カミーユはステファンに出会って、今までになく特別に彼に惹かれる。既に書いたように誰にも話していなかったことが彼には言える。全身全霊投げ出すことのできる相手だったんですね。英語のラブソングを聞いているとよく「set me free」という歌詞が出てきます。「自分を自由にしてくれる、解放してくれる」という意味でしょうか。誰かに出会って愛して、自分をそのまますべて相手に投げ出せたとき、set freeされるんですね。でもマクシムが言うように、マクシムに対しては自分のどこかを守って、すべてを委ねることはできない彼女。それができるのはステファンだった。そう感じる相手と出会ったとき、その相手なしには自分が何であるかも解らないほど自己喪失をしてしまう。彼女が言うように「もぬけの殻」になってしまう。相手が自分を愛していないのなら、それはそれで悲しいことであるにしても単なる一つの失恋でしかない。しかし相手も自分に惹かれているステファンが自分を拒否するのだから話は深刻です。ではどうしてステファンはそうなのか。理由を訊かれた彼は「幼少期のトラウマが・・・、とか説明すればいいのか」と皮肉混じりのことを言います。この言葉は映画の中での2人の会話のコンテクストでもありますが、監督の世間一般に対する皮肉でもあると思います。世間はいとも簡単に幼少期のトラウマとかで一人の人物の今を説明する。でも実際にはそんなに簡単に説明できるものではない。そして映画でもそういう安易なステレオタイプ的発想で描いていい気になっている、と。それがどういう経緯でそうなったかは別として、自分を外に晒すことのできないステファン。プライドが高いと言えば高い。子供が駄々をこねて親に何かをねだる。成功すれば望みはかなっても駄々をこねた自分は残る。失敗すれば無様な自分だけが残る。ならば望みを我慢してしまえばいい。そうすれば決してプライドが傷付くことはない。こうして自分の殻に閉じこもり外界に自分を晒すことをしない。残るのは我慢と孤独だけだ。しかしそれでも内部に残る欲望や情熱、それは夢の世界として音楽を聴く。そんなステファンのような人間には2つの道しかない。慣れ親しんだ殻の孤独の人生を続けるか、容易には出来ない努力をして自分を変えるかだ。しかし自分を変えるなど簡単にはできない。ステファンにもそれは出来なかった。その機会は何回もあった。カフェでの修羅場の後、朝ステファンはカミーユを訪ねる。来訪を取次いだレジーヌに彼を通すことをカミーユは許す。この時点ではまだ彼女はステファンを諦めてはいないということだ。しかし彼の第一声は「謝るつもりはない」なのだ。