ラッコの映画生活

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2008.04.30
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カテゴリ: 日本映画
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104min
(所有VHS)

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黒沢清作品、昨日の 『CURE』 に続いて、そろそろ『カリスマ』についても書かないと・・・。前回この作品を見たのは約1年前。そのときは書き始めたものの、あらすじも上手く書けなかった。深読みすれば人物もセリフも象徴の洪水なのだけれど、今回はあまり深入りせず気軽に書きます。昨日の日記に列挙した8作品、あとは『回路』が残りますが、これはソフトを所有してないのでしばらく先になりそうです。

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この映画には枠がついている。物語の大部分はどこかの森が舞台。撮影は富士山中かどこかだろうけれど、森の高台から街(首都=東京?)を遠くに見渡せる立地でなければならず、そういう意味で地理的設定はあくまで架空だ。枠は主人公の刑事・藪池五郎(役所広司)がこの森にやってくるキッカケ(そして最後に藪池が戻っていくということ)を描いているのだけれど、もし主人公・藪池という人間を描くのが目的の映画なら、この枠は(子供騙しのハリウッド映画ならいざ知らず)無用、邪魔でさえある。それは物語の進行に連れてわかればよいことだ。しかしこの映画は、実はそういう映画ではない。藪池という「ある特定の人物」を描くことには主眼はない。そういう具体ではなくもっと普遍を描いている。これは黒沢映画の特徴でもあるのだけれど、ボクが見た8本の黒沢作品の中で、この『カリスマ』と『回路』にその傾向が強いのではないだろうか。ここでは藪池という人物(他の人物も)のリアリティーが希薄でさえある。

というわけで森での本編物語を進行させるにあたって、この枠でまず2つのことが「既定」される。車の中で部下が言うように、真面目過ぎて組織(あるいは社会)の中で上手く世渡りできない、あるいはそれが性に合わない藪池の性格。冒頭の廊下での上司とのやり取りのシーンで、コミカルにそれがデフォルメして描かれる。もう1つは人質事件でチャンスはあったのに藪池は発砲せず、両方を救おうとして結果両方を死なせてしまったというエピソード。その事件の後、上司に強制的に休暇を取らされ、藪池は(ちょっと唐突で不自然と言えば不自然でもあるが)ある森にやってくる。夜。森の放置された廃車の中で彼が寝込んでいると女の人影が近付き車に火を放った。助けられたのか自分で逃げたのか、気付くと藪池は1本のか細い木を前にしていた。その木は金属の囲いで保護されている。この木は「カリスマ」と呼ばれていた。藪池は森林伐採官だか営林署の中曽根に助けられ、拾われる。この木・カリスマはか細く、弱々しそうに見えたが、根から毒素を排出し、自分が生きることで周囲の森の木々を枯らせているらしい。中曽根は森の木々を守るためにカリスマを伐採したいと考えていたが、カリスマは私有地に植えられていた。廃院となった療養所の死んだ院長が海外から持って来て移植したものだ。院長に育てられ、今も廃虚となった療養所で病気の院長夫人の面倒をみる青年・桐山が木の世話をし、カリスマを守ろうとしていた。藪池は桐山青年に協力してカリスマを守り始める。

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ある日藪池は森を歩いていて動物用の罠に足を挟まれてしまう。通りがかった植物研究家・神保美津子(風吹ジュン)が家に連れてゆき傷の手当てをする。神保は1本のカリスマが森の秩序を破壊している危険を語った。後にわかるのは、森を一度無にして最初からあるべき森林秩序を回復するために、神保は秘かに森の水源に毒を流していた。希少な珍種として高値で売れると、猫島という男がカリスマを買取りにやってくる。カリスマを守りたい青年、入手したい猫島、消滅させたい神保、持ち出しでも破壊でもとにかく今の場所から無くなって欲しい中曽根。そんなそれぞれの思惑と猫島の持ってきた1千万円という金が交錯し、カリスマの争奪戦となる。

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一方洞口の演じた千鶴と藪池の関係は、個人と社会という大きな関係ではなく、たとえば男女のカップルでも良いが、もっとプライベートな人間同志の勢力・所有関係を象徴しているのだろう。千鶴は藪池の眠る車に自分で火を着け、その上で藪池をそこから救う。これは自分にとっても、相手にとっても、そして残りの他者に対しても、自己の所有を意味する。放っておけば藪池は焼死したはずなのだから、藪池の存在は彼女ゆえなのだ。洞口のセリフにあるように、この森、つまりは世界は、彼女にとって嫌な世界だ。外の世界とはこの嫌な世界からの脱出であり、それを藪池に求めた。彼女はまんまと1千万円を手にして逃走するけれど、この世界が「嫌な」ものであるのも金の存在だということでもあり、猫島が連れている武装集団は、金にまつわる軍事的力の象徴でもあるのだろう。

冒頭の事件で犯人と人質の両方を藪池は救おうと考えた。森が社会を象徴するなら1本1本の木は個人を象徴するわけだが、森全体(=社会全体)ではなくただ1本1本の木(1人1人の個人)があるだけではないかと藪池は考えた。中曽根は「藪池さん、みんなあんたがどっちにつくか知りたがってます」と言うけれど、カリスマを守ることで青年・桐山についているようで、実は青年側に組みしているわけではなかった。森を一度破壊しようという「ひとつの」発想(政治思想)を否定するために、藪池は神保が毒を流していた水源の井戸を破壊する。彼はどこにも組みしないのだ。そして捉えようによっては、藪池という人物は、森の外の世界という枠の中心人物ではあるけれど、森での物語では狂言回しのようなもので、実体的人物としてはリアリティーが希薄でもある。だから院長夫人との空想的シーンでは藪池は院長にもなってしまう。

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(以下ネタバレもあり)
猫島が引き抜き持ち去ろうとしたカリスマは神保姉妹によって焼かれててしまう。しかし凝り固まって信じていた思想を破壊されてしまった桐山青年は自由を獲得することになる。藪池の(多分に辛辣な)妄想は、カリスマに代わる別の枯れかけの老巨木を実体化する。植物学者の神保も「ただの木でしかない」と言うが、そんなことにかまわず藪池はその「何でもない木」を新たなカリスマとして世話を始める。するとその木は猫島にとっても神保にとってもカリスマとなってしまう。でもそれが「ただの木」であることを藪池は知っている。だから神保が破壊しようとすれば、平気で爆破の手助けもする。信じるべき、組みするべき「何か」という発想を否定された神保の精神は錯乱してしまう。

約1年ぶりに2度目を見て、以上のような見方をしたのだけれど、その1年の間に他の黒沢作品を見てきて、特に『CURE』などを見た上で感じることがある。それは、もちろんここではもっと色々な解釈の余地は広いけれど、人々、特に現代の日本人が、それぞれの個人という「自分」であるよりも、組織とか社会とかいうものに埋没し、あるいは支配されていることがテーマの根底にあるような気がする。

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Last updated  2008.05.07 22:04:44
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