ラッコの映画生活

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2006.12.21
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カテゴリ: 日本映画
FEMMES EN MIROIR
吉田喜重 Kiju Yoshida
2002年カンヌ映画祭特別招待作品



吉田喜重という監督は、日本のシネアストの中でも好き、あるいは評価している監督だ。『美の美』という彼のテレビは好きだった。今の『世界遺産』の美術中心、フィルム版のようなものだったが、映像も彼自身のナレーションのテキストも質がはるかに高かった。ホイジンガの『中世の秋』を読んだのも、その番組の影響だった。まだ見ていなかったこの『鏡の女たち』を契機に、既に見ている過去の作品をまた少し見てみようかと思っている。



今回『鏡の女たち』のDVDを見始めて、最初のタイトルロールの途中に入る18ショット、約1分45秒を見て、感動した。この人は映画というものを知っているな、と。まあ吉田喜重なのだから当たり前でしょ、と言ってしまえばそれまでだが、最近こういう映画らしい映画が少ないだけに、つい感動したのだ。初めて見る映画は極力途中で止めたり、戻したりしない主義なのだが、最初の部分だということもあって、この1分45秒をまず3回続けて見てしまった。

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吉田喜重、岡田茉莉子以外は、何の予備知識もなく見たので、広島の原爆がらみとは知らなかった。見ていくうちにそれを知った。こういう見方はなかなか出来ないけれど、いいものだ。原爆そのものを描くのではない原爆映画。どうしてもアラン・レネ1959年の傑作『二十四時間の情事』を連想しないわけにはいかない。吉田喜重はかなりレネの影響はあるとボクは思っているし。この映画の主人公を演じる岡田茉莉子の役名は川瀬愛。『二十四時間の情事』の原題Hiroshima mon amourのamourは「愛」。この命名にはアラン・レネに対するオマージュも含まれると見るのは考え過ぎだろうか。

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物語は、2001年と考えれば73歳ぐらいの岡田茉莉子演じる川瀬愛が、20年前に家出をして、その4年後に赤ん坊の夏来(一色紗英)を出産したまま病院を失踪し、その後行方不明となっていた娘の美和らしき女性、記憶喪失で尾上正子と名乗る女性(田中好子)を発見したと、役所から知らされる。その女性は川瀬美和と夏来の名義の母子手帳を持っていた。DNA鑑定をすれば親子の有無は容易に決定されるわけだが、愛はそれをしようとはしない。広島に原爆が投下されたのは愛が17歳のとき。それから半世紀以上も愛が持ち続けてきた思い、また秘密はなんであったか。愛・美和(?)・夏来という親子孫3代の家族(?)は広島へ旅立つことになり、そこで真相が明らかになっていく。

miroir02.jpg

(物語自体の感想はネタバレになるので最後に書きます。)この映画、ほとんど動きのない固定されたカメラでのショットを積み重ねる。吉田監督のスタイルと言って言えなくもない。例えば割れた鏡に岡田茉莉子が映っていて、そこに部屋の中を歩いて田中好子がその鏡に現れる。画面内の登場人物を一人から二人にするには、ズーミングでもカメラの移動でもできる。しかしその場合には語り手つまり監督の視点か、観客が同化しているある人物の視点、そういう視点や、語りの説明的要素が表に現れてしまう。

また一見不自然と感じられる場合もあるほどに、2人、3人の人物を同じ方向を向かせて描く。最初の方で岡田と田中が喫茶店でお茶を飲むシーンにしても、このような人間関係で並んでテーブルにつくのは、日本ではちょっと不自然だ。しかしテーブルに向かい合って2人の人物を配すると、まずはAを正面から捉え、次にリバースショットでBを正面から写すことになる。そうすると例えば最初のショットでAの心理を描き、次のリバースショットでは、Aから見たB、あるいはAに同化した観客の目で見るBとかになってしまう。吉田監督は特定の一人への観客の同化を極力排したと思われる。



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(以下ややネタバレ)
そういった意味で、この作品の原爆の扱いは、吉田監督がライフワークとも考えて暖めてきた映画だけあって、非常に良く出来ている。鏡(バックミラー等も含む)の利用は、固定カメラやショット/リバースショットによる表現の排除などとともに、作中人物の誰かに観客が同化し切ってしまうことを拒んでいる。しかし同時にこの手法で、母・娘・孫(あるいはさらには曾孫 -- 夏来のまだ存在しない未来の娘 -- )を巧みに相互入れ替え可能に描き、同じように赤い血が流れる女として同族・同列に表現もしている。「そうなんですが吉田喜重先生、『一人では生きられなかった女、そういう私という女』という奥様岡田茉莉子さんのセリフ、その『同じ血』が流れるものとして、美和も夏来も、そしてひいては女性全体をこの視点に収斂させていること、そこがボクが同感できないところなんです。言わせていただきますが、どうも吉田監督の一人良がりの女性観、あるいはさらに男性吉田監督の女性に対する優越意識が無意識のうちにもあるように感じられて、そこが気に入りません。愛という人物についても17歳での原爆から56年間の人生の重みは理解しますよ。でも『愛』という名前のようにもし川瀬愛が記憶喪失の尾上正子へ『愛』で接しようとするならば、中途半端な状態で自分の苦悩のゲームに正子を巻き込んで苦しい思いをさせるよりは、DNA鑑定でもなんでもしてまずは事実をハッキリさせてやることではないでしょうか。もちろんDNA鑑定をすればどちらかに決めた上での脚本を書かなければならないわけで、この作品自体上手く書けたたかどうかわからない、という面がわからないではありません。しかしこの物語での川瀬愛は、たとえどんな苦悩があろうと、『謝らなければ』と口では言いながら、他者を犠牲にしても自分を守ろうという利己的な人物でしかありません。そういう女性を映画で描くことには全く反対ではありませんが、それを原爆映画でやるべきではなかったと思います。『女』ではなく『人』をテーマに作品が作られていたら、もしかしたらレネの『二十四時間の情事』にも匹敵する原爆映画になったかも知れないと思い、残念です。」

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Last updated  2006.12.21 22:12:33
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