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寅さんシリーズ2作「続・男はつらいよ」のマドンナは、テレビドラマ版でもマドンナだった佐藤オリエさんだった。(マドンナ・坪内夏子さん=佐藤オリエ)<「続・男はつらいよ」作品データ>(データ)★公開日:昭和44年11月15日、★併映:「喜劇・よさこい旅行」(主演:フランキー堺)、★観客動員数: 489000人、★配給収入:1億1000万円、★キネマ旬報ベストテン第9位、寅さん29歳(この作品では38歳?)歳、満男0歳、リュウちゃん22歳、<「続・男はつらいよ」予告編>ここをクリック(以下同様)⤴<吉川孝昭氏・本編完全版> 昭和44年8月27日に公開された第1作「男はつらいよ」が大変好評でしたので、すぐに第2作「続・男はつらいよ」が製作され、昭和44年11月15日に公開されました。第1作公開から僅か75日後の第2作公開、現在では考えられないハイペースだ!しかも、驚くべきことに、渥美清は、シリーズ第1作と第2作の公開の間の昭和44年10月1日に森崎 東(もりさき・あずま)の監督デビュー作「喜劇・女は度胸」に準主演(ほとんど主演)しているのです。<「喜劇・女は度胸」予告編>この映画、渥美清演じる勉ちゃん(桃山勉吉)は、寅さん以上にバイタリティがあり、しかも寅さんと違って「助平マルダシ人間」であるダンプの運ちゃん、渥美清の怪演によって、見事なドライ喜劇に仕上がっていました。尚、この映画で、さくらさんを演じた倍賞千恵子の実妹、倍賞美津子と渥美 清が初共演を果たしたのです。以後、倍賞美津子は森崎 東監督の作品に多数出演、5歳年上の姉・千恵子が山田洋次に多数出演したような地位を森崎監督作品で得たのです。 「続・男はつらいよ」のマドンナ・坪内夏子さんはテレビドラマ版「男はつらいよ」のマドンナ・坪内冬子さんと同じ設定です。寅さんの葛飾商業の英語教師だった坪内散歩先生(東野英治郎・とうのえいじろう)の一人娘で、弦楽四重奏団のチェリストという設定、第1作の坪内冬子さんと同じく寅さんの幼馴染という設定です。寅さんが散歩先生と20年ぶりに会った時、寅さんは先生に、寅「時に、あのハナッタレお嬢ちゃん元気ですか?」とぶしつけな質問をしますが、その時、帰って来た夏子さんを見て、昔の「ハナッタレお譲さん」が美しい女性に変貌しているのを観てビックリ!、一遍に惚れてしまうのです。「幼馴染マドンナ」は、第1作、第2作と連続しましたが、その後、第10作「寅次郎夢枕」で八千草 薫様演じる「志村千代」さんも「幼馴染マドンナ」なのですね。柴又は美人の名産地なのかな?坪内夏子さんを演じた佐藤オリエは昭和18年生まれ、第1作のマドンナ・坪内冬子さんを演じた光本幸子と同い年で、出演時には26歳でした。彼女も光本さんと同じ演劇畑の人で、「劇団俳優座」に所属していました。(※)「劇団俳優座」:文学座、劇団民藝と並び、日本を代表する新劇団の一つ、昭和19年、小沢栄太郎、千田是也、東野英治郎、東山千悦子ら10人によって設立、所属していた著名な俳優としましては、男優では木村 功、田中邦衛、仲代達也、平(ひら)幹二郎、井川比佐志、加藤 剛(ごう)、中村敦夫、山本 圭(けい)原田芳雄、阿藤 快(あとう かい)、津坂匡章(まさあき、後の秋野太作=シリーズで寅さんの舎弟・登を演じました)、古谷一行など、女優では杉山とく子、菅井きん、野村昭子、市原悦子、河内桃子、栗原小巻、など錚々たる俳優を輩出しました(上記俳優中、寅さんシリーズに出演した俳優は「赤字」で表示しています)佐藤オリエは昭和41年にフジテレビで放送されたドラマ「若者たち」で長女「佐藤オリエ」役でテレビ・デビュー、これ一作で人気女優になりました。「佐藤オリエ」は本名なのですが、本名をそのまま役名にしたのです。よほど期待されてのデビューだったようですね。佐藤オリエは、本名を役名にして成功した稀有な女優さんなのだ!(「若者たち」の佐藤オリエ)<映画「若者たち」~オリエ、恋人と再会> <ストーリー><巻頭(プレリュード)=夢のシーン>(夢のシーン)「続・男はつらいよ」で、後のシリーズで定番となった「冒頭の夢のシーン」が初めて登場します。この「夢のシーン」の冒頭は、予告編にも収録されていますので、以下の予告編で確認して下さいね。<再掲、「続・男はつらいよ」予告編> このシーンの台詞を書き起こします。寅「もしやあなたはお菊さんと申しませんか? この顔に見覚えがございませんか? 今を去る38年前、雪の降る寒い夜、玉のような男の子をお産みなすったはずだ。」(※)「続・男はつらいよ」では、寅さんは、昭和6年生まれ、38歳という設定になっています。寅「おっかさんの倅(せがれ)、寅次郎でござんす。 おっかさ~ん、、、、」でも、夢の中の「おっかさん」は何も答えないのです。(※)この「夢のシーン」で寅さんの生みの母親の名前が「お菊さん」だと分かります。このシーンで、「おっかさん」を演じたのは往年の名女優・風見章子(あきこ)でした。彼女はこの映画出演当時48歳、渥美 清より7歳年上でしか過ぎません。7歳年上の風見章子が寅さんの「瞼(まぶた)の母」を演じる、かなり「老け役」なのだ!(19歳の時の風見章子)(※)リュウちゃんが風見章子を映画で観たのは、昭和25年公開の今井 正監督の反戦映画の名作「また逢う日まで」だけなのです(勿論、ビデオで観たのです)。亡くなった長兄の嫁として軍国一家の中で虐げられる女性を静かに演じていまして、ヒロインの久我美子と共にリュウちゃんの胸に刻まれたのでした。「続・男はつらいよ」は、この冒頭の夢のシーンにもありますように、生き別れになっている「生みの母」を探すという、「瞼の母」がテーマなのです。戯曲「瞼の母」は、昭和5年、「股旅物の始祖」として知られる大衆作家・長谷川 伸(しん)によって執筆されました。「瞼の母」の主人公は、寅さんと同じように生き別れになっている母親を探して股旅暮らしをしている博徒の番場の忠太郎、この戯曲は3回映画化され、最近では演歌としても人気のテーマになっていまして、天童よしみ「母恋鴉」、中村美津子「瞼の母」、島津亜矢「瞼の母」、氷川きよし「番場の忠太郎」などがヒットしました。しかし、「懐メロ」リュウちゃんが一番好きな歌は、股旅物歌謡曲のスペシャリストだった橋 幸夫の昭和38年に発売したシングル盤「お祭り小僧」のB面曲「瞼の母」なのです。<橋 幸夫「瞼の母」> 長谷川 伸の股旅物は、他に「沓掛時次郎」、「中山七里」、「関の弥太っぺ」などがありますが、橋 幸夫は、上記3作品をそのままタイトルにした歌があるのです。「沓掛時次郎」で思い出すのは、昭和37年から始まった藤田まこと主演の大人気テレビ時代劇コメディ「てなもんや三度笠」で、主演の藤田まことの役名は、「あんかけの時次郎」だったのですね。これ、「沓掛時次郎」のモジリです。以下に昭和42年に放送された第293話「鳴海の別離」の動画を貼り付けます、「続・男はつらいよ」、「新・男はつらいよ」でも怪演を見せた財津一郎もレギュラーで出演していました。 <「てなもんや三度笠」第293話「鳴海の別離」><第1幕:寅さんの柴又帰郷>第1作から2ヶ月後、寅さんは3回目の帰郷をします。今回も「矢切りの渡し」を渡って江戸川堤からの帰郷、「とらや」に入り、おいちゃん達に顔を背けたまま、客席に座って新しい女店員にビールを注文、前回の柴又出奔は、坪内冬子さんに手痛い失恋をした直後でしたので、やはり堂々と帰郷するのは気後れがするのですね、寅さんにとりましては常に「とらや」の敷居は高いのです。この時の「とらや」の居間には、おいちゃん、おばちゃん、さくらさん、そして赤ん坊の満男がいます。寅さんにビールを運んだおばちゃん、すぐに寅さんだと気づきますが、寅さんからおばちゃんに声をかけます。 寅「おばtりゃん、寅だよ、見忘れたか?そうだろうなあ~無理やねえよ」おばちゃん「嫌だよ~何言ってんだよ」「ちょっとちょっと大変だよ、寅さんだよ」「何だよう、そんなとこに座っちゃってビールなんか注文しちゃってさあ」おいちゃん「寅さん!」寅「おいちゃん!達者でいたかい、しばらく見ねえうちに随分歳とったなあ、月日の経つのは早いものよ、あれかな何年経ったっけ?」おいちゃん、「何年って、おまえ、まだ1年も経っちゃいねえよ」こうして寅さんは無事、「とらや」の身内として迎え入れられます。(寅さん、満男と対面)(※)ここで大きな矛盾を発見、映画の公開日から考えますと、寅さんは前回の出奔から僅か2ヶ月後の帰郷、おいちゃんの口調では1年も経っていない帰郷なのに、赤ん坊の満男君は見た所、生後6ヶ月くらいに成長しています。前回の出奔はさくらさんが新婚旅行から帰って来た直後ですから、満男君の成長ぶりを考えますと、少なくとも1年4ヶ月は経っていなければならないという勘定になる筈です。しかし、このような矛盾は一端、棚に上げて話を進めて行きます。でも、寅さんはすぐ旅にでようとします。寅「止めねえでくれよ、ゆっくりしたいのは山々だけど、実のことを言うと俺は旅の途中よ、、、」おいちゃん「とにかくな、奥で茶一杯、それくらいならいいだろう」寅「それがいけねえんだよ、一杯が二杯になり三杯に・・団子が出るかまた茶を飲むかそのうち酒になるじゃねえか俺は、、 一杯や二杯じゃすまねえぜ、気がついた頃にゃ、お銚子がずらりと並ぶ。さあ、もう腰が上がんねえ。 いっそのこと、泊まっていくか、カラスカーァと鳴いて朝になる。おはよう! 団子が出るか、酒を頼むよ、さあ、俺は旅に出れなくなっちまうじゃねえか」(※)このセリフ、リュウちゃんも身に覚えがあります。サラリーマン時代、宵の口からビールを飲み始めると、もう止まらない!、途中、カラオケを挟んで朝までビール飲み放題、気が付いた時にはビール大瓶10本くらい飲んでしまったことも数知れず、仕事上で付き合っていた東京帝大数学科を卒業した音楽評論家のM氏も大のビール党、箱根にあるM氏の別荘に徹夜麻雀をしに行く時は、M氏とリュウちゃんの飲み分として、ビール大瓶20本購入して行くのですが、徹夜明けの午前6時頃には、M氏と2人で全部飲み尽くしてしまったのです。70歳を過ぎた最近でも、昼間のカラオケでビール中瓶3本、夕方、家でレギュラー缶ビール2缶、夜は飲み屋で中瓶3本なんてこともしょっちゅうなのです(苦笑)寅さんのこの気持ち、よく分かる!このセリフと同じ事態は、この後、すぐに起こります。また、第32作「口笛を吹く寅次郎」(マドンナ:竹下景子)でも、同じセリフが出てくるのです。<寅さん、逍遥し、散歩先生の家に至る>おいちゃん達と別れた寅さんは、近所を逍遥(ぶらぶらと散歩)します。口づさむ歌は、<チンガラホケキョーの唄>(※)この歌の冒頭の台詞、「デコ坊、帰ろうか」の「デコ坊」は、第8作「寅次郎恋唄」のマドンナ・六波羅貴子(池内淳子)の一人息子に寅さんが付けた愛称です。なので上記の動画は第8作で使われた音源なのですね。この歌は作詞:関沢新一、作曲:不詳、となっていますが、関沢新一は、舟木一夫の「学園広場」、「銭形平次」、「空ひばり「柔」、都はるみ「涙の連絡船」、などの作詞で有名な作詞家です。この詞、「男はつらいよ」のために書いたのかな?「チンガラホケキョー」ほ意味は、「チンガラ」は百舌鳥(モズ)、「ホケキョー」は「ウグイス」とされる説が有力ですが、謎に満ちています。古来から各地で歌い継がれている「いちりとらい」という「てまり歌」があります。<手毬唄「いちりとらい」>上記の歌詞は以下です。♪~いちりとらい らいとらいとせ~ ひんがらほけきょ~ ゆめのくに~♪上記動画では「ひんがらほけきょ~」となっていますが、殆どは「チンガラホケキョ~」と謳われているようです。リュウちゃんの考証はここまで。寅さんが逍遥していますと、前方から子供達が斉唱する英語の歌・「漕げ漕げボート」が聞こえてきます。この歌は、寅さんの少年時代の英語の教師だった「坪内散歩」先生の家から聞こえてきたのです。坪内先生、自宅で英語塾をやっているようだ。<Row Row Row Your Boat(漕げ漕げボート)> (※)「漕げ漕げボート」はアメリカ民謡です。英詞及び訳詞は以下です。Row, row, row your boat 漕ごう、漕ごう、ボートを漕ごう。Gently down the stream 下流にむかって、ゆっくりと。 errily, merrily, merrily, merrily 楽しく、愉快に、Life is but a dream 人生は夢でしかないのだこの歌、リュウちゃんは中学1年生の時、「歌で英語を学ぼう」と思ってレコードを買ったのですが、結局、英語はモノになりませんでした(トホホ!)。この詞のラスト、「Life is but a dream(人生は夢)」は寅さんシリーズの結末を暗示しているとリュウちゃんは思っているのです。<寅さん、マドンナに出逢う>寅さん、散歩先生の自宅に訪問、寅「おひさしぶりでござんす」「アッシのこの顔に見覚えありませんか?…無理もねえ、20年何年も前の昔のことでござんすからねえ、葛飾商業で先生に英語を習っていた車 寅次郎ですよ。ほれ、勉強をひとつもしねえで、先生にブンなぐられて悔しいってんで、先生のところのハナッタレ娘をいじめていた不良の寅ですよ、忘れちゃったかな~、俺のことを」散歩先生「いいや!忘れとらん、覚えとるよ」、、、寅「時に、あのハナッタレ嬢ちゃん、元気ですか?」散歩先生「ほうれ、そこに立っとる」寅さんが後ろを振り向くと、そこにはチェロを抱えた美しい夏子さんが立っていました。散歩先生「夏子、誰だか分かるか?」夏子「もし、、、人違いだったらごめんなさいね、寅次郎さんじゃない?」寅「ふぇい」(寅さん、夏子さんの美しさにビックリしてしまい、「はい」と返事するべきところをしどろもどろになってしまったのです)夏子「本当!、アハ、嫌だ、寅ちゃん、アッ八ッハッハ」(爆笑)ということで、寅さんは2人目のマドンナに巡り合ったのです。それから散歩先生の居間で談笑、寅さん、当初はお茶を一杯飲んで帰る予定だったのですが、その内にお茶が2杯になり3杯になり、その内、酒が出てお調銚子が2本3本4本、、気が付いた時にはテーブルの上にお銚子がスラ~~リと並んでしまいました。(※)散歩先生を演じた東野英治郎(とうのえいじろう)は、映画では戦前から小津安二郎、木下恵介。黒澤 明などの作品に多数出演した個性派バイプレーヤーとして有名な俳優です。テレビ版「男はつらいよ」にも、映画と同じ役で出演しました。一般的には、昭和44年に放送が開始されたTBSの時代劇「水戸黄門」で、初代「水戸黄門」を演じた俳優として有名ですね。昭和19年に小沢栄太郎、千田是也などと共に「劇団俳優座」を創設、舞台俳優としても重鎮の一人だったのです。マドンナ・坪内夏子さんを演じた佐藤オリエもこの劇団の出身者で、佐藤オリエから見れば「雲の上の大先輩」なのですね。<寅さん、胃痙攣で入院>寅さん、散歩先生と談笑中に猛烈な腹痛(胃痙攣)を起こし、救急車で近くの病院に運ばれます。救急車には夏子さんが付き添いとして同乗します。寅さんにとりましてはマドンナの付き添いは嬉しかった筈なのですが、実はこれが寅さんの不運の始まり、夏子さんはこの病院で後に恋人になる藤村医師(山崎 努)に出逢ってしまうのです。寅さんは結果的に夏子さんと藤村医師の「月下氷人(縁結びの神)」になってしまうのですね。結末が分かってから観ると、このシーンは悲しい!<寅さん、病院で啖呵売>胃痙攣はすぐに回復、元気になった寅さんは、病室で「啖呵売」を披露、患者は大爆笑、<寅さん、病院で啖呵売>→ここをクリック寅さんが啖呵売を実演ている隣のベッドに、盲腸の手術をしたばかりの患者(財津一郎=特別出演)が寝ています。寅さんの啖呵売が余りに面白いので笑ってしまうのですが、笑うと手術したばかりの盲腸がキリキリ痛む。患者「ふぁ~~~」寅「何だい、どうしたんだい え~、大丈夫かい?」患者「笑わせねえでくれ、俺、昨日盲腸切ったばかりなんだ」(財津一郎の患者)(※)財津一郎は第4作「新・男はつらいよ」でも泥棒役で怪演を見せてくれます。昭和37年~43年にかけて、藤田まこと主演の吉本テレビコメディ「てなもんや三度笠」にレギュラーとして出演、「非っ常にキビシ〜ッ!」、「〜してチョウダィ!」の奇声ギャグで一世を風靡しました。最近はタケモトピアノのCM、「ピアノ売ってョウダィ!」が有名ですね。<財津一郎、タケモトピアノCM>(タケモトピアノCMの財津一郎)余談ですが、千葉に住んでいるリュウちゃんの孫姫4姉妹はタケモトピアノのCM育ちなのです。お母さん(リュウちゃんの娘)がいつも車の中でこのCMを流しているのです。藤村医師「どうしました?」患者「あ、先生、助けて下さい、この人が笑わせるもんで、、、」藤村医師「少し大人しくしなさい、ここを何処だと思ってるんだ!」寅「どこだと思っているって、おまえさん、何処へ勤めているんだい、火葬場じゃねえだろう」藤村医師、寅さんを睨む。寅「てめえだな!俺の横っ面張りあがったのは!、、、おっ?てめえ、さしづめインテリだな! あっ、そうか、そのインテリが暴力を振るったわけだ。へー、田へしたもんだよかえるのションベン、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしときたもんだ」藤村「僕が医者じゃなかったら、表へ出ろと、言いたいところだ」寅「君は僕に喧嘩を売ろうと言うのか、よーし、それがいやしくも患者に対する医者の態度か!」そこへ夏子さんが花束を持って見舞いに来ます。夏子「寅ちゃん、具合どう?」寅さん、夏子さんをみるやいなやベッドに潜り込んで、寅「いえ、まだちょっと、、」寅さん、マドンナのいない時はやけに威勢がいいのですが、マドンナが現れるや否や「お利口さん」に豹変してしまうのです。その後、藤村医師と夏子さんが話し合いをします。藤村「考えてみれば、あなたのほうも被害ですね、、、、」(※)このシーン、正に寅さんが「月下氷人」になった瞬間です。やはり夏子さんは「さしずめインテリ」が好きだったのですね。その後、多分、藤村医師から交際を申し込み、2人はデートを重ねていきます。 何も知らない寅さん、本当に「三枚目」なのだ!その後、寅さんは無断で病院を抜け出し、舎弟の登(津坂匡章を誘って飲み屋でクダを巻きます。<寅さん、無銭飲食で逮捕される>舎弟の登とい楽しく飲み屋でクダを巻く寅さん、いざ勘定を払う段になりますと、2人共、財布の中は空ッポ、それで無銭飲食で逮捕されてしまいます。<寅さん、無銭飲食で逮捕される>さくらさんが留置場に駆けつけ、警察に誤り、飲み屋の飲食費を支払いましたので、寅さんは「ブタ箱」に一泊しただけで釈放されるのですが、きまりの悪い寅さんは、またまた柴又を出奔してしまうのです(第1幕、終り)<第2幕:寅さん、京都でマドンナに出逢う>第1幕から1ヶ月後。散歩先生と夏子さんは京都に旅をします。清水寺、哲学の道、嵐山の渡月橋、渡月橋には、散歩先生を宿に残し、夏子さん1人で見物したのです。(渡月橋)渡月橋の橋の畔で、寅さんは「啖呵売」ならぬ、「人相占い」をやっています。何と、寅さんの「サクラ」(おとり、偽の客)として、源ちゃん(佐藤蛾次郎)が京都に来ていた!何時の間に源ちゃんは寅さんの舎弟になったのか???摩訶不思議???<寅さんの口上>「当たるも八卦当たらぬも八卦、人の運命などというものは誰にもわからない、そこに人生の悩みがあります・・・・さてみなさん、こうやってここで話をしております。チョンガーの身の上のこの私も何時如何なる時、絶世の美人とバッタリ出逢うということも、、、」寅さんの目の前に、夏子さん登場、寅「お嬢さん!」寅さんの口上通り、「絶世の美女とバッタリ出逢った」のです。夏子さん「寅ちゃんの運勢判断でも分からないの?」<「男はつらいよ」~マドンナ(1~4)~1分21秒~2分34秒> 寅さん、夏子さん、源ちゃん、渡月橋の見える「甘い物店」で談笑、寅さんと夏子さんは、「みつまめ」か「おしるこ」(?)を食べるのですが、源ちゃんは「お茶」だけ、源ちゃん、ちょっと可哀想ですね。さて、勘定の段になり、寅さんは夏子さんの分も「おごる」ということで、源ちゃんに「勘定してきてくれ」と財布を投げますが、この財布には500円札1枚しか入っていません。それを見た夏子さん、結局、寅さんの分も支払うことになります。<500円ギャグ>このシーンで、以後、頻繁に使われた「500円ギャグ」が初登場します。寅さんの財布には、いつも500円札1枚しか入っていない!寅さんは郵便局や銀行に預金も無い筈、どうやって生活しているのだろう?寅さんが現実の人物であれば、これでは生活が出来ないですね。しかし寅さんはスクリーンの中の夢の存在、例え全財産が、たったの500円であろうと、スクリーンの中では立派に生活出来ていくのです。<賀茂川の畔の料理店で、散歩先生、夏子さん、寅さん、源ちゃんの4人でスキヤキを食べる>散歩先生「何で正業に就かんのだ!おまえには額に汗して労働することの尊さが分からんのか!?」寅「よく分かっています」散歩先生「それでは正業に就きなさい。おまえには人並み以上と人並みに近い頭を持っとるんだ、まともな仕事の一つや二つ、無い訳はないだろう、えっ、どうなんだ、寅」寅「へえ、この間も別府で旅館の番頭をやっている友達から、一緒にやらねえか、なんて、、」散歩先生「ふ~ん、そりゃ結構じゃないか、何でそこへ行かないんだ?何で京都にぐずぐずしているんだ?」寅「へぇ、京都におふくろが居るらしいんでね」夏子さん「生きてたの!お母さんが!?」寅「でも、俺のこと捨てたおふくろだからね…、むこうで会いたがってるかどうか…」夏子さん「でも、血を分けた親子なんでしょ?」寅「お互い顔を見会わせて、ハア、あなたがお母ァかい?そんなとこだよね、先生」散歩先生「ネヴァーネヴァー!、それは絶対に違うぞ!、寅、これは大事なことだからよく聞けよ、「老病死別」といってな、人間には四つの悲しみがある、その中で最も悲しいのは死だぞ。おまえのおふくろもいつかは死ぬ、いつかは、、その時になったらどうする?死んでしまったら遅いんだぞ! その時になって、あ~ぁ、一度でもいい、生みのおふくろの顔を見ておけば良かったと後悔しても、取り返しがつかんのだ、、、さっ、逢いに行け、生きてるうちに」ということで、寅さんは夏子さんと2人で、「瞼の母」を訪ねていくことになります。(※)「夏子さんの優しさ」→このシーンでも源ちゃんはスキヤキにありつけず、一人所在無げに賀茂川を眺めています。そこで夏子さんが手招きして、源ちゃんにスキヤキを分けてあげます。源ちゃん、嬉しそうにスキヤキをガツガツ食べるのです。このシーンで源ちゃんも夏子さんに惚れてしまった!夏子さんは厳格な倫理観を持っている散歩先生に育てられ、誰にでも分け隔てなく愛情を注ぐことが出来る明るく、聡明で活発な美しい娘に成長したのですね。寅さんや源ちゃんが惚れてしまうのも「むべなるかな」ですね。<寅さん、夏子さんと2人で母親に逢いに行く>寅さんと夏子さんは、寅さんの母親を訪ねて、母親が勤めているという祇園の毘沙門町の「グランドホテル」に行きます。「グランドホテル」の近くで、割烹着を着た上品な女性に出逢います。夏子さん「ちょっとお尋ねします、グランドホテルってこの辺ですか?」女性「へえ、うちどすが、、」夏子さん「おばさん、グランドホテルの、、」女性「へえ、グランドホテルのものどす」「グランドホテル」は、ラブホテルなのでした。(※)この上品な女性、「お澄」さんを演じているのは風見章子、この映画の冒頭の夢のシーンで「瞼の母」として登場した女性です。しかも以前、東京で暮らしていたことがあるとのこと、ひょっとして、この女性が俺のおふくろさん!?寅さんは、そう思ってしまうのですが、それが勘違いであることは、グランドホテルに入ってすぐに分かるのです。寅さんと実の母、「お菊」さんとの対面シーンは以下の動画を見て下さい。 <寅さん、母親に逢う>→ここをクリック上の動画の渥美 清とミヤコ蝶々の啖呵の応酬、凄い迫力ですね!正に関東と関西を代表する2人のコメディアンの壮絶な啖呵バトル、関西人リュウちゃんの感じでも、このバトルは互角だったのです。(※)「ミヤコ蝶々」ミヤコ蝶々は関西を代表する女性コメディアンの一人です。南都雄二と夫婦漫才コンビは、一世を風靡しました。昭和38年から始まったテレビ版トーク番組「夫婦善哉」は全国のキー局で放送され、絶大な人気を博し、ミヤコ蝶々は一気にお茶の間の人気者になりました。(ミヤコ蝶々と南都雄二)また、映画にも多数出演、「男はつらいよ」第1作の前年(昭和43年)に公開された山田洋次監督・なべおさみ主演のコメディ「吹けば飛ぶよな男だが」にも、ソープランドの経営者役で山田組初出演を果たしました(今回のラブホテルの経営者とよく似た設定ですね)。尚、「吹けば飛ぶよな男だが」は、寅さんを小ぶりにしたようなチンピラのサブ(なべおさみ)が頭の弱い少女・花子(緑 魔子)と関わる物語です。頭の弱い少女・花子!この設定、シリーズ第7作「奮闘編」と同じだ!<「吹けば飛ぶよな男だが」予告編> ミヤコ蝶々の「お菊さん」は、昭和46年公開の「奮闘編」にも登場しますが、それ以降は登場しないのです。寅さん、おふくろさんを忘れてしまったのかな?<寅さん、京都の旅館で泣く>かくて寅さんと「瞼の母」のお菊さんとの対面は最悪の結果に終わり、寅さんと夏子さんは泣きながら散歩先生の待つ旅館に戻ります。<寅さん、京都の旅館で泣く> 失意の寅さん、泣きながら散歩先生と酒を酌み交わします。散歩先生「俺が悪かった。俺が無理に勧めなければ、こんな悲しい目に遭わずに済んだんだ」寅「泣きたいよ先生、俺は」散歩先生「泣け、泣け、心から泣け、、、実に、、この世は悲しいなぁ」夏子さん「ねえ寅ちゃん、今晩ここに泊まって、明日私達と一緒に東京へ帰りましょう」寅「お嬢さん、心の張りを無くしちまったおいらに、帰えって行くとこなんかある訳無えじゃないか、ハッハッハ」(※)このセリフ、かなり格好つけていますが、その直後、寅さんはズッコケて、庭に落ちてしまいます。寅「あっ、落っこっちゃった」散歩先生、憮然として「おかしくない」(※)寅さんの愁嘆ぶりは、ちょっとイカサマですね。寅さん以上に、本当に愁嘆している夏子さんの気を引くために大げさに嘆いているとしか思えません。このシーンでも、夏子さんの優しさが際立っていたとリュウちゃんは感じたのです。(第2幕・終)<第3幕、寅さんの柴又帰郷と失恋><柴又への帰還>で、冬子さん親子、寅さん、源ちゃんの4人は柴又に帰還します。帰還した直後でも寅さんは泣いている、じゃあ、帰還の車中でもずっと泣いていたのか?寅さんの異常な「甘えっ子」ぶりが、気に掛りました。<寅さん、散歩先生の家で酒を飲み交わす>散歩先生、かなり酩酊して「こら!、渡世人!フーテンの寅公!、お前は実にバカだなぁ、おまえを退学させた校長のタヌキもバカだが、そのタヌキをぶん殴ったおまえはもっともっとバカだぞ!」寅「へ!すいません」、、先生!もっと叱って下さい」散歩先生「ようし、お前のようなバカは幾ら叱っても叱り足りん、だだ、しかしだ!、俺が我慢ならんことは、おまえなんかより少し頭がいいばっかりにおまえなんかの何倍もの悪いことをするやつが、うじゃうじゃいることだ。こいつは許せん!実に許せんバカモノどもだ!」(※)「寅さんシリーズ」には、本当の意味での「悪人」は殆ど出て来ません。唯一の例外は第17作「寅次郎夕焼け小焼け」に登場する詐欺師の鬼頭(佐野浅夫)です。あいつには今でもリュウちゃんはムカついているのです!散歩先生、散々悪態をついたあと、コテンと寝てしまいます。寝てしまった散歩先生に、衣類を掛ける夏子さんと寅さん、思わず顔と身体が接近して、ドギマギする寅さん、、、深夜の散歩先生の玄関先、夏子さんは寅さんを見送ります。夏子さん「本当はね、お父さん寅ちゃんとお酒飲むの、とっても嬉しいのよ、またいらしてね」深夜にマドンナと2人っきり、寅さんにとりましては、いい雰囲気が漂います。このシーンで寅さんは決定的に夏子さんに惚れてしまうのです。(※)このシーン、第1作で、マドンナの冬子さんと寅さんが2回目のデートの後、深夜に題経寺まで冬子さんを送るシーンと同じですね、寅さんが「マドンナは俺に気がある!」と悲しい勘違いをした瞬間です、第1作では冬子さんを見送った後で、「喧嘩辰」を朗々と歌うのですが、第2作では、「お味噌な~ら花マルキ、おかあさ~ん、とくらぁ!」と叫ぶのです。<夏子さんの演奏会と寅さんの易断の売(バイ)の同時進行>夏子さん、喫茶店で藤村医師とデートします。この日は夏子さん達の弦楽四重奏団の演奏会当日、演奏会の会場のすぐ近くの喫茶店でのデートなのです。藤村医師と夏子さんの恋愛、いつの間に進んでいたのだろう?喫茶店に流れるBGMは、ハイドンの<弦楽四重奏曲第67番「ひばり」>です。<ハイドン・ひばり>(※)寅さんシリーズでは、クラシック音楽が全部で40曲以上も使われましたが、このシーンはシリーズで初めてクラシック音楽が使われた「記念すべき(?)」シーンなのです。夜になり、夏子さんは小さな演奏会場で、弦楽四重奏団のチェリストとして演奏会に臨みます。客席には、勿論、藤村医師も来ているのです。演奏会が開幕、演奏される曲はベートーベンの「弦楽四重奏曲第6番・作品18番の6」です。<ベートーベン:「弦楽四重奏曲第6番第1楽章>夏子さんが演奏会に臨んでいる同時刻、寅さんは「俄か易者」をやっています。今回も源ちゃんが「サクラ」として登場、売(バイ)が終わり、寅さんと源ちゃんはラーメン屋に入り、ラーメンを食べます。源「せっかくお嬢さんから切符もらったんだからよ、音楽会行きやぁよかったんだ」寅「ばかやろう!、ああいうところはオレたちの出入りするところじゃないんだよ」演奏会は進んでいきます。寅さんと源ちゃんの会話の続き、源「あのお嬢さん結婚したら、いい奥さんになるだるだろうな」寅「ばかやろう、当たり前じゃねえか」源「あなた、おつかれになった?ご飯にするそれともお風呂?ねえ、今日ご馳走作っちゃったのよ。何だと思う?、当ててごらんなさい・・・・・ラーメンよ」寅「ばかやろう!あのお嬢さんがラーメンなんか作るかい!、てめえの考えは貧しいからいけねえよ」源「じゃあ、何作るんだよ?」寅「決まってるじゃねえか!、スパゲッチィよ」再び演奏会のシーン、客席から夏子さんを見詰める藤村医師の大きく開いた目!(※)恐らく、この演奏会の日までに夏子さんと藤村医師は何回もデートを重ねて結婚の約束をしていた筈です。そうとは知らずに、夏子さんとの新婚生活を夢見る寅さん(と源ちゃん)、う~ん、このシーンは残酷だ!<散歩先生の死>演奏会から数日後、夏子さんは「とらや」に訪れます。夏子さん「実はね、父がちょっと来て下さいって」寅「ほ~う、先生が、そうですか?」夏子さん「何か折り入って相談事があるらしいんだけど」寅さん、散歩先生の家に行きます。散歩先生「実はな、うなぎが食いたい、天然の、ナチュラルなうなぎが、」で、寅さんと源ちゃん、江戸川にうなぎを釣りに出掛けます。暫くして、夏子さんが応援に駆け付けます。夏子さん「寅ちゃん、夕べ、お父さんに叱られちゃった、、、あたし寅さんのお母さんのことひどい人だって言ったら、急に怒り出して<子供が可愛くない親がどこにいる、子供を捨てるにはそれだけの辛い事情があったはずだ。他人のおまえが生意気な口をはさむんじゃない>」って、、、父もね、お母さんの顔知らないのよ…、父が二つか三つのときに死んだの」寅「先生も生みのおふくろさんの顔知らねえんですか?」・・・・夏子さん「さあ、帰りましょう、寒くなってきたわ」寅「へぇ、お先にどうぞ、あっしゃまだ先生の、、」夏子4さん「もう、いいんだったら、じゃあ、こうしたら、丸甚さんとこいって生きたうなぎ買うのよ。そいで、今江戸川で釣ってきましたって、、、」寅「そんなこと知ってるんだったらどうしてはやくそれを教えてくれなかったんですよ!、江戸川のうなぎのツラと浜名湖のうなぎのツラ見分けつかねえもんなあ!」(※)「丸甚」は「川甚」のこと、天然のうなぎが激減している現在はどうか分かりませんが、昭和44年当時は江戸川には豊富に天然うなぎが生息していた筈で、一流の川魚料理専門店である「川甚」では、浜松の養殖うなぎではなく、江戸川で獲れた天然うなぎを使っていた筈ですね。リュウちゃんが子供の頃、住んでいた三重県伊勢市二見ヶ浦の川にも豊富に天然うなぎが生息していて、うなぎ獲りのプロが何人もいて、川から獲った天然うなぎを二見の旅館に買い上げてもらっていました。その経験から考えますと、当時の「川甚」は絶対に天然うなぎを使っていた筈です! 多分、寅さんもガキの頃には、江戸川でうなぎを釣った経験があったのではないでしょうか、ということで、このシーン、ちょっと疑問を感じましたが、この映画では印象に残るシーンの一つだったのです。寅さん達が引き上げようとした直後、源ちゃん「引いてる引いてる!、うなぎだ!」うなぎが釣れた!歓喜爆発!寅さん、勇躍、散歩先生の家にうなぎを持って帰るのですが、散歩先生は椅子に座ったまま、こと切れていたのです。<散歩先生の葬儀>寅さんは散歩先生の葬儀を一人で仕切ります。その段取りの手際良さ!そこへ、藤村医師が弔問に現れます。寅「あっ? 何だあんたか! 市民病院の先生だろう、義理堅い人だな~、、、しかし、ここがよく判ったね~」で、寅さん、夏子さんに報告、寅「お嬢さん、珍しい人が来ましたよ」じっと藤村医師を見詰める夏子さん、夏子さん、自分の部屋のピアノの前で泣きます。そこへ藤村医師が入って来て、夏子さんと抱擁、藤村「学会をどうしても抜けられなくて、遅くなってゴメン、、結局、僕のことは?」夏子さん「言ったわ、3日前にそれとなく、、、」藤村「そしたら?」夏子さん「お前の選んだ男ならなんにも言わんて」そこへ寅さんが入って来ます。ガ~~~~ン!絵に描いたような突然の大失恋!寅「お譲さん、お棺が出ますよ、出棺ですよ」寅さん、火葬場に行くために手配された車に乗りますが、その車には、先に藤村医師と夏子さんが乗っていたのでした。ガ~~~~ン!失恋のダメ押し!寅さんは失恋の痛手で、柴又を出奔してしまうのです。<フィナーレ>夏子さんと藤村は新婚旅行で京都に来ています。夏子さんのモノローグ「そうなのよ、お父さん、私今京都にいるの、つとむさんとふたりでね、、、そしてね、とってもびっくりするような、お父さんにどうしても聞かせてあげたいことに出会ったのよ。寅ちゃんがいたの」寅さん、京都の三条大橋の畔で、母親のお菊さんと2人でいるところを夏子さんが偶然、見かけます。菊「寅、もう行くで」寅「細かいの(小銭のこと)、ちょっとくれよ」菊「あつかましいな~、もう何べんもこの子は」寅「いいじゃねえかよ、親子の間柄で、ホラ、ホラ」菊「勝手なこと言うな!金の話はまた別じゃ」寅「しみったれてんなぁ、全く、よぉ、お母ちゃん」と会話しながら、三条大橋を渡って行きます。夏子さんの最後のモノローグ「お父さん、寅ちゃんは、お母さんに会っていたのよ。そうなのよ、やっぱりそうだったのよ。お父さんがどんな顔をするか見てみたいわ、、、でも、そのお父さんはもう、、居ないのね、、」三条大橋の下の加茂川の流れのアップで「終」お芝居の「瞼の母」の番場の忠太郎は、結局は母親のおはまと名乗り合わないまま、旅に出てしまうのですが、寅さん版「瞼の母」は、一応ハッピーエンドでおわりました。寅さんにとっては、失恋のほうが痛手だったのかな?今回、改めて「続・男はつらいよ」をDVDで観ましたが、夏子さんは素敵なマドンナだったのですね!リュウちゃん、遅まきながら、佐藤オリエさんのファンになってしまいました。
2020年03月30日
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昭和44年8月27日公開の記念すべき第1作、最初のマドンナは光本幸子さんだったのだ!(最初のマドンナ・坪内冬子さん~光本幸子) <始めに>本ブログを書くに当り、様々なネット記事を参考にさせて頂きましたが、特に、現在、葛飾柴又の帝釈天の前に住居兼アトリエをかまえて絵を描き続けておられる洋画家の吉川孝昭氏が平成15年に開設したホームページ「男はつらいよ・覚え書きノート」には本当にお世話になりました。(朝日新聞デジタル版に掲載された吉川孝昭氏) <吉川孝昭「男はつらいよ・覚え書きノート」トップページ> →ここをクリック上記HPの中に、<男はつらいよ 全48作「本編完全版」>というコーナーがあります。このコーナーは各作品を脚本に基き、詳細に語ったもので、吉川氏はこのコーナーにおいて、サイレント映画の「活動写真弁士」のような役割を果たされています。本ブログでは、各作品の冒頭に、吉川氏の各作品の「完全版」をリンクします。尚、リュウちゃんのブログに使う映画の場面の写真の殆ども、このコーナーからお借りしたことを申し添えておきます。<第1作「男はつらいよ」> <予告編>→ここをクリック。<吉川孝昭氏・本編完全版>ここをクリック⤴(データ)★公開日:昭和44年8月27日、★併映:「喜劇 深夜族」(渡辺祐介監督、主演:伴 淳三郎)、★観客動員数:526000人、★配給収入:1億1000万円、★キネマ旬報ベストテン第6位、寅さん29歳、さくら25歳、満男0歳、リュウちゃん22歳、(注1)寅さん、さくらさんの年齢につきましては、後述する<寅さんの年齢考>に基いています。(注2)「配給収入」とは:映画の興業では、「興行収入」と「配給収入」の2つの収入が表示されます。「興行収入」とは、文字通りその映画を観た人が支払った入場料金の総額です。「興行収入」の40~50%が上映劇場の「劇場収入」となり、残りの50~60%が製作・配給会社が「配給収入」として受け取ることになります。上記「男はつらいよ」第1作を例に挙げますと、興業収入=観客動員数(526000人)×入場料金(当時、大人一人450円、子供は約半額)となり大人料金のみで計算しますと、興行収入は2億2670万円となり、公表されている「配給収入」は、興行収入の約49%ということになります。<初代マドンナ、坪内冬子さん=光本幸子>記念すべき(?)、寅さんの最初のマドンナ(=失恋相手)です。柴又帝釈天題経寺の御前様(笠 智衆)の一人娘、寅さんの幼馴染、幼い頃、寅さんは彼女を「出目金」というあだ名を付けていましたが、成長した冬子さんは、幼時のあだ名とは反対に「小っちゃい目」の女性ですね。冬子さんは第1作では、ずっと和服での出演(その後、第7作「奮闘編」、第46作「寅次郎の縁談」でも和服で冬子さんを演じました)、これはちょっと不思議で、かなり現実離れしているなとリュウちゃんは後から思ったのですが、映画を観ている時には違和感は全く感じなかったのです。冬子さんを演じた光本幸子(みつもとさちこ)は、この映画公開時点で26歳、さくらさんを演じた倍賞千恵子より2歳年下です。幼年より舞踊家の六代目藤間勘十郎に師事、「男はつらいよ」に出演した頃には日本舞踊・藤間流の名取りとして「藤間勘十紫」という名前を持っていました(洋服よりも着物が似合う訳ですね)、また、小学生の時、初代・水谷八重子の目に留まり「新派」に入団、「男はつらいよ」第1作のクレジットには「冬子・光本幸子(新派)」と書かれています。(注)「新派」とは、明治時代から始まった演劇の一派で、「旧派」である歌舞伎に対し、新しい演劇のことを指す言葉であり演劇集団を指す言葉です。(「新派」の主な演目)★「婦系図」、「滝の白糸」(泉 鏡花)、★「不如帰」(徳富蘆花)、★「金色夜叉」(尾崎紅葉)、★「明治一代女」(川口松太郎)、など、今でこそ「男はつらいよ」のマドンナを演じた女優は、「歴史に残る映画女優」という地位が確立していますが、第1作製作当時には「ヤクザのマドンナ」なんて、誰も引き受ける映画女優は居なかったそうです。しかし、新派の光本幸子は松竹のオファーを快諾、かくして記念すべきマドンナ第1号といなり、映画史にその名を留めることになりました。因みに光本幸子は、これが映画初出演なのでした。また、光本幸子は、「清元節」の名取りでもあり、「 清元栄美幸」という名前を持っています。清元節は、三味線音楽の一つですが、語るような歌も入ります。光本幸子がレコーディングした歌謡曲を以下に挙げます。<「恋のお江戸の歌げんか」~歌・光本幸子&舟木一夫> 光本幸子さんの歌、ちょっと色っぽい!<ストーリー>(巻頭1)白黒映像と寅さんのナレーションで映画は始まります。<「男はつらいよ」~第1作オープニング>→ここをクリック、以下同様、このナレーションは重要です。寅さんの生い立ちや係累などが全てこのナレーションで語られます。以下、全文を文字起こしします。「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。思い起こせば20年前、つまらねえことでおやじと大喧嘩、頭を血の出るほどブン殴られて、そのままプイと家をおん出て、もう一生帰らねえ覚悟でおりましたものの、花の咲くころになると決まって思い出すのは故郷のこと。ガキの時分、ハナタレ仲間を相手に暴れまわった水元公園や江戸川の土手や帝釈様の境内のことでございました。風の便りにふた親も秀才の兄貴も死んじまって、今、たった一人の妹だけが生きていることは知っておりましたが、どうしても帰る気になれず、今日の今日までこうしてご無沙汰に打ち過ぎてしまいました。今、江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、何やらこの胸の奥がポッポと火照って来るような気がいたします。そうです。私の生まれ故郷と申しますのは、葛飾の柴又でございます」ナレーションの後、メインタイトルが画面いっぱいに表示されます。(巻頭2)寅さん登場 メインタイトルの後、最初のシーンとして江戸川の土手に座っている寅さんが初めて映し出されますこのシーンで、以後の作品でお馴染みになるナレーションが流れます。 わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。このシーンの寅さんの服装に注目!いつも寅さんは縞の入ったダブルの背広の下には上下のダボシャツと腹巻、雪駄履きがノーマルな服装なのですが、初登場のシーンではダボシャツならぬワイシャツ、しかもネクタイ着用、履物も雪駄ではなく革靴を履いている!この時の服装は、寅さんが20年ぶりに故郷・葛飾柴又に帰って来た時の「正装」のようです。寅さんはきっと、この「正装」で故郷に帰れば、おいちゃん、おばちゃんなどに「立派な紳士」に見える筈だと思っていたのでしょうね。しかし、「テキヤの地(じ)」は正装で隠せるものではなく、すぐバレてしまうのです。冒頭で寅さんがホールイン寸前のゴルフボールを拾い上げて、プレーヤーにひょいと投げ返すシーンがあります。映画が公開された昭和44年当時は、日本でゴルフブームが絶頂に近くなった頃で、ネクタイを締めている紳士であれば、例えプレーしたことが無くても、ルールは殆どの人が知っていた筈です(リュウちゃんもプレーはしませんでしたが、大体のルールは知っていました) 一見、紳士に見える寅さんがゴルフのルールを全く知らなかった!このシーン一発で、寅さんが「似非紳士」だと分かるのです。リュウちゃん、このシーンを観て、「これは素晴らしい喜劇になる!」と確信したのでした。(題経寺の御前様との再会)柴又では折から「庚申の祭」、寅さんは纏を見事に操り、粋な姿を披露します。このシーン、まるで美空ひばりの「喧嘩纏」ですね。♪~纏持ちだよあの兄さんは 肩で風切る勇み肌~♪<美空ひばり「喧嘩纏」> そこへ題経寺の段上から御前様登場。(御前様)寅「御前様!御前様でしょ! おひさしゅうござんす。あっしですよ!寅ですよ!車平造のせがれの寅でござんす!ほれ、あのー、庭先に入り込んじゃトンボ取して御前様に怒鳴られた不良の寅でござんす」御前様「あー、覚えとる覚えとる」(「とらや」での20年ぶりのおいちゃん、おばちゃん、妹さくらとの再会)寅さんの仁義風の挨拶、近所の「御一統様」への挨拶に続き、妹さくらさんの話題になります。寅「ところで、ナニはまだかい?」おばちゃん「さくらちゃんかい?今日は残業なんだよ」寅「へえ、残業なんかやってんの?近所の、紡績の女工でもやってんのか?おいちゃん「とんでもねえ、さくらはキーパンチャだぜ」寅「キーパン???なるほどねえ???」(※)キーパンチャーとは、コンピューターで処理するためのデータをキー操作によりパンチングし、入力作業する仕事に従事する人のことです。日本でも、昭和30年頃からキーパンチャーが増え始め、昭和40年代には高校を卒業した女性の花形の職業だったようです。この時代、「キーパンチャー」という職業は普通の大人であれば誰でも知っていました。でも、寅さんは知らなかったのです。このシーン、冒頭のホールイン寸前のゴルフボールを拾い上げ、ボールを投げ返すシーンと同じように、「寅さん、ズレてる!」と思わせるシーンでした。(さくらさん登場)そんな話をしているうちに、さくらさんが帰って来ます。さくらさん、美しい!(さくらさん登場)おばちゃん「さくらちゃん、お帰り」寅「さくら!」さくら「ただいま」寅「さくら!」「おまえ、ホントにさくらかい?」「ほらほらほら俺だよ、この顔に見覚えねえのかい?」さくら「ねえ、この人、誰なの?」おばちゃん「やだよ、まだわかんないのかい」おいちゃん「よく見ろよ!」寅「いいんだ、いいんだ、無理はねえ。 五つや六つのちっちゃいガキの頃にほっぽりだして それっきりだ、フッ、親はなくても子は育つっていうが、 でかくなりやがった」さくら「お兄・・・ちゃん?」寅「そうよ! お兄ちゃんよ!」20年ぶりの寅さんとさくらさんの再会シーンは感動的でしたね。でも、その後、寅さんは「ションベンしてくらあ~」と言って、すぐ横にトイレがあるにも拘わらず、裏の庭で立小便をします。これもカタギの人間では考えられない行為です。立小便をしながら、寅さんは、♪~泣~く~な~妹よ~妹~よ~泣くな~♪と歌を大声で歌います。この歌、昭和12年にディック・ミネの歌唱で発売された「人生の並木道」という歌謡曲です(詞:佐藤惣之助、曲:古賀政男) <ディック・ミネ「人生の並木道」>1番の歌詞は以下です。♪~泣くな妹よ 妹よ泣くな泣けば幼い二人して故郷を捨てた甲斐がない~♪歌詞では、「妹と2人で故郷を捨てた」となっていますが、寅さんの場合は、「引き留める妹を振り切って1人で故郷柴又を捨てた」のですね。寅さんの心の中では、放浪中、ずっと妹さくらちゃんのことを不憫に思っていたので、この歌はさくらちゃんの「応援歌」のような歌としていつも口づさんでいたのかも知れません。数ある古賀政男の歌の中でも、名曲中の名曲の一つだと思っています。話は変わりますが、「男はつらいよ」第1作が公開された1年前の昭和43年にビクターレコードから<影を慕いて/森 進一>という12曲入りのLPレコードが発売されました。このレコードには、コロムビア専属の大作曲家・古賀政男の名曲12曲が収録されています。「人生の並木道」はB面の最初に収められていて、当時、このアルバムの中でもピカイチの「絶唱」と評されました。昭和44年にビクターレコードに入社したリュウちゃん、このLPを買って愛聴しました。中でも「人生の並木道」は涙ウルウルで聴いたのです。以下に昭和43年に森 進一がステージで歌ったYou-Tubeを貼り付けます。<森 進一「人生の並木道」>(さくらさんのお見合い)このシーンも抱腹絶倒なのですが、写真のみ2枚掲載し、詳細は省きます。この「お見合い」は寅さんのせいで「大失敗に終わったのです。(寅さんの仁義)寅さんの商売は、街頭に茣蓙を敷き、その上に様々な商品を並べて、威勢のいい「啖呵売」の口上で物を売る「テキ屋」(香具師)です。テキ屋はヤクザの組織の末端にあり、寅さんもヤクザの末端の一人です。この映画では、地元のテキ屋の親分に仁義を切るシーンが出てきます。このシーン、当時、数多く製作された東映の任侠映画を彷彿させます。以下、上掲のシーンで寅さんが切った「口上」を書いてみます。「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。皆様ともどもネオン、ジャンズ高鳴る大東京に仮の住居まかりあります。不思議な縁持ちましてたったひとりの妹のために粉骨砕身、バイに励もうと思っております。西に行きましても東に行きましても、とかく土地土地のおあにいさん、おあねえさんに御厄介かけがちなる若造でござんす。以後見苦しき面体お見知りおかれまして、恐惶(向後)万端引き立って、よろしくお頼み申します」寅さんが地元のテキ屋の親分に仁義を切るシーンは、全48作品の内、これ1回だけなのです。第1作の前半では、寅さんはかなり濃厚に「ヤクザ」の雰囲気を持っていましたが、第1作の後半~第2作以降ではこの雰囲気はどんどん薄れて行くのです。(舎弟・登登場)<寅さんと舎弟・登(津坂匡章)>ここで寅さんが初めて本業の香具師(やし)の啖呵売をします。<寅さんの啖呵売>(寅さんの大喧嘩と柴又出奔)寅さんはさくらさんの「お見合い」の失敗をおいちゃん達になじられて、柴又を出奔してしまいます。このシーンも下記の動画でお楽しみ下さいね。<寅さんの大喧嘩と柴又出奔> (マドンナ登場)寅さんが、おいちゃん、おばちゃん、さくらさんと大喧嘩して柴又を出奔して一か月後、帝釈天の御前様のお嬢さん、坪内冬子さんから「とらや」に速達が届きます。そこには寅さんの消息が書かれていました。(冬子さんの速達のナレーション)「前略皆様、お元気ですか、奈良滞在も3ヶ月近くなりますが、ようやく健康も回復し、迎えに来た父と共に帰郷をすることとなりました。ところが今日、父を案内しての見物の途中、珍しい人に偶然会い、びっくりしました。今思い出すと、なんだか可笑しくなってしまいます」冬子さんは奈良で3ヶ月、病気療養をしていましたが、健康を回復し、父の御前様と奈良ホテルに泊まり、奈良観光をしていました。最初に行ったのは斑鳩町の「法起寺」(ほっきじ)と「法隆寺」、(法隆寺西大門のシーン)(法隆寺西大門) 「男はつらいよ」の最初のロケ地は、リュウちゃんの家から徒歩4分の法隆寺西大門だったのだ!寅さんファンとして、ちょっと感激!(寅さんとマドンナの出会い)御前様と冬子さんは、東大寺二月堂の舞台で休憩しています。そこへ外国人夫婦を連れた寅さん登場、寅さんが御前様に気付き、挨拶をします。寅「あ!御前様!こりゃ、どうもどうも!いや、どうもお久しぶりでございました。あの節はどうもお世話様になりまして、ヘヘ…、また、なんです?、こんなところへ?民情視察ですか?」(二月堂、寅と御前様)寅さん、御前様の横に座っている冬子さんを見て、寅「あ…、どうも御前様、なかなかスミに置けませんね。こんな綺麗な方とお楽しみを…、それじゃ、わたくし…」御前様「バカ!娘だ!ほら、忘れたのか?おまえが出目金とあだ名をつけてよくいじめとった冬子だ!」寅「はあ~、出目金!」冬子「ええ、覚えてるわ。寅ちゃんでしょ。 ちっとも変わらない、おんなじ顔」ここから奈良公園の「浮見堂」での御前様の「バターギャグ」までは以下の動画の1分21秒までをご覧ください。 <「男はつらいよ」~マドンナ(1~4):0秒~1分21秒>(※)御前様のバターギャグは秀逸でした。この「ギャグ」は普通のアチャラカ喜劇のギャグと違い、御前様は大真面目で、写真を撮られる時には、「バター」と言って口を開けるものだと勘違いしていたのですね。この「勘違い」が、映画を観る「常識人」にとりましては「ギャグ」だと勘違いして大爆笑になりました。「常識人」ではない寅さんも、この「勘違い」は分からなかったのです。このギャグは、さくらさんの結婚式で早速、寅さんによって使われます。また、第9作「柴又慕情」でも、吉永小百合演じる歌子ちゃん達と仲良くなるきっかけになったのが、このギャグだったのです。御前様の「バターギャグ」が出た奈良公園の浮見堂は、リュウちゃんのブログでもよく出てきます。以下、以前のブログでアップした「浮見堂」の写真を1枚貼り付けます。(浮見堂) 奈良公園の浮見堂、御前様のバターギャグで不滅になったのだ!(寅さんの柴又帰還) 結局、寅さんは御前様・冬子さんと一緒に柴又に帰還します。やっぱり寅さんは冬子さんに一目惚れ!?(博の愛の告白)「とらや」の裏の印刷工場に勤めている諏訪 博(前田 吟)は、秘かにさくらさんを愛しているのですが、寅「あいつは大学出のサラリーマンと結婚させるんだい。手前らみたいなナッパ服の職工には高嶺の花だい!分かったか!わかったらこのへんウロウロウロウロするなよ!嫁入り前の娘がいるんだから、帰れよッ!」と暴言を吐くので、寅さんと対決します。(屋形船の中で寅さんと博の対決)寅「オウ!文句あんのか!!」博「大学も出てない職工にはさくらさんを嫁にやれないって言うのか!!」寅「おう、当たり前よ!文句あんだったら腕で来るか!」博「じゃあ聞くけどな」寅「なんだい!」博「あんた大学出か?」寅「?」博「もし、仮にあんたに好きな人がいて、その人の兄さんがお前は大学出じゃないから妹はやれないって言ったらあんたどうする?」寅「なになに?俺に好きな人が居て、その人に兄さんが?バカやロウ、いるわけないじゃないか!冗談言うない!」この対決の会話は秀逸ですね。寅さんの「いるわけないじゃないか!」は、勿論、冬子さんには兄さんがいない一人娘であることを念頭に置いた発言です。ここでも寅さんは冬子さんに惚れていることを暗に告白しているのです。、、、、寅「じゃあ、てめえ、(さくらに)惚れてねえって言うのか?」博「いえ、惚れています」寅「じゃあどうなんだよ!ええっ? はっきりしろよっ!お前」博「ですからその親兄弟も居ないも同然だし、大学も出ていないから…」寅「おい、こら、青年、お前大学は出ないと嫁はもらえないってのか?ああ、そうかい手前はそういう主義か」先程まで「大学も出てりないナッパ服の職工には、さくらは嫁にやれない」と言っていた寅さんが、コロっと変わって「こら、青年、お前大学は出ないと嫁はもらえないってのか?」と180度違った発言をする、この辺の「いいかげんさ」が寅さんの「困った点」でもあり、「愛すべき点」でもあるのですね。寅さんは中学校中退の学歴、それが「高嶺の花」である冬子さんに惚れてしまった。冬子さんへの片想いが成就する筈がないことを暗示する台詞だったようにリュウちゃんには思われました。で、博と意気投合した寅さんは、ある飲み屋で博に「恋の手ほどき」をします。寅「要するに女をつかむのは目だよ、、、、すっと流すんだよ、そうすっと女のほっぺたにも電波がビビビビビ~っとかんじるんだよ、、、その時ぱっちっと眼をあわしたら、この目をくっと絡ませるんだ、そして訴えるような、すがえるような、甘えるような目でジーッと見るんだよ、、、そこでもう一押し!目にものを言わせるわけだ」(目でアイ・ラブ・ユー)寅さん、博に向かって目をパチパチ、何やら場末のバーのオカマのようで、ちょっと不気味です。寅「言ったろ?」博「何をです?」寅「バカヤロウ! アイラブユーだよっ!」ここで周りの客、大爆笑!(寅さん、水元公園で冬子さんとボートに乗って初デート)寅さん、ボートを漕ぎながら冬子さんに向かって目をパチパチ、冬子さん「どうしたの?目にゴミでも入ったの?」寅さんの「お目々でアイ・ラブ・ユー」作戦は見事に失敗に終わったのです。 (博の愛の告白)博は寅さんにさくらさんへの「愛のキューピッド役」を頼むのですが、寅さんの対応がいい加減でメチャクチャなので、うまくいきません。そこで、博はさくらさん、おいちゃん、おばちゃんが談笑している「とらや」の居間の前に立ち、一世一代の愛の告白をします。(博の愛の告白)さくら「どうしたの?博さん」博「僕の部屋からさくらさんの部屋の窓が見えるんだ。朝…、目を覚まして見ているとね、あなたがカーテンを開けてあくびをしたり、布団を片付けたり、日曜日なんか楽しそうに歌を歌ったり、冬の夜、本を読みながら泣いてたり、、、あの、、、工場に来てから3年間、毎朝あなたに会えるのが楽しみで、考えてみればそれだけが楽しみでこの3年間を、、、僕は出て行きますけどさくらさん幸せになってください、さようなら」この博の告白、感動的です!リュウちゃん、このシーンは何度観ても涙ウルウルになるのです。結局、出て行った博をさくらさんは追いかけ、婚約することになります。(さくらさんと博の結婚式) 博とさくらさんは、柴又の川魚料理の創業220年の銘店「川甚」で結婚披露宴を行います。司会者を演じるのは、渥美 清の盟友「関 敬六」、彼は渥美 清と同じ昭和3年生まれのコメディアンで、寅さんシリーズでは様々な役を演じました。この披露宴に、初めて博の両親が登場します。司会者などに渡された博の父親の名刺には「北海大学農学部名誉教授・諏訪颷一郎」と書いてありました。「飈一郎」、誰も読めない!風偏に「火」が3っつ、何と読むんだ??映画の中では、結局、この読み方は判らなかったのですが、リュウちゃんは後で脚本や解説本を読み、この名前は「ひょういちろう」であることが判明しました。因みに、「飈」という漢字は、音読みでは「ひょう」、訓読みでは「かぜ」、「つむじかぜ」。「みだ(れる)」と読み、意味は「吹き上げる激しい風」、「つむじ風」、「乱れる」、「荒れ狂う」なのだそうです。この名前は司会者も仲人のタコ社長も読めなかったので、皆、ごまかして「すわ、、うんいちろうさん」と博の父親を紹介するというギャグが3回でてきます。この辺のギャグと、その後の父親の謝辞につきましては、下記の動画をご覧ください。<さくらさんと博の結婚式の動画>紹介の後、父親の飈一郎から謝辞が述べられます。飈一郎を演じたのは、黒澤 明監督の「生きる」、「七人の侍」などでで世界的に著名な名優「志村 喬」(しむらたかし)です。以下、この謝辞を文字起こしします。飈一郎「、、、、本来なら新郎の親としてのお礼の言葉を申さねばならんところでございますがわたしども、そのような資格のない親でございます。しかし、こんな親でも、何と言いますか、親の気持ちには変わりがないのでございまして、、、実は今日私は8年ぶりに倅の顔を、、、みなさんの温かい友情とさくらさんの優しい愛情に包まれた倅の顔を見ながら、親として私はいたたまれないような恥かしさを、、、いったい私は親として倅に何をしてやれたのだろうか、、なんという私は無力な親だったか、、、隣におります私の家内も同じだったと思います。この8年間は…私ども2人にとって長い長い冬でした、、、そして、今ようやく、みなさまのお陰で春を迎えられます。みなさん、ありがとうございました。さくらさん…、博をよろしくお願いいたします」この飈一郎の謝辞、寅さんも博も感激で涙ウルウル、リュウちゃんもまた涙ウルウルになったのです。「男はつらいよ」第1作は、大爆笑の後に「涙ウルウル」、また大爆笑の後に「涙ウルウル」という繰り返しが波のようにリズミカルに襲ってきます。「男はつらいよ」第1作は笑いと涙のリズミカルな繰り返し、により歴史に残る喜劇映画の傑作になった!とリュウちゃんは思っているのです。(寅と冬子さんの2度目のデート)さくらさんと博が新婚旅行に行き、寅さんは冬子さん目当てに「寺通い」をします。ある日、冬子さんから、「ねえ、寅ちゃん、憂さ晴しにどこかへ遊びに行きましょう」と誘いを受け、2人で品川区の「大井オートレース場に出掛けます。(大井オートレース場の寅さんと冬子さん)オートレースで2000円(現在の価値に直すと1万円くらい)勝った冬子さん、寅さんを誘い、蒲田にある焼き鳥屋に入ります。(焼き鳥を食べる寅さんと冬子さん)焼き鳥屋に入る直前から、北島三郎の「喧嘩辰」が有線(?)で流れてきます。店内でも流れているのです。<北島三郎「喧嘩辰」>柴又への帰り道、ほろ酔いの冬子さんは「喧嘩辰」の3番を歌い始めます。♪~こ~ろ~しいたいほ~ど~惚れて~は~い~た~が~ゆ~び~もうふれず~に~わか~れ~た~ぜ~♪<冬子さん、「喧嘩辰」を歌う> 冬子さんの口ずさむ「喧嘩辰」、さすがに清元の名取りだけあって、色っぽくていいですね!題経寺の裏木戸で、冬子「じゃあ寅ちゃん、さようなら」寅さんが持っていた冬子さんのバッグを渡すと、裏木戸から冬子さんの白く細い手が伸びて来て、寅さんと握手します。マドンナの手を握った!「お目々のアイラブユー」は失敗したが、「お手々のアイラブユー」は大成功!??? 寅さん、すっかり舞い上がってしまうのです。冬子さんは俺に気がある!哀しい「勘違い」なのですね、(寅さんの失恋)<寅さんの失恋>2回目の「デート」から数日後、寅さんは冬子さんと江戸川に「魚釣り」に行く約束をしたので、麦藁帽子をかぶり、釣り具セットを持って、冬子さんを誘いに題経寺に行きます。そこで寅さんが見たものは、冬子さんと紳士が仲睦まじく談笑している光景、ガ~~~~ン!寅「あっ、お客さんですか?」冬子「あ、ごめんなさい、今日お約束してたんだったわねえ」寅「いいえ、いいんです」寅さん、すごすごと退散するのですが、途中で御前様と出会います。御前様「帰るのか?」寅「へえ、あのー…ご親戚ですか?」御前様「うん、これから親戚になる男だ」寅「ええ!」御前様「つまり、冬子の婿にな」ガ~~~ン!!!まるで絵に描いたような突然の失恋、残酷な結末ですね。万年失恋人間だったリュウちゃんも、こんな無残な失恋には耐えることが出来なかっただろうと思っています。「男はつらいよ」第1作は、大方のファンは「喜劇」だと思っている筈ですが、リュウちゃんにとりましては、「男はつらいよ」第1作は大悲劇なのだ!という思いなのです。今回のブログのラストに、「寅さんの年齢」についての考察を書いてみました。<寅さんの年齢考>第1作の冒頭、寅さんのナレーションが流れます。「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。思い起こせば20年前、つまらねえことでおやじと大喧嘩、頭を血の出るほどブン殴られて、そのままプイと家をおん出て、もう一生帰らねえ覚悟でおりました~、、、、」以上のナレーションによれば、寅さんは10代の頃、柴又を出奔し、出奔してから20年目に柴又に帰郷したという設定になっています。では、何歳の時に出奔したのか?「第10作「寅次郎夢枕」には、以下のような「おいちゃん」の台詞があります。「え~、柴又尋常小学校を卒業しまして、それから葛飾商業を、ええ、こちらのほうはすこし早めに卒評しまして、、、、」★尋常小学校は、昭和16年3月31日まで存在した日本の初等教育機関の名称です(昭和16年4月1日から「国民学校」と改称されます)。尋常小学校は、現在の「小学校」と同じ「6年制」で、卒業時の年齢は、12歳です。★葛飾商業→「葛飾商業」をネット検索しますと、現存する「東京都立葛飾商業高等学校」が出て来て、ウィキペディアには、「なお、架空の人物であるが映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎が本校中退という設定がある」という記述がありますが、これはガセネタですね。現存する葛飾商業高等学校の創立は昭和37年ですので、寅さんが在籍している筈がないのです。この台詞で出てくる「葛飾商業」とは、旧制の商業学校のことで、入学資格者は尋常小学校卒業程度、就業年齢は2年~4年だったようです。つまり現在の中学校に相当する「職業学校」だったようです。おいちゃんの台詞によれば寅さんは葛飾商業を中退したということになっていますので、寅さんが中退したのは、13~15歳の頃となりそうです。★以上から寅さんの第1作(昭和44年公開)当時の年齢を推定しますと、尋常小学校卒業はどんなに遅くとも昭和16年3月、この時点で12歳だとすれば、寅さんの誕生年は、どんなに遅くとも昭和4年ということになります。とすれば、第1作公開時の昭和44年には、寅さんは40歳ということになりますね(渥美清は昭和3年生まれですから、寅さんの年齢とほぼ一致します)★ところが、寅さんがこの時点で40歳だとしますと、辻褄の合わないことが出てきます。それは、妹さくらの年齢です。昭和44年公開の第1作で、さくらさんの年齢は何歳だったのか?さくらさんは第1作では、高校を卒業し、丸の内にオフィスがある一流企業「オリエンタル電機」にキーパンチャーとして勤務しています。最初に「とらや」で寅さんと再会するシーンの写真を見ますと、どう考えても25歳前後ですね(倍賞千恵子は昭和16年生まれですから、第1作公開時の実年齢は28歳です)。仮にさくらさんの年齢を賠償さんの実年齢と同じ28歳(恐らく上限ギリギリ)としますと、それでも寅さんとの年の差は12歳、寅4さんは14~15歳の頃、父親と大ゲンカして柴又を飛び出したのですが、その時のさくらさんの年齢は2~3歳ということになり、第1作に出てくる子供時代の寅さんとさくらさんの写真のようにはなりませんね。(少年時代の寅さん)(上記、少年時代の寅さんと同じ写真に写っている少女時代のさくらさん)第2作、「続・男はつらいよ」の冒頭の夢のシーンでは、寅さんのおふくろさんは、「38年前、玉のような男の子を生んだ」という台詞が出てきます。これだと第2作の時点で、38歳という事になります。更に、第1作から11年後の昭和55年の公開された第26作「寅次郎かもめ歌」では、寅さんが夜間高校に入学しようとして、入学願書を書くのですが、この入学願書で寅さんの生年月日が判明します。入学願書によれば、寅さんの生年月日は、昭和15年11月29日、願書を書いた時の年齢は、満40歳!これが正しいとすると、昭和44年公開の第1作の時点では、寅さんの年齢は「29歳」ということになりますね。これだとさくらさんの年齢差は1歳~5歳くらいになり、上記の2人の年齢差に合致しそうですが、そうすると寅さんが小学校を卒業した12歳の時は昭和27年ということになり、「尋常小学校」卒業とはなりません。「男はつらいよ」の年代は第1作のラストで生まれた満男君の成長で辿ることが出来ます。例え寅さんが映画の中では歳を取らない設定になっていたとしましても、満男君の成長は「年代時計」になっていますので、寅さんだけは歳を取らないという設定は「無理筋」なのです。まあしかし、この「無理筋」は、48作も続いたシリーズではやむを得ないのではないかとリュウちゃんは思っています。で、このブログでは、シリーズ第1作時の寅さんの年齢を29歳とし、さくらさんの年齢を25歳として記事を書いていきます。当初、一回のブログで、5人くらいのマドンナを採り上げるつもりだったのですが、第1作がリュウちゃんにとりましては余りの傑作であり、しかもレギュラーの登場人物をきちんと紹介したいと思いましたので、ついつい長大なブログになってしまいました。次回からは一回のブログで数人のマドンナを採り上げたいと思っているのですが、如何なりますことやら?最初のマドンナを演じた光本幸子さんは、平成25年、食道がんのため、69歳で亡くなられました。佳人薄命、合掌。(以下、<映画「男はつらいよ」、寅さんのマドンナ遍歴(2)>に続きます)
2020年02月28日
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映画「男はつらいよ」を飾ったマドンナたち、令和元年末<映画「男はつらいよ~お帰り寅さん」>公開を機に、改めて「マドンナ遍歴」をして見ます。昨年末、映画「男はつらいよ~お帰り寅さん」を観て来ました。 <映画「男はつらいよ~お帰り寅さん」予告編>→ここをクリック渥美清出演の最終作となった「寅次郎紅の花」から24年目の新作です。寅さんシリーズの大ファンのリュウちゃん、懐かしさに涙ボロボロになりました。<「男はつらいよ~お帰り寅さん」のストーリー>「寅次郎紅の花」から約20年後。寅の甥っ子、満男(吉岡秀隆)は売れっ子の小説家になっています。(満男~吉岡秀隆)満男は、かって恋人だった及川泉ちゃん(後藤久美子)とは別の女性と結婚し、中学三年生の一人娘ユリ(桜田ひより)がいます。満男の妻だった女性は7年前に亡くなり、現在は満男の家庭は、満男とユリの2人暮らし、「父子家庭」になっています。(満男とユリ)或る日、満男の妻の七回忌が行われることになり、葛飾柴又の帝釈天題経寺の門前にある寅さんの実家に懐かしいメンバーが集合します。この時に旧「とらや」に集まったメンバーは以下です。★さくら(倍賞千恵子)、★さくらの夫で満男の父親「博」(前田吟)★満男(吉岡秀隆)、★満男の娘ユリ(桜田ひより)、★裏の工場のタコ社長の娘あけみ(美保純)、★源ちゃん(佐藤蛾次郎)、★満男の亡き妻の父親・窪田氏(小林稔侍)、★題経寺の御前様(笹野高史!)「題経寺の御前様」は、ずっと名優・笠 智衆(りゅう ちしゅう)が演じていたのですが、彼は平成5年、膀胱癌のため、88歳で死去しました。寅さんシリーズ第45作「寅次郎の青春」が遺作となりました。でも映画の設定では、第46作以降も生きていることになっていまして、画面には出てこないのですが、「寅次郎の心の師」として生き続けていたのです。笹野高史が御前様とは、ちょっとビックリ!(笹野高志)他に、この法要に出るべき人で出ていなかった人を以下に挙げてみます。★車 竜造)(おいちゃん(下條正巳):下條正巳は「3代目おいちゃん」として、第14作「寅次郎子守歌」から35作に出演しました。彼は平成16年、膵臓癌のため88歳で死去しました。★車 つね(おばちゃん)(三崎千恵子):シリーズ全48作に「おばちゃん」として出演、平成24年、老衰で死去、享年91歳、★桂梅太郎(裏の工場のタコ社長)(太宰久雄):シリーズ全48作品に「タコ社長」として出演、平成10年、胃癌で死去、享年74歳、寅さん、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長が居ない「とらや」の居間はちょっと淋しい!売れっ子作家になった満男は出版社の担当編集者である高野節子(池脇千鶴)からプロモーションの一環として、神田の書店でサイン会をすることを勧められます。当初、満男はサイン会に乗り気ではなかったのですが、節子の説得により、サイン会を行うことを承諾します。(高野節子と満男)サイン会の席上で、かって満男の恋人だった及川泉(今はユーロッパで結婚して現在スウェーデン在住、「イズミ・ブリーナ」と名を変えています)(後藤久美子)と再会します。イズミは現在、スイスのジュネーブにある「国連難民高等弁務官事務所」に勤務していまして、高等弁務官のアシスタントとして約20年ぶりに日本へ帰って来たという設定になっています。 満男はイズミを「とらや」に誘い、かって寅の恋人だったリリー(浅丘ルリ子)の経営するジャズ喫茶に誘います(イズミとリリーは第48作「寅次郎紅の花」で面識があったのです)(「とらや」でのイズミ)(さくらとイズミ)(イズミとリリー)満男はイズミとの再会を機に、様々な悩みを抱えます。ああ、こんな時に寅伯父さんがいてくれたら、、、満男は寅伯父さんの在りし日を回想します。この回想シーンは以前の映画のシーンをほぼそのまま使っています。多分、以前出演したマドンナがほぼ全員、フラッシュバックするように登場してきました。寅さんシリーズ全48作を映画館で観たリュウちゃんも満男の回想シーンで、以前の寅さんや「とらや」の人々、寅の前に現れた美しいマドンナたちがフラッシュバックのように蘇ってきたのです。よし、ブログでシリーズ全48作を回想してみよう。特に歴代のマドンナに重点を置いて回想しよう。と思ったのがこのブログを書き始めた理由です。全48作の長丁場、全て回想出来ますことやら?<テレビ版「男はつらいよ」>映画シリーズ第1作「男はつらいよ」が公開されたのは、昭和44年8月27日でした。山田洋次監督は、この映画の製作意図について以下のように語っています。「昭和43年~44年にかけてフジテレビで26回に渡って放映された<テレビ版「男はつらいよ」の最終回で、寅が奄美大島でハブに噛まれて死んでしまうのですが、この結末を観た視聴者から、「何故、寅さんを殺してしまったのか!」などの抗議が殺到、、その抗議を知って映画化を決意した」とのことでした。リュウちゃん、映画は番外の第49作「寅次郎ハイビスカスの花・特別篇」を除いて全作、映画館で観たのですが、テレビ版の「男はつらいよ」は全く観ていません。テレビ版の「男はつらいよ」どんな作品だったのだろう?ということでネット調べをしましたところ、以下のことが分かりました。★テレビ版「男はつらいよ」は、昭和43年~昭和44年にかけて、フジテレビで全26話の連続ドラマとして製作された。★テレビ版のクレジットには、(原案・脚本)山田洋次、(音楽)山本直純、(演出)小林俊一と掲載されている。★現存している動画は、全26話中、第1話と最終回の第26話のみである。以下にその2話のYou-Tubeを貼り付けます。このテレビ版「男はつらいよ」カラーではなく、白黒だったのだ!<テレビ版「男はつらいよ」、第1話>ここをクリック⤴ <テレビ版「男はつらいよ」、第26話>ここをクリック⤴オープニングで使われた音楽、寅の口上などは映画と同じですね!以下にテレビ版の配役を書きます。★(車寅次郎):渥美 清、★(車さくら);長山藍子、★(車 竜造:おいちゃん):森川 信、★車つね(おばちゃん):;杉山とく子、★坪内冬子(マドンナ):佐藤オリエ、★坪内散歩(寅さんの英語の先生、マドンナの父親):東野英次郎、★諏訪博士(ひろし、さくらの夫):井川比佐志、★登(のぼる、寅の舎弟で「とらや」の従業員):津坂匡章(まさあき、後に秋野太作と改名)、★染子(寅さんの実母):武智豊子、★川島雄二郎(自称・寅の実弟、タネ違いの弟):佐藤蛾次郎。この配役を知って、リュウちゃん、興味津々!以下、映画の配役との違いを、気が付くかぎり書いてみます。★映画の「さくら」は倍賞千恵子、テレビ版で「さくら」を演じた長山藍子は映画第5作「望郷編」でマドンナ「浦安の節っちゃん」を演じました。★映画の「おばちゃん」役は三崎千恵子、テレビの杉山とく子とは随分印象が違いますね。杉山とく子は映画第5作「望郷編」で、マドンナ節ちゃんの母親を演じました。★佐藤オリエの演じたマドンナの名前は坪内冬子さんでしたが、映画では坪内冬子さんは第1作のマドンナの名前で、「帝釈天題経寺」の御前様のお嬢さんだったのです(光本幸子が演じました)。佐藤オリエは第2作「続・男はつらいよ」でマドンナ「坪内夏子」を演じました。夏子の父親はテレビ版と同じ「坪内散歩」(散歩先生)で、この親子関係はテレビ版も映画も同じだったのです。★さくらの夫「諏訪博士」は映画では「諏訪博」、名前の読み方は同じで、「ひろし」です。テレビ版の「ひろし」の職業は「医師」、寅の嫌いなインテリです。演じたのは俳優座の井川比佐志、彼は映画では第5作「望郷編」では、マドンナ「浦安の節ちゃん」(長山藍子)の婚約者として登場します。浦安の節っちゃんの居間はテレビ版の「とらや」の居間と同じメンバーなのだ!★佐藤蛾次郎は、映画では帝釈天の寺男の「源公」(本名不明、大体は「源(げん)ちゃん」とよばれていた)を演じていましたが、テレビ版では、似た役柄とは云え、「川島雄二郎」という立派な役名があったのですね。この名前、後に佐藤蛾次郎が語ったところによれば、<当時、石原裕次郎の全盛期で、山田洋次から「名前だけは二枚目にしてやるよ」>と言われたそうですが、リュウちゃんは、日活映画「幕末太陽伝」で著名な映画監督「川島雄三」を連想しました。川島雄三は当初、松竹に入社、松竹で23本の作品を監督した後、昭和29年に松竹を退社、日活に移籍し、「愛のお荷物」、「洲崎パラダイス赤信号」、「幕末太陽伝」、などの喜劇の名作を残します。山田洋次が松竹に入社したのは、川島雄三が松竹を退社したのと同じ昭和29年でした。恐らく山田洋次は川島雄三を尊敬していたのだとリュウちゃんは思っています。その尊敬の念が佐藤蛾次郎の役名に繋がったと勝手に想像しているのです。(川島雄三監督)★映画ででは常連だった「帝釈天題経寺の御前様」、「裏の工場のタコ社長」がテレビ版では登場しません。以上、長くなってしまいましたが、もう2つだけテレビ版の興味のある事を書きます。★演出の小林俊一:テレビ版「男はつらいよ」全26作を演出(監督)した人物です。フジテレビのプロデューサー・ディレクター、渥美清を山田洋次に紹介した人物で、<「男はつらいよ」の生みの親>という存在です。また、渥美清が歌った主題歌「男はつらいよ」の作詞を星野哲郎に依頼した人物でもあります。映画では、巻頭のクレジットに「企画・製作」者として登場、第4作「新・男はつらいよ」では監督を務めました。★北島三郎の「喧嘩辰」:テレビ版では「寅さんの愛唱歌」として使われたようです。映画では、第1作「男はつらいよ」で、特に3番の歌詞が効果的に使われていました。以下に3番の歌詞を書いてみます(作詞:有近朱美、作曲:関野幾生)♪~殺したいほど惚れてはいたが指も触れずに別れたぜ浪花節だと笑っておくれケチな情けに生きるより 俺は仁義を抱いて死ぬ~♪以下に北島三郎のYou-Tubeを貼り付けます。<北島三郎「喧嘩辰」>→ここをクリック 以下、ネットから拾いましたテレビ版「男はつらいよ」の写真を何枚か貼り付けます。(さくらと寅さん)(「とらや」の居間)(マドンナと寅さん)(寅さん、ハブに噛まれる) <映画「男はつらいよ」のレギュラーメンバ->本ブログは、映画「男はつらいよ」の歴代のマドンナを紹介する目的で書き始めましたが、この「プロローグ」では、映画に登場する寅さんの周辺に人物を紹介させて頂きます。◎「おいちゃん」車 竜造、寅さんの叔父、草団子店「とらや」の主人、第1作~第8作「寅次郎恋唄」まで森川 信、第9作「柴又慕情」~第13作「寅次郎恋やつれ」までの5作は松村達夫、第14作「寅次郎子守歌」以降は下條正巳(しもじょうまさみ)が演じました。(森川 信のおいちゃん)(松村達夫のおいちゃん)(下條正巳のおいちゃん)◎「おばちゃん」車つね、おいちゃんの女房、映画では全作、三崎千恵子が演じました。(三崎千恵子のおばちゃん)◎「さくら」車 櫻→(結婚して)諏訪 櫻、寅さんの腹違いの妹、「とらや」の先代の主人・車 平造(竜造の兄)の娘で、平造夫婦が早世したため、叔父夫婦に寅さんと一緒に育てられました。映画では全作、倍賞千恵子が演じています。(倍賞千恵子のさくらちゃん)◎ひろし諏訪 博、「とらや」の裏にある旭印刷の技術主任、第1作でさくらと結婚し、「とらや」の居間のメンバーになります。映画では全作、前田 吟が演じています。(前田 吟のひろし)余談ですが、リュウちゃんの孫姫4姉妹のパパの名前も「ひろし」(愛称:ヒロ君)なのです。◎みつお諏訪満男、さくらと博の一人息子、寅さんの「甥っ子」です。第1作から第26作「寅次郎かもめ歌」までは1作(第9作「柴又慕情」)を除いて、「中村はやと」が幼い頃の満男君を演じました。しかし、中村はやとは俳優ではなく、素人でしたので、思春期からの満男を演じるのは、かなり難しいと判断したためか、昭和56年公開の第27作「浪花の恋の寅次郎」から後の満男君は全て吉岡秀隆が演じました。吉岡秀隆は昭和45年生まれ、映画の満男君は昭和44年生まれなので、ほぼ映画の満男君と実年齢が同じですね。吉岡秀隆は5歳で劇団若草に入団、昭和50年、東京12チャンネルの時代劇「大江戸捜査網」で子役デビュー(当時5歳)、映画デビューは7歳の時の「八つ墓村」(野村芳太郎監督、主役の名探偵・金田一耕助は何と、渥美清が演じたのです!)10歳の時に山田洋次監督の名作「遥かなる山の呼び声」に出演、倍賞千恵子の息子役を演じました。そして、11歳の時に「浪花の恋の寅次郎」で12歳の満男を演じたのです。(吉岡秀隆の満男、第27作「浪花の恋の寅次郎」より)◎タコ社長桂梅太郎(第1作では、小倉梅太郎、第6作では堤梅太郎???)「とらや」の裏にある小さい印刷工場「旭印刷」の社長、いつも税務署に追いかけられている中小企業の悲哀を一身に背負っている存在、お調子者ですが憎めない性格で、寅さんにいじられる役柄です。タコ社長を演じたのは太宰久雄、シリーズ全48作に出演しました。平成10年、胃癌で死去、享年74歳、その遺言は、「葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のため煩わさるべからず。平成9年2月26日 太宰久雄」、だったそうです。(太宰久雄のタコ社長)◎御前様柴又帝釈天題経寺(たいしゃくてんだいきょうじ)の住職、姓は坪内、正式には日奏上人、この地域の人格者であり、寅さんも人生の師匠として尊敬しています。御前様を演じた「笠 智衆(りゅう ちしゅう)」は明治37年(1904年)生まれ、映画「男はつらいよ」第1作公開時点では65歳でした。以後、第45作「寅次郎の青春」まで、出番は少ないのですが連続出演しました。平成5年、88歳で死去、第46作「寅次郎の縁談」ではクレジットから彼の名前は消えてしまいましたが、映画の中では生きていることになっていました。ですから最新作「お帰り寅さん」では、笹野高志が笠 智衆に代わって御前様を演じたという次第なのです。(笠 智衆の御前様)笠 智衆は小津安二郎監督「東京物語」などで、世界的に著名な名優です。「寅さんシリーズ」が日本のみならず、世界的にも評価されたのは、笠 智衆のこのシリーズの出演が大きく寄与していると思われます。(小津安二郎「東京物語」、原 節子と笠 智衆)◎源公、源ちゃん題経寺の寺男、苗字不詳、名前は第1作から第3作までは「源吉」、第4作以降は「源公」、午前様は「源」、さくらやとらやの面々は「源ちゃん」と呼んでいます。大阪弁を話す風来坊で、いつの間にか題経寺に居付いてしまいました。第1作では寅さんに「何だい?、ありゃ~」といわれる不思議な存在でしたが、第2作以降は寅さんの舎弟のような関係になり、寅さんを「兄貴」と慕うことになります。演じたのは佐藤蛾次郎、第8作「寅次郎恋唄」を除く全作品に出演しています。(源ちゃん)<寅さんクラシック>テレビ版「男はつらいよ」でも、最終回の第26話、寅さんがマドンナに別れの挨拶に来るシーンで、マドンナの部屋にはショパンの「別れの曲」が流れていました。映画では第12作「私の寅さん」で寅さんがマドンナの岸 恵子に別れの挨拶に来るシーンで、同じシチュエーションでこの曲が使われたのです。 <ショパン:別れの曲(エチュードOp10-3)、演奏:辻井伸行>→ここをクリック映画「男はつらいよ」では、このように多くのシーンで、人情喜劇には一見、ミスマッチと思われるクラシック音楽が40曲以上も使われたのです。<山田洋次セレクション「寅さん」クラシック(CD)>平成6年1月1日、レコード会社「BMGビクター」(現在はソニー・ミュージック)から<山田洋次セレクション「寅さん」クラシック>というCDが発売されました。このCDには、映画で使われた11曲のクラシック音楽が収録されています。以下、収録されている11曲のタイトルと作曲者を挙げてみます。 (1) グリーグ:「ペールギュント」より「朝」→ここをクリック、以下同様(2) シューベルト:ピアノ五重奏曲「鱒」~第4楽章 (3) ヨハン・シュトラウス;ワルツ「春の声」(4) ヨハン・シュトラウス:ワルツ「ウィーンの森の物語」 (5) モーツアルト:クラリネット五重奏曲第2楽章(6) モーツアルト:ピアノ協奏曲第20番第2楽章「ロマンス」(7) ヴェルディ:歌劇「椿姫」より、第1幕への前奏曲 (8) ワーグナー:ワルキューレの騎行 (9) ベルリオーズ:幻想交響曲第5楽章 (10)モーツアルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク第1楽章(11)シューマン:トロイメライ(夢) このCDの「選曲・構成」をした山田洋次監督は、このCDに以下のような文章を寄せています。寅さんにはクラシックがよく似あう寅さんは「兄弟仁義」のような演歌の愛好者だが、その寅さんが腹巻に雪駄ばきでトランク片手に旅ゆく姿には、ヴィヴァルディやモーツアルトがよく似合う。寅さんシリーズに使用されたクラシックは40曲を超えると知ってびっくりしたが、劇中に演奏される映画音楽とクラシックの名曲が何の違和感もなく調和しているということは、映画音楽の作曲者である山本直純さんの音楽がいかに優れていいるか、ということの証明でもある。実はこのCD、リュウちゃんが企画してライナーノート(解説文)を書いたのだ!!!最近、各地で「寅さんクラシックコンサート」が開催されています。以下に平成29年3月5日に開催された愛知県・蒲郡市民会館で開催されwたコンサートのポスターを貼り付けます上記ポスターの下部に<国民的映画「男はつらいよ」で使用されたクラシック楽曲は40曲以上!>というサブキャッチが掲載されていますが、この「40曲以上」という表記は、リュウちゃんがCDを企画しました時に、シリーズ全作をビデオで観て調べ上げたもので、この曲名を全て入れた企画書が山田洋次監督に届けられ、結果、山田監督の「寅さんシリーズに使用されたクラシックは40曲を超えると知ってびっくりしたが、」という文章に繋がったという次第なのです。 リュウちゃんは、このポスターのサブキャッチの原案者なのだ!!!今回のプロローグ、またまた長大なブログになってしまいました。次回からはこのブログのタイトルのように、第1作から順に「マドンナ遍歴」をしてみたいと思っています。乞う、ご期待!!?
2020年02月06日
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ああ、リュウちゃんの永遠のマドンナ八千草 薫様が逝ってしまいました。リュウちゃんの「思春期」も終わりました。2019年10月24日、八千草 薫様が膵臓癌のためにお亡くなりになりました。享年88歳、年齢を重ねられても、何時までも娘時代と変わりないほんわかとした雰囲気と声を保ち続けていた稀有な女優さんでした。リュウちゃんが初めて薫様を観たのは、昭和36年にNHKで放映された単発テレビドラマ「三四郎」でした。このドラマは、夏目漱石の「三四郎」をドラマ化したもので、主人公の小川三四郎を石濱 朗(いしはまあきら)、三四郎のマドンナ・里見 美禰子を薫様が演じていました。何という美しい女性なのだ!何という上品な女性なのだ!何という可憐な女性なのだ!小川三四郎のマドンナは、このドラマ一発でリュウちゃんの「永遠のマドンナ」になったのです。このドラマ放送時に、薫様は30歳、リュウちゃんより15歳年上だったのです。残念ながらこのドラマの画像は、ネットにはありませんでしたので、後年リュウちゃんが衛星放送からコピーした1955年の映画「夏目漱石の三四郎」(中川信夫監督、山田真二主演)のテレビ画面から撮影した写真を以下に貼り付けます(綺麗に撮れませんでした。薫様には申し訳ない次第です)<映画「宮本武蔵」>八千草 薫様の代表作といえば、やはり1954年~1956年にかけて製作された稲垣 浩監督の「宮本武蔵三部作」です。この映画で薫様は、三船敏郎扮する武蔵をひたすら恋慕う「お通さん」を熱演されました。薫様芳紀23歳~25歳の時の名作です。尚、この映画の第1作は第28回アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)受賞しました。この映画の薫様の美しさは、以下の「予告編」でも十分に分かりますね。<映画「宮本武蔵」予告編> この映画が公開された時、リュウちゃんは8歳~10歳、小学校3年生~5年生でした。当時リュウちゃんは故郷の田舎の集落に毎月1回だけ来る「巡回映画」にハマていたのですが、ここで上映されるのは、大抵、東映のチャンバラ映画が殆どで、格調高い東宝映画は全くといっていい程、上映されませんでした。当時、ちょっとマセていたリュウちゃんは、主役の中村錦之助や東千代之助よりも、高千穂ひづるや桜町弘子、大川恵子などの「お姫様女優」により魅かれたのです。薫様の「お通さん」にお逢いしたのは、もっと先の話、だったのです。以下にネットから拾いました「お通さん」の画像を幾つか貼り付けます。<映画「旅はそよ風」>巨匠・稲垣 浩が「宮本武蔵」の1年前に製作したコメディ時代劇。この映画、リュウちゃんは未見なのですが、You-Tubeに以下の映像を見つけました。<映画「旅はそよ風」トレーラー>唄う薫様、素敵だ!薫様は元タカラジェンヌなので、当然、歌も歌える筈ですね。後出する映画「蝶々夫人」では、アリア「ある晴れた日に」を参考のために吹き込み、それを製作地のイタリアに送ったのだそうです。リュウちゃんは以前、「薫様の歌のレコード」をちょっと探したことがありましたが、残念ながらなかなか見つけることが出来ませんでした。でも、1曲だけ発見したのです!その歌は、1997年に日本コロムビアから発売された「SP盤復刻による日本映画主題歌集(11)戦後編(1953~1954)」というCDの10曲目に収録されていました。歌のタイトルは「旅はそよ風」映画に主演した大谷友右衛門とのデュエット曲だったのです。残念ながらYou-TubeにはUPされていませんでしたので、ここに貼り付けることは出来ませんが、興味のある方は上記CDをお買い求め下さいね。<映画「蝶々夫人」> (この写真は再掲)1954年公開、プッチーニの有名なオペラ「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」をそのまま映画にした日本・イタリアの合作映画で、撮影はイタリアの著名な「チネチッタ・スタジオ」で撮影され、薫様もこの映画の撮影のため、ローマに長期滞在しました。監督は「カルタゴ」、「ポンペイ最後の日」などで有名なカルミネ・ガローネでした。オペラ「マダム・バタフライ」を欧米の歌手で上演する場合、着物の着付けや日本の家屋などのセットがメチャクチャで、歌はともかく、日本人がこのオペラを観る場合、殆どはこの着物の着付けやセットのメチャクチャさに気を奪われて素直に楽しめない、という状況がありましたので、この映画は、そのあたりを正すために、薫様を蝶々夫人を演じてもらったという企画意図があったようです。尚、薫様はタカラジェンヌとして歌を歌う経験があったとはいえ、このタイトルロールを歌いきることは不可能と判断されたのか、薫様の歌うシーンはイタリアのソプラノ歌手・オリエッタ・モスクッチによって吹き替えられました。リュウちゃんがこの映画を観たのは、ごく最近です。衛星放送で放映されたものをDVDで録画して、やっと観るこのが出来ました(この時に上述の「三四郎」と「若い瞳」も録画することが出来ました)。以下に、テレビから撮った「蝶々夫人」の写真を何枚か貼り付けます(綺麗に撮れませんでした。薫様には申し訳ない次第です)リュウちゃんの映画の感想と致しましては、「薫様は期待通りの美しさだったが、吹き替えたモスクッチの「歌」と可憐な薫様とが全くシンクロせず、映画としてはガッカリ、声が細くても、アリアだけでも薫様本人が歌って欲しかった」です。(余談)チネチッタ・スタジオで「蝶々夫人」が製作される2年前、このスタジオではオードリー・ヘプッバーン主演の「ローマの休日」が製作されました。(オードリー・ヘプバーン)オードリー・ヘプバーンは昭和4年生まれ、薫様より2歳年上です。薫様がチネチッタで「蝶々夫人」を撮影した時の年齢は23歳頃、ということはヘプバーンがチネチッタで「ローマの休日を撮影した時の年齢も、23歳頃ということになりますね。リュウちゃんは高校生の時に劇場で「ローマの休日」を観て、一遍にヘプバーンのファンになりました。。この頃は薫様とヘプバーンはリュウちゃんの「2大ディーバ(女神)」だったのです。丸顔、つぶらな瞳、絵に描いたような清純無垢の容姿、若い頃の薫様とヘプバーンはよく似ている!<映画「男はつらいよ~寅次郎夢枕」>昭和47年に公開された「寅さんシリーズ」第10作目の映画です。薫様はこの映画で、マドンナの「お千代さん」を演じました。映画公開時に薫様は41歳。結果、歴代最年長のマドンナとなりました(第18作、「寅次郎純情詩集」のマドンナ、京マチ子は薫様より7歳年上なのですが、この映画は単一のマドンナではなく、壇ふみ演じる雅子先生との2人マドンナだったのです) <映画「男はつらいよ~寅次郎夢枕」トレーラー>例によりましてネットからお借りしました写真を貼り付けます。リュウちゃんは「寅さんの大ファン」で、この時期、公開された9作品は全て劇場で複数回観ていたのですが、憧れの薫様がマドンナを演じるとあって、勇んで公開初日にこの映画を観に行きました。この映画、劇場のスクリーンで初めて薫様にお目にかかった記念すべき映画になりました。「お千代」さんは寅さんの幼馴染、離婚して、「とらや」の向かいで美容院(寅に言わせれば「パーマネント屋」)を営む中年女性、小学生の息子がいるのですが、親権は相手方に渡っていて滅多に会えない、たまに息子が訪ねて来ても会える時間はほんの少し、会ったあと、涙をボロボロこぼして美容院に帰ってきますが、寅たちがそれを慰める、といったシーンが印象に残りました。役柄の上か、ちょっとやつれたメーキャップでの映画出演だったのですが、それでも歴代マドンナの中では「最高ランクの美女」なのでした。今年の年末、「男はつらいよ~お帰り寅さん」という新作が公開されます。 <男はつらいよ~お帰り寅さん」予告映像>山田洋次監督によれば、「お千代さん」もこの映画に登場するとのこと、寅さん大ファンのリュウちゃん、今から大期待して封切りを待っているのです。(余談)リュウちゃんに長女が生まれた時、薫さまの本名をそのまま平仮名にして命名しました。また長男が生まれた時には、「お千代さん」の息子の役名をそのまま命名したのです。<映画「田園に死す」>昭和49年に公開された寺山修司原作・脚本・監督による前衛映画です。 <映画「田園に死す」予告編>薫様はこの映画で、人妻「化鳥(けちょう)」を演じています。化鳥である薫様は、主人公の少年と「駆け落ち」するのですが、途中、別の男と「情死」してしまうのです。「化鳥」とは、「怪しい鳥」、「不気味な鳥」の意ですが、この映画の「化鳥」は泉鏡花の小説「化鳥」に登場する「羽の生えた美しいおねえさん」の意味だと思われます。狂人のような人ばかり登場するこの映画で、薫様の演じた「化鳥」は、正に一服の清涼剤、掃き溜めに鶴、のような感じがしました。<映画「ディア・ドクター」>2009年に公開された西川美和監督の映画、笑福亭鶴瓶の初めての主演映画、この映画は大変評判になり、同年のキネマ旬報の日本映画ベスト1位、日本アカデミー賞で10部門受賞など、数々の映画賞に輝きました。薫様はこの時78歳、薫様もこの映画で、毎日映画コンクールで助演女優賞をはじめ、数々の賞を受賞しました。<映画「ディア・ドクター」予告編>この映画で薫様は、映画の舞台となった小さな村で一人暮らしをしている未亡人、鳥飼かづ子を演じました。かづ子が鶴瓶ドクターの診察を自宅で受けるシーンで、リュウちゃんはウルウルしてしまいました。あのやんごとなき薫様がこともあろうに鶴瓶ドクターに胸をはだけて診察を受ける、何ということだ!薫様は、実年齢相応の未亡人を演じていたのですが、リュウちゃんは年零を超越した上品で清潔な女性の「色気」を感じてしまい、ために診察シーンでウルウル・ウロウロしてしまったのです。薫様の上品で清潔な色気は永遠に不滅なのだ!薫様の経歴を見ますと、「映画人」というよりは「テレビ人」なのですね。リュウちゃんは、テレビドラマは殆ど観ない人間なので、残念ながら薫様の出演したテレビドラマについては語る資格がありませんので、全て割愛いたします。<エッセイ「優しい時間」>1999年11月に発売された薫様の初のエッセイ集です。宝塚時代のこと、「蝶々夫人」の撮影で、イタリアに行った時のこと、夫の谷口千吉監督との山歩きのこと、愛犬のこと、、などを淡々と綴った50編のエッセイ集です。リュウちゃん、このエッセイ集は発売直後に購入し、今でも愛読しているのです。<朗読CD「きりんのなみだ」>2003年に発売した朗読CDです。このCDはリュウちゃんの在籍していたレコード会社から発売され、しかもこのCDをプロデュースしたのがリュウちゃんの一年先輩の畏友アッちゃんだったのです!薫様はこのCDのプロモートのため、一日だけ銀座の山野楽器本店の店頭でサイン会をされたのです。その時リュウちゃんは制作とは別のセクションに在籍していたのですが、デスクワークをホッぽり出して、サイン会を観に出掛けたのです。初めてお逢いした薫様、スクリーンと同じように清楚で可愛い女性でした!リュウちゃん、大感激!尚、サイン会の前にアッちゃんにお願いして、前出の「優しい時間」の表紙の裏に薫様の直筆サインを頂きました。この直筆サイン本、今ではリュウちゃんの「最高のお宝」なのです!薫様が歌っているCMを発見!下記の「皇潤 数え唄」です(映像は「田園に死す」から薫様の出演シーンをピックアップして使っています。やはり薫様の化鳥は美しい!)<皇潤 数え唄(皇潤CM)> 薫様の歌はひたすら優しい!リュウちゃんも「皇潤」飲んでみようかな?
2019年11月04日
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映画化は無謀、そう思っていました。「参りました」を通りこして。「やってくれました」の一言です。―恩田 陸<「蜜蜂と遠雷」予告編> 先日、話題の映画「蜜蜂と遠雷」を観てきました。この映画は、リュウちゃんご贔屓の女流作家・恩田陸(おんだりく)さんの2016年刊行の同名小説の映画化です。小説「蜜蜂と遠雷」は、2016年下期の第156回「直木賞」と、2017年の「本屋大賞」をダブル受賞し、大ベストセラーになった傑作です。ハードカバー507ページの大長編!(恩田陸さん)リュウちゃんが初めて恩田陸さんの小説を読んだのは、1997年に刊行された「三月は深き紅の淵を」です。この小説に感動して以来、2004年に目を悪くして、満足に読書が出来なくなるまで、刊行された恩田さんの小説は殆ど読みました。以下、当時読んだ恩田さんの小説をタイトルのみ挙げてみます。「六番目の小夜子」(デビュー作)、「光の帝国・常野物語」、「象と耳鳴り」、「木曜組曲」、「月の裏側」、「ネバーランド」、「麦の海に沈む果実」、「上と外」、「ライオンハート」、「MAZE」、「ドミノ」、「黒と茶の幻想」、「図書館の海」、「蛇行する川のほとり」、上記、「蛇行する川のほとり」を読んだ直後に糖尿病性網膜症を発症し、視力障害者(5級)になってしまいました。何しろ「5,6倍の老眼鏡」をかけないと新聞や本が読めない状態、「ハズキルーペ」などでは、全然読書が出来ない状態なのです(映画は3列目あたりの席で観ると、やっと俳優の顔が見分けられる、洋画の字幕が読み取れる、という状態でした)なので、恩田さんが初めて大きな文学賞を受賞した「夜のピクニック」(2004年、第26回吉川英治文学新人賞、2005年、第2回本屋大賞受賞)以降の本は殆ど読むことが出来ませんでした。一昨年、恩田さんの「蜜蜂と遠雷」が直木賞と本屋大賞をダブル受賞したというニュースに接し、久々に恩田陸の小説を読んでみよう!ということで、この大長編小説を読むことになったのです。何しろ、5,6倍の老眼鏡をかけて読むので、読破するまで一週間くらい掛ってしまいました(トホホ!)<小説「蜜蜂と遠雷」の概要>実在する「浜松国際ピアノコンクール」をモデルとした架空の「芳ヶ江国際ピアノコンクール」に応募した若き天才コンテスタント(応募者)達の2週間に渡るコンクール挑戦を描いた青春群像ドラマです。小説では「1次予選」、「2次予選」、「3次予選」を経て、オーケストラと競演する「本戦」に6人のコンテスタントが残り、そこで優勝者が選出されるという設定です。以下、小説で設定された各予選と本戦の条件を書きます。<1次予選>指定されたピアノ曲を3曲、20分以内で弾く。<2次予選>1次予選と共通の指定された曲を3曲以上とコンクールのために作曲された「春と修羅」という新曲を40分以内で弾く。<3次予選>1次・2次予選で演奏した曲以外の任意の曲で自由に構成、60分以内で弾く。<本戦>指定のピアノ協奏曲からオーケストラと演奏。小説の中で演奏されたピアノ曲は、全部で78曲にも及びます。以下のサイトは、この78曲を全て実際の演奏で紹介したものです。全部視聴するとすれば、恐らく10時間くらいかかりますが、興味のある曲を抜粋して聴いてみて下さいね。<第156回直木三十五賞受賞記念!『蜜蜂と遠雷』プレイリスト> 誰が優勝するのか?読み進めるうちに興味津々!<コンテスタントたち>小説で名前が出てくるコンテスタントは9人ですが、映画では以下の4人に絞られてています。以下、映画の画像をネットからお借りして、コンテスタントと演じた俳優、実際に演奏したピアニストを紹介させて頂きます。<栄伝亜夜(えいでん あや)=松岡 茉優(まつおか まゆ)>20歳、天才少女として5歳で数年間コンサートを開きCDデビューもしたのに、13歳のときマネジャーもしてくれた母の突然の死のショックでピアノが弾けなくなり、次のコンサートを直前に中止し、そのまま音楽界から離れ、既に「過去の人」と見られていたが、このコンクールにチャレンジすることにより、本当の音楽を見出そうとする。松岡 茉優は1995年生まれの女優、NHKの朝ドラ「あまちゃん」で全国的に知られるようになった。2018年には「勝手にふるえてろ」、「ちはやふる 結び」、「万引き家族」などの話題の映画に次々と出演し、数々の賞を受賞した。河村尚子(ひさこ)(栄伝亜夜の演奏を担当)西宮市生まれのピアニスト、5歳でドイツに渡りピアノを学ぶ。2006年に、ミュンヘン国際コンクール第2位受賞。翌年、クララ・ハスキル国際コンクールで優勝、(河村尚子さん)(リュウちゃんの余談)本ブログでUPした「恩田陸さん」、「松岡 茉優さん」、「河村尚子さん」何となく雰囲気が似ていますね。河村さんはリュウちゃんがレコード会社を早期退職した5年後に、リュウちゃんが元・在籍したレコード会社からショパン・アルバムでCDデビューしました。いわば、リュウちゃんの「会社の後輩」なのです。このCD、発売直後に「もう一人の会社の後輩」のYちゃんからサンプル盤を贈ってもらいました。Yちゃん、その節は有難うございました。<マサル・カルロス・レヴィ・アナトール=森崎ウィン>19歳、多くが才能を認める天才で、ペルー人の母とフランス人の貴族の血筋の父を持つ日系三世。ジュリアード音楽院(ニューヨークにある実在する音楽学校、世界でも最も優れたクラシックの音楽学校の一つ)に在学中で、高身長の貴公子然として「ジュリアードの王子様」と呼ばれる。少年時代に日本に一時在住し、アーちゃん(栄伝亜夜)が通う綿貫先生のピアノ教室に、一緒に連れられピアノに初めて出会い何回も行き、2人でピアノを練習した。このコンクールで成長した栄伝亜夜と再会した。森崎ウィンは、1990年生まれの19歳(マサルと同い年!)、ミャンマー出身、音楽ユニットPRIZMAXのメンバーで、メインボーカリストの他、作詞作曲も手掛けるミュージシャンである。少年時代から映画にも多数出演。2018年のスティーブン・スピルバーク監督の「レディ・プレーヤー1」では、主要なキャストの一人に選ばれ。ハリウッド・デビューを果たした。金子 三勇士(かねこ みゆじ)(マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの演奏を担当)1989年高崎市生まれ、日本人の父とハンガリー人の母を持つ。6歳の時に単身ハンガリーに音楽留学、祖父母の家からバルトーク音楽小学校に通う、11歳の時、飛び級でハンガリーが生んだ大ピアニストで作曲家であるフランツ・リストが創設したリスト音楽院に入学、その後帰国し、東京音楽大学ピアノ演奏家コースを首席で卒業。バルトーク国際ピアノコンクール優勝など、様々な受賞歴を持つ。(金子 三勇士)金子 三勇士さん、映画の森崎ウィンによく似ていますね!<風間塵(かざま じん)=鈴鹿央士(すずか おうじ)>16歳、音楽大学出身でなく、演奏歴やコンテストも経験がなく、自宅にピアノすらない少年。フランスで、父親が養蜂業で採蜜の移動の旅をしつつ暮らす。ピアノの練習は殆ど「無音鍵盤」で行っている。伝説のピアニスト、「ユウジ・フォン=ホフマン」に見いだされ師事し、彼が亡くなる前の計らいで、現在、パリ国立高等音楽院特別聴講生となっている。ホフマンは風間塵がこのコンクールに出場するに当り、審査員に以下のような推薦状を送る。「皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。……だが、勘違いしてはいけない。……彼は劇薬なのだ。……彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている」風間塵は「ギフト」なのか?「厄災」なのか、?鈴鹿 央士は、2000年生まれの19歳、「蜜蜂と遠雷」が映画初出演の新人、趣味の一つが「ピアノ演奏」のようである。<藤田真央(まお)>(風間塵の演奏を担当)1998年生まれ、現在19歳の男性ピアニスト、3歳でピアノを始め、10歳の時に日本クラシック音楽コンクール全国大会グランプリ。「世界クラシック2010」(台湾)へ日本代表として出場、ジュニア部門第1位、18歳の時にクララ・ハスキル国際ピアノコンクール第1位 (スイス)。併せて聴衆賞などの3つの特別賞受賞。日本人では河村尚子以来3人目の優勝、今年、世界三大ピアノコンクールの一つであるチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門にて第2位になるなど、若くして華々しい受賞歴を刻んだ天才ピアニストである。(藤田真央)藤田真央も映画の鈴鹿 央士とソックリだ! <鈴鹿央士と藤田真央のトークショウ>(リュウちゃん余談)小説の風間塵は、天才コンテスタントの中でも、もっとも魅力的なキャラクターです。両親と共にフランスで蜜蜂を求めての養蜂業の放浪生活、ピアノも持っておらず、無音鍵盤で練習する、伝説のピアニスト・ホフマン先生の弟子になったとはいえ、殆どレッスンの時間は無い、にも拘わらず、コンクールのファイナリストに名を連ねる、ちょっと現実には考えられないことですが、恩田陸さんの筆力は、彼の存在を現実的なものにしてしまいました。風間塵にとりましては、雨音や蜂の羽音なども全て音楽であり、ホフマン先生の「音を外に連れ出す」という行為をコンクールで実現するのです。鈴鹿央士君、デビュー当時の近藤真彦にそっくりだ!風間塵のキャラクターは、20世紀の日本を代表する現代音楽作曲家・武満徹(たけみつ・とおる、1930~1996)にちょっと似ています。(武満徹)武満は20歳の時に「2つのレント」というピアノ曲で作曲家デビューを果たしたのですが、何と、その時まで自宅にピアノが無かったのです!ピアノの練習は「本郷から日暮里にかけて街を歩いていてピアノの音が聞こえると、そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていた」(ウィキペディアの記述)のだそうです。<武満徹「2つのレント> 作曲も殆ど独学で、一応、東京芸術大学の作曲科を受験したのですが、同じ受験生だった少年からの示唆で「作曲をするのに学校だの教育だのは無関係だろう」との結論に達し、2日目以降の受験を欠席、上野で映画を観ていたのだそうです。恩田陸さんが風間塵というキャラクターを創造するに当り、武満徹の生き様を参考にした筈だとリュウちゃんは感じました。リュウちゃんが若い頃に、武満徹のエッセイ「音、沈黙と測りあえるほどに」(1971年刊行)という本を読んで感銘を受けたことがありました。このエッセイのタイトルから読み取れることは、「音楽は沈黙(無音)という豊穣なキャンパスの上の描く絵のようなものだが、沈黙(無音)こそが一番豊穣な音楽であり、そのキャンパスの上に描く実際の絵(音楽)は、なかなか豊穣なキャンパスには対抗できない」ということだとリュウちゃんは当時感じました。現代の宇宙論では、「真空はダークエネルギーで満たされている」のだそうです。「沈黙(無音)のキャンパス(真空)から、ダークエネルギー(無音のままの音楽)を、音のある音楽として外に引き出す」ことが作曲家の使命であると、武満徹は思っていたのではないでしょうか。このエッセイは、もちろん文字(文章)で書かれていて、現実の音としての音楽は聞こえないのですが、読者にとりましては「常に豊な音楽が文章から流れてくる」のです。いわば、恩田陸さんが「蜜蜂と遠雷」で試みた「文章で音楽を語る」ということを体現したものだったのですね。「蜜蜂と遠雷」を書き進める恩田さんの頭の中には、武満徹の、このエッセイがあったのではないかとリュウちゃんは勝手に思っているのです。尚、実際のクラシック界には、ヨーゼフ・ホフマンという、今では伝説になってしまったピアニストがいます。<ヨーゼフ・ホフマン(1876~1957)>彼は僅か10歳でヨーロッパ中を演奏旅行して、「神童」の名を欲しいままにしました。偉大なピアニストで作曲家だったセルゲイ・ラフマニノフは、代表作の一つである「ピアノ協奏曲第3番」をホフマンに献呈しましたが、ホフマンはこの曲を一顧だにしなかったそうです。<高島明石=松坂桃李>28歳、音楽大学出身でかつては国内有数のコンクールで5位の実績。卒業後は音楽界には進まず、現在は楽器店勤務のサラリーマンで妻娘がいる。だが、家には防音の練習室を備え、ピアノは、やめることはなかった。音楽界の専業者だけではない生活者の音楽があるとの強い思いがある。最後との気持ちで、コンクールに応募した。松坂桃李1988年生まれ、現在31歳、高島明石よりちょっと年上で、イケメンの男優、20の時に俳優デビュー、テレビドラマの他、映画も既に数十本出演している人気俳優。福間洸太朗(高島明石の演奏を担当)1982年生まれのピアニスト、東京都立武蔵高等学校卒業。 パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学、コモ湖国際ピアノアカデミーにて学ぶ。20歳でクリーヴランド国際コンクール優勝(日本人初)およびショパン賞受賞、これまでカーネギーホールやサントリーホールなどでリサイタル開催、クリーブランド管弦楽団、モスクワ・フィル、NHK交響楽団など、国内外の著名オーケストラとの競演も多数あり、名実共に若手のトップピアニストの一人である。(福間洸太朗)福間洸太朗も映画の松阪桃李と似ている!(リュウちゃん余談)リュウちゃんはテレビドラマは殆ど観ない人間なので松坂桃李については、これまで全く知りませんでした、といいますか、「桃李」という名前(本名)から、最近まで「女優」だと思っていました(苦笑)。彼の出演する映画を初めて観たのは、今年6月に公開された「新聞記者」だったのです。この映画で彼は、内閣情報調査室のエリート官僚を好演していました。「蜜蜂と遠雷」の高島明石役も好演だったと思っています。それにしましても、上記4人のコンテスタントの演奏部分を担当したピアニストは、皆、「早熟の天才」なのですね。しかもルックスもよく似ている!小説のコンテスタントの年齢、性別、ルックス、音楽性に合わせて、このような天才ピアニストに演奏を依頼したことに、改めて脱帽する次第です。<小説と映画の違い~膨大な小説を如何に簡略化したのか?>小説「蜜蜂と遠雷」はハードカバー507ページの大長編、登場人物も名前が出るコンテスタントだけでも9人、出てくる楽曲は計78曲(全部フルに演奏すると約10時間!)、普通だったら、とても2時間強の映画化は不可能ですね。原作者の恩田さんが、「映画化は無謀、そう思っていました」と言ったのも「むべなるかな」です。映画化に当たっては、小説の本筋はそのまま残しながらも、登場人物や楽曲の数を大幅に簡略化する必要があります。リュウちゃんは以下のように簡略化したと思いました。(1) 登場するコンテスタントを、ほぼ4人に絞った。(2) 小説では、1次予選~3次予選、本戦と、計4回あるコンクールを、計3回に簡略化した。(3) 各予選で演奏される楽曲も、映画では、ほぼ1曲に絞った(映画では、1次予選で演奏が聴けるのは、風間塵が演奏したバッハ「平均律クラヴィーア曲集第1番のプレリュードのみでした。<バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1番「プレリュード」~リヒテル> また、小説では、2次予選に出てくるオリジナル課題曲「春と修羅」他、数曲を弾くとうになっていますが、映画では、2次予選はこの「春と修羅」1曲のみ弾くという簡略化が行われていました。映画では3次予選は省略され、2次予選からいきなり本戦に進むという簡略化が行われていました。<オリジナル課題曲「春と修羅」について>小説「蜜蜂と遠雷」では、2次予選のオリジナル課題曲の一つとして、架空の作曲家・菱沼忠明の作曲したオリジナル曲「春と修羅」をコンテスタントが弾くことになります。当然、小説は音が出ないので、私達読者は自分で音楽を想像して読み進めるのですが、映画では、このピアノ曲が実際に「音」として聴くことが出来るのです(以下の動画で冒頭の部分が聴けます) <映画『蜜蜂と遠雷』「春と修羅」特別映像>実際にこの曲を作曲したのは、今年32歳の新進気鋭の現代音楽作曲家・藤倉大(ふじくらだい)氏です。下の写真のように、俳優・石原良純に似た精悍なイケメンですね。(藤倉大)以下は「春と修羅」の作曲者、藤倉大氏のインタビュー動画です。映画音楽がどのように創られていくかについての、興味津々のインタビューです。時間が許せば是非ご覧下さいね。<藤倉 大さんインタビュー「春と修羅」> この曲には「正式な楽譜」にコンテスタントが作曲した「カデンツァ」を追加して弾くことになっています。「カデンツァ」とは、協奏曲などで独奏者がオーケストラの伴奏なしで即興的に自由な音楽を入れる部分です。映画では、藤倉大氏が作曲した「春と修羅」に、どういう「カデンツァ」を各コンテスタントが付けるのかが、興味津々の場面になっています。「春と修羅」は、宮沢賢治が1924年(大正13年)に初めて出版した詩集です。70編の詩から成り、この中に「春と修羅」という単独の詩も含まれています。(宮沢賢治)全詩集は以下のサイトで読むことが出来ます。 <宮沢賢治「春と修羅」全詩>単独詩の「春と修羅」の冒頭部分を以下にコピペします。心象のはひいろはがねからあけびのつるはくもにからまりのばらのやぶや腐植の湿地いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様(正午の管楽よりもしげく 琥珀のかけらがそそぐとき)いかりのにがさまた青さ四月の気層のひかりの底を唾し はぎしりゆききするおれはひとりの修羅なのだ(風景はなみだにゆすれ)この詩、リュウちゃんには難解過ぎてサッパリ解りません(トホホ!)また、映画の中で幼い頃の栄伝亜夜と母親が交わす会話で、「あめゆじゆとてちてけんじや」というう呪文のような方言が出てきます。これは賢治が創作した「花巻弁もどきの方言」で、意味は「雨と雪を取って来てくれませんか」になるそうです。この言葉が出てくる詩は、詩集「春と修羅」に収録されている「永訣の朝」という単独詩です。以下にこの詩の冒頭部分をコピペします。けふのうちにとほくへいつてしまふわたくしのいもうとよみぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (*あめゆじゆとてちてけんじや)うすあかくいつそう陰惨な雲からみぞれはびちよびちよふつてくる (あめゆじゆとてちてけんじや)この詩は、宮沢賢治音痴のリュウちゃんでも少し解り易い(少しホッとしました)<プロコフィエフとバルトーク>映画の中で(小説も同じですが)、本戦に残った3人は以下のコンチェルトを選びます。◎栄伝亜夜→プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」◎マサル・カルロス・レヴィ・アナトール→プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」◎風間塵→バルトーク「ピアノ協奏曲第3番」この3曲、いずれも20世紀前半に初演されたコンチェルトです。大体、ショパンのピアノ協奏曲の100年後に出現した楽曲です。<セルゲイ・プロコフィエフ(1891年~1953年)>(プロコフィエフ)1891年、ロシア、ウクライナ生まれの大作曲家、ソビエト時代には、1882年生まれのストラヴィンスキー、1906年生まれのショスタコーヴィチと並ぶ「ソビエト3大作曲家の一人」であった。交響曲(7曲)を始め、クラシックのあらゆるジャンルの作品を残したが、自らが優れたピアニストでもあったため、ピアノ作品にも多くの名曲を残し、現代のピアノコンクールの本戦でも彼のピアノ協奏曲を採り上げるコンテスタントが多い。(日本でもよく知られている作品)★バレエ音楽「ロミオとジュリエット」、★組曲「三つのオレンジへの恋」、★交響的物語「ピーターと狼」、★交響組曲「キージェ中尉」、など映画の中で栄伝亜夜はマサルと共にプロコフィエフのコンチェルトを選んだ理由として、「この曲(2)番は初演(1913年)の時は散々な不評に終わったけど、ディァギレフ(1872年生まれのロシアの芸術プロデューサー、特にストラヴィンスキーの「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」をプロデュースしたことで著名な人物)が初演直後にこの曲を認め、彼にバレエ音楽を作曲書かせたの、この曲は素敵よ」と、マサルに語ります。亜夜の弾くプロコのコンチェルトは確かに素晴らしかったですね。<バルトーク・ベーラ(1888年~1945年)>(バルトーク)ハンガリーが生んだ大作曲家、ピアニストでありハンガリーの民族音楽研究家でもある。20世紀を代表する作曲家の一人、(日本でもよく知られている作品)★ピアノのためdの練習曲集「ミクロコスモス」、★「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽」、★「管弦楽のための協奏曲」、★オペラ「青ひげ公の城」、★パントマイム「中国の不思議な役人」、★「弦楽四重奏曲」(6曲)など、風間塵が本戦の演奏曲に選んだ「ピアノ協奏曲第3番」は、バルトークの最後の作品の一つで、死との競争で作曲を急ぎましたが、残念ながら最後の17小節を残してバルトークの命は尽きてしまいました。最後の17小節は知人でハンガリー出身の作曲家・ティボール・シェルイによって補筆され、完成したのです。以上、小説と映画の「蜜蜂と遠雷」の細部に拘って、延々と文章を書き綴ってみましたが長過ぎてしまったようです(ゴメンなさい)この辺で小説と映画の魅力を纏めてみたいと思います。 <小説の魅力>恩田陸さんは「ノスタルジアの魔術師」と称されているように、郷愁を帯びたファンタジー小説に秀でた作家です。このノスタルジックなファンタシー小説という特性は特に初期の「三月は深き紅の淵を」、「光の帝国」、「麦の海に沈む果実」などで顕著なのですが、「蜜蜂と遠雷」では、「文章で音楽をファンタスジックに描く」という「離れ業」をやっています。音楽の演奏は、聴き手にとりましては、演奏者の演奏する音が一瞬、聴衆の耳に飛び込み、次の一瞬には前の音が消えてしまい、次の音に移行し、その音も一瞬に消えてしまい、次の音に移って行きます。音楽はいわば「瞬間芸術」であり、プロコフィエフのピアノ曲のタイトルにもある「束の間の幻影」なのです。<プロコフィエフ「束の間の幻影」Op-22-ボリス・ベルマン>プロコフィエフの「束の間の幻影」というタイトルは同時代のロシアの象徴主義の詩人・コンスタンチン・バリモントの、以下の言葉から取られています。「あらゆる刹那の瞬間に私は世界を見る、虹色にちらつく光に満たされた世界を……」以上の言葉を音楽に置き換えてみますと、「音楽を聴く聴衆は、演奏のあらゆる刹那の瞬間に虹色にちらつく光に満たされた世界を見る」ということになります。小説の中で、「文章で音楽を描く」の例を幾つか挙げてみます。(例1):栄伝亜夜 第2次予選「リスト:超絶技巧練習曲「鬼火」の文章表現、「見える・・・本当に、鬼火が・・・冷たい、暗闇に揺れる炎。湿っぽい、リンの匂いが漂ってきそうだ。めまぐるしく動き回るたくさんの青い炎。浮かんでは消え、消えては現れ、ゆらゆらと上下し、時に大きく、時にしぼんで小さくなる」<リスト「鬼火」,/演奏:福間洸太朗> (例2):風間塵 第1次予選「モーツァルト:ピアノ・ソナタK332」の文章表現、「まさにモーツァツトの、すこんと突き抜けた至上のメロディ。泥の中から純白の蕾を開いた大輪の蓮の花のごとく、なんのためらいも、疑いもない。降り注ぐ光を当然のごとく両手いっぱいに受け止めるのみ」(例3):高島明石 第2次予選「ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三楽章」の文章表現、「ここは思い切り華やかな導入だ。ぱっきりと鐘の音のように華やかに、硬質な音を響かせよう。なんだか周りに色が見える。これはペトルーシュカの色。明るく、モダンな、エスプリに満ちた、しゃれた色彩だ。桑畑からイギリス海岸、そしてヨーロッパへと旅をしているみたいだ」声楽曲を除いて、音楽は言葉を持ちません。また、言葉(文章)は「音」(音楽)を持っていません。言葉(文章)と音楽は本来は「水と油」の関係で、全く別次元の存在の筈です。恩田陸さんがこの小説で試みたことは、上記のバリモントの言葉を手掛かりに、音楽を文章で表現することにより、「別次元である言葉と音楽の間に橋を架けた」ことだとリュウちゃんは強く思いました。小説のもう一つの魅力は、コンテスタントたちのピュアで清潔な関係です。普通、このような若者が競い合うコンクールでは、競争心や嫉妬心がむき出しになる筈ですが、「蜜蜂と遠雷」の4人のコンテスタントには、このような感情は一切ありません。そして、「恋愛感情」も殆ど無いのです。それどころか、彼らはコンクールが進むにつれて、「音楽」という一本の絆に結ばれ、お互いに無二の友人になって行きます。「音楽」の絆で一本に結ばれた「ミューズの子」達、気高く、美しく、爽やかだ!<映画の魅力>原作者の恩田陸さんが、「映画化は無謀」と語っていましたが、リュウちゃんも小説を読んだ時にそう思いました。恩田さんの小説のテーマは、「文章でリアルに優れた音楽を表現する」ことです。もしリュウちゃんがこの小説を映画化するプロデューサーの立場であれば、すぐに以下のような困難にぶつかる筈です。★あの膨大な小説をどのようにして2時間強の映画に短縮するのか?かって野村芳太郎が松本清張の膨大なミステリー小説「砂の器」を2時間23分の映画に創り上げた時のように、人物設定まで変えてしまわなければならないのか?★恩田さんが文章で描いた天才たちの演奏を、実際に実現出来る演奏家が存在しているのか。また各コンテスタントの音楽性の違いを、耳の肥えたクラシックファンが十分納得出来るレベルで、実際の演奏家が弾き分けることが出来るのか?★4人のコンテスタントの配役をどうするのか?、少なくても小説のコンテスタント達に容貌、雰囲気が似ていなくてはならない。しかも演奏のシーンでは、天才演奏家らしくピアノを弾かなければならない。このキャスティングも至難の技だ。★小説上の課題曲「春と修羅」の作曲を誰に依頼するのか?また、曲想はそうするのか、映画ファンにとって馴染みのない現代音楽風にするのか?それとも映画ファンに取って馴染みやすいロマン派風の音楽にするのか?(以前、野村芳太郎監督が松本清張の「砂の器」を映画化した時、原作では、主要登場人物の一人の作曲家・和賀英良は、ちょと武満徹を彷彿する天才現代音楽作曲家という設定だったのですが、映画で彼が演奏するピアノ協奏曲「宿命」は、ラフマニノフのようなロマン派の曲に変更されていたことを思い出しました。リュウちゃん、この映画は公開初日に観たのですが、当初、この変更には非常に不満でした。しかし、この変更のためにこの映画は大ヒットしたのです)リュウちゃんは「蜜蜂と遠雷」を読み進める中で、架空の課題曲「春と修羅」を、武満徹の「ピアノ・ディスタンス」を念頭に置いていました。<武満徹「ピアノ・ディスタンス」~ピーター・ゼルキン> で、実際に出来上がった映画は、このような「映画化は無謀」という至難な課題を、殆ど完璧に近いくらい、見事に解決していたのです!第一に、あの膨大な長編小説を、本筋は完全に残したまま、1時間58分の映画に纏め切ったこと、これは新進気鋭の石川慶(けい)監督・脚本の勝利ですね。第二に4人のコンテスタントの演奏ピアニストに、4人の世界的な天才ピアニストを起用したこと、これは画期的なことだと思いました。普通は、バック・ピアニストに4人も世界的なピアニストを起用しようなんて発想は浮かばないですね。お金も掛るし、スケジュール調整は大変です。映画化の一番の「壁」は、4人のコンテスタントのピアノ演奏のクオリティをどう確保するか、という点にあったと思います。この「壁」を、思い切って小説と同じような天才ピアニストを4人も起用することにより、見事に突破したのだとリュウちゃんは感じたのです。ひょっとすると、この演奏した4人を、それぞれの役で出演して頂いたら良かったのではないかとリュウちゃんは妄想するのですが、これは単なる妄想、やはり役者は役者、ピアニストはピアニスト、それぞれの領分を節度をもって守ったということなのでしょうね。ということで、「蜜蜂と遠雷」は、小説も素敵、映画も素敵!というのがリュウちゃんの結論なのです。このブログの最後に、リュウちゃんが一番印象に残ったシーンを二つ紹介します。一つは栄伝亜夜と風間塵が夜のピアノ試演室で連弾するシーン、(栄伝亜夜と風間塵の夜の連弾)これは動画がありますので、それを貼り付けます<栄伝亜夜と風間塵の連弾><ドビュッシー「月の光」~辻井伸行>もう一つは、コンクール後半で意気投合した4人が浜辺で遊ぶシーン、「音楽」という「蜜」を求める「蜜蜂」たちの遊ぶ海辺の向こうでは雷雲が発生し、「遠雷」が聞こえてくるのです。----- {追記:11月2日}本ブログ公開のあと、ちょっと気に掛ることがありまして、10月の末にもう一度この映画を観て来ました。気に掛ったのは、この映画のエンドロールです。エンドロールで流れた曲は何だったのか?この事につき、以前河村尚子さんのCDを贈ってもらったYちゃんに問い合わせしました(彼女はピアニストなのです)ところ、「映画は未見です。予告編を見る限り、あれはプロコの3番コンチェルトではないでしょうか?」との回答でした。最初にこの映画を観た時は、原作のようにマサルの本選曲はプロコフィエフの3番のコンチェルト、亜夜の本選曲は同じプロコフィエフの2番のコンチェルトだと思って聴いていました(リュウちゃんはプロコフィエフ音痴で、2番と3番の聴き分けが出来ないのです。トホホ!)ところが映画の2人の本戦の曲目は入れ替わっていたのです!映画の本戦曲目は、マサル→プロコフィエフの2番(原作では3番)亜夜→プロコフィエフの3番(原作では2番)何故、映画化に当たり、2人の本戦曲目を入れ替えたのか???ちょっと不可解ですが、リュウちゃんの仮説は以下です。★映画では、主要コンテスタントの内、亜夜が主役になるように脚本が作られ、映画も亜夜が主役だった。★亜夜が主役であるので、ラストシーンは彼女の本戦の弾き終りのシーンにした。原作だったら、このシーンはプロコフィエフの2番のフィナーレを持ってくるところだが、2番は3番に比べ、知名度が低く、ラストシーンの演奏曲目としては知名度の点で難があると考え、亜夜の本選曲をコンクールの人気曲である3番に差し替えた。この仮説、「当たるも八卦」なのです(苦笑)さて、冒頭の気掛かり、エンドロールで流れた曲は何だったのか?です。以下の2曲を繋いだものだったようです。(エンドロール曲)(1)バラキレフ:「イスラメイ」(演奏:福間 洸太朗)(2)プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番第3楽章フィナーレ(演奏:マルタ・アルゲリッチ)もう一つ、映画では亜夜の心象風景として、「雨の中を疾走する馬」が登場します。このシーンは何?という疑問を持たれた方も多いのではないかと思いますが、この「雨の馬」は原作にも以下のように登場してきます。「、、、不意に、遠い昔のことを思い出した。まだピアノを弾き始めたばかりの頃。窓辺でじっと雨音を聴いていた時のこと。トタン屋根に落ちる雨が不思議なリズムを刻み、初めて「雨の馬が走ってる」と気付いた時。はっきりと、天を駆ける馬のギャロップが聞こえてきた瞬間。亜夜は、目の前の雨の匂いを嗅ぎ、当時の小さな自分の中にすっぽり入りこんでしまったような気がした、、、、」要は亜夜の幼い頃の心象風景なのですが、原作は「天を駆ける馬のギャロップ」という「明るい心象風景」であるのに対し、映画の「雨の馬」は異形で暗い、まるで聖書の「蒼ざめた馬」(死)です。このシーンも原作の「明るさ」を映画では「暗さ」に変換したのか?ちょっと不可解ではありましたが、印象にのこったシーンだったのです。{追記の追記、11月2日}本日、恩田陸さんの数少ない長編ミステリー小説「ユ―ジニア」読了、この小説のヒロインも、「ほら、聞いてごらん、世界はこんなに音楽に満ちている」と語るのでした。
2019年10月17日
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ラストシーンに滂沱の涙!累計900万部を売り上げた東野圭吾の感動作これは「メビウスの輪」のように過去と現在を繋ぐ「再生」の物語だ!先日、話題の日本映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を観てきました。<映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」公式サイト>http://namiya-movie.jp/例によりまして何の予備知識も無く映画館に出掛けました。事前に見たのは新聞広告のスチール写真と西田敏行の写真だけ。この映画、「三丁目の夕日」か「男はつらいよ」のようなレトロな映画なのかな?しかし、映画が進むにつれて、物語の異様な構想が段々明らかになってきました。さすが、ミステリーの巨匠、東野圭吾の原作作品、面白い!<映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ができるまで>https://www.youtube.com/watch?v=pimcI9YSqmk&spfreload=1物語は2012年9月12日の深夜、3人の不良青年が強盗を働き、盗んだ車で逃げるシーンから始まります。まもなく車はエンスト、仕方なく不良青年の一人が事前に見つけておいた「ナミヤ雑貨店」という廃屋に日の出まで隠れることにします。<ナミヤ雑貨店>午前2時、鍵の掛かっていない「ナミヤ雑貨店」に侵入すると、まもなくシャッターの郵便物投函口に一通の手紙が投函されます。その手紙は何と、1980年から32年の時空を超えて届いた「悩み相談の手紙」だったのです。廃屋「ナミヤ雑貨店」はタイムカプセルという設定なのだ!3人の青年は最初はこの不思議な「悩み相談の手紙」を無視していましたが、やがて一人の青年が、「この手紙に返事を書く」ことになり、段々3人共、手紙で返事を書くことにハマって行きます。以後、次々と悩み相談の手紙が投函され、その手紙に返事を書くのですが、その中で悩み相談の手紙の投函者が、3人の不良青年と「一つの共通点」があることが分かってきます。そして最後の投函者、彼女の身分が判明することにより、物語は「メビウスの輪」のように発端に回帰し、感動のラストを迎えることになります。この3人の不良青年が物語の「狂言回し」、以下にこの3人を紹介します。◎敦也→3人のリーダー格、最初は「悩み相談」の手紙をニヒルに無視していましたが、段々ハマって行き、「最後の投函者」への返事は彼が中心となって書くという設定です。演じるのは、ジャニーズのグループ「Hey! Say! JUMP(ヘイ! セイ! ジャンプ)」のメンバー、山田涼介です。◎翔太→まだ少年の面影を残す小柄な青年、演じているのは村上虹郎、彼は2014年に川瀬直美監督の映画「2つ目の窓」でいきなり主役に抜擢されたシンデレラボーイです。◎幸平→大柄ですが気の弱い青年、演じているのは「寛一郎(かん・いちろう)」、彼は名優「佐藤浩市」の息子(三国連太郎の孫)で、この映画が「俳優デビュー」作になります。そして、もう一人の「狂言回し」役、かって「ナミヤ雑貨店」の店主であり、悩み相談の発案者であった「波矢雄治」、演じるのは、今年70歳になる西田敏行です。映画では80歳くらいの老人だが、リュウちゃんより1歳若いのだ!この西田敏行、まるで晩年の「寅さん」だ!<最初の悩み相談の投函者~魚屋ミュージシャン「松岡克郎」>実家が小さい魚屋、年老いた父が魚屋を経営している、息子の克郎が跡取りになることを期待しているが、克郎は芽の出ないミュージシャン志望、ミュージシャンをそのまま続けるべきか、親の魚屋を継ぐべきかという「悩み相談」の手紙を「ナミヤ雑貨店」に投函」します。演じているのは、2007年に映画「バッテリー」でいきなり主役として俳優デビューした林 遣都(はやし けんと)です。克郎は或る日、「ナミヤ雑貨店」のシャッターの前で、まだ発表する機会のない自作の曲をハーモニカで吹きます。このメロディ、不良青年3人組にとっては、懐かしく忘れられない曲だったのだ!親の魚屋を継がず、芽の出ないアマチュア・ミュージシャンの克郎は、ある年のクリスマスに、「丸光園」という児童養護施設で慰問ライブをします。そこでエキセントリックな少女・セリに出逢います。セリは克郎が歌うクリスマスソングには全く反応を示しませんでしたが、彼がアンコールとして演奏した曲には異常とも云える反応を示します。この曲こそ、克郎が「ナミヤ雑貨店」のシャッターの前でハーモニカで吹いた曲だったのです!幼い少女「セリ」を演じたのは、今人気絶頂の子役タレント、鈴木 梨央(すずき りお)ちゃんなのです。(鈴木 梨央ちゃん)克郎は慰問の夜、「丸光園」に泊まります。翌朝未明、「丸光園」が火事、克郎は一旦脱出したのですが、「セリ」の弟が園の中に取り残される、弟を助けようとして再び猛火の園内に入っていく克郎、結果、弟は助かりましたが克郎はここで死亡、セリにとって克郎は、「弟の命の恩人」になったのです。後年、セリは克郎が果たせなかったプロ・ミュージシャンの夢を果たします。ヴォーカリストの彼女の一番大切な歌は、「ナミヤ雑貨店」の前でハーモニカで吹いたあのメロディ、セリがクリスマスに初めて聞いたメロディ、「REBORN(リボーンー再生)」だったのです。<成人したセリ(門脇麦)が歌う「再生」>https://www.youtube.com/watch?v=GMUiipgOPVY(門脇麦の演じる歌姫「セリ」)何故、不良青年3人組は「再生」を懐かしく感じたのか?それは3人組が全員「丸光園」の出身者だったからなのです!<2番目の悩み相談者~グリーンリバーこと「川辺ミドリ」>この悩み相談は3人組に来た手紙ではなく、死ぬ直前の波矢雄治に届いたものです。「グリーンリバー」と名乗るは「妊娠したが、相手の男性が妻子持ちなので困っています。子供を産むべきでしょうか?」という相談を投稿します。この相談に対し、波矢雄治は、「大事なことは生まれてくる子供が幸せになれるかどうかだ。貴女に子供を絶対に幸せにするという覚悟があるのなら産みなさい、その覚悟がないのなら産まないほうがいい」と回答します。それから約2年後、新聞に小さな事故の記事が出ます。「川辺ミドリさん、1歳の娘を乗せた軽乗用車で海に転落、川辺さんは死亡、娘は奇蹟的に助かった」この記事を読み、波矢雄治は愕然とします。川=リバー、ミドリ=グリーン、川辺ミドリ=グリーンリバー間違いない、あの時の悩み相談のグリーンリバーさんだ!「俺の返事で彼女は幸せになれなかった、俺の返事は間違っていたのか?」波矢雄治が死ぬ直前、「グリーンリバーの娘」から感謝の手紙が投函されます。<グリーンリバーの娘こと、川辺映子を演じた山下リオ>「私が1歳の時、母親が事故死しました。同乗していた私は奇蹟的に助かり、「丸光園」という児童養護施設に預けられ、ここで成長しました。幼い頃は母のことは全く知らなかったのですが、中学生になった時、ある機会に自分が母親に無理心中させられたことを知りました。<自分はうまれてこないほうが良かった人間なのだ!>、絶望し、自殺を図りましたが未遂に終わり、病院に入院しました。その時に見舞いに来てくれたのが「丸光園」で唯一の友人である「セリ」でした。「セリ」から「丸光園」に保管されていた母の形見の「ナミヤ雑貨店からの返事の手紙」を見せられました。<この手紙を死ぬ間際まで大切に持っていたということは、母は私を幸せにしようと最期まで考えていたのだ、車の転落は無理心中では無かった、仕事に疲れた母が居眠り運転をしてしまった事故だったのだ!>今、私はミュージシャンになった「セリ」:のマネージャーをしています」この手紙、2012年の未来から1980年の波矢雄治に時空を超えて届いた手紙だったのです!<3番目の、そして最後の悩み相談者~迷える子犬こと「田村晴美」>少し「ネタバレ」が過ぎたような感じがしています。この映画は、「迷える子犬」さんこと、「田村晴美」の4通目の手紙で、「メビウスの輪」のように全体の話が有機的に繋がり、「感動のラスト」を迎えます。「田村晴美」を演じたのは、奈良県出身の女優・尾野真千子、15歳の時に河瀬直美監督に見いだされ、河瀬監督の出世作「萌の朱雀」でデビューしました。「ナミヤ雑貨店」の奇蹟」で、尾野真千子は、19歳から51歳までの「田村晴美」を演じました。実はリュウちゃん、この映画を2回観たのですが、2回共、「若い時の田村晴美は尾野真千子とは別の女優が演じている」と思ってしまいました。2回観た後でネットで調べ、初めて尾野真千子が一人で演じ切っていると判った次第です。尾野真千子の演技力、凄い!<「REBORN(再生)>映画の中でミュージシャンになった「セリ」(門脇麦)が歌う「REBORN」は、シンガー・ソングライターの山下達郎の50枚目のシングル盤として2017年9月13日に発売されました。映画ではエンディングで流されます。<山下達郎><山下達郎「REBORN」>https://www.youtube.com/watch?v=HX5St4TS0cAこの映画を2回観たリュウちゃん、既にリュウちゃんの心の中ではネタバレしているので、2回目は涙ウルウルにはならないだろうと思っていたのですが、あにはからんや、2回目のほうが一層涙ウルウル!この映画はリュウちゃんの今年のベスト映画になったのだ!2回映画を観たあとで原作を読みました。原作は5話のオムニバス中編小説集、映画はこのうち、3話を取り上げています。原作も凄く良かったですよ!
2017年10月23日
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辞書は言葉の海を渡る舟、その舟を編んでいく編集者の苦闘の物語映画「舟を編む」予告編http://www.youtube.com/watch?v=0kwCc-1o1lc 先日、2013年第87回キネマ旬報ベスト10が発表されました。この映画賞は、日本映画・外国映画それぞれ10本、計20本を選ぶものです。以下に今年のベスト10を紹介致します(カッコ内は監督です) (日本映画)1位:「ペコロスの母に会いに行く」(森崎東)2位:「舟を編む」(石井裕也)3位:「凶悪」(白石和彌)4位:「かぐや姫の物語」(高畑勲)5位:「共喰い」(青山真治)6位:「そして父になる」(是枝裕和)7位:「風立ちぬ」(宮崎駿)8位:「さよなら渓谷」(大森立嗣)9位:「もらとりあむタマ子」(山下敦弘)10位:「フラッシュバックメモリーズ3D」(松江哲明) (外国映画)1位:「愛 アムール」(ミヒャエル・ハネケ)2位「ゼロ・グラビティ」(アルフォンソ・キュアロン)3位:「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ)4位:「セデック・バレ第1、2部」(魏徳聖)5位:「三姉妹~雲南の子」(ワン・ビン)6位:「ホーリー・モーターズ」(レオス・カラックス)7位:「ライフ・オブ・パイ~トラと漂流した227日」(アン・リー)8位・「ザ・マスター」(ポール・トーマス・アンダーソン)9位:「熱波」(ミゲル・ゴメス)10位:「もうひとりの息子」(ロレーヌ・レビ) リュウちゃん、昨年は月に2回ほど、近所のシネコンに足を運び、例年になく多くの映画を観た筈ですが、上記キネ旬のベストテン20本の内、観たのは邦画4本(「舟を編む」、「かぐや姫の物語」、「そして父になる」、「風立ちぬ」)と洋画2本(「ゼロ・グラビティ」、「ライフ・オブ・パイ」)の計6本だけでした。 う~ん、あまり観ているとはいえないなぁ 昨年観た映画の中では、ブログに書かなかった「舟を編む」が、実はリュウちゃんの昨年の「マイ・ベストシネマ」になりました。このブログでは、「舟を編む」について少し書いて見たいと思います。 ◎ 映画「舟を編む」(リュウちゃんのメモ) ★原作は「まほろ駅多田便利軒」で直木賞を受賞した三浦しをん、2012年に発表した「舟を編む」で、本屋大賞受賞。★(ストーリーの骨子)(1) 出版社「玄武書房」では、中型国語辞典「大渡海」の刊行準備が進められていた。ベテラン編集員の退職に伴い、新しい辞書編集部員を社内からスカウトすることになったが、そこで白羽の矢が立ったのが、営業部で燻っていたオタク社員、馬締 光也(まじめ みつや)である。(2) 馬締は言語学の大学院を卒業して、この出版社に就職したが、人との健全なコミュニケーションが出来ない人間で、職場の中では変人扱いされていたが、辞書編集部に配置されてから、この仕事を天職と考えるようになり、徐々に同僚や仕事の関係者など、周辺の人たちに心を開いていく。(3) 馬締は学生時代から「早雲荘」という古い下宿屋に住んでいた。大家のタケおばさんは彼の唯一の理解者だったが、彼の唯一の友達は、この下宿屋の飼い猫の「トラさん」だった。(4) ある日、この下宿屋に「かぐや(香具矢)さん」という、タケおばさんの孫娘が同居することになるが、馬締は忽ち彼女に惚れてしまう。(5) 恋に不器用な馬締だったが、何とか恋を成就させ、かぐやさんを生涯の伴侶とし、「大渡海」の編纂に邁進、約15年かけて「大渡海」発売に漕ぎ着ける。発売パーティの翌日から「大渡海」の改定作業に取り掛かる。 ★ (リュウちゃんの断片的感想)(1) 辞書編纂の過程が詳細に描かれており興味津々だった。辞書編纂には、まず「用例採集」といって、辞書に入れる言葉をカードに書き出し、その言葉の使用例をこのカードに書いて行くという地道な作業が基本となる。「玄武書房」の資料室には、100万点の「用例採集カード」が保存されているが、日々この採集カードを持ち歩き、新しい言葉を採集するのである。「大渡海」編纂に際しては、この100万点のカードから、辞書に採用する24万の「見出し語」を選び出し、それに「語釈」(言葉の意味)を独自に付けていくのである。正に気の遠くなる作業だ。(2) ベテラン編集部員の荒木は、新編集部員のスカウトにあたり、「君、「右」という言葉を説明出来るかい?」という質問を連発する。昔、マーティン・ガードナーの「自然界における右と左」という本を読んだことがあるが、宇宙人に地球の「右」の概念を正確に伝えることは不可能なのだそうだ。言葉は、この例のように、一語だけ取ってみても、「語釈」は大変難しい。「言葉の海」は、とてつもなく広く深い。「言葉の海」に果敢に航海する人間の姿に感動した。(3) 馬締君とかぐやさんの恋については、「男はつらいよ~寅次郎夢枕」の岡倉先生(米倉斉加年)の、お千代さん(八千草薫)に対する恋物語を思い出した。この映画は、「男はつらいよ」のオマージュのようにリュウちゃんは感じた。(4) 馬締君を演じた松田龍平、かぐやさんを演じた宮崎あおい以下、演技陣が素晴らしかった!馬締君の先輩のオダギリジョー、「大渡海」の監修者の加藤剛、その夫人の八千草薫、タケさんの渡辺美佐子など、大ベテラン俳優と新鋭俳優のアンサンブルが素敵だった。特に主役の松龍平の馬締君になり切った演技に感動した。彼はこの作品の演技で、キネマ旬報主演男優賞受賞の他、報知映画賞、日本アカデミー賞、毎日映画コンクールで主演男優賞を受賞、今年の数々の映画賞の主演男優賞を総ナメにした。素晴らしい俳優だ!(5) この映画は劇場で1度観て感激、DVDで2度、計3度観たが、飽きるどころか、益々面白くなってきた。リュウちゃんにとっては、「生涯のエヴァーグリーン」の1本になったと思っている。 この映画を劇場で見落とした人も、是非DVDをご覧頂きたいと思います。 広大な「言葉の海」に浸る幸せが満喫出来ますよ!
2014年01月23日
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姫の犯した罪と罰、それは何か? 先日、スタジオジプリの新作、「かぐや姫の物語」を観てきました。「かぐや姫の物語」HPhttp://kaguyahime-monogatari.jp/ (予告編)http://www.youtube.com/watch?v=RUnsfvLCWrk 今年は夏に宮崎駿の「風立ちぬ」が公開、既に興行収入は120億円に迫ろうとしています。宮崎駿と共に、ジプリの「車の両輪」である高畑勲の14年ぶりとなる新作、リュウちゃんは2つの意味で興味津々でした。 リュウちゃんが興味津々となった理由の一つ目は、高畑勲が、リュウちゃんと同じ三重県伊勢市の出身であると知ったことです。しかし、伊勢に住んでいたのは、どうやら幼児期だけだったようで、岡山県の朝日高校~東大仏文科を卒業しました。伊勢市出身と知って、ひょっとしたら、リュウちゃんの卒業した高校の前身の「宇治山田中学校」の出身なのではないかと淡い期待(笑)をしたのですが、その期待は見事に裏切られました。しかし、伊勢市出身というだけで、何やら近しい人物のように感じられるのです。 もうひとつの理由は、原作の「竹取物語」の発生した場所が、リュウちゃんの住んでいる近隣の奈良県北葛城郡広陵町であるという点です。広陵町のキャッチフレースは、「かぐや姫のまち」です。、広陵町では、以下のような「かぐや姫伝説」を掲載したパンフレットを作成しています。http://www.town.koryo.nara.jp/contents_detail.php?frmId=19 上記パンフレットによれば、「竹取物語」は、日本最古の物語とされ、「壬申の乱」(672年)頃に成立したとされています。竹取翁の名前が「讃岐造(さぬきのみやつこ)」と記されていて、この名前から、広陵町が、「かぐや姫の物語」の発祥の地であるとパンフレットは主張していますが、近所に住んでいるリュウちゃんと致しましては、この文は相当説得力がありました。 ★原作の[竹取物語」とアニメとの相違点 以下に「竹取物語」原文と現代語訳を併記したサイトを貼り付けます。http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/taketoripage.htm 高畑勲のアニメと、原作の「竹取物語」の大きな相違点は以下の点です。 原作では、「帳のうちよりも出ださず、いつき養ふ」とあるように、姫は生まれてから都に上るまで一歩も外に出なかったのですが、アニメでは自由に野山を駆け巡り、田舎の庶民の子供らしく、蛙や虫に好奇心を寄せます。この部分及び都に上ってからも、お歯黒・引眉をせず、田舎育ちのままのお転婆娘だったというエピソードは「堤中納言物語」の中の「虫愛づる姫君」から取ってきたものだと思います(尚、宮崎駿は「風の谷のナウシカ」のヒロイン、ナウシカのキャラを「虫愛づる姫君」から着想したようです) また、「捨丸」という賤民の子供と友達になります。2人は淡い恋心を抱くようになり、ラストに近いシーンでは、月からのお迎えを拒否して、2人で駈落ちすることを夢想しますが、それもかなわず、姫は月に帰って行きます。 「竹取物語」の中に、新しく「捨丸」のエピソードを挿入したことで、この映画は大きな膨らみと奥行きが加わったとリュウちゃんは思いました。 捨丸は、狩りをして山々を渡り歩く民の子供です。いわば、東北地方にあった「マタギ」のような生活をしています。彼らは都に出れば、最下層の「賎民」として扱われます。狩りが出来ない時は都に出て、泥棒行為をしなければ命を繋げないような貧しい生活をしています。しかし、生活は貧しくとも、心は豊かです。地上に降りたかぐや姫が、唯一この地上で恋をした相手が、帝でも貴公子でもなく、賎民の捨丸だったことは、この映画の一番の見どころとなりました。 かぐや姫と捨丸が自由に空中浮遊するシーンは、このアニメの最も美しいシーンでした。 ★ かぐや姫の犯した「罪と罰」とは何だったのか? 高畑勲監督は、このアニメの製作に当たってのメッセージとして、以下のように語っています。「迎えも来た月の使者は「かぐや姫は罪を犯したので、この地に下した~その罪の償いが終わったので、こうして迎えに来た」、いったい、かぐや姫の犯した罪とは、どんな罪で、この地に下ろされたのが罰ならば、それが何故解けたのか?、、、」 この映画のキャッチフレーズは「姫の犯した罪と罰」です。リュウちゃんがこの映画を観た最大の興味は、「果たして高畑勲監督は、姫の犯した罪と罰に、どういう解答を出すのだろうか?」という点でした。 しかし、映画を観た限りでは、明確な解答は得られませんでしたので、以下にリュウちゃんが映画から受けた印象から考えた見解を書いてみます。 ★ 「姫が犯した罪と罰」のリュウちゃんの見解 (1)「竹取物語」で、月の世界は極楽(天国)、地上は地獄・餓鬼・畜生・・修羅・人間・天(地獄・煉獄)、悩みは無いが退屈な世界。(2)キリスト教では、アダムとイブは、「知恵の木の実」を食べるという「原罪」を犯し、楽園を追放された。そして、以来、人間は苦労して働き、死ぬ運命になった。(3)かぐや姫も、アダムとイブにような「原罪」を犯し、地上に下された。(4)原作の「竹取物語」では、帝や貴公子などの醜さに嫌気がさし、月に帰っていったが、「かぐや姫の物語」では、原作にない「捨丸」の創造と、彼との「恋」を設定することにより、苦労はあっても人間世界の素晴らしさが姫には体感された。(5)原作の「竹取物語」は、人間世界を「苦界」、月の世界を「極楽浄土」と対比し、「極楽浄土」に行くことが人間の理想であると説いた「仏教説話」の要素が強いが、「かぐや姫の物語」は、逆に、「苦界」である人間世界こそが、苦労はあっても天上の「極楽浄土」に勝るとも劣らない世界であるとの高畑勲の強いメッセージを感じた。 以上がリュウちゃんの見解ですが、ご覧になった皆様は、「姫の犯した罪と罰」に関して、どんな感想を持たれたでしょうか?
2013年12月13日
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息子を取り違えられた二組の夫婦血の繋がり、一緒に生活した時間、どちらが大切なのか? 是枝裕和監督が、この映画を着想したのは、以下のような経緯があったようです(以下、リュウちゃんの前回のブログで貼り付けた「対談」の一部を抜粋します) (河瀬直美)それに今の自分の家族で、子どもが「お父さん何してるんだろうな、きょう日曜日だけどなあ」とか、今日思ってないんですか?それは大丈夫ですか?(是枝裕和)それはあったよ~娘が3歳だったかな。結構長期で九州のロケだったから、長期に家を空けて、久しぶりに戻ったら、お互いに緊張しちゃって、部屋の隅と隅で、どういう声を掛けたらいいんだろうか分かんなくて、ようやく馴染んだなと思って、翌日、仕事に行くときに「また来てね」って言われた。ほんとに言うんだ、これギャグじゃないんだと思って、よくそういう冗談を聞いた記憶があるんだけど、ほんとに言われっちまったなあと思って、これはまずい、と思って、自分とこの子をつないでるものってのは、こっちが意識してるよりももっと何か、娘の方では、いない間に切れてるなと思った。 父親と子どもをつないでるのは、いったい何なんだろうか。血のつながりに頼ってていいんだろうか、それともやっぱり共有される時間というのが大事なんだろうか、っていうのは切実な問いとして、それからあって、それだから、今度の『そして父になる』という、血なのか時間なのかとどっちか選ばなくっちゃいけない父親というのは、そのへんの自分の自問自答から生まれている映画ではあるので、、、 上記、「是枝×河瀬対談」で是枝監督が語っているように、「そして父になる」は、産院で息子を取り違えられた二組の夫婦と子供たちのドラマです。福山雅治×尾野真千子演じるエリート・サラリーマン夫婦、都心の高級マンションに住み、息子に自分のようなエリートになって欲しいと期待していますが、普段は仕事の忙しさにかまけて、息子と親しく接する機会を殆ど持っていません。 リリー・フランキー×真木よう子演じる、もう一組の夫婦は、群馬で小さな電気店を営む「庶民」です。この夫の職場は、家庭でもある電気店なので、彼はいつも子供と一緒に生活しています、お風呂に入るのも子供達と一緒、子供達を自由奔放に育てている、「いいオヤジ」なのです。 この二組の対照的な夫婦の間に、同じ病院で出産した「赤ちゃん取り違え事件」が持ち上がります。 6年も自分の子供として育てた息子が、実は他人の子供だった! 映画は、息子の「取り違え」が発覚したところから始まり、二組の夫婦の葛藤、子供達の葛藤をきめ細かく描いて行きます。結局、お互いの子供を交換し、実の父母の所に戻す結論になりますが、その過程で、いきなり交換するのではなく、お互いの家に交換ホームスティさせ、段々と子供達に慣れさせ、納得させて行く、この過程がこの映画の「見所」だとリュウちゃんは思いました。 この映画のエンドロールには、参考文献として、奥野修司著「ねじれた絆~赤ちゃん取り違え事件の十七年」という本が挙げられています、この本は、1977年に沖縄で起きた「赤ちゃん取り違え事件」を、その後日談まで克明に追跡したノンフィクションですが、あくまでもこの映画の参考文献であり、「原作」とも、「原案」とも違うようです。 ★ グレン・グールドの弾くバッハ「ゴルトベルク変奏曲」の「アリア」、http://www.youtube.com/watch?v=N2YMSt3yfko 「そして父になる」でリュウちゃんがビックリしたのは、映画音楽として上記グールドの弾くバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の冒頭の「アリア」が3回に渡って使われていたことでした。 これ、どんな意味があるのだ? 「ゴルトベルク変奏曲」を使った映画としては、1991年公開の「羊たちの沈黙」を初めとして、幾つかの映画で使われた人気曲ですが、激しいアクションを伴う映画に使われるのが常でした。 是枝監督は、或るインタビューで、以下のように語っています。 (是枝)グールドは、20年くらい前、テレビのドキュメンタリーで一度使ったことがあって、それ以降、何枚か買って持っていたんです。今回、ピアノ曲をいろいろ当ててみた中で、いちばんしっくりくるのがグールドだった。ただ、最初は本物は使えないということだったので、「グールドみたいな音」にしようと思っていたんですけど(笑)、結果的に許可が下りたので良かったですね。 「ゴルトベルク変奏曲」は始めと終りに「アリア」があり、その間を30の変奏曲の計32曲で構成されている音楽です。「アリア」は、日常的な音楽といいますか、ある腫、混沌とした音楽です。最後の「アリア」は、また最初の「アリア」に戻り、未来永劫に続いて行く、、、この映画の主人公達も、子供達も、あの映画のラストで全てが解決された訳でなく、ドラマは未来に続いて行く、、、 、「ゴルトベルク変奏曲」のアリア」をこの映画で3回も使ったのは、このような意味があったのではないかと、リュウちゃんは勝手な妄想をしたのですが、皆様はどう考えられるのでしょうか? 最後に、リュウちゃんのブログ友達で、小説家、イラストレーターでもある花村美葉さんの素敵なブログを紹介させて頂きます。http://plaza.rakuten.co.jp/mitamitamita501/diary/201310040001/ 彼女はこのブログで以下のように言っています。 「そして、父になる」を観てきました! わたしここ数年、映画を観て涙が出るって事なかったのですが、この映画にはとても感動しました・・・・。暫く、余韻が冷めやらず・・・思わず拍手してしまいそうになりました・・・。 皆さま、秀逸なこの映画、観て損は無し! です!
2013年10月23日
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18年来の「心の友」是枝裕和監督と河瀬直美監督「ならシネマテーク」で熱いトークショウ開催。(「ならシネマテーク」での是枝監督と河瀬監督) 今年の4月から、常設映画館の無い奈良市で、「ならシネマテーク」というイベントが始まりました。このイベントは、今年のカンヌ映画祭で審査員を務めた河瀬直美監督が主唱して始まりました。毎月、上旬の金~日曜日の3日間だけ、いろいろな場所で35mmフィルムを使って、心に残る名画や面白い映画を上映して行こうという試みです。http://www.nara-iff.jp/blog/2013/03/post-105.php 4月12~14日の第1回「ならシネマテーク」では、深作欣二監督の「仁義なき戦い」が上映され、奈良在住の映画監督で、「仁義なき戦い」の大ファンと自称する井筒和幸監督が映画上映のあと、熱いトークショウを行いました。 7月12~14日の「ならシネマテーク」の上映作品は、是枝裕和監督の「誰も知らない」でした。14日の最終上映の後、このイベントのハイライトとも言える是枝裕和監督と河瀬直美監督のトークショウが、何と、1時間半に渡って行われたのです!http://www.nara-iff.jp/blog/2013/07/7-3.php 5月に「そして父になる」がカンヌ映画祭で審査員賞受賞、9月末に全国公開が決定。 この忙しい時期に、何故、奈良というローカルな地域で、こんな贅沢な企画が実現したのか? その答えは、以下のトークショウの中身に隠されていました。(尚、下記のトークショウの「文字起し」は、河瀬監督のカンヌ映画祭グランプリ受賞作「殯(もがり)の森」で尾野真千子と共演した「うだしげき」さんによって行われました) 「ならシネマテーク」是枝監督×河瀬監督トークショウ(1)http://www.nara-iff.jp/blog/2013/07/post-117.php「ならシネマテーク」是枝監督×河瀬監督トークショウ(2)http://www.nara-iff.jp/blog/2013/08/post-121.phpならシネマテーク」是枝監督×河瀬監督トークショウ(3)http://www.nara-iff.jp/blog/2013/10/post-123.php 実はリュウちゃんも、このトークショウに参加したのですが、対談の名手とも言える2人の監督の熱く、中味の濃いトークに魅せられました。このトークショウの対話は、(1) この日上映された「誰も知らない」についての対話(2) カンヌ映画祭についての対話(3) テレビドラマと映画とのモチべーションの違い~阿部寛の話~是枝監督の友人・矢野良多氏の話(4) オリジナル映画を作り続けるということについて(5) お客様との質疑応答 このトークショウは正味1時間半に渡って行われたので、上記3回の対談の分量は膨大なものとなりました。普段のインタビューでは決して語られない興味深い話が満載されていますので、是枝監督に関心がある方は是非、全文を読んで頂きたいのですが、以下では、是枝監督と河瀬直美監督の18年に及ぶ交遊について語った部分を抜粋して見ました。 ★是枝監督と河瀬直美監督の交遊について(対談抜粋)(是枝)、、これからどうやって撮り続けるか、僕も51歳になったので、 (河瀬)え~え~、(是枝監督を)33歳の時から知っているんです。私は26歳でしたけどね。 (是枝)なあ、頑張ってきたよ、お互いにね。 (河瀬)皆さん、是枝さん33歳、河瀬直美26歳、「往復書簡」という作品を創っているんです。まだ私が「萌の朱雀」を撮る前、是枝さんの「幻の光」がベネチアで賞を取られた直後です。私がお手紙を8ミリフィルムで撮ったものを送る、で、それに是枝さんが映像で返事を書く、これを3回繰り返しました、、、その時に、やっぱり自分達の表現というものが何であるか、一生懸命考えました。是枝さんも考えられたと思います(是枝監督は現在51歳ですから、「往復書簡を交わしてのは18年前ということになります)(河瀬)あれから一歩一歩進んできた先に、そのレッドカーペットがあって、そしてその階段の向こう側に「そして父になる」の公式上映があって、そのあとスタンディングオーベーションをされ、会場の皆がその作品を褒め称えているのを私は審査員席で見ているんですけど、審査は映画が終るまでなので、スタンディングオーベーションをされているときというのは、一人の河瀬直美に戻っているんですけどね、とっても感慨深かったです。ほんとに心から。 (河瀬)、、、今日も「そして父になる」のキャンペーンで大変忙しい中にわざわざ奈良に足を運んでくれる、、、実は昨年12月に一緒にご飯を食べたときに(今日の対談を)お願いしていて、5月やねんけど空けてくれへんかな、と、その時は2人共カンヌに行くなんて思ってないし、決まってないですから、それが今皆様の前に来て頂いているっていうのは、ほんとにありがたいです。 以上の対話によれば、是枝監督と河瀬監督は、18年に渡って深い交遊関係を結んでいたということになりますね。「そして父になる」のプロモーションで超多忙な折に、ほぼノーギャラで、ローカルな奈良でこのような素晴らしいトークショウが実現したことは、是枝監督と河瀬監督の18年来の深い交遊の賜だったと、奈良人リュウちゃんは、感激ひとしおでした。 次回は、「そして父になる」の内容に入って、リュウちゃんの感想を書いてみたいと思っています。 (映画「そして父になる」を観る(3)に続きます)
2013年10月16日
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カンヌ映画祭審査員特別賞受賞清新なホームドラマの名作、ここに誕生、 先日、是枝裕和監督の新作「そして父になる」を観て来ました。http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/ この映画は、今年のカンヌ映画祭で、審査員特別賞を受賞しました。是枝監督の作品としては、2004年の「誰も知らない」以来、2度目のカンヌ受賞ですが、今回は作品自体に与えられた賞なので、その受賞価値はより大きいと思います。 また、出演者が人気絶頂の福山雅治=尾野真千子ということもあり、興行的にも順調な滑り出しで、予想では興行収入20億円規模の大ヒットになるようです。「誰も知らない」の興収は9200万円なので、是枝作品としては破格の大ヒットですね。 今年のカンヌ映画祭は、例年になく大きな話題になりました。審査委員長は20世紀アメリカ映画を代表するスティーブン・スピルバーグが選ばれ、同じく審査員には、「ライフ・オブ・パイ」のアン・リーなどと共に、日本人として初めて河瀬直美監督が選ばれたのです。 「そして父になる」の大ヒットは、河瀬直美監督が日本人として初めてカンヌ映画祭の審査員に選ばれたことに端を発した」と奈良人リュウちゃんは考えています。 河瀬直美監督は、奈良出身。奈良在住の映画監督です。1997年に発表した「萌の朱雀」で、カンヌ映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)受賞、その10年後の2007年、「殯(もがり)の森」で、カンヌ映画祭審査員特別賞(グラン・プリ)受賞、この2度に渡るカンヌ受賞で、河瀬直美の名声は世界の映画人の間に轟いたのです。尚、以上2本の映画の主演は、今回の「そして父になる」で、福山雅治の妻を演じた尾野真千子でした。 「殯の森」公式HPhttp://www.mogarinomori.com/ 是枝裕和監督は、1962年生まれ、河瀬直美監督より7歳年上です。東京生まれの東京育ち、テレビ番組制作会社に入社して、主にドキュメンタリー番組を制作していましたが、1995年、「幻の光」で監督デビュー、2004年の「誰も知らない」で、主演の柳楽優弥(やぎらゆうや)が、史上最年少でカンヌ映画祭主演男優賞を受賞したことで一躍、世界の映画人に知られる存在になりました。 是枝監督の作品は、デビュー作から日本よりも外国で評判が高く、数々の映画祭で華々しい受賞暦があります。以下に受賞暦をまとめて見ます。★ 1995年「幻の光」(主演:江角マキコ、浅野忠信)ヴェネツィア国際映画祭 金のオゼッラ賞バンクーバー映画祭 グランプリシカゴ映画祭 グランプリ★ 1998年「ワンダフルライフ」(主演:ARITA他)ナント三大陸映画祭、グランプリブエノスアイレス映画祭 グランプリ、★ 2004年「誰も知らない」(主演:柳楽優弥、YOU)カンヌ映画祭 最優秀男優賞フランダース国際映画祭 グランプリ★ 2006年「花よりもなほ」(主演:宮沢りえ、岡田准一)高崎映画祭 最優秀作品賞 (尚、高崎映画祭では、是枝監督の作品は、ほぼ全作、作品賞、監督賞を受賞しています)★ 2008年「歩いても歩いても」(主演:阿部寛、樹木希林、原田芳雄、YOU) ユーラシア国際映画祭 最優秀監督賞マール・デル・プラタ国際映画祭 最優秀作品賞★ 2011年「奇跡」(主演:前田航基、前田旺志郎)サン・セバスティアン国際映画祭・カトリックメディア協議会賞イスファハーン国際青少年映画祭、最優秀作品賞 第66回カンヌ映画祭は、2013年5月15日~26日の12日間に渡って開催されました。それに先立つ4月24日、河瀬直美監督が日本人として初めて審査員に選ばれたというニュースが日本中を駆け巡り、今年のカンヌ映画祭には例年になく、マスコミ取材が殺到、テレビを始め、様々なメディアで河瀬直樹監督のインタビューなどが大量に流されました。 「そして父になる」は、5月18日に公式上映され、上映の後、約10分間のスタンディングオーベーションが巻き起こり、是枝監督や主演の福山雅治、尾野真千子は号泣したのだそうです。 河瀬直美監督は、審査に当たり、審査委員長のスティーブン・スピルバーグから、「技術がどうとかではなく、自分の心に一番残った感動作を選びましょう」とアドバイスを受け、審査員という重圧から解放されたのだそうです。 河瀬直美、日本人として初めてカンヌの審査員になる→マスコミにカンヌの話題が大量露出→「そして父になる」、公式上映で大好評、最終日に審査員特別賞受賞、是枝監督、福山雅治、尾野真千子の受賞インタビューが大量露出。 以上のプロセスにより、「そして父になる」の大ヒットは確約されたとリュウちゃんは思いました。 是枝監督は、今年51歳、東京生まれの東京育ち、河瀬監督は今年44歳、奈良生まれの奈良育ち、年代も生まれ育ったところも違う二人の監督、どんな接点があったのでしょうか? 実は、この二人の監督は、お互いの無名時代から太い「絆」で繋がっていたのです!次回のブログでは、二人の18年に渡る「絆」について書いてみる予定です。 (「そして父になる」を観る(2)に続きます)
2013年10月09日
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「風立ちぬ」の宮崎駿監督、引退、本当なのか?(宮崎駿監督) 9月2日の朝刊に「宮崎駿監督が引退」という記事が踊りました。その日の朝のTVのニュースショウにも、この話題が大きく採り上げられました。 新聞、TVの報道によれば、宮崎さんの引退は、第70回ベネチア映画祭の開催されているベネチアで、現地時間9月1日午後1時に開かれたスタジオジプリの星野康二社長による公式記者会見で明らかにされたようです。 下記は9月2日の朝日新聞デジタル版の記事です。http://www.asahi.com/culture/update/0901/TKY201309010145.html 上記の記事によれば、ジプリの星野社長は宮崎監督から「くれぐれもよろしく」というメッセージを託されて、この引退発表を行ったようで、宮崎監督の引退の決意は固そうに思われます。宮崎監督本人は9月6日に東京で正式な記者会見をする予定だそうです。 宮崎監督の引退決意は本当なのかな? 通常、映画監督は生涯現役が普通で、昨年5月に100歳で亡くなった新藤兼人監督が遺作となった「一枚のハガキ」を発表したのが99歳の時、死の間際にも新作を構想していたようです。 世界的巨匠である黒澤明監督が最後の作品「まあだだよ」を発表したのは83歳の時ですが、彼はその後、自ら脚本を書いた「雨あがる」を監督しようと思っていましたが、脚本執筆中の旅館で転倒骨折、その後、療養生活に入り、5年後に脳卒中で死去、最後まで監督にこだわっていました(「雨あがる」は、2000年に黒澤組の助監督だった小泉 堯史監督によって見事に映画化されました) 今年1月に80歳で亡くなった大島渚監督は、63歳の時に脳出血を起し、右半身不随、言語障害になりましたが、約3年のリハビリを経て、67歳の時に最後の作品となった「御法度」を発表しました。 「男はつらいよ」の山田洋次監督はもうすぐ82歳になりますが、今春公開された「東京家族」は素晴らしい映画でした。現在、来春公開予定の新作の製作に入っています。 以上の日本映画の巨匠の例でも判るように、映画監督という職業は、ファン及び製作会社から相手にされなくなった以外の理由で引退するものではないものだと思います。宮崎監督の引退の理由は、多分「ファンタジーの枯渇」だと思われますが、リュウちゃんは、宮崎アニメを観て、「年を経て、益々彼のファンタジーは自由奔放、融通無碍になって来た」と思っています。 宮崎さん、あなたのアニメは、まるで「ハウルの動く城」の主人公ソフィーのように、だんだん若くなっている ! ここで宮崎アニメファンの端くれの一人として、彼の長篇アニメ全11作品の予告編を貼り付けます。 「ルパン三世:カリオストロの城」(1979年)http://www.youtube.com/watch?v=JnSS_uOBjSc 「風の谷のナウシカ」(1984年)http://www.youtube.com/watch?v=8Ma65PO4kiA 「天空の城ラピュタ」(1986年)http://www.youtube.com/watch?v=rmxPV7xOOZU 「となりのトトロ」(1988年)http://www.youtube.com/watch?v=VCuULxET4Js 「魔女の宅急便」(1989年)http://www.youtube.com/watch?v=IzFfQBhVo7Q 「紅の豚」(1992年)http://www.youtube.com/watch?v=bYpEmPCNOpY 「もののけ姫」(1997年)http://www.youtube.com/watch?v=jaqEmuSgSWU 「千と千尋の神隠し」(2001年)http://www.youtube.com/watch?v=yvX0IIfX0GE 「ハウルの動く城」(2004年)http://www.youtube.com/watch?v=m8pa2AcNHXE 「崖の上のポニョ」(2008年)http://www.youtube.com/watch?v=bskgNOXbdiE 「風立ちぬ」(2013年)http://www.youtube.com/watch?v=-Q6pStcvr4U 宮崎アニメは、最近のディズニーアニメなどと違って、殆どCGを使っていず、殆ど全て途方も無い手間の掛かるセル画を一枚ずつ手書きで書いていくという手法で作られています。新作「風立ちぬ」では、300人のアニメーターを動員して、約16万枚のセル画により、2時間6分の本編が出来上がったのだそうです。 黒澤明監督のような、「実写映画」の監督と違って、アニメの監督は、「風立ちぬ」の堀越二郎のように、終日机に向って、精密な絵を描き。チェックしていく作業ですね。ですから実写映画の監督と違って、目が悪くなったり、手が動かなくなったりすると、アニメ映画の監督は務まらないのかも知れませんね。 9月6日の記者会見で、宮崎さんがどういう発言をするのか、ファンの端くれとしましては、ただ見守る他はないのですが、出来る事なら、以下のように言って欲しいと期待しています。 9月1日の星野社長の記者会見は冗談でした。次の新作は「紅の豚」の続編、「ポルコ・ロッソ 最後の出撃」」を予定しています。
2013年09月02日
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この戦争がどうなるか、よう見とくんや 「少年H」予告編http://www.youtube.com/watch?v=Du-p0UsLbiQ 宮崎駿のアニメ映画「風立ちぬ」に続いて、これも話題の映画「少年H」を観て来ました。リュウちゃん、この映画の原作である妹尾河童の少年時代の自伝的小説「少年H」は15年ほど前に読んだことがあります。読んだ時点で既に100万部を超えるベストセラーになっていて、先の太平洋戦争中に少年時代を過ごした一民間人が何を考えて成長していったかということに興味をひかれて読んだ記憶があります。 この小説は、日本の敗戦から約50年後に刊行されました。作者の河童さんは、この小説について、「あくまでも自分の記憶と体験に基いて執筆した作品である」と言っているように、この作品は小説というよりはノン・フィクション・ノヴェルというべきものなのです。ですから、この小説に書かれた話の9割は実際に河童さんが体験した「実話」と考えて差し支えないものだと考えられます。 以下にこの小説を書いた妹尾河童さんの略歴を書いて見ます。 (1) 妹尾河童略歴★ 1930年(昭和5年)神戸市長田区生まれ、旧名:妹尾肇(はじめ)★ 1942年(?)第二神戸中学(現:兵庫県立兵庫高校)入学、中学校の大先輩には画家の小磯良平、東山 魁夷がいた。★ 1949年(昭和24年)、第二神戸中学卒業(旧制中学は5年制)★ 「我らのテナー」として有名なオペラ歌手・藤原義江の書生となり、独学で舞台美術を学ぶ。★ 藤原義江が主唱する藤原歌劇団に入社、1954年(昭和29年)プッチーニの歌劇「トスカ」の舞台美術で注目される。★ 1958年(昭和33年)、フジテレビ入社、映像美術を担当、「夜のヒットスタジオ」、「ミュージックフェア」などの美術を担当する。★ 1980年(昭和55年)独立、以後、オペラ、バレエ、演劇など、幅広いジャンルの舞台美術家として活躍、★ 1983年(昭和58年)、1年間のヨーロッパ研修の体験を元に、初エッセイ「河童が覗いたヨーロッパ」刊行、このエッセイは評判になり、以後、「河童が覗いた、、、」シリーズを続々と刊行、エッセイストの地位を不動のものにする。★ 1997年(平成9年)、講談社から自伝的小説「少年H」刊行、現在までに340万部を超えるベストセラーとなった。 妹尾河童さんの略歴は以上のようなものですが、「少年H」は以上の略歴の内、中学校に入学する直前から、1945年(昭和20年)の日本敗戦までの約4年間の「自伝」として執筆されています。 リュウちゃん、最初にこの本に接した時、「少年H」というタイトルにビックリしました。 この本、エッチな少年の話なのかな? でも、その期待は見事に裏切られました(笑)「少年H」とは、妹尾河童の昔の本名「妹尾肇(はじめ)」のイニシャルの「H」で、少年時代の河童さん自身のことなのです。リュウちゃん、最近まで、てっきり「妹尾河童」というのは、ペンネームだと想っていたのですが、本名だったのですね、この改名は、彼の仕事上、すっかり綽名の「河童」が浸透してしまい、本名の「肇」では不都合な場合が生じたので、1970年に家庭裁判所の承認を取り付けて「河童」と改名したのだそうです。 (2)「少年H」の登場人物映画の紹介に入る前に、この映画の登場人物を簡単に整理しておきます(括弧内は演じた俳優です)★ 妹尾肇(吉岡 竜輝)→この映画の主人公、妹尾河童の少年時代、綽名は「H」。1930年(昭和5年)生まれ、★ 妹尾盛夫(水谷豊)→「H」の父親、1902年(明治35年)生まれ、神戸で洋服店を開業、場所柄、外国人の洋服を仕立てることが多く、様々な国籍の外国人と仕事を通じての交流がある。「H」のよき理解者。★ 妹尾敏子(伊藤蘭)→「H」の母親、熱心なクリスチャン、彼女の影響か、妹尾一家はいつも教会の礼拝を欠かさない。それが原因で周囲との間に軋轢が絶えない。★ 妹尾好子(花田優里音)→「H」の2歳下の妹、妹尾家は両親、「H」とその妹の4人家族です。★ うどん屋の兄ちゃん(小栗旬)→いつも歌劇「リゴレット」のアリア「女心の歌」を歌っている近所の兄ちゃん、「H」に藤原義江のレコードを聴かせてくれる。非合法活動をしていた疑いで憲兵に拘束される。★ オトコ姉ちゃん(早乙女太一)→映写技師で元・旅回りの役者、徴兵され出陣するも脱走し、近所の廃屋で縊死してしまう。★ 田森教官(原田 泰造)→「H」が通う中学の軍事教官、サディスティックな性格で、特に「H」に酷く当たる。★ 久門教官(佐々木 蔵之介)→田森教官と同じく、神戸二中の軍事教官、田森教官とは対照的に、「H」ら生徒の信頼が厚い。 映画「少年H」は、昨年、高倉健主演の話題作「あなたへ」を発表した巨匠・降旗康男監督の最新作です。 (3)降旗康男監督の略歴1934年長野県生まれ、妹尾河童より4歳年下です。新制長野県立松本深志高校~東大仏文科卒業、東映に入社、、東映では「網走番外地」などのやくざ・任侠映画を主として発表、1978年東映退社、フリーになる。1999年・浅田次郎原作の「鉄道員(ぽっぽや)」で日本アカデミー賞監督賞・脚本賞受賞。昨年発表した「あなたへ」は、第36回日本アカデミー賞の優秀作品賞、優秀監督賞を受賞するなど、高い評価をうけた。 また前置きが長くなってしまいました。次回は、この映画の内容について、リュウちゃんの心に落ちたことをお話したいと想っています。 (以下、「映画「少年H」を観る(2)」に続きます)---井上陽水「少年時代」http://www.youtube.com/watch?v=yIy-NVHJ39Q
2013年08月25日
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久石譲のテーマ音楽素敵だ! これまで3回に渡り、映画「風立ちぬ」でリュウちゃんが印象に残った点を、キーワードに沿って書いて見ました。文字数の制約がありますので、4つのキーワードについてしか書けませんでしたが、まだまだ書きたいことはいあります。しかし、キーワードに関しては、前回のブログでお終いとして、この「風立ちぬ」の最後のブログでは、映画に使われた音楽について、少しお話してみようと思います。 (1) ドイツ映画「会議は踊る」より、「ただ一度だけ」http://www.youtube.com/watch?v=r8N7OXCDsh4 映画の中盤、堀越二郎が菜穂子と再会した軽井沢のホテルのロビーで、謎のドイツ人カストルプがピアノを弾き、全員が合唱する歌です。この歌が挿入された映画「会議は踊る」は、1931年にドイツで製作、日本では1934年(昭和9年)1月に公開されました。映画の内容は、ナポレオン失脚のあとの1815年に開催された「ウィーン会議」を背景に、ロシア皇帝アレクサンドル1世とウィーンの町娘クリステルの夢のような儚い恋を描いたオペレッタ映画でした。 「ただ一度だけ」は、クリステルに扮したドイツ人女優・リリアン・ハーヴェイによって歌われます。歌詞の大意は以下です。 ただ一度だけ もう二度と来ない ただの夢かもしれない。 人生にただ一度 明日にはもう消え去っているかも。 人生にただ一度 だって花の盛りはただ一度だけ。 この映画公開の2年後に、ヒトラーは首相になり、この映画などは「退廃的な芸術」としてドイツでの上映が禁止されました。主演のリリアン・ハーヴェイもユダヤ人との交遊を理由にゲシュタポから尋問を受け、フランスに亡命しました。この映画のスタッフの多くもドイツから亡命を余儀なくされたようです。宮崎駿監督は、映画の中で「ただ一度だけ」を歌うドイツ人カストルプに、ナチスに反抗して亡命を余儀なくされたリリアン・ハーヴェイなどの姿を重ね合わせたのだとリュウちゃんは思いました。(2)「溢れる涙」~シューベルト歌曲集「冬の旅」第6曲http://www.youtube.com/watch?v=oQSsge_j5Bw 堀越二郎が視察先のドイツの下宿先の隣家から流れてくるこの歌を聞いて、同僚に「冬の旅だね」と語ります。映画で聞えてきた部分は、この歌の「Durstig ein das heiße Weh!(渇いていたように、この熱い悲しみを!)」という部分だったのですが、リュウちゃんには、このシーンはこれから二郎が辿る飛行機設計家としての惨憺たる運命を暗示しているように感じました。 (3)サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」http://www.youtube.com/watch?v=ABm7nMVyNh4 二郎達が談笑する軽井沢のホテルのサロンで、BGMとしてこの曲のSPレコードの最後の部分が流されます。この音楽は戦前のSP盤時代のクラシックレコードとしては最もヒットした曲の一つで、夏目漱石門下の小説家・内田百聞が昭和23年に発表した「サラサーテの盤」という小説があり、更にその小説を基に、鈴木清順監督が「ツィゴイネルワイゼン」という幻想的な映画を創りました。「風立ちぬ」で流れた演奏も、誰の演奏か不明ですが、ここでは、作曲家自身が1904年に録音した伝説的な演奏のYou-Tubeを貼り付けます。 この演奏の3分25~26秒あたりのところで、人の声が入りますが、これが「サラサーテの盤」で語られた「サラサーテ自身の声」なのだと思います。 (4) 草川信の「風」http://www.youtube.com/watch?v=2wsAa7A2D40 映画の中では、この歌のメロディは出てこないのですが、二郎が軽井沢滞在中に歌詞をつぶやきます。1番の歌詞は以下です。誰が風を 見たでしょう 僕もあなたも 見やしない けれど木の葉を ふるわせて 風は 通りぬけてゆく原詩はイギリスの女流詩人クリスティーナ・ロセッティ、それを西條八十が訳詩したものに、「ゆりかごの唄」、「夕焼け小焼け」、「緑のそよ風」などを作曲した草川信が曲を付けました。前述した映画「ツィゴイネルワイゼン」では、挿入歌として同じ草川信の「春のうた」が印象的に使われていました。「春のうた」http://www.youtube.com/watch?v=C1K2c-MmX2s宮崎駿の心の中では、鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」の昭和初期の幻想譜が渦巻いていたのだと、リュウちゃんには感じられたのです。(5)久石譲の映画音楽「旅路~夢中飛行」http://www.youtube.com/watch?v=FygcIh1VxpQジプリ作品では、毎回、久石譲の素敵な音楽を聴けるのが楽しみなのですが、今回も素晴らしいテーマ音楽が出来ました。この曲の冒頭のメロディは、「ミーレドーソー」で始まりますが、このテーマは、(1)で書いた「ただ一度だけ」の主題「ミミレドーソー」と同じです。この曲は、「ただ一度だけ」のテーマによる変奏曲です。テーマは自在に変化し、二郎のテーマや菜穂子のテーマにもなる、融通無碍、実に素敵なテーマ音楽だと思いました。 (6) 荒井由美「ひこうき雲」http://www.youtube.com/watch?v=rJ-AhWAB4VEこの映画のエンディング曲です。宮崎駿が荒井由美の作品を挿入歌としたのは、、1989年公開の「魔女の宅急便」で、「ルージュの伝言」、「やさしさに包まれたなら」以来、3曲目の使用です。ユーミンは1976年に結婚して「松任谷由美」になったのですが、宮崎駿のアニメで使われた曲は、いずれも初期の「荒井由美」名義の曲、実はリュウちゃんも荒井由美時代の曲が好きなのです。リュウちゃん、このブログの(2)を書いた後で、もう一度「風立ちぬ」を観にいきました。最初に観た時は、ラストシーンになって初めて涙が出てきたのですが、2回目に観た時は、軽井沢で菜穂子と再会するあたりから涙ウルウルになりました。リュウちゃんの「良い映画の規準」は、何度観ても涙ウルウルになる映画なのです。その意味で「風立ちぬ」は、60代で観た最高の映画となったのです。
2013年08月09日
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ここは「魔の山」だ!(ドイツ人カストロプの言葉) 「風立ちぬ」予告編http://www.youtube.com/watch?v=lKsauOY2EAo 前回のブログで、リュウちゃんがこの映画から受けた印象を幾つかのキーワードとして挙げ、その内、(1)「空を飛ぶ夢」、(2)「純愛」について書いてみましたが、、今回のブログでは、あと二つのキーワードについて書いてみます。 (3)トーマス・マン「魔の山」この映画の中盤、堀越二郎が里見菜穂子と再会する軽井沢のホテルには、カストルプというドイツ人が滞在していて、二郎は彼と仲良くなります。カストルプは何度も、このホテルを「魔の山」だといいます。 この「魔の山」とは、明らかにドイツのノーベル文学賞作家・トーマス・マンが1924年に発表した小説「魔の山」を指しています。 「魔の山」のあらすじは、「ドイツ人の青年が結核の療養の為、スイスのアルプス山脈の麓にあるダボスのサナトリウムで7年を過ごす。この長期療養期間中に彼は第1次世界大戦直前のヨーロッパの縮図を構成しているような様々な人物に出逢い、成長していく」、というものですが、 この「魔の山」の主人公の青年の名前は、ハンス・カストロプなのです。 「魔の山」の作家・トーマス・マンは、第1次世界大戦後のワイマール憲法下の共和制を支持しましたが、ヒトラー率いるナチスが台頭すると、その危険性を訴え、ヒトラーが政権を握るとスイスに亡命、その後アメリカに移住してからも、ドイツからの亡命者を支援し続けたそうです。当時の日本の小説家と違って、狭い文学の枠に捉われず、政治的発言も大いにやった作家だったようです。 小節「風立ちぬ」の著者・堀辰雄は、1930年代、肺結核療養中にヨーロッパの先端文学を読み漁ったようなので、きっと、その読書歴の中に「魔の山」も入っていた可能性は充分にあります。 映画「風立ちぬ」の中で、カストロプのエピソードはかなり特異な感じがします。恐らく、実在した堀越二郎・堀辰雄のエピソードにも、カストロプのエピソードは出てこない筈です。とすれば、これは完全に宮崎駿のオリジナル創作ということになります。 宮崎駿は何故、カストロプのエピソードをこの映画に挿入したのか? リュウちゃんは改憲に突き進む安倍政権に対する警告の意味で、敢えてこのエピソードを挿入したと推測しますが、皆様の意見は如何でしょうか? (4)喫煙実際の堀越二郎はどうだったのか、よく判りませんが、この映画の中の堀越二郎は、かなりのへビースモーカーです。学生時代から喫煙していて、他の幾つかのシーンでも、美味しそうに煙草を燻らす場面が随所に出て来ます。煙草の煙がフヮンと空中に広がる印象的なシーンが幾つかありました。 リュウちゃんが特に印象に残った喫煙シーンは以下の2つです。(1) 軽井沢のホテル、二郎の横の席にドイツ人カストロプが座り、「ドイツの煙草もこれ1本で終り」と二郎に話しかけますが、二郎は「日本の煙草は如何ですか」と、持っていた日本の煙草(銘柄「チェリー」)を勧めるシーン。(2) 上司の家の離れで新婚生活を続ける二郎夫妻、多忙の為、遅く帰宅した二郎は、寝ている菜穂子の手を繋いで仕事を続ける。二郎「煙草が吸いたくなったので手を離すよ」、菜穂子「いいからそのまま吸って」、二郎は寝ている菜穂子の手を繋いだままで、煙草を吸う。 特に(2)の、寝ている菜穂子と手を繋いだ儘で喫煙するシーンに、皆様は違和感を感じられたのではないでしょうか? 二郎と同じ喫煙者であるリュウちゃんも、さすがにこのシーンは少し違和感を覚えました。 しかし、これらの違和感は、物語が昭和10年頃の話であるのに、今日の喫煙パッシングのモラルの目で見た違和感ではなかったかとリュウちゃんは考えています。当時の男性の喫煙率は80%を超えていて、喫煙はひとつの文化だったのですね。皇室には明治時代から「恩賜のたばこ」があり、戦前は戦争で功を挙げた軍人に天皇から下賜されていました。戦後になってからも、叙勲者や園遊会の出席者、皇室の来賓などに、おみやげや謝礼品として使用されていましたが、嫌煙運動の高まりを受けて、2006年(平成18年)に廃止されたそうです。 黒澤明や小津安二郎などの映画を観ますと、大抵の男は喫煙します。このことを見ても、昭和の時代、喫煙は文化の一つとして定着していたことが覗えるのです。 もう一つ云いますと、宮崎駿自身が相当なへビースモーカーで、彼のアニメに出て来る男達は喫煙者が多いのですね。「風立ちぬ」の堀越二郎は、さまざまな点で宮崎駿の「分身」と云える人物造形になっているので、ヘビースモーカーに設定されたのだと思います。 「風立ちぬ」の堀越二郎と同じように、宮崎駿の分身として人物造形された例として、1992年公開の「紅の豚」の主人公、「ポルコ・ロッソ」があります。 「紅の豚」予告編http://www.youtube.com/watch?v=bYpEmPCNOpY ポルコ・ロッソも大のヘビースモーカー、「紅の豚」も「風立ちぬ」と同じく、原案は月刊誌「モデルグラフィックス」に掲載されたものだったそうです。主人公は、かってイタリア空軍のエースパイロットだったのですが、戦争に嫌気がさして、魔法で豚に変身し、空中海賊相手の賞金稼ぎに転身したという設定です。 「飛行機は好きだけど、人を殺す戦争は嫌だ」という宮崎駿の「風立ちぬ」のメッセージの原点が、「紅の豚」だったのですね。 「紅の豚」のポルコ・ロッソ、「風立ちぬ」の堀越二郎、宮崎駿に共通する点は、「愛煙家で飛行機が好きだが戦争は嫌い」ということです。リュウちゃんも愛煙家の一人として、宮崎駿のメッセージには全面的に共感出来たのです。 次回(最終回)は、「風立ちぬ」の音楽について書いてみたいと思っています。 (以下、宮崎駿の新作「風立ちぬ」を観る(4)に続きます)
2013年08月06日
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「日本の少年よ、まだ風は吹いているか?」「はい、大風です」「では、生きねばならん!」 映画「風立ちぬ」予告編http://www.youtube.com/watch?v=-Q6pStcvr4U 映画「風立ちぬ」詳細ストーリーhttp://hayao-ghibli.seesaa.net/article/366784080.html リュウちゃん、ずっと以前から宮崎駿のファンでした。といいましても、彼の作品を初めて劇場で観たのは、1988年公開の「となりのトトロ」からなのですが、以降、新作が公開される度に、必ず劇場に足を運びました。「魔女の宅急便」、「紅の豚」、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」、「崖の上のポニョ」、、映画のテーマはかなり雑多なのですが、宮崎さんの歳を重ねるに従い、普通のアニメ作家とは逆に、どんどん少年に逆行していくかのようなファンタジーの自在さに、いつも感嘆していました。 宮崎さんは、まるで「ハウルの動く城」のヒロインのように、年々若返っている! 5年前、「崖の上のポニョ」を観た時も大感激しました。早速、横浜に住んでいるリュウちゃん唯一の女性メル友さんに「本日、ポニョを観て唖然、正にイメージの奔流!」というメールを送信しました。そのメールで、以下のように感じたイメージを羅列しました。 シューマン;楽しき農夫、パステル・カラー~わたせせいぞう、ブリュンヒルデ~ワルキューレの騎行、シレーヌあるいはセイレーンあるいはオンディーヌあるいはおフェーリア、アンデルセンの反転、空中浮遊から水中浮遊へ、月の裏側、デボン紀あるいはカンブリア紀の海、エッシャーのメタモルフォーゼ、ギリシャ神話、ゲルマン神話、北欧神話の止揚(アウフへーべ)、、、 宮崎駿は益々少年になり、自在にイメージの奔流の中に遊んでいる。 今回の「風立ちぬ」は、初めて実在した人物を主人公にした作品で、観る前には「ポニョ」のようなイメージの奔流は余り期待出来ないのかなと思っていましたが、これが大違い!見事なファンタジー映画になっていました。 「崖の上のポニョ」の顰に倣い、「風立ちぬ」でリュウちゃんが感じたキーワードを以下に羅列してみます。 空を飛ぶ夢、青い空・白い雲、古い木造建築、風、妹、流星、帽子、2等車、3等車、関東大震災、初恋、鯖の骨、冬の旅、隼、七試、九試、ゼロ戦、空白の10年、紙試行機、写生する若い女性、パラソル、会議は踊る、特高警察、軽井沢、魔の山、誰が風を見たでしょう、肺結核、サナトリウム、純愛、抱擁(ベーゼ)、いのちの初夜、堀辰雄「菜緒子」、喫煙、、 ★ 主要なキーワードから、この映画の魅力に迫る。(1)「空を飛ぶ夢」この映画では、上記に掲げた「詳細ストーリー」にあるように、航空機設計の大先輩・ジャンニ・カプロー二との夢のシーンが6回出てきます。最初ほうのの夢のシーンのカプロー二の台詞は、「いいかね、日本の少年よ、飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、それ自体が美しい夢なのだ。設計家は夢に形を与えるのだ」、またドイツに視察に行った時に観た夢では、カプロー二は「空を飛びたいという夢は、呪われた夢でもある。飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っているのだ」、対して二郎は「私は美しい飛行機を作りたいと思っています」と答えます。最後の夢は、敗戦直後、戦闘機の残骸が地上に累々と横たわっている草原でカプロー二は二郎に「君の10年はどうだったかね?」と問いかけます。二郎は、「力は尽くしました、終りはズタズタでしたが」、カプロー二「国を滅ぼしたのだからなぁ~」と対話します。 映画の中の堀越二郎は、少年時代に飛行機を作るという夢に憧れ、首尾良く航空機製造会社に設計技師として職を得て、少年時代の夢を実現しますが、その時の日本は日中戦争から太平洋戦争に突入した時代、二郎は性能の良い戦闘機を作ることを要求され、その要求を淡々とこなしていきますが、少年時代の夢からは遠くかけ離れてしまったという感慨を持ちます。 この「夢のシーン」は、「戦闘機は好きでも、戦争は嫌い」という宮崎駿のメッセージですね。リュウちゃん、このメッセージに深い共感を覚えました。 戦闘機設計の神様であった堀越二郎の話を、見事に反戦ファンタジー映画に替えてしまった宮崎駿の離れ業に脱帽! (2)ヒロイン菜穂子との「純愛」堀辰雄の小説「風立ちぬ」から取ったヒロイン「里見菜穂子」との恋愛、結婚、死別のエピソードは、この映画の最大の見所だと思いました。 堀越二郎と里見菜穂子が知り合いになったのは、1923年(大正12年)9月1日、群馬から上野に向う汽車の中、3等車に乗っていた二郎の帽子が風に飛ばされ、二等車に乗っていた菜穂子にキャッチされます。汽車が上野に到着する寸前、関東大震災が発生、二郎は菜穂子一行を助け、上野の実家に送り届けます。この時、二郎は20歳、東大航空工学科の学生でした。 二人が再会したのは、関東大震災から10年経った1933年(昭和8年)、軽井沢でした。菜穂子は既に肺結核に罹っていて、軽井沢で療養していました。二人は再会を歓び、二郎は菜穂子の病気を承知の上で婚約、翌年結婚します。しかし、この結婚生活は僅か1年足らずで、菜穂子の死によって閉じられるのです。 映画のラストシーンで、夢の中の菜穂子は二郎に微笑みかけ、「あなた、生きて、、」と囁きます。その直後、風が立ち、菜穂子は風に溶けるように消えてしまうのです。 深い余韻の残るラストシーンで、ここでリュウちゃん、涙が込み上げて来ました。切ない物語ですが、現代のこの手の話によくある「お涙頂戴」の過剰な表現では無く、抑制の効いた節度ある表現が、かえって観る者の感動を深いものにしたのだとリュウちゃんは思いました。 昔、名画座で観た今井正監督の反戦映画の名作「また逢う日まで」を思い出しました。 (以下、宮崎駿の新作「風立ちぬ」を観る(3)に続きます)ーーー中島みゆき「この空を飛べたら」http://www.youtube.com/watch?v=YCdtHUr9Jlw
2013年07月31日
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"Le vent se lève, il faut tenter de vivre"風立ちぬ、いざ生きめやも 7月20日、宮崎駿の「崖の上のポニョ」以来、5年ぶりの新作アニメ「風立ちぬ」を観てきました。 「風立ちぬ」HPhttp://kazetachinu.jp/ 例によって、観る前の事前知識は殆ど無しで、ほぼ白紙の状態で観ることにしましたが、 リュウちゃん、久しぶりに深い感動を覚えました。 観終わった後で、あの映画の感動は何処から来たのだろう?と考え、少し調べてみました。 この映画は、太平洋戦争中にゼロ戦の開発などで名を馳せた航空技術者・堀越二郎の生い立ちから終戦までの半生を立軸として、それに同時代の作家・堀辰雄の小説「風立ちぬ」のエピソードを巧みに絡ませるという構成になっています。また、映画の中の堀越二郎は、イタリアの航空技術者、ジャンニ・カプロー二を尊敬していて、彼の造った飛行機で空を飛ぶ夢をよく見ます。 この夢のシーンは冒頭・中間部、ラストシーンと、(確か)前後6回出てきて、この映画の「空に憧れ、航空技術者に憧れ、戦争の前に技術者になるが、設計した飛行機はゼロ戦など戦闘機ばかり、やがて敗戦、最後の夢は、彼の造った戦闘機が無惨に瓦礫のように地上に散らばっている」という、この映画の狂言回しのような役割を果たしていると思いました。 以下にこの映画に登場した3人の実在の人物のプロフィールを簡単に書いてみます。 ★ 堀越二郎1903年(明治36年)、群馬県藤岡市生まれ、藤岡中学校~第一高等学校~東京帝国大学工学部航空学科をそれぞれ首席で卒業、三菱内燃機製造入社、九六式艦上戦闘機、零戦、雷電、烈風などの戦闘機の設計で名を馳せた。戦後は東大同期の木村秀政らと共に、「YS-11」の設計に参加した。会社退職後は、東大宇宙航空研究所、防衛大学校などで教鞭を取った。1982年、79歳で死去。下の写真は、ウィキペディァにあった堀越二郎の学生時代の写真です。 ★ 堀辰雄1904年(明治37年)東京生まれ、府立三中(現・両国高校)~第一高等学校~東京帝国大学文学部国文科卒業、肺結核を病み、軽井沢で療養することが多かった。1933年(昭和8年)、矢野綾子と知り合う(彼女も肺結核患者だった)。昭和9年、彼女と婚約し、二人で八ヶ岳山麓の療養所に入院するが、彼女はその年の冬に死去、矢野綾子との短い交流を描いた小説が代表作「風立ちぬ」です。 以下に、小説「風立ちぬ」の全文を貼り付けます(作中の節子のモデルは、矢野綾子です)http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html ★ ジャンニ・カプロー二1886年(明治19年)、ローマ生まれ、イタリアの航空機設計者、1908年(明治41年)、航空機会社「カプロ二」創業、1911年、初めて実用航空機を製造、、三翼機ながら全9枚の主翼を持ち、わずか18メートルの浮揚後墜落した無尾翼飛行艇「カプロニ Ca.60」など、非常にユニークな航空機を設計した事で知られる(この「カプロニ Ca.60」は、映画の夢のシーンに登場する最も魅惑的な飛行機です)、第1次~第2次世界大戦中、数々の航空機を製造したが、戦後は格段に進歩した航空業界で競争力を失い、1950年に会社は消滅した。1957年、71歳で死去。宮崎駿は、「紅の豚」を製作した後で、ジャンニ・カプロー二の曾孫に、カプロ二社の飛行機の構造物がいっぱい入ったものを贈られたのだそうです。以下はイタリアで発行されたカプロー二の肖像をデザインした切手です。 宮崎駿は、上記3人の実在する人物を自在に絡ませたストーリーを月刊模型雑誌「モデルグラフィックス」に漫画として2009年4月号~2010年1月号に10回に渡り連載しました。当初、宮崎駿はこの漫画のジプリでの映画化を、「子供向けの内容ではない」と渋っていたようですが、プロデューサーの鈴木敏夫に強く勧められて映画化を決断したようです。 ★ 実在した堀越二郎と映画の堀越二郎の虚実皮膜宮崎駿の映画では、実際の堀越二郎の企業人としての半生に、プライベートなエピソードとして、堀辰雄の「風立ちぬ」にある結核患者の里見菜穂子との恋愛・結婚・死別というエピソードを巧みに繋いでいます。また、夢のシーンではイタリアの航空機設計者・ジャンニ・カプロー二と何回も逢い、彼の人生の指針をカプロー二から得ることになります。 ★実在した堀越二郎は、実際には堀辰雄、カプロー二と出逢っていたのか? 堀越二郎にとって、堀辰雄は、一高、東大の1年後輩です。当時の一高の定員は文科約200人、理科約200人、計400人と、少人数だったので、多分、2年間、一高で同窓だった二人は友人関係ではなかったにせよ、少なくとも顔見知りだった可能性は大きいと思われます。 カプロー二は二郎より17歳年上です。しかし、共に優秀な航空機設計者だったので、仕事を通じて第2次世界大戦の前後の時代に知己を得た可能性はゼロではないと思います。 宮崎駿は、堀越二郎と堀辰雄、ジャンニ・カプロー二の交遊を想像し、それで、虚構と現実の微妙なはざまにある絶妙な虚実皮膜のストーリーを創り出したのだとリュウちゃんは思いました。 以上、長い前置きになりましたが、次回は、物語の流れに沿って、この映画の魅力を書いて見たいと思います。 (以下、宮崎駿の新作「風立ちぬ」を観る(2)に続きます)
2013年07月24日
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昭和28年の東京物語」と平成25年の「東京家族」60年を経て、家族はどう変わったのか?(原節子) 山田洋次の「東京家族」のストーリーの展開は、ほぼ60年前の小津安二郎の「東京物語」と同じです。その意味で、この映画は、「東京物語」のオマージュ(賛辞)というよりは、リメイクといったほうがいいのではないかと思います。 リメイクといっても、前回のブログでお話しましたように、人物の設定にかなり違いがあり、それが60年を経た時代・家族の変遷を表現する手段になっています。本ブログでは、2つの映画の設定の「最大の違い」から、「東京物語」と「東京家族」を比較してみたいと思います。 (「東京物語」と「東京家族」の設定の最大の違い) ★「東京物語」:次男は戦死、次男の嫁(平山紀子=原節子)が一番、老いた夫婦に共感し、実の子供以上に世話をしてくれる。「東京家族」:次男は定職に就いていない不肖の息子、その恋人(間宮紀子=蒼井優)との交流を通して、両親と次男は和解して行く。 「東京物語」の中で一番輝いていたのが、戦死した次男の嫁を演じた原節子です。彼女は、2000年に「キネマ旬報」が発表した「20世紀の日本女優オールタイム・ベストテン」で、第1位に選ばれた20世紀を代表する女優です。「東京物語」に出演した時、彼女は32歳、太陽のように輝く美貌が正に絶頂期に達した頃の出演でした。連れ添った次男が戦死したにも拘わらず、再婚せず元の籍のままで一人で東京で働いている、上京してきた老夫婦を、実の子供以上に親身になって面倒を見る。現代では、中々ありえない話ですね。 「東京家族」では、原節子の役は、不肖の次男を演じる妻夫木聡と、その恋人を演じる蒼井優の二人に振り分けられました。リュウちゃんの感じでは、「振り分けた」理由は以下のようなものだったと思われます・(1)「戦死した次男の妻」という役柄が、現代ではそのまま使えなかった。(2)原節子に匹敵する女優がいなかった。それで、原節子一人に代わるキャラクターを、人気絶頂の妻夫木聡・蒼井優の二人に振り分けた。 妻夫木聡と蒼井優は、2011年3月11日に起きた東北大震災のボランティア活動で知り合いになり、愛を育んで行きます。当初、橋爪功は、妻夫木演じる次男を「定職に就かずフリーターをしている、どうしようもない不肖の息子」と思い込んでいるのですが、蒼井優の損得を離れた献身ぶりに、息子に対して心を開いていくことになります。 この「不肖の息子」に対して、かたくなだった橋爪功が、蒼井優の献身を見て心を開いて行く過程が「東京家族」の一番の見所だとリュウちゃんは思いました。 生涯、教師として堅実な社会人の生活を送った父親の目には、定職に就かずフリーター生活を送っているように見える次男は、どうしようもない社会人失格人間のように見えるのですが、現代は若者にとっては厳しい時代で、妻夫木演じた次男のような境遇にある若者は現代では、ごく一般的な存在です。現在、非正規雇用で働いている20~30代の男性は30%近くになっていて、これが女性となると40%に及んでいます。 しかし、次男は舞台美術という希望のある職についている。しかも、東北大震災のボランティア活動に参加するというような、社会に対する開かれた目と他人を思いやる優しい心を持ち合わせています。山田洋次の映画は、団塊の世代の以前に堅実な社会生活を送った人間にとって、まるで社会の落ちこぼれのように見える次男のような人間に、常に暖かい視線とエールを送っているのですが、この映画も、だらしないと見える次男とその恋人を主役にしたことで、リアリティのある現代の家族を描くことに成功したのだとリュウちゃんは思いました。 ラストに近いシーン、父親が母の腕時計を形見分けとして、「東京物語」では原節子に、「東京家族」では蒼井優に与えるのです。 山田洋次の描く「東京家族」、この家族像、どこかで見たことがあるぞ?そうだ! 「男はつらいよ」の第8作「寅次郎恋歌」で描かれた諏訪博の家族だ! 「寅次郎恋歌」では、寅さんの妹、さくら(倍賞千恵子)の夫である博(前田吟)の母親が死に、父親の住んでいる岡山県備中高梁市で葬儀を営むことになります。博は3人兄弟の末っ子、父親(志村喬)は元・インド哲学を教えていた大学教授、長男(梅野 泰靖)と次男(穂積 隆信)は大学を出て、サラリーマンをしている、三男の博は上の二人と違って、学生時代に親に反抗して家出、大学には行かずに、寅さんの実家の裏で印刷工(寅さんに言わせれば、「職工ふぜい」)をしている。父親に反抗して家出をしたにも拘わらず、3人の兄弟の中では一番の親思い、上の兄二人が財産分与として、父親の住んでいる広大な宅地を売って金に替えて欲しいと暗に要求するが、父親は、この家に一人で住むことを選択する。博だけが財産分与については一言も言及しない。 以下は、妻の告別式が終って、寅さんと二人きりになった時、志村喬のつぶやく「名台詞」です。 庭一面に咲いたりんどうの花。 明々と明かりのついた茶の間。 賑やかに食事をする家族達。 私はそのとき、 それが、それが本当の人間の生活って もんじゃないかと、ふとそう思ったら 急に涙が出てきちゃってね。 人間は絶対に一人じゃ生きていけない。 思わず脱線してしまいましたが、山田洋次は昭和46年公開の「寅次郎恋歌」で、19年前の「東京物語」の家族の関係をなぞることによって、小津安二郎へのオマージュとしたのではないでしょうか。 最後に一つだけ疑問を感じた点を挙げます。それは、「東京家族」の老いた両親の年齢の設定が、「東京物語」と同じ、父=72歳、母=68歳という設定です。 リュウちゃん、「東京家族」を観ている時には、吉行和子演じる平山とみこの年齢は75~80歳の設定かと考えていましたが、映画の途中の台詞で、68歳だと判りました。 この設定は少し無理がある! 「東京物語」が作られた頃、昭和30年の平均寿命→男63,6歳、女67,8歳「東京家族」が作られた頃、平成23年の平均寿命→男79,6歳、女86,4歳。 現代の68歳は、映画のように枯れていない筈だ! でも、どの年代の人が見ても、観る人の家族関係を想起し、身につまされ、ホロリとさせられる新しい傑作映画が誕生したとリュウちゃんは思いました。 山田洋次さん、素晴らしい映画、有難う御座いました!
2013年01月28日
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小津安二郎「東京物語」から60年、デビュー50年の山田洋次が小津に捧げるオマージュ 「東京家族」予告編http://www.youtube.com/watch?v=VQjiqxx3rNw 先日、山田洋次監督の新作「東京家族」を観てきました。この映画は今年82歳になる山田洋次監督の監督でビュー50周年記念作品、昭和36年公開のデビュー作「二階の他人」から数えて81本目の作品です。 リュウちゃん、山田洋次の大ファンです。彼の映画を初めて観たのは、昭和46年公開の「男はつらいよ~純情編」(寅さんシリーズ第6作、この時、リュウちゃん24歳、社会人になって3年目でした)ですが、渥美清の寅さんの魅力と、従来の日本の喜劇映画には見られなかった丁寧な映画創りにたちまち魅了され、以後、山田さんの旧作を追いかけて旧作上映館のハシゴ、新作は必ず封切時に複数回見るという「山田洋次映画放浪」が始まり、今日に至っています。 山田洋次監督は、まだ日本映画が全盛時代だった昭和29年に松竹に入社しました。ほぼ同期入社に、先頃亡くなった大島渚監督を始め、篠田正浩、吉田喜重のいわゆる「松竹ヌーベルバーグ三羽烏」がいます。当初は助監督としては不器用で、煌くような才能を持っていた「三羽烏」の影に隠れた地味な存在、監督デビューも上の4人の中では一番遅かったのですが、「松竹大船調」の正調路線を引き継ぐ巨匠になりました。 今回の「東京家族」は、そのタイトルからも判りますように、松竹の大先輩、小津安二郎監督の「東京物語」をベースにした作品です。恐らく山田洋次は、「東京物語」で描かれた昭和20~30年代の「家族」が、約60年を経て、また2011年3月11日の東北大震災の発生と、それに続く福島第1原発メルトダウンという大事故を受けて、今の「家族」がどう変質したのかを、「東京物語」と同じ構成で描きたかったのだと思います。 「東京家族」は、昭和28年公開の小津安二郎監督の世界的名作「東京物語」と、物語の構成も登場人物の設定も、一部を除き、ほぼ同じです。登場人物の名前も、ほぼ同じなのです。以下に「東京物語」と「東京家族」の出演者と、その映画上の人物名(役名)を挙げてみます。 (小津安二郎「東京物語」配役・役名)笠智衆(平山周吉) 原節子(平山紀子)東山千栄子(平山とみ)山村聰(平山幸一)杉村春子(金子志げ) 香川京子(平山京子)三宅邦子(幸一の妻、文子)中村伸郎(志げの夫) 大坂志郎(周吉の三男、平山敬三)十朱久雄(服部)長岡輝子(服部の妻) 東野英治郎(沼田三平)(山田洋次「東京家族」配役・役名)・橋爪功(平山周吉)・吉行和子(平山とみこ)・西村雅彦(平山幸一)・夏川結衣(平山文子)・中島朋子(金井滋子)・林家正蔵(金井庫造)・妻夫木聡(平山昌次)・蒼井優(間宮紀子)・小林稔待(沼田三平)(設定された登場人物と役名が同じか、ほぼ同じもの)(上京した老いた父)笠智衆=橋爪功(役名:平山周吉、年齢72歳)(上京した老いた母)東山千栄子(役名:平山とみ、68歳)=吉行和子(平山とみこ、68歳)(老いた両親の長男・開業医)山村聰=西村雅彦(平山幸一)(長男の嫁)三宅邦子=夏川結衣(平山文子)(長女・美容師)杉村春子(金子志げ)=中島朋子(金子滋子)(長女の夫・金井庫造)中村伸郎=林家正蔵(周平の友人・沼田三平)東野英次郎=小林稔待(登場人物の設定が違うもの)原節子(平山紀子、老夫婦の戦死した次男の妻)=蒼井優(次男・昌次の恋人)大坂志郎(周吉の三男、平山敬三)→「東京家族」では三男はいない。香川京子(平山京子、周吉の次女、小学校教諭、両親と同居)=荒川ちか(ゆきちゃん、周吉の近所の中学生)→「東京華族」では、次女はいない。妻夫木聡(平山昌次、周平の次男)→「東京物語」では、次男は戦死している。「東京物語」では、老夫婦の子供は三男二女の5人。「東京家族」では老夫婦の子供は二男一女の3人という設定になっています(t因みに、小津安二郎は5人兄弟の次男、山田洋次は3人兄弟の次男です) 小津安二郎の「東京物語」の全篇がネットにありましたので、以下に貼り付けます。リュウちゃん、この映画は、ビデオで観ただけで、あまり印象には残っていなかったのですが、「東京華族」を観た後で改めて観ました所、興味津々になって来ました。ファンである山田洋次の作品を通じて、「東京物語」という作品にやっと興味が出てきたという次第です。「東京物語」http://www.youtube.com/watch?v=QLz0_MOjDI0 余談ですが、小津安二郎が卒業した三重県立第四中学校は伊勢市にあり、現在、宇治山田高等学校が同窓会を引き継いでいますが、男子高だった第四中学校の伝統はリュウちゃんの卒業した伊勢高等学校が引き継いでいると考えています。その意味で小津安二郎はリュウちゃんの高校の遥か先輩だと思っていて、彼の映画にも関心は深いのですが、残念ながら、これまで彼の映画に感情移入することは出来ませんでした。今回の山田洋次の「東京家族」を通じて、小津安二郎の世界をもっと知りたいと思っています。 次回、「山田洋次の新作「東京家族」を観る(下)」では。小津安二郎の「東京物語」との比較を通して、山田洋次の新作の魅力を語って見たいと思っています。 (以下、「山田洋次の新作「東京家族」を観る(下)」に続く)
2013年01月23日
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北極星は天元だ!800年の旧暦を天元の眼から改暦した熱き男の青春譚。 「天地明察」予告編http://youtu.be/Kb8yz-DNOmA リュウちゃん、ここのところ、映画づいています。といいましても、9月に高倉健主演の「あなたへ」と、松たか子主演の「夢売るふたり」、それと今回の「天地明察」の3作品を観ただけなのですがね、年に10本くらいしか映画を観ない人間と致しましては、一ヶ月に3本も観たのは、我ながら「映画づいているな」と思った次第です。 「天地明察」は、最初、新聞で広告を見た時には、あまり食指が動きませんでした。 これはリュウちゃんのような「爺い」が観るような映画ではないのかな? 「天地明察」を観たいと思うようになったのは、リュウちゃんの俳句のお師匠様であります倉敷在住の「ミコちゃん」がこの映画をご覧になって、以下のブログで、この映画を「心を揺さぶられる感銘を受ける内容」と書かれたことです。http://blog.goo.ne.jp/miko18/e/56517a9b67fc0cf52a19132298b10a95#comment-list 尊敬申し上げる「ミコお師匠様」が感銘を受けた映画なら、俳句の不肖の弟子であるリュウちゃんも是非、観に行かねば!ろいう訳で、近所のシネコンに足を運びました。 映画のストーリーは以下です。 囲碁家の一つ、安井家に生を受けた二代目・安井算哲は、数学・天文学でもその才を示した、彼の才能を見込んだ会津藩藩主、保科正之は、算哲を一年間に渡り全国各地で北極星の高度を測り、その土地の正確な位置を確定する「北極出地」の旅に出す。この旅の途中で、これまで800年間使われていた暦(宣明暦)の誤りに気付き、神社に掲げられた「算額」の問題を解くことで知己を得た数学者・関孝和の数学的応援の下に、当時、朝廷の専任事項であった「暦」の改暦というタブーに挑戦して行く、、 リュウちゃん、全く下手の横好きなのですが、「数学ファン」です。なので、この映画に出て来る江戸時代の大数学者・関孝和と、神社に数学の難問を奉納する「算額」に先ず興味を持ち、映画の中に入って行きました。 市川猿之助が演じた関孝和は、ニュートン、ライプニッツの微分積分学の日本に於ける創始者と云われています。また、暦の作成にあたって、円周率(π)の近似値を小数点以下第16桁まで正確に求めたそうです(小数点以下16桁の円周率=3,1415926535897932) 「算額」は、以下のウィキペディアのあるようなものです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%97%E9%A1%8D 以下のサイトには「算額」の幾つかの問題と回答が現在の言葉で翻訳されて出ていますが、やはり相当な難問ばかりですね、残念ながら、今のリュウちゃんには解けそうにもありません。http://www.nikkei-science.com/page/magazine/9807/sangaku-Q.html リュウちゃんのブログ友さんの一人に、奈良市在住のlily3777 さんという女性がいます。http://plaza.rakuten.co.jp/lily3777/ 以前、彼女のブログに「天地明察」のことをコメントしましたところ、リュウちゃんの「夢売るふたり」のコメント欄に以下のような投稿を頂きました。 実は 私 大学の卒論が算額でした。算額の魅力にはまっていました。算額について熱く語っていただき嬉しかったです(^o^)丿 尚、lily2777さん(リュウちゃんは「リリー姫」と呼んでいます)は大学で数学を専攻するのと同時期に、○HKで「歌のお姉さん」としても活躍されていたのだそうです。 歌と数学、リュウちゃんとウマが合うなぁ(笑)、リリー姫、今度奈良でカラオケをご一緒しましょうね! 「天地明察」で主人公の「二代目・安井算哲(渋川春海)」を演じるのは、ジャニーズのアイドルグループ・「V6」の岡田 准一、その妻えんに宮崎あおい、二人の若い俳優を主役に起用したことで、重いテーマである筈のこの映画が、後味の爽やかな青春映画として仕上がったとリュウちゃんは思いました。宮崎あおいの時代劇は、2009年の「剣岳 点の記」で観ただけですが、この映画は正確な日本地図を作るために命を賭けて山岳測量に挑む浅野忠信の妻の役で出演していました。全体には暗い映画だったのですが、彼女が出て来るシーンだけは、ポッと画面が明るくなったのが、今でも印象に残っています。 この映画は、若い二人の脇を固める役者が凄い! 算哲の後見人格の会津藩藩主・保科正之に松たか子の父である松本幸四郎、「水戸黄門」として有名な水戸藩第二代藩主・水戸光圀に中井貴一、算哲を支援する大数学者・関孝和に四代目市川猿之助、公家の有栖川友麿に七代目市川染五郎(父は松本幸四郎、妹は松たか子)、幕府天文方の大先輩役に笹野高史と岸部一徳、、、 若い俳優とベテラン・重鎮俳優のガブリ四つの演技の競演がこの映画の大きな見所なのですが、アラカンリュウちゃん、やはり今回はベテラン陣の演技の確かさに感服しました。特に「生涯一天文方」の老人・建部伝内を演じた笹野高史の演技には感動致しました。 映画の後半は、これまで800年もの間、朝廷によって守られてきた中国伝来の「宣明暦」を、元(げん)の「授時暦」を日本各地の観測により修正して算哲自ら作り上げた「大和暦」に改暦するために、「宣明暦」、「大和暦」が予測した日蝕・月蝕を、「対決」という形で公開の席で競い合います。 クライマックスは、後一回の勝負で完全に大和暦が勝つという最後の日蝕観測の日、この日に命を賭けた算哲は、「若し予告した日に日蝕が起こらなければ、切腹する」と覚悟を決めて望んだその日、約束した時間が来ても日蝕は起こらない、覚悟を決めた算哲は、集まった見物人の前で切腹しようとするが、、、 以下は映画を観て御楽しみ下さい。 初めて日本人が作った「大和暦」は、貞享二年(1685年)、幕府に採用され、「貞享暦」として以後70年間に渡って使用されました。その後、宝暦暦~寛政暦~天保暦と改暦され、明治5年12月3日より、現在使われているグレゴリオ暦に改暦され、旧暦の時代が終ったのです。
2012年10月07日
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今年38歳の西川美和監督の夢世界それは「癒しの夢」か?「地獄の悪夢」か? 「夢売るふたり」予告編http://youtu.be/o6xZczEHGR4 先日、やっと西川美和監督の話題作、「夢売るふたり」を観ることが出来ました。この映画を監督した西川美和さんは、1974年生まれ、今年38歳になる新進気鋭の女流監督です。 2003年、自作脚本による「蛇イチゴ」で監督デビュー(若干29歳での監督デビュー)、この作品は毎日映画コンクール脚本賞受賞など、数々の映画賞を受賞し、一躍、注目を浴びました。 2006年、第2作「ゆれる」を公開(32歳)、この作品は朝日ベストテン映画祭で日本映画第1位、キネマ旬報日本映画第2位を始め、数々の映画賞に輝き、西川美和の地位を不動のものにしました。キネマ旬報ベストテンでは、脚本賞も受賞しました。 2009年、第3作「ディア・ドクター」公開(35歳)、この作品は、キネマ旬報日本映画第1位を始めとして、この年の主な映画賞を独占、この作品が映画初主演となった笑福亭釣瓶もキネマ旬報、日本アカデミー賞などの主要な映画祭で主演男優賞に輝きました。 かって日本映画で女流監督と云えば、大女優であった田中絹代さんしか浮かばなかったのですが、最近では「萌の朱雀」「殯(もがり)の森」が世界的に注目された奈良出身の河瀬直美(1969年生まれ)、2007年「さくらん」でデビューし、今年2作目の「ヘルタースケルター」を公開した蜷川実花(1972年生まれ)、2006年、「かもめ食堂」を大ヒットさせた荻上直子(1972年生まれ)、「人のセックスを笑うな」の井口奈己(1967年生まれ)と、1970年前後に生まれた多士済々な女流監督が出現してきました。これらの女流監督の中でも、商業劇映画の監督として群を抜く存在が、以上挙げた監督の中でも最年少の西川美和監督です。 西川美和監督の凄いところは、自らの監督作品はすべて彼女が観た夢からインスピレーションを得たオリジナルの原作と、それを自ら脚本にしたオリジナル脚本による映画創りをしていることです。 原作・脚本・監督すべて西川美和、まるで往年のチャップリンみたいだ、凄い! さて、「夢売るふたり」です。この映画は予告編にある通り、東京の片隅で小料理屋を営んでいた貫也(安部サダヲ)と妻の里子(松たか子)が結婚詐欺を企み、共謀して5人の女性を次々に騙して行く、というものです。 リュウちゃん、この映画で先ず面白いと思った点は、「騙された5人の女性」の描写です。以下に5人の「騙された女性」を挙げてみます。 (1人目)不倫相手を事故で亡くしたOL(鈴木砂羽)(2人目)結婚願望は強いが、結婚出来ないOL(田中麗奈)(3人目)孤独なウェイトリフティング選手(江原由夏)(4人目)男運の悪いソープ嬢(安藤玉恵)(5人目)夫と死別し、小学生の息子を一人で育てているハローワーク勤務のシングルマザー(木村多江) それぞれ、身上や心の中に大きな不幸を抱えた女性達ですが、西川美和監督は、この女性達を鮮やかに描き分けます。演じた女優さんも、その役に成り切った演技で、まるで実在する本人が出演したドキュメンタリー映画を観ているような真迫の力があったと思いました。 中でも、3人目の「孤独なウェイトリフティング選手」を演じた江原由夏さん、リュウちゃんは最後まで本物のウェイトリフティング選手が、たまたまスカウトされて演技しているものとばかり思っていました。映画を観た後、家に帰ってPCで調べましたところ、かって劇団扉座に所属していたれっきとした女優さんだと判り、またまたビックリしました。 江原由夏さんがこの映画の中で搾り出すような台詞「私は怪物ですか?」は、映画を観終わった後まで、リュウちゃんの心に中にズシリと重くのしかかりました。 里子(松たか子)に唆された夫の貫也(安部サダヲ)は、上記の女性達と次々に関係を持っていくのですが、どのエピソードにも、「結婚詐欺」をやっているという意識は殆どありません。いわば、不幸な女性を助ける騎士(ナイト)の役割、5人の女性は全員、妻の里子の存在を知っていて、里子が重い病気に罹り、その治療費という名目で貫也に大金を払うという設定になっています。この設定が「結婚詐欺」という訳なのですが、映画を観ていまして、リュウちゃんは、この貫也の行為は、結婚詐欺」という強い悪意のある行為とはとても思えませんでした。貫也が働いた「詐欺行為」は、ピンピンしている里子を、病気で死にそうだと偽ったことだけだったのですね。 貫也を演じた阿部サダヲは、現代的な意味のイケメン男子ではないのですが、女性を安心させ、この男のためなら何でも貢いでやろうという、ある種の魅力を持った男性です、妻の里子は、夫の「女にモテる特異な才能」に気付き、詐欺を唆すことになります。阿部サダヲの演技は、「奇妙に女にモテるけれど、生活力の乏しい駄目男」を見事に演じていて秀逸だと思いました。 この映画の第一の見所は、やはり妻の里子を演じた松たか子の演技です。2010年公開の「告白」に続く、いわゆる「悪女」役ですが、今回の里子役は、「告白」の悠子役よりより複雑、人間誰しも心の中に持っている善悪という外形では計りきれない「心の中に住む混沌としたマグマ」を、殆ど目線の変化だけで演じきったと思いました。 松たか子さん、凄い女優になったな! 西川美和の映画は、いずれも彼女が観た「夢」が作品のモティーフになっているそうです。「夢」は大体において混沌としていて、前後の脈絡に乏しいものですが、「夢売るふたり」は、その「混沌」を、そのまま作品に定着したものだとリュウちゃんは思いました。 西川美和38歳、これからどのような「夢」を見せてくれるのでしょうか?アラカンリュウちゃん、これからの西川美和の作品の「夢」に興味津々なのです。ーーーー 松たか子「明日、春が来たら」松たか子のデビュー曲です。この時、リュウちゃん、松さんがデビューしたレコード会社に勤務していました。懐かしい!http://youtu.be/J_Ya3IUN8xo
2012年09月30日
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「あなた」の写真に見入る腱さんの目、「あなた」は、永遠の憧れなのです。先日、高倉健が6年ぶりに主演した映画「あなたへ」を観に行きました。「あなたへ」予告編http://youtu.be/qrU_iyvjJQI この映画のキャッチフレーズは以下です。 人は、いつも伝えきれない想いを重ねて、一期一会の旅を続けている。 映画の発端を少しお話します. 富山刑務所の指導技官を務める倉島英二(高倉健)は、妻・洋子(田中裕子)がリンパ腫で53歳で早世して間もないある日、妻の友人の女性から、妻が友人に託した絵手紙を受け取る。その絵手紙には、「故郷の長崎県・平戸の海に散骨して欲しい」と書かれていた。友人に託された絵手紙は、もう一通あり、それは平戸郵便局に局留めで郵送したので、平戸に行った時に受け取って欲しい、との伝言が妻の友人から托された。 局留め郵便物の受け取り期限まであと10日余り、倉島は意を決して、自分が退職した後、妻と二人で日本中を旅しようと思い後部座席を取り払ってリビング風に改造した大型車を一人で運転して、富山から平戸まで、1200キロの旅に出る。 結婚してからも、殆ど自分の前半生を打ち明けなかった妻の故郷の平戸には、何が待っているのか? わざわざ平戸郵便局留めにした絵手紙には何が書いてあるのか? 映画は、妻の故郷である平戸で、何が待ち受けているのかという結末の興味に収斂されていくロードムービーです。このエンディングに何が待っているのかという興味の繋ぎ方は、同じ高倉健主演の映画「幸福の黄色いハンカチ」を彷彿させられました。高倉健の役柄は、「幸福の黄色いハンカチ」では刑務所を出所した受刑者。「あなたへ」では刑務技官ですが、共に日本人が考える「理想の男性像」を見事に演じていました。 平戸までの約10日間の旅の中で、短かかったけれど幸せだった妻との結婚生活の回想と、旅の途中で巡りあったビートたけし、草薙剛、佐藤浩市、などの人々との暖かい交流、平戸で出逢った大滝秀治、余貴美子、綾瀬はるかなどの人物像が実に鮮やかに描かれます。佐藤浩市は俳優の格としては、ビートたけしに次ぐ人の筈ですが、彼は最初、不相応なチョイ役に近い形で映画に登場して来ます。 あの佐藤浩市が何故、こんなチョイ役なのだ? このリュウちゃんの疑問は、映画の最後になって意外な形で見事に氷解するのです。 この映画の中で、リュウちゃんが後々まで残像として残るであろう事が二つありました。一つは童謡歌手という設定の田中裕子が2回歌った歌、もう一つは旅先で出逢ったビートたけしが話した「種田山頭火」の話。 一つ目の田中裕子が歌った歌は、「銀河鉄道の夜」などで有名な宮沢賢治の作詞作曲の「星めぐりの歌」です。http://youtu.be/q0gQSKKjh9Mこの歌の1番の歌詞は以下です。 あかいめだまの さそりひろげた鷲の つばさあをいめだまの 小いぬ、ひかりのへびの とぐろ。 この歌は「銀河鉄道の夜」と関連のある作品で、星空を旅する歌です。歌詞の、赤い目玉の「さそり」は、さそり座のアンタレス、「青い目玉の「子犬」は、おおいぬ座のシリウスを指します。 田中裕子扮する童謡y歌手の洋子さんは、最初この歌を富山刑務所の慰問の時に歌います。2回目は、倉島が旅の途中で足り寄った兵庫県朝来市にある「天空の城」と云われる「竹田城跡」で歌います(生前の回想シーンです)(以上の竹田城の写真、「明日の地球」さんのブログから拝借しました) 映画は西日本を横断する旅の話、「星めぐりの歌」は星空を旅する歌、この静かな歌が、映画のテーマとオーバーラップして、深い余韻を残してくれました。 倉島は旅の途中で、キャンピングカーで旅するビートたけしに出逢います。たけしさんは、倉島に「旅とさすらいの違いは何だと思いますか?」という質問をし、「旅とは目的地があり、帰るところがあるもの、さすらいとは、目的地もなく、帰るあてもないもの」と自問自答します。 旅先での短い会話の後、たけしさんは倉島に「種田山頭火」の著書「草木塔(そうもくとう)」を残します。 種田山頭火は、後半生をさすらいの旅の下に過ごした自由律の俳人、「草木塔」から自由俳句を幾つか挙げてみます。 分け入つても分け入つても青い山この旅、果もない旅のつくつくぼうし笠にとんぼをとまらせてあるくほろほろ酔うて木の葉ふるしぐるるやしぐるる山へ歩み入るどうしようもないわたしが歩いてゐる ビートたけしさんは倉島のことを「目的のある旅人」、自分のことを「種田山頭火」と同類の「さすらい人」だと感じていたのでしょうか? この映画の主役を演じた高倉健は今年で81歳になりました。リュウちゃんが敬愛するクリント・イーストウッドと同年代です。さすがに歳相応に手の皺だけでなく、顔の皺も深くなりましたが、科白回しは明瞭、あの鋭い目線もクリント・イーストウッドと同じように、永遠の壮年者です。 腱さんの脇を固める田中裕子(リュウちゃん、彼女のファンです!)、ビートたけし、長塚京三、原田美枝子、草薙剛、佐藤浩市なども皆、人物造形の彫りが深く、66歳になったリュウちゃんと致しましては、今年観た映画の中で一番心に残る作品となりました。ラスト近く、平戸の海に洋子さんの遺骨がサラサラと散骨された静かなシーンでは、思わず涙が込み上げてしまいました。 高倉健さん、何時までも「理想の男」でいて下さいね!
2012年09月20日
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いい湯だな~温泉卵、「うまっ!!」 「テルマエ・ロマエ」予告編http://youtu.be/SArK9wNoT-Y 先日、話題の映画「テルマエ・ロマエ」を観てきました。この映画の話を初めて耳にしたのは、リュウちゃんのブログ友さんの一人、「ももみに3835」さんのブログ「わたしの本棚、本のむし。」でした。 彼女は2月24日付けのブログで以下のように漫画の「テルマエ・ロマエ」を紹介しています(一部抜粋) 最近読んで、すんごく好きになったのね古代ローマ人の設計技師(風呂限定)ルシウスが、浴槽から現代の日本の銭湯へタイム・リープして、日本の風呂文化に、銭湯に、 脱衣籠に、ケロリンの洗面器に映画告知ポスター(寅さん)にフルーツ・牛乳に驚愕する様がおもしろいっっっ!!!しかも行ったきりではなく、往復できるのが凄い!古代ローマ(風呂限定)→現代日本(風呂限定)これをエンドレス・リピート。 こんな楽しぃ「テルマエ・ロマエ」が映画化される!ルシウス役に阿部寛!!ピッタリだ!ナイス☆キャスティングローマ人にしか見えないっ!是非観たい。 リュウちゃん、このブログを読んで、「この映画は絶対に観るぞ!」と心に誓いました。 先日、やっと「テルマエ・ロマエ」を観ることが出来ました。う~ん、面白かった!!!「テルマエ」とは、お風呂のこと、「ロマエ」とは「ローマの」の意、「テルマエ・ロマエ」とは、「ローマのお風呂」ということになります。 この映画は西暦130年代のローマの浴場設計技師・ルシウス(阿部寛)が、ふとしたきっかけで現代の日本の浴場にタイムスリップし、古代ローマと現代日本のカルチャーギャップに目を白黒させるというシチュエーション・コメディです。 最初にルシウスがタイムスリップするのが、東京の下町の銭湯、壁にはお馴染みの富士山の絵、プラスティックの「ケロリン湯桶」にびっくり、売店の「フルーツ牛乳」を飲んで、 うま(美味い)!!!、 ここでリュウちゃん、一挙にこの映画にハマってしまいました。(リュウちゃんもフルーツ牛乳が大好きなのです) ルシウスは銭湯に入っている日本人を見て、「ここの人間は皆、「平たい顔」をしている、ここはローマの属州で、彼らは「平たい顔族だな」と考えます。因みに、この映画でローマ人を演じているのは、阿部寛を始め、市村正親、宍戸開、北村一輝など、皆日本人離れした「濃い顔」の持ち主、対して日本人の爺ちゃんを演じるのは、笹野高史、神戸浩、いか八郎、蛭子能収などの「平たい顔」の俳優、 昔風に云えば、ローマ人=濃い顔=ソース顔、日本人=平たい顔=しょうゆ顔ということになりますかね。この「濃い顔」と『平たい顔』の対比が面白く、この映画のモティーフの一つになっています。 原作のコミックには出てこないキャラとして、上戸彩ちゃんが扮する山越真実という漫画家志望の女の子が出てきます。彼女は、古代ローマと現代の日本を繋ぐ橋渡し役、「狂言回し」といった存在、キャピキャピと弾むような現代ギャル、 彼女の参加で、この映画はぐっと面白くなったと思います。 古代ローマのシーンは、ローマ郊外にある有名なチネチッタ・スタジオの巨大オープンセットで撮影されました。チネチッタと云えば、アラカンリュウちゃんにとりましては、「ベンハー」が撮影されたスタジオとして懐かしい名前です。 この映画、至るところで「ベンハー」の影があります。 (1) 冒頭のタイトルバックに流れる音楽が似ている、タイトルの文字、映像も明らかに「ベンハー」から借用している。(2) 最初のローマの浴場のシーンは、「ベンハー」の中間部に出て来る浴場とと似している。最後のハドリアヌスの演説シーンも、「ベンハー」の凱旋シーンとよく似たセットを使っている。 この映画の監督は「のだめカンタービレ」と同じ武内英樹、「のだめ」にはクラシック音楽がいっぱい出てきましたが、今回も有名なオペラ・アリアが全編に散りばめられています。 「誰も寝てはならぬ」「トゥーランドット」より、この映画のテーマ曲。http://youtu.be/g2Ykt6qythk 「女心の歌」(リゴレット)http://youtu.be/G2Hbk7bBEgg 「ある晴れた日に」(蝶々夫人)http://youtu.be/AR0SlCTj1Bo 「星は光ぬ」(トスカ)http://youtu.be/hxdiJ74AL5Y この映画のエンドクレジットで流された曲です。壮大な曲で、ラストを締め括るにふさわしい曲でしたね。「祖国に栄光あれ」(アイーダ)http://youtu.be/CyCYvMyPJMU でも、リュウちゃんがこの映画にふさわしいと思う曲は、「いい湯だな」なのです。http://youtu.be/795f9I-sV80
2012年05月18日
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NHK朝ドラマ「カーネーション」尾野真千子さん、素敵な女優さんだ!(尾野真千子さん) 昭和58年放映の「おしん」以来、ほとんどNHKの朝のドラマを観ていなかったリュウちゃん、今週から「カーネーション」を観るようにしました。 何故29年ぶりに「朝ドラ」を観るようにしたかといいますと、最近、facebookで「友達」の端くれにさせて頂きました尊敬する高校の先輩が、「面白い!」と言っていた事が一つ、もう一つは、主役の小原糸子を演じる女優・尾野真千子さんを観たいと思ったからです。 リュウちゃん、最近まで、このドラマの主役の女優さんが尾野真千子さんとは知りませんでした。 彼女の凛としたたたずまい、壷に嵌ったコテコテの関西弁、久々に素晴らしい女優さんの出現だ! 以下に尾野さんのキャリアを辿ってみます。 (尾野真千子プロフィール) ★ 奈良県西吉野村(現・五條市)出身、中学3年生の時、奈良在住の映画監督・河瀬直美さんに見出される。★ 平成9年、河瀬さんの映画「萌の朱雀」で主演デビュー(当時15~16歳)この映画はカンヌ映画祭で新人監督賞受賞、★ その後、「あしたはきっと・・・」、「リアリズムの宿」、「茶の味」、世界の中心で、愛をさけぶ」、「ありがとう」などの映画に助演、★ 2007年(平成19年)、再び河瀬直美監督「殯(もがり)の森」で2回目の主演、この映画は第60回カンヌ映画祭でグラン・プリ受賞、 尾野真千子さんは河瀬直美監督に見出され、河瀬監督の2作の映画で主演し、その2作がカンヌ映画祭で受賞しました。女優・尾野真千子は河瀬直美監督に育てられて、大きく翔いたと云えそうですね。 上の写真は、映画「殯の森」のスチールです、右側の女性は尾野真千子さん、左側の老人を演じた男性が「うだしげき」さんです。この映画では、尾野さんとうださんは二人共、「主演」なのです。 うだしげき(宇多滋樹)さんは、現在、奈良市のNHK奈良放送局の裏手で、古書喫茶「ちちろ」のマスターをされています。http://www2.odn.ne.jp/chichiro/ 映画が好きなリュウちゃん、「殯の森」が公開された頃から、時々「ちちろ」に足を運んでいました。しかし、なかなか宇多さんに話しかけることが出来ませんでした(リュウちゃんはシャイな人間なのです) 宇多さんと話をするようになったのは、昨年の秋頃からです。話のきっかけとなったのは、店に置いてあった200枚くらいのクラシックLPレコードです。いつも店内には静かな音量でクラシック音楽が流れています。ある時、バッハの「平均律クラヴィア曲集」が流れていましたので、思い切って宇多さんに「この演奏者はリヒテルですか?」と声を掛けました。その会話がきっかけとなり、クラシック音楽の話、昭和30~40年代の映画の話、昔読んだ小説の話、、、 実に話が合うのです!その日聞いたのですが、宇多さんはリュウちゃんと同じ昭和21年生まれ、同い年だったのです。道理で話が合う訳だ。 リュウちゃんは昔レコード会社に勤めていまして、その時に集めたLPレコードやCDを数千枚持っています。最近はLPレコードを聴く機会が無くなりましたので、宇多さんに「持っているレコードをこの店で使っていただけませんか?」とお願いしたところ、大変喜んで頂き、以後、せっせとLPレコードを「ちちろ」に持参するようになりました。近々、店のレコード置場に「リュウちゃんライブラリー」を作って頂けるとの事、 死蔵していたLPレコードが「ちちろ」で生き返る。リュウちゃんにとりましては、ワクワクするような嬉しいことなのです。 「ちちろ」には、いつも美味しいコーヒーを点ててくれる素敵な女性がいます。最初リュウちゃんは、宇多さんが雇っている店員さんかなと思っていましたがどうも二人は対等の関係にあるようだ、どういう女性なのだろう? 先日、奥方と二人で「ちちろ」に行ったのですが、奥方が店にバックナンバーの揃っていた季刊誌「うかたま」(「暮らしの手帖」のような雑誌です)をパラパラと読んでいましたところ、その女性が奥方に「私、豆類が好きで、この雑誌に豆を使ったレシピをいくつか掲載しているのですよ」と話しかけてきました。 彼女の「豆料理のレシピ」が掲載されていた「うかたま」(第25号)を書店で買い求め、家へ帰って調べましたところ、彼女の名前が判りました。 能登山晶子さん、彼女はお菓子の店「まめすず」の店主だと書かれていました。http://mamesuzu-sweets.com/ しかし、彼女は「ちちろ」で終日、コーヒーを点てている、「まめすず」は何処ににあるのだろう? 判りました。「ちちろ」と「まめすず」は同じ店だったのです! 尾野真千子さんから始まったこのお話は、うだしげきさん、能登山晶子さんという素敵な方々の紹介でひとまずお終いです。 皆様も奈良に来られる機会がございましたら、是非「ちちろ」「まめすず」に寄って見て下さいね。昭和初期を思わせるレトロで落ち着いた空間の中で、能登山さん特製の美味しいコーヒーとケーキ、宇多さん特製のうどんと楽しいおしゃべりで、時の立つのを忘れてしまいますよ。 後久先輩、また「ちちろ」に行きましょう!---バッハ「平均律クラヴィア曲集」より「プレリュード第1番」http://youtu.be/NxFCUTHnZPM テレマン:「ターフェルムジーク」よりhttp://youtu.be/B6akumCg9rU シューベルト「菩提樹」http://youtu.be/jyxMMg6bxrg
2012年02月17日
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1964年、この時代は、戦後の「坂の上の雲」の時代だった! 先日、話題の映画、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観てきました。初の3Dによる作品、リュウちゃん、3D体験は3年前の「アバター」以来2回目の体験、その時の「3Dメガネ」がありましたので、それを持参しました。(「三丁目の夕日'64」予告編)http://youtu.be/yp3wvXnLo48 映画の冒頭で、夕日町から飛ばされた紙飛行機をずっと追ってカメラが上空に上がる、カメラはそのまま更に上空に上がり、そのまま東京タワーに近づき、どんどん上昇、最後にタワーのてっぺんで停止、3Dのメガネ越しに、東京タワーのてっぺんがつかみ取れそうなところまで接近、これには唖然としました。 この映画のVFX(視覚効果)、凄い! 第1作の公開が2005年11月、時代設定は昭和33年、リュウちゃん小学校6年生、第2作の公開は2007年11月、時代設定は昭和34年、リュウちゃん中学1年生、東京タワーが完成したのが昭和33年12月23日(完工式)、、今回の第3作の時代設定は昭和39年、リュウちゃん高校3年生、 ちょうど、映画の中の「鈴木オート」の息子の一平ちゃんや古行淳之介君とリュウちゃんはほぼ同じ年代です。リュウちゃん、「三丁目の夕日」シリーズは、古行淳之介君と同じ視点で観ました。 今回の「三丁目の夕日'64」では、主役は吉岡秀隆演じる「茶川竜之介」が主役、また、「鈴木オート」の従業員、青森から集団就職で上京してきた「六ちゃん」(堀北真希)」の恋愛・結婚のエピソードが話の中心になります。 「茶川竜之介」は東京帝国大学卒業で万年芥川賞落選のしがない作家、この名前は、勿論、芥川龍之介のモジリです。ちなみに、育て子の古行淳之介は吉行淳之介のモジリ(吉行さんは昭和29年に芥川賞受賞)、古行少年の実の父親は川渕康成(=川端康成)、母親は古行和子(=吉行和子=吉行淳之介の妹・女優)、 堤真一演じる「鈴木オート」の社長の名前は「鈴木則文」、、昭和40年代の東映を代表する映画監督と同姓同名です。 主人公の茶川竜之介は月刊少年雑誌「冒険少年ブック」に絵物語の原作を書いています。リュウちゃんの少年時代は以下のような月刊少年雑誌がありました。★ 「少年」(光文社)→手塚治虫「鉄腕アトム」、横山光輝「鉄人39号」、(読物)江戸川乱歩「怪人二十面相」★ おもしろブック(集英社)→杉浦茂「少年西遊記」、吉田竜夫「プロレス五郎」、(読物)山川惣冶「少年王者」、★ 冒険王(秋田書店)→福井英一「イガグリ君」、石森章太郎「サイボーグ009」、(読物)福島鉄次「砂漠の魔王」★ 少年画報(少年画報社)→竹内つなよし「赤銅鈴之介」、桑田次郎「まぼろし探偵」、(読物)永松健夫「黄金バット」、小松崎茂「地球SOS」 映画でも紹介されるように、この頃の月刊少年雑誌は、漫画と挿絵のついた読物(絵物語)が二つの柱でした。この映画の昭和39年頃は、絵物語が後退し、漫画一色になって来た時代です。リュウちゃんも小学校の頃は、「鉄腕アトム」、「少年西遊記」などの漫画と同じように、「怪人二十面相」や「少年王者」を愛読していたのです。 「三丁目の夕日」はリュウちゃんの大好きな山田洋次監督の「男はつらいよ」とよく似ている! 先ず、話の舞台が東京の下町、次に、人物の設定、勿論、「男はつらいよ」とは少し違いますが、リュウちゃんは以下のように両作の人物を比定しました。 茶川竜之介=車寅次郎(吉岡秀隆のメイク、山田洋次の風貌と酷似しています)鈴木オートの社長=寅のおいちゃん、その妻トモエさん(薬師丸ひろ子)=寅のおばちゃん、宅間先生(三浦友和)=御前様(笠智衆)六ちゃん(堀北真希)=タコ社長の会社の従業員、諏訪博、ヒロミさん(小雪)=寅の妹・さくらさん(倍賞千恵子)古行淳之介=寅の甥っ子の満男君(吉岡秀隆) 「男はつらいよ」は昔風に云えば「下町人情喜劇」ですが、「三丁目の夕日」も正に同じだと思いました。 「三丁目の夕日'64」のストーリーの骨子は六ちゃんの恋物語、リュウちゃん、今作ではこの部分に少し不満を感じました。 堀北真希が美しすぎる。恋人の菊池医師の人物造形が平板、 六ちゃんを演じた堀北真希は第1作の時は16歳、第2作は18歳、今作は23歳です。第2作のあと、「白夜行」で六ちゃんと正反対の美女を演じましたが、第3作の六ちゃんはは、紛れもない美女、今となれば純朴な田舎娘の六ちゃん役は堀北さんには難しい、演技は悪くないのですが容姿が裏切る、映画って、難しいですね。 但し、不満だったのはこの一点のみ、他の点は、「男はつらいよ」と同じ、上質のノスタルジック・エンタテインメント作品に仕上がっていたと思います。 映画の時代背景として出てくる「東京タワー」、「東京オリンピック」、「新幹線」、「カラーテレビ」など、日本の上げ潮の時代を象徴するものが見事に配列されていました。この時代は戦後の「坂の上の雲」の時代だったのですね。 現代は「坂の下の悲惨」の時代、もう、この映画のような上げ潮の時代は二度と戻らないような気がしています。ーーー 「ひょっこりひょうたん島」http://youtu.be/gJlZnlsJGlg 坂本九「明日があるさ」http://youtu.be/0EBFpIuC6Ok 舟木一夫「高校三年生」http://youtu.be/PPcoJofO_-o ペギー葉山「学生時代」http://youtu.be/gqj03qJeFV4
2012年01月26日
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いのちをつなぐ「祝島」の原発建設反対運動は尚も続く・・・・(「祝の島」の監督、纐纈あやさん) リュウちゃん、1月14日に映画「祝(ほうり)の島」を観てきました。こも映画は、山口県熊毛郡上関町(人口3200人余り)に持ち上がった中国電力上関原発の建設に対し同町内にある離島・祝島(いわいじま・人口500人)の人々の反対運動を描いたドキュメンタリー映画です。 「祝の島」予告編http://youtu.be/fn2qN9kp204 当日は映画上映の後、この映画を監督した纐纈(はなぶさ)あやさん、それと、この映画に出演した祝島から来られた3人のゲストさんのトークイベントがありました。 先ず、3人のゲストさんを紹介させて頂きます。 (清水敏保さん,通称「とし坊」)上関町の町会議員で、普段は運搬の仕事をされている、原発建設反対運動のリーダーの一人です。(橋本久男さん、橋本典子さん)纐纈あやさんがこの映画製作のため、長逗留した宿泊先のご夫妻、夫の久男さんは若い頃、福井の原発で働いていました。祝島に戻ってからは漁師、その後、大工さんをされています。奥様の典子さんは腕利きの美容師さんです。 纐纈さんは、上記、橋本夫妻の家に2008年3月から逗留し、この映画を完成させました。映画公開が2010年6月19日ですから、製作開始してから公開まで、2年3ヶ月掛かったことになります。 以下に纐纈さんのブログ「映画「祝の島」製作奮闘日記」を紹介致します。http://holynoshima.blog60.fc2.com/ 以下に、映画のモティーフとなった上関原発反対闘争について、少しまとめてみました。 (1982年6月)上関町長が町議会で原発誘致を表明(83年4月)上関町・祝島漁業組合が原発反対を決議、(85年9月)上関町議会が原発誘致決議、(88年9月)上関町が中国電力に原発誘致を申し入れ、(94年9月)国が上関原発を要対策重要電源に指定、(96年11月)中国電力が正式に上関町、山口県、関係漁港に原発建設申し入れ、(2000年4月)祝島を除く関係7漁協と中国電力が総額135億円の漁業補償契約に調印、=その間、祝島島民は数々の反対訴訟をお起すが、悉く敗訴する) (2009年12月)中国電力は、反対闘争で工事が遅延したとして、島民(「とし坊」さんを含む)ら計4人に総額4970万円の損害賠償を求める訴訟を起す(いわゆるスラップ訴訟)(2011年3月11日)福島第1原発大事故発生以降、山口県知事は用地埋立て中止を要請、上関町の周辺4自治体も原発建設凍結を決議、(2011年9月25日)上関町町長選で、原発推進派の柏原重海氏が大差で3選、現在、上関町の町会議員は12人、内、原発推進派は9人、反対派は「とし坊」さんを含む3人のみである。 祝島の皆様は1982年の原発誘致決定以来、実に30年に渡って、粘り強い反対運動を続けてきたのですね、 上映時間1時間45分の映画は、このような過酷な反対闘争のシーンは、1分くらいしか出て来ません。大部分はこの恵まれた自然環境の中で暮らす人々の淡々とした日常生活を綴っている叙事詩に仕上げられています。 70年間、島の棚田で米作りをしてきた「平萬次さん、米作りの合間に祖父の作った短歌を石に刻み付けます。 今日もまた つもりし雪をかきわけて子孫のためにほるぞうれしき 日曜雑貨店胡ゑびす屋の店主・蛭子聡さん、3人のお子さんは、祝島小学校の全生徒さんなのです。尚、蛭子さんは下記の「山口県上関町祝島のえべすや」ブログを書かれています。http://03ebesuya.urbany.net/2011/12/20111220.html 島唯一の女漁師、竹林民子さん、あなたの宴会での花嫁姿には、腹を抱えて笑わせて頂きました、あの時の「芸者ワルツ」、最高! 纐纈あやさんの島民の皆様に注がれる瑞々しく、暖かいまなざしが、映画を観る者ににジワジワと伝わってきて、笑いの連続の中で涙ウルウルになり、エンドクレジットでは思わず拍手をしてしまいました。 下の写真は、トークが終り、纐纈さんのサイン会の時に買い求めた映画のパンフレットに頂いたサインです。 「いのちをつなぐ」素敵なメッセージでした。
2012年01月20日
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東京オリンピックの少し前、あの頃は皆、「上を向いて」歩いていた。先日、スタジオジプリの新作[コクリコ坂から]を観に行きました(予告編URL以下)、監督は、これが「ゲド戦記」に次ぐ長編2作目となる宮崎吾朗、 http://youtu.be/c2hBnA-R4uw リュウちゃん、吾朗さんの第1作「ゲド戦記」を実は観ていません。その理由はTVで観た予告編の人物造形が何やら死んでいるように思われたからです。 しかし、今回の「コクリコ坂から」を観に行った動機の一つめは、脚本が宮崎駿が中心に書かれたこと、二つめは時代設定が昭和38年(1963年)だったことでした。しかも、主人公の女の子「松崎海(かい)」ちゃんが、この年、高校2年生という設定(因みに、ボーイフレンドの「風間俊」君は高校3年、妹の「松崎空(そら)」ちゃんが高校1年という設定です) 昭和38年に高校2年生、リュウちゃんと同い年だ! この映画でリュウちゃんが先ず魅かれたのは、物語に出てくる文化部(クラブハウス)が本校舎とは別棟にあり、これが古い建物で、「カルチェラタン」と呼ばれていたことです。[カルチェラタン]、パリの学生街の名前ですね、この頃、は日本の学生運動が盛んだった頃で、日本の学生運動は共産党や社会党の左翼政党が主導したのですが、左翼政党に属していないリュウちゃんのようなノンポリ学生は、フランスの「自由・平等・博愛」というフランス共和党の理念に憬れていたのですね(フランス国旗の3色は、それを象徴しています)「カルチェラタン」はパリの学生街のことで、宮崎駿さんも、多分、「自由・平等・博愛」の理念に憬れていたのではないかと感じました。 もう一つ懐かしかったのは、生徒達に配る「新聞」を作る際に「ガリ版」印刷を使うという点でした。 現在のように、PCやワープロが無かった時代、皆、蝋紙を鉄筆で削って、謄写版印刷する「ガリ版」にお世話になったものです。学校のテストの問題用紙も、皆、ガリ版印刷を使って作られました。 坂田静子さんの「聞いてください」も、ガリ版印刷で作られたのでしたね! ペギー葉山さんが歌った「学生時代」の1番の歌詞に、「秋の日の図書館の ノートとインクの匂い」とありますが、この「インクの匂い」のかなりの部分は謄写版のインクの匂いだと思っています。 この映画では、挿入歌として谷山浩子さんのオリジナル曲が3曲出てきますが、リュウちゃんが高校時代に愛唱した「うたごえ運動」の時代の歌に酷似しています。皆、「あれ?昔どこかで聴いたことがあるな、」という懐かしさに満ちた歌でした。 もう一つ懐かしく感じたのは、この頃の学生の恋愛観です。映画の主人公の「海(かい)」ちゃんは、1歳年上の「俊」君と、あるきっかけで恋に落ちるのですが、二人の恋はあくまでもプラトニックなもの、リュウちゃんもこの頃、年がら年中恋をしていましたが、相手に恋を告白する勇気が無い、その結果、高校時代から50年を経た現在でも、当時の恋は「人生の美しい想い出」として、心の中にいつまでも残っているのです。 映画の中の二人の恋は、成就します(羨ましい!) 宮崎駿さんは、3月11日の東北大震災の発生の2週間後の主題歌発表の記者会見の席上で以下のような発言をしています。 「この時期にこういう発表会をやるのがいいのかどうか」という問題があったのですが、「あえてやろう」と思いました。今この時も埋葬されないまま、瓦礫に埋もれているたくさんの人たちを抱えている国で、しかも今、原子力発電所の事故で国土の一部を失いつつある国で、私たちはアニメーションを作っていくという自覚を持っています。 自分たちが「どう生きようと夢見ていたか」ということと、「どういう風に生きられたか」ということはまた別のことです。『コクリコ坂から』は「どういう風に生きようと願っていたのか」ということを形にしました。 映画「コクリコ坂ぁら」の絵の出来栄えは、正直申しますと、父親の宮崎駿さんの域には、まだ遠く及ばないように感じられましたが、駿さんの熱いメッセージは確実に伝えられたと思います。 その意味で、アニメ映画「コクリコ坂から」は、リュウちゃんの今年の「心に残る名作」になりました。 ーーー坂本九「上を向いて歩こう」http://youtu.be/E5Zmh_6Ngto 舟木一夫「高校三年生」http://youtu.be/ephsgIoxCRA ペギー葉山「学生時代」http://youtu.be/3VbXovjSVhA 橋幸夫「わすられぬ人」http://youtu.be/BUPYNm1ickU 森山良子「さよならの夏」http://youtu.be/hF-FDy7ilgc
2011年07月25日
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「AIIWAYS~三丁目の夕日」から6年、堀北真希、「白夜行」で花開く(堀北真希)先週の日曜日に、今話題の映画「白夜行」を観て来ました。以下は予告編です。リュウちゃん、現在は糖尿病性網膜症の為、長編小説は全く読めないのですが、発症する前は、日本のミステリー小説を中心に、年間500冊くらいの本を読んでいました。ミステリー小説は少年時代から大好きで、日本の作品も江戸川乱歩から始まり、小栗虫太郎、高木彬光、横溝正史、松本清張、森村誠一などを乱読していましたが、昭和63年、宝島社から年末に発売され始めた「このミステリーがすごい」の影響を受け、読むミステリーの幅もぐっと拡がったのです。平成元年から、網膜症発症で本が読めなくなった平成15年頃までに、愛読した作家名を以下に挙げて見ます。島田荘司、宮部みゆき、連城三紀彦、岡嶋二人(井上夢人)、小池真理子、北村薫、高村薫、恩田陸、加納朋子、真保裕一、桐野夏生、篠田節子、乙一、諸田玲子、光原百合、貫井徳郎、、、そして、東野圭吾。東野圭吾の小説を初めて読みましたのは、多分平成11年の「秘密」からです。この小説は、広末涼子主演で映画化されましたので、御存知の方も多いと思います。「白夜行」は「秘密」の翌年、平成11年にハードカバーが出版された直後に読み、ほとほと感嘆致しました。この小説は、これまで読んだ日本のミステリーの中で、最高傑作だ!ドストエフスキーの「罪と罰」、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」、水上勉の「飢餓海峡」、松本清張の「砂の器」が渾然一体となって大河のように流れ込んだような作品だ!集英社から刊行された単行本は512ページ(文庫本は864ページ)という大長編にして大河ミステリー、おおまかな構成は以下の3部になります。(第1部・大河の源流)大阪、近鉄布施駅付近の廃墟で質屋の主人が殺される。様々な人物が交錯するが、結局、事件は迷宮入り、この事件を担当した笹垣刑事(映画では船越英一郎)は、事件の本部解散後も、ずっとこの事件を追及していく。(第2部・大河の二つの支流)この物語の二人の主人公・桐原亮司(映画は高良 健吾)と西本雪穂(美少女!・堀北真希)の成長していく様子が全く別個に、交錯することなく描かれる。(第3部・二つの支流が合流)第1部と第2部は最初は全く別々の話のように見えたが、第3部では怒涛の如く合流、驚異の結末を迎える。小説では、第1部と第2部の関連が、物語の真ん中あたりまで五里霧中、しかし、それ以後、徐々に霧が晴れてゆき、異様な構想力に惹きつけられて、物語の後半からは息つく間もない面白さの中で最後にこの物語の全貌が明らかになるのですが、最後の最後でまた大ドンデン返し、読了後の脱力感の中で、人間の業の深さについて改めて考えさせられました。今回の映画は、以上の小説の構成を、ほぼそのまま映画化、小説を読んでいない方にとりましては、(第2部)の部分がやや判り難いのではないかと思われましたが、約2時間半の映画で、あの大河ミステリー小説をよく映像化出来たものだと感嘆致しました。小説もそうですが、全体に観客を突き放すような乾いた語り口の作品で、涙脆いリュウちゃんも、この映画では泣かないだどうと思って観ていましたが、最後のシーン近くで、不覚にも涙ボロボロになってしまいました。リュウちゃんは大体、映画は女優さんを観るのが大きな楽しみなので、今回は堀北真希を楽しみにしていました。堀北真希は、平成17年公開の映画「AIIWAYS~三丁目の夕日」で、青森から集団就職で上京した元気な女の子「六ちゃん」の演技で、いっぺんにファンになりました。この時は「真希ちゃん」というべき存在でしたが。今回の「白夜行」では、ものの見事に大変身、影のある美少女役を好演していました。「堀北真希ちゃん」から、「堀北真希様」への変身、リュウちゃん、これからの「真希様」から目が離せないのであります。例によりまして、関連する音楽をUPしました。「夜想曲」(歌)珠妃映画「白夜行」のエンディングに流れる主題歌です。エルガー「愛の挨拶」(ヴァイオリン)千住真理子映画の中で、雪穂の義妹がヴァイオリンで奏でる曲です。「二隻(にそう)の舟」(歌)中島みゆきこの歌はみゆきさんの「夜会1990」で発表され、その後、1992年のアルバム「EAST ASIA」に収録されました。歌詞の一部を以下に挙げます。おまえとわたしは たとえば二隻の舟暗い海を渡ってゆく ひとつひとつの舟互いの姿は波に隔てられても同じ歌を歌いながらゆく 二隻の舟 時流を泳ぐ海鳥たちは むごい摂理をささやくばかり いつかちぎれる絆見たさに 高く高く高く敢えなくわたしが 波に砕ける日にはどこかでおまえの舟が かすかにきしむだろうリュウちゃん、「白夜行」の原作を読んだ時から、若しこの小説が映画化されるのであれば、主題歌は絶対この曲だなと考えていました。世間の暗闇の荒波を別々に航行して行く二人は、まさに「二隻の舟」。二人の来し方・行く手に待つのは「むごい摂理」でも、あえなく彼が波に砕けた日、彼女の船はピクリとも軋まなかったのです!
2011年02月02日
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ああ!やっと念願の「雷桜」が観られた!リュウちゃん、先日。映画「雷桜(らいおう)」を観てきました。殺伐とした時代劇が多い中で、これは久し振りに心洗われる清新な作品で、大感激致しました。「雷桜」予告編原作は宇江佐真理、1949年生まれの時代小説作家、現在、文庫本で8冊が刊行された「髪結い伊三次捕物余話」にリュウちゃん,先ずハマりました。本業の髪結いの傍ら、町方同同心の手先を勤める伊三次と、伊三次を憎からず想っている年増芸者のお文(ぶん)の恋の道行き、江戸の下町を情緒豊かに描き、心暖まる連作小説となりました。単行本第1作「幻の声」を読みましたのが、多分刊行された13年前、第2作「紫紺のつばめ」、第3作「さらば深川」、第4作「さんだらぼっち」と、立て続けに読みました。このシリーズは、1999年にフジTVでドラマ化されました(全9話)。伊三次には歌舞伎の三代目 中村 橋之助、ヒロインのお文(文吉)には、元宝塚の女優・涼風真世、普段、あまりテレビドラマを観ないリュウちゃん、満を持して観たのですが、どうも出来はイマイチだったようで、原作の持つ肌理細やかな味がさっぱり出ていませんでした(残念!)「髪結い伊三次」シリーズ以外にも、当時刊行された新作は、大体発売と同時に読んでいました。「泣きの銀次」、「室の梅 おろく医者覚え帖」、「深川恋物語」、「春風ぞ吹く 代書屋五郎太参る」、「余寒の雪」、「おぅねぇすてぃ」、そして、2000年に刊行された「雷桜」 10年前に「雷桜」を読んだ時には、「これこそ宇江佐真理の最高傑作だ!」と思いました。しかし、(リュウちゃんの印象では)そんなに大きな話題になる事も無く時は過ぎていきました。今年の春、「雷桜」が映画化されるというニュースを聞き、ビックリしました。 「日本映画も捨てたものではないな」しかも、ヒロインの雷(らい)を演じるのが、今年春の山田洋次監督の「おとうと」で主演した蒼井優ちゃん(リュウちゃん、「おとうと」を観て、一遍に蒼井優ちゃんのファンになったのです)映画化のニュースを聞いてから公開までの半年間、ワクワクしながら待ちました。そして、やっと先日、映画「雷桜」を観ることが出来ました!やはりリュウちゃんは蒼井優様の演技に大感激致しました。人里から遠く離れた山育ちの野生の少女から、恋を知り染め、外面は以前の野生児を残しながらも、内燃的には、一人の美しく凛々しい女性に変貌していく様を見事に演じ切っていたように感じました。将軍の子・斉道(岡田将生)と最初に出会うシーン、もみあって女性だと判ってしまった時に見せた表情は、まだ女性らしさのない野生児そのまま、斉道との交流が進み、愛情を感じるようになってからの表情の微妙な変化、しばらく会えなくなってから、ある日の祭の夜、狐の面を被って踊る彼女の前に久し振りに会いに来た斉道と目が合う、歩み寄る二人、斉道が彼女の狐の面を外す、その下から現われた彼女の顔は、完全に成熟した美しい女性だった! この映画の見所の一つは、ヒロインの雷が白馬に跨って、草原を疾走するシーンです。リュウちゃん、このシーンを観まして、「ロード・オブ・ザ・リング」第1部のリヴ・タイラー扮する夕星アルウェンが白馬で森の中を疾走する美しいシーンを思い出しましたが、この「雷桜」には、美しい疾走シーンがふんだんに出てきます。蒼井優様はこの乗馬シーンを全て代役なしで演じているのです。リュウちゃんはずっと蒼井優様だけを観ていました。蒼井優様の演技があまりに素晴らしかったので、共演の岡田将生君に対してはかなり点が辛いのであります。表情の変化が少ない、チョンマゲに馴染んでいない、でも、これは、優様とあのような美しいラブシーンを演じた「いい男」への嫉妬かも知れませんね。二人を取り巻く助演者も素敵でした。雷を赤子の時に攫(さら)って山で育てる男を演じた時任三郎、家老役の柄本明、雷(遊)の母親役の宮崎美子(「雨あがる」以来の人の心を暖かく包み込むような素敵な笑顔!)、皆素晴らしかったですよ!来年の「キネマ旬報」や「日本アカデミー賞」などでは、蒼井優様の主演女優賞は勿論、上に挙げました各氏の受賞も確実だとリュウちゃんは確信しているのでありますよ。この映画は最後に秀逸なオチがあります(岡田将生君は二役なのです)が、それは映画を観てのお楽しみ、真っ白な心でこの映画を観て下さい。暖かい感情に心が満たされますよ。最後に、エンディングで流される主題歌を貼り付けておきます。歌っている「舞花」さんは、19歳のシンガー・ソングライターです舞花「心」(映画「雷桜」主題歌
2010年10月26日
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酷暑の古都 彩る深紅のカーペット8月25日~29日の4日間、遷都1300年で沸いています奈良市で、「なら国際映画祭2010」が開催されました。奈良でこのような映画祭が開催されるのは初めてです、映画大好き人間のリュウちゃん、期待でワクワクしていましたが、何しろフルタイムの仕事をしていますので、開催日初日だけでも顔を出して見ようと考え、初日の25日にデジカメ片手に、猿沢の池に出かけました。映画祭最初のイベントが、25日午後4時からの、「猿沢池五十二段レッドカーペット」だったからです。 「なら国際映画祭」は、第60回カンヌ国際映画祭(2007年)てグランプリを受賞した、奈良在住の映画作家 河瀬直美さんが、ふるさと奈良を映画文化で活気づけようとして提唱、河瀬さんの提唱に賛同した地元の有志の人たちが、NPO法人「なら国際映画祭実行委員会」を設立、地元の企業からの寄付、公的助成金、一口1万円からの個人の寄付などで運営資金を捻出、遷都1300年にあたる節目の年に、第1回「なら国際映画祭が開催されたという次第です。 この日のレッドカーペットには、主唱者の河瀬直美さん、コンペティション作品「光男の栗」に主演した女優の桃井かおりさんを初めとして、出品作品の監督・俳優などの関係者の方々、それと、映画祭のサポーターの皆様がレッドカーペットを歩きました。この日のレッドカーペットの周囲には、映画ファン、たまたま行き合わせた観光客で一杯、一般客の一人であったリュウちゃん、なかなかいい写真を撮るスポットが見つけられず、冒頭及び下記の写真を撮るのが精一杯でした。午後5時前にレッドカーペットが無事終了、レッドカーペットの頂上からほど近い奈良県文化会館でオープニングセレモニーが行われ、リュウちゃんも2000円の当日券を買って入場しました。 今回の映画祭で上映された映画は、全部で22作品、その内訳は、(1)新人コンペティション作品8作(これまで3本以上の劇場用作品を手がけたことがない新進気鋭の映画作家の作品、今回の映画祭の中心になる作品です)、(2)NARAtive(ならティブ)プロジェクト作品→奈良を世界に発信すべく結成されたプロジェクト、今回の上映作品は位以下の2本です。「びおん」(山崎 都世子)、「光男の栗」(趙曄)(3)NARA-wave(ならウェイブ)プロジェクト作品→コンペティション部門とは別に、学生新人監督の中から、有能な作家を育成して行こうという意味のプロジェクト、今回は西中拓史監督の「APE(エイプ)」他、全9作品が上映されました)(4)奈良ゆかり(昔なつかしの映画)→「雄呂血」(坂東妻三郎主演)他、全2作品、25日のオープニングの日には、NPO法人「なら国際映画祭実行委員会」の委員長の挨拶の後、上記出品作品の内、NARAtive(ならティブ)プロジェクトの「びおん」、「光男の栗」の2作品が上映されたのですが、目の悪いリュウちゃん、座った席からは画面が遠く、ぼんやりとしか画面が見えませんでしたので、残念ながら最初の「びおん」を観ただけで、会場から退席いたしました(残念!なのです) 映画祭は、グランプリにあたりますゴールデンSHIKA(鹿)賞に、ペドロ・ゴンサレス・ルビオ監督の「海へ」が選出され、8月29日に閉幕しました。 河瀬直美監督に思いこがれて リュウちゃん、この「なら国際映画祭」では、てっきり河瀬直美監督の新作を初め、彼女の旧作がまとめて観られるコーナーがあるものだと考えていました。の旧作がまとめて観られるコーナーがあるものだと考えていました。 よし、この機会に、世界的に評価の高い河瀬直美作品をじっくりと観てみよう。しかし、今回の映画祭では、河瀬監督の作品を上映するコーナーはありませんでした(残念!) この機会に、河瀬直美監督のプロフィールと、主要作品を紹介してみます。 (プロフィール)1969年 奈良市生まれ、1989年大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)映画科卒業。自主映画「につつまれて」(1992)「かたつもり」(1994)が、1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭はじめ国内外で注目を集める。劇場映画デビュー作「萌の朱雀」(1996)で、1997年カンヌ国際映画祭カメラド-ル(新人監督賞)を史上最年少受賞。続く「杣人物語(そまうどものがたり)」(1997)で、1999年ニオン国際映画祭特別賞受賞。第60回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した「殯の森」(2007)は2007年7月より全国上映、2008年には、長谷川京子を主演にむかえ、初の海外ロケを行った「七夜待(ななよち)」が公開された。(オフィシャルサイトから抜粋、写真も拝借しました) (劇映画)★ 「萌の朱雀」(もえ の すざく)(1997年)★ 「火垂」(ほたる)(20001年)★ 「沙羅双樹」しゃらそうじゅ)(2003年)★ [殯の森](もがり の もり(2007年)★ 「七夜待」(ななよまち)(2008年)他、ドキュメンタリー作品多数あり(最新作)『玄牝-げんぴん-』 (自然分娩をテーマにしたドキュメンタリー映画、今秋、渋谷文化村ユーロスペースでロードショウ)、やっぱり奈良人としては、いつか機会があれば、河瀬直美監督の映画に浸ってみたいと思っているリュウちゃんなのであります。 (特報!!!) ノーベル文学賞が期待される村上春樹原作の話題の映画「ノルウェイの森」に、前回のブログで紹介したリュウちゃんの姪が出演???詳細が判りましたら、またブログで書きます。
2010年09月04日
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リュウちゃん、先日、山田洋次監督の最新作「おとうと」を観てきました。山田さんの映画を初めて観たのは、昭和46年公開の「男はつらいよ純情編」、社会人になって2年目の年でした。それまで、日本の喜劇といえば、いわゆるアチャラカ喜劇で、大半の作品が、アハハと藁っておしまいという軽い感じのものだったのですが、初めて観た「寅さん」映画は、リュウちゃんのこれまでの日本の喜劇映画の考え方を180度覆すような衝撃を受けました。「この映画には、人生の喜怒哀楽が一杯詰まっているな」それから、リュウちゃんの「寅さん」行脚が始まったのです。当時は、旧作の3本立てをやっている映画館がいくつもありまして、よく休日には三鷹にある映画館などで「寅さん3本立て」がある時には、必ず足を運びました。新作封切りと同時に映画館に足を運ぶようになったのは、第8作の「寅次郎恋歌」(公開:昭和46年)からです。「男はつらいよ」の第8作、「寅次郎恋歌」は、二つの点で、「寅さんシリーズ」の転機となった作品です。一つは、これまでの作品が上映時間90分前後、封切り時に2本立てを前提とした上映時間になっていましたが、「恋歌」の上映時間は113分、一挙に30分近く長い映画になりました。これにより、1本だけでも興行に耐えるだけの映画としての品格と奥行きが出てきたように思われます。もう一つは、マドンナの役柄の設定、これまでのマドンナは、寅さんが一方的に憧れるだけの存在で、寅さんとマドンナの間には、ほとんど人間としての交流がありませんでした、また、マドンナも、単に美しい女性というだけで、彼女の人間としての、また生活者としての悩みや葛藤がほとんど描かれませんでした。「寅次郎恋歌」での池内淳子扮するマドンナ・六波羅貴子は、一人息子が小さい時に夫と死別し、女手一つで喫茶店を経営しながら息子を育てているという設定、これまで、お人形のように実体が希薄だったマドンナの造形に、血と肉を入れた最初の作品だったように思われました。このマドンナの設定の変更が、以降、トータル48作にもなる大河シリーズになったのだと、リュウちゃんは考えています。「おとうと」の巻頭は、蒼井優のナレーションから始まります。彼女は、昭和40年代の高度成長期に生まれたという設定、何と、「男はつらいよ」の一場面も登場します。リュウちゃん、この巻頭の部分から、「あッ、これは「男はつらいよ」の第1作と同じ語り口だな!」と感じました。実際に、「おとうと」は「男はつらいよ」の設定と共通している部分が非常に多いなと思います。具体的には、(1) 吉永小百合扮する高野吟子と、笑福亭鶴瓶扮する丹野鉄郎(この役名、あきらかに丹波哲郎のもじりですね)との関係は、「男はつらいよ」の、さくらさんと寅さんの関係です。「男はつらいよ」は、愚兄賢妹でしたが、「おとうと」は、賢姉愚弟という訳です。(2) 哲郎が小春(蒼井優)の結婚式で大失態を演じてしまうシーンは、「男はつらいよ」第1作で、さくらの見合いの席で寅が大失態を演じてしまうシーンとダブります。(3) 結婚式のスピーチで、哲郎が「王将」の一節を語り、歌うシーンは、寅さんが、1作の中で、必ずある熱弁を振るうシーン(いわゆる、寅のアリア)とオーバーラップします。(4) 小春と幼なじみの大工の長田君(加瀬亮)が、「離婚したと聞いて、ヤッターとおもった」と小春に告げるシーンは、「男はつらいよ」第1作で、博が「とらや」の土間で、さくらさんに恋の告白をするシーンとダブります(第14作「寅次郎子守唄」でも、十朱幸代扮する看護婦の京子さんに、上條恒彦扮する大川青年が、同様な恋の告白をするシーンがありました)(5) 最愛の夫と死別し、女手ひとつで人生の荒波を乗り越えていくという吟子さんの設定は、吉永さんがマドンナ・歌子さんを演じた「男はつらいよ」の第8作「柴又慕情」、並びに第13作「寅次郎恋やつれ」の歌子さんの後日談のような気がします。歌子さんは、父親(宮口精二)の反対を押し切って、瀬戸で陶芸家を目指す青年と結婚しますが、早期に死別、女ひとりで生きていくべく、伊豆大島の擁護施設に旅立つ、という設定でしたが、「おとうと」では、その後日談を見たような気がしました(夫に死別し、女手ひとつで生活していくという設定は、他にも第8作「寅次郎恋歌」の六波羅貴子さん(池内淳子)、第40作「寅次郎サラダ記念日」の原田真知子さん(三田佳子)などがあります。「男はつらいよ」との共通点は、他にも幾つか指摘されると思います。今回の映画の大きなテーマの一つは「人間の尊厳ある死」であると思います。寅さんの啖呵売の口上に「人間、生まれてくる時はたった一人、死んでいく時にも、たった一人で御座います」というのがありますが、どんな人間であれ、死んでいく時には、人間としての尊厳ある死を迎えたいと考える筈です。例え、鉄郎のような、どうしようもない人生を送ったものでも、その思いは変わらない、この映画では、そんな人間誰しも持つ「尊厳ある最期」という願望を美しく映像として結実させたと思います。鉄郎が最期を迎える「みどりのいえ」は、プロダクション・ノートによれば、東京・台東区山谷にある「きぼうのいえ」をモデルにしたようです。「きぼうのいえ」では、身寄りのない人、何らかの原因で、世間との交際を絶った人が、再び新しい人生に出発していく、あるいは、ここで人生の最期を迎える、赤字を抱えながらも、民間設立のホスピスとして、奮闘している団体のようです。「みどりのいえ」で最期を迎える事となった鉄郎の周りには、ある事がきっかけで絶縁状態になっていましたが、それでも肉親の情で捜索願いを出していた吟子さん、その娘の小春さん、小春さんの婚約者の大工の長田君が駆けつけます。「みどりのいえ」の園長の奥さん(石田ゆり子)が最期の鉄郎にささやく「もうすぐ楽になれます」との趣旨の呼びかけは、死んでゆく鉄郎にとって、最後の慰安となった筈です。いや、実に美しいシーンで、リュウちゃん、涙ボロボロになりました。この映画の原案となりましたのは、昭和35年公開の市川昆監督の同タイトルの映画です。リュウちゃん、こちらの映画は、ビデオで一度観たのみで、あまり強い印象は無いのですが、岸恵子が賢いお姉さん、川口浩が、少々グレた弟、この弟が、若くして肺結核で亡くなってしまう、その臨終の際に、弟の腕にリボンを結わえ、姉の腕に結びつける、この設定を山田洋次監督は、借用しています。市川版「おとうと」は、若くして肺結核、山田版「おとうとは。初老で末期癌、死因も時代を反映している感がありますが、人間、何歳であろうとも、どのような原因であろうとも、「死」は等しく、未知で、凡人にとっては、迎えうつ覚悟が出来ないものです。この映画は、我々凡人に「人間の尊厳ある死」とは何であるかを見せてくれたような気がします。主演の吉永小百合ちゃん、笑福亭鶴瓶は、山田監督の前作「母べえ」に続いての連続登板、「母べえ」のキャラクターを基本的には継承していますが、今作のほうが二人共、役柄に深みが出ていて、大変好感がもてました。娘の小春を演じた蒼井優さん、何と美しく、上品で、凛とした佇まいの女性なのでしょう!山田洋次さんは、出演した女優さんの一番美しい所を引き出す事にかけては、当代隋一の監督であるとリュウちゃんは考えていますが、また此処に、新たな「山田ビューティ・ヒロイン」が誕生しました!ここ暫くは、リュウちゃんの「デイーヴァ(女神)」は、蒼井優様に決定!なのです。
2010年02月06日
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