シンプル・ライフ

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『アンダー・ワールド』『ブレイド2』


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 注目すべき本がある。タイトルは、「平気でウソをつく人達」。ベストセラーになったから、知ってる人は多いだろう。
 タイトルからすると虚言癖に関する本のようだが、そうではない。これは、ある精神学者が、「邪悪」は精神病であるという説のもと、臨床例を綴っている。ウソをつく人々というのは、口先のウソではなく、生きるスタイルその物をウソとする種類の人間の事だ。
「邪悪な人々」は、まず、自分が常に被害者であると思っている。過大で根拠の無い、極度に肥大した自尊心を持ち、現実を受け止める事ができない。そのため、自分の過失を全て、「相手が悪い」「みんなが私を陥れようとしている」「私は不当に扱われている」と置き換えるのだ。
 私が知っているもっとも見事な例では、「確かに問題を起こしたのは自分だが、それを指摘したお前は許さない」と言うのがある。ちなみにこれは、加害者が被害者に言った言葉だ。
 つまりこういうのが彼等「病人」のつくウソであるという訳だ。
 第二の特徴として、彼等は「なんでも分かっている」と言うのがある。目の前である出来事に、勝手な理屈を一方的につけて、「分かってるわ、そんなの」と知っている事にしてしまうのだ。
 また、知識面を異常に偏重し、何かを知らないと言うのがとても苦手だ。時に自分の知らない事や、それを知っている人間を激しく憎む。
 ここまでだと、彼等は非常に嫌な人間だろ思われるだろう。だが、多くの場合その真逆なのだ。最大の特徴として、彼等は「他人に寄生する」からだ。
 著者はこれを「ゲーム」と呼んでいる。相手の気に入るような話題や態度で、実に見事に他人に取り入る事が出来る。
 これだけなら問題は無い。だが、この後が肝心だ。彼等の目的は、気に入られ、良き隣人となり、その上で、「恒久的に相手を苛む事」なのだ。例えばDVであったり、カップル・ヴァイオレンスであったり。
 この悪意をして、彼等は「邪悪」と定義される。
 多くの場合はこの暴力は目に見える形で行なわれるとは限らない。相手を貶め、馬鹿に見えるように状況を捏造し、様々な形で迷惑をかける。それによって消耗する相手を見て、自らの空虚さを満たし、優位を感じて満足するのだ。
 この邪悪な病人、何かに似ていないだろうか? そう、吸血鬼だ。
 明るみを嫌い、闇を好む(真実を恐れ、ウソを好む)。十字架(権威、正義)に弱く、敵対の心を持つ。狼やコウモリに変身する(変幻自在に、状況と立場を変形させる)。被害者を特定してその血液(精神)を搾取する。被害者はやがて、吸血鬼になってしまう(被害者、加害者の逆転)。
何より、彼等はすでに死んでいる。つまり、本当の世界には生きていない。
 他にも吸血鬼は流れる水を嫌う(変化する事、清浄である事)を嫌う、マメや網目のような物を見ると数えずにはいられない事(神経症的気質)、呼ばれないと相手の家に侵入できない、決まった棺おけでしか寝ない(ひきこもり)など、興味深い資質がある。
『アンダー・ワールド』『ブレイド』などの映画は、そう言ったサイコ人間のメタファである、吸血鬼が主人公のアクション映画だ。前者では狼男と、後者では、同属の吸血鬼と戦う。
 面白いのは、両作とも吸血鬼が社会を形成している事だ。主人公の善の吸血鬼は、その中ではマイノリティだ。自分の中にある人間の部分を大切にし、吸血本能を抑制している。
悪い同属は処刑するし、必要な分の血液は輸血用のパックを三分チャージする事で補っている。
 こうなるともう、むしろ立派な部類に入る気がする。獲物がかわいそうだという理由で肉を食わない人間をぼくは尊敬する。だって自分にはできないもん。
 心正しい邪悪病サイコは、果たして存在しうるのだろうか? YES、とぼくは思う。元来真面目な人ほど心を病むのだという。
 だとしたら、心が悪な邪悪な人との、決定的な差はなんだろう?
 それはもしかしたら、誇りではないだろうか? 誇りだけでは、人生はあまりに暗すぎるという。だからこそ彼等はその闇の中、人とも離れ、同病者とも戦っているのだと思う。
 繰り返すけど、そういう人って、生まれつきに恵まれた健康優良児よりもずっと美しいって思うのだ。
 惜しむらくは、吸血鬼は鏡に姿が映らない。彼等は一生、自分の姿を見る事はできはしないのだ。
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