世界一流スパにも勤務中!       元豪華客船セラピスト★海外女社長 ・由美どんのアメリカ挑戦★

同級生とハワイで再会 / 知恵遅れの妹



以前お手伝いをしていたハワイの某高級ホテル・宝石商のお友達に「どうしても今日用事があるので4時間ほど 居るだけでいいから店番をして欲しい!」と催促の電話がかかってきて、由美どんお友達が困ってる様子だったので店番をO.K.した。

ハワイの某高級ホテルの宝石店で店番をしていた。

店の外をぼーーと眺めていたら、色の白くて背の高くて上品な黒髪の日本人女性が店の前を横切っていった。

その女性の顔を見て 突然自分の脳裏に中学校時代の同級生の顔が浮かんだ。

「あ!村●さんだ!」

慌てて店の外に飛び出して彼女に話しかけようと2~3歩ほど走ったが、超高級ジュエリーをほったらかしに店を出れないので、立ち止まって彼女の方を見てみた。

角を曲がったその女性の顔はやっぱり同じ鹿児島の中学校を卒業した村●さんだった。

村●さんは当時転校生だった。
スタイルも頭も良く。女らしくて編み物が上手で家庭的で穏やかな彼女はすぐに友達ができていった。そんなに由美どんととても仲良しというわけではなかったが、誰にでもナイスな人だったのを覚えている。

彼女は転校を何回もしていたので自然と身に付いたのだろう、誰にでも公平にそして当たり障りのない友情関係を作っているように見えた。

店に戻り、「もしも彼女と会える運命なら 彼女がまた店の前を通るだろう」と思ったら 本当に通った。

そしてすばやく走り寄った。

「村●さん?村● ●●●さん?」とエレベーターに向かうその女性に話しかけると

「はい、そうですけど・・・。あのどちら様でしたっけ?」と言われ

「私ですよ。ほら鹿児島の中学校で一緒だった●●由美!」と言うと

「あ!えーーーーー なんで?なんでハワイに居るの? わあー!」と村●さんは驚いてた。

あれから「29-15=14年」

しかも異国の地、ハワイで寄寓にもこの可能性の低いたった4時間の店番の間に私達は再会したのだった!

村●さんは結婚2年目だそうで 苗字が変わっていた。

もちろん由美どんも結婚4年目で 苗字が変わっていた。

が、
まさか英語の苗字になってるとは村●さんは予想もつかなかった事。
さぞかし驚いた事だろう。。。。。

「えっと。店をほおって置けないので、もう戻らなきゃ!」と言うと
村●さんは宝石店に再度寄ってくださった。

今までお互いに何をしてたかを簡単に手短に話した。

村●さんは由美どんの鉄砲玉の様に世界に飛び出した経歴を聞いてビックリしていた。(私も自分で自分にビックリしてます。若かったから出来たのよねェー)

村●さんは他の友達が何をしてるのか教えてくれたが
仲が良かったたった1人だけの人しかコンタクトを取ってないと言っていた。

そのたった1人のお友達はフラワーアレンジメントのお仕事で、どっか凄い所(ディズニーランド?)で今 お花を生けてるらしい・・・・

「へえーーーーーー みんな色んな所で何か頑張っているんだなあ。」と感じた。

村●さんは「由美ちゃん本当に声をかけてくれてありがとうね!嬉しかった。本当にありがとう!」と言ってくれた。

そう言われたので、彼女の言葉が意外だった。

私には学習能力のみだけの知恵遅れの妹が兄弟の仲に1人居る。
妹のYは2歳年下。
Yは生活の事は何不自由は無く出来るが、学習能力は低かった。

Yは小学校中学の間は特別学級で学んでいた。

小学校の時には公平に誰とでも周りはみんな仲が良かった。

しかし中学に上がって思春期に入り
みんなは
「誰がかっこよくて」
「誰が不細工」なのかを追求するようになった。
そしてヤンキーと呼ばれる落ちこぼれの生徒が出てきて、
ヤンキー達は自分が強いと思えるように弱い者を目をギラギラさせて探していた。

そこに私が居た。
私が15歳になった時、妹のYが中学1年生として上がってきた。
妹が特別学級で学んでいるので
ある日ヤンキーの一人が「お前の妹はバカだ。だからお前もバカだ!」と言った。

私は腹が立った。
そして言い返した。
「妹はバカじゃないわ!生まれつきなのよ!あんた達の方が弱い者イジメしてバカじゃないの?」

この言い返した日からヤンキーは私に嫌がらせをするようになった。

彼らに勇気を出して 本当の事を言ってしまったからだ。

彼らの嫌がらせは日々成長していった。
歩いていると上からツバやタンを吐きかけられたり、
体育の授業中に校舎の窓から大声で罵声をあびさせられ辱めを受けた。
殴ったりはされなかったけど、
いつも「汚ねえー!」とかゴミ扱いされた。

あの時は本当に生きてる心地がしなかった。

ヤンキーが私を嫌っていたので
自然と友達が離れて行った。(←だから村●さんが今回「声をかけてくれてありがとう」と言ったのには本当に驚いたのだった。)

友達がそれとなく離れていって
悲しくて悲しくて毎日ベッドで泣いていた。

そんな時でも励ましてくれた友達が数名居た。
私にとってその一握りの友人は本当に宝物だった。

励ましと同時に私は絶対にこれではいけないと思ってたので
ヤンキーに向けて復讐法を企てた。

「そうだ!一生懸命勉強して高校受験に合格して あんなアホな連中の居ない頭のいい高校に入ろう!!! そうしたら あんな嫌がらせはもう受けないよ絶対に!だってアイツラは高校に行けないんだもの。頭のいい人はあんな嫌な事はしないはずだもの!(ちなみに頭のいい人も頭のいい嫌なやり方をするという事を後に高校合格した後で学んだ。)」

当時私の通ってた中学校は めちゃめちゃ荒れていて悪評高かった。

「この中学校の学生である」と言うだけで塾で会った他校の友達は私をヤンキー扱いしたぐらいだった。(私は極めて真面目な学生でしたので ヤンキーでは全くないです)

あの頃はヤンキーである事=ステータス=タフでカッコイイ事だった。(アホだ)

で、私は高校受験の為に一生懸命勉強した。
死ぬ気で勉強した。

アホなヤンキーの嫌がらせを無視して、私の成績はうなぎのぼりだった。
イジメを受けてから、私の成績が落ちた事は1回もなかった。

ある日、何かひどい事をヤンキーにされて 泣きながら家に帰った。

私は母と妹Yの前で

「あんた(妹Y)さえ居なかったら 私はこんなひどい目にあわなくて済んだのに!」と逆切れして言ってしまった。

私は「ハ!」とした。
母は「なんてこと言うの!」とひどく私の顔を殴った。

妹は黙って無言でうつむいていた。

それから私は高校入試に合格し、無事に頭のいい高校に入れた。
(ちなみにレベルが高すぎて不可能と言われていた他の私立の学校にも合格していたが、学費がめちゃくちゃ高いので親の為にあきらめた。。。。涙)

高校に入ってから自分の為に隠れてバイトをし、自分の為にお小遣いを稼いだ。
親にお金などあげた事がその時にはまだ無かった。ただの高校生だった。

私が高校2年生になった時、妹のYは中学3年で、進学を「養護高等学校」に薦められていた。

でもうちの母は「将来 この子に養護学校というレッテルが一生付けまわるのが可哀想だ」と嘆いていた。

私は「妹Yは頭が悪いから 養護学校しか行けないじゃん!選ぶよちないじゃん」とアホな事をほざいていた。

ある日、妹Yの担任の先生が妹Yにいい話を持ってきた。
それは滋賀県にある某紡績会社が経営している高校に行けば 紡績工場で働きながらちゃんとした「高校」という名の付く学校に行け寮にも入れお金も稼げるというものだった。

母も私も「し、滋賀県・・・??? 鹿児島から遠すぎるよ!妹Yには絶対無理だよ別居でしょ?!お母さんが居ないと妹Yは何も出来ないのに。。。」と口を揃えて言った。

うつむいていた妹Yがゆっくりと声を出した。

妹Y; 「わたし・・・ わたし・・・。 滋賀県に行きたい!」

私も母も目が点になった。

由美どん;「あんた滋賀県ってどこか解ってるの?!」

妹Y;「わたし・・・・ ちゃんとした高校に行きたい・・・・・」

私ね、この言葉↑聞いた時、ガツーーンって頭引っ叩かれた気分だった。
その時ね感じたの。

「あァ、私も あの嫌なヤンキー達と同じ事を 実の妹にしてたんだ」ってね。

なんか心の奥でものすごくショックで、自分の部屋で泣いてたな。

「他人に嫌な事したら 他人から嫌な事帰ってくるよ」ってよく親が教えてくれたけど、まさにそのとおりだった。

その日から 妹Yを見る目が少し変わった。

私が高校3年の夏になる前に母が血相かいてこう言った。

母;「由美、あの子。 仕送りとして20万円を私の口座に振り込んでいたよ」

これ聞いた瞬間 もうダブルパンチ!
自分の為にしかお金を稼いだ事の無い自分が恥ずかしかった。

アホだと思ってた妹Yが母に仕送りしたのだ。
自分の為に取っとけばいいお金なのに、それを母にあげたのだった。
手紙には「お母さん、お父さんと離れ離れになって(離婚)お金が必要でしょ?あげるね」とあった。

妹Yは私よりも成長していた。
私は「コイツに勝てない!」ってその時思った。

正月休みに妹Yが滋賀県から鹿児島に2週間帰ってきた。
久しぶりに会った妹Yは痩せていた。でも生き生きしていた。目が輝いていた。オシャレもしていたし、字も綺麗に書けるようになっていた。

食事をする時に見た 妹Yの指にとどめを刺された。

紡績工場で働いているので糸を紡がないといけない。その糸が機械の経路からそれてしまった時に自分の指でその糸の流れを変えないといけない。
激しく早く動く糸を指で持って調節する。(ミシンの下糸を作る時みたいな感じ)
その糸のせいで、妹の指には何本もの糸の食い込んだ跡が4つの指に横についていた。血が出たのだろう、中の皮膚の組織が治りかけで 割れている所もあった。その上 あかぎれも出来ていた。

由美;「こんな思いをして夏に20万円送って、また正月に20万円をお母さんにあげて。。。  お姉ちゃん あんたの事 誤解してて本当にごめんね。本当にごめんね。」私も母も声を上げて泣いた。

妹Y;「なんでお姉ちゃん達 泣いてるの?」

私達は妹Yの無垢なこの言葉に救われた。心に光がさした。
「本当の人間の価値」をずっしりと初めて感じたのだった。

そして今、私はあの愚かな日々を恥ずかしく思いながらも
故郷や家族を懐かしんで異国で生きている。

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