楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

『VOL1~VOL15』


記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL1、9/11。』


ニュース内容:
 2002年09月11日(水)の通信。

 僕は今、今アメリカ・カリフォルニアのサンディエゴにいます。 
大学の付属学校でアカデミック英語の勉強をしています。 
ここに来て一ヶ月ちょっとになります。

 さて、今日9/11はみなさんももちろんご存知のニューヨークの
テロが起こった日です。ここ最近この関係のTVや新聞記事を目にします。
ニューヨーカーはもとよりアメリカ人全体を深い心の傷で覆われています。
再びテロが起こり大きな痛手をまた負うのでは
ないのか。」とメディアは騒いでいます。 アメリカ人もそう思っている人が
多いのは確かです。 一番のりにのったのアメリカという国を襲った
出来事なので、 かなりの重みがあったと思われます。
亡くなった人や遺族の方には本当に哀悼の意を表したいと思う。

 昨晩から特別番組が編成されています。 あのワールドセンターの倒壊の映像を
見るたびにゾッとします。 あのビルの中に何千人もの人がいたのだから。

 昼、キャンパス内でも哀悼の演奏会がありました。 
すごい人だかりができていました。 今日は、アメリカの各地で
このような追悼のセレモニーがあるようです。

 僕たちはこれからどのような方向に進んで行くのでしょうか。

 ユタカン、サンディエゴ。

************************************************************** 

日時 :2003年02月02日
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL2、台湾人の友達』


ニュース内容:
 2003年09月21日(土)の通信。

 こんにちわ。

 アメリカ・サンディエゴよりユタカです。
前回の『9・11』の記事を知人・友人に送ったら反響がありました。
ありがとうございます。 今回より『ユタカン・サンディエゴ通信』として
アメリカ、サンディエゴの生活を通信に日々の出来事や思ったことを
時間を見つけて書き綴っていきたいと思っています。
不定期の通信ですので、申し訳ありませんがよろしくお願いします。
同じメールが届いたという方申し訳ありません。

 新コースが始まって早々にできた台湾人の女の人に「日本人嫌い。」って
ダイレクトに言われたのには、かなりびびった。 戦争当時の日本の
行為関係で日本人が嫌いだと。 確かに日本はきちんと国としても
謝罪していないし、日本人自体が上の空って感じがする。 日本人として
僕は「ごめんなさい。」って謝った。 台湾人などを殺したのは僕の
行為じゃないけど、僕のおじいちゃん以上の人はしたんだし。
でも、「僕や今の日本人は親切な人が多いし、今のよくなった日本も
知ってね。」っと言ったら、 理解してくれてちょっとづついい方向に
向かっている感じを受けました。 今はその台湾人とは仲良しです。

 日本にいた時、ニュースなのでメディアを通して台湾、韓国や中国などの
国の言い分はわかっていたけど、やっぱ直接言われたのは日本人をして
かなり重いものがありました。 スペイン留学中は、あまりアジア人と
つるむ事がなかったけど、 ここはアジア人がすごく多いので関わらないで
通る事ができないと思う。 特に僕はいろんな国に友達が作りたいし、
今回通らないといけない道を通りました。

 僕ら日本人はどこまでアジア諸国に当時のことの謝罪の念があるの
だろうか。 僕の親類と以前そんな話しをした時に、「当時はみんな狂って
いたんだよ。」の言葉だけやった。 そんな考えがまだ日本の中に
一般的にあるのも事実やけど、現実問題として虐殺された国の人の
気持ちはどこに行くの?って感じる。

 日本の学校教育でも日本のメディアも深くまで教えていないし、
覆い隠された部分が未だにあるのは確か。 広島や長崎の原爆も大切な
事実やけど、日本ではそれだけが大きくクローズアップされているように
思う。 日本人としてアジア人としてそれだけが事実ではない。

 あまりに今の日本が平和すぎて過去は過去で終わっているように思う。
それで国際社会の一員としてやっていいのでしょうか、日本は。

 大きなテーマです。 

 ユタカン、サンディエゴ。

****************************************************************

日時 :2003年02月02日
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『VOL3、台湾人の友達PART2』

ニュース内容:
 2002年09月25日(水)の通信。

 こんにちわ。

 この『ユタカ・サンディエゴ通信』は三号目になります。
さて、ここまで振り返って見ると内容が暗く重い感じのものになって
しまったように思います。 しかしなかなか日本人同士で話しもしない
ことなので、この場を借りていろんな角度からの考えなどを聞くことが
できました。 ありがとうございます。 このような話しを入れつつ、
まさしく留学中のハプニングなどいろんな小ネタをちょろりちょろりと
出していきたいと思っています。 はっはあ。 お楽しみに。

 今回は、前回の『台湾人の友達』の二話目を書こうと思います。
前回は台湾人の女友達だったのですが、今回は台湾人の男友達に
ついてです。 彼女とも彼とも何コマか同じ授業がありますのですが、
彼と同じ『Writing』のクラスでの出来事をひとつ・・・。
初めてのジャーナルの宿題で自分で書いてきたものをクラスメートに
読んでもらって、コメントを書くという授業がありました。
その時のパートナーが彼でそのコメントの最後に「..... I’m glad to
be your friend, becaous I think you are a nice guy.」と
書いていました。 「僕は、君の友達になれて嬉しい。 どうしてかと
いうと君はとてもいい人と思うから。」と書いてありました。
なんだかすごく嬉しかったです。 会ってまだ日が浅いのに
そう思ってくれていたなんてと思って。 それも直接ではなく
文面なのでずっと残るしね・・・。 そのコメントを読んだ時、
「これってコース最後のお別れの時の言葉じゃないの??」ってかなり
思ったけど・・・。 はっはは。 台湾の女友達もそうやけど、
彼とは今回のコースが始まってすぐに仲良くなった友達。
彼はとてもいい友達です。 心に残った今日この頃・・・。

 ユタカン、サンディエゴ。

*************************************************************

日時 :2003年02月02日
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL4、ロサンジェルスへの旅。』

ニュース内容:
 2002年10月10日(木)の通信。

 こんにちわ。

 先週末はロスに行ってきました。 金曜に日本の領事館に行って
新しいパスポート10年用をゲットしました。 パスポートの有効期限が
一年切れているので更新しに行ってきたのです。 学生ビザ(5年間)を
最近ゲットしたばかりなので、これから5年間は前のパスポートと
新しいパスポートの二冊を常時しないといけなくなってかなりめんどい
ことになっています。汗。

 初めてのロスのダウンタウン。 精神的にいってるホームレスが
いっぱいいた。汗。 昼でもそれが恐かった。汗。 まだ地下鉄の方が
全然大丈夫そうだったよ・・・。

 『地球の歩き方』に載っているダウンタウンのホテルに泊まった。
かなりしょぼいホテルでかなりうけた。笑。 スペインで貧乏一人旅で
泊まったホテルとかを思い出したほど。笑。 テレビあったけど、
すっごく古くってそれも全然見れないの・・・。苦笑。 カラーじゃなく
白黒だったし。汗。 このホテルは、日本のガイドブックに掲載されて
いるから日本人利用者が多いようだったけど、貧乏学生旅行には
もってこいって感じだった。 掲載文では『古いけど清潔に保たれている』
って書いてあった。 ほんとその通りだった。 ははっはあ。
この掲載文はあっていると思った。爆笑。 お湯はちゃんと出るし、
タオル類は安そうなしょぼいものだったけどきれいなものだったし
問題はなった。笑。

 二日間ダウンタウンのホテルに泊まったんやけど、
金曜と土曜、リトル東京に行ってきた。 二日連続。
日本人のお年寄りがベンチでたそがれているのを見たとき、
すごく心が和んだ。 ははは。 リトル東京にある日本食のスーパーに
行ってきた。 今、ホームステイ先のママが旅中で一ヶ月家にいないので、
自炊をしないといけないのでそのスーパーで日本食特に、昼にランチとして
持っていけるものの調達をしに行ってきた。 ククレカレーのレトルト
などを買った。 辛すぎるのはダメなので、マイルド味のものを買った。笑。
日本料理店にも足を運びました。 焼き鳥丼とカレーライスを食べた。
日本人が本当に作っているかはわからなかったけど、日本にいる時と
変わらなかった。 リトル東京にいると本当に日本にいるいんじゃないのかと
錯覚させられた。 はっはああ。

 土曜日はメキシコ人の友達に会った。 ロス近郊のオンタリオに
住んでいて、今回僕がロスにいるということで会うことになった。
彼は一年半以上もメールをしていた日本文化が好きなメル友で、
一年半前にメールを始めた当時はアメリカに来て会うなんて全く
考えていなかった・・・。 だからこうして会ってみるとすごく
不思議だった。 オンタリオに大きなアウトレットモールがあって
連れて行ってもらった。 そこで、ジャッキー・チェンと
ジェニファー・ラヴ・ヒューイットの『The Tuxido』の映画を見た。
すごくジャッキー色が出ていて僕的には好きな映画だった。
でも、サンディエゴのアメリカ人の友達は「おもろくなかった。」と
言っていた。 きっとジャッキー色とアジアン・アクションが
理解できてないんだよ、アメリカ人には!!笑。 ささやかやけど
草の根交流ができてよかった。 そんなこんなで友達を増やして
いきたいと思う今日この頃。

 ここ最近、精神的にちょっと疲れ果てていたので今回の旅でけっこう
リフレッシュできたように思う。 よかった、よかった。笑。

 ユタカン、サンディエゴ。

**************************************************************

日時 :2002年02月02日
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL6、カリフォの車の免許証一次試験突破。』


ニュース内容:
2002年10月19日(土)の通信。

 こんにちわ~。

 昨日(金曜)学校が終わってから、カリフォルニアン・
ドライバーズ・ライセンスを取得のために一次の筆記試験を受けて
きました。 一度で無事に『合格』しました。 パチパチ~!!笑。
海外にいるのに、もちろん日本の免許証は無効でそれも一年有効という
国際免許証を持っているのに、カリフォルニアでは入国してから
10日間しか有効じゃないということ・・・。 11日目から国際免許証で
運転すると違法ということになると・・・。 どういうことなの・・・。

 筆記試験の合格のための秘密アイテムがあるということで、
以前に試験を受けたという学校の日本人のクラスメートなどに聞き、
それをゲットし一晩、勉強しました。 試験の問題は日本語があって
英語で受ける必要はない。 英語の標識を読む問題は基本的な英語が
わかっていれば100パー解けるので問題ないと思う。
特にそのアイテムがあるばなおさら!!笑。

 試験のあと解答をもらうことができたのですが、
どう考えても僕の答えがあっているのに『バツ』マークが
ついているのです・・・。 どういうこと・・・。
12ドル払って三度テストを受けることができるのですが、
一度目は六問間違えることができるけど、二度目以降は三問までしか
間違える事ができない。 となると二問あっているはずの答えが
間違えにされていたということで一度目の試験だとあと五問自己のミス
(計七問)で間違えると、自動的に落とさせる・・・。
二度目以降だと自己で二問(計四問)間違えるとおしまい・・・。汗。
「どういうことそれは・・・。」っと思って、合格してるから
聞かなくってもよかってんけど、どう考えても向こう側が間違えて
いるので点数合わせをした係りの人に言ってみたら「合格してるから
いいじゃないの。」という返答で、一緒に会場まで来てくれた
アメリカ人の友人も「合格してるし聞かなくっていいって。」って
言うのです・・・。 パーフェクトの解答じゃなくても合格は
合格やねんけれども、もし向こうの解答にミスがあってそのまま放って
おくのはいかがなものかとは思いませんか? その問題の解答自体が
間違っているのに・・・。 そこでウダウダ言って、結果を
消されかねないかもしれないので大人しくしていたほうが賢いかも
しれへんねんけど、気になっていたので言ったら「合格してるし
いいじゃないの。」という答えにはびびったね・・・。汗。
「なんて適当やねん!!」と思った。 もう呆れかえって
それ以上なにも言えなかった・・・。 日本じゃあり得ない。
アメリカはお金に関してはまじでシビアなのに、それ以外は適当な
ことが多々あるのでどうにかしてほしい。

 合格は嬉しいけど、「どうなの?」と思わす出来事でした。
来週月曜は二次の路上試験を受けます。 これに合格したら、
晴れて免許証ゲットです。 また次回の『ユタカ・
サンディエゴ通信』で報告したいと思っています。
んじゃじゃね~。 ちゃおちゃお。

 ユタカン・サンディエゴ。

*************************************************************

日時 :2003年02月08日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL7、初めてのハロウィーン in USA』

ニュースの内容:
 2002年11月02日(土)の通信。

 こんにちわ。

 10月31日は『Halloween』でした。
初めの『ハロウィーン』をここサンディエゴで体験しました。
一ヶ月前ほどから『ハロウィーン』のディスプレイを町で見ることが
できました。

 10月31日当日は、学校の『American Culture』のクラスで
ナイフでパンプキンの顔をカットして作り、
ジャック・オ・ランタンを作りました。 ろうそくを入れて出来上がり。
写真も添付したので見てくださいね。(携帯メールと
掲示板には写真を載せることができません。すみません。)

 同じ日の夜はプエルトリコ系アメリカ人の友人宅に招待されていて
行ってきました。 家族でパーティをするかと思っていたら、
友人の友達が数人きて夕食を食べて話をするという感じでした。
友人が、「『プエルトリコ料理』を作る。」と言っていたので、
楽しみに行ったらそうでもなかった。 プエルトリコ系人なので
友人が料理したら、全部が『プエルトリコ料理』をいうことだった。汗。
ある意味やられた。笑。 僕が何か料理したら、
すべて『日本料理』だというのと同じ意味・・・。苦笑。
夜遅くから始まって、夜中3時まで話ししたりしていた。
その日は、友人宅に泊まって次の日11月1日はそこから学校に通った。
それも、『Reading』のクラスで小テストがあったので、大変だった。
単語覚えないといけなかったので。汗。 かなり忙しい2日間だった。

 サンディエゴのダウンタウンには、5千人以上の人が集結して
いたということ。 すごく混んでいたらしいです。
いろんなところで『Haunted House』(『お化け屋敷』)が
あって、行きたかったけどすごい人だったし、友人宅に行くことにも
なっていたので行けなかった。 当日の夜は町のあちこちで
子供たちが仮装して「Trick or Treat」(「罠かお菓子」)と
言って近所を訪問し、おかしをもらっている光景を見ました。
「これがハロウィーンなんだ。」を実感した。笑。
子供たちのコスチュームがすごくかわいかった。 はっはああ。

 今日は、11月2日。 ここ数日の多忙さと疲れてちょっと
風邪ひいた感じ。 薬飲んで一日寝ていました。
喉と右目がちょっと腫れている。汗。
よく寝たので、今はかなりましになった。

 風邪に気を付けて~。
んじゃじゃね。 ちゃおちゃお。

 ユタカン、サンディエゴ。

****************************************************************

日時 :2003年02月08日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL8、サマータイム終了。』

ニュースの内容:
 2002年11月02日(土)の通信。

 こんにちわ。

 先日10/27の夜中にサマータイムが終わったのはご存知でしたか?
日本では採用されてないので、知らない人が多いかと思います。
今まで日本ーアメリカ(サンディエゴ)間は、17時間だったのですが、
現在は16時間になっています。 スペインでもサマータイムが
採用されていたかと思います。 次のサマータイムは4月だったかな。
一時間の違いだけど、日本に電話しやすくなった。

 んじゃじゃね。
ちゃおちゃお。

 ユタカン、サンディエゴ。

***************************************************************

日時 :2003年02月08日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL9、メキシコ・ティファナ。』

ニュースの内容:
 2002年11月03日(日)の通信。

 こんにちわ。

 先週末初めてメキシコ入りを果たしました。笑。
アメリカのカリフォルニア・サンディエゴとの国境にある
メキシコのティファナという町にプエルトリコ系アメリカ人の
友達と行ってきました。

 サンディエゴからトロリーという乗り物に乗りサンディエゴの
最南端のサン・シドロで下車し、アメリカとメキシコの国境を徒歩で
渡りました。 アメリカからメキシコのティファナに入るのはすごく
簡単で二箇所のゲートを審査もなしで通るだけだった。

 ティファナには、夜行った。 次の日の朝までクラブで踊るという
のが一番の目的で行って来ました。 夜のティファナは危険な雰囲気が
漂っていました。 きれいとは言えない町並みだった。
アメリカとメキシコの国力の違いをここでかなり再確認できた。
スペイン語が完璧に話せるラテン系の友人がいたので、なにも問題なく
過ごす事ができた。 僕もスペイン語話せるけど、母語の友人がいたのは
ほんまに心強い。 夜ご飯を食べに、友人の勧めの店に行った。
観光客用の店じゃなく地元の人が来るという感じの店なので、
小汚い感じの店だったけど、料理は安いし料理も悪くはなかった。
料理名はなんだっけ・・・。 『メキシコの典型料理』みたいなのを
頼んだ。 肉が中心の料理だった。

 朝まで5箇所のバーとクラブをはしごした。笑。
バーでメキシコ代表のコロナビールとテキーラを飲んだ。
ほろ酔いでいい感じだった。笑。 その足でクラブに行って、
朝までそこにいた。 アメリカでは一度もクラブに行ったこと
ないけど、先にメキシコでデビューを果たしました。 ははっはあ。

 夜中にサマータイムが終わり、普通時間に戻った。
朝5時にクラブを出て、アメリカに入るために入国審査を受けたの
ですが、アメリカ国籍の友達は30秒くらいもしないで入国できたのに、
僕は20分以上審査に時間を費やされた・・・。汗。
僕が持っていた資料は完璧だったのに、ゲートでパスポートや
入国に必要なものを見せたら、はんこが足りないというので
別のオフィスに連れていかされた。 資料の一つは、今の学校の
新しいコースのもので日本からカナダ経由でアメリカに入ったという
はんこがそこにはなく、古い資料にはありそれは家にあった。
そのはんこをもらうのに、質問され20分以上もかかっていた。
朝の5時からアメリカにちゃんと入れるのか心配でドキドキもの
だった。汗。 友人は外でずっと待ってくれていて、
友人も僕が入国できるのか心配していた。汗。
朝から心臓バクバクだった・・・。 そのオフィスには
メキシコ人やキューバ人がいた。 しかし、アジア人は僕だけ
しかいなかったので、それがさらにドキドキさせた。汗。

 去年のテロ以降アメリカへの入国の審査が厳しくなっていると
いうことで、みなさんも国境超えにはちゃんと資料を確認して
くださいね。

 んじゃじゃね。
ちゃおちゃお。

 ユタカン、サンディエゴ。

*****************************************************************

日時 :2003年02月08日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL10、サンディエゴのサルサ・クラブ。』

ニュースの内容:
 2002年11月08(金)の通信。

 こんにちわ。 ここ数日、病の縁にいてぼちぼち良くなって
きているところですが、あまりにも一日一日の気温の差がちゃうから
気を抜くとまたやられそうです。汗。

 書こう書こうと思ってすっかり忘れていたけど、
実は、メキシコ・ティファナのクラブの前にサンディエゴの
サルサクラブでデビューをしていました。 ははははあ。
確か行ったのは9月の終わりかそんなあたりだったと思う。苦笑。
ちゃんと日記をやっぱ書かないといつどこでなにしたか
忘れてしまう。汗。

 台湾人の友達の誘いで、サンディエゴのミッション・ビーチ近くに
あるホテル内でしてるサルサダンス・クラブに行って来ました。
ホテル内だったのでアメリカ人中心で、サルサ好きな年配の人が
多かったように記憶しているけど、ちらほらラテン人もアジア人も
いた。 サルサ好きな女性が多かったようにも記憶している。
僕の知人周りでも男性より女性のほうがサルサに魅了される人が
多いので、ここでもそうかと納得しました。笑。

 僕は、ラテン音楽好きだしサルサも好きやけど、
一晩中、サルサ・クラブにいるのは結構苦痛なのです。
その理由は踊れないから。 サルサはステップがあって
知らないからできないし、男性が女性をリードする魅惑の
踊りなので、なかなか魅惑の地に踏み込めてないから。苦笑。
でも、サルサを習いたいという気持ちはずっと持っています。

 ほとんど初めてやねんけど、そのホテルのサルサ・ナイトで
無料のサルサステップの基礎を習いました。 もう最高~!!!!!
「こりゃいいぞ~。」って感じだった。 ははは。
かなり楽しかった。 そのあと輪になって男女のグループになっての
練習だったけど、なんせ初めてだったので個人のステップだけ習って
それから見ていた。 「今思えばやっておけば良かった。」と
思うばかり。泣。 そのあとあのサルサ音楽が流れ出し、
普通にダンスフロアと化した。

 台湾人の友達と彼の友達の日本人女性と行ってんけど、
台湾人の友達は少しすでに知っていて、日本人の女性のほうが
もう数年もはまっている人だったので、ばりばり踊っていた・・・。
その合間で見ていた・・・。号泣。

 でも、少しづつ少しづつやっていこうと思っています。
サルサ好きな日本人の女友達はいるけど、近くに住んで
いなかったりするのでそう簡単に行けないというのがかなしい。
『一人で行く。』というほどはまっているわけじゃない
ので・・・。苦笑。

 でも、楽しかった。 サンディエゴの初めてのクラブ・デビューは
そこででした。 僕が一番好きなのホップス系の自分系スタイルで踊り。
そっちのほうが心地よい。笑。 ステップとかないしね。
はっはああ。  でも、ラテン系のにもっと染まっていきたいと
野望に満ちている今日この頃・・・。爆笑。

 すっかりメキシコ・ティファナの前にすでにクラブに行って
いたことを忘れていたのでここで報告しておきます。 ははっはあ。

 んじゃじゃね。
ちゃおちゃお。

 ユタカン、サンディエゴ。

***************************************************************

日時 :2003年02月08日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL11、My Spanish Friend’s Birthday Party。』

ニュースの内容:
 2002年11月10(日)の通信。

 こんにちわ。

 昨日土曜日の夜、学校のスペイン人の友達の誕生日パーティに
招待されて行ってきました。 彼とはほんまに最近知り合った
ばかりやねんけど、僕のことを気に入っていただき今回誘って
いただきました。 はははあ。 クラスのレベルどころか
コースが違うので授業では全く接点がないねんけど、
スペイン語というとこの接点で知り合いました。
普段の僕のいるコースとレベルではほとんどアジア人しかいないので、
スペイン人中心のアメリカ人とラテンアメリカ人の中に
埋もれていました。汗。 アジア系アメリカ人はいたけど、
純アジア人の男は一人だけやった。 それで英語もスペイン語も
できへんで輪の中にいたら、どんだけ息苦しいことか・・・。苦笑。
国籍的にはスペイン、アメリカ、メキシコ、トルコ、
台湾に日本だったかな。 人数は結構いたな。
なんだかスペインにいた時の感じが蘇ってきた。笑。

 ちょっと空きっ腹でなつかしいスペインでお馴染みの
『カリモチョ』を飲んだら、すぐに酔いがきていつもの笑いの
とまらん系になってしまっていた。汗。 
いわゆる『笑い上戸(じょうご)』ってやつです。激汗。
それも血の循環がいいから、よく汗出るしそれも
『笑い上戸』なので意味わからんでもなんにでも笑って
いた・・・。苦笑。

 このパーティでいろんな人間模様が見れました。笑。
やっぱアジアと欧米の感覚は違うってことをいまさらに納得。
はっはあ。 「欧米人はおもろい・・・。」いろんな意味で。ははは。
日本人の中でもたまに『やられた・・・。』と思わせて
くれる人いるしね。笑。 今回のパーティにもそんな
日本人女性がいて『まじでやられた・・・。』超汗。
知らない人だったので、よかったけど・・・。 ふふふ。

 スペイン人の友達にあげる誕生日プレゼントはなにが
いいかなと思い、日本から持ってきた日本グッズを探し、
ガラス細工でできた小さな風鈴をあげた。
時期はとっくに過ぎてるねんけど、見かけが日本っぽいし
いいかなって。笑。 見た感じ喜んでくれていたしよかった、
よかった。 それを他の国の人にも見せたら「ほしい。」とか
言っていた。ははっはあ。

 帰る足がないから、朝まで残って帰ろうかと思っていたけど、
車で家まで連れて行ってくれる親切なアメリカ人の女性がいたので
乗せてもらって家に帰ってきたら、夜中の1時半だった。
ワインのせいで頭の中が活発しまくっていて4時半くらいまで
寝ることができなかった。 今日起きたの朝の9時だし。 
二日酔いはないけど、お腹がちょっと重い。汗。

 学校で僕の知っているスペイン人の男友達は二人やけど、
二人ともこの12月の終わりには帰ってしまうのでさみしいな・・・。
せっかくここで友達になれたのにね・・・。
それが『出会いと別れ』か。 うん、うん。

 んじゃじゃね。
ちゃおちゃお。

 ユタカン、サンディエゴ。

**************************************************************

日時 :2003年02月08日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL12、カリフォの車の運転免許証ゲット。』

ニュースの内容:
 2002年11月17(日)の通信。

 こんにちわ。

 先週の金曜に一ヶ月も時間を費やしてやっとこさ
『カリフォルニアン・ ドライバーズ・ライセンス。』
(カリフォルニア州の自動車の免許証。)をゲットしました・・・。
ここ一ヶ月このことばっかり考えていたように思う・・・。

 筆記試験は一発で合格したけど、路上運転試験のほうは日本では
運転を全然してなくペーパーさんで、その上に通行方向が
アメリカは日本の逆なのでそれに慣れないといけないし、
日本では絶対ないようなルールとかもちらほらあって
一度では合格しなかった。 簡単そうに見えて難しかった
ように思えた。 なんせ一回目の路上試験の前にアメリカ人の
友達の車で20分しか練習してないし・・・。 アメリカで
たった20分の練習で僕が受かるはずがないとは思ったけど、
落ちた時はショックだったね・・・。 帰りの車の中で友達が
慰めてくれていたけど、ショックのあまり一言も発言しなかった・・・。
シカトしていた。苦笑。 ごめ~ん・・・。 だって普通に
ショックやってんもん・・・。 それもその試験会場では
100パー受かるって日本人のクラスメートが教えてくれたので、
行ってんけどそんなんだったので・・・。

 今回もその会場で受けてきた。 なんと前の時と同じ試験官
やってんけど・・・。 二回も同じ人とルートで、
ヒヤヒヤものだったけどなんとか上手くいったのでよかった。
というか今回はほんまに「ラッキーだった。」と思う。
運転技術だけじゃなくって運も必要だと思った。
なんせ一回目の時は、結構車が多かって道路は工事してるし
初回にして僕にしたらハードルが高かった。
でも、今回は渋滞もなく車はスムーズだったし、
工事も終わっていたので全然前みたいな問題どころはなく上手くいった。
ラッキーだった。

 12ドルで3回まで試験を受けることができる。
この範囲内合格したので、何回目で受かったかと言わな~い!!!笑。
もう一度12ドル払っても日本に比べたらしれているけど、
やっぱ3回以内で受かりたいと思うのは普通かもしれない。
よかった・・・。

 これでアメリカで車を購入することができる。
安い車をリサーチしようかと思っています。
アメリカ、特にカリフォルニアのドライバーは運転荒いので
巻きこなれないように気をつけていきたいと思います。

 それも先日雨が2日続いてて雨の運転に慣れていないここの
人たちは事故しまくり・・・。 一日で200件以上
あったとか・・・。 僕も普通に道を歩いていてぶつかったの
見たし、その日に・・・。汗。 恐いです、この地域の人たちの
運転・・・。

 安全運転で。 んじゃじゃね。
ちゃおちゃお。

 ユタカ、サンディエゴ。

**************************************************************

日時 :2003年02月18日(火)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL13、メキシコ人宅の新築パーティと
ボーリング。』

ニュースの内容:
 2002年11月17(日)の通信。

 こんにちわ。

 この土曜日にまたパーティの誘いがありました。笑。
先週、Structureで同じクラスのメキシコ人女性に誘われた。
前回は『誕生日パーティ。』というのでパーティがあったけど、
今回はなんのパーティっていうのを知らないままで行った。
ただ、「何も持って来なくていい。」とは言っていた。 ははは。

 でも、このパーティ会場の家がけっこう遠くって
まじで車がないといけないところにあった。 車を持ってないけどイタリア人の
友達も行くと言っていたので僕の家と近いしどうかと思ってジョインできるように
言っていたのに、お互いにすれ違いで連絡が取れなかった。
そこで、スペイン人の友達に電話して二人のスペイン人と一人のアメリカ人の
4人で向かうことになった。

 スタートが夜の8時半から9時の間からっていうことで
それに合わせるように向かうことにした。 時間がまだあったので、
僕らが行ってる大学のキャンパス内に『ボーリング場。』があって
そこで三ゲームして遊んでいた。 アメリカで初めてのボーリング。
それも日本でもあまりボーリングに行かないのでほんまに久しぶりだった。
それもアメリカ人とスペイン人に混じって・・・。
僕が生み出すボールのカーブについて「どうしたらそんなカーブとか
できるん?」って言っていた。 「といってもどうやってというか
勝手にそうなるのね・・・。」って回答しておいた。 はっはあ。
アメリカでの初めてのボーリングを経験。

 そのあとメキシコ人の友人宅に行った。
もうもうもう驚いた!!! なんと『新築アンド引越しパーティ。』
だったのです。 まじで家きれいで家具とかも新品でそれも
すっごくお洒落なの・・・。 さらにびっくりいたのが、
そのメキシコ人の友人は結婚していたのね・・・。
全然そんな雰囲気をかもし出していないすごくいい感じの人なのです。
もうクラスで3ヶ月一緒に勉強してるのに、知らなかった。
あまりプライベートの話しはしてなかったのは確かやけど。

 夜遅くになるにつれていっぱい人がきて、
歩くスペースもないくらいだった。 それも9割メキシコ人・・・。
ほとんどスペイン語しか聞こえなかった。 僕がスペイン語話せるなんて
思う人なんていないので、みんな僕には英語で話しかけてきてた。ははははあ。

 前回のパーティとは全然比べる事ができないくらいグレート(GREAT)系!!!
いっぱいおいしい食べ物あったし、飲み物もいっぱいで・・・。
僕のためにって言っていたけど『スシ。』があった。 おいしかった!!
超感動!!! はははあ。

 サウジアラビアの『水たばこ。』があった。
スペインに留学していた時に一度やったことあったけど、今回で二回目。
吸いすぎてちょっと酸欠状態になっていたけど・・・。苦笑。
でも、別に身体に悪いものじゃないので、大丈夫。 かなりいい気分だった。笑。

 旦那さんつながりで日本人の女性が一人いた。
少しだけ話ししたけど、実は共通の別の日本人の友達がいたので、
かなりビックリいた・・・。 世間は狭いもの・・・。

 今回はメキシコ・ワールドにどっぷり漬かりました。
アジア人はほどんどいなかったかも・・・。 「場違いかも。」って
思いつつ、それでも楽しんでいるのが僕かも・・・。 ははっは。
「日本人の友達などを誘ってもいい。」って言っていたので
誘ったけど、予定が合わなくダメだった。 それに車のこともあったしね・・・。
残念・・・。

 そんなこんな土曜の夜でした。 家に着いたのは
朝の4時半だったかな・・・。 あんな夢のようなパーティの後に
現実に戻るのがイヤ・・・。苦笑。

 んじゃじゃね。
ちゃおちゃお。

 ユタカ、サンディエゴ。

********************************************************************
日時 :2003年02月19日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL14、Pre-thanksgiving。』

ニュースの内容:
 2002年11月26日(火)の通信。

みなさん、こんばんわ。

この11月24日の日曜日にホスト・ファミリー、
ホストの子供や孫達などに囲まれて(苦笑)
『Pre-Thanksgiving』をしました。 『サンクスギビング』の
本番はこの28日なので、その前にすでに祝っちゃったということです。笑。
家にいっぱい人がいてちょっとドキドキした。はははあ。

 初めて『七面鳥』(Turkey)を食べました~!!!
普通の鳥肉と同じ感じだった。 肉の上にクランベリー・ジャムを
乗せて食べたり、いっぱいパイがあった。 それを見て
「アメリカだ~。」って感じた。 『七面鳥』と同じように
『パンプキン・パイ』も『サンクスギビング』でよく食べるらしい。 
というか『パンプキン・パイ』は『ハロウィーン』の時に
出てくる定番とも聞いたが・・・。 「アメリカ人は、
『パンプキン・パイ』が好きなんだ。』という勝手な結論に達しました。 
ははっはあ。

 今週の木曜日から『サンススギビング・ホリデー』で学校が休みで、
明日から5日間ほどテキサスのサン・アントニオに行ってきます。
日本に住んでるアメリカ人の友達が『サンクスギビング』の間だけ
アメリカの実家に帰って来て、「伝統的なサンクスギビングを
するからおいでよ!!!」という誘いがあったので行ってきます。
なんだかすごくワクワクしています。笑。 行ってきま~す!!

 サンディエゴはまた寒くなったよ・・・。
いやだ~!! んじゃじゃね~。 ちゃおちゃお。

 ユタカ、サンディエゴ。

******************************************************************

日時 :2003年03月05日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカ・サンディエゴ通信VOL14の番外、サンクスギビングって何?』

ニュースの内容:
 2002年11月26日(火)
 2003年11月27日(木)の通信。

 こんばんわ。 明日から旅に出るのに、今、夜中の12時半前・・・。汗。
さっき送った『Pre-thanksgiving』で「サンクスギビングって何?」と
いうメールをもらったので、ここでコマメ講座と開こうと思います。

 11月の第4木曜日はサンクスギビングデー(感謝祭)。
農作物の収穫を神に感謝する日です。この日から週末にかけての
サンクスギビングホリデーは、アメリカ人にとってクリスマスに並ぶ
大切な休暇。普段、顔を合わせる機会の少ない家族も、
この日は一堂に会して食卓を囲みます。一番のごちそうはこんがりと
焼きあがった丸ごとの七面鳥。パンプキンパイも欠かせない一品です。
お母さんの愛情がこもった料理を楽しみながら、家族団らんの時間を過ごします。

 アメリカのサンクスギビングデーの期限は1620年。この年の12月、
英国の清教徒団が、メイフラワー号でマサチューセッツ州のプリマスに
到着しました。しかし、極度の寒さと飢えにより半数の清教徒が命を落とします。
生き残った人々は、インディアンから農耕や狩猟を学び、トウモロコシなどの
収穫や七面鳥の飼育に成功したといいます。清教徒たちは、収穫の感謝を神、
そしてインディアンに表するため、祝宴を開きました。これがアメリカの
サンクスギビングデーの始まりだといわれています。

 以後、秋になると収穫を祝うお祭りがあちこちで開かれていましたが、
1789年初代大統領・ジョージ=ワシントンが国民全体でお祝いをするように
呼び掛けました。現在のように国民の祝日となったのは、サラという女性が
40年のも間、時の大統領にサンクスギビングを祝日にするよう手紙で
訴え続けたからです。そして1863年、リンカーン大統領が11月第4木曜日を
正式な国民の祝日として制定しました。

 1929年の大恐慌の後、ルーズベルト大統領はサンクスギビングデーを
11月の第3木曜日に変更したことがあります。
アメリカではサンクスギビングデーが終わると、クリスマスへ向けての
ショッピングが始まる習慣があります。ちなみにサンクスギビングデーの
翌日はアメリカで最も忙しいショッピングの日で、多くの人々が朝早くから
お店に並びます。ルーズベルト大統領は少しでもショッピングの期間を長くして、
景気の回復をはかろうとしたわけです。大恐慌も終わりを告げ経済も安定すると、
サンクスギビングデイは今までの習慣通り11月第4木曜日へと戻され、
今日に至っています。

 ご理解いただけたでしょうか?
コマメ講座代をいただきたいと思います。笑。

 ユタカン、サンディエゴ。

********************************************************************

日時 :2003年03月05日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL15、サンクスギビングの旅 in
San Antonio, Texas。』

ニュースの内容:
 2002年12月06日(金)の通信。

 こんにちわ、みなさん。
前回の『ユタカン・サンディエゴ通信』で書いた通り
サンクスギビングの旅から先週の日曜日に帰ってきました。

 旅の目的は、テキサス州のサンアントニオ出身の
アメリカ人の友達に「伝統的なサンクスギビングをするから
おいでよ。」というものだった。

 サンディエゴからテキサス州のオースティンの空港へ行き、
その友達が迎えてに来てくれ、夜だったのでその町で一泊した。
初めてモーテルに泊まった。 アメリカ映画でよく登場するモーテルに感動。笑。
翌日、車でオースティンの中心街を散策し、テキサス大学オースティン校の
概観を周った。 感じのいい大学の雰囲気だった。
オースティンはすごく寒かった。 スペインのサラマンカに留学していた
冬の時期の寒さだった。 乾燥していて、風邪が冷たく痛い感じだった。

 オースティン散策の後、サンアントニオに向かった。
その足で、今回の『伝統的なサンクスギビング』が行なわれる友達の
おばさん宅に行った。 いっぱい人がいてかなりびびった・・・。

 典型的なサンクスギビング料理の一覧を書こうと思います。
①七面鳥 ②Casserole(グリーンビーズ) 
③Dressing(鶏肉、玉葱やセロリなど)
④マッシュド・ポテト ⑤グレービー・ソース ⑥スウィート・ポテト
⑦クランベリー・サラダ ⑧ビスケット(小さなパン)
そしてデザートにはピカン・パイ(クリームと酢橘パイ)と
パンプキン・パイがあった。

 基本はこんな感じだけど、実際には他にも料理があった。
典型的なものをここに挙げてみました。

 サンアントニオ観光中の昼食にテキサス料理の店に
行きました。 もちろんテキサスの典型的料理が食べたいと思い、
友達に聞いて『Chicken fried steak』というものを注文しました。
まさしく字の通り、鶏肉に衣をつけて揚げたステーキだった。 
ステーキの上には、サワー・クリームがかかっていてかなりこってり味だった。
でも、おいしかったので是非テキサスに行く事があれば食べてみてくださいね。

 友達のおじさんに日系2世の人がいた。
おじさんと言ってもおじいさんだったけど、生まれはアメリカのシアトルで
育ちもアメリカなのでアジア人の顔はしているけど、日本語は話せなかった。
でも、いっぱい日本食を持っていたので、帰る時に『おかき』と『さきいか』を
くれた。笑。 友達のお父さんの妹のだんなさんがその日系人のおじさんだった。

 アメリカで日本人がアメリカ人の生活の中でいい感じの影響を
与えているということがとても興味深く、関心した。

 日系のおじさんはアメリカ生まれのアメリカ育ちなので、
「日本に行くのが恐い。」と言っていた。 一番は言葉の面での問題らしいです。
日本人の顔をしているのに、日本語を話すことができないということによっての
心理的な問題が伺えた。

 サンアントニオにいる間、市内を観光しました。
日本人には知られていない町だけど、アメリカ人の観光地らしいです。
実際、いっぱいの観光客がいました。 日本人らしきアジア人観光客もいたけど、
ツアーではなく個人旅行って感じだった。 ダウンタウンの町並みは、
スペインの町並みに似ていたように思う。 サンディエゴとは
また違う町並みだった。 サンアントニオの方が、ヨーロッパ風に近いものを
感じました。 歴史的な背景からそれはあるように思う。
この町の有名どころは、ダウンタウンにあるリバー・ウォークと
いう町の中を通っている河で小さなボートに乗って散策ができたり、
アラモというテキサス革命の重要な役割を果たした砦があったり、
4箇所のキリスト教の昔の教会がある地域などです。
友達曰く、サンアントニオはアメリカ国内で11番目に大きな町だそうです。
メキシコ系のラテンアメリカ人が7割近くを占め、白人、黒人そしてアジア人が
住んでいる町です。

 そんなこんなのいい旅でした。
またいっぱい学びことがありました。

 ユタカン、サンディエゴ。

 次ページへ。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: