once 61 今日という日



歩いている暗い道の先に、有芯の泊まっているホテルが見えてきて、朝子は彼が何をする気なのかを悟った。

「有芯・・・有芯! 離して!!」

有芯の手を振り解き、朝子は立ち止まった。

「ちゃんと話すから・・・」

有芯は再び朝子の腕を掴み歩き出した。「いいよ、部屋に帰ってお前の身体に直接聞くから」

「やめて! ・・・お願いだから・・・」

朝子の目にみるみる溜まっていく涙を見て、有芯は苦笑した。

「今8時前だぜ? まだ今日は4時間以上あるんだけど」

張り裂けそうな胸を手のひらで押さえ、意を決すると朝子は有芯を見上げた。

「私・・・これ以上有芯と・・・一緒にいるのは辛いわ・・・」

「なんで?」

「・・・だって・・・あなたがどんどん・・・遠くなる・・・」

有芯は朝子を抱き締めた。「こんなに近くにいるのに?」

「側にいても・・・抱き締められても、キスしても抱かれても! ・・・ますますあなたを失うのが恐ろしくなるだけ・・・」

有芯は静かに言った。「・・・それはどうしてだと思う?」

「それは・・・」

有芯は朝子を抱き締める腕に力をこめた。

「それは・・・どうしようもないくらい、あなたを愛してるから・・・」

言ってしまった・・・と思った瞬間、朝子の目から涙がどっと流れ、それと同時に、有芯が彼女の唇を奪い、震える身体を強く抱き締めていた。

「俺もだよ、朝子・・・だから辛い・・・辛いから、抱きたい」

何度もキスをしながら有芯は言い、朝子の服の中に手を滑り込ませた。

狡猾なその指が、朝子の柔らかい乳房を捕らえ、手のひらが乳首を転がした。

「あ・・・」

有芯は朝子の服から手を引き抜くと囁いた。「続きをベッドでしてもいい・・・?」

「ダメ・・・ダメ・・・っ」

朝子は泣きながら有芯の腕を振り解き叫んだ。「もう無理よ・・・! これ以上私を愛さないで!! 頭がおかしくなりそう!!」

「うるせぇんだよ!!」

有芯の怒鳴り声に、朝子は身体を強張らせ立ちすくんだ。

「お前だけじゃねぇ、俺だって人並みの心を持った人間だぜ?! 期限付きで愛されてたって本当は頭がおかしくなりそうなんだ!! お前が帰って、旦那に抱かれるなんて耐えられないし、本当は二度とお前を離したくない!! ・・・俺は・・・」

有芯の視界が曇った。その涙が滲みはじめた瞳に、心配そうな顔をした朝子が指を伸ばすと、有芯は彼女の顔を両手で包みキスをした。

「もう一度言う。俺はお前を愛してる。だから、今日は俺の女でいてくれ」

朝子は、有芯がなぜ『今日は』と言ったのかを考えた。有芯は、私が離れていくことを理解している。・・・私のために。だからせめて今日という日を、私と愛し合った証にしたいのかもしれない。

辛いのはむしろ私じゃなく、私の意思一つで身を引かざるを得ない有芯の方・・・。

「・・・うん」

頷く朝子に、有芯は僅かに表情を緩ませると、その顔が歪むのを隠すように彼女を抱き締めた。




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