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今朝の折込タウン通信から、
脚の折れたピアノで
(http://www.town-t.com/p5249/)
2018.10.11 志賀 泉 抜粋
思い出す光景がある。十数年前、食うに困って警備員をしていた僕は、青山にあるスポーツクラブの改築工事現場に派遣されていた。ビルの中にプールもスカッシュのコートもある高級クラブだが、どのフロアも内装を剥がされ、コンクリートの地肌を剥き出していた。夏の盛りで、冷房のない過酷な暑さの中、解体作業員が汗と埃にまみれて働いていた。
高級バーだった部屋の隅には、脚の折れたグランドピアノが撤去されずに残されていた。
(写真はイメージで)
ある日の夕方、作業を終えて、若い作業員がピアノに向かい演奏を始めた。僕もその場にいた。クラッシックの曲だ。見事な演奏だった。マッチョな作業員たちも彼を囲んで聞き惚れていた。それだけの思い出だ。
どういう経緯があって彼は解体業者で働いていたのだろう。ピアニストは(卵もふくめて)ふつう、指を怪我しそうな仕事はしないものだ。挫折した音大生かピアニストか。想像すると、まるでベタなTVドラマだ。
真相はわからないが、工事現場で脚の折れたピアノを弾いていた彼の背中が、いまでも妙に忘れられない。(ここまで)
”若手の解体作業員が、
周囲の作業員がそれに聞き惚れていた、”
このシチュエーションは好きだ、
壊れかけたピアノと( ピアニスト崩れの) 解体作業員、
何ゆえにピアニストが解体作業員なのか知る由もないが、
何よりも、周囲の者に安らぎを与えたのは感動、
*コンサートでの演奏とは趣が異なる、
このシーンを与えたのは神様だろうと思う、
人生、何が効を奏するかなどわからない、
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
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