと、僕は言われていたから。
そう、僕はあえて、自分らしさを消していたのだから。

どうしても、最初に聴いたピアニストの演奏に、近づきたかった。
それが、一番いいのではないかと、信じ込んでいた。
同じ曲をいろんなピアニストが弾く。それを、聴き比べる行為自体は、好きだった。
まあ、CDを出すくらいだから、テクニックは、そう差が無いと思う。
ただ、解釈の違いで、同じ曲でもずいぶんと印象が違うことがある。
どういう訳か、最初のが、ベースにある為に、教科書のお手本みたいに、
何度も何度も聴いて、練習した。
次第に、自分の演奏にまで酔って、自分が自分でない気がして、
まるで、違う自分になれたみたいで、僕は満足した。
自己逃避。
僕は、時々こうして、自己の存在を消しているのだ。
だから、皆が思う程、僕自身が、強い訳でもない。

サッカーについて、あからさまに反対していた母さんは、ピアノの練習に関しては、
拍子抜けする程、自由にさせてくれた。
そのうち、「あなたは、サッカーなんて止めてピアニストを目指した方がいいわ」
と、真剣に考えているらしく、どこからか、優秀な先生まで探し出し、つけてくれた。


 大方の予想を裏切って、「シューマンが好き」と彼女は微笑んだ。
まるで、愛しい人を想い浮かべるかのごとく、頬を染める彼女に、
僕はなぜだか、その時嫉妬した。
さっきまでは、僕の弾くピアノのイメージは、ショパンだとか、次は、ぜひ、ショパンを弾いて欲しいと、
せがんだくせに・・・。

 その夜から、僕の練習メニューには、ショパンとリストの他に、シューマンまで加わった。
ショパンやリストを弾きこなすのだって、大変だというのに、またやっかいな、あのシューマンが
加わるとは・・・。
独特の躍動感溢れるリズム感。彼の曲を弾くときの為だけの、特別なペダルの使い方。
内声・外声、対位法に加え、シューマン独特の凝った構造を理解した上での演奏。
つまり、一言で言ったら、解釈が難しいという訳。
まったく、君は本当に・・・。
僕に翼君を紹介してきたり、私は、シューマンが好きと微笑んだり。
そんな、彼女に、
僕は、深く長いためいきをついた。


 数日後、彼女は、にこにこして、
「今度は、ショパンのバラード4番を弾いて欲しいの」と言ってきた。
「えっ?」
「だから、・・・」
「シューマンじゃなくっていいの?」
「うん」と、彼女は、素直に頷いた。
 僕は、少し、ほっとはしたものの、新たな事実にすぐに気がついた。
バラードは、1番から4番まであって、4番が、実は、1番難しいということを。
それと、シューマンを弾くのは、僕よりも、たぶん、きっと、彼女の方が、相応しい気がした。
あの、おもいっきりのいい性格の方が・・・。



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