3-7 対立



―――――何だ、って?

有芯の脳は今にも活動を停止しそうだった。彼は現実感が全く沸かないまま、とりあえず右手で後ろ頭をガリガリと掻きむしった。落ち着け落ち着け……と、心の中で自身に念じながら。

それでも全く落ち着くことができないまま、後ろ頭の皮膚に痛みを感じたので有芯は右手を下ろすと何とか口を開いた。

「あの………でも、その赤ん坊は……あなたの子かも知れないんです……よね?」

「それはありえない!!」篤が激怒して叫んだ。「何が朝子と愛し合っただ!! 彼女のことを何も分かっていないじゃないか!! 彼女は………朝子は心にない男と寝るような女じゃない。……俺と朝子の間には、もうかなりの期間、性交渉はない」

言葉を失っている有芯に、篤は言葉を続けた。

「産院に問い合わせたら、一昨日の時点で妊娠3ヶ月。ちょうど……………あの旅行の頃と考えれば辻褄が合う。君はあの旅行で―――朝子と一緒にいたんだろう?」

有芯は必死になって考えた。あの日何度も抱き合ったけど、全部避妊していたはず………。しかししばらくして彼は思い当たった。

「……あ」

―――――心当たりが、ある。

有芯の表情を見て、篤は苦い顔をすると立ち上がった。「子供の父親は、君で間違いないようだな」

「………はい」

篤は深いため息をつくと、朝子の手紙を有芯の前に放って言った。

「なんてことをしてくれたんだ。こんな手紙と離婚届を残して、妻に消えられた俺の気持ちが君にわかるか?!」

有芯は、便箋に整然と並んでいる朝子の文字を見つめた。10年前に部活の連絡表で見たのと変わらない懐かしい文字が、夫と息子に別れを告げている。

有芯が便箋を手に取ると、篤は電話帳と思しきものを何冊か取り出しながら言った。

「そんなふうに書いてあるから、最初は朝子が自殺でもしようとしているのかと焦ったがね。どうやらそれはないようだ。彼女は腹の子を道連れに死んだりする女じゃない。それは絶対だ。たとえ………その子の父親が誰であっても、だ」

有芯は一瞬チラリと顔を上げたが、眉間に皺を寄せながらまた便箋に視線を戻した。

篤は更に話を続ける。

「だが、腹の子が彼女を苦しめていることが明白な現状だ、俺は朝子を取り戻して、彼女には赤ん坊を諦めてもらう」

有芯は弾かれたように立ち上がった。

「………なんだって? だって、朝子は離婚届を置いていったんだろう?!」

篤は目を剥いて怒鳴った。「俺は離婚する気などない!! 俺のでもない子供を育てる気もない!! 朝子は俺の妻だ!! 今までもこれからもずっと俺の女だ!!」

有芯は持っていた手紙をテーブルに置くと篤を睨みつけた。「………あんたがそうだから、朝子は見限って出て行ったんじゃないのか?!」

「何だと?! 君だって朝子に振られたんだろうが!! 貴様じゃ頼りにならんと思ったから、一人で行ったんだろうよ!」

「違う!! あいつは俺を応援してくれた!! ………だから自分を犠牲にして、何も言わずに…………」

言いながら、有芯は朝子が何か言いかけてやめたことを思い出し、胸が苦しくなった。

「とにかく貴様のようなガキに妻をやるわけには行かない!!」

血走った目を有芯の顔にくっつきそうなほど近づけそう怒鳴る篤を、有芯はじっと睨み返した。

「野郎……10年前俺の前から朝子を掻っ攫っていったくせに、よくもそんな口が聞けるな!!」

「何?! ……そうか、貴様が朝子の……貴様が間抜けなことをして朝子を傷つけるから、俺が助けてやったんだ!!」

「んだとぉ?! 朝子はそんな弱い女じゃねぇ!! 自分のおかげであいつがあるみたいな言い方すんな!!」

「ぬかせ!! こそこそ妻と会っていた分際で!! どうせいいように弄びたかっただけだろう?!」

「そんなんじゃねぇ!! 俺たちは九州で会って、真剣な気持ちをぶつけ合った!! あいつが人妻だから、母親だから、俺は必死で諦めようとした、でも無理だった!! ……俺は………」

有芯は固めた拳をぶるぶると震わせながら、意を決すると篤を見据えた。

「俺は、朝子を取り返す……! 腹の子も絶対おろさせたりしねぇ」

篤は怒り心頭の様子で、持っていた電話帳を床に叩き付けた。「俺と朝子にはいちひとという子供がいるんだぞ!?」

有芯はまっすぐに篤を見たまま怒鳴った。「俺と朝子にだって小さくても子供がいるんだよ!!」

「フン、まだ処理は間に合うんだよ!! 朝子を見つけ出して、彼女にはいちひとだけの母として、俺の妻として一生尽くしてもらわねばならないんだ!!」

有芯は怒りが頂点を越し、妙に思考が澄んでゆくのを感じた。目の前にいる横柄な男が憎くて仕方がない。

有芯はじっと篤を見つめると言った。

「へーえ、そうか。俺、なんとなくあんたと朝子が上手く行かない理由、分かった気がするな」

途端に篤が有芯を殴った。外で待っていたキミカが飛んできて止めたが、篤は拳を振り回し、あげくキミカまで吹っ飛ばしてしまっていた。




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