ラッコの映画生活

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2008.03.10
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カテゴリ: フランス映画
PARIS, JE T'AIME

(所有DVD)

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第11話『デ・ザンファン・ルージュ地区』オリヴィエ・アサヤス監督
QUARTIER DES ENFANTS ROUGES Olivier
Assayas


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この第11話は、主人公は映画出演のためにパリに来ているという設定のアメリカの女優リズだけれど、全18話の中で、ボクの印象としてはいちばんありのままのパリって雰囲気があります。出演者もすべてフランス人の第1話『モンマルトル』よりも現代のフランス映画の一コマを見ている感じが強いです。ちょっと思い出したのはフィリップ・ガレルの 『白と黒の恋人たち』 。『白と黒』のリュシーの苦悩ほどではないけれど、一人でパリに来て孤独なリズ(マギー・ギレンホール)はドラッグに浸っている。で売人としてやってきたケンはそんな彼女にちょっと惹かれ、また会いたいと電話番号交換するけれどそれっきり、というお話。彼女の弱々しそうな、孤独で、誰か男を求めている雰囲気が、ケンの心を惹いたのだろうけれど、実はこのリズっていうのはもっと冷たいと言うか、男にしたたかな女のような気がする。したたかが言い過ぎなら、ずるい、あるいは自己中心と言い換えてもよい。ケンはちょっとイケメンということなのだろうけれど、地元で普段の日常があり、知っている店があり、親しい人々がいて、恋人がいないとしても恋人未満の男友だちがいて、そういう環境にいたらきっとケンには目もくれない彼女なのではないだろうか。旅先の孤独の中で知り合って、一時2人の関係熱烈に成立したとしても、アメリカに帰れば、仮に男が追いかけてもそれっきりの女のような気がする。そういうちょっと蓮っ葉な女をマギー・ギレンホールは上手く演じてました。撮影を終えた彼女のトレーラーに、ケンは上得意客への仕事が出来たって別の下っ端がドラッグ持ってきて、リズが待っていたケンは来ない。もしかしたらケンは来られるのに敢えて来なかったのかも知れないけれど、気の抜けたようにがっかりするリズ。この孤独感は彼女にとっても真実の孤独なんですね。

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第12話『お祭り広場』オリヴァー・シュミッツ監督
PLACE DES FETES Oliver Schmitz


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この監督は名前からも想像できるようにドイツ人の両親を持ち、アパルトヘイト下の南アフリカで生まれ育った人。その差別社会が嫌でドイツに渡った人のようで、そういう映画も撮っているようです。この映画決して明るい作品ではなけれど、と言うか暗くもあるけれど、ショートながら長編1本にも相当する恋愛物語が語られ、また差別とか暴力という問題をも、決して誰がことさら悪いわけではないけれど存在するものとして描いているのが良いと思います。明るくないから「好き」とは言い難いけれど、全18ないし20編の中でも出色の出来だと思います。

ちょっと脱線して余談。ボクは父親の仕事の関係で小学生の時にパリに移り住んだのだけれど、当時は日本には今ほど外国人は多くなかったし、テレビで非西洋圏の映像が流れることだって少なかった。だからパリに行って、固有フランス人、アメリカ人、そして初めてに近い出合いだけれどアルジェリア等のコーカソイド、そして中国人、顔は色々だけれど比較的馴染みやすかった。さらに余談に流れると、白人の皮膚って本当に白いんですね。子供にクレヨンとかで人の顔描かせると、日本人は肌色クレヨンがあればそれで顔を塗るけれど、ないと黄色かオレンジか黄土色を使う。でもフランスの子供はピンクを使う。顔が紅潮すると日本人は黄色と赤が混ざって赤めの肌色になるけれど、西洋人は白と赤が混ざって本当にピンクなんですね。で第一の余談に話を戻すと、ブラックアフリカの人々って、本当に漆黒に黒光りするような肌に歯と白目だけが真っ白で、無気味で恐かった。この映画の主人公ハッサンは地下駐車場の掃除人をやっているのだけれど、ボクがパリに行った頃も、もちろんごく一部金持ちの人もいたけれど、痩せて背の高いブラックアフリカンのお兄さんたちは、道路清掃とかゴミ収集とか、そういう3K労働に主に従事していた。と言うか自分が目にし、接するブラックアフリカンはそういう人だった。そんなことを思い出しました。

歴史的に考えればヨーロッパ人がアフリカ植民地を搾取してきたのは確かなのだけれど、普段パリに暮らす人々は、白人にしても黒人にしても、いつもいつもそのことばかり考えて生きているわけではない。特に被差別の側にいて、生活条件も良くないアフリカンはそういうことを考える、身にしみて感じる機会は多いだろうけれど、その彼らだって今成立している生活のあれこれ、喜怒哀楽、そういうことの方が重要で、それが人の日々の生活というものだ。この映画の中で描かれるちょっとしたいざこざ、そこにもちろん差別はあるのだけれど、それ自体も既に日常の一部なのだ。主人公の黒人ハッサンが何故パリにいるのか、それはわからない。家を追い出されてギターとカバンを持って広場に座る彼。そういうつもりではなかったろうが、ギターを奏でて歌を歌っていると小銭を置いていく人がいる。きっと自分の生活に一応満足した、あるいは満足を知る余裕を持てる人なのだろう。しかし自分たちも失業に汲々ととし、あるいはちょっとヤクザな世界で上手いことやっている族にとっては、自分の実入りとかち合うか、あるいは不満から誰かを虐めたい心理があって、ハッサンはその犠牲となるわけだ。

掃除人として働いていた地下駐車場で一度会ったソフィー。彼女もブラックだったが、医者だか救命士の資格取得を目指していて、自分の車も持つ成功者でもある。そんな彼女に惹かれたハッサンだったが、チンピラに腹を刺されて倒れたとき救急医として駆け付けたのは皮肉にも、あるいは幸いそのソフィーだった。駐車場の出会いでなし得なかったこと、一緒にコーヒーを飲もうという彼に、彼女は近くのカフェからのコーヒー2つの出前を人に頼む。しかし到着した救急車に瀕死の状態で乗せられ、運ばれ去るハッサン。涙を流す彼女に運ばれてきたのは2つのコーヒーだった。救命という使命感に生きようとしているソフィーの初仕事は、こうして挫折に終わる。何かの希望を抱いてパリにやってきたハッサンも挫折の(恐らく)死だ。これは誰がことさら良い、誰がことさら悪いという個別問題を越えた社会の真実なのだ。

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第1話~第3話
第4話、第5話
第6話、第7話
第8話~第10話





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Last updated  2008.03.13 00:32:51
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