2人のひまわり娘

2人のひまわり娘

2人の子供を授かるまで~最初の妊娠



いつも来るはずのものがこない・・・。ドキドキしながら市販の検査薬で調べるとなんと「陽性反応」。
ちょっとショック・・・まだ出会って3ヶ月だし、両親にも彼が関東に転勤になってることは言ってない。
出会ったころはパパは神戸に住んでいた。出会って1ヶ月過ぎたらなんと関東に転勤希望を出していた。
猪突猛進のいのしし年&O型の彼、「電話代と1ヶ月に会う旅行代費用考えたら関東に住める」。
さすが何が得か瞬時に判断したみたい?私もO型なのでその点は理解できる、理解できるが
そこまで実行力はないのではっきり言ってびっくりした。

でも来たものはしょうがない、びっくりしたけどうれしかったし・・。

そんなこんなでその年の11月下旬、事件?は起きた。
陽性反応の確認の後、ご報告。冗談っぽく「挨拶に行かなきゃ」と言っていたが家まで送って
くれた帰りに「本当にいいん?」と。ここまできたら頷くしかないので「うん」と言う。
これがプロポーズの言葉なのかな~?と後で思うがいまだに分からない・・。

一緒に行った近所の産婦人科で「ご妊娠です」と告げられる。
まだ袋は見えるが赤ちゃんは見えないという状況だった。その後ほんの少し茶色の出血が見られたが、取りあえず
仕事があるので出勤することにした。自分の体じゃないような不思議な気分で普通に仕事をこなしていたら腹痛と
貧血のような感覚を覚えてトイレに駆け込むと出血をしていた。慌てて早退し産婦人科に駆け込む。
先生には「今夜ががんばり時ですね」と言われそのまま入院した。パパも面会時間ギリギリに励ましに来てくれた。
就寝時間になったが、生理痛の様な痛みから耐えられないような痛みになり、それがずっとこのまま続の?
と思ったら急に痛みが軽くなりトイレに行きたくなった。
そこで初めて私の中に宿った命は流れていってしまった。

心臓がバクバクしながらナース室へ行く。すぐに緊急手術でおなかの中に残ってる内容物を取り除くらしい。
ストレッチャーに寝かされる間中涙が止め処なく流れていく。
そばで助産婦さんが「まだ若いから・・・」と言いながらも涙ぐんでくれた。その姿を思うと今でもじ~んと来るものがある。

時間がたつ中で小さい命はなぜ私のところに来てくれてこの世に出ることなしにいってしまったのか考えたことがある。
主人の両親は「2人に2人だけの時間を与えてくれたんだよ」と言ってくれた。
確かにまだ出会って3ヶ月しか経っていないし、そのうちの最初の1ヶ月は遠距離だ。今の時代ビビッときて
電撃結婚と言う話はよく聞くが、2人ともそんなにビビッときた覚えはない。これから長い年月を築き上げて行く為に
夫婦としてまだまだ成長しなければならない2人だったのだろうか?でもなぜ?私だけ・・・。
知り合いのおめでたを聞く度に心の中で自問自答する。

流産の後毎日泣いていたわけではない。一番泣いたのは手術室に入るまで。ある時まではそこまで泣いた記憶がない。
というのはすぐその後に結婚式があったからだ。お付き合い期間が短かったせいか、結婚しても恋人同士のような
感覚で毎日生活していた。でもある時はすぐに来た・・。
流産を経験した人しかわからないと思うが、一番辛いのは身近な人のお目出度を聞いた時じゃないだろうか。
結婚3ヶ月後、主人の兄嫁からある食事会の席でその知らせを聞いた。「おめでとう!」と声を掛けることができなかった。
のどに何かがつまった感じで多分顔も固まっていたと思う。ショックを受けた私を、もう一人の私が上から
見ているような不思議な感じがした。

その後2年の間に2人の友人のお目出度を聞いた。友人と言っても今まで何くれとなく相談に乗ってくれた
お姉さんみたいな人たちだ。2人とも私よりも後に結婚して先にお目出度になった。素直にいいな~という気持ちの
ほうが強かった。多分免疫ができたからかな?

神様には感心する。流産した子を忘れない為に私の人生の中で先にお目出度になったら辛い度ナンバー3の方々を出してきた。
でもいつまでも待ってるだけでは駄目。身体的に何か問題があるのなら解決しなければ・・・そう思って病院に行ってみた。


続く



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