once 70 キスマーク



朝子は土産物屋で試食のカステラをもぐもぐと食べながら、土産を物色していた。

やばいやばい、お土産買うのをすっかり忘れてたわ。4日間も自由にしてもらっておいて、何にも買っていかなかったらヒンシュクよね。

朝子は3色のカステラ20セットを自宅へ配送するよう手続きして、息子の一人には雫のように光るビードロを、夫には何も思いつかなかったので、無難な名刺入れを買った。

それにしても、美味しい、これ。有芯は食べたかなぁ?

頭に浮かんだ“有芯”という単語に、朝子は切なさで胸が苦しくなり、カステラが飲み込めずのどにつかえた。咳き込む朝子に、店員がお茶を差し出した。

「大丈夫? どうぞ」

「コホッ・・・ありがとう、すみません・・・」朝子は湯飲みを受け取ったが、口をつけた瞬間小さく叫んだ。

「熱っ!」

その時、朝子の脳裏に自分を見て吹き出す有芯の嬉しそうな顔がよみがえった。

―――熱いのと、美味しいの、どっち?

どっちでもない。・・・苦しいわ。一人でいても、あなたと一緒のときの半分も喜べないんだもの・・・。

朝子の足元で、湯飲みが音を立てて砕けた。

朝子は涙が頬を伝うのを感じ、慌てて目をごしごしとこすった。

「あ・・・ごめんなさい!」

しゃがんで片付けようとする朝子を、店員が「いいですから、大丈夫ですか?」と遮った。

「すみません・・・」

朝子は言うと、堪えきれない涙を隠すように、荷物を持って店を飛び出していた。

「足・・・また濡れたよ・・・ははっ・・・バカじゃないの、私・・・」

また涙が溢れてきて、朝子の足が止まる。

なんで・・・なんで・・・なんで、涙が止まらないの?!

これ以上私は何も望めない・・・!!

有芯と愛し合えて、とても幸せだった・・・。

でもその幸せを、この先もずっと望むわけにはいかないのよ・・・!!

一人のために、夫のために、私のために・・・有芯・・・あなたの為にも。

分かってるのに・・・そんなこと、とっくに分かってるはずなのに・・・!!

朝子は外に待たせてあったタクシーに乗り込み、空港を目指した。空には消しゴムの形をした白い雲が浮かんでいる。

有芯・・・いい子をつかまえて、幸せになってね―――。雲を見ながら無理をして微笑み、朝子は自分の首筋に指で触れた。タートルネックで隠れていたが、そこには有芯が強く吸ってできた紅い跡があった。

たとえこのキスマークが消えても。

たとえこの涙が枯れても。

たとえ・・・あなたが私を忘れても。

私は忘れないよ、有芯。

永遠に愛してる。そして、さようなら―――。




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