2-8 後輩



宏信は有芯の頭を抱きかかえながら、つい何分か前に朝子と交わした会話を思い出していた。

「有芯が・・・倒れた?!」

朝子の声は、宏信が気の毒に思うほど上ずっていた。

「うん。・・・でも大丈夫。ただの熱中症で、命に別状はないよ」

「・・・! 本、当・・・!?」

宏信は有芯が狙撃されたことを伝えなかった。倒れたと言っただけで声が震えているのに、撃たれたとまで言えばもっと余計な心配をさせるだけだ。

「うん。彼の意識が戻れば、すぐにでも退院できるって」

「・・・よかった・・・」

密度の濃い空気が携帯から流れ出ているようだった。朝子の押し殺した鳴き声が、宏信にはすぐ近くで聞こえる気がした。

「朝子さん・・・」

「・・・ん?」

「いや・・・」宏信は口篭もった。二人のことに、僕が口出しするべきではない。

朝子は宏信の苦い心中を察したのか、明るく言った。「ありがとう、うちの後輩を助けてくれて。心から感謝するわ。・・・有芯を頼むわね」

宏信は奥歯を噛み締めた。「僕は、別に何も。・・・あの」

「何?」

「有芯が・・・ずっとうわ言で君の名前を呼んでいたよ」

宏信は、朝子が受話器の向こうで固まっているのに気付いた。沈黙で重くなる携帯に、彼は慌てた。「ごめんね。こんなことを言って」

「・・・ううん」

朝子は力なく言うと、「こちらこそごめんなさい。・・・いろいろ、心配をかけてしまったわね。・・・おやすみなさい」そう会話を締めくくり、電話を切った。

朝子さん・・・辛いんだろうね。なのに僕に気を遣ってくれた。

今、僕の彼女は芳乃で、僕達は愛し合っている。それでも、君は僕が始めて好きになった女性だよ。だから、できることなら力になってあげたかった。でも・・・相変わらず僕なんかじゃ、何もしてあげられない。・・・情けない。

宏信は腕が痺れてきたので、抱えていた有芯の頭を離し、自分の頬に一筋流れた涙を拭うと病室を出ていった。

でもね、朝子さん・・・一人きりであの部屋に残る彼は、きっともっと苦しんでいるんだよ・・・。

宏信が廊下を50mほど進んだ頃、その廊下に有芯の泣き叫ぶ声が響いた。

狂ったような泣き声を聞きつけ、看護師数人が宏信とすれ違い有芯の病室を目指していった。

宏信は一瞬目を伏せ、しかし振り返らずに、前を向くと自宅を目指した。



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