ゆきあけのボヤキ

母の手術


8月17日 正午。

母は手術室へと運ばれていった。

私は泣きそうになるのを必死に堪え「頑張ってね」としか言えなかった。

長い長い待ち時間が始まった。

母の病室で待機する私達。

“良性だからすぐ終わる”と信じていた私達。

夕方5時を回った頃からその期待が薄れていった。

2階の手術室の前を行き来した私。

どうにもこうにも不安でいっぱいで、手術室前の椅子や壁をドンドン叩いた。

同じく手術を終えるのを待つ他の家族の人が同情の目で私の行動を見ていた。


夕方6時を回った頃、私の中での期待は絶望に変わった。

その絶望を父も分かり始めていただろう。

お互い口にすることは無かった。

ただただ、祈る想いで母の帰りを待った。


どれぐらい時間が経ったのだろう。

母がベッドに乗せられ手術室から出てきた。

私は竦む足を奮い立たせ母に近寄り同じエレベーターに乗った。

「お母さん!よく頑張ったね」

涙を堪えながら労いの言葉を送るのが精一杯だった。

病棟に上がるや否や、私は待っている家族に走り寄り母の帰りを知らせた。

足の悪い祖母が飛んで出てきた。

「ゆっこ!!ゆっこ!!よ~頑張った!頑張った!!」

涙を流しながら母に声をかける祖母に、母は少し目を開け頷いた。

長時間の手術のせいで顔は倍以上に腫れ上がっていた。


父と私がカンファレン室に呼ばれた。

私は驚きのあまり失神しそうになった。

机の上にいくつものバッドが置かれ、そこには母から取り出したモノがたくさんあった。

その前には手術中のポラロイドが並べられてあった。

そして目にしたホワイトボードの文字。

卵巣癌 3期c

初めて見る、初めて聞く言葉だったけど、すぐに進行癌だと私は分かった。

血まみれになった母から取り出したモノを手に取り、担当医と研修医が交互に説明する。

血の気が一気に引いた。

先生達の説明なんてほとんど耳に入らなかった。

ただ、大きく私が反応してしまった先生の一言。

「5年生存率20%未満」

「え???5年???」

「20%未満です」と研修医がもう一度言った。

私は糸が切れたかのように泣き崩れてしまった。


廊下に出て父と泣いた。泣いた。泣いた。


原発である卵巣・子宮・腹膜・リンパ・・・・

母の体の中から色んなモノが取り出された。

目に見える癌は切除出来たが、腹水のせいでお腹に1%以上は散っている。

化学治療をしなければならない。。。

そして私の育った宿が無くなった。

私が私としてこの世に生を受ける為に10ヶ月いた宿が無くなってしまった。


母のいる部屋へ向かった。

今日は父がここへ泊まる。

祖母や親戚は「どうじゃった?説明」と不安そうに聞いてくる。

言えなかった。

祖母と親戚を先に帰らせた。

まだ完全に麻酔から醒めていないものの「痛い痛い」と言う母。

何度も看護婦さんを呼んだ。

私は家へ帰った。

何も考えられず、よろよろと2階へ上がった。

祖母と親戚が「座敷に布団敷いとるけん今日はここで寝なさい」と言った。

隣りの部屋で寝ている祖母と親戚に知られないように布団にもぐり息を殺して泣いた。

信じられへん!嘘や!という思いがたくさんあった。

結局一睡も出来ぬまま夜が明けた。

すぐに病院へ向かおうと準備をしている私の後ろを祖母が付いて回る。

「ゆっこは大丈夫なんじゃろ?」「どうなんじゃ?し~☆??」と聞く祖母。

黙り通す私に「ばあちゃんもゆっこ(母)の事が知りたい。隠さんでおくれ」と言った。

「癌・・・」

そう言ったと同時に祖母は泣き崩れた。

「どうしてゆっこが・・・代わってやりたい。代わってやりたい・・・」

我慢していた私も大声で泣いた。


お母さん、死なないで・・・



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