The Gifts From Above

The Gifts From Above

アメリカ永住権取得までの道(完全版)


アメリカ永住権獲得の道(完全版)



*……………………………………………………………………………………*

このページは1999年に短期留学で渡米した私の
アメリカ永住権獲得までを記してあります。
アメリカ永住権は弁護士さんなしでも出来ますが、
なにかあると必ず移民局は弁護士さんにも同じ書類をおくってくれるし、
弁護士さんを雇うといろんな面でスムーズに行くとのことで
私は知り合いの紹介の中国系のD弁護士を雇いました。
費用は敷居が高い日本人の弁護士さんよりずっと安かったし
(日本人の弁護士さんは自給でいくらというのが多いけど、
彼はケースでいくらみたいな感じで、
場合によっては料金交渉あり。)
すごくSMARTな上にすごく親切でした。
もちろん、インタビューも付き添ってくれました。
*……………………………………………………………………………………*

2002年6月 私は在米韓国人のゆんパパと結婚。

旦那の両親と同居生活。

この時私は> プラクティカルトレーニング で某市の職員として働いていた。

2003年2月 再度フルタイム学生に戻る。

プラクティカルトレーニング が切れたので、ステータス保持のため、地元のカレッジに入学。

2003年11月末 結婚後一年半後にGCをパーマネントレジデント(グリーンカード保持者)の配偶者として申請(I-130)

弁護士さんにパーマネントレジデントの配偶者のグリーンカードは6年くらいかかるといわれ、それまで学生生活を継続することに。

私のステータスキープのためのカレッジ生活が始まる。

(アメリカ市民の配偶者には毎年無制限でGCが下りるのですが、

GC保持者の配偶者は年間何人までという制限があるので現在5、6年待ち状態。)

学業、同居、妊娠、出産、子育ての両立生活を強いられ、途中、何度もめげそうになる。
(100クレジットもカレッジで取得。。。)

2006年4月末頃 ゆんパパアメリカ市民申請

遂に神様がゆんパパにアメリカ市民になる勇気を与えてくださる。

2006年7月末 ☆?☆ ゆんパパのアメリカ市民のインタビュー

予想したとおり、即OKならず、しかしREJECTもされず。

異例な結果で、結果は後日連絡といわれる。涙

約3が月間、夫婦して毎日ドキドキして過ごす。

2006年10月末  ☆祝☆奇跡的にゆんパパアメリカ市民となる。

弁護士にすぐ私のGCをアメリカ市民の妻として再申請するよう進められる。

しかし、第二子の出産が3週間後ということと、妊娠の費用をカレッジの保険が全額カバーしてくれたので出産がおわるまで申請を待つことに。

2007年1月15日 グリーンカードをアメリカ市民の妻として再申請

私の1-20と学生保険の切れる2007年の1月15日に再度GC申請をアメリカ市民の配偶者として再申請(I-485)。

このとき労働許可書(I-765)やトラベルパーミット(I-131)も同時申請する。

2007年1月24日 BIOMETRICS(生体認証)のアポイントレターが届く

いわゆるフィンガープリント(指紋採取)のアポイントメント。

2007年2月7日 BIOMETRICSへ。

2007年2月14日ごろ インタビューの日程を知らせるレターが届く。

2007年3月15日 GCのインタビュー。

殆ど何も質問されず、5分くらいで終わる。

一番難しかった質問は最後にいつ米国に入国したかの質問。(事前に弁護士に言われてました)

笑えたのは「日本の首都はどこ?」の質問。

用意していた書類(ジョイントアカウントの書類や写真)は全く聞かれませんでした。

THANK GOD!その場でGCが承認された(GCが下りた)ことを知らされる。

長い、フルタイム学生生活に終止符をうつ。

2007年3月19日 WELCOME NOTICE(GCが下りたことを記すレター)が届く

2007年3月26日 待ちにまったGCが届く!!!!!

労働許可書(I-765)やトラベルパーミット(I-131)より先に

申請後2ヶ月と10日で本命のグリーンカードゲット!

労働許可書(I-765)やトラベルパーミット(I-131)は必要なくなる。笑

2007年5月 カッレジ卒業予定

ステータス保持の為に長いこと学生をしたおかげでカレッジも卒業することに。




ホームへ  アメリカンライフのトップに戻る    アメリカで結婚


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: