ゆきあけのボヤキ

抗癌剤投与開始


抗癌剤。

タキソールとカルボプラチンという2種類が投与されることとなった。

私も母も副作用をとても心配した。

その心配をよそに、他の患者さんが吐き気にみまわれる中、母は平然としていた。

抗癌剤の点滴を打ちながら、ガラガラと棒を引きずりトイレにも行っていた。

1週間の入院を経て退院となった。

約40日間の入院生活にほんの少しのピリオドが打てた。

闘いはこれからだけど、外泊ではなく家へしばらく帰れるという喜びが大きかった。

「ではまた来月」と言う挨拶で家路へと向かった。

他の患者さんに「し~ちゃん☆良かったね。今まで気が張ってた分、倒れないようにね。もっと太らないけんよ」と言われた。

確かに私の体重も激減していた。後先、この頃の体重が一番軽い。

洋服もブカブカになっていた。


母はすぐに祖父の病院へ行きたいと言った。

白血球の数値が下がりあらゆる菌に感染しやすくなった母を祖父の病院へ連れて行くことにためらいがあったが

母の祖父への想いを優先し、マスクを着用させ連れて行った。

何も話す事は出来ない祖父だけど、母の顔を見て、声を聞いて涙を流した。

きっと祖父も分かっている。

母がどれほど頑張ったかを。そしてここまで回復したかを。

「よく頑張りましたね。お父様もよく分かってらっしゃいますよ、きっと」

祖父の病棟の婦長さんも泣いていた。


母の病院へ通わなくてよくなった私は、その時間を祖父に費やした。

点滴が漏れてパンパンになった祖父の手をマッサージした。

オムツも替えた。体も拭いた。

先生からの説明は全て私一人で聞き、その度私一人で決断してきた。


家のことも今まで通り全て私がやった。

年老いた祖母も母が入院中はとても頑張ってくれた。

私が家にいる間はラクをさせてあげよう。


退院から数日後、お昼ご飯を近所のうどん屋で食べようということになった。

2階で身支度をしている私の耳に泣き声が入ってきた。

慌てて1階へ降りると、同じく身支度をしていた母が泣いている。

どう声をかけてよいものか分からなかった。

髪の毛・・・・

長くて綺麗だった自慢の母の髪がブラシを通すごとに抜けた。

「お母さん!髪の毛は抗癌剤終わったらまた生えてくるんやから!」

と、当たり前の言葉を明るく言うしか私には出来なかった。

こんなに早く抜けるんだ・・・髪の毛・・・


私はどうしても大阪に帰らなければならない用事があり、数日間留守をした。

松山へ戻って玄関先に出迎えてくれた母を見たとき、号泣しそうになった。

母の髪が・・・頭が・・・

そんな私を見てか、母は明るく気丈にこう言った。

「お風呂で髪の毛梳かしてたら、からまってどうしようもなくなったから、いっそのことばっさり切っちゃった」と。

切ったといっても、もうほとんど頭に髪はなく頭皮があちこちから見えていた。

母が一番辛いんだ!!

まだ驚きのあまり靴をも脱いでいなかった私は

「可愛いやん」と馬鹿げた返答しか出来なかった。


母を連れてウィッグを買いにいった。

ロングだった母に似合うウィッグはそこにはなく、カタログで見る限り一番長いウィッグを注文した。

ウィッグが手に入った頃にはもう髪の毛は完全に無かった。

セミロングのウィッグを母の頭に合わせて調節してもらい、手直しでカットもしてもらった。

20万以上もしたウィッグは、さすが!本物と思える出来だった。

さすが私のお母さん!!どんなになっても綺麗だよ!!



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