中学生の頃 IV


受験の風が吹き荒れる頃

私には全く無関係な季節で普段通りの生活をしていた
学校生活も相変わらずで
私達だけが騒いでいた

しかし、ある時に担任が部活へやってきた
(何もすることもないので後輩の指導?ってことで部活はしていた 笑)
それはスポーツ推薦で某私立高校を受けてみないか?
と言うことだった
受験勉強などしていない私には
スポーツ推薦と言う言葉を聞いただけで
もう合格していたような気でいたので
担任の案を即座に即答した

友達もそんな私を祝ってくれて
受験日の前日も前祝いってことで騒いでいたが、、、
受験当日。。。
私は二日酔いになり受験を断念した
もう担任にめっちゃ怒られた。。。
学校の恥じとまで言われた(^◇^;)

そんな私に今度は工業高校から話があった
それは工業高校の柔道の顧問が、あの合同練習での私を評価しての話だった
しかし担任は消極的、、、
私も授業料とかの問題もあり
友達と一緒に職業訓練学校への願書を出そうと思っていた

しかしどこに行くにしてもお金が必要になる訳で・・・
親の援助がない私には、その現実が一番辛いことだったので
この話にも丁重に断った
M先生はそのことを一番理解していたので
私に対して何も言わなかった

が、
どう転んだのか
ある人と会うことになった
その人とは少し前からの知り合いで
逸れていく前の私を知っており
逸れてからも迷惑を少しかけたこともあり
M先生や工業高校の先生とも知り合いなちょっとした有名人だった

その人は私に会うなり
「私の子供になるか?」
と言ってきた
これを友達やM先生と相談した
そして・・・その人の子供になることを決めた

私はその日以来、今までの名前を捨て
新しい名前で人生をスタートすることになった
学校の方は、その養父の決断で関西の高校へ行かされ
一応は受験をしたがレベル的に低いこともあり
不合格の心配はなかったが、
当然のことながら私が逃げ出さないように監視付きで
受験が終わると監視は私を置いて独りで帰ってしまい
私は関西での身元保証人の所で、その日からお世話になった

そこの保証人の所には私と同じように
養子となった人が居て、言わば義兄にあたる人がいた
その義兄が私の教育係みたいな感じで
忘れもしない
今の私の基盤となる姿に多大な影響を与えた

養父と言えば忙しい人で本来は四国へ住んでいるが
殆どはいろんな場所で忙しなく仕事をしている
そんな訳で私の処に来るのは年に2・3度でなかなか会えない
そんな事情で私は誰も知らない初めて来た場所で生活することになった

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: