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2005.08.26
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テーマ: 新撰組!(305)
カテゴリ: 京都の旅
 慶応3年11月18日、近藤勇の妾宅に呼び出された伊東甲子太郎は、その帰り道に暗殺されました。

 新選組は、伊東の遺体を大通りの交差点まで引きずって放置し、御陵衛士たちが引き取りにくるのを待ちました。
 とても寒い夜だったので、伊東の着物は血で板のように凍っていたそうです。

 武装して討ち死にしたら笑いものになるからと、軽装でやって来た御陵衛士たちは、新選組に包囲されました。
 5人は逃げ切りましたが、藤堂平助・服部武雄・毛内有之助の3人は討ち死にしました。

 藤堂は、刀を握り締めたまま亡くなったそうです。享年24歳でした。
 服部は民家を背に奮戦しましたが全身二十数箇所刺され、毛内は全身なますのように刺されて討ち死にしました。

 4人の遺体は、3日間道路に放置されたそうです。




 油少路の変で出動したのは、永倉と原田の隊でした。
 後に永倉は、近藤から藤堂を助けるように指示され、自分もそのつもりだったと語っています。
 実際に近藤から指示がでていたかは不明ですが、永倉が藤堂の死を惜しんだの確かだと思います

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油少路の変 油少路の変・跡地
写真の車のむこうに、
伊東の遺体が放置され、
死闘が繰り広げられました。

参考図書
新選組
新撰組、敗れざる武士達


 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺― 油少路周辺





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Last updated  2005.08.26 21:39:48
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