水俣病について



今、札幌では『YOSAKOIソーラン祭り』が行われていて、中心部は踊り子と観客の熱気がスゴいです。躍動感溢れる『生』を感じます。

そんな中、北大の構内で開かれている『水俣・札幌展』というのを見てきました。はっきり言って水俣病なんて教科書でしか読んだ事はなく、何の知識も興味もありませんでした。高度成長期時代の公害だしスゴい昔の話のような気がしてたのですが、開かれていることを知り行ってみました。

行ってみて・・・泣きそうになりました(;_;) ショックという言葉をはるかに超えた衝撃がありました。眉間にシワ寄せて見入っていたのでかなり恐い女の人だったかもしれません(ー'`ー;)

ご存知の方も多いと思いますが、新日本窒素(現・チッソ)という会社が昭和20年代後期から長年に渡り猛毒の水銀を海に垂れ流し続け、そこで獲れた魚を食べた漁民が次々と原因不明の奇病(当時はそう呼ばれてたそう)を発症。

ある日突然、急に話せなくなり立てなくなり何も出来なくなってしまう。目は宙をさまよい、ヨダレを流し続け寝たきりの状態。手足は変形して硬直したまま戻らず、時に激しい痙攣に襲われのたうちまわる。(患者さんのビデオを見ましたが、まるでエクソシストのようでした)
ある患者さんはあまりにもツラいから「この手足を切ってくれ」と懇願したそう。食べることも出来なくなって衰弱し最後は狂い死にした人も数多くいたとのこと。

謎の奇病が確認されてすぐに大学病院が会社の関与を疑ったにもかかわらず、会社側は根拠が無いとして全面否定。国も経済の衰退を恐れて会社を強力に擁護。業を煮やした漁民が反対運動を起こせば『暴徒』として弾圧され、投獄。地域の病院は会社を存続させるためにデタラメな診断しかしない。
さらに水俣市は企業に頼る面が大きかったため、市民も会社を守る側に立っていたという。こうして猛毒の工場排水は奇病発生から12年間もの間、昭和43年までひたすら流され続けたそうです。

漁民にしてみればどんなに怪しいと疑っても、魚は食べ続けざるをえないものでした。貧しい暮らしの中で魚を獲って暮らしていくしかありませんでした。発症すれば『伝染病』として徹底的な差別(村はずし)を受けたそうです。患者は誰も近づかない隔離病棟に移され、家は消毒。一家の主が病に犯されて働き手がいなくなっても何の保証もないから生活は困窮を極めたそうです。

被害者の方の声をいくつか載せたいと思います。(了承もなく載せていいものかわかりませんがどうしても書き込みたいと思ったので・・)

「買い物をしたらお金を手で受け取らないのです。そこに置いておけと言う。あとで見たら消毒してた。」

「共同の井戸を使わせてもらえなくなった。隣家に頼んでも断られてしまう。そこで兄貴達が必死になって庭に穴を掘ったんです。水が出てきた時は皆で泣きました。」

「病院で死んだ娘を家に運ぶにも、町の公道は使わせてもらえない。違う道を娘の遺体を背中に背負って、首がポロっと落ちやしないかと心配しながら歩いて帰って来ました。」


会社側との闘争での遺族の方の言葉です。

「私は3年間、手も当てられない、崩れて病んだ娘を預かってきたんですよ、この手で。夜も夜中も、親娘二人が泣いて・・・・。そんなことが分かりますか、あんた方には・・・・。だから あの娘がもらったお金で、あんたの子供を買いますから。ねえ、そんで水銀飲ましてグダグダになして、あんたに看病させますから。してみなさい、そうすっと私達の気持ちが分かるから・・・・。からだ全体膿が出てね、腐れて・・・・。

「患者の皆さん、立ち上がりなはれ。思い出しなはれ。ありとあらゆる生物が殺され、特にわしは胎児性患者のことを思うと・・(泣)
箸も持てん、よう話せん、よう歩けん、一人じゃ何もできん、こんなやや子を産まされて何が文明じゃ。何が百年一度の万博じゃ!!」


母親の胎内で水銀中毒になった『胎児性患者』の方の話です。(途中省略してます)

「この年になって、女ともだちひとりできん。車もバイクもめんきょ取れない。試験うけても字がよめない。商売はじめようおもたばってん、計算もでけないで金もうけでくるか。赤字つづきの店ばだれが出しきるか。力仕事も長うはつづかん。
水俣病ば、よそん会社がやといきるか。それで、おれは、まいにちまいにち食っちゃ寝、食っちゃ寝の毎日だ。

働けないのに生きてゆかなくてはならないつらさは、働いて仕事してゆくときの苦しみより、ずっと苦しいんだよ。 働けないことがよけい病気を悪くしてしまうんだ。それは自分でもようわかっとるばってん、今おれどこで働けばいいの?金もらって幸せだといってもらいたくないよ。遊んどって暮らしとって良かねち、いってもらいたくないよ。水俣病ば治せて会社に要求しても、かいがないから、しかたなしに金もらったんじゃないか。しかたなしに・・・・・・・・。

 世の中すべて金じゃないよ。金で人間の命買えるわけないじゃないか。間違ってるよ、会社は。金よか、身体が欲しい。元気な体が、ピンピンした身体がね。人の一生ば金ですまそうとおもっとっとかぁ、会社は?狂っているよ会社は。気狂いだよ。

 人から冷たい目で見られるのは、もうイヤだよ。耐えられないよ。好きで水俣病になったわけじゃないんだ、おれたちは。隠れようおもても隠れようがないんだ、おれたちは。仕事さえしていたら、なんて言われたって仕事してるんだ、一人前だって言える。仕事ばみつけろ!このまんま、なぁんもせんで死んで終わるのはイヤだぁ。仕事ばよこせ、会社は!

 同じ年で恋人もって嫁さんもってみんな二人ずつ生活してゆくじゃないか。おれたちだけが一人。いつも一人でおらんばならんじゃないかぁ。会社ん社長も一人になってみろ。誰からも見むきもされんでな。世の中一人で生きてゆけえーおれたちんごて。おれの気持ちがわかるか。

 "なんば考えとっとかさっぱりわからん、あんバカが!"
 そげん言われてもおら笑っていっちょく。目の前じゃニコニコ笑ってるばってんが、裏ではおれは自分のこと泣きおっと。晩がくるたんびに床の中で泣きおっと。

 おらおもう、クソっち。こんな身体にね、人間にさせられちまってね。なぁんも出来ないで死ぬなんて、おれ絶対にイヤなんだ。いくらなんでもイヤだって。 人間に生まれてきたかぎりは、せいいっぱい生きたいわ。患者である前に、おれたちは人間なんだぞ。

 おれたちが黙って泣いとるのをいいことにして知らんぷりして、おれたちみんなのくるしみば、ごまかしてきたろが。許せんぞ、そげんこつは。

 責任ばとれえ!仕事ばよこせ!仕事ばよこせ!おれたちの人間として生きてゆく道ばつくれぇ!いいかチッソ、人殺しの責任と、おれたちの 生きとっても殺されとる「人間」 ちゅんもんば、改めてノシばつけて返してもらおうわい!」


人間としての尊厳を産まれながらにして奪われ、家族ともども人生をメチャクチャにされた人のすさまじいまでの痛みを感じます。
『胎児性』の方の中には、私と4歳しか違わない人もいて驚きました。
国も会社も地域の人も誰も助けてくれない。でも生きてかなきゃいけない。八方ふさがり、まさに生き地獄ですね。

体の自由が効かなくなった患者達が杖をつきながら上京して厚生省を訪れた時の話。大臣とは会えず、当時の政務次官、 橋本龍太郎氏 と面会したそうです。
国がこの病気を公害として認定した後のことですが、あまりに少ない保証金を交通事故並みに引き上げてくれ、これでは命を尊重しているとは言えないと患者側が訴えたところ、彼は 「国が人命を尊重しなかったことがあるか。今の発言は取り消してもらおう」と居丈高に言い放った そうです。

さらに 「患者とは会わない方がいいという意見もあったが、会ってやっているのだ」と声を荒げた といいます。泣き出す患者もいたそうですが、彼らは悔しさに耐えながら冷静に対応したとのこと。橋本氏は元々キライでしたが、心が寒くなる感じがしました。

札幌では明日までやってます。今後、他の地域でも開催されるでしょう。
これを見てどう感じるかは人それぞれだと思いますが、こういうことが実際にあったという『事実』は多くの人に知って欲しいと思いましたので、行ける方はぜひ行ってみて下さい。
(ちなみに大勢の方が来館してて、若い人の姿が目立ったのが印象的でした。)

YOSAKOIと水俣病。全く対極に見える二つだけど、誰にだって人間らしく生きる権利があるよなぁ。)




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