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2024.04.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類





母が旅立ちました。

去る4月の19日の事です。享年89歳でした。


我が家の母上様はシルバーカーさえ押してたら、え〜加減遠くまでトコトコ散歩に行く様な人で、昨年までは畑仕事もしてました。年齢の割りには足腰丈夫な御人でした。


そんな母ですが、昨年末に風呂場でコケて脚をしこたま打ったらしくて それがきっかけで急に弱りました。

らしくて…と言うのは、お風呂場でコケた事を家族に一言も言わなかったのです。
母には姉妹が多くて、しかも長女なのて 我が家にはおばさん連中が頻繁に訪れて来るのですが、そんな親戚の叔母から「お風呂で転んだんだって?」と聞かされて初めてそれを知りました。

家族に心配かけたくなくて黙ってたみたいです。


また、心臓の薬も飲んでたみたいで、それも亡くなった後で叔母から聞かされました。
嫁や孫がナースなので、知らせると必要以上に心配させちゃうからウチの者には内緒にしといてって言われたそう。    







そして どこまで我慢強いのよっても思います。



昭和初期生まれの人って、皆さんそんなもんなんですかねぇ。



親父が存命なら、逐一伝えたのかも知れません。でも、息子には一緒に暮らして面倒みて貰ってるから…って それをどこかで負い目に感じていたのかも知れません。

仕事に追われて夜中に家を出て、帰宅してワンコの散歩済ませたら即バタンキューの息子には、余計な手間をかけたくないって親心だったのかななんても思います。




3月半ば頃にはトイレに自力で行くのもままならなくなり、いよいよ介護が必要になってきました。

この頃には入浴も介助していて、共働きの我が家では四六時中面倒みるのも不可能なので、デイサービス若しくは介護施設入所を検討し始めました。


本人は、口癖みたいに「もう あっちへ行きたいけど、お父さんがちっとも迎えに来てくれないよ」だの、事ある毎に面倒かけて悪いなって そればっか言ってました。

いつかはこう言う時が来るとは思ってはいましたが、家に介護を必要とする者が居ると言う事は 本当に体力的にも精神的にもエネルギーつかう事で、かなりの負担でしたが、翔パパは一旦スイッチが入ってしまえば、とことんまっしぐらな性分だし 幸いにも家の中にはナースが二人も居るので、プロならではの介助のツボや要介護認定を取る為の段取りも判るため、どうにかこうにかやりくり付けつつも、日中のケアを任せる先を検討しました。




そんな中での4月19日、午後2時頃に帰宅した翔パパ、いつもの様にお待ちかねの愛犬アッシュを散歩させ、それから母上様を入浴させました。
1日中部屋で過ごしているとは言え、食欲は普通にあり御飯もしっかり食べてたので急激に太り、なかなかの貫禄になった母上様なので、いくら力自慢の翔パパでも かなりの重労働で、ヒ〜ヒ〜言いながら入浴させました。
それは最近の我が家での全くの日常だったのです。


立ってしまえば そのまま立っていられるものの、立ち上がる、座る、そんな動作が非常に負担になるらしく、その度に息切れする母。
やっとの事で脱衣所で座らせて体を拭いている時でした。

足を拭いていたら不意にカクッと足の力が抜けました。

えっ?  っと思って顔を見たら、眠ってるみたいに顎が下がってました。

おいおい、マジか!?





大声で呼び掛ける翔パパの声に、この日たまたま早く帰宅していたウチのかみさんが慌てて風呂場に入って来て、その場で心臓マッサージを始めました。
呆気にとられていた翔パパでしたが、かみさんの「パパ救急車! 早くっ!」の一言で我に返り119!




搬送されたのは我が家から車で5分の、このブログでもお馴染みの翔パパがお世話になってる病院。因みに娘もここのナースです。

救急車が来た時には既に心肺停止状態だったのですが、救命救急の皆さんのお陰で一旦はバイタルが戻りました。
けれどもその夜、家族が見守る中、母は89年の生涯に幕を閉じました。心不全との事でした。


まるでスヤスヤと眠っているかの様な顔して、静かに静かに旅立ちました。





辛抱強い人でした。常に自分の事は後回しで旦那や息子の事ばかりを優先してました。

介護施設か介助サービスかって、いよいよ介護をする立場になるのかと思ってましたが、そんな手間をかけさせる事もなく、あっけなく逝ってしまった母。

思えば幸せな最後だったのかも知れないなって、この頃になって思います。息子にお風呂に入れてもらって、さっぱりしてから苦しむ事もなく天に召された母。  
同時に、人ってあんなにも簡単に逝ってしまうもんなのかとも思います。
もっと孝行してやりたかったとか何とか、そんな事を思う間もなく悲しみやら寂しさやらを感じる以前に、余りにも突然でとにかく呆気にとられるばかりでした。

4月22日にお葬式をして、6月2日 四十九日の法要後にお墓に納骨。存命ならばこの前日6月1日が90回目の誕生日でした。


20年以上前に先立った親父の遺骨に寄添う様に、そっと母を納骨。
ちょくちょく口喧嘩してるような二人だったけれど、親父はいつも母の心配していたし、お袋は父が亡くなった後、よく淋しいって口にしてました。

今頃 お墓の中で仲良く口喧嘩してるかも知れませんね。



同居していながら、翔パパ家族に気を遣って暮らしていたのかと思うと、もしかしたなら独り暮らししているよりも窮屈で淋しい思いをさせてしまっていたのかな……なんても思います。



もっとああしてやりたかった、こうしてやりたかったって思いは、どんなに親孝行していてもあるんだと思うけれど、その瞬間の僅か数分前まで普通に会話していたので、亡くなった後も不思議と哀しみとか言う感覚ではなくて、とにかく呆気にとられるばかりで夢でも見てるみたいでした。




今思っても、ホント、幸せな最期だったんじゃないかなって そんな風に感じます。
あのまま寝たきりにでもなっていたら、それは母にも家族にとっても辛い事だったと思います。
親が衰えて行く姿を見るのも辛く悲しい事だったと思うし。    

家族に大した手間もかけさせず、さっさと逝ってしまった母。凄く息子孝行な親だと思いませんか?



親父が亡くなった時には、何か大きな傘が頭の上からなくなってしまった気がしましたが、今度は人生のアドバイザーが居なくなったみたいな そんな気がしています。
そしてそれ以上に、親父んとこに行けて良かったな お袋……って、何故だかそんな思いです。






多分、誰に気を遣う事もないでしょう。

どこも痛くなければ苦しい事もないでしょう。

ただただ自由気ままに、永い事離ればなれだった親父と仲良くやんなよなって思っています。




お袋、心配かけてばっかでゴメンな。
これでも家族背負って どうにかやってるから、もうオレの心配はしないで安らかに眠ってくれよ。







ありがとうな、お袋。





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Last updated  2024.07.02 21:42:38
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