このページは「k.t1579の雑記帳」です

37.「総括」を簡単に口にする加藤(18.8.8)



いま「靖国」の存在だけがマスコミで喧伝される。そこに至る歴史的な過程を抜きにして「分けて祀る」などという暴論やら特殊法人化するという国営化と同義に取れる発言やら野放しにしていいのか。そこには無責任さが突出する。

ほんとうに問われるべきことは何か。それは日本の国家として拠って経つ位置づけそのもの。けっして対米追従のアングロサクソン指向ではない。むしろ依然として複雑かつ混迷を極めるアジアと中近東とをつなぐ国家の認識である。

そこに「戦後」として規定されている「ペキン」と「タイペイ」、「ソウル」と「ピョンヤン」というパラレルな分断関係を自らの位置づけとの対比として捉える必然性がある。ここに分断されずイキナガラエタことの意味について。

すこし話は飛んだが。それでも小泉政治そのものを生み出してしまった日本の状況そのものを再び考え直す時期に来ている。その病理ソノモノにメスを入れない限り代議制における全体主義の下克上は容易に現実と化すのであるから。

だから加藤の云う様に軽々しく「総括」なんてコトバを口にして欲しくない。そんな生易しい現実に私たちは向き合っているのではない。児童の就学援助が10年前の2.5倍に膨らんでいる事実の前に政治家は頭を抱えるべきだし。

そういった悩ましい現実そのものに向き合わない政治は既に死んでいるのだ。いのちを大切にするなんて生半可なセリフじゃダメだ。もう、これ以上殺すなと叫ばなければ人々の目を覚ますことは最早、出来ない。そういうことだと。

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