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2006.12.24
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カテゴリ: 日本映画
炎と女
吉田喜重

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木村功(伊吹真五)、岡田茉莉子(伊吹立子)、日下武史(坂口健)、小川真由美(坂口シナ)、北村和夫(藤木田医師)

伊吹真吾・立子夫妻には1歳7ヶ月の息子鷹士がいるが、真吾は不妊症で、鷹士は他人から精子の提供を受けた人工授精の子供。真吾との血のつながりはない。そのことが夫婦の関係を微妙なものにしている。伊吹家には坂口健・シナ夫妻が友人として出入りしているが、この4人の複雑な心理的関係の物語で、親子の絆を中心に据えながら、人のアイデンティティーの問題を考察した映画。

そう言えば最新作 『鏡の女たち』 でも吉田監督は記憶喪失者のアイデンティティーを扱っていた。鏡の多用、固定カメラも吉田監督のスタイルだろう。人物の顔にカメラを向けると、それは監督なり映画の語りの視点で人物を見ることになるか、映画の別の登場人物の視点となるが、鏡に映った顔をその人物の後ろ姿と同時にフレームに収めることで、その人物自身の内省という視点を持たせることができる。手法としてこのような映画では必要なのだろう。

映画なので屋外のシーンもあるが、60年代・70年代の洒落た吹抜け構造の伊吹家と別荘は、室内に階段のあるような立体的構造で、役者が上下左右に動き回れる空間を構成し、そこでの会話は舞台の室内劇風。ディクションも芝居風で、5名の役者はいずれも好演している。

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時代的共時性か影響関係があるのか、イングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』と 『狼の時刻』 との類似性を感じた。ちなみにベルイマンの作品は1966年と1968年、この『炎と女』は1967年。ベルイマンの作品はどちらもアイデンティティーの問題、人格の喪失、崩壊、『ペルソナ』は容貌の似た2人の人格の融合などが扱われ、『狼の時刻』の主要な素材の一つである「鳥」のイメージが『炎と女』にも出てくる。回想と幻想・妄想シーン、効果音や音楽の使われ方、室内劇的作り、等々似た面が多い。



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(以下ネタバレ)
まあストーリーとしてはやや荒唐無稽。人工授精はいいとして、夫婦も提供者も互いに誰が誰に精子を提供したか知っしまっていて、しかも互いに交際関係があるのだ。本来こういう人工授精などないのではないか。ただある事態を想定しておいて、それを前提として実験をし、その過程・結果を考察するという手法自体はあっていいと思うので、この荒唐無稽を非難する気はさらさらない。物語自体が一つの試験管ベイビーなのかも知れない

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もともと男は子供の誕生に生理的記憶を持たないから、意識的に父親であると思うしかない。伊吹真吾の場合、それに加えるに自分の精子から生まれたのではない他人の精子の子供の父親として自分を認識しなければならないから、そのことが強調される。彼は坂口が精子提供者と知っているわけだが、妻と坂口の間に肉体関係があったわけではない。つまりこの子は完全な父親を持たない。むしろ妻の先夫の子供なり、浮気の子供であった方が、継父として血のつながらない子供の父親を自覚することは簡単なのではないだろうか。だから映画の最後の方で、事後的にではあるが立子が精子提供者の坂口と肉体関係を持つことで、かえって立子にも真吾にも理解が容易になったのではないか。

この映画は人工授精で夫が自分を子供の父親と認識する困難、妻が子供の父親が夫であると認識する困難、精子提供者が子供の父親ではないと認識する困難を描いてはいるが、さらに人にとっての自己アイデンティティーとは何かを問うているように思う。人工授精を施した医師の藤木田は言う。「神はこの時代に存在しないことに医者として加担した。」と。また真吾は言う。「僕らはみんな何かでかかわり合い、つながり合っているんだ。」と。神という言葉に象徴される自然の摂理や、信じて疑わない決まった価値体系が存在しなくなった世界の中での自己認識。鏡像や他者の視線が自己のアイデンティティー形成をするという発達心理学的こと。人工授精というアイデンティティーの困難な素材と鏡の多用という手法で、現代に於いて人がアイデンティティーを持つことの困難さを描いた作品だと思う。






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Last updated  2006.12.26 22:27:11
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