ラッコの映画生活

ラッコの映画生活

PR

Calendar

Comments

Jeraldanact@ Проститутки метро Электросила Брат замминистра инфраструктуры Украины…
SdvillkeS@ ИнтерЛабСервис [url=https://chimmed.ru/ ]brueggemannal…
hydraGes@ Новая ссылка на гидру v3 новый сайт гидры v3 <a href=https://hydraruzpnew4afonion…
間違い@ Re:『沈黙の行方』トム・マクローリン監督(米・加2001)(02/21) 姉ではなく、妹です。 なので、弟ではなく…
RogerEQ@ Это вам будет по вкусу разработка сайтов веб сервис - <a hr…

Profile

racquo

racquo

Favorite Blog

コイケランド koike1970さん
Kabu + Plus エースNo1さん
行きかふ人も又 はる **さん
Nobubuのbu… Nobubuさん

Keyword Search

▼キーワード検索

2007.03.09
XML
カテゴリ: 日本映画
誰も知らない(Nobody knows)
是枝裕和
(140min)

0.jpg

寸評:正直感動。実際にあった事件をモチーフにした翻案・脚色が秀逸。もちろんカンヌ映画祭主演男優賞の柳楽優弥他子供たちの演技もいい。実話の人物を美化し過ぎと批判する人はワイドショーを見て表面では怒り、内心では喜んでいればよい。実話の劇映画化は再現フィルムではない。

1.jpg

映画冒頭に、この映画が実際に起きた事件をモチーフにし、細部や心理描写等はフィクションだという監督のコメントが出るが、事件とは1988年に発覚した巣鴨子供置き去り事件のこと(詳しくはhttp://ja.wikipedia.org/等を参照して下さい)。すべて父親の違う5人の子供、いや内1人は最初から死んでいるから4人の子供を抱えた母親が、長男に他の子供の世話を託し出て行き、発覚まで9ヶ月間ときおり母親が様子を見にくる以外は子供たちだけでいたという事件だ。映画では長男の明が12歳で、以下撮影時の子役の年齢では11歳、8歳、6歳となっており、子供たちの生活を、4人兄弟と長男明のガールフレンド紗希の5人の美しい物語として描いているが、実際の事件では14歳、6歳、2歳、1歳の4人で、もっと悲惨なものだったらしい。映画では末の'ゆき'が死ぬのは椅子から落ちての事故死だが、事件では長男の遊び友達による折檻による死だった。

2.jpg

こういうところから人物を美化し過ぎという批判が出てくる。しかしそれは是枝監督の意図することであり、それが実に巧みなのだ。もちろんもっと事件に忠実に描くことは出来ただろう。しかしそれではワイドショー報道の上塗りないし総決算になるだけだ。映画の観客の視点はテレビの視聴者の視点と同じになってしまう。ワイドショーや週刊誌の事件報道の本質がどこにあるかと言えば、それは傍観者あるいは野次馬の視点であり、凶悪事件やハレンチ事件の当事者、特にその犯人を視聴者と「別の側」に置くことにある。視聴者は安全な場所から「こんな悪いヤツがいるんだ」と事件を見るに過ぎない。

3.jpg

子供を置き去りにした母親はとりあえずおくとして、この映画には本当の悪人が一人も登場しない。長男明はかいがいしく弟妹たちの面倒をみる兄。正月には母親からと偽って少ない予算から弟妹たちにお年玉を渡す。お金が尽きても明は妹京子の貯めている金を強要などしない。それを自発的に差し出す京子だし、すぐには受け取らない明。4人の兄弟愛の生活は美しくさえある。タクシー運転手とパチンコ店フロアー係の2人の父親は、立派ではないにしても決して根っからの悪人としては描かれない。コンビニ店主しかり。紗希と援助交際もどきの中年紳士にしても、もちろんカラオケボックスの中で実際に何が行われたかは分からないが、紗希の言葉通りなら一緒にカラオケを歌っただけで、さほどハレンチでもなく犯罪性もないし、悪人ではない。上に住む犬を抱っこした有閑の大家夫人にしても悪意はない。2人のコンビニ店員は半ば事情を知りながら通報などはしないが、消費期限切れのオニギリ等を分けてくれる。選手不足という事情があったかも知れないが明をチームに入れて試合に出させてくれる少年野球の監督もどちらかと言えば善人だ。明の弟妹を邪見にし、一緒に万引きをしないので「もう仲間じゃない」と言う明の遊び友達にしても、後日学校の下校時に明が会いに行けばそれなりに応対してくれる。そして問題の母親も、無責任で自分勝手ではあるのだけれど、子供たちには嫌われず慕われているし、お金も十分とは言えないが送ってくる。

4.jpg

つまりここで描かれる人物たちはいわば観客と等身大の人々なのだ。事件のなりゆき、事件の当事者、事件を生んだ社会、そういうものを観客と別の側に描くのではなく、同じ側に据える構造だ。この構造(視点)を映画に持たすことで初めて映画は建設的な意味を持ちうる。傍観者として社会を見るのではなく、自分の問題として社会を考えることを観客に促すことだ。だから傍観者の位置に留まりたい観客は「美化だ」と批判し、怒りさえする。それは現実の社会や自分からの卑怯な逃避だ。映画は「自分は彼らとは違う立派な人間だ」とは決して感じさせてはくれない。

5.jpg

(以下ネタバレ)
死んだ妹'ゆき'を入れたピンクのスーツケース持って少女(実は紗希)と電車に乗る明で映画は始まる。少女の顔はわざと明確に写さない。直後に(時間は戻って)新しいアパートに引越してきて、隠して連れてきた弟の茂を同じピンクのスーツケースから出すシーンとなり、駅に妹京子を迎えに行く。先の電車の少女がこの妹京子であったような錯覚を観客に与える。しかし電車の明の髪型や汚れたTシャツは物語最後のものだ。車窓の夜の羽田空港の明かりも写る。妹'ゆき'は最初はヴィトンのスーツケースに隠されてアパートに来るが、成長して大きくなっていたのでより大きなピンクのスーツケースに遺体が入れられることになる経緯も辻褄が合う。劇映画とするための脚色の巧みさは、ただ置き去りにされた子供たちの日々の生活という動きのないストーリーに、たぶん純フィクションの人物紗希を登場させたことだ。最初から紗希を登場させ、途中にも実際の出会いより前に紗希が川にイジメの手紙か何かを捨てているのを明にかいま見させる。こうして明と紗希の心の触れ合い、ないし恋心を描き、全体を一つのラブストーリーとすることで、映画に物語性をしっかり与えている。実に良く練られた見事な脚本だ。

6.jpg



監督別作品リストはここから

アイウエオ順作品リストはここから





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.03.18 22:57:45
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: