風光る 脳腫瘍闘病記

死にたくない!



家についた私はベットの上で体育座りをしながら考えた。

「何で私が?」「腫瘍って何?」

「悪性だったら死ぬの?」一気に目の前が暗くなった。小さい頃は自殺願望が強くて毎日死ぬ事ばかりを考えてたが、大人になるに連れ、精神的にも強くなっていった。その頃に悪性の腫瘍が出来れば手放しで喜んだだろう。

でも今は違う。生きる事が楽しい。仕事も楽しい。友達にも恵まれた。
死にたくはなかった。

「死にたくないっ!」心からそう思った。

数日後、私は紹介された大学病院へバスで向かった。

「でかっ、それに人多いっ世の中、こんなに具合の悪い人がいるの?」

私は「紹介状」を受付に渡した。

「腫瘍診ですね」「じゃあこれを持って待ってて下さい」と一枚の薄いカードと書類がが入ったクリアファイルをもらった。

「何だ、これ?」説明書を読んでみる。

「へえ~、順番がくれば音楽が流れて教えてくれるんだぁ・・すごいな」
気がつくと周りでは至る所で「森のくまさん」が流れていた。

整形外科の前で座って待っていると私のカードが鳴り始めた。

「おぉ・・カードに番号が表示されてる」

「え~っと、この部屋がそうか」「失礼しま~す」
40代の前半だろうか?優しそうな先生だった。私はさっそく紹介状とMRIのフィルムを渡した。

先生はフィルムと手紙を交互に見ている。

「あの~どうなんでしょう?」

「うん。腫瘍である事は間違いないですね」私はガックリうなだれた・・。

「良性ですか?」

「いやぁ・・そればっかりは開けて見ないと分かりませんね」
「とりあえず、ボクの専門が腕と足なので脊髄専門の先生に見てもらってください。ちょっと説明してきますから」と言って部屋を出ていってしまった。

「はっ?専門じゃなかったのか?」いい先生だけにちょっとガッカリした。
しばらくして戻ってきて斜め向かいの部屋の前で待つように言われた。しかし、順番が回って来ない。私は目の前にあった「ドラえもん」を読んで暇をつぶした。

「○○さ~ん、どうぞ」

「やっときたか・・。」「失礼しま~す」

今度は50代の頭のうすい先生で思わず「さっきの先生の方が良かった」などと思ってしまった。

先生の後ろには研修医が3人、ズラリと並んでいた。私は自覚症状が出始めてからの事を詳しく説明した。

「ここまで大きい腫瘍だと手術以外の方法はありませんね」

「はぁ・・・」手術かぁ、ガッカリ。

「なるべく早い方がいいので」と言いながらその先生は手帳をペラペラとめくり、「この日が開いてます。この日はどうでしょう?」とカレンダーを指さした。

「3月31日」

「入院は手術前の1週間前にしてもらいます」「大丈夫ですか?」

「ぁ、はいっ、お願いします」

「緊急連絡先とかありますか?」私は実家の電話番号を言った。すると

「愛媛ですか?」と聞いてきたのだ。

「すごいですね、分かるんですか?」さすが医者だと思っていたがその先生は「私も愛媛出身なんですよ」と同郷である事を教えてくれた。

「だからって訳じゃないですけど頑張りましょうね」

「入院期間てどれくらいですか?」

「1ヶ月はしてもらいます」

「1ヶ月もですか?」私はビックリした。さらに

「仕事は3ヶ月、休んでください」と言ってきたのだった。その日私は初めて母に病気である事を報告した。

「・・・という訳なんで入院する1週間前には上京してきてもらっていい?」母はさすがにビックリしていた。「こうも不幸が重なるのかしら」私も同意見だった。


生まれて初めての入院。予定では1ヶ月の入院の予定だった。

一番の気がかりが手術して一週間はお風呂に入れない事で、男性ホルモンが多いせいか頭皮もすぐベトつく。私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。

この時はまだ事の重大さに気が付いてなく、いかにして一ヶ月の入院生活を楽しく過ごすか、そればかりを考えていた。

こっそり偵察にも行った(笑)

いろんな人に入院する時には何を持っていけばいいか聞いて回った。友達はこれ便利だよと「水のいらないシャンプー」の事を教えてくれて、ある人は「ティッシュは意外と使うよ!」とか、「耳栓はあった方がいい」とか入院初体験の私には参考になる事を教えてくれた。

入院してから手術するまで一週間あったので私は本を買って暇をつぶそうと思い、宮部みゆきの「ブレイブストーリー上下巻」を購入した。新しくパジャマも2着買った。「これでよしっ、準備万端。」私は母と一緒にタクシーで病院へと向かった。

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