once 14 夕焼けの観覧車



夕刻ということもあり人はまばらだったので、二人はすぐに観覧車に乗ることができた。二人とも、ドアが開くなりおよそありえない速度で観覧車になだれ込んでいた。

「はぁ、はぁ、よかった、すぐ乗れて・・・」

「はぁ、はぁ・・・・走ったらまためまいが・・・」

「大丈夫か・・・? ちゃんと座ってろよ・・・ふっ」

有芯が突然大笑いしはじめたものだから、朝子は訝しげに「どうしたの?」と聞いた。

「はははは・・・・だってさぁ・・・ふっ、ぷっ、あ、あんなに走って観覧車乗ったの、は、初めてだったから・・・」

朝子も笑い出した。「そっ、ははは、そうよね・・・私も、初めて、だったよ・・・。あ、ねぇ」

笑いがまだおさまらない有芯の目の前に、朝子の顔が近づいてきた。その無防備な表情に、一瞬頭がくらっとする感覚を覚えた。

なんだ、俺も乗り物酔いか?! え、もしかしてキス・・・

と、思った瞬間に朝子が腰を浮かせ、今度は有芯の目前に、朝子の胸が迫った。

「なんだろうね、このスイッチ」

朝子は、有芯の頭上にあるスイッチを押した。とたんに、ゴンドラの中に音楽が流れ始めた。

「音楽のスイッチだったんだね~。てか、この曲古いっ」

朝子はこともなげに言って、元通り有芯の向かい側に座った。

有芯は、必死で呼吸を整えた。びっくりした・・・。先輩の顔と、それから豊かな胸と・・・。・・・ん? 豊かな胸?!

「なぁ、先輩、豊胸手術した?」

朝子は一瞬、意味がわからないというような顔をして、それからみるみる顔が赤くなっていった。彼女は、胸元を必死で隠した。

「えっ!? してないよ?!」

「だって、その胸、明らかに昔と比べて大きい」

「子供産んだら、自然とでかくなったの! 何言い出すのよ、デリカシーなさ過ぎ! てか見たでしょ、スケベ!」

「うるせぇ、お前が目の前に胸もってくるからだろ、人妻」

「仕方ないじゃない狭いんだから! まだ人妻呼ばわりするかぁ?!」

「何度でも言うよ、人妻、人妻、人妻!!」

気まずい沈黙の中、真っ赤な夕焼けに照らされ、二人は睨み合った。

その時、不意に聞き覚えのある曲が二人の耳に入ってきた。

「ねぇ、この曲もしかして・・・!」

「劇中で使った曲だ! 懐かしいなぁー」

「嘘―っ!? 10年前の曲よ!? ここの遊園地、ひそかに経費ケチってる?」

「懐メロブームだからかな? 『アマンダ様、どうかこの哀れな執事をお許しください・・・』」

「マジ?! セリフ覚えてるの!? あんた役者じゃなくて音響だったくせに!」

朝子は突然、今そこにあるドアを開けて入ってきたようなそぶりをしたが、この観覧車の狭さでそれは無理があった。「『ロバート、私がすべて悪いのです。お願い、こちらへ来てください』」

「先輩も舞台監督だったくせに覚えてるじゃん! 『アマンダ様は何も悪くございません。すべては私の至らなさ故・・・』」

「『いいえそれは違います。私の愚かさと、この戦争が招いたこと・・・。ただ1つ言わせてください。私は、あなたを・・・』」

「”いいえ”はなかった気がするなぁ。『アマンダ様! それ以上おっしゃらずに。誰かが聞いていないとも限りません』」

「どこまで覚えてるかなぁ?!」朝子がガクリと膝をつく替わりに座ると、狭いゴンドラは少し揺れた。

「『ロバート・・・このまま離れるなんて辛いわ、辛すぎる・・・』」

有芯は朝子の手を取り、その目を見つめた。夕日に照らされ、彼女の唇は美しく光っている。

「『このロバート、貴女の思いのこもった瞳を、いつまでも胸に刻みつけましょう』」

二人とも、自分達がなぜ10年も前の脚本を覚えていたのかが不思議で、そして嬉しくなって夢中で台詞を進めていった。

「『さようならアマンダ様・・・そして、』」

有芯の両手が、朝子の頬に触れた。そこで、二人の動きが止まった。


ロバート:そして、一度だけそそうをお許しください、アマンダ様・・・
ロバート、アマンダにキスをする。


有芯は思い出した。なぜ、この脚本を覚えていたかを。そして理解した・・・なぜ朝子を必要以上に人妻呼ばわりしたのかを。

この人は人妻、この人は人妻、この人は人妻だぞ・・・!! そんなことを自分に言い聞かせるという必死の抵抗ももう限界だった。

朝子が口を開いた。「・・・・・ねぇ、この後、覚えてる?」

「・・・ああ、覚えてる」

「じゃ、じゃあ、おしまいということで」

勢いよく立ち上がった朝子の肩を、有芯は引き寄せ、抱き締めた。

「有・・・芯?」

驚いた朝子の瞳に、有芯は言った。

「一度だけそそうをお許しください・・・朝子先輩・・・」

有芯は、赤い夕日に包まれた朝子にキスをした。


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