ラッコの映画生活

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2007.08.17
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カテゴリ: フランス映画
L'ENNUI

120min

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アルベルト・モラヴィアの小説の映画化作品。モラヴィアの作品は映画化されることが多いけれど、結果的に映画自体が良い映画かどうかは別として、なかなかモラヴィアの世界の映画化は難しい。性描写も多いのでともするとポルノ的に堕してしまうこともある。中ではゴダールの『軽蔑』とベルトルッチの『暗殺の森』が名作だろうか。セドリック・カーンのこの『倦怠』も良く出来ていた。主人公を画家から哲学教授・研究者としたことは、この多弁ですべてを言語化しようとする主人公に合っているし、母親を元妻にかえ、彼女を問答無用の聞かされ役とすることで、小説のモノローグを会話化した脚色は上手いと思う。ただ印象としては読書というのは静かな行為であり、それと比べてこの映画の機関銃のような早口の多弁、せわしない車での移動、どちらもその映画的効果は認めた上で、読書との違いという意味で違和感があった。でも映画としては名作だ。

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四十歳前くらいの哲学教授・研究者マルタン。夜の街、パリ・ピガール辺りのいかがわしい地区をBMWで走り回る。たぶん確たる目的もないこと、また自分の現在に飽いている主人公の心情が、ピントのぼやけた映像で映画的に表現されている。ふと目に入った老人と小娘のカップル。老人は小娘を御し切れず、別れてバーへ入る。マルタンは同じバーに入るが、そのぼったくりバーもどきでトラブルとなった老人をマルタンが救う。老人は画家で、手にしていた絵をマルタンに渡す。マルタンが画家を訪れると画家は死んでいた。小娘とのセックスで腹上死したらしい。アトリエには小娘をモデルに描いたヌードが並ぶ。そこに荷物を取りにきた小娘セシリア。画家と彼女の関係が知りたくてマルタンはセシリアを問いただすが、既にマルタンは自分でも解らずに彼女に惹かれていて、彼女もそれを本能的に見抜いていた。

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こうしてマルタンはどんどんセシリアにはまっていく。知識で、つまりは言語ですべてを説明し、理解しようという彼だから、彼女の行動を分析し早口で彼女に色々と問いただすけれど、セシリア何の感情も感動もない無味乾燥な答えを悪びれずに口にするのみだ。「愛されていると感じれば女は嬉しいもの」とも言い、「愛するのに相手のことを知る必要はない」とも言う。問いと答えの会話は成立しているようで、マルタンの期待する答え、それが彼を愛していないという言であったとしてもだが、そういう答え、彼女の感情を示すような答えは返ってこない。毎日会うと言ってもすべて彼女ペースで、親への言い訳が難しいから週2回だけにしよう等とマルタンを翻弄する。マルタンは相手かまわず別れた妻ソフィーを聞き手に話をするが、ソフィーはマルタンの状態が良くないと言い、彼もセシリアと別れると言うが、実際にはセシリアから別れを告げられることを恐れている。セシリアをややストーカー的に追い回すのを含め彼がせわしなくBMWで走り回るシーンが何度も出てくるが、これが映像的にマルタンの焦燥感をよく表現している。

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モラヴィアの発想というのはいつも辛辣に物事の本質をついている。誰かを愛するとき人は相手を所有しようとする。所有と言っても独占とか支配という意味ではない。自分の言語で相手を捉えようとすることだ。自分の発想の範疇に相手を取り込むことだ。それは相手との「愛」という関係も同じことだ。でもそれは本来不可能なことであり、結果は幻想でしかない。そこにあるのは「ただその関係」であり、「そういう相手」でしかない。だからこそここで繰り返されるのは感情を排したような即物的セックスで、 やさしい 愛撫すらない。それ以外は究極思い込み、思い入れでしかない。もちろんここでは女が本来的に持つ男を翻弄するある種手練手管のようなものとして描かれ、そういう見方も出来るけれど、それをも含め男と女、ひいては人と人の関係に内在する本質を突いている。だからモラヴィアの原作は1960年だったと思うけれど、永遠のテーマだから古くはならない。パリに広いアパルトマンを持ち、BMWを乗り回すことからも分かるように、また特に後半で物語としても語られるけれど、マルタンがもともと金持ちの家の出であり、ブルジョワ的価値観に生きていることも重要なファクターとなっている。

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(以下ネタバレ)
別れると言い、別れられず、別の若い愛人モモをも同時に持ったセシリアをつなぎ止めようとマルタンは結婚をしようと言う。しかし結婚とは何か?。結局のところ不倫をしないという契約ではないか。結婚したからと言って配偶者以外の誰かを好きになることもあるだろうし、あるいは単純に誰かとセックスしたいということもあるのに。つまりはこれもブルジョワ的、常識的価値観以外の何ものでもない。セシリアは「結婚するならあなたとだけれど」と言いながら、モモとも会いたいから結婚はしないと言う。マルタンはすぐ手元にある預金をおろして6000フランを彼女に渡そうとするが彼女は受け取ろうとはしない。しかしいつものように即物的スピーディーなセックスの後、今モモは失業中でお金がないから3000フランだけ貸してくれないかと言うしたたかさ。マルタンもさすがに理性をなくして彼女の首を絞めてしまうが、我にかえる。それでも「どうしたの、痛かったわ」と冷静なセシリアだ。金が目的かと問うマルタンには「最初お金なんてもらわなかったけれどつきあっていたでしょ」と答えるセシリア。意図的手管というより本能的に男を虜にする女の本性であり、またマルタンを中心に考えればセシリアに翻弄されているのではなく自分の矛盾した価値観に苦しめられているだけだとも言える。

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しばらく前に 『愛してる、愛してない...』 にオドレイ・トトゥの友人役でソフィ・ギルマンっていう珍しくちょっと太めの女優さんが出ていてちょっと注目し、調べたらカーン監督に見い出されてこの映画でデビューしたことを知って、モラヴィアの原作でもあったのでビデオを入手して見たのですが、初映画出演にして好演です。ルノワールの絵のような豊満な肉体。ボクはデブが好きなわけではないけれど、そして現代は特にファッション的審美要請から細めがもてはやされるけれど、服を脱いでも着ていても、こういうグラマーな肉体には本質的に女の肉感的魅力がありますね。感情を示さない、でも悪気もないセシリアを上手く演じていたと思います。彼女以外に誰がこのセシリアの役ができるかな?と考えても思いあたりません。監督というのも本当に適切な役者を見つけてくるものです。太めの女優さんって少ないから、これからも良い作品で良い役を演じて欲しいものです。もう1人の主演シャルル・ベルリングも適役、名演。脇を固めたアリエル・ドンバールとロバート・クレイマーも良かったです。ソフィ・ギルマンは肉感的だし、セックスシーンも多いけれど、まったくポルノにはなっていないところがこの映画には不可欠で、その点で実に実に成功していると思います。こういうスタンスはアメリカ映画では絶対に近いほど無理でしょう。

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Last updated  2007.09.06 04:39:26
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