灰色猫のはいねの生活

灰色猫のはいねの生活

綿雲製造工場


「おはよう、大介くん。あの恐竜、口から火噴いてるよ。」
朝1番の挨拶は北の空を見上げることから始まります。
それに気付いたのはいったいいくつの時だったのでしょう。
大介くんにも由記ちゃんにも、もう思い出せないくらい昔から、毎朝決まって大空を目指して昇って行く大きな雲のかたまりがあるのです。
道路の向こう、川の向こう、林の向こう。
子供では絶対にたどり着けないその場所に、木々のてっぺんを地面にして青空にのっしのっしと歩いているような恐竜の形の白い雲。
今日は口から火まで噴いています。
「昨日はタツノオトシゴが子供連れてたのにね。」
「その前はクジラな。尾っぽのでかいやつ。」
「えー、あれはサメだよ。背びれが三角だったよ。」
そう言って小学校に通う大介くんと由記ちゃんは幼なじみ。
家が近いので、小学校の行き帰りはいつも一緒です。
毎朝あの雲の形を何かに例えながら2kmほどの通学路を行きます。
いろいろに形作るあの雲の根っこには、いったい何があるのでしょう。
それが2人のもっかの議論の的でした。
「あのな、俺、昨日の日曜日に町に行った時に見たんだけどな、あの雲は赤と白のしましまの煙突から出てるんだ。」
「煙突から?魔法使いが杖から出してるんじゃないの?」
「杖じゃあないことは確かだ。俺、見たもん。」
「じゃあ、魔法使いの家の煙突かもよ。だって赤と白の煙突なんて普通の家じゃないよ。」
「それもそうだな。」
「赤と白じゃなくって、ピンクにしたらいいのにね。」
女の子らしく由記ちゃんが言いました。
「それでな、俺、考えたんだけど、あれはきっと魔法使いがいる工場だと思うんだ。」
「工場?」
「うん。工場みたく大きくないと、ここから世界中の雲全部なんて作られないだろう。」
「そうだね。家じゃあだめだね。」
「だから工場。名付けて綿雲製造工場だ。」
「すごい。綿雲製造工場。何かかっこいいね。」
「俺もそう思った。」
大介くんがちょっと照れながら言いました。
「でもね、あの雲、夏になると消えちゃうでしょ。夏の雲はどうしてるの?」
「夏は山とか海とかから入道雲が出来るだろ。だから夏の間は休んでるんじゃないか。」
「魔法使いも休むの?」
「年中働きっぱなしだと疲れるからな。冬に休む農家と一緒だ。」
「そっか。大介くんって物知りだね。」
大介くんの話しに由記ちゃんはうんうんと頷きます。
小学校が見えて来ました。
「まあな。綿雲製造工場のことは俺達2人の秘密だからな。誰にもしゃべったらだめだぞ。」
「うん、げんまん。由記、絶対に誰にもしゃべらないよ。」
校門をくぐる前、大介くんは後ろに流れる雲の恐竜を見上げます。
「いつかは、あそこに行けるのかな。」
「大人になったら行こうよ。2人で見に行こう。」
「そうだな。2人で綿雲製造工場に行こう。約束な。」
大介くんと由記ちゃんは元気良く、校舎に入って行きました。

さて、2人の約束がかなう日は突然にやって来ました。
「…ビートかよ。」
「…うん、ビートだよ。」
小学校の社会科見学。
バスに揺られて着いた所は綿雲製造工場。
何のことはありません。
お砂糖を作る工場だったのです。
北海道特産のビート。
別名『砂糖大根』の名の通り、カブのような、丸大根のような大きな根からお砂糖が出来ます。
丸くコーティングされた小さな種が蜂の巣みたいな紙筒(ポット)に入れられて、緑色の芽が出て、畑に1本づつ植える作業がビデオでながれます。
それは、農家の子供である大介くんと由記ちゃんには、別に珍しくもないものなのでした。
「あれ、おねえちゃん?」
「あら、由記ちゃんの学校だったんだ。」
由記ちゃんの従姉妹のおねえさんが、制服姿でみんなに紅茶を配っていました。
「この工場はね、東洋一・アジアで1番大きな製糖工場なのよ。すごいでしょう。」
「…すごくなんかない。」
ぽつりと大介くんが言いました。
「綿雲製造工場じゃあないなら、全然すごくなんかない。」
ソフトクリームに見えたその日の綿雲を最後に、北海道の夏がやって来たのです。

「綿雲製造工場で盆踊りがあるんだって。従姉妹のおねえちゃんがおいでって。大介くん、一緒に行こうよ。」
あの日以来、大空を見上げようとしなくなった大介くんに由記ちゃんが言いました。
「綿雲製造工場なんかじゃない。ただの砂糖工場だ。」
大介くんはぶっきらぼうに言います。
「でも、盆踊りだよ。お菓子ももらえるって。」
お菓子につられて、2人は綿雲製造工場の盆踊りに行きました。
工場前の広場にフランクフルトやおでんや焼きそばの屋台が並びます。
「最初は子供盆踊りだから、踊ったら最後にお菓子もらえるからね。」
おねえさんは浴衣姿で屋台のお店番をしていました。
楽しく踊って、お菓子をもらって2人はごきげんです。
「由記ちゃん、大介くん。綿飴作ってあげるよ。」
はしゃぐ2人におねえさんが声をかけました。
浴衣の袖をおさえながら、おねえさんは銀色のドーナツの真ん中に金色のざらざらしたカケラをからからからんと入れていきます。
白い糸がふわふわと舞って、それを割り箸でくるくるすると、たちまち綿飴が出来上がりました。
「綿雲だ…。」
大介くんが言いました。
それはまるで、魔法使いが杖から綿雲を出しているようにも見えたのです。
「金色のカケラもお砂糖なのよ。この会社で作っているの。」
おねえさんが綿飴を差し出しながら言いました。
2人、芝生に並んで腰掛けながら綿飴をなめます。
「あのね。」
由記ちゃんが大介くんに言いました。
「おねえちゃんに聞いたんだけどね、工場の煙突から出てるのは煙じゃなくって水蒸気なんだって。だから、本当にお空の雲になるんだって。ね、ここはやっぱり綿雲製造工場なんだよ。」
大介くんはちょっと考えて、綿飴を1口なめて言いました。
「うん。…それに、真っ白い砂糖もこの綿飴も綿雲みたいだしな。」
「この工場で作られる綿雲はきっと甘いんだよ。」
「そうだな、夢の綿雲製造工場だ。」
そう。
でも、それは秘密。
大介くんと由記ちゃんと、空に浮かぶ綿雲を恐竜やタツノオトシゴやクジラやサメに見ることの出来たあなただけの秘密。
道路の向こう、川の向こう、林の向こう。
子供では絶対にたどり着けないその場所。
けれども、子供だからこそ見ることの出来たこの場所。
いつか行ける。きっと行ける。
夢の綿雲製造工場。
お砂糖はスズラン印.jpg

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