once 7 二人の過去(1)



本当は泣きそうなのよ。……もう会えないと思っていたから。

でも有芯の前ではつい強がってしまう。本当はおびえて隠れてしまいたいのに、余裕ぶって笑ってしまう。笑ってでもいないと、自分が壊れてしまいそう。

朝子はギリギリのところで平静を装うことに成功していた。一方の有芯は、しばらくあっけに取られていた。彼と朝子以外に、バスの乗客はない。

有芯はしばらくすると、怪訝そうな顔になりようやく口を開いた。

「先輩………? なんでこんなところにいるんですか?」

当然の疑問だ。ここは、彼女の地元から遠く離れた熊本なのだから。

朝子は平然と言った。「旅行よ」

有芯は眉間に皺を寄せ言った。「なんで?」

朝子は歯を見せて笑った。「あなたに会いに」

「はぁ?!」

有芯の反応に、朝子は苦笑した。「冗談に決まってるでしょう。観光旅行よ。そんなに思い切り呆れないでよ」

有芯は落ち着きなく煙草を取り出したが、すぐに元のポケットに戻した。「……旦那さんと、息子さんは?」

「置いてきたわ。気ままな単身旅行ってヤツ」

「はぁ。いいね、一人で気楽で」

「有芯は? 一人じゃないの?」

「俺も一人ですよ」

「この後、予定ある?」

有芯は携帯のことを思い出した。「………ない事はないけど。たいした用ではないです」

「そう。よかったらお茶していかない? 久しぶりに話そうよ」

有芯はしばらく迷ったが、了承した。




運命とは、わからないものだ。

有芯と朝子の出会いは高校時代だった。

あいつ、またこっち見てる………。

駅のホームや学校の廊下で、朝子がふと視線を感じると、そこに有芯を見つけることがあった。有芯は目が合うと、2、3秒そのまま彼女を見つめ、ふっとそらした。

生意気な後輩。朝子はそういう視線を浴びることに慣れていたし、その時別の男に夢中だったこともあって、あまり気にならなかった。

有芯は、たまに朝子を見ているだけで、特に近づこうとはしなかった。綺麗でつんとした、近づきがたい雰囲気の先輩にむざむざ声をかけなくても、よってくる女はたくさんいたのだ。

二人が急速に親しくなったのは、朝子が高校3年、有芯が2年になった春、有芯と智紀が朝子が部長を務める演劇部に入部してきてからだ。

元々、朝子と副部長のキミカ二人だけの演劇部だったから、有芯と智紀、他1年生が続々と入部してきた時の、彼女達の喜びようは大変なものだった。

朝子は毎日、後輩を引き連れて発声練習行くぞ~と言いつつ、煙草とアルコール飲料持参でカラオケに行き、キミカに叱られていた。授業をさぼれば、決まって行き先は部室。そこに行けば、同じように授業をさぼった部員に遭遇することもあった。

演劇部は、次第に先生たちから不良の集まりと見なされるようになった。が、朝子は演劇に関してだけは情熱を持ってやっていたし、朝子とキミカ二人で、先生にも他の不良にも決して動じず対応していたので、後輩達からの人望は厚かった。みんな、朝子に憧れていたし、キミカを尊敬していた。

朝子と有芯は二人とも失恋の直後で、彼の入部後初顔合わせの時から、互いに何かを感じていた。

毎日二人きりになるまで部室で話し続けることもあり、そんな時は大抵、朝子が有芯の悩み事を聞いていた。

「先輩、俺、なんでいつもこうなるんだろう。三角関係とか、マジで嫌なんだけど」

「それは、有芯の方に問題があるかもよ?」

「えっ? ………何で俺?」

「愛されてないのに、愛せないわよ。そういうものじゃない?! あなたが本気じゃないから、いいように遊ばれたのよ」

「……先輩って、きっついなぁー。………でもそうかもな。ね、先輩は?」

「私?」

「三角関係とか、あった?」

「ないわよ~、この愛深い私に、そんなのは無縁」

にこりと笑い煙草を燻らせる彼女の、女としての姿を見たいと有芯が思うまでに、時間はかからなかった。

朝子もまた、有芯にかわいい後輩として以上の愛情を感じ始めていた。

そうして、互いに好意を抱いていたとき、校内の宿泊施設での演劇部合宿が企画されたのだ。

合宿の当日、午前の授業を受けながら、朝子は落ち着かなかった。失恋のショックでばっさり切ってしまった髪をくるくると指で弄びながら、ノートを鉛筆でかろうじてこすっているといった有様だ。机の上には、ノートの他に、部長用の合宿計画表もある。

今日、きっと有芯と何かあるんだろうな……。

朝子は落ち着こうとしたが無理だった。彼女は淡い期待を抱きながらも、どうしようもなく不安だったのだ。男性経験がないわけではなかった。だが有芯はものすごく女にもてる。前の彼女を見たけど、びっくりするほどの美人だった。はたして自分が有芯とつり合うのか。彼に嫌われるんじゃないか………。

そう考えていると、もう授業どころではなかった。鉛筆が手から転げ落ちる。

あ~~落ち着かないと!

朝子は鉛筆を持ち直した。手が震えていて、自分で驚く。

なぜだろう。何度も恋を経験してきた。でも経験すればするほど私は、臆病になっていく………。

有芯………。

鉛筆はもはや、授業の内容を記してはいなかった。

『あなたをあいしてる』



有芯は満足していた。もう一押し、ってとこか。

前の彼女に振られたのはまあショックだったが、そんなことはもうどうでもよくなった。今日の合宿で、俺は先輩を落とす。

有芯は机の上にある自分の両手を見た。この手で、彼女を抱きしめる感触を思い描こうとすると、前の彼女の体が浮かんできた。

彼は、軽く頭を振った。もう、あの悪夢は思い出したくなかった。



8へ




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