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神話の鳥・白鳳のハートマークの尾羽に胸キュン!現代ポップアートの先駆「老松白鳳図」、遂に登場!(「動植綵絵」25番、「老松白鳳図」の尾羽の部分図)これまで2回に渡り紹介してきました伊藤若冲の「動植綵絵」も、いよいよ今回でラストになります。これまでリュウちゃんも殆ど無知だった若冲の「動植綵絵」ですが、このブログ作成に悪戦苦闘することにより、おぼろげではありますが、若冲の魅力の一端を垣間見することが出来たと思っています。例によりまして個々の図には、リュウちゃんの素人丸出しの下手な説明文を付けていますが、若冲をよくお知りの方は無視して下さいね。 -----{伊藤若冲「動植綵絵」全30幅その3}(21)「薔薇小禽図 (ばら しょうきんず)」→明和2年(1765年)頃の作、紅、うす紅、白の3種のバラの図に小鳥1羽、画面右上の斑点のある黒い塊は苔むした岩なのでしょうか?、江戸時代以前の日本画でバラの図は珍しいですね。(22)「牡丹小禽図(ぼたん しょうきんず)」→明和2年(1765年)頃の作、(21)の「薔薇小禽図」と一対をなす図と考えられています。両作共、花の中に小鳥が埋まってしまっていて、よく見ないのと小鳥が何羽いるのか、すぐに確認出来ないですね。こちらの図には2羽の小鳥が描かれています。(23)「池辺群虫図(ちへん ぐんちゅうず)」→明和2年(1765年)頃の作、水辺に実った瓢箪の周りに群れる蛙、蛇、蝶、トンボなど、この図には60匹もの小動物が描かれています。リュウちゃん、この図から「鳥獣戯画」を連想しました。(24)「貝甲図 (ばいこうず)」→明和2年(1765年)頃の作、「動植綵絵」初めての「海の図」、サンゴ、巻貝、2枚貝、、、いったい、何種の貝が描かれているのか、まるで博物学の精密画のようなリアルな貝類は、標本を見て描かれたのか? 江戸時代に描かれた図とは思えないようなリアルな図ですね。ここから「第3期」にはいります。これまでの「第2期」の作品は、宝暦11年(1761年)頃 - 明和2年(1765年)頃に制作されましたが、「第3期」の作品は、明和2年(1765年)頃 - 明和3年(1766年)頃に制作された作品です。(25)「老松白鳳図(ろうしょう はくほうず)」→中国神話に出てくる伝説上の鳥「鳳凰(ほうおう)」、この作品は「動植綵絵」を代表する大傑作だとリュウちゃんは思っています。若冲には「鳳凰」を描いた図が「老松白鳳図」を含め、少なくても4幅あります(「日出鳳凰図(にっしゅつ ほうおうず)」、「旭日鳳凰図(きょくじつ ほうおうず)」、2対から成る「孔雀鳳凰図」の一つ「鳳凰図」、そして「老松白鳳図」です)以下に「老松白鳳図」に先行する2幅を紹介します。★「日出鳳凰図」→「旭日」を背に華麗に飛翔する鳳凰を描いた「吉祥画」です(制作年代不明、ボストン美術館蔵)★「旭日鳳凰図」→若冲が画業に専念するようになった40歳の時に完成した作品、1つがいの鳳凰の尾羽は既にハート型になっています。さて、(25)の「老松白鳳図」です。「動植綵絵」シリーズ4作目にして最後の「老松図」であると共に、シリーズ8作目にして最後の「白い羽の鳥の図」、「動植綵絵」で追い求めた2つのテーマの集大成のような図だとリュウちゃんには思われました。鳳凰の白い羽は下塗りした金泥の効果で、見事に輝いています。羽の先端のハート型、この造形感覚は現代のポップアートそのものですね!手塚治虫の漫画に「火の鳥」という作品があります。「火の鳥」はエジプト神話に出てきますフェニックス(不死鳥)で、中国神話の「鳳凰」とは違うのですが、手塚治虫さんは「火の鳥」のキャラ(以下の図)を描くに当り、若冲の「老松白鳳図」を参考にしたのではないかとリュウちゃんは妄想しているのです(苦笑)(26)「芦雁図(ろがんず)」→凍てついた水面に真っ逆さまに落ちるような1羽の雁、画面上部いっぱいに描かれた「落雁」が不安と異様な感銘を観る者にもたらす図です。この「不安感」は、若冲が後継者としていた末弟の宗寂が急逝したことに関係があるとする説があるようです。(27)「群魚図(蛸)(ぐんぎょず たこ)」→マダコを含む16種類の海の魚が画面左下に向かって一直線に泳ぐ図です。海の魚の描写は、魚類図鑑のように正確、若冲が生まれ育った京都の錦市場の魚店で陳列されていた本物を見て描いたのかも知れませんね。上から2番目の魚は「鰹(カツオ)」ですが、腹に特有の横縞があります。このカツオの横縞は死んですぐ現れるもので、遊泳しているカツオにはこの縞が無いのだそうです(現代でも遊泳しているカツオを見る機会は稀ですので、この「間違い」は致し方ないですね)(28)「群魚図(鯛)(ぐんぎょず たい)」→(27)と一対をなす図、こちらは「鯛」が一番大きく描かれているので便宜上「群魚図(鯛)」と命名されたようです。(29)「菊花流水図 (きくか りゅうすいず)」→S字型に配置された流氷を背に、咲き誇る白菊の「若冲ホワイト」が印象に残ります。紅い菊の花の周りに遊ぶ小鳥たちは少し印象が薄いですね。これは「動植綵絵」第3期の特徴のようです。白い菊の花と画面下の突き出た岩が若冲の「男色」を暗示しているという説がありますが、どうなのでしょうか?(30)「紅葉小禽図(こうよう しょうきんず)」→第1回目に紹介しました(4)の「秋塘群雀図」と並ぶ2作目の「秋の図」、紅葉の枝にとまっている2羽の小鳥は、秋に南方に渡っていく「オオルリ」です。下のオオルリがとまっている紅葉の枝が「円い輪」になっているのが面白いですね、こんな枝、実際にあるのかな?以上で3回に分けて紹介させていただきました伊藤若冲「動植綵絵」は終わりです。永年憧れていました若冲の「動植綵絵」、今年の7月17日に京都・相国寺境内にある「承天閣美術館」の「生誕300年記念・伊藤若冲展」で一挙に観ることが出来ました。このブログを書き終える今、リュウちゃんの「動植綵絵」ベスト3は以下です。(1位)→(25)の「老松白鳳図」、(2位)→(20)の「群鶏図」(3位)→(9)の「老松孔雀図」3位以下の順位はその日の気分によって左右されそうですが、1位、2位は多分、永久に不動だと思っています。皆様のベスト3は如何でしょうか?このブログの最後に、最初にはりつけた「相国寺・承天閣美術館」での「若冲展」のポスターを再掲します。会場の「相国寺・承天閣美術館」へのアクセスは、京都市営地下鉄「今出川」駅下車徒歩8分です。尚、この「若冲展」は2016年12月1日(日)まで年中無休で開催されています。複製品ということもあり、殆ど待ち時間無しで入場出来ますので、興味を持たれた方はぜひ行ってみて下さいね。伊藤若冲の30幅の「動植綵絵」最高です!
2016年08月20日
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何だ何だ何だ何だこの絵は!!!???、赤い顔の馬なのか?(答えはブログの最後で明かされます)若冲流シュルレアリズム(超現実主義)、ここに極まれり!前々回のブログに続き、伊藤若冲の「動植綵絵」全30幅の紹介の2回目です。前回と同じように、個々の図につきまして、リュウちゃんの素人丸出しの勝手なコメントを入れますことをご容赦下さい。(11)「老松白鶏図(ろうしょうはっけいず)」→宝暦10年(1760年)頃の作。副題:「晴旭三唱」、「動植綵絵」では初めての白い鶏の図、このシリーズでは前回のブログで紹介した(9)「老松孔雀図」に続く2作目の「白い鳥」の図です。白い羽が輝いているように見えるために若冲は下地に金泥を引き、その上に糊粉を用いて羽を描いたようです。まるで錦蛇のような老松の枝と白い羽の対称が絶妙!(12)「老松鸚鵡図(ろうしょうおうむず)」→宝暦10年(1760年)頃の作。副題:「隴客来集」、(9)「老松孔雀図」、前作「老松白鶏図」に続くシリーズ3作目の「老松と白い羽の鳥」の図です。2羽の白い鸚鵡の視線の先には緑色の鸚鵡が小さなトライアングルに配置されています。猛々しい鶏の図と比べると、鸚鵡は柔和で可愛いですね。錦蛇のような老松の枝はこの作品が一番立派!以上12作が「動植綵絵」第一期作品です。以下、(13)の「芦鵞図」から(24)の「貝甲図」までが第二期、(25)の「老松白鳳図」から(30)の「紅葉小禽図」までが第三期の作品ということになります。この区分は、その著書「奇想の画家たち」などで若冲を再評価した美術史家・辻 惟雄(つじ のぶお)博士によるものです。また、第一期の作品に付けられた「副題」は、若冲の禅の師匠で、相国寺の高僧であった大典顕常(だいてん けんじょう)師によるものです。(13)「芦鵞図(ろがず)」→宝暦11年春の作、(11)の「老松白鶏図」から3作連続の「白い羽の鳥の図」です。背景の「水辺の芦」は荒々しいタッチの墨絵で描かれていて、「動植綵絵」の中では異色の作品です。鵞鳥の表情がちょっと平凡な感じですね。(14)「南天雄鶏図(なんてんゆうけいず)」→明和2年(1765年)の作、この「黒い雄鶏」は「軍鶏(しゃも)」、江戸時代初期にシャム国(現在のタイ)から輸入されたので「シャモ」と名付けられたようです。葡萄のようにたわわに実をつけた赤い南天と白菊が軍鶏の猛々しさを見事に表現していますね。(15)「梅花群鶴図(ばいかぐんかくず)」→明和2年(1765年)頃の作、シリーズ5作目の「白い羽の鳥の図」です。シリーズ唯一の「鶴の図」です。この図の中には6羽の鶴が描かれていますが、どう数えても5羽にしか見えません。足の数から、かろうじて6羽ということが判るのです。やはり白梅と「白い羽」が印象的ですね。(16)「棕櫚雄鶏図(しゅろゆうけいず)」→明和2年(1765年)頃の作、黒い雄鶏は軍鶏、白い雄鶏は白鶏シリーズ6作目の「白い羽の鳥の図」でもあります。背景の、かなりデフォルメされた棕櫚は、軍鶏と同じく南国を連想しますが、ヤシ科の植物の中では唯一、日本各地に自生している常緑高木樹なのです。軍鶏の猛々しさが印象に残りますね。(17)「蓮池遊魚図(れんちゆうぎょず)」→明和2年(1765年)頃の作、「動植綵絵」では初めての「魚の図」、描かれた10匹の魚の内、上の9匹は「鮎」、下の1匹は「オイカワ(ハヤ)」のようです。まるで空中を泳いでいるかのような作図がユニーク、虫食いだらけのハスの葉も相国寺に寄進された図としてはユニークな感じがします。近代のリアリズムに通じているのでしょうね。(18)「桃花小禽図(とうかしょうきんず)」→明和2年(1765年)頃の作、蕾から満開、さまざまに咲き誇る桃の花にお枝に5羽の小鳥がXの形に配置された図です。3羽は「白鳩」なのですが、一番下の鳩は目の悪いリュウちゃんにとりましては「白貂(しろてん)」のように見えてしまいました(よく見ると、長いくちばしがあるのですが、)この作品も「白い羽の鳥の図」で、シリーズ7作目に当たります。・「桃花小禽図」の最下部の「白鳩」から、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」(下記)を連想してしまいました。(19)「雪中錦鶏図(せっちゅうきんけいず)」→明和2年(1765年)頃の作、少し溶け始めた雪に覆われた榧(かや)の木に留まるつがいの錦鶏鳥、「錦鶏」は中国南部からアジアの高地に住むキジ科の鳥で、雄は赤と光沢のある黄色を基調とした華麗な羽を持っています。この図の錦鶏は全体に背景の中に落ち込んでしまったようにリュウちゃんには思われました。リムスキー・コルサコフ作曲・組曲「金鶏」https://www.youtube.com/watch?v=ANBfzhm0Ay4(20「群鶏図(ぐんけいず)」→明和2年(1765年)頃の作、先ずこのブログの冒頭の図を少し縮小して以下に再掲します。更に上図を上下反転します。冒頭の図は「動植綵絵」を代表する傑作「群鶏図」の下部にある正面から描いた鶏の頭部の図だったのです。上記「群鶏図」には少なくとも13羽の鶏が描かれています。個々の形から推定しますと全て雄鶏、猛々しい雄鶏が12羽も絶妙に組み合わされ、正に雄鶏のエネルギーが大爆発していますね。写実的な図でありながら、雄鶏の奇妙な恰好が現実的なものとは思われません(特に反転した正面から描かれた図!)。このような表現が、若冲が「シュルレアリズム(超現実主義)のの先駆」という評価が出てくるのだ思います。「群鶏図」は凄い!(以下、「伊藤若冲の代表作「動植綵絵」全30幅その3」に続きます)
2016年08月12日
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「奇想の画家」伊藤若冲、代表作「動植綵絵」全30幅、相国寺承天閣美術館で一挙展示前回のブログで紹介しました京都府立植物園でハスを鑑賞したあと、午後から相国寺承天閣美術館で開催されている「生誕300年記念・伊藤若冲展」を観に行ってきました。以前から憧れていた「動植綵絵」全30幅が一挙に観られる、これは必見だ!リュウちゃんが若冲の鮮やかな鶏の絵に魅せられたのは、比較的最近のことで、ほぼ10年くらい前のことです。以来、京都で開催される「若冲展」には何度も足を運びましたが、あの極彩色の鶏の絵は、どこでもお目に掛かれなかったのです。あの極彩色の鶏の絵、何という作品なのだろう?美術オンチのリュウちゃん、若冲の鮮やかな鶏の絵が、30幅から成る「動植綵絵(どうしょくさいえ)」という作品であると判ったのは、何と、今年の初めのことだったのです。今年4月、東京都美術館で「若冲展」が開催され、東京では初めて「釈迦三尊図」(全3幅)と「動植綵絵」全30幅が同時公開されました(以下の写真は東京の「若冲展」のポスターです)今回の相国寺承天閣美術館で展示された「動植綵絵」は東京の展覧会とは違い、コロタイプ印刷で精巧に再現された複製画だったのですが、初めて観るリュウちゃんは大感激でした。その感激を伝えたいと思い、今回からのブログでは、全30幅の「動植綵絵」を出来るだけ大きな画像で、出来るだけ鮮明にブログで再現してみようと思いました。承天閣美術館の展示は複製画なので、写真撮影が出来ることを期待していたのですが、残念ながら撮影禁止、なので、以下の掲載する画像は全てネットで公開されている画像をコピーしたのもになってしまいました。著作権上、多少の問題があるのかも知れませんが、「動植綵絵」全30幅を画像付きで紹介したいという誘惑には勝てなかったのです。ご容赦下さい。画像紹介の前に、「動植綵絵」について、以下に簡単にメモします」。~「動植綵絵」簡単メモ~(1) 制作年代→宝暦7年(1757年)頃~明和3年(1766年)頃、若冲41歳~50歳の9年間で制作、若冲により相国寺に寄進されたが、明治22年(1880年)、皇室に献上、現在は宮内庁三の丸尚蔵館が保管、(2) 絹本着色(けんぽんちゃくしょく)→高価な絹の布地に高価な絵の具で描かれたためか、260年を経た現在でも、昨日描かれた絵のような鮮明さを保っている。(3) サイズ→全30幅共、縦約142cm、横約80cm,(4) 画材→鳥、鳳凰、草花、魚介類などが、さまざまな色彩と形態のアラベスクを織り成す、中でも、鶏を描いた8幅は正に圧巻!{伊藤若冲「動植綵絵」全30幅完全紹介(1)}(!)「芍薬群蝶図(しゃくやくぐんちょうず)」→宝暦7年(1767年)頃の作品、副題「艶霞香風」、華麗な芍薬の花の周りを群れ飛ぶ大小の蝶、この絵の主役は画面下の芍薬の花だ。(2)「梅花小禽図(ばいかしょうきんず)」→宝暦8年作、副題「碧波粉英」、この絵に描かれた8羽の小鳥はメジロかウグイスか? 画面下に渓流が描かれているが、ここは「月ヶ瀬梅渓」なのか???(3)「雪中鴛鴦図(せっちゅうえんおうず)」→宝暦9年(1759年)2月の作、白い雪に覆われた石の上の雄もオシドリが鮮やかだ。メスは水中に潜っているが、オシドリも雄のほうが鮮やかな鳥のようだ。(4)「秋塘群雀図」(しゅうとうぐんじゃくず)」→宝暦9年(1759年)作、副題「野田楽生」、描かれた74羽の雀、個々の雀は皆、微妙に違っている。上空にただ1羽だけ白い雀、これは雀のアルビノなのか?この白雀が画面を引き締めているようだ。(5)「向日葵雄鶏図(ひまわりゆうけいず)」→宝暦9年8月作、副題:「初陽映発」、「動植綵絵」では初めての鶏の図、後出の鶏の図と比較すると首がやや長く、バランスが悪いように感じるが、堂々とした図だ。(6)「紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)」→宝暦9年(1759年)秋の作、副題:「堆雲畳霞」、初めての双鶏図、前出の「向日葵雄鶏図」と比べても、この雄鶏は凄い貫禄だ!(7)「大鶏雌雄図 (たいけい しゆうず)」→宝暦9年作、副題:「聯歩祝祝」、バックに何も描かず、雄雌2羽の鶏だけを描いた若冲としてはは珍しい作品。3作連続の鶏の図、この辺りで「動植綵絵」のメインテーマが「鶏の図」になってきたようにリュウちゃんは感じました。(8)「梅花皓月図 (ばいか こうげつず)」→宝暦10年(1760年)頃の作、副題:「羅浮寒色」、梅の花に満月の図、「動植綵絵」シリーズでは唯一、動物が登場しない図です。美術オンチのリュウちゃんの眼には、少々迫力不足のように感じられました。梅の木に寄生する苔のブルーが印象的です。(9)「老松孔雀図 (ろうしょう くじゃくず)」→宝暦10年(1760年)頃の作、副題「芳時媚景」、シリーズ屈指の人気作、孔雀の白い羽の先端に至るまで、リアルに描かれているのが印象的です。羽の先端のハート型にリュウちゃん大感激!、これは次々回紹介予定の(25)「老松白鳳図」に繋がって行きます。この作品の後、「白い羽の鳥の図」が繁出しますが、この作品の白い羽は若冲本人も気に入ったのかも知れませんね。(10)「芙蓉双鶏図 (ふよう そうけいず)」 :宝暦10年(1760年)頃の作、副題「芳園翔歩」、(6)の「紫陽花双鶏図」とよく似た構図ですが、首を捻った雄鶏と、それに対抗するような雌鶏の描き方が斬新ですね。これは「求愛のポーズ」なのか?当初は一挙に30幅全部を紹介しようyと思ったのですが、図が縦長で大きいので、1回のブログで10幅ずつ、計3回に渡り紹介することにしました。いよいよ次回には、このシリーズ一番の人気作(20)「群鶏図」が登場します。乞う、ご期待!?(以下、「伊藤若冲の代表作「動植綵絵」全30幅その2」に続きます)
2016年07月30日
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巨匠エル・グレコの傑作群、めくるめく色彩の美に酔う。(「無原罪のお宿り」、縦347bm、横174cm) 先週末、大阪・中ノ島の「国立国際美術館」で開催されている「エル・グレコ展1」を観に行ってきました。http://www.el-greco.jp/ 日本絵画はもとより、西洋絵画にも全く門外漢のリュウちゃん、良い映画を観に行くような感覚で展覧会を観に行ったのですが、大画面いっぱいに展開された素晴らしい色彩のパノラマに圧倒されました。 今回のブログでは、門外漢であるリュウちゃんがこの展覧会で気付いた点、感銘を受けた作品の幾つかについての素人談義をさせて頂きたいと思います。 (1) エル・グレコについて、エル・グレコは本名ではなく、イタリア語で「ギリシャ人」を意味する「グレコ」という言葉に、スペイン語の男性定冠詞の「エル」を被せた通称です。いはば、「ギリシャの叔父さん」という綽名のようなものです。通称のように、ギリシャのクレタ島出身、本名は「ドメニコス・テオトコプーロス」です。 (2) マニエリスムについてエル・グレコはマニエリスム後期を代表する画家の一人とされています。マニエリスムとは、ミケランジェロによって完成された手法(マニエラ)を基に、それを変形し、誇張し、蛇のように曲りくねったような造形にした時代様式のようです。冒頭の「無原罪のお宿り」の中央の聖母マリアの極端にデフォルメされた体型は、マニエリスムの典型的表現と云えるようです。 (3) エル・グレコが採り上げた題材についてエル・グレコは73年の生涯に多数の絵画を残しましたが、その大半はカトリックの教義に基づく宗教画です。リュウちゃんは一般的知識として、イエス・キリストの事績に全く無知という訳ではないのですが、エル・グレコの宗教画のタイトルには意味不明なものが多いので、以下に幾つか不明な題材の意味を以下に書いてみます。 (A)「無原罪のお宿り」冒頭の絵のタイトルです。キリスト教における「原罪」とは、神が自身に似せて創ったとされる最初の人間(アダムとイヴ)が、蛇に唆されて、神が禁じた「善悪を知る知識の木の実」を食べたことにより、アダムとイヴの後裔である人間は全て「原罪」を負った。しかし聖母マリアただ一人は、「原罪」を持たずに生まれ、「無原罪」でキリストを懐胎したという教義。 (B)受胎告知処女マリアの所に大天使ガブリエルが降り、マリアが精霊によってイエスを身ごもることを告げ、マリアがそれを受け入れることを告げるというエピソード、キリスト教文化圏の絵画では最もポピュラーな題材です。エル・グレコもこの題材の絵は何点かあり、倉敷の大原美術館の絵は有名ですが、今回展示されたものは、マドリードの美術館から出品されたものです。(大原美術館所蔵の受胎告知) (C)三位一体キリスト教において、「父なる神」と「子なるイエス・キリスト」と、「父なる神と子なるイエスの永遠の愛であり、神の属性である精霊」は、一体(唯一の神)であるという教えです。 (D)聖母被昇天聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという教義で、1950年11月1日に教皇ピオ十二世が全世界に向って処女聖マリアの被昇天の教義を公布しました。 (E)聖人キリスト教の聖人は、十二使徒を始めとして、主にキリスト者として殉教した人たちが聖人に列せられるケースが多いようです。カトリックだけでも100人余りが聖人に列せられているようです。 と、いろいろと俄か調べを書いてみましたが、キリスト教の2000年に及ぶ教義を門外漢のリュウちゃんが数日で掴むことは到底無理がありますので、この辺で俄か薀蓄はお終いといたします。キリスト者でないリュウちゃんのような凡人は、エル・グレコの絵の前に佇んで、その圧倒的な表現力に心地よく打ちのめされるのみなのです。 大阪での展覧会は12月24日で終了し、来年1月19日から4月7日まで東京の「東京都美術館」で開催される予定です。 関西圏の皆様、今週末に是非、「エル・グレコ展」に出掛けて見て下さいね。
2012年12月20日
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伊勢の陶芸家・小出甚吉氏の鉄結晶大皿第58回日本伝統工芸展入賞!(鉄結晶大皿:今回の入賞作品と同一趣向の別作品です) 先日、リュウちゃんの高校時代からの友人で、故郷の三重県伊勢市でプロの陶芸家として創作活動を続けています小出甚吉君から葉書が届きました。(小出君につきましては、リュウちゃんの5月31日付けの以下のブログをご参照下さい)http://plaza.rakuten.co.jp/0511katutyan/diary/201105310000/ 葉書の文面には、「この度、新しく作陶した鉄結晶大皿が第58回日本伝統工芸展に入選し、名古屋三越で展示中」という案内状でした。 陶芸には門外漢のリュウちゃん、「日本伝統工芸展」という展覧会がどのようなものか、まったく判りませんでした。で、俄か調べをしましたところ、絵画・彫刻などの「日展」、「二科展」に匹敵する日本最高の伝統工芸作品の公募展なのだそうです。 10月7日の朝日新聞夕刊の特集記事「美を極めた手仕事」によれば、「陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸の7部門に、全国から1961点の応募があり、入選した300余点を展示」とありました。 入選300余点の内、約1/3が「陶芸」、やはり「陶芸」の裾野の広さが覗われますね、 「日本伝統工芸展」は、陶芸家が全国的な知名度を得る登竜門なのだ!と、リュウちゃんは思いました。 で、10月8日に、名古屋三越に、この展示会を見に行って来ました。 会場での展示は、殆どの作品が明るい照明の下、テーブルの上に作品が整然と陳列されていて、手を触れる事はNGですが、ごく近くまで目を近づけて作品の細部に渡って鑑賞出来ます。門外漢のリュウちゃんではありますが、現代伝統工芸の作品の多彩さに魅せられ、2時間余りも釘付けになってしまいました。 会場での撮影はNGだったので、5月31日のブログで紹介出来なかった作品をUP致します。今回の彼の入賞作品は、冒頭の「鉄結晶大皿]と同趣向の作品です。 尚、この「第58回日本伝統工芸展」は、以下のスケジュールで、来年の3月まで、全国各地で展覧会がありますので、皆様のお住まいの近くで展覧会がありましたら、是非、足を運んで見て下さい。 尚、京都会場は、京都高島屋7Fグランドホール、大坂会場は、大坂三越伊勢丹10F催事場です。第58回日本伝統工芸展開催日程開催地会期東 京平成23年 9月21日(水曜日)~10月 3日(月曜日)名古屋平成23年10月 5日(水曜日)~10月10日(月曜日)京 都平成23年10月12日(水曜日)~10月17日(月曜日)大 阪平成23年10月19日(水曜日)~10月24日(月曜日)金 沢平成23年10月28日(金曜日)~11月 6日(日曜日)仙 台平成23年11月 9日(水曜日)~11月14日(月曜日)岡 山平成23年11月17日(木曜日)~12月 4日(日曜日)松 江平成23年12月 7日(木曜日)~12月25日(日曜日)高 松平成24年 1月 2日(月曜日)~ 1月22日(日曜日)広 島平成24年 1月25日(水曜日)~ 2月12日(日曜日)福 岡平成24年 2月15日(水曜日)~ 2月20日(月曜日)松 山平成24年 2月28日(火曜日)~ 3月 5日(月曜日) 名古屋三越を後にし、生まれて初めて名古屋城に行って見ました。城の公園に入場するのに、入場料700を取られたのには少々ビックリしました。以下の写真は、地下鉄「市役所前」の入り口で撮影した外堀の写真、手前の彼岸花、もう花びらが萎みかけていますね。 今年も、いよいよ秋本番ですね!
2011年10月12日
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目指すは窯変天目茶碗、伊勢の陶芸家、小出甚吉君の力作の数々(鉄結晶大皿) 先日、高校時代からの友人、小出甚吉君から、プロの陶芸作家として2回目の作陶展(個展)を伊勢で開催する旨の招待状が届きました。開催日は5月27日(金)~29日(日)の3日間、場所は伊勢・外宮の入口にあります「いせシティプラザ」 リュウちゃん、仕事休みの29日の日曜日に、彼の作陶展を見るために、台風2号の風雨が強まる中、久し振りに伊勢に向いました。 小出君と知己を得たのは高校1年の終り頃か2年の初めの頃です。きっかけはクラシック音楽繋がり、彼はこの頃には自宅にセパレート・ステレオ装置を持っていて、30センチLPも相当な枚数を持っていました。ポータブル免税蓄音機しか持っていなかったリュウちゃんには、まさに憧れの的だったのです。 彼の実家は、高校から自転車で10分くらいのところにあり、自転車で40分くらい掛かるリュウちゃんの通学途上にありました。それで、よく下校の途上で彼の実家に立ち寄り、豪華なステレオ装置から流れてくるクラシック音楽を楽しみました。高校2年の時に「グリーンルーム」という高校の音楽鑑賞クラブにも一緒に入り、2ヶ月に1枚くらい学校の費用で、気に入ったLPレコードを購入し、クラブ内でもクラシック音楽を楽しんだ仲間でした。 彼は地元の国立大学を卒業後、三重県庁に就職、陶芸の道に入ったのは社会人になってから暫くたってからのようです。以下に招待状に書かれていました彼のプロフィールを抜き書きしてみます。 小出甚吉陶芸プロフィール (1946年)伊勢市で生まれる。(1982年)伊勢陶芸教室に入会、奥田康博氏に師事(1989年)実兄(小出慶一)から釉薬の基礎を学ぶ(1990年)伊勢市美術展初出品、「市長賞」受賞、以後受賞を重ね、無鑑査となる(1994年)東海伝統工芸展初出品、入賞、以後、入選を重ねる(1996年)三重県美術展において、最優秀賞「知事賞」受賞(2001年)実兄と「陶芸二人展」開催(2008年)工房「五十鈴窯」開設(2009年)第1回 小出甚吉作陶展開催(2011年)第2回作陶展開催 下の会場の写真で、向って左側のグレーのスーツを着た長身の人物が小出君、名前にちなんで、愛称は「甚やん」、小生と彼は「リュウちゃん、ジンやん」の間柄なのです。真面目人間ですけど、飾り気なしのいい男です。 リュウちゃんは陶芸に関しては、全くの門外漢なので、甚やんの作品の価値は全く判りませんので、解説する事が出来ないのですが、以下、当日撮影しました幾つかの作品をUP致します(冒頭の写真は、彼がアマチュア時代から数多く作陶してきました「鉄結晶大皿」です) 以下の写真は今、彼が一番心血を注いで追求し、今回の作品の中でも一番の快心作と自負している「油滴天目茶碗」、彼の生涯のテーマは、かって中国の福建省の「健窯」で焼かれ、現在、世界で3~4点しか存在しないとされる「窯変天目茶碗」を作るという事のようです。限りなく壮大な夢なのです。 以下は写真のみと致します。今回も前回に続き、作品に彼なりの控え目な値段を付けていました。因みに上記「油滴天目茶碗」は9万円、これが窯変天目茶碗」になると数億円は下らないところですが、芸術家の甚やんのことですから、「窯変天目茶碗」が作陶できたとしても、決して売り立てはしないことでしょう。彼はそういう男です。今回は100点余りの作品展示でした。 このブログを御覧になって、小出君の作品に興味を持たれた方、下記の工房に連絡して見て下さい。見学だけでもOKだと思います。彼は昼間はこの工房で作陶三昧の日々を過ごしています。 小出甚吉工房・五十鈴窯 (住所)〒516-0017 伊勢市神久5丁目8-42(Tel) 0596-29-1875 「学生時代」 (歌)ペギー葉山http://youtu.be/3VbXovjSVhA バッハ「マタイ受難曲・終曲」 (演奏)横浜マタイ研究会合唱団http://youtu.be/9TJC79qAHqo 次回の拙ブログは、「東日本巨大地震(9)~夢の中の日本轟沈(3)」に戻ります。 夢の続きは如何なる展開になりますことやら?
2011年05月31日
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